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「 出版社からのコメント
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(インスタグラム版「老後は京都で」は→コチラ)
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( kindle版あり )
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「 米国はなぜ、どのように
日本に原爆を投下したのか。
そこに、正義はあったのか?
戦後の俗説を解明することで、
原爆投下プロジェクトの舞台裏を暴く1冊。
京都は原爆投下第一目標だった!?
人口の多い京都が空襲されなかったのは、
文化財がたくさんある古都だから
と習った人はいないでしょうか。
また、米国人のウォーナー博士が
京都の素晴らしさを訴えたために、
空襲が回避された
という番組がNHKで放送されています。
しかし、これは真実ではありません。
京都が空襲を受けなかった理由は、
原爆投下の第一目標だったためです。
・人口が100万人以上で、かつ密集している
・盆地で爆風の威力を発揮しやすい
という理由から、
京都は原爆の威力を測定するのに
最適な都市と考えられたため、
通常の爆撃を控えられていたのです。
本書では、
・京都はなぜ原爆投下目標に選ばれたのか
・「文化財保護説」や「ウォーナー伝説」
は誰が何のために伝説を創作したのか
を膨大な資料から解明し、
戦後、“米国が仕掛けたプロパガンダ(虚構)を覆します”。
目次
第1章 ウォーナー博士は古都を救った恩人か?
第2章 京都に原爆を投下せよ!
第3章 京都の運命
終章 『ウォーナー伝説』を創出したのはだれか?
著者略歴
吉田守男(よしだ・もりお)
1946年京都生まれ。
71年京都大学文学部(国史学専攻)卒業。
78年京都大学大学院文学研究科博士課程を単位取得満期退学。
87年樟蔭女子短期大学講師、助教授を経て、94年より教授。
2001年より大阪樟蔭女子大学教授 」(内容)
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( kindle版あり )
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「 染織祭とは、
昭和恐慌期に起こった祭りである。
なかでも女性時代風俗行列は
男性装束のみの時代祭と対比され、
祇園祭にも匹敵する観客を集め、
染織業界のみならず
多くの業界がこれに便乗し、
当時「京都四大祭りの一つ」と謳われた。
古墳時代から八つの時代を重ね
江戸時代末期まで、
絢爛豪華な装束を着た女性たちが練り歩く、
まさに衣装で綴る時代絵巻であった。
本書では、祭りを創設した京都染織業界、
その中核となった京都染呉服商、
さらに祭りを支援した
京都市の動向を追っていく。
長年謎に包まれていた祭りの実態を
新出史料から解き明かし、
恐慌・戦争・復興を駆け抜けた
染織祭の意義を考える。
【目次】
プロローグ ―染織祭との出会い
本題に入る前に
第一章 創設への道程 ―発端・中核・構想
第二章 染織祭の背景 ―京都染織業界と京都市、それぞれの思惑
第三章 染織祭の展開 ―第一回・第三回染織祭と女性時代風俗行列
第四章 染織祭の変質 ―戦時期・戦後復興期の活動
まとめ
エピローグ ―染織祭の意義
付表 染織祭関連年表
参考文献リスト
付録 染織祭関連資料紹介
染織祭女性時代衣装一覧 」(内容)
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「 映像には、
文字では表現できなかった
当時の雰囲気や
息吹が感じられ、
人々の生活の喜びや、
事件の緊張感などが伝わる。
映像資料としての古写真の可能性
をさぐりながら、
明治の先進都市・京都
の実像に迫る画期的研究。 」(内容)
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「 〈京都の「カフェー」史から見えてくる
古都の近代・日本の近代とは 〉
〈 近代日本文化のるつぼ「カフェー」。
豊富な図版とともにその全体像を描く。
幻の夜の文化史 〉
明治末に生まれ
戦間期に全国で大流行した「カフェー」は、
西洋風の飲食と
女給の接客が魅力の娯楽空間でした。
文化人が交流し、
エログロ文化のシンボルともなりましたが、
その全体像はヴェールに包まれています。
都市の形成、「大衆」の誕生、
風俗誌、ジェンダー、音楽文化など、
日本近代の様々な問題系が、
カフェーから浮かび上がります。
本書は京都のカフェー通史を描くことで、
日本近代史の知られざる一面を
明らかにします。 」(内容)
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「 学制発布以前に作られた小学校、
日本最初の博覧会が京都で開かれた理由、
時代の最先端だった琵琶湖疏水と水力発電、
新京極は知事が開発した歓楽街だった……
多彩な“日本初"とともに描く、
京都人の知られざるパワー。
歴史が古いうえに、
都市としての規模も大きいから、
災難による傷の深さは
他の都市とは比較にならない。
そのたびに蘇生をくりかえしてきた京都だが、
明治の維新という災難は
それまでとは次元も強度もちがう、
途轍もなく甚大なものだった。
――これからの京都は、
天子さまなしでやってゆかねばならない。
そうと気づくにも勇気が必要だったが、
目を逸らしても仕方はない。
どんな深刻な災難でも
きりぬけられるはずだ。
それは京都の歴史から
汲みとれる教訓なのである 」
(「まえがき」より)
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戦時中の京大物理学研究室を舞台にした
「太陽の子」が今夜放送される。
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NHK 総合で
午後7時30分から。
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( 付記 )
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日本はアメリカとほぼ同時に
原爆実験に成功していた、、、、
という根強い説がある。
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下は、そのうちの1つ
矢野義昭さんという方の書かれた
「世界が隠蔽した日本の核実験成功」。
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「 日本は大戦末、核爆発装置を完成させ、
8月12日に興南の沖合の小島で原爆実験に成功したが、
ソ連軍に急襲され、
残った核インフラと科学者を奪われた。
ソ連はその成果を利用し、わずか4年後に核実験に成功した。
中国は朝鮮戦争中に興南の核インフラ奪取のため参戦した。
北朝鮮の核開発は、人材育成も含め、
日本の統治下で基盤が造られた。
蒋介石も日本の科学者を雇い核開発に取り組んでいた。
著者について
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「 終戦直前、我国の大都市の
実に61万戸の建物が、
強制的に撤去された。
制空権を失う中で、
木造家屋が密集した都市を守るには、
もはや火災の種になる家屋そのものを
破壊しなければならなかったのである。
「破壊防空」がもたらした、
市民生活と都市の空間構造への、
今日にまで至る物理的・心理的影響に、
初めて学術的に迫る意欲作。
著者略歴
1980年熊本県生まれ。立命館大学文学部史学科卒、
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「 学徒出陣により戦死した京大生、林尹夫は、
三高時代から死の直前まで、
日々の思いを4冊のノートに残していた。
1967年、「わがいのち月明に燃ゆ」と銘打たれ、
筑摩書房より刊行された林の遺稿集は、
戦後社会に大きな反響を呼んだが、
遺稿の4分の1は編集過程でカットされ、
掲載文にも一部改稿の手が加えられていた。
没後75年、彼の記した自己と世界史究明の努力、
友情・セクシュアリティへの実直な思いを、
澄みきった原文のままで現代の読者に届ける 」(内容)
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