今回は、深谷市の東方城について書きたいと思います。
複数回に分けて書きます。調査日は2020.01.20です。
東方城は熊谷市の別府地域、利根川氾濫原の段丘上にあります。
東から西にかけて奈良氏館、玉井氏館、別府氏館、西別府城、幡羅官衙遺跡、そしてこの東方城と隣接しており、
歴史的に極めて重要な地域だったことが推測できます。
別府の段丘直下には別府沼という老朽河川がありますが、この河川は実は荒川水系に属します。
この別府沼上流には古代の祭祀遺跡もあり、古代ー中世史の重要地点です。
幡羅官衙遺跡に接する形で全久院があります。全久院には、戸田松平家の祖、東方城主の松平康長の墓があります。
もっとも、松平康長の墓所は現在長野県松本市にあり、以前は全久院にも、松平康長の墓という案合札があったのですが、
現在は、撤去されたらしく見当たりません。
しかし、松平康長には縁のある寺院ということなので、今回の調査はここから始めたいと思います。
全久院山門です。全久院は広大な畑のど真ん中にあります。結構広くてきれいなお寺です。
本堂脇に見える大木カヤは天然記念物です。
このカヤの樹の後方、本堂脇に松平康長の墓があります。
せっかくなのですから、康長公の墓として改めて案内をすればよいと思うのですが、
長野の方との間で大人の事情があるのではないかと思いました。
ここには、良い板碑があります。善光寺式阿弥陀三尊像板碑です。
この板碑については私も拓本を持っていませんが、良い板碑だなと思いました。
それではここから西にある東方城に向かおうと思います。
複数回に分けて書きます。調査日は2020.01.20です。
東方城は熊谷市の別府地域、利根川氾濫原の段丘上にあります。
東から西にかけて奈良氏館、玉井氏館、別府氏館、西別府城、幡羅官衙遺跡、そしてこの東方城と隣接しており、
歴史的に極めて重要な地域だったことが推測できます。
別府の段丘直下には別府沼という老朽河川がありますが、この河川は実は荒川水系に属します。
この別府沼上流には古代の祭祀遺跡もあり、古代ー中世史の重要地点です。
幡羅官衙遺跡に接する形で全久院があります。全久院には、戸田松平家の祖、東方城主の松平康長の墓があります。
もっとも、松平康長の墓所は現在長野県松本市にあり、以前は全久院にも、松平康長の墓という案合札があったのですが、
現在は、撤去されたらしく見当たりません。
しかし、松平康長には縁のある寺院ということなので、今回の調査はここから始めたいと思います。
全久院山門です。全久院は広大な畑のど真ん中にあります。結構広くてきれいなお寺です。
本堂脇に見える大木カヤは天然記念物です。
このカヤの樹の後方、本堂脇に松平康長の墓があります。
せっかくなのですから、康長公の墓として改めて案内をすればよいと思うのですが、
長野の方との間で大人の事情があるのではないかと思いました。
ここには、良い板碑があります。善光寺式阿弥陀三尊像板碑です。
この板碑については私も拓本を持っていませんが、良い板碑だなと思いました。
それではここから西にある東方城に向かおうと思います。
いつか、訪れたいと思います。