妻沼町の聖天樣の前をから県道45号線を走って、深谷市に向います。
妻沼の水田地帯を抜けていくと、深谷市、旧妻沼町境界線付近に摩利支天を祀った
古い社があります。
ここが、江原太郎の住んだ荏原氏館跡と伝えられるところです。
この写真は高校の帰り道に立ち寄りました。1985年の写真ですね。
周囲は真っ暗です。
そこで、日を改めて再訪しました。
この古いエノキの神木が天然記念物に指定されているんですね。
『埼玉の館城跡』に使われているのも、およそこのアングルの写真なので、この古木と小祠は荏原氏にゆかりのある
遺物と考えていいのかもしれません。
周囲一面、耕地の広がる45号線ですが、この周辺に点在する自然堤防上には城館跡が残っており、
平安期から戦国期にかけて重要な地域だったと考えられます。
妻沼の水田地帯を抜けていくと、深谷市、旧妻沼町境界線付近に摩利支天を祀った
古い社があります。
ここが、江原太郎の住んだ荏原氏館跡と伝えられるところです。
この写真は高校の帰り道に立ち寄りました。1985年の写真ですね。
周囲は真っ暗です。
そこで、日を改めて再訪しました。
この古いエノキの神木が天然記念物に指定されているんですね。
『埼玉の館城跡』に使われているのも、およそこのアングルの写真なので、この古木と小祠は荏原氏にゆかりのある
遺物と考えていいのかもしれません。
周囲一面、耕地の広がる45号線ですが、この周辺に点在する自然堤防上には城館跡が残っており、
平安期から戦国期にかけて重要な地域だったと考えられます。