本日は、旧妻沼町永井太田にある古刹、能護寺について書きたいと思います。
妻沼のアジサイ寺として知られる能護寺は、解説によれば、天平15年(743年)に行基によって開山され、
後に弘法大師空海により再建されたと伝えられています。
妻沼の歓喜院は、この能護寺の末寺だったということで、その格式の高さがしのばれます。
実は、うちの父は、30年ほど前、このお寺さんのご住職に親しくさせていただいておりました。
有名になったアジサイも、時のご住職が熱心に手入れをなさっていたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/06/f2886f0b3cdd2eeeceda0f8ec61e95df.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/d5/264c6084e7f446d19748bb94421936d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/93/f6c33b2be264528b7dfc131e2fd4dfec.jpg)
現在の本堂は文化11年(1814年)に再建されたものだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/61/e68d77503c51258a6758dfc6f7c6d88a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/12/32743a786fa49b61b4bdb363fd6770bd.jpg)
この辺りは利根川の水害が多く、近くには堤防決壊時に出来た沼が残っています。
鐘楼は修復中でした。
鐘楼の鐘は、元禄14年(1701年)に鋳造されたそうで、熊谷市の文化財になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/1f/dc9f9fd39d9ee3fa894e3eae527a2077.jpg)
御朱印をやっているそうです。
妻沼のアジサイ寺として知られる能護寺は、解説によれば、天平15年(743年)に行基によって開山され、
後に弘法大師空海により再建されたと伝えられています。
妻沼の歓喜院は、この能護寺の末寺だったということで、その格式の高さがしのばれます。
実は、うちの父は、30年ほど前、このお寺さんのご住職に親しくさせていただいておりました。
有名になったアジサイも、時のご住職が熱心に手入れをなさっていたものです。
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現在の本堂は文化11年(1814年)に再建されたものだそうです。
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この辺りは利根川の水害が多く、近くには堤防決壊時に出来た沼が残っています。
鐘楼は修復中でした。
鐘楼の鐘は、元禄14年(1701年)に鋳造されたそうで、熊谷市の文化財になっています。
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御朱印をやっているそうです。