暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

元三島神社

2019-04-29 23:09:26 | 神社仏閣・その他
本日は、東京都台東区根岸にある元三島神社を紹介したいと思います。

参拝日は、2019.02.01です。

この神社は、弘安4年(1281年)の元寇、「弘安の役」で活躍した伊予水軍の河野通有が

勧請したもので、大山祇命を祭神としています。

神社は鶯谷のホテル街の中にありますが、もとは「根岸の里」、江戸時代の別荘地であり、

寛永寺の住職が、京都の鶯をこの地に放って、鳴き声を楽しんだことから、「鶯谷」の名前が

ついているのであります。You tubeなどで、遊郭があったなどと言っている方がいますが、

全くの誤りです。

また、加山雄三さんはこの地出身で、子供のころは元三島神社で遊んでいたそうです。

このように由緒ある元三島神社ですが、現在では、社殿もかなり近代的な建物になっています。








この日は、さきに摩利支天大徳寺に行ったため。午後になってしまい神主さんがご不在でした。

御朱印をいただきに行く方は、午前中がいいと思います。

北温泉湯元の神

2019-04-27 18:52:53 | 神社仏閣・その他
栃木県、那須高原には北温泉という温泉があります。

江戸後期に建てられた家屋がいまだに健在というところで、個性的な宿です。

北温泉といえば、漫画家の水木しげる氏、つげ義春氏に愛された温泉としても知られています。

ゲゲゲの鬼太郎でも、妖怪土転びの登場する回は、舞台として北温泉が採用されています。

これは1995年ころに撮影したものです。








この宿内には、神社があり湯元の神様が祀られています。

湯気がもうもうとして写真も曇り気味です。

好きな人にはたまらない古いつくりの廊下です。

宿の中を温泉が流れています。








デジカメならばもっとよく写るんでしょうね。








好きな城館跡の写真

2019-04-22 21:55:17 | 城館跡探訪
冬場の里帰りで、訪ねてきた城館跡や神社仏閣の写真もほぼネタが尽き、

まだ、あといくつかストックがあるものの今一感があるので出さないのですが、

今回は資料部屋から発掘してきた1980年代の城館跡の写真フィルムも現像しただけで

スキャンデータ化していない・・・肝心のスキャナがPCと相性が良くないなどあって

ちょっと過去の写真の中で、自分が好きな城館遺構を拾ってみました。

80年代は、わたしは中学・高校時代でロクなカメラもなく、11mmフィルムとか言うのを使う

ポケットカメラを愛用していました。

フィルムも現像代も高い時代でしたが、あの頃は町中にも城館遺構が残っていました。


これは、行田市内忍城の支城皿尾城で、正月松の内に尋ねたものです。



かつて、上杉謙信の忍城侵攻を最前線で迎撃し、銀の銃弾を装備した謙信狙撃チームが派遣されたという

皿尾城ですが、いかにも古い城跡の雰囲気が残っています。

現在でも水堀はあるはずですが、整備されてしまい古城の雰囲気は消えてしまっているようです。


次は、熊谷の名族、藤原氏の系譜に連なる別府氏の城の一つ。一番東側にある香林寺遺構

(むかしは、東別府城とか言ってました)の空堀です。

別府には藤原不比等の墓と伝えられる古墳も残っており、不思議な地域です。



これは、香林寺遺構の空堀を撮影した中では一番新しく、高校3年生のころだったと思います。

この空堀は今住宅になって、消滅してしまいましたが、遺構の上に直接家屋を建てられないので、

この堀跡は路地のような形で残されています。

「この空堀は多分なくなる・・・」そんな予感に駆られてシャッターを切った・・・・

そして現実に消滅した、思い入れだけは深い写真です。

滑川町点景

2019-04-19 19:54:00 | 神社仏閣・その他
滑川町は、埼玉県北にある隠れ里のような町です。

農道には、興味深いものが点在します。

ここは谷城跡付近の農道です。





路傍に板石塔婆がいくつも見られます。






最近ではイノシシ注意の看板をたくさん見るようになりました。

イノシシは猛獣と言ってもよい凶暴性をもっており、動物愛護では済まないケモノです。

最近では、野生のシカも見られるということで、夏場は、彼らについて移動する山ビルがいる可能性もあります。

注意してください。

2019.02.14 吉見観音:安楽寺(吉見町)

2019-04-18 23:08:29 | 神社仏閣・その他
今回は、吉見観音:安楽寺(吉見町)について書きたいと思います。

参詣日は2019.02.14です。

これは、首切り谷、地獄谷の帰りに立ち寄りました。

お寺さんも、神社さんも、そこの住職さん、宮司さん、檀家さん、氏子さんの熱意によって

参拝、参詣するお客さんにいい思い出を提供できるところと、そうでないところの二つに分かれます。



安楽寺は、比企郡屈指の古刹の一つで、近くの息障院を館とした源範頼公が身を寄せていたということなのですが、

近くに関東支配の要、松山城があったために、再三再四の兵火に見舞われました。

元来、参道はにぎわっていた雰囲気が残っていますが、いまでは、途中に茶店が一軒頑張っているだけで、

寂しいですね。



安楽寺付近は崖からの湧水が豊富で・・・・言い換えれば水の臭いがプンプンするのですが、

わたしは、水の神が好きということもあって、こういう場所が好きです。

雰囲気的には、4~5月の早朝に来るといいんだと思います。

中学生のころはそうしていました。

この辺りは朝霧が出る地域です。



山門には仁王像があります。



ちょっと赤すぎるのが不満です。えっと思うのは山門にしめ縄が張られていること。

神仏混淆の名残ですか。

仁王像のマイベストは、妻沼の聖天さまのです。

あそこは、丹塗りの劣化具合がちょうどいいのです。

本堂に登る階段は急ですね。



修繕が進み金ぴかのお寺もいいですが、このくらいがやはり日本の寺院ですね。









安楽寺一番の売り物がこの三重塔です。












少し細部を撮影してみました。










最後に、山門を。

背後から。







丹塗りの色はこちらの方がいいような気がします。







最後に、これらは山の中でよくみられるタイプの崖湧水を用いた井戸です。



昔はこんなに緑色じゃなかったんですが、以前と用途や、清掃に対する考え方が変わったのでしょう。

見事な霞ヶ浦色ですね。

吉見観音の縁起物は縁日に来ないと買えないようです。