セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

今年の確定申告

2017-02-24 18:50:51 | Weblog

しばらく書いていなかったが毎年恒例の確定申告の記録だから今年も書いてみることにする。

先日22日水曜日に税務署に行って確定申告書を提出してきた。今までは還付申告なので初めての納税額がでた申告だ。こう書くとこのブログで僕の過去の確定申告の内容見てきた人はいくつか想像するかもしれない。

例えば65歳になったので基礎年金部分が加算されたため所得が増えたとか、還付の元になってた源泉徴収所得税を引かれていた投資信託のブラジルボンドでは利益による分配金ではなく原資の取り崩しの特別分配金が多くなり源泉徴収税が無くなったとか。

いずありえそうだが実際はちょっと違う。だいたい上記のことも逆の現象の要素にもなる。例えば年金について言えば以前には年金からの源泉徴収税額がなかったが28年から徴収されるようになったし、65歳になったので公的年金の所得計算の控除額が増えているが基礎年金がもらえたのは年の途中なので金額増はわずかで控除額を引くと計算される所得金額は大きく減っている。実際27年の公的年金の収入が 1,499,500円でそれについての所得は749,625円だが28年は収入で1,685,236円だが所得は485,236円だ。つまりこれだけみれば源泉徴収税の還付が増えても良いはずだ。またブラジルバンドでは特別分配金は源泉徴収税は取れないがもともと所得には当たらないので総所得が少なくなりそのため株式配当など他の源泉徴収されている所得税が還付が多くなることも考えられる。

正解は昨年ブラジルボンドを売却したた譲渡損があったので株式配当所得と損益通算されたため株式配当からの源泉徴収は取り消されて証券会社から別途僕に帰された。したがって源泉徴収されている所得税は年金からの 5,787円だけ。計算され所得税額は6,585円で、差し引き納税額は100未満切り捨てで700円となった、


金曜日にママンが死んだ

2016-05-24 12:37:56 | Weblog

 

金曜日にママンが死んだ。読んだことはないけれどカミュの有名な小説の冒頭はこのようなフレーズで始まっていたと思う。カミュでは「金曜日に」ではない。

先週の金曜日つまり平成28年5月20日に僕の母は死んだ。行年95歳つまり満94歳で死んだ。かなりの高齢で悪性腫瘍も持っていた母はいつ死んでも不思議ではない歳だろう。ただ母が平成28年5月20日に死んだ事からの一連の偶然は僕自身と母にとって不思議で有り難いこと。だだ言っておくと僕自身が母の死期を早めたのではという疑念も残っているがそれはひとまずわきに置く。

母は月水金土の週四日でデーサービスを利用している。デーサービスが送り迎えをしてくれる。しかしその日は毎月1回に皮膚科の診察があるからデーサービスは断った。ちなみに母は車椅子生活で認知症も患っている。その日午前中に僕と妹は僕の車に母を載せて東部医療センターへ行った。皮膚科での診察だから治療対象の水泡のほかはみない。昼ごろ家に帰り僕は食事をしにまた出かけた。母には妹の作った昼食を僕が戻って食べさせることが多い。妹は食事を作って母を寝かせて出かけてしまう。

さて僕は食事をして少し買い物をしてから午後3時ごろに家にもどった。母はベッドに寝かされていた。僕は母にご飯は食べたかを聞くと「食べた」といったように聞こえた。実際は食べてなかったのだが認知症で記憶の回路が混乱していたのだろう。僕はこんな日にベッドに寝ていたら脱水症状をおこして熱中症になると思い起こして車椅子に座らせて食堂へ運んだ。そこで楽呑みをつかって母の口に水を少しづつ注ぎ込んだ。しばらくすると母は早いテンポで息をし始めた。僕は痰を吐きだそうとしてると思い皿を近づけて「はいてもいいよ」といった。しばらくすると突然静かになった。僕は母が眠ったと思った。僕は母が口を開けて寝ているのを利用して母の口の中を清掃しようと思った。先にスポンジのついた棒でもって口内のゴミや痰などを掻き出すのだ。歯茎や舌の下などに食事の残りかすなどがいっぱいあった。ぼくは15分ほど口腔清掃に夢中になった。そしてきれいになった。だがふと母が全く反応していないことに気が付いた。寝てるなら口にスポンジを入れられたなら嫌がって暴れたはずである。鼻を見ると息をしている様子がない。腕の脈を触って見るとほんのかすかだが感じるものがあるがこれは僕自身の脈かもしれない。そこで119番通報した。救急車がくるまで心臓マッサージをしてくれと言われて、母をベッドに寝かせて胸の上をリズムをつけて圧迫した。しばらくすると救急隊が着いた。まずベットのうえで応急処置を始めた。その時家の電話が鳴った。電話を取ると掛かりつけの内科の先生が数日前の母親の血液検査の結果を知らせて来たのだ。先生は「お母さんは大変なことになっている」という。僕は今救急隊が来たことを話して救急隊員と電話で話してもらうことにした、救急車は旭労災病院にむかって出発した。先生は検査検査結果を病院にファックスした。母はこのごろ食物が喉に通らず無理に食べさそうとしたため誤嚥して肺炎になったのだと思う。調子が悪そうなので数日前に先生の所へ行って血液検査を受けた。たぶん白血球の数が異常に多かったので電話してくれたのだろう。

