ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「男の生きざま」

2021年09月22日 09時02分40秒 | owarai

明智光秀は主人の織田 
信長を殺したので逆臣 
といわれているが、 

彼をかこむ近親者や部下 
や領民にひどく評判がいい。 
亡くなっても慕う人間が多か 
った。 

長い間、失業者として放浪 
生活を送った光秀が、信長 
と知り合って二国の国主に 
なるまでに、わずか8年しか 
たっていない。 

光秀が反乱を起こして、 
秀吉に討たれたとき、 
苦労をともにした明智 
一族は城で自決を決めた。 

敵がおし寄せたら城の兵は 
極力脱出させた。 

敵将が知人だと、財宝を全 
部渡し、「どなたでも後世に 
伝えてください」と、降伏は 
しなかった。 

さすがの豊臣秀吉も、このとき 
ばかりは、「よくそこまでに人を 
育てた」と感奮したという。 

明智一族の最期は”美しき 
倒産”といえる。 
人が、命がけで慕うにはそれな 
りの理由があったのです。 


お釈迦さまの「意(おも)い通りの人生」

2021年09月22日 08時57分14秒 | owarai

お釈迦さまは、2400年前に、 
「人生は意(おも)った通り 
になる」と言っている。 

真剣に正しく考えて、平素よ 
り信じて念(おも)い続けて 
おれば、その通りになるのが 
人生である。 

しかし、意外と「あなたの希望 
は何ですか」と問いかけると、 

「何かをしたいのだが何をし 
たらよいのかわからない」と 
考える人が意外と多い。 

そんな人は、考えてみたとこ 
ろですぐにわかる問題では 
ないのだから、当分の間あ 
れこれ考えることを一切や 
めてみるといいと思います。 

そして、その期間はいろい 
ろなことを思い切りやって 
みることです。 

そうしている間に、遊ぶこ 
とにいいかげん飽きてきて、 
真剣なものだけが残るでし 
ょう。 

その中にきっと何かが見え 
てくるはずです。中途半端 
がいちばんダメです。 


「仕事だって、好きになりたい」

2021年09月21日 19時05分51秒 | owarai

仕事は、人生の中の多大な時間 
を費やすもの。それだけに、 
若い頃に好きな仕事に出会い、 
それに専念できればベストです。 

しかし多くの人は、子供の 
頃に夢見たような仕事とは 
違う不本意な職業についてい 
たり、 

生活のためだけに見つけた 
仕事を続けざるを得なかった 
り、希望の職場に入りながら 
も自分の能力を発揮できず 

不満を抱えていたり、決して 
満足できる状況にはないもの 
です。 

そんな中でも、自分になりに 
その仕事の魅力や意味合いを 
見つけ出す。 

たとえ与えられた仕事がやり 
がいのない単調なものに思え 
ても、何かしら新たな工夫 
を施し、面白がる。 

いまある仕事に好きな部分を 
見つけ、前向きに取り組んで 
みる。 

そこから得られたアイデアや 
思考法、人間関係などは、将 
来、きっと自分へのご褒美と 
して戻ってくるでしょう。 


『明日の「死」を前提に今日を生き抜く』

2021年09月21日 18時56分43秒 | owarai

ローマの哲学者セネカは、 
「いかに永く生きたかたでは 
なく、いかに良く生きたかが 
問題だ」と言いました。 

長寿者の話を聞くと、別に 
長生きの目標を立てたいわ 
けではないそうです。 

毎日を思い煩うことなく楽 
しく、規則正しく過ごして 
きた積み重ねが、 

つまり良く生きた結果が長 
寿に結びついたわけで、こ 
れは素晴らしいことだと思 
います。 

「長生きをしようと食べ物 
や健康法などに凝るのは、 
それ自体がストレスになり 
やすい。 

どんなに注意して生活して 
いても、人間には寿命があ 
る。 

だから、明日死んでもいい 
くらいの気持ちで、今日一 
日を充実して過ごしていれ 
ば、いつ寿命がきても満足 
して旅立てる」と斉藤茂太 
(精神科医、随筆家) 
さんは言う。 

