セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

映画鑑賞:『オオカミは嘘をつく』と『神は死んだのか』

2014-12-18 20:15:21 | 文化

今週の初めにメジャーでない外国映画を2本続けて観た。遅まきながらその感想を書いておく。しかし申しわけないがこれらの映画はどちらも明日金曜日までの上映なので、もし見たい方がいても見るのが難しいだろう。実はもっと前に書きたいと思ったが「東郷哲也氏の落選」がこれも旬の話題なのでそちらを優先した。

『オオカミは嘘をつく』は名古屋の栄のセンチュリーシネマで15日月曜日に見た。『神は死んだのか』は翌16日に同じく名古屋の栄の名演小劇場で見た。なぜこうなったかというと、月曜日に栄にある漢方医院に行ってその後に『オオカミは嘘をつく』を観たわけだが当初はその予定ではなかった。医者に行く前に栄に行くのだからついでに付近の映画館で観る映画はないか調べた。その条件は日ごろ車で行くミッドランドシネマ名古屋空港で上映していない映画であることと、医者に行った後で見てから午後4時までに自宅に帰れることだ。まず『神は死んだのか』が目に付いた。その哲学的内容に興味があった。しかし上映時間が医者に行く時間と重なり月曜日に行くのは不可能。しかしどうしても見たかったので火曜日に行くことにした。その他の栄付近で上映している映画も医者に行った後では4時までに帰れそうもなかった。

月曜日に医者に行ってその後に薬局に行った。医者も薬局もいつもより患者は少なかった。ひょっとすると早く解放されて映画館に行けるかもと薬を待つあいだiPhoneで映画館を調べてみるとセンチュリーシネマで『オオカミは嘘をつく』が見つかった。

『オオカミは嘘をつく』はイスラエルの刑事ドラマ(?)だ。少女が誘拐されて首の無い死体で発見された。場面は刑事が容疑者を拷問しているところに移る。しかしそこは警察署ではない。イスラエルでも警察の拷問は禁止されているのだろうから警察署内ではできないのだろう。拷問するのはどうやら刑事が容疑者を犯人だと確信しているが証拠がないためだろう。証拠がないので上司から容疑者を解放しろという命令の携帯がはいる。やむなく容疑者は刑事の車に乗せられて家まで送られる。容疑者は学校の教師だが状況証拠があるためか生徒たちからもうたがわれている。おさまらない刑事は再び容疑者を拉致し森の中においてロシアンルーレットで容疑者を脅して白状させようとする。脅して得た自白に証拠能力があるのかと思われるかもしれない。しかし少女の首の隠し場所を白状させればそれが証拠となる。刑事は容疑者が犯人である事に何の疑いも持っていない。だが容疑者は頑なに否定する。見ている僕はなぜ刑事はこんなにも確信があるのか不思議である。ところがその刑事も容疑者も二人とも少女の父親に拉致されてアラブ人地区の一軒家の地下室に連れ込まれてしまう。この家は拷問に適しているとして父親が借りた(買った)もの。この地下室で刑事は手錠で柱につながれ容疑者が少女の父親から拷問を受けるのを見ることになる。父親の目的は犯人を割り出すことではなく(これまた父親には自明のことらしい)、少女の首のありかを白状させることだ。首のないまま埋葬するわけにはいかないからだ。

父親の拷問は爪を剥ぐなど残酷なものだ。しかし容疑者は知らないと言う。観客はこんなに拷問されても言わないのだから容疑者は無実であるかもしれないと思うだろう。実際にこれほどの拷問や命の危険にさらされたら宗教とか主義に殉ずるのでないなら隠す理由がない。死ぬより刑務所の方がマシだし、同じ死ぬのでも痛くない方がいいからね。

ところがさらに新たな登場人物が出てくる。娘の父親の父親だ。彼は息子が治安の悪いアラブ人地区の家に引っ越したので様子を見に来たのだ。彼は地下室の事に気付いて息子に言う。今なら引き返せるから2人を解放したらどうかと。理性のある父親にみえる。ところが息子は拒否すると、父親はそれならガスバーナーで焼けば白状だろうと言う。その先は映画のネタバレになるから機会があったら映画館かDVD(でるかな?)で観てください。この映画で言えるのは、出てくる人間で一番まともなのは馬に乗って巡回しているアラブ人だということ。

さて翌日の火曜日に朝9時過ぎに家を飛び出して 名演小劇場の10時半からの『神は死んだのか』に向かった。映画は大学の新入生の青年がある哲学の教授の講義を選択するところから始まる。履修登録の係員はこの教授の講義はやめた方がいいと言うが、青年はその教授にすると言いはる。係員がなぜかやめた方がいいと言い、青年がその教授の講義にすると言い張るのかは不明だ。いくつか理由を推測できるがその答えは最後まで不明だ。単位が取りにくいと言うのとは全く違うからだ。また青年がその教授に固執したのは講義の内容を知っていたからとは思えない。たぶん神の見えざる手に導かれてだろう。なんちゃて。

さて青年は最初の講義にでると、教授は過去から現在の十数人の大科学者のリストを示しだ。それらは全て無神論者であった。そしてホーキングの言説を示しながら学生たちに紙に自分の名前と「神は死んだ」と書けば今学期のこの講義の単位を保証すると言った。学生たちはみんな紙に記入するが、青年は拒否する。そして自分はクリスチャンだから書けないという。教授はホーキングのような優れた科学者に異をとなえるのかと半ば怒る。青年はホーキングの言説に今は反論できないがきっと反論できるがという。それならばと教授はこれから3回の講義の時に最後の最後の30分間時間をやるから無神論を否定してみろと言う。

この映画はアメリカのいくつかの大学で講義内容について訴訟が起きているのでそれに答えるために作られたと言う。だからキリスト教的有神論のプロパガンダ映画ともいえる。そのため教授の人物の描き方が偏見に満ちているような気がする。この教授は単位で学生を釣って無神論を広めようとしているが、こんな教授はあまりいないだろう。

アメリカはキリスト教色の強い国だと思っていたが社会や地域によって様々なのだね。よくアメリカのいくつかの州では教育委員会が進化論を教えることを禁じているという。その理屈は進化論が仮説の一つにすぎない。知的デザイン説も含めて生命の起源の学説は色々あるというもの。たぶん大学での訴訟もこれに関わることだろう。

地域社会では聖書の記述が強くても、大学では進化論が優勢なのだろう。教授の同僚たちも無神論者ばかりに描かれている。しかし教授の高圧的な無神論の押し付けは粗雑だ。この映画でこの大学は一流大学ではないように描かれている。青年の彼女は同じ大学に来たが、「学年で2番の私があなたのためにこの大学にきたのよ」というセリフがあるようにトップクラスの学生はあまり行かないようだ。しかしこの大学の成績がよければロースクールに進学できるのでそう悪い大学ではなさそうだ。青年は教授の講義に不可がつけばロースクールの進学は難しくなる。

この映画では宇宙論、進化論、有神論で興味深い言説が出てくる。書き出してみよう。

《アリストテレスは宇宙に始めも終わりもなく定常なものだと言った。これが2300年間科学を支配した。しかしビッグバン学説のよって「光あれ」と一瞬に宇宙ができた聖書の記述が正しいことがわかった。2300年の間科学が間違っていて聖書が正しかった。》

《生物は長い時間をかけて進化したという。しかし宇宙の始めから現在のまで1日の時計で表すと、生物は最後の数秒間に一瞬に生まれたことになる》

これは屁理屈のようだが面白い視点だね。

教授《ホーキングが言うように「重力の法則で宇宙の自発的発生が説明できるので神など不要だ。」》これにその場で答えられなかった青年は勉強してきて、《数学者の・・・はホーキングの言説には3か所間違いがあると言っている》と答えた。その具体的内容は不明で数学者の名前は僕が覚えられなかったが、必ずしもホーキングの言説が定説とは言えないという結論らしい。

この教授は無神論者の戯画化にされている。教授の少年時代は熱心なキリスト教徒だったが、母親が病気になったとき神に祈ったが母親は死んだため、無神論者になったというもの。そして教授は言う「熱心な無神論者はみな元クリスチャンなのだ」。論戦で青年の最後のとどめのことばが「いないはずの神をあなたはなぜ憎む」というもの。

この映画の最後はやはりステレオタイプの宗教物語になっている。教授の妻はクリスチャンである。このため教授や教授の友人からバカにされる存在だ。論戦に敗れた教授は家に帰ると妻がいない。机のうえに新聞がありそれをみるとキリスト教のミュージシャンのコンサートのことが載っている。教授は表に飛び出しコンサート会場に向かう。その時車にひき逃げされる。たまたま通りかかった牧師に瀕死の状態で抱えられ「神を信じるか?」と問われ、「信じる」という。牧師は「あなたがこの周りの誰よりも早く神に会える」という。なんだこれは普通「しっかりしなさい必ず助かる」でしょ。いやはや、かくて頑なな無神論者は最後には神を信じて死にました。めでたしめでたし。


