セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

名古屋市嘱託職員不正採用問題の報告書

2013-06-20 23:13:42 | 名古屋

しばらく書いていなかったので努力して書いてみよう。書いてなかったのは書きたいテーマがなかったからではない。数週間前に映画の『県庁おもてなし課』を見た時これについて思いついたことを書きたくなった。だが映画ではよくわからないこの物語の世界の背景を原作小説を読んで知ってから書こうと思ってすぐ書けなかった。でもそれだけが原因でなかなか書けなかったのではない。実は家にいる時はいつも見ているテレビの時間以外は本をスキャナーにかけるのに忙殺されている。将来的には謀反、ちがった、無本の家を目指しているのだがなかなか終点が見えてこない。本の解体とスキャナーがけばかりやっていると本を読む時間がほとんどないまま死んで行くのではという恐怖もある。でもたとえ一万冊あったとしても一日30冊処理すれば一年つまり365日で終わるはずだと思うと途中でやめられないのだ。

それで長い間の空白ができた。そこで今日はスキャナーを休み休みして書いてみよう。といっても『県庁おもてなし課』についてではない。旬な話題は気付いた時に書かないと書き時を失うから、インターネットで見かけた名古屋市の「嘱託員不正採用問題にかかる中間報告書」を読んだ感想だよ。

http://nagoya.ombudsman.jp/data/130403nagoya.pdf

この「嘱託員不正採用問題」というのは名古屋市役所の健康福祉局が国民健康保険料滞納整理嘱託員を採用するにあたって採用選考試験を行ったが、市議会議員から圧力を受けた市職員が特定の受験者の答案用紙を改ざんして不正に採用としたもの。のちに「市長ホットライン」への匿名電話により判明したもの。名古屋市は関係した3人の職員を刑事告発したが不起訴(起訴猶予)となった。しかし名古屋市の処分は2名が懲戒免職で1名が停職6カ月となった。

この専門調査委員(弁護士)の中間報告書は僕が見たのは今日だけど、文書自体の日付は「4月3日」となっている。関係職員の処分は最近だからこの中間報告書が処分の判定に使われたのは明らかだ。

さて気がついたことを書いてゆこう。刑事告発された市職員は3名だがなお数名の市職員が関係者として中間報告書にでてくる。停職処分となった丙(文書上の仮名)の職務上の後任者の丁もその一人だ。採用選考試験は主査が担当らしい。主査というのは係長級の役職だがラインではなくスタッフだ。一般に主査から係長にキャリアが進むと思われている。22年3月時点での主査丙は上司の保険年金課長(乙)から不正を指示されているが4月1日の異動で同じ課内の保険料係長になった。そうすると4月24日に行われる採用選考試験の担当者は新任の主査丁となる。丁は丙から議員案件として付箋の付いた二通の募集申込書を渡されたが、課長の乙のところまで行き「議員要請には応じない」「試験は公正にやる必要がある」と言った。乙が「局長から言われている」と言ったところ、丁は「私が局長に言います」といったので、乙は「それには及ばない」と止めた。丁はこの案件はこれで解決したと思った。かくして再び丙にお鉢が回ってきて丙は試験日の昼休み中に会場にもぐりこんで答案用氏を改ざんすることになる。

丁は立派だ、丙はバカだという意見に僕も100%同意する。しかし僕が気にかかるのは丙の対応の仕方だ。誰しも不正なヤバイことはしたくない。だから丙も当然に最初は断った。でもその断り方が悪かったので付け込まれたのだ。丙は乙から最初に頼まれた時「他の人に頼んだらどうか」と言った。これがよくない。本当は「不正なことだから出来ない」と言うべきだった。こう言うと乙は話を続けられなかったはずだ。(自分でなく)「他の人」ならいいようなことを言うから、「他の人に頼めないからお前に話している」とつけ込まれるのだ。『八重の桜』ではないが「ならぬことはならぬのです」と突っぱねるのが正しい。

オット、でも凡庸な公務員がよく言う「規則ですからできません」とは違うぞ。「規則ですからできません」の多くは能力不足かめんどくさいからやりたくないということが多い。

あ、そうそう乙課長は丁に「局長から言われている」と言ったね。局長が知っていたかどうか疑念があるが、経過からして局長が直接乙と話した場面がないし話す必要があったと思えない。だから局長云々は乙の作り話しだと思う。僕は以前(2012-12-22)に部長は懲戒免職で課長と係長は停職と予言したが、課長が懲戒免職になったのは局長の名前を出して嘘を言ったことも関係しているかもしれない。