自分を成長させ、金を稼いで 
子どもを育てていく第一の 
人生には目標が必要だが、 

第二の人生まで目標を立てて 
明日に期待するのはどうかと 
思います。 

それよりも、今日一日をどう 
充実して過ごすかという覚悟 
を身につけていくほうが大切 
な気がします。 

そうすれば、明日もきっと楽 
しく過ごせるはずです。 


お釈迦さまの「意(おも)い通りの人生」

2021年09月21日 18時54分12秒 | owarai

お釈迦さまは、2400年前に、
「人生は意(おも)った通り
になる」と言っている。

真剣に正しく考えて、平素よ
り信じて念(おも)い続けて
おれば、その通りになるのが
人生である。

しかし、意外と「あなたの希望
は何ですか」と問いかけると、

「何かをしたいのだが何をし
たらよいのかわからない」と
考える人が意外と多い。

そんな人は、考えてみたとこ
ろですぐにわかる問題では
ないのだから、当分の間あ
れこれ考えることを一切や
めてみるといいと思います。

そして、その期間はいろい
ろなことを思い切りやって
みることです。

そうしている間に、遊ぶこ
とにいいかげん飽きてきて、
真剣なものだけが残るでし
ょう。

その中にきっと何かが見え
てくるはずです。中途半端
がいちばんダメです。 


17歳  -ショート小説ー

2021年09月21日 11時43分13秒 | owarai
<二十年前のあなたへ>
いきは良い良い、帰りはこわい。
時の壁を超え、未来行きのタイム
マシンに乗って、あなたから届いた
お手紙を読んでいる最中に、つい、
そんな歌を口ずさんでしまい
ました。

ごめんなさい。東京駅から、下りの
新幹線に乗り込んだあなたは、うつ
むいて、今にも零れ落ちそうな涙
を、必死で堪えているというのに。

可愛像なあなた。
あんなに期待して、はち切れそうな
思いで胸をいっぱいにして、会いに
いったというのに、とうとう彼に
会えなかったね。会えなかっただけ
じゃなくて・・・・

つらかったね。ずいぶんつらい目に
遭ったね。

東京駅から電車を乗り継いで、彼の
住む街に着いたとき、あなたは駅
構内にある緑色の公衆電話から、
彼に電話をかけてみました。まだ、
携帯電話のない時代でした。

彼の電話は、留守番電話に切り替
わっていたので、あなたは伝言を
残し、駅前の喫茶店に入って、三
十分ほど時間を潰したあと、また、
かけてみました。

彼はまだもどっていなかった。
「もしかしたら、あたしの手紙、
届いていなかったのかな・・・・」
そんな風にも、思ったね、まるで、
自分に言い聞かせるように。

迷わずにいけば、駅から歩いて二十
分くらいのところに、彼のアパート
はありました。

公園のベンチに座って、彼への短い
メモを書き、――東京駅に着いたと
き、もう一度だけ、お電話してみま
す、と未練をたっぷりこめて――
それを手に、ふたたびアパートに
向かいました。

階段の下まで来たとき、あなたは
ふと、近くにあるごみ置き場に
放置されたままの、黒いビニール
袋に目を留めました。

猫かカラスに荒らされて、袋は破れ、
中身が飛び出していました。
「あっ」
と思って、あなたはごみ袋のすぐ
近くまで歩み寄っていきました。

さまざまなごみに混じって、見覚え
のある、うすいピンクの封筒。
ブルーのインクで記された、あなた
の文字。「青山晴彦様」。


それは、あなたがちょうど一週間前
に出した、手紙でした。
好きです。
会いたいです。
会いにいってもいいですか?
懸命に綴ったあなたのへの気持ちが、
あなたの気持ちが、あなたの声が、