東郷哲也氏の落選

2014-12-16 22:23:25 | 社会経済

僕の住んでいる名古屋市守山区は愛知3区で、小選挙区の当選者は民主党の古川元久氏だ。実は愛知3区を地盤とする前職の代議士は2人いて、1人は古川氏で前回のときも小選挙区の当選だ。もう一人は自民党の東郷哲也氏だが前回は比例で復活当選したが、今回は比例での当選はなかった。何と自民党の比例での当選者は東郷氏の前までで終わった。古川氏と票差がつきすぎて惜敗率がよくなかったのだろう。

東郷氏のことをよく注目していたのは単に僕が愛知3区に住んでいるからだけだはない。東郷氏は国会議員になる前は守山区選出の名古屋市議会議員だったのだ。それも議場で河村市長を罵倒して、河村市長から「こんな失礼な発言は初めて聞いた」と言わしめた戦闘的な議員だった。とは言うものの市議会に関係もない自分には東郷氏が本当はどんな人物なのかはわからない。河村市長批判の著書もあり僕も買ったが、字が詰まっていて読みにくい本だった。良い編集者がつかなかったとも、東郷氏はあまり本を読んでいないとも思える。ただ河村市長と東郷氏とのやりとりは、ひたすら政治家という職業を目指してきた東郷氏が自己の利益に関わることなので激しく反発したように思えた。

東郷氏は市議会議員になろうと、無所属で立候補したり、小沢自由党で立候補したりしていたが当選には及ばなかった。僕は市議会議員選挙では共産党を除くオール与党なので政策対立がないうえに投票率が低いから、後援会組織をつかんでいるものが常に勝つので新人が割込めないから東郷氏はいつまで望みのない戦いをするのかと思った。ところが守山区の定数が大幅に増えたために印数合わせで自民党の市会議員になれたのは以前に書いたとおりだ。http://blog.goo.ne.jp/kyujiu/m/201211 その幸運児の東郷氏が、前回の総選挙では市議会の長老議員の推薦で愛知3区の自民党候補となり代議士となった。僕は職業として政治家になりたがる人間に不審を持っている。もちろん彼らが良い政治をしたいという言葉を信じないわけではない。本当にそう思っているだろう。でも自分の利益が関わってくると躊躇なく自己の利益を取ると思っている。つまり生活の確保が最優先でそのうえで良い政治家との名声も得たいというわけだ。街で東郷代議士の「強い日本を」というポスターを見る度に「愛国主義は卑怯者の最後の逃げ場」と言う言葉は本当だな」と思ってしまう。

そんなわけで僕は東郷氏に注目はしていたが落選を望んでいた。しかし古川氏が相手では小選挙区の当選は不可能でも比例での当選は間違いないだろうと思っていた。ところが何と比例でも落選したのだ。

選挙期間中に守山区内では古川氏の選挙カーをみたし。駅やスーパーの前でも古川氏をみた。東郷氏は一度選挙カーがすれ違っただけ。ブログをみると繁華街で応援の人と演説している写真が多いが、繁華街は応援の人を見にきた他の選挙区の人ばかりかもしれない。ありがた迷惑だったのでは。

僕は東郷氏のブログを見た。http://sky.ap.teacup.com/togotetuya すると複雑な心境になってきた。妻子があるから生活に困るだろうなというのは思うけど脇に置こう。政治家なら当たり前のことだもの。気になるのは選挙期間中の写真の表情がこわばっているのだ。苦しい戦いで必死というのでもない。表情が硬い。不思議なのは、そこで終わっている12月13日の「最後のごあいさつ」だ。え「最後のお願い」ではないの。題名をみたとき遺言のように思えた。でも内容は通り一遍の選挙戦最後のお願いで挨拶だ。でも呼びかけてくる熱意もまた愛嬌もない。ひょっとしたら選挙の重圧から心身症の状態になっているのではないか。落選したから心身症ではなく選挙期間中から心身症の症状が写真から読み取れる。早くブログを更新して敗戦の弁を述べないといけない。


近ごろこんなことを考えた

2014-11-03 18:38:13 | 社会経済

さて久しぶりに書こう。アトピーは相変わらずだし、自炊はいつ終わるともなく続いている。だから気分に余裕がなく書き込む意欲もなかなかわかない。映画は週に2回ぐらい観ているがアトピーで夜中に目がさめるため映画の途中でウトウトすると途中経過がわからないことが多いので映画の感想は書きづらい。

名古屋市のことももう昔のことなので他人事みたいだ。現役職員とマージャンで会っても、聞こえる話題は異動できなくて休職している知人、逆にノイローゼ気味で頻繁に異動になるが異動先でもうまくいかない知人のことばかり。今は違う職場にいてそれぞれ役職者になっていると共通する話題は共通する知人の病気の話題になりがち。こんなに鬱病が増えたのかと思ってみても、昔にも何人もそうした人がいたことを思いだす。若いころはそうした人は年の離れた年配の人だし、自分も役職者でないのであまり気にならなかっただけかもしれない。ところが退職してみると昔は元気だった後輩の人たちがそうなっているので鬱病が増えたと感じるのかもしれない。

アトピーのことの報告。アトピーの本に「アトピーは体内の毒を排出する体の緊急措置だからステロイド剤で排出口を塞いではいけない」と書いてあったのはすでに書いた通りだ。毒の実態はなんだろう?掻き傷からの体液や剥がれる皮脂にそれが含まれるとしたらどんな物質か特定できるのかな?とも思ったがそこはあまり突っ込まない。特定できてなくてもそれはまだ特定できないだけと思い。特定できるまで待ってはいられないので、仮設を一旦信じて突き進むことにした。とはいえあの本には、その他に生活にチェック項目が多数のっているがそれは面倒だから無視した。だからステロイドを塗らないだけがあの本から実行したことの全てだ。もっとも以前から通っている漢方医の処方する漢方薬と保湿剤は使っている。あの本では「保湿剤も体がそれになれたみずからの保湿する力が弱くなるからできれば避けたほうがよい」のようなこと書いてあったが、もともと乾燥しやすい肌なので使うことにした。

だからステロイド剤を使わないこと以外は昔のままだが一向に症状が改善しない。正確に言うと症状に波があるので軽くなったり悪くなったりだ。昔はステロイド剤を使うとしばらく休戦みたいに症状がなくなる時があったが、今はそれもない。ではなぜ脱ステロイド剤方法を続けかというと、ひとつは「ステロイド剤を抜くには使った期間の倍の時間がかかる」と書いてあったこと。もう一つのわけは漢方では良くなる直前には一旦症状が重くなる陽転現象があるとのことだ。だから今ステロイド剤を使ったらこれまでの苦労が水となると思えるからだ。でも一番の理由は、対処療法は決して治療ではないという、オーストリア学派的あるいは陽明学的な性向からだろう。

つぎは自炊つまり蔵書のPDF化について書こう。最近メモリー容量について2つも壁にぶちあった。ひとつは読むツールとしてのiPadの容量がいっぱいになってきたこと。正確にはずっと前から限界に達したのだが、その時はパソコンの中にすでにPDF化してある本の半分以下しかiPadに移さないことでしのいだ。すでに読んだ本や全く興味を失った本までiPadで持ち歩く必要はないからね。じつはこの解決策は偶然におとずれた。突然にiPad内のPDFが全て消えたのだ。原因は不明。このため再度iPadに移すときに「ああ、全ての本を持ち歩く必要はないのだ」と気づいたのだ。人は怪我の功名というかもしれないが、僕はこうしたことを「天使が教えてくれた」と呼んでいる。よくあることだもの。ところが、最近になって再びiPadがいっぱいになってきた。購入した本や雑誌は全てPDF化してiPadに移しているから早晩こうなる。しかも最近PDFにしたものはまだ読んでいなかったり興味を失っていないものばかりだからどうしてもiPadに入れておきたい。僕のiPadは128GBでそれ以上の大容量のものはないから機種変更もできない。頭を抱えているとソフトバンクからiPhoneの機種変更を勧めるチラシが届いた。それをみると期間中に旧式のiPhoneを下取りに出せばほぼ無料でiPhone6に機種変更できるとかいてある。今のiPhoneに不自由はないと思いながらチラシをさらにみるとなんとiPhone6Plusには128GMがあるではないか。iPhonr6Plusといえば普通のiPhoneよりも大きな画面だ。そこでひらめいた。iPhone6Plusに小説類と図鑑類を移すことによってiPadとPDFを分け合えばこの問題は解決する。と言うわけで今はiPhone6Plusで小説を読んでいる。もちろん字は小さい。でも老眼ではまだない僕にはなんとか読める。視界に入る文の範囲が広いせいか読む速度も速くなった気がする。