病院では処置室で40分以上蘇生のための処置をしてくれたが反応がないため17時52分に死亡したことになった。死亡診断書では病院の住所で17時52分死亡したことになっているが、本当は自宅で僕の目の前でこと切れたのだと思う。早速遺体を運ぶため会員でもあった名古屋冠婚葬祭互助会に連絡した。自宅に遺体を運んでもらった。三河の弟は車の渋滞で病院には行けずに自宅で待っていた。葬儀の日程は月曜日が友引なので土曜日に通夜、日曜日に葬儀となった。つまり金曜日の夕方死亡して週末中に葬儀は終わるわけである。僕は勤めてないけどあっ言う間に終わるのだと思った。

ここで先に述べた僕と母にとって有り難いことをまとめてみよう。

一つは、デーサービスを休んでいたので、デーサービスの人に迷惑をかけなくて済んだことだ。もちろん僕が原因で死を早めたのならあの日デーサービスに行っても死ななかったと考えることができるが、先生の話では検査の結果危険な状態にあったのでデーサービスで死んだ可能性も高い。

二つ目は、もし僕が帰るのが遅かったのなら母はベッドの中で一人誰にも看取られず死んでいったかもしれないが、そうはならなっかった。僕の目の前で死んだ。また夜ならだれにも知らない間に死んでいたということもある。それからあの時にまだ病状がはっきりしていなかったら、翌日の土曜に僕はデーサービスに母を送り出してから雀荘に行って友人たちと麻雀をしていただろう。そうするとデーサービスからケータイに電話掛かってきたら大騒ぎになっていただろう。

三つ目は。自宅で死んだ場合警察が検視するらしい。そうなると週明けの月曜まで検視ができないと思うから葬儀それ以降となる。そうなるとわれら遺族も待つストレスが高いだろう。実質は自宅で死んだのだが心肺停止だけでは死んだことにならないのだろう。蘇生する可能性がなくなるまで死んだことにならなかった。また先生が検査結果のファックスを病院に送ってくれたので死因の「肺炎」に病院の医師も何の疑いを持たず警察への連絡もない。

四つ目は、僕は知らない間に母に末期の水を与え、死出の旅立ちの準備のため口腔の清掃をしていたことになる。母のために功徳になること意図しなくてしていたとしたらこれは有り難いことというほかはない。

でもどうだろう。ぼくがベットから降ろさなければ、母は寝たままのほうが呼吸が楽だったかもしれない。車椅子に座らせて水を与えたことで母はおぼれ死んだとしたら僕が殺したことになる。母の死の形相は穏やかで眠ったようにしか見えなかったがおぼれたかそうでないかは本人に聞かなければわからない。もし僕が死を早めたとしても残りの日々は病院でチューブで生きながらえるだけだ。だからどのみちこれでよかったのかもしれない。

でも「末期の水」って不思議だな。だれが末期とわかるのかな。病院の医師は常に延命しようと努力しているかもしれないのに。僕が与えた水が末期の水なら、母は水が入ってきたので死を悟って自ら逝ったのかな。それとも本当は死ぬ間際の人は水を欲しがるが、水を飲むと死ぬのかな。


今年の確定申告

2016-02-09 22:33:51 | Weblog

 

昨日2月8日に名古屋北税務署に確定申告書を提出してきた。

そんなわけで今年も確定申告書の内容を記録する。

毎回言っているけど確定申告の申告期間は2月16日から3月15日までだけど還付申告はそれ以前でもそしてそれ以後でもできる。僕の確定申告はいつも還付申告だ。

僕の所得は共済年金をはじめとする雑所得と配当所得だけ。働いていないので給与所得も事業所得もない。だから共済年金と配当から源泉徴収された所得税を取り戻す確定申告になるのだ。

 

さて平成27年中の年金収入は共済年金の1,499,500円で源泉徴収税額は17,592円である。月になおせば12万円ちょっとである。僕は定年の60歳より少し前にやめていたから定年退職者より共済組合加入年数が少ない。大卒だから高卒の人よりさらに4年少ないことになる。つまり7年ぐらい加入年数が少ない。僕は係長でやめたけど主事のひとでもワタリといって定年までには係長級の給料になるので、だいぶ他の人より年金が少ないと思っていた。だけどあと2年で定年の友人の年賀状には年金の予想額を計算してもらった62歳から月8万円ぐらいと書いてあった。主事で大卒だけど定年まで勤める計算である。社会情勢の変化でこれから退職する公務員の年金が減らされているのだろうか。休職期間があるのが響いているのだろうか。僕の金額の3分の2とは解せないことである。

 

雑所得には他に拠出型企業年金がある。つまり毎月給料天引きで積み立てておいて60歳から生命保険会社からもらうものである。それが660,324円。月5万円ぐらいだが3か月分をまとめてもらう。源泉徴収はされていない。積み立てたお金523,980円が必要経費になるので所得としては136,345円だ。あと満期になった生命保険のすえ置き金についての利子1円が雑所得となる。

 