まるで悲鳴を上げているように、
耳に飛び込んできました。
可哀想な手紙。
ごみと一緒に、捨てられてしまった、
恋。

ついさっき、あなたは、新幹線の
デッキに備え付けられているごみ
箱のなかに、彼へのメッセージと
ともに、その手紙を捨てましたね。

彼に捨てられた手紙だったけど、
自分で捨てる、ということが、
あなたにとっては、大切だったの
でしょうね。

あなたの自分の手で、恋を埋葬し
たかったのでしょう。

たくさん、泣きなさい。
二十年前のあなた。今、泣きたい
だけ、泣きなさい。

大丈夫。涙を流した分だけ、あなた
は優しい人になれるし、今味わって
いる悲しみの深さと同じだけ深い
幸せを、いつか、味わうことができ
るから。

だから、好きなだけ、泣きなさい。
今夜、部屋に戻ったら、滝のように、
雨のように涙をながして、その涙の
雨に、打たれるといい。

そうすればあしたの朝、つぼみは
きっと、花開くでしょう。雨を吸い
込んだ分だけ強く、たくましく、
可憐な花となって。

わたしはいつでも、これからも、ずっと
ここにいて、待っています。
あなたが成長して、大人になって、私
に会いにきてくれる日を。

もしも偶然どこかで、あなたを見かけ
たなら、うしろからそっと、声を
かけるね。

「また会えたね。二十年前のあたし」
ふり向いたあなたが、満開のお花畑
のような笑顔の持ち主だと嬉しいな。
それからふたりでカフェへいきま
しょうか?

そこで、今度はわたしがあなたに、
語って聞かせましょう?
この二十年間に、わたしがめぐり
会った、恋の物語。話しても、話しは
尽きないと思います。

なぜなら今、あなたの流している涙
に負けないくらい、堰(せき)の切れた
河のように、洪水のように、わたしも涙
を流してきたから。

 


恋の栞

2021年09月21日 08時48分27秒 | owarai

愛において警戒しなければなら 
ないのは、時間でも、飽満でも、 
またどんな種類の倦怠でもなく 
て、 

むしろ幸福が与えてくれる安全 
感であり、放心状態である。 

この美しい女人が、つまりは 
行旅の人であることを、つい 
忘れてしまうのである。 

ひとがそれを楽しむこと如何 
に薄いかを響えてみれば、快晴 
の日々を空しく消えるにまかせ 
て、 

ろくろく楽しまぬうちに、早く 
も夏の逝くのに似ている。 

もっとも、夏ならばまた立ち返 
りもしようが。 

 


「心の置きどころ」

2021年09月21日 08時40分45秒 | owarai

“まずこちらから声をかけてみる” 
Aさんは、自分は、会社でに 
白眼視されていると訴える。 
なぜなのだろうか? 

私たちは、自分ほど可愛い物 
はない。 

ですから、人が自分に会った 
とき、心地よい微笑みや優し 
い言葉をかけてくれないと、 
私たちの心に不満が 
生じ、あの人は冷たい、あの 
人は私を無視している・・・ 
と思いがちである。 

結局、自分に甘えているのです。 

自分に会ったら、人は笑顔や親 
切な言葉をかけてくれるものだ 
と、決めてかかっているのです。 

しかし、こちらだけが微笑みや 
親切な言葉を期待しているので 
はなく、相手も微笑みや親切な 
言葉を期待しているのです。 

人が自分に悪感情を持っている 
と感じるとき、たいていの場合 
は自分に原因があります。 

思い切って、こちらから「お元 
気ですか」と先に声をかけるこ 
とです。 

誰もがそれを望んでいるのです。 
こちらが心を開けば、相手もき 
っと心を開いてくれるはずです。 

有名な言葉に、「人にしてほしい 
ことを、人にもしてあげなさい」 
とあります。 

自分中心に物事を考えずに、まず 
相手思考をすることが楽しく過ご 
すコツです。 

 


微笑みの刻印

2021年09月21日 08時30分56秒 | owarai

人間の第一印象がわずか五秒 
足らずで決まってしまう、と 
いうことをご存じでしょうか。 

顔の表情から目の輝き、服装 
のセンス、姿勢、雰囲気まで、 
わずか五秒足らずで、あなた 
の好感度が決まってしまうの 
す。 

プロのスカウトマンにかかると、 
わずか三秒という説もあります。 

今や、うわべだけで自分自身を 
ごまかせる時代は過ぎました。 

ましてや、一流ブランドを身に 
つけることが“エレガンス”だ 
という、間違った認識だけは、 
即、切り捨ててください。 

本物のエレガンスとは、内面か 
ら滲み出る美しさを言うのです。 

美しい微笑みは、美しい装いを 
作ります。 
神経が行き届いた指先は、ディ 
ナーを優雅に運びます。 

健康な体は、自然に背筋を伸ばし 
ます。バランスのいい食事は、 
美しい素肌を作ります。 

満ち足りた睡眠は、心を明るく 
します。 

このように、毎日の自己管理が 
きちんとできる人のことを 
“エレガントな女性”と呼ぶの 
です。 

フランスでは、エレガントな女性 
を象徴することの一つとして、微 

笑みがあげられます。女性の美し 
い微笑みに勝るエレガンスはない、 
と言うほどです。 

美しい微笑みには、毎日の充実感 
があふれています。光り輝くエレ 
ガンスの刻印が押されています

 


