三宅屋敷の情報を求めて、なぜ龍泉寺に行ったのかといえば、
龍泉寺には、渡辺崋山の『訪瓶録』の写本(龍泉寺本)を所蔵する、
崋山の三ケ尻来訪に縁の深い古刹だったからです。
猛暑炎天下にもかかわらず、龍泉寺には多くの参詣客がいました。
最近の御朱印ブームが影響しているようで、龍泉寺の事務方は大忙しのようでした。
手を煩わせるのを恐縮しながら、三宅屋敷について尋ねました。
奥から、龍泉寺に直接関係があると思われるご婦人が現れて三宅屋敷についてご教示をいただきました。
この方は、大分以前、市の教育委員会の三ケ尻地区の古跡を見学する回に参加なさったそうです。
「三宅屋敷は、三尻小学校の近くにあるんだけど、何もなかったわ。それに、口頭ではなかなか説明しがたい
ところにあるのよね・・・う~ん。」
結局、詳しい話は、三尻小学校の付近の住人に聞いた方がわかりやすいということになり、
わたしは龍泉寺を辞して、三尻小学校に向かいました。
「あっさり見つかりそうだな・・・・」。この時私はそう思ったのですが、思惑は大きく狂っていきます。
まず、三ケ尻の集落は、非常に歴史のある集落で、昔ながらの民家が目に付きます。
道は狭く、不規則に入り組んで、一本道を間違えると全く別の場所に向かってしまい、
三尻小学校にすらたどり着きません。
ようやくたどり着いた三尻小学校は、観音山裏から地続きの丘の突端上にありました。
草刈をしている地元の方を発見し、三宅屋敷の場所を尋ねました。
『訪瓶録』所載の古地図を見せると、この方は小字まで詳細にご存知でした。
三ケ尻の集落の方は、小字まで詳細にご存知の方が多く、ご親切な方が多いのですが、
ただ、三宅屋敷の場所がわからないのです。
「この辺りで、一番の旧家は権田酒造さんだから、そこで訪ねてみるといいよ」
というわけで、三尻小学校の東、坂を下った場所にある造り酒屋、権田酒造さんを尋ねましたが、
あいにくのお休み。
結局、集落内をたずね回りましたが、三宅屋敷は分からず、完敗ムードです。
仕方がないので、ここから地形読みに入り、いくつかの比定地を探し出すことにしました。
その結果、2か所、可能性のある場所を探し出しました。
1つはもろに民家なので、その場での撮影はあきらめました。
もう1か所は権田酒造さんのはす向かいにある土地で、ここは雑木林になっていました。
三尻小学校から坂道を下る、左側の雑木林がそうです。
ここが土塁状になっているので、もしかしたらの期待を込めて撮影し、一時撤退しました。
自宅に戻って資料を調べてみると、三宅氏が所領時代に創建された、幸安寺というお寺があることを知りました。
この幸安寺は、地元の有力な旧家の菩提寺になっています。
追い詰められた私は、幸安寺の情報に期待をかけることにしました。
(つづく)
龍泉寺には、渡辺崋山の『訪瓶録』の写本(龍泉寺本)を所蔵する、
崋山の三ケ尻来訪に縁の深い古刹だったからです。
猛暑炎天下にもかかわらず、龍泉寺には多くの参詣客がいました。
最近の御朱印ブームが影響しているようで、龍泉寺の事務方は大忙しのようでした。
手を煩わせるのを恐縮しながら、三宅屋敷について尋ねました。
奥から、龍泉寺に直接関係があると思われるご婦人が現れて三宅屋敷についてご教示をいただきました。
この方は、大分以前、市の教育委員会の三ケ尻地区の古跡を見学する回に参加なさったそうです。
「三宅屋敷は、三尻小学校の近くにあるんだけど、何もなかったわ。それに、口頭ではなかなか説明しがたい
ところにあるのよね・・・う~ん。」
結局、詳しい話は、三尻小学校の付近の住人に聞いた方がわかりやすいということになり、
わたしは龍泉寺を辞して、三尻小学校に向かいました。
「あっさり見つかりそうだな・・・・」。この時私はそう思ったのですが、思惑は大きく狂っていきます。
まず、三ケ尻の集落は、非常に歴史のある集落で、昔ながらの民家が目に付きます。
道は狭く、不規則に入り組んで、一本道を間違えると全く別の場所に向かってしまい、
三尻小学校にすらたどり着きません。
ようやくたどり着いた三尻小学校は、観音山裏から地続きの丘の突端上にありました。
草刈をしている地元の方を発見し、三宅屋敷の場所を尋ねました。
『訪瓶録』所載の古地図を見せると、この方は小字まで詳細にご存知でした。
三ケ尻の集落の方は、小字まで詳細にご存知の方が多く、ご親切な方が多いのですが、
ただ、三宅屋敷の場所がわからないのです。
「この辺りで、一番の旧家は権田酒造さんだから、そこで訪ねてみるといいよ」
というわけで、三尻小学校の東、坂を下った場所にある造り酒屋、権田酒造さんを尋ねましたが、
あいにくのお休み。
結局、集落内をたずね回りましたが、三宅屋敷は分からず、完敗ムードです。
仕方がないので、ここから地形読みに入り、いくつかの比定地を探し出すことにしました。
その結果、2か所、可能性のある場所を探し出しました。
1つはもろに民家なので、その場での撮影はあきらめました。
もう1か所は権田酒造さんのはす向かいにある土地で、ここは雑木林になっていました。
三尻小学校から坂道を下る、左側の雑木林がそうです。
ここが土塁状になっているので、もしかしたらの期待を込めて撮影し、一時撤退しました。
自宅に戻って資料を調べてみると、三宅氏が所領時代に創建された、幸安寺というお寺があることを知りました。
この幸安寺は、地元の有力な旧家の菩提寺になっています。
追い詰められた私は、幸安寺の情報に期待をかけることにしました。
(つづく)
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