さて配当所得である。配当所得は証券会社から送られてきた特定口座年間取引報告書を資料として添付して行う。添付せよとは書いてなっかった気がするが僕は添付した。僕の今年の正確には平成27年分特定口座年間取引報告書には例年にない記入がある。それは株式の譲渡にかかる所得だ。つまり株の売買による所得だ。でも僕は株の売買による利益で生活してるわけではない。そんな才覚はない。去年、花王の株300株を売ってキヤノン株を400株買ったのだ。花王の株が大きく上がっていたが、いつまでも上がっているとは限らないのでここらでそれを売ってその金で配当の良いキヤノンの株を買ったのである。僕の目論見では花王株300株とキヤノン株400株はほほ同じ金額のはずだ。ところが証券会社から十数万円不足だといわれてその金額の工面に苦労した。花王の売買益から税金が源泉徴収されているからである。ちなみに花王の売買の収入は1,588,500円で株の取得費用は838,951円で差し引きの譲渡所得は749,549円である。つまり買った時の倍近い金額で売ったことになる。譲渡所得749,549円にたいして源泉所得税は114,739円、住民税は37,477円である。そんなわけで僕は源泉所得税を取りもどそうと考えたが、これは分離課税のままで確定申告できないのだ。ただ損失があれば損益通算のため確定申告に載せれるが僕の場合は関係ない。

 

では確定申告した所得を並べると、まず株式配当は372,800円。源泉徴収税は57,092円。元の株はキヤノン株が2400株。途中で売った花王株が300株。中日本興業が200株である。キヤノン株は昔から持っているが1000株単位の時に1000株買って、その後100株単位に変わったときに自動的に1500株に変わった。退職後の一昨年ぐらいに500株買って2000株になった。ああその時花王の株を300株かったのだ。200万円の金融商品が満期で降りてきたからそれでキヤノン株を増やし花王株を初めて買った。そして去年花王株を売ってキヤノン株を400株で合計2400株だ。

 

投資信託はダイワブラジルボンドとニッセイアジア好配当の2種類.

配当額は654,200円で源泉徴収所得税は100,178円。ただし手元に振り込まれたのはこれに特別分配金863,800円を加えて1,518,000円となる。12で割ると126,500円になるが実は最近はそんなにもらっていない。その半分以下。というのはブラジルボンドは数年前は毎月15万円ぐらい配当があったが最近は3分の1になった。しかもその配当も資産の取り崩しの特別分配金が大半だ。ブラジル経済が最近不振だからこうなった。このブラジルボンドの配当の激減は僕の生活を非常に困窮させている。

 

所得金額は、配当が372,800円+654,200円で1,027,000円。雑所得は749,625(共済年金)円+136,345円(企業年金)+1円(据置金利子)で合計 885,971円のはずだか国税庁のホームページを利用して確定申告書を作成したら1円は削られて885,970円。総所得は1,027,000円(配当所得)+885,970円(雑所得)=1,912,970円。控除額は861,751円で課税所得は1,051,000円。それに対する税が52,550円。配当控除が37,280円だから差し引き15,270円。それに320円の復興特別税を加えて税額は15,590円。源泉所得税の合計が174,862円だから差し引き159,272円が還付になる。

 

なお配当控除は株式配当だけ。外国債券に投資している投資信託には配当控除はない。

それから株式譲渡益は源泉税だけで申告不要だが、大金持ちも源泉税率は同じだから彼ら富裕層には儲かっても有利だろうし、損したら損したで本業との損益通算の確定申告ができるから有利だ。


映画鑑賞ノート『杉原千畝』

2015-12-19 16:23:00 | 歴史

 

14日の月曜日、映画館で『杉原千畝』を見てきた。映画を見る以前と後では杉原千畝氏とその生涯についてイメージが少し違ってきたのでここにノートする。まあ正確に言えば杉原氏と外務省についてだ。

以前の僕のイメージというよりは世間の通説では外務省の訓令に違反してユダヤ人難民にビザを発給し続けたたため外務省に解雇されたというもの。

「訓令違反」をどうとるかだが、外務省はユダヤ人にビザを発給してはいけないとは言っていない。単純に3項目の基準を順守せよと言っている。これはすべての外国人についてに当てはまる通常の原則だ。つまり日本滞在中に必要なお金を所持しているか。日本を通過した後の行く先はあるか。とあと一つだ(ちょっと忘れた)。つまり通常通り処理せよと言っているだけだ。日本の外務省としては同盟を結んだナチスドイツも気になるが、国際連盟などで人種差別反対を主張してきた日本としてはユダヤ人排斥は絶対にとれないわけだ。

だから杉原氏は映画の中で「外務省に禁止されたわけではない。でも勝手にやった」と言っている。形式的に確認すべき日本の後の行き先はオランダ領事がカリブ海のオランダ領の島へのビザを出している。それが全員に出されたかとか、お金を持っているかとかの確認は領事である杉原氏の裁量行為だから、杉原氏が判断したなら外務省は文句が言えないはずだ。

杉原氏は訓令違反で外務省を首になったのではないことは、リトアニア領事館が閉鎖された後に本国に召還されて懲戒をうけることもなく、次のドイツ国内に転勤したのでわかる。

ではなぜ杉原氏は戦後外務省を首になったのか。それは彼が単なる外交官ではなくてスパイ活動を行っていたからだ。満州での対ソ活動やドイツ国内での情報収取もある。もちろんリトアニアでも情報収集をしていたはずだ。映画ではポーランドの亡命政府関係者を運転手に雇って協力していた。すでに戦前から杉原氏の活動はソ連にも知られておりソ連から好ましからぬ人物として入国を拒否されていた。

敗戦国日本は講和条約を締結するにあたり主要な連合国であるソ連にスパイ活動をしてたとされる人物を外交官としておいておくことは非常に都合が悪いわけである。だから杉原氏は戦後外務省を首になったのだと思う。

