ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「心のおもむくままに」

2018年01月26日 20時20分14秒 | owarai

「幸せになるには必ずなにかがな
くてはいけなくて、それがあるか
ら幸せなのだ。つまり、外界から
に依存した感情だ。

喜びにはそんなものはいらない。

目に見える理由がなにひとつなく
てもわたしたちをつつみ、まるで
太陽みたいに、自分自身の核を燃
やしながら燃えつづける」

幸せと喜びとの違い。幸せには
「○○だから」というような、
ある程度客観的な理由が存在し、
他人もそういうものさしで人の
幸せを見ている。

が、喜びというのは、人それぞれ
で、何をもって喜びとするか、ど
ういうときに喜びを感じるか、に
客観的な理由というのは存在しな
い。

せつなさと淋しさとの違い。これも
また、幸せと喜びとの違いに似てい
るような気がする。

淋しさには、客観的な理由がある。
この人は淋しそうだなあと、他人
でも想像がつく。でも、せつなさ
は人はそれぞれだ。

そして幸せよりも喜びを――
と同じように考えると、淋しさ
よりせつなさを、たくさん感じる
ことのできる恋愛のほうが、より
素敵かもしれない。

たとえばクリスマスイブに、何ら
かの理由で恋人に会えない場合。

淋しさではなく、せつなさ感じる
恋を、私はしたいと思う。

淋しさというのは、他人の目を
気にしたり、自分を中心にして
生まれる感情だろう。みんなは
デートしているのに、とか。

でも、せつなさは、違う。会え
なくても、相手のことを思うから
こそ、生まれる感情だ。

“せつなさと淋しさの違い問う
きみに口づけをせり これはせつなさ“



自分の将来をはかるひとつのモノサシ

2018年01月26日 15時10分59秒 | owarai

いまはお笑いブーム。
ただし、そのブームにのっ
て、終始のようにテレビな

どに顔を出している”売れ
っ子”はすべての中のホン
の一握りでしかないだろう。

相撲社会において、全力士に
占める”関取”のパーゼンテ
ージよりも、もっと少ないにち
がいない。

このような売れっ子になれる
条件は何か?

「ネタはもちろんたいせつ、しか
し、漫才の七割は人間性がき
める」のではないだろうか。

「人柄がいい」こと、影で苦労し
ながら「できた」になった気がす
る。


「上司とうまくいくおまじない」

2018年01月26日 13時09分17秒 | owarai

落ちている葉っぱを一枚用意しま
す。もみじや桜など、どんな葉で
もOKです。

それを、あなただけ見る資料に
はさんで大切に保管します。
上司との関係がよくなるおまじな
いです。

<星のささやき>
落ちてる葉っぱは、「目上の人」を
表す土星のアイテムです。
それを仕事の資料に触れさせるこ
とは、「仕事」を意味する水星と
土星を調和させるアイディア。

これで、上司と良好な関係を
築けるでしょう。


犬・ネコの上手な接し方

2018年01月26日 11時14分54秒 | owarai

「動物好きに悪い人はなし」
というせいだろうか、動物が
なつく人は、いい人と思われ
やすい。

たとえば、異性の家に遊びに
行ったとき、ペットの犬になつ
かれると、「やっぱりこの人は、

いい人なんだ」と思ってもらえ
る。

動物は自分のテリトリーをもって
いるため、いきなり近づくと警戒
されてしまう。

なるべく低い姿勢で、目線の高さ
を同じにして接近する。犬や猫は、
自分より大きいものに恐れを抱く
から。

自分が畑ムツゴロウさんになった
気持ちで、(たまに動物がイヤが
っている気もするが!?)

動物が人間になでられて喜ぶ
のは、自分の手の届かないとこ
ろ。犬やネコなら、

喉や背中。そこをやさしくさすっ
てあげれば、距離が縮まる。

ただし、いきなり頭をなでるのは
ダメ、犬や猫はたたかるると勘
違いする。

急に怒りだしかねないのだ。

その結果、恋も仕事もオジャンに
なる危険性もないとはいえない。

以上、動物プロダクションの人
から聴いた話。




心に咲き続ける薔薇

2018年01月26日 05時40分33秒 | owarai
咲けば必ず散るのが花の
運命だ。

美しければ美しいいほど、
散るのはさぞ辛いことだろ
う、と思うのが人の心だが、
花の心は、どうやらそうで
もないらしい。

堂々と花ひらく薔薇。散る
ことを前提としていながら、
こんなにもいさぎよく、明
るく、美しい。

これまでの自分の生き方は
散ることを怖れて、咲くこと
をためらっていなかっただろう
か?

散ると決まったわけでは
ないときにも、一歩が踏み
出せないことがあったので
はないだろうか?

