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大げさな物言いは好きではないし、
それにこれ以上観光客が増えても困るので
あまり大きな声では言えないが、
京都に住んでいると、
ここは極楽浄土か!
と感嘆することがよくある。
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それはどういう時か、、、、と訊かれても
言葉に窮するが、
たとえば、冒頭に掲げた写真は、
上段は、春うららかな日の鴨川べり、
下段は、錦秋に染まった秋の日の円山公園なのだが、
このような息をのむような、そして、時間が止まったような光景に出会う
ことが京都では実によくあるのだ。
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もちろん、ニューヨークの摩天楼の夜景を見下ろしたときや、
落ち葉の秋の日のパリのカフェテラスからの眺め、
あるいは、お台場から都心の夜景を振り返って見た東京の夜景など、
「息をのむ」美しさに出会うことは他の都市でもいくらでもあるし、
それはそれで「絶景」には違いないのだが、
残念ながらそれらは「極楽浄土感」、、、、とは程遠い。
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( 続く )
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下の、「死ぬなら、京都がいちばんいい」というのは、
不治の病で余命宣告を受けた小林さんという方が
余生を過ごすために移り住んだ京都での日々の暮らしを綴ったもの。
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「命の終わりを意識した時、いちばん美しく見える都は京都以外に考えられない」
というのは、まさに至言だろう。
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死ぬなら、京都がいちばんいい | |
クリエーター情報なし | |
幻冬舎 |
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以下は、その「死ぬなら、京都がいちばんいい」の内容紹介。
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「 命の終わりを意識した時、いちばん美しく見える都は京都以外に考えられない。
ありそうでなかった。最期の日々を過ごすための、京都ガイド。
著者は2015年7月不治の病の「間質性肺炎」に冒されていると診断され、
余命は平均で約2年半、長くもっても約5年、という宣告を受けた。
突然の難病宣告に恐れおののき、死ぬという現実を見つめ、
身辺整理を済ませ、死と向き合い、最期の時を待っていた。
しかし、友人の「最期に京都に住めば」というひょんな一言から、
大好きな都、京都で最期の時を迎えたいと思い立ち、
埼玉の自宅を捨て、京都に引っ越してしまう。
京都で人生の最後にやりたいこと、食べたいもの、会いたい人、見たいもの。
最期の時のための京都ガイド 」
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「 難病で余命わずか。 生まれる場所は選べなくても、死ぬ場所は選べる。
間質性肺炎を患った著者が人生の最期に京都で見て、食べて、考えたこと。
「銀閣寺」の終焉の美に魅了され、 「哲学の道」の葉桜のはかなさに心打たれる。
人生最期に味わいたい ! 究極の古都ガイド。
第1章 そうだ、最期は京都に棲もう
第2章 「終の棲家」生活の極意
第3章 最期の京都がもたらす幸せ
第4章 京都の街に溶け込んで生きる
第5章 悔いなく人生を全うする智恵
著者について
1954年生まれ。埼玉県北浦和の有名会席料理屋「二木屋」の主人。
薪能の開 催でも知られる同店は、国登録有形文化財にも指定されている。
著述家とし ても活動、絵や書もたしなみ、郷土玩具研究家、雛人形研究家でもある。
著書に『あの世へ逝く力』(小社)。 」
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