さてもう一つはパソコンの容量の問題だ。最近自炊していても「容量不足のため全部保存できませんでした」という表示が大きな本では出るようになった。パソコンの「コンピューター」「ハードディスクドライブ」みるとローカルディスク(C:)が空き領域がほとんどなくなっていた。それでどう対処すべきか?よくみるとローカルディスク(D:)がほとんど使われていない。ではデスクトップのPDF用のファイルをローカルディスク(D:)に異動させたらと考えたが、デスクトップのファイルをローカルディスク(D:)に持っていってもコピーができるだけ。もとのデスクトップのものは変わらず存在して、ローカルディスク(C:)の空き領域は変わらない。つまりローカルディスク(D:)は外付けハードディスクと同じでコピーができるだけ。それでもコピー元のデスクトップのファイルを消せば空き領域は増えるかもしれないが、それでiTunesと連動できるかははなはだ疑問だ。じつは解決策はある。ローカルディスク(C:)と(D:)のメモリーの配分割合を変えればよい。つまりいまそれぞれ455GBずつあるのを例えば655GBと255GBに変えればよい。ところがこれは難しそうなのでやめた。次に良い解決策は容量大きなパソコンとの買い換えだが金がない。そこで考えたのは読んでしまって読み返すことのなさそうな本と雑誌のバックナンバーのPDFを外付ハードディスクにコピーしてからデスクトップのファイルから抹消することだ。この分は外付ハードディスクだけになりバックアップがないことになるので不安があるが当面はこれで行くことにした。どうしても不安ならローカルディスク(D:)にさらにコピーすれば良い。

さて世間の話題も書いておこう。いま世界の危機的大問題で先行きがわからないものが2つある。エボラ出血熱とイスラム国だ。エボラ出血熱はともかくイスラム国は遠い地域のことだしあちらの戦闘に参加していない日本は報復を受けることもないのであまり興味はないと思われるかもしれないが。でも異教徒は奴隷にしてもよいだなんて堂々と宣言するなんて人類の普遍的価値観の否定で許されない。 でもこのイスラム国の動きは新しいインターナショナリズムだね。なぜなら参加者の国籍は問われなくてイスラム原理主義と言うイデオロギーに基づいている。共産主義のコミュニスト・インターナショナル(コミンテルン)が世界中に支部ができたように。もちろんイスラム国という国家らしきものも形成されつつある。コミンテルンもソビエト連邦があり「ソ連は労働者の祖国」というスローガンもあった。だからイスラム国はイスラム教徒の祖国だと思うイスラム教徒もいるかもしれない。でもやがて共産主義とおなじように逆転して民族主義的イスラム原理主義に変質してくるかも。一国社会主義論と世界革命の関係と似ている。

おっととりとめのない話をしてしまった。警告すべきは、エボラ出血熱を利用した自爆テロだ。つまり殉教志願のイスラム教徒のうち、ヨーロッパ的風貌を持つ者を、エボラ出血熱の流行国に行かせてわざと患者に接触させ、発病する前に第三国を経由して足跡をくらましアメリカに入国させる。そして発病し始めたら人出の多い場所に行って不特定多数と接触させる。もちろん感染してない可能性もあるから十数人を同時に様々な経路でアメリカに潜入させる。そのうち数人でも発病したらアメリカはパニックになる。アメリカに数百名の感染者が出たらアメリカと人の行き来の多い日本もパニックとなる。もっともアメリカの安全保障担当者はそのくらいのことを見越して対策を立てていると思う。だが日本の役人はその場にならないと動かないから危険だ。


近ごろこんなことを考えた

2014-11-03 18:33:48 | 社会経済

さて久しぶりに書こう。アトピーは相変わらずだし、自炊はいつ終わるともなく続いている。だから気分に余裕がなく書き込む意欲もなかなかわかない。映画は週に2回ぐらい観ているがアトピーで夜中に目がさめるため映画の途中でウトウトすると途中経過がわからないことが多いので映画の感想は書きづらい。

名古屋市のことももう昔のことなので他人事みたいだ。現役職員とマージャンで会っても、聞こえる話題は異動できなくて休職している知人、逆にノイローゼ気味で頻繁に異動になるが異動先でもうまくいかない知人のことばかり。今は違う職場にいてそれぞれ役職者になっていると共通する話題は共通する知人の病気の話題になりがち。こんなに鬱病が増えたのかと思ってみても、昔にも何人もそうした人がいたことを思いだす。若いころはそうした人は年の離れた年配の人だし、自分も役職者でないのであまり気にならなかっただけかもしれない。ところが退職してみると昔は元気だった後輩の人たちがそうなっているので鬱病が増えたと感じるのかもしれない。

アトピーのことの報告。アトピーの本に「アトピーは体内の毒を排出する体の緊急措置だからステロイド剤で排出口を塞いではいけない」と書いてあったのはすでに書いた通りだ。毒の実態はなんだろう?掻き傷からの体液や剥がれる皮脂にそれが含まれるとしたらどんな物質か特定できるのかな?とも思ったがそこはあまり突っ込まない。特定できてなくてもそれはまだ特定できないだけと思い。特定できるまで待ってはいられないので、仮設を一旦信じて突き進むことにした。とはいえあの本には、その他に生活にチェック項目が多数のっているがそれは面倒だから無視した。だからステロイドを塗らないだけがあの本から実行したことの全てだ。もっとも以前から通っている漢方医の処方する漢方薬と保湿剤は使っている。あの本では「保湿剤も体がそれになれたみずからの保湿する力が弱くなるからできれば避けたほうがよい」のようなこと書いてあったが、もともと乾燥しやすい肌なので使うことにした。

 

だからステロイド剤を使わないこと以外は昔のままだが一向に症状が改善しない。正確に言うと症状に波があるので軽くなったり悪くなったりだ。昔はステロイド剤を使うとしばらく休戦みたいに症状がなくなる時があったが、今はそれもない。ではなぜ脱ステロイド剤方法を続けかというと、ひとつは「ステロイド剤を抜くには使った期間の倍の時間がかかる」と書いてあったこと。もう一つのわけは漢方では良くなる直前には一旦症状が重くなる陽転現象があるとのことだ。だから今ステロイド剤を使ったらこれまでの苦労が水となると思えるからだ。でも一番の理由は、対処療法は決して治療ではないという、オーストリア学派的あるいは陽明学的な性向からだろう。

 

つぎは自炊つまり蔵書のPDF化について書こう。最近メモリー容量について2つも壁にぶちあった。ひとつは読むツールとしてのiPadの容量がいっぱいになってきたこと。正確にはずっと前から限界に達したのだが、その時はパソコンの中にすでにPDF化してある本の半分以下しかiPadに移さないことでしのいだ。すでに読んだ本や全く興味を失った本までiPadで持ち歩く必要はないからね。じつはこの解決策は偶然におとずれた。突然にiPad内のPDFが全て消えたのだ。原因は不明。このため再度iPadに移すときに「ああ、全ての本を持ち歩く必要はないのだ」と気づいたのだ。人は怪我の功名というかもしれないが、僕はこうしたことを「天使が教えてくれた」と呼んでいる。よくあることだもの。ところが、最近になって再びiPadがいっぱいになってきた。購入した本や雑誌は全てPDF化してiPadに移しているから早晩こうなる。しかも最近PDFにしたものはまだ読んでいなかったり興味を失っていないものばかりだからどうしてもiPadに入れておきたい。僕のiPadは128GBでそれ以上の大容量のものはないから機種変更もできない。頭を抱えているとソフトバンクからiPhoneの機種変更を勧めるチラシが届いた。それをみると期間中に旧式のiPhoneを下取りに出せばほぼ無料でiPhone6に機種変更できるとかいてある。今のiPhoneに不自由はないと思いながらチラシをさらにみるとなんとiPhone6Plusには128GMがあるではないか。iPhonr6Plusといえば普通のiPhoneよりも大きな画面だ。そこでひらめいた。iPhone6Plusに小説類と図鑑類を移すことによってiPadとPDFを分け合えばこの問題は解決する。と言うわけで今はiPhone6Plusで小説を読んでいる。もちろん字は小さい。でも老眼ではまだない僕にはなんとか読める。視界に入る文の範囲が広いせいか読む速度も速くなった気がする。

 

さてもう一つはパソコンの容量の問題だ。最近自炊していても「容量不足のため全部保存できませんでした」という表示が大きな本では出るようになった。パソコンの「コンピューター」「ハードディスクドライブ」みるとローカルディスク(C:)が空き領域がほとんどなくなっていた。それでどう対処すべきか?よくみるとローカルディスク(D:)がほとんど使われていない。ではデスクトップのPDF用のファイルをローカルディスク(D:)に異動させたらと考えたが、デスクトップのファイルをローカルディスク(D:)に持っていってもコピーができるだけ。もとのデスクトップのものは変わらず存在して、ローカルディスク(C:)の空き領域は変わらない。つまりローカルディスク(D:)は外付けハードディスクと同じでコピーができるだけ。それでもコピー元のデスクトップのファイルを消せば空き領域は増えるかもしれないが、それでiTunesと連動できるかははなはだ疑問だ。じつは解決策はある。ローカルディスク(C:)と(D:)のメモリーの配分割合を変えればよい。つまりいまそれぞれ455GBずつあるのを例えば655GBと255GBに変えればよい。ところがこれは難しそうなのでやめた。次に良い解決策は容量大きなパソコンとの買い換えだが金がない。そこで考えたのは読んでしまって読み返すことのなさそうな本と雑誌のバックナンバーのPDFを外付ハードディスクにコピーしてからデスクトップのファイルから抹消することだ。この分は外付ハードディスクだけになりバックアップがないことになるので不安があるが当面はこれで行くことにした。どうしても不安ならローカルディスク(D:)にさらにコピーすれば良い。

