暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

番外編 飾磨港旧街区(兵庫県姫路市)②

2017-11-30 21:20:13 | 古い町並み
昨日は、地図左中段やや下の浜之宮天満宮を訪ねた訳です。




今日は、飾磨渡船のある船着き場に向って歩きます。

飾磨の港町は、路地に古い家々の立ち並んでいます。路地とはいうものの、道幅は決して狭いものではありません。



ところどころに縁石のような石柱があります。

よく見ると縁石などではなく文字が彫り込んであります。



「左ひめち」・・・「姫路」に行くための道しるべですね。

これは結構ポイントが高いです。



背後の家屋も写真に収めます。



あっという間に船着き場に到着です。



古い魚市場のような建物ですが、どうも民間経営の商店のようです。

水を打って綺麗にされています。いい味が出ていますね。




わざと路地に入りぶらぶら歩いていきます。



黒板塀が続いています。



大通りに戻ります。漁業の町らしく、氷屋さんがあります。



また石柱発見・・。「うおやほりあと」?



幕末「生野の変」を起こした志士平野国臣らが挙兵のために上陸した場所だそうです。

この先長い黒塀が続きますが、この屋敷は岡上家というそうで、岡上家の屋号が「魚屋」だそうです。

屋号ということは、実際には魚屋ではなかったのでしょうか?