“知恵の時代”の有効資本

2021年09月20日 18時33分28秒 | owarai

「人を使うに、我が心の如く 
せんと思わねば廻らないもの 
なり。 

叱れば道理と思いながらも 
恨み僻み、厳しく使えば目 
を盗み、 

緩過ぎれば怠け、あまき 
言葉に乗る。 

仕末に困るもの故に、人を 
使うは身を使うなりという 
述懐も起るなり」 

「それ人を使うには、我が身 
を顧るを要す。慈悲を本とし、 
少しの過ちは見すごし、 

大切なることは少しも赦さず、 
言葉を慎み、行正しく、法に 
過ぎて使わず、使うべきには 
必ず使う。 

かくして依怙なければ、情に 
感じて心服するものなり」 
(常盤貞尚『民家分量記』 

人間の弱さ、ずるさを十分に 
理解した上で、人を使うには、 
まず我が身を正すことだと 
力説している。 

リストラという名のもとに 
様々な中高年齢者いびりが 
見うけられるが、そうした 

経営者を見る社員や社会の 
目は厳しく、その裏で本当に 
大切なものを見失っている 
ことに気がついていない。 

これからの知恵の時代を勝ち 
残っていくには、人材こそが 
勝負である。 

そんな企業に、優秀な人材が 
集まるとは考えられない。 

 


“慢性的「不幸」にいちばんのクスリ”

2021年09月20日 18時32分03秒 | owarai

劣等感の研究で有名な精神分 
析医、アルフレッド・アード 
ラー博士は、憂鬱性の患者に 
いつもこう言ったそうです。 

「この処方通りにしたら、き 
っと二週間で全快しますよ。 
いいですか、どうしたら他人 
を喜ばすことができるかと 

いうことを、毎日考えてみる 
ことです。不幸に陥る人は、 
自分のことだけを考えている 
人です」 

人間の常として、嫌なことや 
つらいことを嫌います。 

避けようとすればするほど、 
地獄の責め苦は二倍にも三 
倍にもなってはね返ってきて、 
ますます苦しいものになる。 

白隠(はくいん)禅師は 
「南無地獄大菩薩」と言い 
ました。地獄から逃げずに 
一身を任せれば、おのずと 
道は開けてくるという意味 
です。 

最澄は「忘己利他(もうこ 
りた)」を説きました。 
人を愛し、思いやり、笑顔を 
向け、労りの言葉をかけるこ 
とによって、 

相手を幸せにするだけでな 
く自分もまた幸せになること 
ができるのです。 

今の世の中、自分のことだけ 
しか考えない人が多くなって 
きましたが、それだけ自分自 
身を不幸な気持ちにしている 
のです。

 


『降っても晴れても「うれしい人」で』

2021年09月20日 09時45分09秒 | owarai

清水寺の大西良慶和上は、 
よくこんな話をされたそ 
うです。 

草履屋さんと笠屋さんに 
嫁いだ娘を二人持つ母親 
がいた。 

この母親は、雨が降ると 
いつも草履屋さんに嫁い 
だ娘のことを思って、 

「雨で草履屋の商売はあ 
がったりやなぁ」と嘆き、 

天気になったらなったで 
傘屋さんに嫁がせた娘の 
ことを思って、 

「こんなに天気が続いて 
は傘屋の商売はあかんな 
あ」と悲しんだそうです。 

これを聞いた人が 
「お母さん、それはあんた 
の心の置き違えどっせ。 

晴れたら、草履屋さんのお 
商売を喜んであげたらよろ 
し、雨になったら、傘屋さ 
んのお商売を喜ばはったら 
ええのと違いますか」と 
言ったと。 

同じことでも、ちょっとし 
た心の置きどころによって、 
気持ちが180度違ってき 
ます。 

何ごとも悪く考えたり、悪い 
面ばかり見るのではなく、 
良く考えたり、良い面を見る 
ようにすることによって、 

毎日の生活が楽しく積極的に 
なってきます。子どもや部下 
などに対するときも同じで、 
良い面だけを見たいものです。

 


