暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

番外編 姫路城好古園(西御屋敷跡庭園)②

2020-03-31 19:35:13 | 城館跡探訪
姫路城天守閣のある姫山天守閣背後は手つかずの「姫山原生林」が残っており、その斜面下には内堀が残っています。

ここは広場となっており、姫山公園と言います。

姫山原生林が残ったのは、姫路城内ということもありますが、最大の理由は急斜面という開発に不向きな地形によると

思われます(この辺りの考え方については糞虫研究で著名な生態学者の塚本珪一先生の著書から取り入れたものです)。

内堀には現在大きな鯉がたくさん泳いでいます。とって食べる人もいないせいでかなりの大鯉です。








この辺りから西の丸だと思います。

この丘には姫山とは別に鷺山と名付けられています。









ここには南勢隠門跡です。

石垣は野面積みに近い打ち込みハギというか、かなり野趣の溢れる積み方です。

虎口としての機能も持っていたと見え、食違がつくられています。

















この辺りは本当に鷺山部分です。



西の丸もはっきりと見えます。




鷺山には本当にシラサギが営巣していましたが、これは、偶然なんでしょうねえ。















いつの間にか場外に追い出されてしまいました。

渦巻き型に本丸に向かう縄張りだったのですね。この時初めて気づきました。

それでは、いよいよ好古園に入園します。

番外編 姫路城好古園(西御屋敷跡庭園)

2020-03-28 11:48:10 | 城館跡探訪
1月30日に姫路城周辺を歩き回りすぎてしまいました。

予定では男山まで行って終わりの予定だったのですが、とにかくむやみに歩き回る習性のある私は、

予定外の場所を延々と歩き回ってしまいました。

昔は多少疲れても気力で、写真だけは撮影したのですが、現在はかなりいい加減になってしまいました。

31日には帰る予定だったのですが、30日に刑部明神の御朱印がいただけるという噂に誘われて、

姫路城の管理事務局に伺ったところ、「ございません」という御答えでした。

個人的には「怪しい神社の御朱印」を少しですが集めている私はがっくりです。

ところがそこで「2月1日に期間限定で登城印を頒布いたします」と伺いました。

そこで、2月1日に再び訪問をすることにしました。

しかし、登城印をもらうだけの目的で再訪するのは恥ずかしいものです。

そこで、夏場に暑さの余り訪問を断念した好古園に入園することにしました。

まず、登城印をいただいた後、姫路城の周囲を大きく回ってから好古園に向かいます。

2枚いただきました。

城門の前庭には、西大柱が展示されています。





















これは無料で見ることができます。

姫路城を見上げます。

この日は西の丸の廊下を公開していたのですが、予定外なので素直に好古園に向かいます。









飾磨港から城内に物資を引き込むための船着き場です。

前回、夏に見た時は水がよどんであおこがめちゃくちゃ出ていました。

冬になって水が綺麗です。



ここから蔵に荷を積み上げた訳です。















まあ、当時は人力で運び上げる一手だったのでしょうが、この石垣伝いに蔵まで運び上げるのは大変だったでしょうね。

まだ、好古園には到着しません。

番外編 景福寺(兵庫県姫路市)

2020-03-14 23:47:33 | 新編武蔵風土記稿を読んでみる
景福寺は1369年の創建で、元は姫路城下坂田町にあったものを、

姫路藩主が酒井家に代わるとともに、当地に移転し、菩提寺にしたものだそうですが、

藩主の墓所は全所領の前橋にあり、景福寺には藩主正室の墓所があるということです。








境内内には石橋がありその他もとには大きな黒松があります。










山門の仁王像は鎌倉期の古いものです。











境内内には地蔵堂があり、地蔵が奉納され祀られています。








酒井家墓所は山門の外側にあります。














墓石が非常に大きなものだったので驚きました。

このあと、道に迷い途方にくれながらもなんとか姫路駅まで到達し、遅い昼食を食べたのでした。

番外編 姫路城下材木町(兵庫県姫路市)

2020-03-13 22:37:38 | 古い町並み
見星寺一帯は材木町と呼ばれています。



この一帯に材木商が集まっていたそうです。



ここから、酒井家の墓所がある景福寺にむかって歩きます。

材木町は古い家屋が多く残っています。








関東ではこんな木の格子のある家なんて本当に見かけなくなりましたが、

姫路ではいまだに良く残されています。














外壁の何気ない意匠を発見するのも楽しいですね。









景福寺参道にたどり着きました。




番外編 高田稲荷神社、見星寺

2020-03-12 23:42:41 | 神社仏閣・その他
鷹匠町は姫路城の外堀沿いに展開していました。



大通り(書写街道)に出るとすぐに外堀と船場川があります。ここには市野橋門があったそうです。





ここで、姫路城内には戻らず、点在する段丘を目指して歩くことにしました。

そうも、姫路には段丘の下にはお寺があるという法則のようなものがある気がします。

書写街道を渡ると、高田稲荷神社という小さな神社がありました。



1つに見えた鳥居ですが近くによると4本ありました。



この近くには見星寺というお寺があります。

本多政朝が祖母の徳姫(見星院)の菩提を弔うために創建したものだそうです。

このお寺の入口には寛延2年大洪水流死菩提所碑という供養の地蔵があります。











正直、歩き疲れてきていますが、まだ歩きます。