カチエおばあさん、まだ、心配して私の家にきてるかな?気配はあれど姿なし
たまに夫婦喧嘩するから、そりゃあ、心配かもね。
私の母親の、クニ子にとっては。姑の、カチエばあさん。
大人しくて、全ての自分の権限を、クニ子に、はじめから、譲ったから、おかげでカチエからの、ストレス、姑のストレスを知らないで暮らしたクニ子だ。
カチエおばあさんは、肉が食べられないのに、肉入りのカレーライスを、クニ子は、平気でカチエに出していた。私は。カチエの前に盛られた皿をとって、肉を取り出して、そして、カチエにカレーライスの皿を渡していた。陰でカチエの子供が、嫁クニ子の悪口を言ったら、カチエが、クニ子の悪口を言うな!!と、自分の子供には叱った。貧乏な橋本家の嫁に来てくれたクニ子を、あえてリスペクトして、クニ子が、楽なようにしてくれていた。
クニ子には、そんなカチエのことを、単純に、おとなしくて、子供の教育もできない親だとしかみていなかった。
カチエが、私の弟が振ったプラスチックのバットでおでこに、ぶつけられて、大きなコブがでたのに、笑っていたいいたい、と、瞬時にわらっていた。私が小学2年か3年の頃だろう。
私はカチエの態度に驚いた。痛みを与えられても平常心であったからだ。
私もたまには、人に褒められる時もあるよ。アマラ京子さんが初めてうちに来て、家とチャネリングしたら、
敦子 さんの愛だね、沢山の人を受け入れてる家だ、と、行ってくれたけど、私の愛なんで制限だらけさ。カチエにはいつまでたっても敵わないな。カチエはたった一つぐちっていたことがあった。たった一つだ。クニ子は、あつこばかりを、いつも、叱っているんだ。あつこが、心配だ。と、自分の娘に漏らしていたそうだ。
今も、時々、カチエおばあさん、おばあさんは、あうちにくる。私の様子を見にくるよ。まーだ心配かけてるんだな、私は。親は心配なんかしてくれないのに、カチエおばあさんと、そして、カチエの長女のフヨ叔母さんだけは、私を心配して、気にかけてくれていたな。カチエとフヨは、最強の親子だったのね。私は恵まれていたんだな。
カチエおばあさん、いつもありがとう
明日は一緒にお茶飲もう
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