暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

能護寺(旧妻沼町)

2019-09-30 21:49:29 | 神社仏閣・その他
本日は、旧妻沼町永井太田にある古刹、能護寺について書きたいと思います。

妻沼のアジサイ寺として知られる能護寺は、解説によれば、天平15年(743年)に行基によって開山され、

後に弘法大師空海により再建されたと伝えられています。

妻沼の歓喜院は、この能護寺の末寺だったということで、その格式の高さがしのばれます。

実は、うちの父は、30年ほど前、このお寺さんのご住職に親しくさせていただいておりました。

有名になったアジサイも、時のご住職が熱心に手入れをなさっていたものです。









現在の本堂は文化11年(1814年)に再建されたものだそうです。





この辺りは利根川の水害が多く、近くには堤防決壊時に出来た沼が残っています。

鐘楼は修復中でした。

鐘楼の鐘は、元禄14年(1701年)に鋳造されたそうで、熊谷市の文化財になっています。



御朱印をやっているそうです。

常光院と中条氏館跡②(熊谷市中条)

2019-09-27 17:56:37 | 城館跡探訪
常光院は中条常光を弔いために建てたお寺です。

常光院内には、中条判官常光の墓、忍城城代を勤めた天野氏三代の墓所があります。

これらの墓地は一般の墓地とは別に、境内の中、本堂前の墓所にあります。

遊歩道に従って歩くと見つかります。

前回記事の塀裏の土塁と空堀跡をの脇を抜けると、山王社が現れます。






鐘楼




この裏手に、墓所があります。




中条常光の墓です。








中条氏の墓の背後に、天野氏の墓があります。









写真が縦に登録されてくれなくなったので困ってしまいます。


ものすごい蒸し暑さで、ご住職に「随分汗をおかきですね。気をつけてお帰りください」と声を掛けられました。

非常に丁寧な温和そうなご住職でした。


常光院と中条氏館跡①(熊谷市中条)

2019-09-23 17:06:58 | 城館跡探訪
今日は、常光院と中条氏館跡(熊谷市中条)について書きたいと思います。

調査・参拝日は2019.07.29です。

丁度この日は、光屋敷調査に行ったので。帰りにもう一つの目的である

中条氏館跡に回りました。

もう何度もこの門をくぐりました。私が初めて来たのは中学2年生の8月2日だったと思います。

当時は、周囲に「お店屋さん」があり、小さいながら門前町もありました。

今はみんな廃業されてしまったようですが、熊谷の小京都といった風情は残っており貴重です。





お祭りに使われたのでしょうか。

もう、私より年上でしょうね。

参道脇には水堀が残されており、冬場では水も減って寒々しさ倍増ですが、

夏場は生命感があふれています。












常光院は珍しいかやぶき屋根で、この雰囲気が好きで参拝を欠かさない方も多いはずです。

このクラスの屋根の葺き茅はそろえるだけでも、400万円くらいかかるでしょう。






常光院は中条氏の館跡で、中条堤の堤内地に発展しました。

堤内地では水田農業が発展しましたが、堤外地では水が多すぎて水田が発達せず、

自然堤防上で畑作が営まれていました。

境内には、中条の政治的重要性を表すかのように、屯倉の礎石があります。






中条氏館ではなかなか土塁が見つかりませんが、それは塀の内側に残されていました。











寺院を囲む水堀とは別に空堀跡が残されていました。



以前冬場に、2時間以上もかけて館北側の遺構を確認して回りましたが、南側の塀裏の土塁を見るのは

今回が初めてでした。


釜山神社(寄居町)

2019-09-22 20:48:27 | 神社仏閣・その他
番外編はあと一つ残っていますが、今日は埼玉県に戻りましょう。

釜山神社(寄居町)について書きたいと思います。

調査日は2019.08.08です。

調査日・・・というのも実は、登谷山山麓に館の跡があるという伝承があるのを知って、

それが、一説には恒持王の館跡だと言われていると聞いたものですから、探しに行ったわけです。

ところが、地元・・・といっても山中ですが、そこにいる方のほとんどは、地元の方ではなく、

里で聞いた話だけを頼りに探すのはとても無理がありました。

そこで、帰途参拝したのが釜山神社です。

それにもしかしたら神社周辺に館跡があるかもしれない・・・・。


釜山神社は、釜伏峠近くにあり、参道がついているのですぐにわかります。

三峰神社同様、山犬を拳族とする珍しい神社です。

参道入り口に立つと非常に長く見え、前途の多難を思うと、心がくじけそうな気もしますが

そこまで構えなくとも歩けます。






山犬が入口を護っています。









三峰神社の山犬像には猫のような顔をしたもユニークなものもありますが、

釜山神社のものは、割合い、正統派的な姿です。

鳥居をくぐると、まだ山犬像が。






ここで、初めて異端派が現れました。



参道は適度に長いですが、足場もよく、歩きやすいので苦になりません。

奥に、拝殿が見えてきました。



途中には、小祠もあります。






いよいよ拝殿ですね。








意外にも、拝殿は毎日管理の方がいらっしゃるご様子で、開いております。



なんだか神秘的ですね。





さすがに山中で湿気が多いのか、塗りがくすんでいます。


ここは、名水日本水の湧く場所としても知られていますが、現在は岩場がもろくなっており、

危険なので立ち入りできないそうです。







神社近くには関所跡が残っていますが、石碑がひっそりとたたずんでおりました。




番外編 播磨国分寺跡(姫路市)

2019-09-21 15:49:49 | 神社仏閣・その他
今回は、番外編の最後ということで、播磨国分寺跡(姫路市)について、

書きたいと思います。

訪問日は2019.08.07です。

播磨国分寺跡は御着城跡から、国道2号を西に向かって歩いて15分ほどです。

国分尼寺跡の前にも国分寺というお寺がありますが、国分寺跡に参ります。




国分寺跡は大きな広場です。



建造物のあった場所の案内ように、それがわかるように石板が生めてあります。



これで寺院が本当にあったらすごいでしょうね。



建物跡には、復元された土台があります。



寺院の門がありますが、これが現在の国分寺です。ただし、播磨国国分寺跡とは関係ありません、









塔跡だそうです。



国分寺跡というと、礎石が散在しているというイメージがありますが、ここはものすごく広いです。

近くの職人さんらしいおじさんが三人座り込んで世間話をしていました。







途中「国分寺跡?何にもないよ」っていわれましたが、何もなかったですね(笑)

ただ、すごく大きかったのは分かりました。