 

さて世間の話題も書いておこう。いま世界の危機的大問題で先行きがわからないものが2つある。エボラ出血熱とイスラム国だ。エボラ出血熱はともかくイスラム国は遠い地域のことだしあちらの戦闘に参加していない日本は報復を受けることもないのであまり興味はないと思われるかもしれないが。でも異教徒は奴隷にしてもよいだなんて堂々と宣言するなんて人類の普遍的価値観の否定で許されない。 でもこのイスラム国の動きは新しいインターナショナリズムだね。なぜなら参加者の国籍は問われなくてイスラム原理主義と言うイデオロギーに基づいている。共産主義のコミュニスト・インターナショナル(コミンテルン)が世界中に支部ができたように。もちろんイスラム国という国家らしきものも形成されつつある。コミンテルンもソビエト連邦があり「ソ連は労働者の祖国」というスローガンもあった。だからイスラム国はイスラム教徒の祖国だと思うイスラム教徒もいるかもしれない。でもやがて共産主義とおなじように逆転して民族主義的イスラム原理主義に変質してくるかも。一国社会主義論と世界革命の関係と似ている。

 

おっととりとめのない話をしてしまった。警告すべきは、エボラ出血熱を利用した自爆テロだ。つまり殉教志願のイスラム教徒のうち、ヨーロッパ的風貌を持つ者を、エボラ出血熱の流行国に行かせてわざと患者に接触させ、発病する前に第三国を経由して足跡をくらましアメリカに入国させる。そして発病し始めたら人手の多い場所に行って不特定多数と接触させる。もちろん感染してない可能性もあるから十数人を同時に様々な経路でアメリカに潜入させる。そのうち数人でも発病したらアメリカはパニックになる。アメリカに数百名の感染者が出たらアメリカと人の行き来の多い日本もパニックとなる。もっともアメリカの安全保障担当者はそのくらいのことを見越して対策を立てていると思う。だが日本の役人はその場にならないと動かないから危険だ。


映画鑑賞:クリント・イーストウッド監督『ジャージー・ボーイズ』

2014-10-02 18:30:15 | 文化

アトピーのせいで何カ月も書いていなかった。おっと、これは言い過ぎかな。書き込んでいる今もアトピーなのだから。僕の場合は両手とも指の症状がひどい。指という感覚が鋭い部分が痛いのは集中力が落ち着かず、本を読むこともましてや文章を書くこともままならない。ではなぜ書き込むかと言うと、昨日、クリント・イーストウッドが監督をした『ジャージー・ボーイズ』を見てきたからだ。

あ!昨今の経済情勢からなんか書きたがっていると思っているのではと考えた人は残念でした。今さら経済情勢について得意げに何かを言う気にはならない。経済情勢の理解については「週刊ダイヤモンド」に毎週載っている野口悠紀雄さんのコラムを読むことをお勧めする。

さて俳優としての実績は脇においても、クリント・イーストウッドという人はなんと才能のある監督だろう。監督し始めてからいくつも作品を出したが、ジャンルがみんな違うがそれぞれにいい作品に仕上がっている。さすがリバタリアン。

映画はフランキー・ヴァリという歌手とその仲間のザ・フォーシーズンズというグループが世に出て成功して挫折する実話の物語。僕は「ザ・フォーシーズンズ」とかヒットナンバーとかの事前の情報にはピントこなくて、ただただクリント・イーストウッドが監督だという点が興味の中心だった。もともと音楽には詳しくない人生だったからね。ところが映画の前半に「シェリー」という曲が出てきた。あ、これは知っていると思った。でも僕は洋楽に親しんでいたわけではない。僕の学生時代より以前は、日本ではアメリカのヒットした曲を日本語の歌詞をつけて日本の歌手やグループが歌っていたのが流行っていた。フォークソングやグループサウンズが流行る前だから高校より前かな。「カレンダーガール」とか「ヘイ、ポーラ」(?)なんて曲もあった。そんなわけでこの「シェリー」も洋楽好きでなくても家にテレビがあれば普通に聞いたことがあるだろう。

でもそれ以上に驚いたのは、ザ・フォーシーズンズのメンバーのひとりが、それ以前にボーリング場で働きながら「シュシュ」という曲を作曲していたということ。なんとこの曲はタモリの深夜番組の「タモリ倶楽部」(だったと思う)の女性のお尻が並んで出てくるオープニングに使われている曲ではないか。あの曲の出自がわかった。

映画は1951年から始まる。ちなみにこの年は僕が生まれた年。そのころフランキー・ヴァリは床屋の見習い。歳は16歳ぐらい。こわもてでもないのに町のマフィアの親分に可愛いがられている。歌好きでうまい事は町のみんなが知っている。このころのアメリカの田舎町では大概同じ町で一生を過ごす。町から出るのは、軍隊に入る、でもこれは死んでしまう。ぶっそうでまさかだが朝鮮戦争を念頭に置いているのかな?二つ目はマフィアに入る。でもこれも死んでしまう。三つめは有名になる。フランキー・ヴァリは二つ目と三つめの間にいる。当時は大学へ行かない者はこんなものだろう。ヴァリは窃盗の手伝いみたいなこともするが、お目こぼしでつかまらなかった。主犯の友人は6カ月の刑務所暮らし。この町で犯罪者も警官も判事もみんな顔見知りみたいだ。やがてヴァリは町の酒場で歌っているグループに加わる。

この映画は、ヒットしたミュージカルの映画化らしい。なんかイーストウッドの独創性が薄れるような話だが、イーストウッドはフランキー・ヴァリや他のメンバーにあらためて当時の様子などを聞き取り調査して正確を期したらしい。このため2013年の日本公演はイーストウッドへの協力のため延期になったとのことである。

映画の中で登場人物がときどき映画を見ている観客に語りかけるが、これもミュージカルのなごりであろう。だからこの映画は実話が元だが、実録物みたいなリアリズム映画ではなく、楽しい映画である。

ところでこの文章を書いたのは以上のことを書きたかったからではない。それはこの映画に「Can't Take My Eyes Off You」(「君の瞳に恋してる」)が出てきたからだ。映画でこの曲がでてきたとき、あ、この曲はフランキー・ヴァリだったけ、と思い出した。再度いうが僕は洋楽にも音楽にもとくに趣味はない。だけどふと聞いたりまた口ずさんだりした曲が非常に気になることがある。そうした曲はアップルストアで買ったりAmazonでCDを買ったりする。そうしてiPhoneやiPadに取り込んで、保養施設で友人とマージャンをするときなどは流したりする。他のお客がいるときは嫌がられるからできないが、仲間うちだと「今日は音楽はないの?」だと言われと喜んで流す。「Can't Take My Eyes Off You 」はパソコンのiTunesの中にはFrankie Valli & the four Seasones のものとSheena Easton のものと The Boys Town Gang のものの3つが入っているが、iPhone とIPad には The Boys Town Gang だけが入っている。

ところで経済情勢について書かないといったけど、経済の本に面白いことが載っていたから書いちゃおう。今『国債パニック』という本が出ている。著者はゲーム理論の啓蒙書を早くから出している逢沢明氏だ。紙でも出ているが僕はKindleの電子版で買った。紙で買ってもすぐ自炊するから電子版で買ったほうが良い。たぶんメモリーも電子版の方が少ないはずだもの。

さて何が面白いかといえば、この本には日本財政は破綻しないという意見の人の考えを紹介している。ほら日本国債は日本国内でほとんど買われているから大丈夫というのだよ。逢沢さんは本のなかで、この大丈夫論者らしき文章を引用する。確かにあの人たちの議論だ。読み始めて、ふとこの引用のパラグラフには引用元が書いてない。もしそうした人の意見の要約なら、そうは言っていないと突っ込まれる。また引用だとしても一部を取り出しては正確ではないと突っ込まれる可能性がある、人ごとながら心配になった。僕は逢沢さんと同じ側にいるが論争の作法として不必要に突っ込まれ事は避けたほうがいいという意見だ。ところがパラグラフの後の文章を見て笑ってしまった。あの引用は内容的には現代のリフレ論者の意見そのものだが、じつは太平洋戦争直前にだされた大政翼賛会推薦の『隣組読本 戦費と国債』を現代表記に変えたものなのだ。 天が下に新しき事なし。つねに愚か者が欲望のため同じ過ちを繰り返す。もちろん戦時国債も大政翼賛会のお墨付きにもかかわらず破綻すべくして破綻した。我が家にも紙くずとなった戦時国債があったような気がする。


ゾロアスター教とアトピー

2014-07-06 21:49:05 | Weblog

ずいぶん長い間書いていなかったのは、とくに書きたいことがなかったからだが、その他の理由としては、本を自炊つまりスキャナーでPDF化することに時間を取られていることと、アトピーがひどくなって気分も体調も良くないこともある。

