本日は、北条氏によってつくられた北条堤の痕跡をたどってみたいと思います。
こちらは本ブログの過去の関連記事です。「熊谷氏館跡と崖線上の神社仏閣(熊谷市)」
https://blog.goo.ne.jp/kurayamikengyou/e/10acbd6e4e7f344f21a7b9472d606e16
天正2年(1574)に北条氏邦の築いた堤防だといわれています。
北条堤は石原氏陣屋の記事で触れた松巌寺付近から出発します。
明治期に作られた迅速測図というものがあります。
歴史的農業環境閲覧システム(迅速測図閲覧システム)
https://habs.dc.affrc.go.jp/
その迅速図には、松巌寺付近の本石地区から北条堤が伸びていることがわかりますが、
現在は、市街化も進んでいるため、町の谷間にうずもれて分かりにくいと思います。
まず、松巌寺からスタートしましょう。
松巌寺付近に北条堤の遺構らしきものは見当たらないと言ってよいと思います。
ここから、17号国道沿いに出て東に向かいます。
松巌寺前の横断歩道を渡ってしまう方がいいです。大体徒歩で30秒ほど東に歩くと
デリバリーのビザ屋さんがあり、その10mくらい先に、斜めに入る路地があります。
上の写真が北条堤の遺構になります。
この路地を直進していくと、徐々に北条堤の遺構らしくなってきます。
不動産屋さんのところまで来ると、東側は急な坂になっています。
この辺り、河川が湾曲して削り取った崖があります。この湾曲した崖が「曲谷」(くまがい)→「熊谷」の
地名のもとになったという説があります。その崖の端を固めたのが北条堤だったのだと思われます。
さらに直進すると、熊谷大空襲の被害者慰霊地蔵があります。
この先は高架があり素直に直進できません。
そこで、一度、効果をくぐり石上寺裏に回り込みます。
高架をくぐると、路地に下の写真のような不動尊があります。
この祠は縁日になると地元の人が小さなお祭りをします。
この祠の背後が石上寺で、小さな坂道が北条堤です。
高さは大体、1~2m程度に見えます。
稲荷社がありますが、その背後の坂道はかなり急な坂で、ここに至って、堤防らしさを感じます。
後ろを振り替えって見ました。
坂道下からも撮影してみます。
路地を出ると、このような場所に出ます。
北条堤上が荒川の旧堤防(現在の秩父線敷設土手)に接続しています。
接続部には八坂神社があります。
八坂神社背後の北条堤最終部分です。
昨年の台風の豪雨の際、熊谷市民は案外楽観していた方が多かったようです。
理由は、現在の桜土手で知られる新堤防のほかに、旧堤防があったからです。
こうした歴史的治水遺産を市街化開発の中でどう残していくか、重要な課題と言えます。
北条堤は現在も生きている歴史遺産なのです。
こちらは本ブログの過去の関連記事です。「熊谷氏館跡と崖線上の神社仏閣(熊谷市)」
https://blog.goo.ne.jp/kurayamikengyou/e/10acbd6e4e7f344f21a7b9472d606e16
天正2年(1574)に北条氏邦の築いた堤防だといわれています。
北条堤は石原氏陣屋の記事で触れた松巌寺付近から出発します。
明治期に作られた迅速測図というものがあります。
歴史的農業環境閲覧システム(迅速測図閲覧システム)
https://habs.dc.affrc.go.jp/
その迅速図には、松巌寺付近の本石地区から北条堤が伸びていることがわかりますが、
現在は、市街化も進んでいるため、町の谷間にうずもれて分かりにくいと思います。
まず、松巌寺からスタートしましょう。
松巌寺付近に北条堤の遺構らしきものは見当たらないと言ってよいと思います。
ここから、17号国道沿いに出て東に向かいます。
松巌寺前の横断歩道を渡ってしまう方がいいです。大体徒歩で30秒ほど東に歩くと
デリバリーのビザ屋さんがあり、その10mくらい先に、斜めに入る路地があります。
上の写真が北条堤の遺構になります。
この路地を直進していくと、徐々に北条堤の遺構らしくなってきます。
不動産屋さんのところまで来ると、東側は急な坂になっています。
この辺り、河川が湾曲して削り取った崖があります。この湾曲した崖が「曲谷」(くまがい)→「熊谷」の
地名のもとになったという説があります。その崖の端を固めたのが北条堤だったのだと思われます。
さらに直進すると、熊谷大空襲の被害者慰霊地蔵があります。
この先は高架があり素直に直進できません。
そこで、一度、効果をくぐり石上寺裏に回り込みます。
高架をくぐると、路地に下の写真のような不動尊があります。
この祠は縁日になると地元の人が小さなお祭りをします。
この祠の背後が石上寺で、小さな坂道が北条堤です。
高さは大体、1~2m程度に見えます。
稲荷社がありますが、その背後の坂道はかなり急な坂で、ここに至って、堤防らしさを感じます。
後ろを振り替えって見ました。
坂道下からも撮影してみます。
路地を出ると、このような場所に出ます。
北条堤上が荒川の旧堤防(現在の秩父線敷設土手)に接続しています。
接続部には八坂神社があります。
八坂神社背後の北条堤最終部分です。
昨年の台風の豪雨の際、熊谷市民は案外楽観していた方が多かったようです。
理由は、現在の桜土手で知られる新堤防のほかに、旧堤防があったからです。
こうした歴史的治水遺産を市街化開発の中でどう残していくか、重要な課題と言えます。
北条堤は現在も生きている歴史遺産なのです。