花は生きている、これからは
違う生き方を選んでいきたい。

『ためらひもなく花季(はなど
き)となる黄薔薇

何を怖れつつ吾は生き来し』

もっとしなやかに楽しく生きたい

2018年01月26日 04時51分16秒 | owarai

過去は帰ってこない、
未来はわからない。

過去を悔やむことなく、
「今日が最初の日だ」と考えて
希望を持って取り組む。

明日があると思わずに、
「自分の最後」と考えて全力を
投入する。

そして、ちょっぴり人生に臆病
であれば、すべてのことに真剣
に取り組めるはずです。

そうすれば、人生をもっと楽観
的に、意欲的に生きられるはず
です。

たった一度の人生なのに、過去
にとらわれたり、取り越し苦労
ばかりして暗闇の人生を歩いて
もつまらない。

「人生は微笑みを作り出す道場だ」
と言います。
もっとしなやかに楽しく生きたい
ものです。


心に咲き続ける薔薇

2018年01月25日 18時54分09秒 | owarai
咲けば必ず散るのが花の
運命だ。

美しければ美しいいほど、
散るのはさぞ辛いことだろ
う、と思うのが人の心だが、
花の心は、どうやらそうで
もないらしい。

堂々と花ひらく薔薇。散る
ことを前提としていながら、
こんなにもいさぎよく、明
るく、美しい。

これまでの自分の生き方は
散ることを怖れて、咲くこと
をためらっていなかっただろう
か?

散ると決まったわけでは
ないときにも、一歩が踏み
出せないことがあったので
はないだろうか?

花は生きている、これからは
違う生き方を選んでいきたい。

『ためらひもなく花季(はなど
き)となる黄薔薇

何を怖れつつ吾は生き来し』

自信のある人ほど甘え上手

2018年01月25日 11時45分45秒 | owarai

自信のある女性は、平気で
人に甘えることができる。

人に甘えられないのは、そ
の人が強いからじゃない。
自信がないからだ。

強がっている人は、自信のな
い人なんだ。

たとえばケンカをした時、自分
から謝ることができない人は、
自信のない人だ。

自信のある人が、先に謝る。

人間というのは、みんな弱くて、
みんな強い。

強い人と弱い人がいるのでは
ない。

弱い部分のない人は、強い
部分もない人だ。

自信のない人は、甘えるのが
怖い。勇気がなければ、甘える
ことができないんだ。


もったいない

2018年01月25日 10時24分04秒 | owarai

男性は決して、女性の実年齢で
「この人はダメだ」というふう
に判断しない。

女性が思い込んでいるほど、
男性は女性の年齢を意識して
いない。

男性が相手の女性の年齢を意識
し始める原因は、女性がつくって
いる場合がある。

実際の年齢差より、話してみて
若々しい女性と、実年齢より老けて
しまっている女性との差のほうが
大きく感じる。

要するに、精神的な年齢の印象の
ほうが圧倒的に大きい。

結婚年齢は、男性が女性より3歳
年上というのが世の中の平均値で
あったとしても、そんな平均値は
意味がない。

自分をその平均値に、無理に当て
はめチャンスを逃がしている人が
いる。

年齢にこだわっているのは、決して
相手ではない。

あなた自身が年齢にこだわっている
んだ。
それでチャンスを狭めてしまっては
もったいない。

「キミの生まれた年につくられ
たワインを飲みに行こう」。


いつかふたりになるため

2018年01月25日 06時04分45秒 | owarai

今、自分が一人でいるということ。
それは、どんな人とも二人になる
ことができる可能性を秘めた状態
なのだ。

そして今、自分が二人でいるとし
たら、それはやがてくる別れを含
んだ状態である。

人の心も生命も永遠ではないのだ
から・・・・。

人生を二色にわけるとしたら、一
人でいるか二人でいるか、すなわ
ち恋愛をしている時間かそうでな
い時間かの二色だ。

希望は絶望を含み、絶望は希望へ
と繋がり、幸福は絶望を含み、
絶望は希望へと繋がり、

幸福は不幸を含み、不幸は幸福へ
と繋がる。人生において対立する
かのように見えるものは、実は
同じことの表と裏なのだ。


『いつかふたりになるための
ひとりが
やがてひとりになるためのふたり』


ライバルは”他人”ではなく”昨日までの自分”

2018年01月25日 05時29分40秒 | owarai

【道で仏に逢えば、仏を殺せ】
ー臨済禅師ー

実際に出会うのは、
「己自身、自分自身に対面する。そうしたら
己を殺せ」

人生を真に貫こうとすれば、必ず、
条件に挑まなければならない。

いのちを賭けて運命と対決するのだ。

その時、切実にぶつかるのは己自身だ。
己が最大の味方であり、また敵なので
ある。

今日の社会では、進歩だとか福祉だと
かいって、誰もがその状況に甘えて
しまっている。

システムの中で、安全に生活することばかり
考え、危険に体当たりして生きがいを
貫こうとすることは稀である。

自分を大事にしようとするから、逆に
生きがいを失ってしまうのだ。

己を殺す決意と情熱を持って危険に
対面し、生きぬかねばならない。

これが、生きることであり禅の世界に
通ずるのではないだろうか。