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京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

相場の神々

2019年08月23日 | 投資 &  国際情勢
相場の神々 (現代の錬金術師シリーズ)
鍋島 髙明
パンローリング株式会社

冒頭に掲げたのは、

日経新聞で人気のコラム「相場師列伝」を連載中の

鍋島高明さんの近著、「相場の神々」。

以下は、その内容紹介。

「 ここに登場する相場師は8人、いずれ劣らぬ時代を象徴するサムライ達だが、

明治を代表するのは福沢桃介。

本間宗久を始祖とする我が国投機史上名相場師ランキングでも十傑に入る巨人である。

しょっちゅう相場を張るわけではない。

ここぞという時を狙って出陣、巨利を占めて悠々と引き揚げる。

勝負師は勝った時に止められる人のことである。

勝ったときもっと勝ちたいという我欲を制御できるかどうかにかかっている。

桃介は利子配当を不労所得として忌み嫌い、

相場による儲けを最も価値ある所得として大事にする。  

そして大正時代を代表するのは田附将軍・田附政次郎。

「知ったらしまい」「あまりものに値なし」など数々の名言を残した。

田附は終始三品市場を本陣とし、株やコメに手を出すことはなかった。

田附は相場師と呼ばれることに何の抵抗感もなかった。

「投機の権化」と言われるほどに相場を愛し続けた。

昭和を代表する相場師はヤマタネ・山崎種二。

「鞘種」とも呼ばれ

「市場のごみ」と投機師たちから“ゴミ”のように軽視される鞘を追い求め財を成した。

まさに鞘も積もれば山となる。

ヤマタネはケチ種の異名を冠せられた時期もある。

長男富治にとってはそのあだ名は承服できなかった。

筆者が「ヤマタネはケチではなかった」などと書くと、

山種美術館の絵ハガキで丁重な礼状をくれた。

実際ヤマタネは相場のもうけをいかに社会還元したか計り知れないものがある。

熱海の海岸にある2代目「お宮の松」もヤマタネが寄贈したものである。  

3人の神様に次いでは金貸しで海運業を営む乾新兵衛、

「つけろ買い」の文次郎、“浪華のドンファン”小田未造は相場に大勝、名妓照葉と外遊へ。

理知に長けた「静岡筋」栗田嘉記の敗北には「栗田を殺すなの」の大合唱。

「発明王」寺町博は相場は下手だったが、

相場をこよなく愛し鎧橋周辺に惜しげもなく散財した。

市場関係者にとってはまさに神様のような存在であった。  

 

著者略歴

鍋島高明

昭和11年高知県生まれ。34年早大一政・経済卒、日本経済新聞社入社。

47年商品部次長、58年同編集委員、

夕刊コラム「十字路」「鐘」、朝刊「中外時評」執筆。

日経産業消費研究所、日経総合販売を経て、現在は市場経済研究所会長。

著書に『大番頭 金子直吉』(高知新聞社、第58回高知県出版文化賞受賞)、

『幸徳秋水と小泉三申―叛骨の友情譜』(高知新聞社、第52回高知県出版文化賞受賞)など  」

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