とにかく黒塀が長いです。






なんかすごい屋敷ですね。



今日はなんだか黒塀の写真ばかりになってしまいました。

番外編 飾磨港旧街区(兵庫県姫路市)①

2017-11-29 21:15:19 | 古い町並み
本日も番外編として、8月に行った兵庫県姫路市の飾磨にある、飾磨港旧街区を紹介いたします。

兵庫県姫路市と言えば言わずと知れた姫路城ですが、そこはスルーして飾磨港に行きました。

飾磨港は北前船が出入りして栄えた港町ですが、現在は大分さびれてしまい静かな町です。

町には運河や河川が多く、往時をしのばせるような商家・料亭の建物がたくさん残っています。

また、江戸期以降に建てられた建物も、意匠をこらしたものが多く、街探検好きには楽しめる場所です。

飾磨駅を下車して、港に向って歩いていきます。



運河としても利用された河川沿いには、レトロな雰囲気が濃厚に立ち込めています。

ここは、まだ飾磨港には入っていませんが、期待が高まります。



瀬戸内海というと、以前はコンビナートの汚染問題が喧伝されており、よくないイメージを抱いておりましたが、

水が綺麗です。

遊歩道も整備されていて、このままここに居続けたくなります。



川端ギリギリに建っている建物は、なんとも言えない風情があります。



この道を通過するとイオンのある大通りの交差点に当たります。

ここを渡ると、飾磨港の旧街区に入ります。



名残惜しいので、橋の上からも撮影します。










旧街区に入ると、そこかしこに祠や神社、仏閣があります。

山門が立派ですが、何となく入っていきづらい雰囲気のため隣にある、天満社を参拝しました。




こちらが天満社鳥居です。



境内には牛の石像が奉納されていました。埼玉では見かけないので、珍しいです。



石像は北前船の船主が奉納したものだそうです。



天満社本殿です。






ここから、旧街区に向います。


おまけ

最初の川で、大きな青大将を見ました。2mくらいありますかね。

ちょっと見かけないサイズなので驚きました。












新編武蔵風土記稿を読んでみる

2017-11-28 21:43:29 | 新編武蔵風土記稿を読んでみる
城館跡を訪ね歩いていると、その土地土地には、その城館にまつわる

様々ないわれが残されていることに気が付きます。

また、所在の分からなくなった城館を探す手掛かりとして、

城主一族ゆかりの神社仏閣、小さな祠を探すこともあります。

こうした事がらを調べるために、様々な市町村史、地誌を読むことになるわけですが、

埼玉県下の地誌を調べる際に、最も基本的で、なおかつ重要なのが、

『新編武蔵風土記稿』です。

この本は、昌平坂学問所地理局による事業として編纂された。編著者は林述斎で、

1810年から1830年の20年を費やして完成した大著です。

私の手元にあるのは、内務省地理局が編纂し、歴史図書出版社が発行したもの8巻本です。

1冊が2㎏もあるもので、あまりの厚さに取り扱いに骨が折れます。

『新編武蔵風土記稿』は、各村に提出させた地誌取調書上(ちしとりしらべかきあげ)に基づいて

編纂されたため、各村ごとの記述にバラツキがありますが、中に、うそなのか本当なのかわからないような話、

入るわけのない人物、正体不明の人物の事蹟が現れます。

中には滅びたといわれている一族のその後、末裔たちが登場することもあります。

例えば、県内各地に残る坂上田村麻呂の事蹟、しばしば彼と混同される藤原利仁の事蹟、

藤原不比等の墓、藤原兼実ゆかりの事蹟、平将門と将平の事蹟などです。

北条氏に滅ぼされたとされる鎌倉幕府の重鎮、比企一族の末裔とされる一族の消息なども、

非常に興味深いものです。

今回は「新編武蔵風土記稿を読んでみる」というカテゴリーを新たに設けて、私の個人的関心に基づいた

情報整理とその結果をアップしたいと思います。

番外編 茂林寺②(群馬県館林市)

2017-11-27 12:39:50 | 城館跡探訪
境内に漂う、のんびりというか、漫然とした雰囲気・・・・。

それもそのはず。周囲には・・・・。




タヌキ!



タヌキ!



タヌキ!



タヌキ!



恐るべし!猛烈なタヌキ押し!

二人連れの中年女性が、タヌキの下腹部を見て、

「あら、やだ・・・・」

実はこのタヌキたち現在は塗り直しがされているようで、こんな渋いタヌキ像ではなくなっています。

よかったのか悪かったのか・・・。


本堂です。









堂内の雰囲気は少し変わっているというのか、広々としています。




大きな丸い電球が昭和的レトロ感を漂わせています。子供の頃、こんな大きな電球の街灯があったのを思い出します。





禅宗のお寺ということもあるのでしょうか。広々としていますし、中も明るい。

この枝垂桜もちょっとした名物のようですね。







なんだか寂しくなりました。

思えば当時、日本国内は景気低迷が長く続き、修繕費も集まらなかったのかな。

今はタヌキも塗り直されているので、修繕も済んでいると思います。

番外編 茂林寺①(群馬県館林市)

2017-11-26 21:49:42 | 神社仏閣・その他
本日は、番外編として文福茶釜で有名な茂林寺を紹介いたします。

館林は、熊谷から割合近い場所にありますが、足をのばすことは少ないです。

ここで紹介する写真は2007年2月のものです。

茂林寺は曹洞宗の寺院です。有名な寺院のためか、門前には土産物店が集まっています。

館林は周囲が低湿地で淡水漁業が盛んでした。市内には川魚料理店が多いです。

門前町に魅かれるところがある私ですが、2月の夕方ということもありお客さんは少なく閑散としております。



おまけに、運悪く工事中です。



それでも、タヌキの立つ門前町らしい雰囲気の場所を写真に収めます。

公衆トイレの前にタヌキ・・・・・。



看板にもタヌキ・・・・・・・。



まあ、タヌキがウリのお寺なので仕方がないかな(笑)

正門・・というのでしょうか。茂林寺の場合、寺の顔である山門は奥にあります。




これが山門です。




扁額があります。



山門は「赤門」と呼ばれているんですね。朱塗りのいい味のもんです。





千社札もたくさん張ってあります。








茂林寺の創建は、1426年といわれています。山門も1694年のものですから、古いのですね。



創建の古さにもかかわらず、境内にはのんびりというか、漫然とした雰囲気が漂っています。

その理由は・・・・・・。

(つづく)