ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

ここが、「しあわせ」の始まり Ⅰ

2022年04月18日 11時05分05秒 | owarai

それはどちらも小さくて
どちらがどちらかだか見
間違うほど

どちらが輝いているわけ
でもなく
どちらが重たいわけで
もなく

それはごくありふれた
けしの実のような小さな種

じつはふたつは同じもの
花が咲かなくては何の花
だかわからない
きっとそんなようなもの

しあわせになりたいと思った
ときから
しあわせは始まっている

だけど手のひらにのっている
この種が
どちらの種だかわからない

私はときどき弱くなって
しあわせをあきらめそうに
なる
すると美しくたおやかな芽は
あきらめのかたちに変わって
しまう

だけど決して踏みつけないで
夢「生きる」という名の光と水で
しあわせの芽にかわるのだから

いろんなことがあるけれど
可憐な花を咲かせましょう。

 


交差点はキライ

2022年04月18日 10時58分27秒 | owarai

 

「たとえば渋谷の駅前の
交差点。私、あそこを渡る
のがキライなの」

「何でまた?」

「蟻の大群みたいに大勢の
人がいるのに、私を求めて
いる人も、私が求めている
人もいないんだと思うと、
とても悲しくなるのよね」

でも、
「新コロナ・ウイルスで人が
いない交差点はもっと嫌い」


ココロの感度

2022年04月18日 08時53分28秒 | owarai

心のしくみは不思議だ。

脳にたくさんの襞(ひだ)が
刻まれているように、心にも
細かい襞が刻まれている。

その繊細さ、傷つきやすさ。
そして、絶望を乗り越えて
生きていこうとする魂の力
強さに、私はいつも胸が
熱くなる。

 


「同行二人そばに歩いていた人がいた」

2022年04月18日 08時51分49秒 | owarai

“一人で歩いてきたつもり
だったが
心眼を見聞いてよく観たら
同行二人一人ではなかった
水先案内人がそばを歩いていた“

「オレは自分の力でここまで
やってきたんだぞ、他人に遠
慮する必要なんか何もない」
と、若いときは力んだものだ。
意気盛んなことはよいことだ。

だがよく見たら、一緒に歩い
ていた人がいた。気づかなか
ったのは、無知か、

まわりを気づかうゆとりが
なかったからだ、と考える
ようになったのは、ほんの
この前だ。

その水先案内人がいなかっ
た、間違った道を歩いていた
かもしれない。平凡な道で
はああったが、人並に今日
まで歩いてこられた。

同行二人、それが親であった
か会社であったか神か仏で
あったか。
これからも胸を張って二人で
歩こう。