それでは、自炊から一つ書く。その前に自炊自体についての変化についての報告をすると、今は縦書きの本はほぼ全て最後の方からスキャンしている。最初の方からスキャンすると読む時に読み進む行の方向とページをめくる方向が逆となる。また見開きで図や表があると左右が逆となる。それでも今までずっと千冊以上の縦書き本を最初からスキャンしてきたのは最初からが自然だという観念と後ろからスキャンすると読む時に最後まで戻らなければならないのは面倒ではという思い込みであった。最初は見開きの絵と写真が多い雑誌のみ後ろからスキャンしていたが、 iPadのiBooks画面の下のページ操作で簡単にスキャン文書の最終ページである本自体の最初のページに移れることがわかったので全て縦書き本は後ろからスキャンすることにした。この場合でも表紙は最初にスキャンする。これはiBooksの「コレクション」の表示用のため。以前にスキャンした縦書き文書はそのままだけどPDF編集ソフトには並び順を逆転する機能があっても良さそうだが僕は知らない。それから横文字の本と日本語でも横書きの本は当然前からスキャンだよ。

さて自炊やっていて気がついた話。僕のところにはコンビニで買った400円から1000円ぐらいまでのいわゆるコンビニ本が100冊ぐらいあった。あったというのはその大半はPDF化して現物の本としてはもう存在しないからだ。この前その中の『死後の世界を巡る!地獄冥界巡礼』(学研)をスキャンしていたら、「ゾロアスター教では、近親婚が称賛されるべきもので、それを実行しないと死後に最高天に行けない」との記述であった。ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれ火の崇拝と善悪二神論で有名で古代イランでは国教であったがイスラム教に押されて現在ではイランとインドに少数しか信者がいない。ちなみに今月の日本経済新聞の「私の履歴書」はインドのタタ・グループ名誉会長のラタン・タタ氏だが、タタ一族はゾロアスター教徒である。

さて近親婚は世界中でほぼタブーとなっている。ホホウと思ったが、ふとタブーでないもうひとつの事例を思い出した。日本の奈良時代以前の皇室である。これが近親婚が多かった。例えば天智天皇と天武天皇は兄弟のはずだが、天智天皇の娘が二人も天武天皇の妃になっている。もっとも生年の記述の矛盾つまりある記録では弟の天武天皇のほうが年上になってしまうことから本当は兄弟ではないとの疑義もあるけどそれは少数意見。この天武天皇以外でも近親婚は普通であった。ところが僕が以前読んだ記憶では「近親婚は皇室のみの習慣で、庶民にはその習慣はなかった」と書いてあった。その民族の王の習俗が民族一般と違う。征服王朝だとありえるが征服王朝の形跡がない。もっと昔だと征服王朝の可能性もあるが白鳳時代の百年二百年以内にはない。それに近隣の朝鮮半島とか中国ではより近親婚の禁忌が強いので征服王朝の習俗ではあり得ない。

そこで思い出すのは松本清張に『火の路』という小説がある。昔読んだ。また栗原小巻主演のテレビドラマを見た。確かその小説では飛鳥の石造遺跡は斉明天皇が造らせたゾロアスター教の施設となっていたと思う。ここにつながったような気がする。なぜ一般にはない近親婚が古代の皇室で一般的だったのか。

次はアトピー絡みでの話し。思えばアトピーとは成人してからの記憶ではずっとつきまとわれている。つまり勤めている期間もずっとだ。2~3年ごとに顔の皮膚がボロボロとむけることがある。今もむけている最中だが。僕はこれを脱皮と呼んでいた。皮がむけることによって若々しく肌が出てくることを期待してだが。でもこうも考えた、細胞が分裂して再生する回数が一定ならば早く老化する可能性もある。どちらか、それとも中立かな。一応法令線が気になりかけているが大概の人は僕を60代とは思わずに40代に見えるらしいから脱皮効果もあるのかな。でもアトピーがひどい時期は体力も使うのでグッタリして年相応に見えるらしく揶揄されることもある。ああ、こんな自慢とも卑下ともつかない話は横におこう。

僕は数年前から漢方医に通っている。かかり始めた時はひどかったがかかり始めると治まってきた。漢方薬が効いたのか、単なる周期で治まったのかははっきりしない。何年かするうちに完治もしないし季節によってか症状も出てくるので、いつもの漢方薬の飲み薬の他にステロイド剤の塗り薬が処方された。僕はそれを塗ってもみた。また頭皮に一貫して炎症があるのでテレビで宣伝していた頭皮への塗り薬も買って塗ってみた。これもステロイド剤だ。でもこれがいけなかった。僕にはステロイド剤は効かないのだ。これをよく知っているはずなのにまた塗ってしまった。40年近くの時間の中でアトピー治療に医者にかかった時期が何度もある。その度にステロイド剤がで来るのだが全く効かなくて悪化の懸念もあった。今の漢方医にかかったのもステロイドを使わないためだったのに。「ステロイドは効かない」これはわかっているはずなのに数年たつとまた新たな医者のもとでその場の成り行きで医者の処方するステロイド剤を使ってしまう。どっかで見たような風景だと考えてみればバルブがはじけて散々こりたはずの経済人が何年か経って次の世代になってくると今度は違うと言い始めてバブルに突入して行くことだ。そうした経済人を愚かな奴らと馬鹿にしていたが、同じようなことを自分もやっていたわけだ。これは人間の業なのかな。

今では僕には効かないステロイドだが実はすごく効いた時があった。まだ学生のころ耳がただれたところ、そのころ副腎皮質ホルモンと呼ばれていたステロイドを塗ったところ翌日ただれたところのカサブタがスルリとおちてキレイな皮膚が出てきた。こんなよく効く薬があるものかと驚いた。それから何年かして就職した後だけど、職場の近くの薬局で副腎皮質ホルモン剤はないのかと聞いたところ、主人はあれは副作用があるから良くない旨のことをいっていた。そのころから副作用が問題になっていたのだね。

ところで最近アトピーについて1冊の本にであった。Kindleの電子図書だけど、アトピーのために捜して見つけたのではない。実は陽明学関係でなにかないかとAmazonのKindle本を「陽明学」で検索していたら、竹本重友氏の『心が楽になる26の言葉』という本があった。これは王陽明の言葉についての本。早速購入してみると竹本氏は同じKindleの電子本で『アトピーが消えた!!』という本を出していることがわかった。もちろんすぐに購入したよ。

竹本氏は鍼灸師だから当然東洋医学陣営の人。だからステロイドには批判的。もちろん僕の漢方医みたいにステロイド剤を適宜利用する東洋医学(漢方)の人もいるけど。さて竹本氏は「アトピーは体内をキレイにするための浄化反応」という。もちろんアトピーのない人は体内がキタナイ人というわけではない。アトピーのない健康な人はもともと体内に毒素のない人か別の方法でうまく排出している人だろう。だから竹本氏はアトピーを「緊急的措置」という。だからもし僕がアトピーが出なかったら他の病気で死んでいたかなとも思う。癌とか糖尿病とか痛風とか、外見からすぐにわからないけどいろんな病気になってしまう市職員は多いなあ。僕のアトピーは顔の皮むけや激しいフケなどで目立つけど死ぬよりはマシなのかなあ。

ところでステロイドに戻るけど、ステロイドというのは日中戦争の時の「一撃論」に似ているな。盧溝橋事件が発生した時に陸軍上層部では不拡大論と一撃論に分かれた。もちろん対ソ戦争にも備えなければならないのでズルズルと対中戦争に入り込むのは誰も良くないと考えている。そこで出てきたのは交渉によって紛争を収めようとする不拡大論と、ここは懲らしめのため中国軍に一撃をくわえて抑え込もうという一撃論だ。まあ結論から言うと不拡大論にしても日本がそれまでに中国大陸で得てきた利権を手放さないことを前提とするならば交渉しても一時的休戦にしかならず火種は常に残る。参謀本部の石原作戦部長や日本政府は満州国を認めてくれたら他の中国本土から撤兵しても良いと考えていたらしいが他の陸軍幹部も中国側もそれでは納得しないだろう。 それにもはや日本には国論をまとめ従わせるリーダーはいなくなっている。一撃論は圧倒的に強い日本軍が一撃を加えれば中国は恐れおののいて従わざるをえないというもの。これまでの経験から日本軍は10倍の中国軍に匹敵するという確信のなせるわざだ。でもそれが希望的観測にすぎないことがこの直後の第二次上海事変であきらかとなる。

ステロイドが一撃論に似ているというは、若い人で初めてアトピーの治療を受けた場合ステロイド剤の塗布でたちまちアトピーが治るという事例が多いためだ。だからステロイド剤は効かない事例が多いうえに副作用が強いとわかっていても医者はとりあえずステロイド剤を処方する。だから僕みたいに治らないので医者をやめてまた数年して別の医者に行くと再びステロイド剤を投与されることになる。今の漢方医の場合、アトピーで漢方医に来る人は西洋医学で治らない人つまりステロイド剤が効かない人なので、はじめは当然漢方薬の処方のみでステロイド剤を使わなかった。ところが長い治療しても症状が改善しなのでつい効くかもしれないとステロイド剤を処方してしまったのだ。僕もその時ステロイド剤は効きませんと言えばいいのだが、ひょっとしたら今度はと思ってしまって塗ってしまったのだ。状況を精査しないで誤って一撃論を用いてしまったのだ。

