暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

三門館跡 1986年(滑川村)

2018-04-30 20:30:06 | 城館跡探訪
滑川町には、地味ながら中世城館跡が多い地域です。

滑川町の城館跡には、調子編纂の際の調査で発見されたものも多いそうです。

そうした観点から言えば、三門館は「古株」と言うことができるかもしれません。

三門館は、たしかこの時が二度目の訪問で、最初は辿り着け無かった記憶があります。

間違えていったのは泉福寺館でした。

時期はちょうど今頃、ゴールデンウイークだったと思いました。

江南町、滑川町には上り斜面に竪堀を掘って作られた長方形の館跡が多いですが、

大きくとも、簡素で、おそらく陣城なのではないかと思います。

当時は山利用もきちんとされており、すっきりしている印象です。


山崎二十三夜堂(寄居町)

2018-04-29 21:06:44 | 神社仏閣・その他
猪俣党鎮守である桜澤八幡大神社(寄居町)の前には、鉢形城下への関所があり、

周囲には、道祖神、塞ノ神の石碑、石像が数多く安置されています。

山崎二十三夜堂はそこにあります。





勢至菩薩は卯年(うさぎ年)の守り本尊であり、月の象徴ともされます。

そんなところから二十三夜講にも関係があるとされたのでしょうか。







周囲には石塔が集められており、桜澤八幡大神社周辺の道祖神像などと合わせて見るのもいいと思います。

旧中山道と八丁の一里塚(熊谷市)

2018-04-28 23:53:04 | 古い町並み
熊谷市内には今でもはっきりとわかるような形で、旧中山道が残っています。

久下氏館跡、市田氏館跡傍を抜けて、JR熊谷駅南口前を通過していきますが、



熊谷氏と久下氏の所領争いのあった熊久地区近くに、八丁の一里塚があります。



一里塚とはいっても、塚の部分はほとんど残っていません。



一里塚には現在公民館が立っており、その敷地に小祠が祀られています。








阿部豊後守陣屋跡 1986年(寄居町)

2018-04-27 20:39:26 | 城館跡探訪
阿部豊後守陣屋跡。これは江戸期の陣屋跡で、中世城館とは言えないというところで、

『埼玉の館城跡』には掲載されていますが、『埼玉の中世城館跡』には掲載されていません。

県道81号線沿いあるこの陣屋跡は、1986年当時には民家になっておりました。

家のご主人に、陣屋のことを訪ねると快く答えていただいたのが記憶に残っています。

当時、90代のご隠居さんが存命でしたが、大分体を悪くされており、

「本人に直に話を聞きたいか?」と言われて、困ってしまいました。

ご主人の話では、陣屋についてはご隠居さんが一番詳しかったそうです。

土塁、空堀等の遺構などは、以前は、残っていたが、当時は、それらしいものは、

特に残っていないということでした。

「当時の井戸があるよ。見せてあげようか」と言われ、

思わず「はい!」と答えたところ、いきなり座敷の畳を上げようとしたので

ひっくり返りそうになりました。

井戸は昔のまま、床下に残っていたのです。

写真は、陣屋跡ということで、撮影させていただいたものです。





水野石見守長勝陣屋跡 1986年(寄居町)

2018-04-26 21:47:37 | 城館跡探訪
本日は、水野石見守長勝陣屋跡についてご紹介いたします。

寄居の赤浜という場所に昌国寺というお寺があります。

このお寺の境内が水野石見守長勝陣屋跡です。

ここに行ったのは、无動寺太郎館跡と同日だったのが記憶に残っています。

この付近を通過する県道81号線沿いは館跡が多く、川本から寄居の台地上に登っていくと、

比較的短時間で、館跡を探訪できるのです。

自転車が城館跡探訪の中心手段だった当時の私にとって、非常に好都合でした。


水野石見守長勝陣屋跡は、現在でも、比較的よく遺構が残っているらしいので、

わたしの写真はあまり珍しくないかもしれません。



当時、昌国寺は竹林に囲まれていましたが、深い空堀がよく残されているのが印象的でした。

土塁も竹林の中に残っていました。

撮影したのは、この写真1枚で、当時の城館跡探訪がオリエンテーリングに近い感覚であったことを示していて、

少し恥ずかしいです。