私の実姉が、小学校5年生前後だったと思う。近所の先輩女子と、二人で鈴久名の山に入った。そして昔の時代の県道である山の峰づたいに、早池峰山方面に向かったようだ。幼い少女二人の目的は、単に暇つぶしの散歩程度のことである。
おそらく1時間か2時間も山道を進んだころだろう、深い森に入ってしまった。そこでやっと、道に迷ったと知る二人だった。焦った二人は、とにかく今いる山の上から、下に降りよう、ということになり、道なき道を下へ下へ降りて行った。
すると、狭いながらも道路に出たのだ。その道路が、榊原街道。岩手県花巻市大迫と、旧川井村鈴久名へ続く道路である。この道路は早池峰山を横断する道路でもある。車のない時代の人々の往来に利用していた国道なのだ。現在は大規模林道として広く立派な道路ができているが、姉が迷った当時はアスファルトの道路ではなかったのだ。
ともかくも人の往来していそうな道路にやっと出た二人が見た景色がこれたった。
霊峰早池峰山の剣が峰だ。見事な三角山だった。
姉が幼いとき道に迷ってみた景色
それから大人になって、夢を見た
一人の女性が六部姿の旅人の恰好をして、遠くに見える剣が峰の山を眺めていたのだ
姉は思った。そうか静御前は榊原街道という、自分が迷ってしまったあの道路を歩いて、鈴久名にきたのだと。
横道廣吉さんが書いた早池峰絶唱は女心に視点をおいた本であり、女性静を描き切った本である。
岩手の源氏史の本の表紙には、この剣が峰、早池峰の山をバックにしてご神体である静御前の姿と、烏帽子姿の判官神社の木彫りの義経像がある
私の本の表紙が実は鈴ヶ神社のご神体の写真なので、エネルギーに敏感な方は、本の表紙からパワーを感じられているようだ
私が懇意にしているヒーラーさんがおられるのだか、鈴ヶ神社の神様と同じような、似たようなエネルギーをお持ちであり、きっと性格も似ているのだと思う。
世でいう静御前は、気の強い女性で通っているようだが、実際の静はとても女性的で穏やかで、優しい方だと思います
岩手の源氏史は歴史の一部を切り取った本ですので、歴史は実は真実というのはあるようでないような、空気のような存在だ。なので言い訳ではないが、沢山事実と違うことも書いているのだと思います。しかしながら、これは真実、という案件もいくらかあると思っています。だからこそ書き上げることができて、本にできたのだと思っています。
ある方が、本を開いたら、髪が逆立ったと言って、わざわざ電話をくれた方がいました。この方は本物と出会うと髪が逆立つらしいのです。なので読む前から興奮してしまったようですが、読んでみて、これは確かだ、と腑に落ちるような内容があったようで、なんだか私はホッとしました。今のうちに書いて、後世に残さないと忘れ去られてしまうと思って、書いたものですが、感動してくださる方が一人でもいてくれるだけで、本当に良かったと思います。
本を出版するまでは会社勤めでしたから、夕方帰宅して家族4人分の夕飯準備と家事全般をすませ、夜にパソコンに向かって原稿を書いていました。夫はきっと、夫のお世話をしない妻に不満だったことでしょう。口にはだしませんでしたが、そうだったと思います。でも自分を信じて、自分の使命を全う?しましたから満足です。おかげ様でした。姉の小学生時代の、うっかりものの性格で、剣が峰の存在を知った私は、おかげで本が書けたのです。
人生、一寸先は闇、だとよくいいますが、
これは間違いですね
闇だと思い込んでいるだけです
皆、光を持っています
人は光なのですね
光(自分)の進む先に、また光あり
真っ暗闇のなかでも、周囲をよーく見渡してみて
真っ暗だとおもっていたのに、ずうっと先に、遠くに
数ミリほどの点、
数ミリほどの光 絶対に見つけられます
あの小さい小さい光に向かって
すでに道はあると
私は知りました