暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

北条堤(熊谷市)

2020-02-19 12:20:13 | 川・用水路
本日は、北条氏によってつくられた北条堤の痕跡をたどってみたいと思います。

こちらは本ブログの過去の関連記事です。「熊谷氏館跡と崖線上の神社仏閣(熊谷市)」
https://blog.goo.ne.jp/kurayamikengyou/e/10acbd6e4e7f344f21a7b9472d606e16

天正2年(1574)に北条氏邦の築いた堤防だといわれています。

北条堤は石原氏陣屋の記事で触れた松巌寺付近から出発します。

明治期に作られた迅速測図というものがあります。

歴史的農業環境閲覧システム(迅速測図閲覧システム)
https://habs.dc.affrc.go.jp/

その迅速図には、松巌寺付近の本石地区から北条堤が伸びていることがわかりますが、

現在は、市街化も進んでいるため、町の谷間にうずもれて分かりにくいと思います。

まず、松巌寺からスタートしましょう。





松巌寺付近に北条堤の遺構らしきものは見当たらないと言ってよいと思います。

ここから、17号国道沿いに出て東に向かいます。

松巌寺前の横断歩道を渡ってしまう方がいいです。大体徒歩で30秒ほど東に歩くと

デリバリーのビザ屋さんがあり、その10mくらい先に、斜めに入る路地があります。



上の写真が北条堤の遺構になります。



この路地を直進していくと、徐々に北条堤の遺構らしくなってきます。



不動産屋さんのところまで来ると、東側は急な坂になっています。

この辺り、河川が湾曲して削り取った崖があります。この湾曲した崖が「曲谷」(くまがい)→「熊谷」の

地名のもとになったという説があります。その崖の端を固めたのが北条堤だったのだと思われます。



さらに直進すると、熊谷大空襲の被害者慰霊地蔵があります。

この先は高架があり素直に直進できません。

そこで、一度、効果をくぐり石上寺裏に回り込みます。




高架をくぐると、路地に下の写真のような不動尊があります。

この祠は縁日になると地元の人が小さなお祭りをします。





この祠の背後が石上寺で、小さな坂道が北条堤です。



高さは大体、1~2m程度に見えます。







稲荷社がありますが、その背後の坂道はかなり急な坂で、ここに至って、堤防らしさを感じます。



後ろを振り替えって見ました。



坂道下からも撮影してみます。




路地を出ると、このような場所に出ます。



北条堤上が荒川の旧堤防(現在の秩父線敷設土手)に接続しています。

接続部には八坂神社があります。





八坂神社背後の北条堤最終部分です。




昨年の台風の豪雨の際、熊谷市民は案外楽観していた方が多かったようです。

理由は、現在の桜土手で知られる新堤防のほかに、旧堤防があったからです。

こうした歴史的治水遺産を市街化開発の中でどう残していくか、重要な課題と言えます。

北条堤は現在も生きている歴史遺産なのです。

江袋溜井(熊谷市)

2019-10-02 18:38:02 | 川・用水路
今回は、江袋溜井(熊谷市)について書きたいと思います。

訪問日は、2019.08.13です。

江袋溜井は、地元の人達には江袋沼の名前で親しまれています。

上流には別府沼があります。細長い河川のような形状をしていますが、水の流下速度が緩慢で

水底の堆積土砂や有機物量が極めて多いことから、「沼」と呼ばれています。

実際に膨軟な堆積物に足をとられてしまうと簡単に足の根元まで沈み込んでしまい危険です。

1970~180年代の釣りが盛んな頃は、ヘラブナ釣り場として親しまれていましたが、

一時水質がひどく悪化しました。

環境保護の盛り上がりの中で、水質改善と生態環境復元が行われています。


江袋溜井は、伊奈備前守忠次によって慶長年間に作られたと言われています。

作った目的は農業用のほかに、水の流下速度の緩慢な老朽河川、福川の洪水を防ぐための

水量調整機能も持っていたようです。



以上のような機能から、水の温和な側面が強調された、「福をもたらす河童」の伝説が残されています。




大きな沼の方が上沼










小さな沼の方が下沼です。




さすがにこの炎天下では、釣り客など一人もいませんでした。

江袋沼は本腰を入れて回ると、もっと広大で見る場所もたくさんありますが、時間が足りずに断念しました。

次の機会に再チャレンジしようと思います。

愚禅和尚馬頭観音脇ため池と堰

2019-04-10 21:02:41 | 川・用水路
愚禅和尚の馬頭観音碑の隣にこんな用水施設がありました。

丘陵の橋から脇である細粒をここに一度貯めてるんですね。



埼玉県北における滑川町は周辺の自治体とは全く異なる個性を持っています。

私にとって、住んでみたい街の一つです。問題は交通の便ですが。




このため池は、実は意外に知っている人の多い池です。

ちょっと珍しい構造だからでしょうか。





最近は、地元でビオトープとしても大事にされているようです。



水利施設好きには、なかなかの見どころだと思います。


中条堤(熊谷市)

2019-03-27 22:52:38 | 川・用水路
本日は、中条堤(熊谷市)についてご紹介したいと思います。

訪問日は、2019.01.29です。

中条堤は、中条氏館跡常光院の北、自動車で3分ほどのところにあります。

中条堤は、既に古墳時代からその原型がつくられたといわれ、築堤には秦氏一族が

技術者として動員されたようです。妻沼地域は秦氏一族に源流をもつ人たちが多く、小さな田舎町ですが、

学問好きや技術者が多い土地柄です。私も秦氏一族の出なので、まあ、ご先祖様の遺跡ということになります。

鎌倉期、室町期にかけて整備が進み、さらに江戸期になると忍藩一帯を洪水から守るために

維持管理がされましたが、守るのはあくまで堤内地(川の無い方)で、堤外地(川のある方)は

惨憺たる目にあったそうです。

この堤防は、政府からも忘れ去られ、戦後に再発見されたそうで、なんだか不思議な堤防です。



堤防は緩やかに湾曲しています。





正直、私は中学生ころにはこの存在を知っておりました。

再発見もその前後だそうで、私が中学生のころには砂利道でしたね。







この日はものすごい寒風が吹きすさんでおり、ちょっと丹念に見て回る気になれないほどすごかったです。












麦の収穫のころは、麦稈の野焼きの煙で前もみえないほどになっていたのですが、

あの頃が何だか懐かしいですね。

大里用水(旧江南町)

2018-04-13 21:36:29 | 川・用水路
旧江南村、樋春地区を通過している大里用水は、地域の日常生活と強く結びついていた当時の姿を今に残しています。

現在、多くの用水路はコンクリートで固められたものですが、大里用水は河原石のような大きな石を使って、

固められています。

大里用水の古い姿が残っているのは、旧江南町、平山氏館跡の裏の方です。










大里用水はこの付近で、農家の裏に近接して流れています。

改修工事でもこうした施設を保存する方向で工事が行われました。

古い洗い場跡などがそのまま保存されています。












非常に味のある風景だと思います。