ちなみに係長丙は実行犯なのに停職6カ月なのはやはり通報者なのだろう。しかし停職6カ月というのは停職の最大ではないのかな。停職は3カ月がよく聞くが、停職1年は聞いたことがないからないのだろう。しかし停職中は給料がでないから貯金が相当なければ生活できないぞ。若い人なら海外へ放浪旅行してきますもいいが。50を過ぎていてはね。あ!そうだ停職中に四国四十八箇所巡礼したらよい。そうすれば市長や人事当局の受けがよくなるかも。

えーっと、あと一人の当事者の生活福祉部長の甲だけど、議員から話しを持ち込まれた段階でキッパリ断らなければならないので一番罪が思いと思う。でもここでの考察は最初の議員とのやりとり内容。議員が「局長に言えば良いのか」といったところ、「自分の『部』内で処理しなければいけないと考えた。」と報告書に書いてある。これはどういうことだろう。一般に公務員は上司をよべとか言われても「どうぞどうぞ」というところ。あまり上の方を呼べと言われても困るけど一階級や二階級上ならよい。生活福祉部長から局長は一階級か二階級だけ上だもの。僕なら「どうぞ局長とお話ください。でも結論はかわりませんので、あまり大ごとにすると議員自身のお立場によくないと思います」と言うね。

この場合の甲の問題は、局長とあまり関係がよくないので、局長のところまでいかれると、あとで局長から「なんで自分のところで処理しなくて厄介な問題を俺のところまで持ち込むのか」とお目玉を喰らうと思ったのだろう。まあ「厄介なことは自分のところまで持ってきなさい」なんていう役職者はあまりいないけどね。


橋下発言と日本文化

2013-05-18 12:16:31 | 社会経済

今日は本の自炊を少し休んで書き込みする。

まずは橋下大阪市長発言について。橋下氏の発言は本人の意図とは別にアメリカ国内の韓国系市民による「性奴隷」論者を助けたね。と言うのは、多分アメリカの大部分の市民は韓国系市民がいかに叫ぼうとも関係ないからほぼ無関心で、また韓国系市民のことだから誇張が多いのではないかと思うのだが煩わしいから信じたフリをしていたと思う。でも橋下発言で「他の国もやっていた」と言われると、アメリカ市民も「おいおい、それは違うぞと」と関心を高めたと思う。

日本の否定派の論拠は「従軍慰安婦」は民間業者の売春業だから国家権力により狩り出されものではないということ。だから他国にもあるだろうと橋下発言が出てきた。しかし奴隷かどうかは自由に辞めたり入ったりできるかということ。戦前の日本の売春業には借金とかによる拘束が大きい。だから他国と同じとは言いきれない。

会社の仕事が嫌でイヤで仕方がなくても辞めることが出来ないならばそれを「賃金奴隷」という。従軍慰安婦たちが自由に辞めたり就業できたりしたかが解明されなければならない。あ、もちろん補償をうけなければならないと判断されるなら謝罪は別としても補償すべきは韓国政府だ。日韓基本条約があるからね。

ところで橋下氏は「沖縄の駐留米軍は風俗業を活用しろ」と言ってアメリカ政府のヒンシュクを買った。アメリカ兵は買春を禁じられているのだ。橋下氏は日本の風俗業は法で認められたもので売春ではないと言う。アメリカには「ナンノコッチャ」と理解できない。これは橋下氏の説明不足。

ここは若干詭弁だけどもっと日本文化について説明すべきだったね。江戸時代、日本では政治批判は禁じられていた。もちろん演劇でも同じ。ところが本質的に現政権のことを批判しているのだが別の時代のことだとして時代設定や登場人物名を変えれば罰せられない。つまり江戸時代から日本はそれなりの法治国家だったのだ。つまり法律の形式性を認めそれをかいくぐれば違法ではないのだ。現在の日本では売春は禁止されている。売春を金銭の対価による性器の接続と定義すると性器どうしが接続しなければ売春にはあたらないことになる。そこで日本文化の特性が発揮される。売春でない範囲で売春に限りなく近い効用を工夫する。これこそ日本文化の真髄。橋下氏はもっと説明すべきだ。