『手紙』

2021年09月20日 09時35分19秒 | owarai

いっしょに、夜の新宿の街を 
散歩した時、山崎さんは「心 
にも、心臓みたいに、いくつ 
かの部屋があったらいいね」 
と言いましたね。 

私もあの時、同じようなこと 
を思っていました。ここは 
マコトの部屋。 

ここは山崎さんの部屋。心を 
そういう風に 
二つに分けることができた 
なら、 

私はふたりを均等に、同じ重さ 
で、同じ深さで、愛することが 
できるのかもしれません。 

でも、それは不可能です。 
心も躰も人生も魂も、人にはひと 
つきりしか、与えられていない 
ですものね。 

本来ひとつであるべきものが、 
分裂したところから、悩みや 
葛藤が生まれます。マコトが 
私に注いでくれるような 

「ひとつきりの丸ごとの愛」を、 
私も抱きたいと願っています。 
それができるかどうか、わか 
りません。 

でも私はいつか、清らかで、純粋 
で、透明で美しい心を持った 
人間になれることを夢見て、 
あるいはそういう世界を目指し 
て進んでいきたいのです。 

たとえ今は醜く、汚れた魂を 
抱えていても。 

一生を通して、たったひとりで 
いい、その人のことを全面的に 
受け入れ、死ぬまで無条件で 
愛することができたなら、 

それはなんて素晴らしいことだ 
ろうと、私は思うのです。

 


その日その風の中にて『ぼくと一緒に歳をとる服』

2021年09月20日 09時30分17秒 | owarai

例えば、自分の顔のことを想像 
してみようか。 

若いうちは、しわもない。生命力 
が無邪気に輝いている。 

これが時の流れにあわせて、ちょ 
っとずつ亀の歩みではあるけれど、 
変化している。 

陰影が出てきて、生き方を正直に 
映し出すようになってくる。 

「男は自分の顔に責任を持て」な 
どと言われたりするのも、この 
ためだ。 

顔を捨てたり取り替えたりすること 
はできない。 

一緒に年齢を重ねていって、その時期 
なりのいい表情をしているようにと心 
がけるしかない。 

服だって、おなじではないだろうか。 

手に入れてから年月が経ったから、 
流行に遅れているから、といって別れ 
なければないない服でなく、 

一緒に歳をとってくれる服を選びたい。

 


「死んで棺桶に入ったつもり」になると正解が出る」

2021年09月20日 09時25分31秒 | owarai

「死んでから、人生を考えて 
みれば、どうでもよかったの 
である」 

上司や部下との対立、夫婦の 
いさかい、親の介護、子供 
の進学・・・ 
誰もが日々悩み多き生活を 
送っています。 

ときには、「もう、どうでも 
いいや」と投げ出したくも 
なるでしょう。 

しかし、たった一度でも 
投げ出してしまえば、これま 
で築いてきたものが一瞬にし 
て瓦解してしまうので、 

皆ガマンガマンで暮らして 
います。それが冒頭の言葉 
なのです。 

たとえどんな悩みであって 
も、死んで棺桶に入ったつ 
もりになって自分を見つめ 
てみれば、 

自分は傍観者であるという 
ゆとりが生まれ、冷静な目 
で大切なことがハッキリと 
見えてくると言っているの 
です。 

障害者で詩集も出している 
小曽根俊子さんが詩の中に 
お母さんのことを書いてい 
ます。 

お母さんは「なぜ、うちの 
子だけが」と毎日泣き暮れ 
ていたそうです。ところが、 

妹が生まれてからはお母さ 
んは泣かなくなった、と彼 
女は言っています。 

幼い妹が障害のあるお姉 
ちゃんを無条件で受け入れ 
ているのを見て、 

お母さんは、人と比べること 
の愚かさに気づいたのです。 

人生においてどうでもいい 
ものと、そうでないものが 
ハッキリ見えたのですね。