暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

荏原氏館跡(深谷市)

2017-10-31 20:01:07 | 城館跡探訪
妻沼町の聖天樣の前をから県道45号線を走って、深谷市に向います。

妻沼の水田地帯を抜けていくと、深谷市、旧妻沼町境界線付近に摩利支天を祀った

古い社があります。

ここが、江原太郎の住んだ荏原氏館跡と伝えられるところです。



この写真は高校の帰り道に立ち寄りました。1985年の写真ですね。

周囲は真っ暗です。

そこで、日を改めて再訪しました。

この古いエノキの神木が天然記念物に指定されているんですね。



『埼玉の館城跡』に使われているのも、およそこのアングルの写真なので、この古木と小祠は荏原氏にゆかりのある

遺物と考えていいのかもしれません。

周囲一面、耕地の広がる45号線ですが、この周辺に点在する自然堤防上には城館跡が残っており、

平安期から戦国期にかけて重要な地域だったと考えられます。


杉山城跡(旧嵐山町)

2017-10-30 16:58:18 | 城館跡探訪
越畑城跡と同じ山塊に、隣接するような近い距離で存在しているのが、

杉山城跡です。

杉山城跡は、小規模ながらも模範的な縄張りに基づいて築城されているところから、

「城の教科書」の異名をとっています。

私が杉山城を訪問したのは、越畑城跡と同年、1983年(昭和58年)頃のことです。

初めて訪ねた杉山城は、曇り空の初秋の午後でした。

現在の杉山城は、整備が進み、非常に見学しやすくなっていると聞いていますが、

当時は篠竹や樹木の生い茂った不気味な場所でした

搦め手口から進入したのですが、やぶの中にのびる細い道に、それ以上足が進みませんでした。

そこで、2度目は時期を晩秋にずらし、天気の良い午前中を選びました。



晴天なのに城址の中は薄暗く、他の時期ではとても進入できないと思いました。

腰郭を伝って歩くと空堀、土塁がしっかりと残っています。



本当に薄暗くて気味が悪かったのですが、あっけなく本丸に到着です。



本丸はいかにも狭かったです。

枯草や雑木をよけて歩くと、狭苦しい教室の机の間を歩いているような気分になりました。




これは、井戸跡ですね。

私は、城館跡遺構の中で最も好きなのは、井戸跡です。

埼玉県内の城館跡では、遺構に石を使っているところは少ないのですが、井戸跡は石を使ってることが多い。

本当にくだらない理由ですが、山城で井戸跡を見つけると、うれしさ倍増なのでした。

越畑城跡(嵐山町)

2017-10-29 11:12:55 | 城館跡探訪
越畑城は県道11号線を直進し、関越自動車道をくぐった後市野川手前を左折し、

川沿いの道を直進するとたどり着きます。

私がここを訪ねたのは1983年(昭和58年)頃のことだったと思います。

ご存知の方も多いでしょうが、越畑城は関越自動車道の建設に伴って

大規模な発掘調査が行われ、のちに高速道路通過地点もろとも、

遺構のほとんどが削り取られるという憂き目に遭いました。

現在、存在するのはその削り残しです。



私が訪ねたのは、前述の状況が具体的なイメージとして入っていなかったので、

堀や土塁が残っているものだと思っていました。

城址の場所は、この看板おかげですぐにわかりましたが、これ、関越自動車道を挟んで城跡の反対側に立っているんですね。

当時、周囲は「山里」という雰囲気で、夕陽の赤が寂しさを盛り上げます。

関越をくぐって、急傾斜の管理道なのか、コンクリートを打った道を登るのですが、急傾斜のため、

登っても、登っても滑り落ちてしまいます。

これに苦しみながら小さな山の頂上に達しました。





頂上には、小祠がありました。


この後、周囲で遺構を探しましたが、なにもありません。気付いたときには、空も暗くなり始めていました。

下山して夕暮れ時に帰宅してきた農家の男性に話を伺ってみました。途中で、近所のおばさんも話に加わって来ました。

そこで聞くことができたのは、以下の話です。

① 城跡にはかつて城跡碑があったが、関越工事の際にどこかに移動したようで、見かけなくなった。

② 子供の時は、ムジナが出るということで、親たちから夕暮れ時には、みだりに近づかないように言われていた。

③ 遺構は工事によって無くなったはずである。

以上です。このほかにも、食に関する面白い話を伺いました。

民俗学の調査みたいで面白かったです。


このあと、晩秋の暗い田舎道を自転車で帰宅しました。

今考えると、城館跡探訪はすべて自転車で移動していたのですから、我ながら呆れます。

塩館跡(旧江南村)

2017-10-28 14:06:10 | 城館跡探訪
県道11号線シリーズです、

本日は、塩館跡です。昔は「某館跡」などと呼ばれており、

名前もありませんでした。

県道11号線沿いには常安寺館跡という城跡があります。

これは、埼玉の中世城郭を数多く見て、目の肥えた方ならば、一目で城跡とわかるほど

堂々たるもので、しかも県道に面しておりますが、塩館はその常安寺館跡の道の反対側に

ある、山林の中に、こじんまりと納まっています。

写真は1985年(昭和60年)頃のものだと思います。




クマザサに覆われた土塁が中々端正です。

土塁の下に、浅くですが空堀が残っていることも確認できます。

嵐山の整備前の杉山城のような、小体な城跡がお好きな方にはおすすめです。

今さらですが、もう少し、郭内を踏査すればよかったと思います。



初訪問の方には、塩館は発見にくいと思います。

常安寺館跡の道を挟んで反対側にあるとはいえ、農家の舗装された小道を一度奥に入って

裏通りから入らなければならないのです。

付近に塩神社がありますが、こちらの裏山ではありません。

実は、塩館には2度通ってもわからず、3度目に地元の方を見つけて場所を確認したのでした。

付近には塩古墳群もあり、歴史好きの方には、成澤城跡から塩館跡から1日、

十分に楽しめる遺跡スポットだと言えます。

(常安寺館跡については、今回、写真を発見できなかったので、新年以降に紹介いたします。)

成澤城跡(旧江南村)

2017-10-27 12:02:18 | 城館跡探訪
埼玉県道11号熊谷小川秩父線を熊谷方面から、旧江南村の台地に登っていきます。

この県道11号沿いは上杉氏系と思われる城郭跡がわずかな距離の間に集まっており、

中世期における交通の要衝であったと考えられます。

本日、紹介するのは成澤城です。

成澤城は細長く突き出した台地上の突端付近に築城されており、

熊谷方面から県道11号の大坂を登って、右手の静簡院にあります。



静簡院の奥津城には上杉憲盛の廟がありますが、これも成澤城の遺構のようです。

写真は1983年(昭和58年)頃の写真です。

あまり期待せずに行きましたが、土塁などもありました。当時はまさか奥津城までも遺構だとは思っていませんでした。



当時の、静簡院には、上杉時代の寺の遺構も残っていたということです。

現在どうなっているのかわかりませんが、丁寧に見学をすれば、何か発見があるかもしれません。