映画の冒頭で、戦後の外務省の役人が杉原千畝という人物は過去にも現在も日本国外務省にはいないといったのはこういうわけだと思う。懲戒解雇なら懲戒解雇されたというはずである。

でも鈴木宗男氏によると杉原氏自身は「ビザ発給でクビになった」という認識でいたらしい。

終戦直後は外務省は大幅な人員削減があり、杉原氏も退職届をだして依願退職をしている。だから外務省も以前は杉原氏はビザの件で首にしたのではないという見解だった。

杉原氏自身は「事務次官からビザの件の訓令違反でクビだ」と言われたらしい。しかし僕が思うに人員削減をしなくてはならない事務次官が退職させるために、役人としてはにがにがしい出た杭である杉原氏についそう言ってしまったのだと思う。逆にそういわないとビザ発給を手柄のようにしてアメリカ占領軍に通じられたら扱いに困ることになる。

だから鈴木宗男氏の見解と異なり、スパイ活動が原因だと思う。映画もそうした視点で描かれていると思う。

もう一度言うと、スパイだったから外務省は存在を否定した。訓令違反ではない(禁止の訓令はなく、ビザ発給は領事の裁量行為だ)から本省に召還されず次の任地に赴いた。


核酸と本棚

2015-12-02 18:56:27 | Weblog

 

さて久しぶりに書き込むのだから近況から行くか。

アトピーは相変わらず医者に通っている。でも変化がないかといえば気が付くと今は手にはあまり出ていない。まだ手の甲や指間の皮がめくれたりしているところがあるが痛くはないうえ手のひらはきれいになったのででこうしてキーボードを触れる。これは「核酸」をのみはじめたせいかなとも思える。僕はいろんなサプリを飲んでいる。月数万円は買っている。アトピー関係では乳酸菌のアレルケア(カルピス)とラクトフェリン(森下仁丹)がありもう何年も飲んでいるが効果を感じない。最近飲み始めたのは「核酸」だ。

 

しかし「核酸」に注意を向け始めたのはアトピーからではない。ある日テレビを見ていたら「脳内核酸」の宣伝をしていた。それは老齢化に伴う知能低下を防ぐというもの。コマーシャルに出てくる実例の人は60代・70代の人が軒並み30代・40代の脳力を示した。まだ飲み始めて数か月の人もいる。注文すると脳の力を測る問題集もつけるという。これは低下を防ぐどころか回復させている。あまりに調子が良すぎる話なので眉に唾をつけたくなった。でも興味深い話しなので毒ではなければと値段をみたら少々高い。でもDHAEPAも含まれているので、これまた高いサントリーのDPAEPAをやめれば釣り合うかとも思ったのだが、サントリーのものはセサミンが含まれているのでサントリーはやめづらい。そうこう考えているとインターネットで核酸はアトピーにも効果があることを知った。

そこでよく利用するスギヤマ薬局に行ったが核酸はテレビで見たのも含めて全く売っていない。DHCのものはあるかと思っていったのだが。インターネットでAmazonをみると健康応援団が「核酸(DNA&RNA)粒」を出していたので早速注文した。それが2週間ほど前。それで手を最近見るとかなりの改善している。足の脚も改善している。ただし臀部がやや悪化している感じ。だから周期的なもので核酸は関係ないかもしれないが。

なおアトピーだけではなく老人性の乾燥肌も考えられるので保湿剤も使っている。ティモティアの保湿クリームを使っている。医者の処方してくれるクリームより僕にあっている気がする。

 

次に本の自炊(スキャナーによるpdf化)の話。つい2週間ほど前に最後のセイリング式の本棚3台を分解して名古屋市の環境局の大江工場へ自己搬入した。これで一時は20台ちかくあったセイリング式本棚は洗面所で別用途につかっている1台を除いてすべてなくなった。セイリング方式というのは、本棚は一般的には倒れにくいように本の幅よりもかなり広くして底辺を大きくするとともに高さは人の身長程度にとどめている。セイリング方式は本棚上辺から腕をだして天井(セイリング)を抑えて倒れにくくしたもの。これにより本棚の奥行は小さくなり段数も増えるので場所をあまりとらず多量の本が収納できる。セイリング方式の本棚がなくなったといっても蔵書すべてが電子化されてなくなったのではない。ゼンゼン。書庫室には普通の本棚やロッカー式の本棚がまだある。また家の外の貸しコンテナのなかにもまだ本がある。さきに本棚がなくなって行き場のなくなった本も床に転がっている。スキャナーするには適さない本もあるから完全な無本化は無理だが、早く減らして貸しロッカーはなくしたい。料金が痛くなってきた。


スピードが出てないスピード違反

2015-10-05 17:05:21 | Weblog

ついさっきつまり午後4時ごろ速度違反で警察に捕まった。

ひさしぶりに書き込むのが、突然にこんな話題になった。アトピーで手が荒れているのと、毎日本の自炊(スキャンでpdf化)をしてもきりがないのとですっかり書き込むことが億劫になっていたので、こんなことがあった勢いで書き込むことしかできない。

さて道路を普通に走っていたら警官が出てきて止まるよう誘導する。当然何だろうと思うがスピード違反とは全くの自覚がない。だから一体なんの検問ですかと聞いてしまった。そしたらスピード違反というではないか。何キロ出していましたかと聞いてくる。え、普通に走っていて速度なんかは気にしていないし、もちろん飛ばしていた意識もない。スピードガンによると速度は57キロだそうだ。でもこの道路は制限速度40キロだそうだ。そんな標識を見たことないし、付近に学校もない、単なる通り抜けに便利な直線道路なのだ。そんなわけで17キロオーバーとして12000円の罰金だ。警察はこの場所にスピードガンを構えて網をはっていたのだ。

