花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

アジア杯で日本の勝利を生んだもの

2011年01月30日 | スポーツ

( オリジナル切手用写真・寒さの中、日差しを浴びるセツブンソウ、まるで今回の日本代表
のように、厳しさに耐えて咲く花である。)

昨夜の決勝戦は、ドハデな表彰式まで見てしまい、風邪気味の身体にはきつかった。
それにしてもテレビ朝日は、何故表彰式まで放送しなかったのか、不思議だ。
NHK・BSは流石に表彰式まで放送して終わった。

振り返って見れば、今回のアジア杯の優勝は、奇蹟に近いと言える。
監督が合宿に選手を招集した時は、たった11人しか集まらず、満足な練習さえ
出来なかったとう。
また天皇杯の影響で、鹿島と清水の選手が合流したのは、年明けである。
まともな練習が何日出来たであろうか。
他の国は、アジア杯に備えて、長期にわたって合宿し、対外試合をこなして
乗り込んできたのにである。

まるでぶっつけ本番でのぞんだ今回のアジア杯、選手も監督も試合をしながら
コミニケーションをとり、試合を通じて信頼感を深めあったという。

そして怪我による離脱も相次いだし、退場者も続いた。
こんな困難な状況を打開して優勝したのは奇蹟に近いではないか。

サッカーという試合は、不思議なスポーツである。
往々にして一人の選手で流れがガラリと変わる。
昨夜の試合も、藤本に代えて岩政を出した。
DFに背の高い選手を入れて、センターバックの今野をサイドに出した
これによって中盤が厚みを増し、豪の流れを止めた。
この配置も、監督が選手の話を聞いて決めたという。

監督は今野をボランチの位置に出すつもりだったらしいが、自信がないと
聞いて、選手と話し合ったという。
試合の最中にもかかわらず、長友や外の選手と話し合い、今野の左サイド
配置を決めたという。
岩政の交代が遅れたのは、その為だったという。

その岩政が豪のハイボールをことごとく跳ね返し、日本のピンチを救った
そして延長後半、奇蹟の瞬間が訪れた。
いや奇蹟と言っては失礼かも知れない。
監督は李に「控えでも調子を落とすな」と言い、李は出番を信じて調子を維持した。
「ゴールすることを夢見ていた。」という李の言葉には、そんな思いが込められて
いたのである。

世は就職氷河時代だと言われている。
この日本代表の活躍は、そんな人達にも明るい希望を与えたであろう。
どんなに今が苦しくても、夢に向かって生きていく大切さを。






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