ところで竹本氏のアトピー感はオーストリア学派の不況感にも通ずる。アトピーは体内浄化の緊急措置でそれをステロイド剤で排出口を無理やり塞ぐと体内が浄化されずに結局は悪化するというもの。オーストリア経済学では不況は非効率な企業を淘汰する浄化作用で、それによって社会は再生して発展するというもの。財政政策や金融政策で不況対策を行うとゾンビ企業を温存させかえって不況が長引く。アメリカの大恐慌も政府が対策を怠ったから大恐慌になったのではなく、不況対策を行ったから恐慌が長引いた。現にその前の恐慌では本当に政府は何の対策をしなかったのですぐに経済はV字回復した。

ケインズ的公共投資も良く効果があった時があるかもしれないけど、最近の経験では成果はほとんど現れず国債残高が増える一方だ。本来なら景気が良くなって税収が増えて国債は償還されて国債残高が増えることはなのだが。公共投資は景気対策に効果がないということで第二次安倍内閣の前までは公共事業が抑制されてきたが、今は国債を日銀がみんな買うからどんどん発行して公共事業をしようという。土建業者は安倍内閣ができて「日本を取り戻した」と喜んでいる。あのね、僕にステロイド剤が効かないように、今の日本にはケインズ政策は効かない。え!今建設業界は景気がいいって?サラ金で借りてきた金で豪遊しているのを景気がいいと言うのか。


帰ってくる住田前副市長

2014-04-21 22:30:21 | 名古屋

住田前副市長が何とかという役職名で名古屋市役所に戻るのだって。昨日日曜日昼食を食べる中華料理店で中日新聞を見て驚いた。役職名は忘れたけど副市長とかの普通なものではなかった。もちろん9時から4時までの嘱託職員ではない。中日新聞は取ってないし月曜日は図書館が休みだから確認できない。その時は、なんだこの令外の官は。令外の官というのは律令制の古代日本で律令で定められていない官職で大概は同じ一族のものが世襲した。代表的なものは関白だ。検非違使とか蔵人もそうだね。征夷大将軍もだね。そういえば『悪の出世学』という新刊書の新聞広告に「最高権力者になったら、それまでと異なる新たな役職名を考案し、『初代』となる」と書いてあった。独裁者を目指しているのかな。これは冗談。しかし 自治体が法令の根拠がない職を作っても給料や報酬を払えるはずがないので令外の官ではないだろう。

でも市長選への色気は別として、市長と議会に挟まれて苦労したから副市長を任期前に辞めたのになぜまた市役所に戻ってくるのだろう。もちろん河村市長の強い要請があったとしてもだ。

でもまず先に河村市長の目論見を考えよう。河村市長は住田副市長が辞めてから大変こまっていたと思う。現在の副市長がなかなか言うことを聞いてくれない。民間出身の副市長は子供対策専門だから仕方がないけど、後の2人の副市長が河村市長の言うことを実行してくれない。あからさまな反抗なら解任もできるが、「それは無理です」と理由をつけて言われるとあきらめるしかなくなる。実は「無理」とか「出来ない」にも大きい幅がある。法令違反とか倫理に反するというなら確かにできないが、予算がないとか人員が足りないというのは工夫とやりくりでなんとかなる場合が多い。でも能力不足とやる気のなさが本当の原因なので出来ないのだ。そして出来ない理由を並べ立てる。役人は出来ない理由を考えだすのが上手いのだから。これが住田副市長なら、生真面目だから市長の命令をまともに受けとめ苦労することになる。また自分の能力にプライドがあるから出来ないとは言いたくないのだ。かくして河村市長は住田氏に戻ってもらうことを切望する。

では住田氏はなぜ今になって戻ってくる気になったのか。一つは大組織の中枢にいた感触が懐かしくもなったことだろうが、最大の要因は丸八キタン会のSOSだと思う。丸八キタン会というのは名古屋市役所内の名古屋大学経済学部卒業生の同窓会だ。住田氏は副市長の時に丸八キタンの会長をしていた。でもキタン会なんて変なネーミングだね。他大学の卒業で母校の同窓会にも行ったことがない僕には奇妙な名前に思える。普通同窓会なんてものは社会的地位なんて関係なくみんな忌憚なく話そうという建前があると思う。だから無忌憚会というのがもっともらしいのだけど。

おっと話をもどすと、丸八キタン会のSOSというのは名古屋市役所内での名古屋大学卒業生の優位性が危機に瀕しているということ。それは今年4月の定期人事異動で中央官庁の官僚が局長クラスで出向してきたことだ。尾張名古屋は他の地域に比べて閉鎖性が高いところだ。今まで名古屋市役所に中央官庁からの出向者がいなかったことにも現れている。ちなみに名古屋大学への地元民(愛知県民)の割合は他の旧帝大に比べて極端に高いそうだ。むかし水谷研二とかいう名古屋大学教授が名古屋大学をでて名古屋市役所に入り親に建ててもらった家に住むのが名古屋人の理想のコースになっていると名古屋の閉鎖性を嘆いていた。それを読んだ僕は、勉強という努力をしないでほどほどの高校からほどほどの大学をでて気がついたら名古屋市職員の僕は、努力なしという点でコストパフォーマンスがいいので僕こそ一番の勝ち組かなと思った。もちろん名古屋大学出の職員が他の大学出より高い能力をつけているなら意味があるが、それは個人個人様々で全体としてなら同じ採用試験で入ったものは差がないような気がする。だから名古屋大学出の優位性としたら学閥や人脈とレッテルの差だね。

そんなわけで閉鎖的な尾張名古屋では名古屋市役所は名古屋共和国の小中央官庁で名古屋大学は鳥無き里のコウモリで小東大ということになる。だから名古屋市役所では助役あるいは副市長の二人の一人は名古屋大学出であとの一人は他大学出という気がする。といっても正確なことは知らない。助役や副市長の学歴をいちいち調べていないし、第一現役時代はそれらの人の名前を知らないことがほとんどだった。

もちろん名古屋市職員には東大とか京大とか世間的に名大より評価の高い大学の卒業生がいないわけではない。採用試験に何の差別があるわけではないから毎年当然に入るだろう。でも数が少ないので派閥力や人脈力では名古屋大学の比ではない。

ところが中央官庁からの出向者が来て居座ると、やがて総務局長とか財政局長になりそのあと副市長になるかもしれない。それだけでもポストが奪われるのだが、それだけでなく彼は旧来の派閥とか人脈を無視して、能力本位あるいは市長路線への近さ、を基準として人事権を行使するかもしれない。かくして名古屋大学派閥の優位性が崩れる可能性がある。また今回の出向を皮切りとしたら、これから名古屋市役所は中央官庁出向者の局長や副市長が絶えず複数名古屋市役所に跋扈するかもしれない。

中央官庁からの出向者を抑えられるのは住田前副市長しかいない、ということで名大閥が住田氏に頼み込んだと思う。住田氏がいないと、副市長が河村市長の指示をサボタージュしても、出向者が中央官庁と協議してできますといえば副市長はかたなしだ。あまり中央官庁出向者にリニア以外のことで活躍させないで本省におかえりいただくために住田氏が出て来たと思う。

これは河村市長の策略か?リニア新幹線をネタに念願の政務担当秘書を議会に認めさせただけでなく、手駒になるかもしれない出向者の局長を得たほかに、嫌がる住田氏を市役所に戻して骨折り仕事をさせることができるからだ。

あそうそう明日火曜日はNHKで『サイレント・プア』をやるね。公務員必見のドラマだ。とはいっても正確には公務員ドラマではない。主人公は社会福祉協議会の職員だもの。でも区役所の地域福祉課長もよくでてくる。あのひと『トッカン』で税務署の特別徴収官をやっていた人だ。公務員役がにあうのかな。主人公は深田恭子だ。


遅ればせながらの名古屋市人事異動の感想

2014-04-02 22:11:29 | 名古屋

毎年3月末には中日新聞(名古屋市内版)にのる4月1日付の名古屋市人事異動を見て感想を書いているけど、今年はその中日新聞の人事異動記事を読み損ねた。実は新聞は日経しか取っていないので出ている号をコンビニとかで買っていた。ところが今年は買いそびれた。でも不思議だなあ。この時期には朝刊は喫茶店でみて載っているか調べて夕刊はコンビニで買っておいたのに気づかなかった。以前は夕刊にのっていたが去年から朝刊に載っているらしい。名古屋市職員専用スレッドをみて3月29日土曜日の朝刊に載っていたらしい。その日は朝に喫茶店で中日新聞を確認したつもりなのにどうして見落としたのかな?納得できない気がしたので今日志段味図書館にいって新聞を閲覧したがやはり見つからなかった。ひょっとしたら守山区は名古屋市内版の範囲から外れたのかな?まさかね。

ともかく(役職者)人事異動の一覧が見たいので、インターネットで「名古屋市人事異動」を検索すると中日新聞の一覧表が出てきた。だが何かおかしい。これは去年のものではと思うのだが、発令日も記事の発信日も書いていない。新聞社のウエッブサイトにしては致命的な欠陥だなあ。そこで名古屋市役所のホームページの職員部人事課から平成26年4月1日付の人事異動のPDFをコピーした。紙と印刷時間を惜しんで1ページに4ページ分印刷したから字が小さくて読みづらくなった。そこで思い出したのはPDFソフトの「eCOPY PDF Pro Office」の検索機能だ。スキャナーの不工合を直すために色々なぶった時にスキャナーの添付CDに入っていた付属ソフトをみんな入れてみた。その時から以前からのPDFも含めてすべてのパソコン内のPDFはeCOPY PDFの管理下に置かれる状態となった。