でもあの道が40キロ制限とは思わなかった。また言わなかったけど20キロ未満なら大目に見てくれるのではないのか。

思うに警察は成績稼ぎのためにあの道を40キロ制限として(でもそんな表示あったかな)反則金のノルマが不足するとあそこに出張って網をはるのでないのかな。獲物だから大目にみてくれるわけはない。かくして57キロでスピード違反として12000円とられることになった。

ミッドランドシネマ名古屋空港からの帰り道だった。ふつうは別の道を通っていたが、今日はいつもの道が狭く起伏があるからふとこの道を通ったのだ。変な予感がして事故を避けるために道を変えたらスピード出した実感がないのにスピード違反となった。

僕は変な予感が働くことが多い。いい予感では麻雀で積もる前に上がり牌を積もることがわかることがある。でもめったにないけど。逆に今回のように誰かに期待されている罠にみずから引かれていくこともある。予感の識別ができたら無敵なのに。


パソコンの買い替え

2015-05-05 23:27:54 | Weblog

先日書くのを忘れたけどもう一つ報告することがある。それはパソコンを買い替えたこと。パソコン内のハードディスクが一杯になり自炊のためのスキャナー操作に障害が出てきたのだ。スキャナーでできた本のPDFファイルが収納できないというより以前に1冊をスキャン中に「メモリー不足」の表示がでて止まってしまう。その時はそこまでをファイルにして、それ以後のページはあらためてスキャンにかけてファイルを作ったあと合体した。スキャナーは処理中にハードディスク内の空き容量を使うらしい。

以前にもこうしたことがあった。その時は古いメールを全て捨てて、本のPDFファイルの読んでしまったものや取っておくだけでiTunesに関連する必要のないものを外付ハードディスクに移したり、ハードディスクをクリーアップして空き容量を作り出した。今回も同じことをした。しかしそれももう限界に近いと思うに至った。

根本的な解決はハードディスク容量の大きなパソコンに買い換えることだが、使っていたパソコンの1TBを超えるパソコンはみつからなかった。

さて先週か先々週にふと思い出してインターネットで見てみたらNECPC-DA770AAB3TBのハードディスク容量があった。他にはこの容量のものは見当たらない。

ジャパネットのサイトで見つけた。さっそくインターネットで注文した。金額は183,384円。設定とかは頼んでいないからパソコンのみの税込料金だ。この機能で高いか安いかはよくわからないけど僕にとっては大金だ。支払いはカードだ。口座から引き落とされる日までに何とかしなくちゃならない。ところが先日ダイエーに行ったときYMADA電気をのぞいてみると同じく機種が「現品限り」だが139,000円の表示の上に線が引いてあるのでまだまだ安くなるらしい。かりに139,000円の値段とするた消費税込で150,120円になり3万円以上余分に支出したことになる。ああインターネットで見たときすぐ買わずにYMADA電気まで見にゆけばよかった。車ならそうかからないのに。

ところで新しいパソコンの画面には戸惑った。以前のものよりだいぶ違う。NECのものだからかと思ったがWINDOWSの新しいものらしい。だいぶ変わっているので戸惑った。てさぐりでやっと使い方がわかってきた。データの移し替えは外付ハードディスクを使った。でも一番こまったのはフリーセルがWINDOUSについていないことだ。探し出してフリーセルを呼び出してみたが画面がショボイものだったのでやる気がしない。他の添付ゲームも見当たらない。ゲームはXboxのものに固めてしまったのか。


最近の近況

2015-04-29 19:20:14 | Weblog

最近の近況から書いてみよう。実はAppleのWatchを買った。もちろん値段の一番安い42800円(税別)の物だ。AppleのWEBサイトからインターネットで買った。注文したのは4月17日(金)で画面では6月出荷予定になっていた。「なるほど初回発売分はもう売約済みなので今頃の注文は6月までになるのか」と思った。ニュースでは品薄感をだすため初回発売分を抑えているとのことだ。ところが1週間後の4月24日(金)に我が家に届いた。たぶん発売初日ぐらいだ。そうなると「あまり売れていないのか?」とも「品薄感を出すという姑息な手を使わずに初回出荷数量を十分手当したのかな」とも思う。

ところでなぜWatchを買ったのか。僕を知る人は「歳をとっても新しいモノ好きは治らないねえ」言うだろう。でも「新しいモノ好き」で浪費しているのではない。ちゃんと理由がある。

僕は腕時計を持ってはいるが通常はしない。金属バンドが気になるし夏だと金属アレルギーか汗ものせいで腕のバンドの下が腫れるからだ。だから時間は携帯(iPhone)を取り出してみることにしていた。しかしこれがやや手間がかかる。そんな不便を感じていた時にWatchの発売を知った。バンドは種類によって違うが一番安い機種では合成樹脂だ。これなら使えそうだと買うことに決めた。だから理由があるのだ。

実際に使ってみて腕につけてもあまり気にならない。それに良い点はと言えば、スマートフォンに電話がかかってきたら教えてくれることだ。スマートフォンンは机の上だが自分は別室にいたときWatchが教えてくれた。車の運転をしているときに電話がかかってきても騒音などで気が付かず何時間後に電話があったことを知ることがあったので、そんな時に助かるかもしれない。

