慈光寺の観音堂は、慈光寺探訪においては本堂的な位置づけの見所です。
観音堂前には長い石段があります。
結構、長いんですよね、これが。しかも急です。
一緒に行った大学の後輩も呆然と下から見上げています。
本当はもっとショートカットで行けるルートがあったようですが、わたしたちは無理やり石段を上がりました。
観音堂は歴史を感じさせます。
往時には、豊かな彩色を施されていたようですが、今はみな剥げてしまっているようです。
鰐口です。
子供の頃は妻沼の聖天樣の大鰐口を随分鳴らしましたから、鰐口を鳴らすのに自信があります。
柱には薄くですが塗りの痕跡が残っています。
鬼面でしょうか・・・ありますね。
朱の痕跡は残っています。風雨にされされて鮮やかさは失われてしまったのでしょうが、
却って味があります。
昔、梅原猛先生の随筆だったか、日本の寺院を、わびさびと言って、
古いのが当たり前として愛する日本人は、過去の信仰というものを知らないと書いたものがありましたが、
やはり赤チンのような色で真っ赤に塗られた仁王像を見るよりは、くすんだ朱色仁王像の方が好きです。
現代の日本人に太古の日本人と同じ心を持てなどという説教は土台無理筋というのが今のわたしの考えです。
観音堂前には長い石段があります。
結構、長いんですよね、これが。しかも急です。
一緒に行った大学の後輩も呆然と下から見上げています。
本当はもっとショートカットで行けるルートがあったようですが、わたしたちは無理やり石段を上がりました。
観音堂は歴史を感じさせます。
往時には、豊かな彩色を施されていたようですが、今はみな剥げてしまっているようです。
鰐口です。
子供の頃は妻沼の聖天樣の大鰐口を随分鳴らしましたから、鰐口を鳴らすのに自信があります。
柱には薄くですが塗りの痕跡が残っています。
鬼面でしょうか・・・ありますね。
朱の痕跡は残っています。風雨にされされて鮮やかさは失われてしまったのでしょうが、
却って味があります。
昔、梅原猛先生の随筆だったか、日本の寺院を、わびさびと言って、
古いのが当たり前として愛する日本人は、過去の信仰というものを知らないと書いたものがありましたが、
やはり赤チンのような色で真っ赤に塗られた仁王像を見るよりは、くすんだ朱色仁王像の方が好きです。
現代の日本人に太古の日本人と同じ心を持てなどという説教は土台無理筋というのが今のわたしの考えです。