ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

言葉を必要としなくなる日

2022年04月11日 11時00分13秒 | owarai

 

多くを語り合わなければわかり 
合えない人たちや、多くを語り 
合わなければならないことも 
あるけれど、 

言葉が少ないのはいいな、と 
思う。 

少ないぶん、その気持は無垢 
なまま伝わるからだ。 

 

不幸を乗り越える

2022年04月11日 10時56分52秒 | owarai

 

どんな不幸のなかにも 
幸福がひそんでいる。 

どこに善いことがあり、 
どこに悪いことがあるの 
か、 

われが知らないだけ。 

どんなときでも、 
春風を以って人に接し 

寒冬を以って 
自ら粛しむ。 

そんな自分でいたい・・・・。 


「死んで棺桶に入ったつもり」になると正解が出る

2022年04月11日 08時52分29秒 | owarai

 

「死んでから、人生を考えて
みれば、どうでもよかったの
である」

上司や部下との対立、夫婦の
いさかい、親の介護、子供
の進学・・・
誰もが日々悩み多き生活を
送っています。

ときには、「もう、どうでも
いいや」と投げ出したくも
なるでしょう。

しかし、たった一度でも
投げ出してしまえば、これま
で築いてきたものが一瞬にし
て瓦解してしまうので、

皆ガマンガマンで暮らして
います。それが冒頭の言葉
なのです。

たとえどんな悩みであって
も、死んで棺桶に入ったつ
もりになって自分を見つめ
てみれば、

自分は傍観者であるという
ゆとりが生まれ、冷静な目
で大切なことがハッキリと
見えてくると言っているの
です。

障害者で詩集も出している
小曽根俊子さんが詩の中に
お母さんのことを書いてい
ます。

お母さんは「なぜ、うちの
子だけが」と毎日泣き暮れ
ていたそうです。ところが、

妹が生まれてからはお母さ
んは泣かなくなった、と彼
女は言っています。

幼い妹が障害のあるお姉
ちゃんを無条件で受け入れ
ているのを見て、

お母さんは、人と比べること
の愚かさに気づいたのです。

人生においてどうでもいい
ものと、そうでないものが
ハッキリ見えたのですね。


隠せぬ背中

2022年04月11日 08時49分21秒 | owarai

 

正面は堂々とした態度に見え 
ても、背中が弱点をあらわして 
いる人がある。どんな人間も裏 
は隠せない。 

吉川栄治に『背中哲学』という 
随筆がある。そのなかで、次の 
ように書いている(『われ意外 
みなわが師―私の人生観』)。 

「前から見ると、くしゃくしゃ 
な顔をしているけれど、背中から 
見ると、円光の輝いている人は、 

私の知己の中では、菊池寛氏だと 
思う。一緒に歩いている時など、 
後からあの背中を見ていると、 

ただまるっこく肥えているだけだ 
が、縹渺(ひょうびょう)として、 
何か味がある。その味はどんなもの 

かというと、『後の安心』とう相だ。 
背中には、家庭がそっくり描いて 
ある。 

いかにも、搦手の木戸は安心して、 
大手に向かって床几をすえている 
城将の趣だといつも思う」 

さらに、 
「しかし、夜の銀座裏を歩くとき、 
なんと、そこにまだ『帰らぬ良人』 
がたくさんに酒の灯の下をうろついて 

いることだろう。あの酔っぱらい 
達の背中には、脆さや、不安定や、 
空虚だらけだ。この人達が、安定の 

後光を負ったら、みんな倍も仕事を 
するだろうと思う」 
と続け、手厳しい。 

「人の背中は見ゆるけれど我が背中 
は見えぬ」という。自分には見えぬ 
背中が、他人には隠せないのでつ 
らい。 

 

「もう少し、上を向こう」。

2022年04月11日 08時44分58秒 | owarai

 

『人間の顔は、能面と同じ。 
顔を上げると笑って見え、 
うつむくと影ができる』。 

能は、仮面を使った芝居なのに、 
人間よりも表情豊かに感じられます。 

うれしい時は、よりうれしい表情に、 
悲しいときは、より悲しい表情に 
見えるのです。 

悲しいお芝居をする時は、少しだけ 
顔をうつむき加減にします。 
そうすると、顔に悲しいげな影が 
できます。 

少しうつむくだけで、顔に天井から 
の光りで影ができるように計算して、 
能面は作られているのです。 

人間の顔も、能面と同じです。 

うつむくだけで、あなたの顔には 
影ができてしまします。 

そして、少しだけ顔を上げることで、 
あなたの顔は幸せな顔に見えるのです。