でも不思議だが僕の腕は細いことには若いときから自覚があった。バンドは一番細いのではなく真ん中の物を指名した。そしたらそのバンドの最大のところでピッタリだ。僕より腕の細い人がそんなにいるのかな。ところでバンドの止め方は穴に突起を差し込むもの。これは使いやすくて皮膚への刺激も少なくてよい。

 

次に僕の左腕の故障について述べよう。もう一か月以上前になるが左腕のひじに瘤(こぶ)があることに気が付いた。まったく痛みがないのでいつからあるのかはわからない。さっそく整形外科にいったところ水がたまっているらしい。骨もいたんでいるらしい。左腕のピッチャーでもあるまいし。さっそく注射器で水を抜かれ、氷で冷やして包帯を巻いて患部を圧迫した。左腕を曲げないように言われで最初の3週間は週2回、最近は週1回病院に通うことになった。でも左腕でもまったく曲げないことは不可能。ボタンを締めるにも両手を使う。この文をパソコンでうつにも左腕を伸ばしてはできない。注射で2回水を抜いたしステロイド注射も患部に打った。なおステロイドについては整形外科の人も漢方の先生も局部だから大丈夫と言っていた。脱原発と脱ステロイドは僕の原則だから。いたくはないし今は水をぬいたから肘はぺちゃんこだけど、やはり感じがおかしいのでまだ治っていないのかな。これで困ったのは組み立てマガジンの「マイ3Dプリンター」と「週刊『ロビ』第3版」が1か月以上組み立てられないこと。ともにデアゴスニーニから2週間ごとに2週間分送ってくる。あ!デアゴスニーニにはドローンの組み立てマガジンもあったけどそこまでは手が回らないからそれには興味はあったがとっていない。でも取っていたら警察からマークされていたかも。破壊活動か覗き行為か。そんなわけないか。でも3Dプリンターで拳銃も作れるかも。


スキャナーの買い替えと確定申告

2015-02-13 22:46:56 | Weblog

さて久しぶりに書くか。例年ならこの時期は確定申告の報告だがもちろんそれもあるがそれは後にして、自炊の報告から始めよう。実は昨年末から今年1月末まで自炊は中断していた。それは使っていたスキャナーのキヤノンDR-C125の調子がおかしくなった。画像の一部が歪むのだ。以前にも同じことが何度もあったがその度にいろんなローラーを取り替えたり取り外して清掃したりして問題を解決してきた。ところが今回は今までのやり方では直らなかった。思うに取り外しのできない一番下のグレーのローラーの裏側に紙の粉がたまっている可能性が大である。ローラーを取り外せないのだからスキャナーを分解して内部から清掃するしかないがネジ等は見当たらず分解方法が分からない。かくして代わりのスキャナーを買うことにした。だが同じ機械の中古ではすぐ同じ状況になる可能性がある。あ!修理に出せばいいというかもしれないが、3~4万円の機械を修理にだして1万円ぐらいと思われる修理費を出すのはこれもバカらしい。またこのスキャナーはAmazonで買ったので販売店を通すことはできない。

そこでAmazonでDR-C125を物色するとすでに新型の後継機が出て入るではないか。DR-C225Wである。値段が手頃ならば買おうと思ったが、驚いたことにはおなじAmazon内の出品でありながら値段が¥37,200から¥91,080まで4つぐらいに分かれている。型式は全て同じだから同じものである。当然に僕は¥37,200を注文した。すぐに届いたがもちろん新品だ。

DR-C125には満足していて完成度が高いと思っていたが、DR-C225Wはさらに使い勝手が良くなった。

一つはカラーと白黒(グレイスケール)の切り替えが簡単にできる。DR-C125では切り替えができたかもしれないが僕にはわからないので全てカラーでやっていた。エプソンの時は切り替えができたのでエプソンの時より記憶容量は大きくなっていたと思う。しかしDR-C225Wでは本文を白黒にすると速度はぐっと早くなる。そのうえで表紙をカラーでスキャナーしてPDFソフトでくっ付ければ完成だ。

二つ目は重送するとDR-C225Wは警告文を出して停止する。だからその場で重送した紙をもう一度入れ直すことができる。なお以前は白紙のパスを設定していたが、小さな題字だけのページは白紙だと機械が思って飛ばしてしまうので、必要なページは全てスキャナーしているか気をつけて見なければならなかったが、今は白紙を含めて全ページをスキャナーして後から白紙ページを確認して削っているからより確実となった。

このほかにWiFiができるらしいが僕には関係ない。ともかく買って正解だった。DR-C125 はよくぞおかしくなってくれた。使わなくなったDR-C125はハードオフに持っていった。もちろん「画面がおかしくなる。多分機械を分解してオーバホールしたら直る」と伝えた。そしたら値段は付かないという。もちろんそれでいいが、分解掃除したら直るのにハードオフでは分解掃除するのかなぁと他人事ながら心配になる。

さて確定申告だ。本日2月13日に名古屋北税務署に確定申告書を出してきた。いつも言うようだが還付申告は確定申告期間(2月16日から3月16日)より前でも提出できる。

