愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

1000字コラム 1  「エコ時代」

2015-03-12 16:25:22 | 勝手にコラム


今から20年も前、私が二十歳のころ。世はバブル時代。儲かれば儲かるだけ遊んでいたのは、何も人間だけではなかった。そう、政治も企業も浮き足立っていた、エコなど無縁の時代であった。そんな中、私はある企業の会長宅にいた。
 私は岩手の田舎から、東京に本社を構える会社の寮に住込みで働いていた。寮といってもそこは、岩手県では有数の優良会社の会長のお宅である。会長はすでに70歳を超え、その奥様も同じくである。会長のお宅は3階のビルで、1階と2階が会長夫妻宅。で、その上、3階が女子寮とあいなっていた。
 私の女性同期生は4人、それに先輩の3人が、この寮にいたわけだ。夕方5時に仕事を終えると、当番である私は一目散に会長宅に向かう。重たい玄関のドアを開け、まずは「ただ今帰りました」の一声を。ついで靴を脱いで玄関の脇に遠慮がちに並べ、いざ奥座敷手前廊下で正座。目の前のふすまを静かにスライドさせ、両手をついて、2度目の「ただ今帰りました」のご挨拶。追って一番奥からにこやかに会長と奥様が「おかえりなさい」と返してくれた。
 それから私は奥様と一緒に、会長と奥様のお夕飯の準備にかかる。女二人、ざっくばらんな話しもさせていただいたが、この奥様、結婚するまでは箸より重たいものは持ったことがないという噂?を先輩達から聞かされていた。服を着るにもお手伝いさんがやってくれたらしい。それが、うちの会長のお嫁さんになるや、手厳しく旦那様から教育されたようで、今日に至るまでのご苦労は察し余る。
 そう、元お嬢様もうちの会長の手にかかるや、倹約家へと移行し、早何十年。私たち女性社員にとっての、手厳しいお姑さんでもあった奥様である。もちろん私たちが掃除した後は、障子の桟を人差し指を滑らせて、埃をチェックするのは怠らない。「まだ埃があるわよ (ケラケラ笑)」の一言で、再度ハタキをかけることになる私たちであった。
 そんな奥様は台所でも、無駄の無い動きと無駄の無い物の使いかたをされた。私たちにはそれをマスターすることが花嫁修業であった。会長は私たちの今、ではなく未来のために、奥様を遣わされていた。台所に立てば、布巾掛けの棒の一つは、カットされたサランラップが掛けられている。使用済みのラップを、水洗いして再度、再再度使用するために干されているものだ。布巾を洗うには、水を溜めて洗った。スーパーのプラスチックの袋も、紙袋も包装紙も綺麗に畳んで、次回使用時まで備えた。
 だから会長のお宅は、外観は豪勢に見えるが、中はきちんと整頓され、無駄な贅沢品のようなものは一つも置かれていなかった。会長は自家用車を持たず、日曜日には自宅脇の言問橋を歩いて渡り、浅草にあるデパートで、わずかな買い物をしていた。着る物も高級品には程遠く、小奇麗にされている程度で、はたで見ると、ただのご近所の人のいいおじいちゃんである。会長のお給料は毎月会社の役員が封筒に入れて、直接会長に渡されていた。会長はそこから5万円を出して、お小遣いとして奥様の手に渡した。残りは会長のお小遣いと生活費。おそらく会社役員の半分の額にも満たない金額であったはずだ。会長は余分なお金はいらない、生活に困らない程度のお金で十分であるとおっしゃられた。
 堅実な仕事を私たちにさせ、会社が儲けたお金で、事業を拡大、あるいは資材につぎ込んだ。銀行への貸し借りは無しなので、利息の返済はない。社員は半強制的に貯金をさせられ、30歳前後の先輩の数人は預金額1千万を越えていた。会長がつぎ込んだのは人間教育だけであった。
 この会長の会社は現在も日本の産業に貢献されている。不景気な次代になぜ生き延びれたか、それは会長が好景気時代に、次期に必ず来るであろう不景気に備えていたからだ。備えあればこそ、無駄に人材を切らずにすむ。
 私のエコとはケチることだ。ケチケチした生活の中で、楽しみを見出している。私にとって、今さらと感じるエコフィーバーだが、今や政治も公然と叫ぶ時代になったことを心の片隅で一人安堵している。大事なのは自分たち人間が生かされているという自覚。生かしている地球に慈愛を感じることで、自然とエコし始めるのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする