暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

慈光寺④ (都幾川町)

2017-09-30 23:34:02 | 神社仏閣・その他
慈光寺の観音堂は、慈光寺探訪においては本堂的な位置づけの見所です。

観音堂前には長い石段があります。



結構、長いんですよね、これが。しかも急です。

一緒に行った大学の後輩も呆然と下から見上げています。



本当はもっとショートカットで行けるルートがあったようですが、わたしたちは無理やり石段を上がりました。



観音堂は歴史を感じさせます。





往時には、豊かな彩色を施されていたようですが、今はみな剥げてしまっているようです。




鰐口です。



子供の頃は妻沼の聖天樣の大鰐口を随分鳴らしましたから、鰐口を鳴らすのに自信があります。

柱には薄くですが塗りの痕跡が残っています。

鬼面でしょうか・・・ありますね。




朱の痕跡は残っています。風雨にされされて鮮やかさは失われてしまったのでしょうが、

却って味があります。

昔、梅原猛先生の随筆だったか、日本の寺院を、わびさびと言って、

古いのが当たり前として愛する日本人は、過去の信仰というものを知らないと書いたものがありましたが、

やはり赤チンのような色で真っ赤に塗られた仁王像を見るよりは、くすんだ朱色仁王像の方が好きです。

現代の日本人に太古の日本人と同じ心を持てなどという説教は土台無理筋というのが今のわたしの考えです。

慈光寺③ (都幾川町)

2017-09-29 17:44:17 | 神社仏閣・その他
宝物殿を拝観して、外に出ます。

宝物殿の中はさすがに撮影できませんが、蔵の中のような雰囲気が

面白いです。


慈光寺の一山すべてを境内と考えれば、これほど広い境内もありません。

そこかしこに石仏があるのが目に付きます。





申八梵王だそうです。

申八梵王の解説板ですが、神の使いなんですね。




まだ石仏があります。如意輪観音像です。





解説板ですが、石仏はどれも何となくユーモラスな感じがします。




山内には、他にも石仏が散在します。こうしたものを一つ一つ探し出すのも、冬場の探訪にはいいでしょう。


慈光寺② (都幾川町)

2017-09-28 23:48:53 | 神社仏閣・その他
山門跡、青石塔婆群の前を通過すると、僧坊跡の平場があります。



ブログを書いていると思うのですが、もっと細かく見てくればよかった。

そういうことをするには一人かあるいはごく気の合う友人が一緒の時がいいですね。

この通り案内板もあります。




主に中学高校生時代に自転車で城郭探訪をしていた私は、槻川より向うのことがあまり良くわかりません。

遠かったから・・・・。

もちろん探訪した城跡もありますが・・・。


さて、これだけの山岳寺院であれば、城郭遺構もきっとあると思うのですが、

訪問時には頭が回りませんでした。

駐車場がありますので車を止めて、山門に向います。



見えてきました。





デジカメはいいです。

何枚撮影してもお金がかかりません。

中学高校時代にデジカメがあれば、心置きなく撮影ができたのに・・・・。



さて、山門にはまたたくさんの千社札が張られています。

私は千社札を見るのは好きです。









多くの坊が焼失したとはいえ、やはり力は衰えていないようです。

大寺院の再建を進めるために寄進が多いのですね。

額がとにかく立派です。






山門をくぐると、宿坊があります。



すぐそばには宝物殿もあり、拝観できます。

私が、ここを最初に訪れたのは高校3年の冬、夕暮れ時で、辺りが暮れかかっている中、宝物殿を拝観させていただき、

郷土史家によって比企郡の歴史について書かれた本を何冊か買いました。

あまり読みごたえがなかった記憶がありますが、今は入手困難でしょうし、ちがうことに気づくかもしれませんね。





中が合宿所みたいに見えるのが何とも言えません。

真冬に一人で止めて泊めてたい気がしましたが、泊めていただけるのかな?





この鐘楼は再建されたものです。



慈光寺① (都幾川町)

2017-09-27 21:29:06 | 神社仏閣・その他
本日は、飛鳥時代以来の歴史を持つ、古刹慈光寺を紹介いたします。

慈光寺は天台宗の寺院で、往時には75の僧坊があったと言われています。

多くの僧兵を抱え、周囲の戦国武将の干渉をはねのけ続けてきましたが、

太田道灌らの焼き討ちによって衰退しました。

その後、江戸時代に寺領を与えられ、幕府の庇護を受けました。

現在、僧坊の多くが失われているのは、戦後のハイキングブームの中で、野宿が流行し、

ハイカーの火の不始末で全焼したためです。

野宿ハイカーの火の不始末で建造物を失った代表的な寺院は、関東では千葉県の鋸南町にある

鋸山の日本寺があります。

さて、慈光寺は急な坂道を登ると、中腹に青石塔婆群があります。



冬枯れの風景が何とも言えません。

板碑は9基あります。

その周囲には多くの石造物があります。







解説板です。





最近、こうした歴史的遺物を破壊する行為が目立って増えてきています。

慈光寺は何度も禍にあってきた経過を振り返り、二度とそのようなことが起こらないよう、願ってやみません。



水神③ (長瀞町)

2017-09-26 21:48:38 | 水の神
関東は大河川が多く。特に埼玉県は、関東平野という巨大な盆地の最も深い部分になるので、

川が集中してしまいます。当然、水害も多くなり、必然的に水を恐れ、水を祀る信仰が発生します。

さて、本日は長瀞の石畳です。




上の写真、お気づきになった方もいらっしゃるでしょうが、高倉健主演の『新幹線大爆破』のロケで、

使われた場所です。

現金の受け渡しを、合宿トレーニング中の大学の柔道部に見つけられてしまうシーンです。



この辺りでしょうかね。


さて、それはともかく、わたしがここに行った目的の一つは、断崖に祀られた水神の鳥居にありました。



これは子供のころから、強く印象に残っています。



拡大しても、どこをどう通ればたどり着けるのかわかりません。

よく見ると、上からつられて、落下せぬように補強されているようですね。



城館の跡とは別に、今後も、こうした自然に関する信仰の遺跡も取り上げていきたいと思っています。