さて今年の還付予定は¥193,661である。助かる。去年は¥132,978だからだいぶ増えている。一番の原因は源泉徴収される税率が10.147%(国7.147%、地方3%)から20.315%(国15.315%、地方5%)に増えたからだろう。つまり源泉徴収される率がふえても本家本元の所得税の税率が変わらなければより多く戻るということになる。このほかに株の数だが昨年中に少し増えたから源泉徴収税もその分増えたこと関係あるだろう。所得税率5%の段階の人間が国税では15.315%も天引きされている上に配当控除もあるから株の源泉徴収税の国税庁は大部分もどってくる。

ところで投資信託だが今回国税庁のホームページで確定申告を作成していて、外国に投資する投資信託には配当控除がないことに気が付いた。あれ?以前の記憶では株よりはすごく低いが配当控除があったが気がする。でも税制改正の表示がない。昨年は僕が誤って配当控除をつけたのかな。そうすると本来より多い税の還付うけたことになる。しかし昨年も国税庁のホームページに従って確定申告書を作成したのだしこちらの計算通りに還付をうけた。僕の記憶違いか?このごろ齢のせいか記憶があいまいなことが多いかそのせいか。

ところで昨年よりつまり25年分確定申告より今年つまり26年分の方が総所得で40万円ほど減っている。所得が減っている…税額が減る…還付金が増える、ということも考えられがそうとは限らない。総所得が減った理由ははっきりしている。投資信託のブラジルボンドの毎月の分配金が2/3に減ったからだ。つまり一単位120円だった分配金が90円になった。大雑把にいって毎月15万円受け取っていたものが10万円になった。これには困った。だから今年の還付金が多そうなので「助かる」と言ったわけ。ただ投資信託の分配金は所得となり源泉徴収されているだけでなく、元金をくずして支給するから所得にはみなされず源泉徴収もされないものもあるから単純ではない。でもともかく所得金額が40万円下がっていることも確かである。これは源泉徴収の元もへっていることになる。まあ投資信託が40万円へっても残りにかかる源泉徴収税額が倍になっているから総所得は減っても源泉徴収税額は増えて、本来の税額は減るのでより多く還付になる。


神は生まれた

2015-01-06 17:02:19 | 文化

あけましておめでとうございます。

さて新春最初に何を書くかといえば、前回の映画『神は死んだのか』で取り上げられた神の実在についての問題だ。映画ではあまりにも無神論者を戯画化して描いている。映画で言うような神に幻滅した者が神を憎んで無神論者になっているばかりではないと思う。ダーウィン主義者のドーキンスは『神は妄想である』という刺激的なタイトルの本を書いたが、多分キリスト教原理主義者が執拗に進化論に反対するので反撃したのだと思う。理論的結論で神を信じて幻滅したからではないと思うが。伝記を読んだわけではないから断定できないが。ホーキングは難病にかかっているから神を頼って幻滅したと思われやすいがやはり学問的帰結だろう。だからこの戯画的なこのキリスト教的有神論のプロパガンダ映画を皮肉った。

だから誤解されるかもしれないが、僕は神の実在を信じている。ただし学問的に神の実在証明はできないとう言う不可知論の立場だ。映画では不可知論者を無神論者と同じ意味に扱っている。アメリカではそのようにとられる場合多い。しかし不可知論自体は科学や哲学では神の存在非存在を証明できないと主張しているのにすぎない。おなじ不可知論者でもカントは神を信じているし、ラッセルは無神論に近い。

神について哲学として語るなら不可知論こそ合理的かつ現実的だと思う。もしも人間が超高性能コンピュータで仮想空間内にその仮想空間内を全世界とする思考する知的生命体もどきを作ったなら、その生命体もどきは自分と世界の本質を証明できるかな。もちろんいろんな可能性を空想することはできる。われわれの世界に「世界が5分前生成した」という説のSF小説があるようにあちらにもいろんな説がでるだろう。だが証明はできない。彼らの世界の物理法則はこちらが設定したもの。彼らが無限の空間と思っているものはこちらから見れば無に等しい。彼らがよりどころとする前提はこちらが設定したもの。

このようにコンピュータ内の仮想知的生物体が自分たちの世界の本質を決して証明出来ないように、われわれも神の存在を証明出来ない。その証拠に数学では「不完全性定理」というものがある。聞きかじりで正確ではないかもしれないが、数学の世界では全く矛盾のない定理の体系は存在しないそうだ。全てを証明しようと思っても証明しきれない部分がのこる。証明しようがないので逆に証明の必要のない公理として話を進めるしかない。たぶん神様がそう決めたのだろう。アレ?これこそ神の存在証明かな。これは冗談。

では不可知論のラッセルが『私はなぜキリスト教徒ではないのか』という本を書いたのに倣って「私はなぜ神を信ずるのか」を書くとしよう。私の有神論はかの有名なパスカルの「神があると前提して生きた方が有益」という功利的なものではい。ぶっちゃけ身の周りに不思議な事が起こるからという原始時代から現代まで続く素朴にして非論理的ではあるが最強の論駁不能の理由だ。論駁不能と言っても他人から見れば「たんなる偶然」とか「思い込み」とかたづけ可能だが、本人が受け入れない限りは何の論駁にならない。

いつの頃からか「むやみに欲しなければ必要なものは必要な時に手に入る」(ただしいつもギリギリだけど)という確信を持つようになった。また「ふと思ったことは実現する」とも感じるようになった。「問題はねかせておけば解決策が向こうからやって来る」もあるな。以前は何度か「今までは偶然にもうまくいったがこれからはそうはいかないことも当然ありうるのでは?」とも思ったが、その後もなんども「今までは・・」とも思っている自分に気がつき結局ずーっとそうなのだと思うようになった。これは明らかに学んできた無神論・唯物論哲学と矛盾する。肝心なのは本当に当面必要としないものを欲しないことだ。なんかこれは「明日のことで思いわずらうな」とか「野の花」の例えとかの聖書を思い浮かぶ。

僕には家を建てたとき、雪景色の絵で家中を飾りたいということを思いたった。さっそくブリューゲルの『雪中の狩人』の複製画を注文した。機械で絵具の質感のある複製画を作るものでサイズは自由に注文できる。そのあとも東山魁夷の雪の中の木を描いた絵の複製画など何点か購入した。しかし気にいったのに購入をためらった絵があった。パリの冬景色を描いたものだ。スーパーの臨時の展示販売のものだ。20数万円の値段にたじろいだ。そんな金は現金でも預金にもない。退職金の残金は無くなって投資信託と共済年金が入るまでは金がない。そこで逡巡したわけだ。今ならカード利用で直ぐ買うかもしれないがその時は思いもしなかった。2・3日後に行ってみると展示販売はまだやっていたがその絵は無かった。きっと誰かが買っていたのだろう。それから月日が流れ再び別のスーパーだと思うが絵の展示販売があった。そこでノーマン・ロックウェルの彼の故郷の町の雪の風景があったのでカードで買った。ノーマン・ロックウェルというのはアメリカの近代画家で人物画が有名だがこれは風景画だ。もちろん原画ではなく許可を得て限定数作成された複製画だ。その絵を部屋に飾りながらまた思い出すのはあのパリの風景画。だれかの家に入っているならもう二度と会うことはないが残念だ。こんな風に思いながらいるとあの画商から手紙が来た。これから展示販売するスーパーの予定表だ。ふとみるとエアポートウオークがある。ここは映画館のミッドランドシネマ名古屋空港と隣接しているので食事場所として週2・3回訪れているところだ。その後エアポートウオークに行ったときに絵の展示販売にであった。ああ手紙にあったのだと思いながら展示された絵画を見た。するとパリを描いた4枚組の絵の中に1枚冬景色があった。割といい絵だが4枚セットで40数万円する。僕は縁なきものとパスをした。その数日後に画商から電話がかかってきた。昔僕が雪景色の絵を集めていると言ったので電話をかけてきたのだ。「かわいい雪景色の絵があります」「かわいい絵。あの雪の中の木の単色の版画の絵?数千円だったけど買う気はないよ」「いやいやパリの4枚組の絵の1枚です。上と話して1枚だけで売る許可を得ました」さっそく車を飛ばしてエアポートウオークに向かった。そして10万円ちょっきりでカードで買った。この絵はリトグラフで150枚同じものがありこれはその43枚目だ。さっそく部屋に飾って眺めていると、アッと気がついた。これは買い逃したと思っていた絵ではないか。リトグラフなのだから同じものが何枚もあるからこうして手に入った。でもこの間「ああ欲しかったな。買った家が何かで手ばなして回り回って手に入らないかな」とも思っていたのも事実。ああ神(仏)は実在する。

ところで実在する神はどのようなものだろう。映画『神は死んだか』では、無神論者側が宇宙や生物の発生について自発的発生論を使い、有神論側が知的デザイン(設計)論を使う。でもオーストリア学派経済学では「自発性」を重視して社会の設計主義を排斥する。となるとオーストリア学派に心をよせながら有神論者の僕はどうなるのか。お答えします。我が宇宙論及び神の存在論は以下の如し。

映画『神は死んだか』では、「神が世界を作ったのなら、神を誰が作ったのだ」という発言が出てきた。徒然草に同じような話があったね。僕は宇宙論発生についてはホーキングの自然発生説に同意する。神はどうなるって?自然発生した宇宙が神になったのだよ。

宇宙には光速を超えるものはないという。物質でも情報でもだ。しかし例外があるらしい。ひとつの粒子が分裂すると分裂した粒子は遠く離れていくが、片方の粒子に変化がおこると同時に他方にも変化が起こるそうだ。これは同時だから光速を超える。また宇宙の物体は重力で引き合うが、全宇宙の物体がそれぞれ互いに引きあっているらしい。とすると全宇宙の物質は情報を共有する量子コンピュータになってきたと考えることも現実的だ。瞬時に情報が宇宙全体の伝わるシステムができたのだ。ここに神が生まれた。我々の思考は原子・分子段階の化学反応によっているが、そのさらに深い段階で見守っているものがありそれは全宇宙と繋がっている。どんな稀なる偶然を全宇宙の量子コンピュータなら簡単に計算でき設定できる。

あ、こんなことを書くと僕が順風万般の人生みたいに聞こえるかもしれないがそうではない。え?出世していないことは知っているって。いやいやそういうことではない。自分が管理職にむかないことは百も承知だ。陽明学者は外部的な尺度を用いない。そうではなくて、「こうすればよかった」とか「こういう偶然がなければ(あれば)いいのになあ」ということや恥ずかしきことも10ぐらいすぐ思い浮かぶ。でもそういうことが人生でないということはありえないだろう。ただきままに注意力に欠陥があって多動するこの僕が他人の命に係わることや仕事や職場にパニックを起こしそうことは辛くも避けられた。それだけでも神は存在する。