2000本の裏側に「小久保日記」あり!
ソフトバンク小久保が、王手をかけてから33日目に史上41人目の200安打を達成。
小久保はプロ3年目の96年から日記を書き続けているという。
日々の練習や試合で気付いたこと、出会った人、本のこと、悩みや苦しみ、喜びなどを。
赤裸々につづった文面から人間・小久保の一端がうかがえるというもの。
2000安打の節目に初めて「小久保日記」なるものを公開した。
その内容は・・
当時の王監督、故高畠打撃コーチに勧められ、始めた習慣だという。
「(王)会長は、現役時代から枕元にメモ帳とペンを置いて、
寝ていて閃いたことを書いていた」というものを見習ったものだそうだ。
96年ごろからメモ魔になって先人の言葉をメモにしたものらしい。
96年2月12日「松永さんヘルメットを深くかぶるという事は高目の視野が狭くなる」
小久保がヘルメットを深くかぶるルーツは史上最高のスイッチ打者と呼ばれる松永浩美。
高めのボール球に手を出さないようまねたものだという。確かに!!
「打席で迷っている」・
「原点に戻ろう」・
「調子が悪い時に取り組むことは…」・
「練習で良かったので試合で雑に」…。
3割で一流打者の世界へ。
等々2000安打までの道のりは努力と悩みの連続だったようだ。
日々の気付きや松中、城島ら後輩への助言も残している。
中でも02年オフには大きな覚悟を決めたようだ。
02年オフ「2004年のメジャーに向けて3割30本30盗塁を目標にする」
このことを当時ダイエーの中内社長に打ち明けたメジャー挑戦の野望。
しかし、準備期間とした03年に右膝重傷。夢を断念した。
03年3月6日「前十字内側じんたい断裂」同3月「Drヨーカムの元で手術」
以降はずっと空白で、
9月18日の「ようやくバットが振れるように…」で再開する。
その後は内面の強さを求める記述が増え。
08年秋は監督交代。育ててもらった恩人の言葉を自分の誕生日に綴られている。
08年10月8日「王監督最後の言葉自分に勝て誇り高き戦士になれ」
秋山ホークス1年目の09年に主将に就任した。
5月12日、13日は調子が上がらない自分を
「あきらめるには早すぎる」とむち打ち、仲間への思いも記している。
6月7日「2試合連続ホームランしかし、最後馬原でサヨナラ負け
彼の痛みはみんなの痛みチームなんだから辛さ痛み喜びを共有する」
8月4日 「大隣にきれた期待する選手だから」
首痛から復帰した2年前に「この日」を意識していたという。
2010年7月10日「第2の開幕2000本安打に向けてただそれだけ!」
記録達成の前日は何て書いたんだろうか??
スポーツ新聞にはこんな記事も・・
和歌山市内の自宅でその瞬間を見届けた母利子さん(65)が息子への手紙を寄せた。
砂山小1年の夏、1度だけ野球をやめたいと泣きを入れた小久保を
「男なら1度決めたことは最後までやり通せ」と怒鳴りつけ、
自転車の後ろに乗せてグラウンドに連行した自分を「鬼親」とも。
プロを目指し青学大に進学する際、
見送りのJR新大阪駅でわんわん泣いた利子さん。
小久保は知らないが、
息子が改札口をくぐった後、こっそり入場券を買い、
新幹線に乗り込む後ろ姿に「頑張って」と声をかけた。
小久保が6歳の時から女手一つで育てた息子の勇姿を見て、
また号泣した。 と言う・・・・・この記事を読んで目頭が熱くなってきたオヤジ
ヤッパリ・・一流と言われる人は
悩みに悩みぬいた上に努力をすることはもちろん
見えないところで努力を重ね
並みの人間が並みの努力では達成できない
大記録を達成するんでしょうなぁ~
おめでとう小久保選手
ご苦労様でした、お母さん。
えっ!!
虎ですか??・・・おかげさまでなんだか調子が好いみたいですよぅ・・
六っ甲ぅ~颪にぃ~・・・颯っ爽ぅぉとぉ~♪~・・・爽ぉ天ん駆ぁけるぅ~・・・~~~
じゃっ・bye2