さっそく知り合いの名字で検索したらその名字のリストが出てくる。あまりない名字の人で異動がなかった場合はでてこない。氏名では検索できない。というのは人事課の異動表では名字と名前の間に空白があるからだ。もちろん山田太郎氏なら「山田  太郎」と入力すれば異動表にあればズバリ出てくることになる。でも現実的には「山田」で検索して、出てきたリストの何名の中からさがすことになる。

そこで本人が異動するだろう予想していた友人を検索したらなかった。つまり異動しなかったわけだ。そのあとはプリントアウトした紙の方をざっと見回したがあまり知った人はいなかった。同期の大卒はもういない(再任用ではいるかも)からね。現職の時えらくもなかったから出世しそうな子飼いの部下なんてものもいない。まあ名古屋市人事異動なんてものは自分とほぼ無関係になっている。

でもチョット感想を書いておくと、今年の人事異動のニュースは国土交通省から官僚が出向してくることだ。政令市で唯一中央官庁からの出向者がいなかったから大きなニュースにちがいない。リニア新幹線絡みらしいとのこと。手元に新聞記事がないから正確にはわからないが、すると旧任が「採用」になっている。住宅都市局長の黒田昌義氏がその人かな。でも何故なんだろう。たぶん多くの人は報道どおりのリニア新幹線対策と言うだろう。そりゃあリニア新幹線に関して局長級の役職を作ったというからリニア新幹線が名古屋市にとって重要なのだろう。でもよくわからないなあ。名古屋市にリニア新幹線の停車駅ができても東京や大阪への到着時間が短くなるだけで名古屋市政にとって大きな変化ではないような気がする。現在のJR名古屋駅の他に市内の他所にリニア駅が出来ても今さら大都市名古屋市が開発等で大変貌するわけもない。しかし僕はリニア新幹線についてはあまり知らない。リニア新幹線は失敗するという本もあるらしいけど読んではいない。もしリニア新幹線で名古屋市の対策が必要な事態があるとしたら、リニア新幹線が名古屋市を通らない事態が予想されることだ。そうすると名古屋市が経済のリンクから外れて唯の地方都市になる可能性がでてくる。だから国土交通省から出向を受け入れたのか。

でももう一つの解釈は、河村市長が市役所内に自分の使える手駒が欲しくて中央官庁から出向を求めたというもの。自分が引っぱってやったから言うことをきくと言う期待からだ。でも次期市長後継者の約束がなければ絶対に恩に着ないよ。国家議員の時は中央官庁の役人を目の敵にしていたのに名古屋市役所では味方が欲しくて中央官庁から役人を受け入れるのは本末転倒。職員内にも味方になりそうな者もいるかもしれないが見つける方法がないのだね。なお中央官庁からの役人は次期市長にすると言う密約がない限りあくまでも忠誠の先は本省だからね。長野県にいた人みたいにわざと目立つように首長に逆らって本省にアピールするかもしれない。でもこれも想像。リニア新幹線かも。でもどっちにしても中央官庁からの出向者は意味がない気がする。


近況について

2014-03-21 21:16:47 | Weblog

毎年今頃の時期に書いていた確定申告とか、この間まで時々書いていた本の自炊の話など身辺のことを最近書いていない。そこで今日書こうと思う。ちょうど自炊関係で個人的だが感慨深いことが起きたからね。

その前に今日昼食でバーミヤンに行った時、テーブルにサービス(or宣伝)で置いてある読売新聞の「シカゴから」と言うコラムで中村祐輔シカゴ大教授が、STAP細胞について「私も論文を読み、がん細胞との関連に興味がわきました」と書いていた。僕は「おお!」と思った。知ってのように僕は先日ここで「ガン細胞も万能細胞も初めは同じものかもしれない」と書いていたものね。もちろん僕は『Nature』の論文を読んでいない。と言うより読めない。報道でもがん細胞云々とまでの解説はなかったと思う。自然発生性については書き出す前から念頭にあったがガン細胞については書いているうちに浮かんできたもの。僕の文はまるっきり素人の当てずっぽうの論議だけど、こうなると、このがん細胞については小保方さんもあっている気がしてきた。と言うのは僕には「ふと思いついたことは実現する」という法則みたいなものがあるからだ。無理に起こそうとしても起こらないが、ふと思うとそのことは起こるのだ。僕がそううまくもないのに麻雀をやり続けるのは、面白いからが第一だけど、稀に積もる前にふと「積もった」と無意識に声が出てしまうと、かならず積り上がりするからだ。その経験を確かめたいために麻雀を続けている面もある。

さて今日の本題、まず確定申告。これは国税庁のサイトを利用してパソコンで作成してプリンターで印刷して税務署に3月12日に持って行った。去年も自分のパソコンの都合で作成に苦労したが、今年も作成途中でコンピューターの長い中断があり去年以上に手間がかかった。去年はパソコン画面に現れていた指示に従えば解決したが、今年は「nta.go.jpは、長時間のスクリプトが原因で応答しません。」の表示が画面下に出て、これはただ待つのみ。あまり動かないのが長いので初めからやり直すこともしばしばで2~3日かかった。初めは申告期限まぢかで国税庁のコンピューターも混んでいるのかと解釈したが、今ではこちらのパソコンのほうの問題かもしれないと思っている。

ところで今年も所得税は5万円以上還付になる。株と投資信託に源泉徴収と配当控除があるからだ。つまり配当所得のある人は他に所得があっても税金が戻ってくるか安くなるということだ。これは資産家のトリクルダウンを準プロレタリアートの僕が受けていることか。

ただ所得自体は増えているので住民税はかなり収めることになりそうだ。投資信託は「アジア好配当」が25倍の配当月が昨年前半に2回あってそれが大きい。これは新規の出資者との条件の調整のため利益を従来の持ち主に配分したのだろう。逆にブラジルボンドは月々の単位の配当が120円から90円に減ったので今は月々の生活がきつくなっている。ブラジル経済はあまり良くないのだろう。

それから今年の確定申告では母親は被扶養者でなくなった。昨年は後半はともかく前半は分配金が利益からの分配金だったので所得オーバーとなり扶養家族にはならなかった。利益の配分の分配金と元金の切り崩しの特別分配金の割合で母の総所得が年ごとに違う。だから僕には同居老親の扶養控除と母親に医療費分の医療費控除がなくなった。所得税は大部分の源泉税が還付となるけど住民税はかなりの負担になりそう。それは税率が所得税では5%なのに住民税は10%と住民税の方が高い。それなのに配当の源泉税が所得税は多く住民税が少ないのに配当控除は逆になっている。共済年金は所得税が源泉徴収されているが住民税ではされていないので還るものがないどころか課税所得が増える。基礎控除始め主な控除は所得税のほうが大きい。こんなわけで住民税と所得税の関係が不整合なので6月に収める住民税がかなり大きくなると予想される。なお国民健康保険料も大きい金額が予想されるね。

ところで僕はいつも還付申告では年が明けたら確定申告期間以前にも申告できると言っているのに、確定申告期間のそれも終わり近くになぜ申告したのだという疑問が出てくるかもしれない。まあそんな質問が出てくるはずもないけど、説明しよう。それは変額個人年金保険の受け取り金の扱いがわからなかったからだ。去年の2月受け取った。2009年4月に200万円支払って運用により220万円以上なったら解約するというもの。去年の2月に2,162,887円受け取った。220万円でないのは国税と地方税が引かれているから。手元に残っている「お支払のご案内」には確定申告について指示が書いていないので迷っていたわけだ。でも結局は預金利子と同じで税務関係は源泉徴収で終了しており確定申告はできないらしい。

さて自炊について話そう。実はこのところ自炊はしていなかった。それはスキャナーの調子が悪かったのだ。カラー図の多い本をスキャンしていたらスキャナーの動きがおかしくなり字や図が変になったりして挙句に紙づまりした。いろいろやってみてあるローラーを拭くと一時的に回復するが、しばらくするとまたおかしくなる。定期的に取り替えるローラーではないので裏側がどうなっているのかわからない。なにか裏側でくっ付いている歯車との組み合わせに問題があるのか?スキャナーを分解しようにもネジは全く見当たらないのでどうしようもない。そんなわけでここのところ何週間もスキャナーができないでいた。正確には数冊はローラー拭きと繰り返しスキャンと使えるページの貼り合わせでPDF化したがすごい手間で出来上がりも満足できない。とうとう新しいスキャナーを買おうかと考えたが同じ機種を買うのはバカバカしいが新型はまだでていない。修理に出すことは時間がかかるうえにアルコール入ウエットティッシュを使って拭くというマニュアルに書いていないことをやっているので修理に出すのがはばかられた。

ところが、である。昨日ローラーを外すのに成功した。内部と歯車かなにかでは繋がっていなかった。ローラーと支える部分を清掃したら正常に動き始めた。腕時計の電池交換用具を使ってローラーを外したのだが、多少力を入れて外しても大丈夫なことが分かったのでいつでも外せる。また差し込みも定位置で力を込めれば元に戻る。不具合の原因は汚れのためローラーがうまく回転しなくなることだとわかった。

こうして直ってしまうと1時間前の悩みが嘘のように思える。物事の解決策は突然現れ、そしてその瞬間世界は変わってしまうのだね。昨日の昼までは今日僕が午前中懸案の数冊をスキャナーにかけてiPadに取り込むことができたなんて想像できなかった。重要な変化はあらかじめ計画と予測はできない。これを改めて痛感した。でも世の中には世界を計画的に変えることができて計画することが大事だという人が多い。役所でも「○○を決めてくれないと計画が立てられない」って人が多いね。僕はその時点での計画のメリットがわからないし、不確定要素が多いからその時点で計画を立てるべきではないと思うけど。計画派が役人には多いし評価もされるかな。でも住民の役に立つのは計画主義者ではない。


STAP細胞論文出現の謎解き

2014-03-17 23:00:03 | 社会経済

小保方さんの『Nature』に載せたSTAP細胞についての論文についての問題点がいろいろ指摘され論文の取り下げが噂されている。また小保方さんが早稲田大学に出した論文も無断引用が指摘されこれまた小保方氏は取り下げ意向があるとのことだ。

得意の絶頂からの転落とは猪瀬元都知事に限らずどこの世界でもあるみたいだ。まあ僕のような人間には得意の絶頂なんて来ないから転落もないけど。でも卑下しているわけではないよ。陽明学的人間には得意の絶頂なんて似合わない。つまり外的な評価や基準での得意だとか栄光は関係ない。並び大名の局長になるよりもオンリーワンのスーパー公務員がいいに決まっている。刑事ドラマの主人公はなぜみんなヒラなのか考えよう(太田肇『お金より名誉のモチベーション論』)。アレ?近頃キュアリアの刑事物が幾つかあるな。杉下右京と海月千波(『戦力外捜査官』)はキャリアの警部だけど部下がいないのも同じだからヒラみたいなものだけど、『隠蔽捜査』の主人公は警察署長だ。でも定年間近の杉下右京と大学出たての海月が同じ階級とは!普通の役所なら懲戒処分があったか自発的な降格申し出があったかだろうね。福家警部補もキャリアで自発的な降格のケースだね。とすると未亡人の面接官と科捜研の技官以外は皆キャリアか!いまの刑事ドラマキャリア信仰が過剰。ともかくいつまでも警部ぐらいの階級では中央官庁の東大出なら普通は外資へ転職しちゃうけどね。右京は陽明学徒か?陽明学者の山田方谷は明治政府の出仕の要請も断った。陽明学と同じ本質のオーストリア学派経済学的にはハイエクがノーベル賞について「自分だったらこのような賞の創設を推奨しなかった」と言ったのは理解できる。

さて博士論文も取り下げて博士でなくなると、小保方さんも理研からも追い出されて、ただのお姉さんになってしまう。そうなると東進ハイスクールの講師でもやるのかなあ。

無駄ばなしはここまでにして、ここではあの『Nature 』論文が出てきた謎解きをしよう。といってもぼくは『Nature』論文を読んではいない。読めないし読めても理解できないだろう。もちろん生物学や化学の専門知識もない。でもこの経過は想像できる。見当違いかどうかは何年か経って全体像の記録が出てきた時にわかることだ。

STAP細胞と名付けられた万能細胞は実在するかといえば実在したと思う。だから空想の産物でペテンではないと思う。これは共同研究者に万能細胞が提供されていることが最大の根拠だ。もちろんES細胞やiPS細胞を手に入れて提供したかもしれないので断言はできないけど、実在するから世界で誰かが追試に成功すれば強引な手法も結果オーライになると思ったのではないかと推測する。

コピぺや画像の使い回しなんてバレることが当然予想されるのになぜ行ったのか。早稲田の院生の間では博士論文ならあまり人目に触れなくてばれない確率が大きいので割と広く行われていのだろう。成果をだす強迫観念にとらわれて結末を想像できなかったのだろう。転落する人は都合の良い結果のみ想像して悪い方は見ようとしない傾向があるのかな。

論文の捏造以前の一番の問題点は、小保方氏が独断に陥り間違った方向に研究を進めたため袋小路に陥ったことだ。そのため無理な論説を強引な方法で論文にまとめてしまった。万能細胞が存在することは事実なのだから早く世界に広めたいと言う意気込みと、期限内に成果を出さないと理研の研究員の職を奪われ研究手段を失うという焦りもあったと思う。

ある日突然に万能細胞が現れた。これはガラス管を通ってきたものの中からだ。再び同じことは起こらなかったが小久保さんはなぜかと考えた。そこでストレスということを思いついた。細胞が狭いガラス管を通る時にストレスを受けて初期化したのだと。かくして小久保さんは物理的ストレスのほかに化学的ストレスまであらゆるストレスを試してみた。するといろんな試行の後で弱酸性溶液の中で再び万能細胞が見つかった。おそらくここまでは事実だろう。でも再現性が確保されていないのに焦りから論文にしたててしまったのだ。

ストレスか!小保方さんは医学部出身でもないのに「ストレス」なんてヤブ医者が多用しそうな言葉を思いつくねえ。現代医学は「ストレス」が流行りだ。心の病から体調不良までストレスのせいにされる。ストレスの全くない人間はほとんどいないから患者は思い当たることになり先生は名医だと思ってしまう。でも以前はストレスが原因とされた第一の病気の胃潰瘍は今ではピロリ菌が原因とわかっている。ストレスの多用はご用心だ。

ストレスなんて言う医者にかかったら病気の真の原因の発見が遅れ死に至りかねない。小保方さんも同じ迷宮にはまり込んだ。

偉大な発明発見は偶然から見つかることが多い。偶然はいろんなところで起こる。でも凡庸な人間はその意味が解らず見逃してしまう。有能な人間だけがその意味を理解する。偶然とそこに居合わせる有能な人間の組み合わせが偉大な発明発見をする。ガラス管を通った細胞の中に万能細胞があった。なんかの間違いと思わずそこに重大な意味をみたのだから小保方さんは凡庸ではない。でもそこまで。秀才だけど単なる秀才だから独断の迷路に迷い込んで抜け出せない。

ストレス説が独断というのはまだ検討すべき可能性が幾つもあるからだ。再現性が確保できないのなら他の仮説も検討すべきだ。

例えば僕はこうも考えられる。細胞はストレスがなくても自然に万能細胞化したのではないかと。こう言うと小保方さんは「ガラス管を通る前にも細胞を見たがなにもなかったが、ガラス管を通った後にはあった。だからガラス管を通ったことが原因だ」と反論するだろう。でもたまたま万能細胞の発生とガラス管を通す実験の時期が一緒だったかもしれない。

ガラス管がなくてほっといても万能細胞が現れたかもしれない。こう言うとたぶん小保方さんは「ほっておいた細胞から万能細胞が現れたという事例は聞いたことがない」と言うな。でも見つかったものと存在するもの数値は比例も対応もしないことが多い。この場合は定常の状態の細胞から万能細胞を見つける試みをしていなかったためと言えるかもしれない。別の例えで話すと、鯨統一郎さんの小説『邪馬台国はどこですか?』では主人公(たぶん)が邪馬台国は岩手県の八幡平(はちまんたい)との説を述べた。すると他の登場人物は岩手県では古代の史跡があまり発見されていないからあり得ない、と言う。でも主人公は史跡の発見は道路や建物の建設工事に付随してみつけられたものが大部分だ。だから工事が多く行われてきた近畿や北九州に比べて史跡の発見が少ないのは当然だ。これから八幡平付近で工事が多く行われてくれば史跡がドンドン見つかるだろうと言った。僕はなるほどと思った。

では自然に万能細胞ができたのならどんな原因が考えられるかな?まず天然の放射能はどうだろう。地球上のどんな場所でも常に微量だが放射能にさらされている。宇宙からくる宇宙線もある。それが細胞の遺伝子に当たり初期化のスイッチを入れるかもしれない。放射能と言うのは閾値と言うものがなくここまでなら全く無害ということはない。少ないなら少ないなりに影響はあるのだ。

次は、もともと動物細胞の中では細胞分裂の過程で一定の万能細胞が生まれているとしたらどうだろう。ただそうした細胞はやがて周りに同化していって特定の機関細胞になってしまう。つまり時々「俺は誰だ。此処は何処だ」という細胞が現れるが、周りからお前は肝臓細胞だとさとされてアイデンティティを見つけ出す。ありえないなんて言うなよ。これはガン細胞からの類推。癌にならない人も時々は体内にガン細胞が発生する。すると白血球が飛んできて食べてしまうから大事に至らないだけ。ひょっとしたらガン細胞も万能細胞も初めは同じものかもしれない。周りに同化することを拒んだものがガン細胞か?いやいやガン細胞は徒党を組んで増えるから社会主義者だな。同化も徒党も嫌がった万能細胞は何処へ行く。