でもやはりヒンシュクを買うだろうな。


名古屋市の定期人事異動報道をみて思うこと

2013-03-30 22:27:32 | 名古屋

スキャナーが戻ってきた。故障してヤマダ電機にもって行ったのは23日土曜日で戻ってきたのは昨日29日の金曜日だから一週間で戻ってきたことになる。今回は前の修理の三カ月以内で無料だから料金の確認が不要だからすぐに修理に取りかかってくれたのだろう。今回も修理方法は基板の取り替えだ。前の書き込みで「同じトラブルなら無料」と書いたけど修理報告書にある正確な表現は「同じ箇所の故障」だった。外部装置の物理的な破損でないなら大抵は基板が故障箇所となるだろう。たからスンナリ無料修理にしてくれたのだ。

でも基板の故障にしてもそのなかの一つのコンデンサーが悪くなったかもしれないし、メモリー内の設定が何らかの電磁的な影響で狂ったかもしれないのに基板まるごとの交換は勿体無いような気がする。でも悪い部品を特定出来たとしてもそこだけの交換は不可能かもしれない。また悪い部品の特定も大変な手間かもしれないので基板の交換が労力的にも合理的なのだろう。でも僕が修理担当の技術者ならきっとトコトン原因を調べてその部分の交換をやってしまいそうだ。そうすると非効率だとクビになるだろうな。

故障原因の究明が技術の向上に必要だと思うけど。多分外された基板はエプソンの研究所におくられて故障原因の究明は常に研究されているかもしれない。でもトラブルのある箇所は基板でも原因は基板の外にあって異常な負荷が基板にかかったかもしれない。ほら新型ジャンボ機のバッテリー内部が焼け焦げたけどバッテリー自身の故障とは言い切れないのと同じだ。だから故障箇所の取り替えだけではなく原因の究明もして欲しいのだ。ひょっとしたら原因はわかっているが素人には説明困難だから修理報告書に書かないだけかも。でも前回修理後からそんなに経っていないのに故障したのは真の故障原因がわかっていないのかも。前回修理と同じく今回も基板取り替えではまた直ぐに故障するかもしれないな。

ところで名古屋市の定期人事異動だが退職者の僕には中日新聞で知るしかない。今年は3月29日金曜日の朝刊に載っていた。しかしこれはチョットびっくり。いや内容ではなくて載ったのが朝刊だということ。僕の記憶する限りでは20年以上にわたって常に夕刊に載ってきた。それが今年は朝刊だ。市の希望で変わったのか、それとも中日新聞の編集上の都合か。市の発表資料の提出が遅れて28日の夕刊に間に合わず29日朝刊になったという単純な理由ではないと思う。だって25日月曜の午後4時の内示があった時点で課長以上の管理職には市役所役職者の異動一覧の冊子が渡されているはずだからその時には製本されている。ひょっとしたら内示のあと一悶着あって内示された内容では4月1日に辞令交付出来ない事態となり手直しがあり中日新聞に変更を依頼して掲載時期がずれたかもしれない。これは全くの空想。たとえあったとしても僕には知る由もない。まあ関係ないしね。

ところで今年の人事異動を見たって知っている人は少なくなって人事異動自体にはほとんど興味がなくなった。同期の人は高卒の人はまだ残っているが、大卒の人は去年と一昨年で退職してしまったからね。で中日新聞のこの人事異動報道をみて気がついたのは退職者のこと。退職者の欄を見ていて気がついたのは係長級の退職者のスペースが課長級より小さいこと。もちろん活字の大きさは同じだよ。すると係長で退職者する人は課長で退職する人より少ないのかな。局長級と部長級を加えると課長級以上の退職者はもっと多くなる。そこで数えてみた。消防局はもともと別の欄だから除くけど医師や保育園長が混ざっているので行政職ばかりではないので正確な判断はできないけど。

局長級は14名。部長級は31名。課長級は90名。すると課長級以上で退職する人は135名となる。係長級は70名だった。すると定年退職者の役職者の三分の二近くは課長以上になっていることになる。係長試験に受かって係長になった者で係長のまま退職する者は三分の一か。少なくとも平成24年度中に60歳になった人についてはそう言える。でもそれが名古屋市役所のずっとこの傾向とは言えないかもしれない。課長級以上の役職がインフレ気味で多くなってきたが係長級のポストは機構改革で少なくなっているのかもしれない。団塊の世代が多くいた時に局長級を始めとして高位の役職を量産して年限のきた下位役職者を収容したが団塊の世代がいなくなってもそれらのポストを減らさずに児童館や障害学習センターそして税収関係の係長職を減らしている。だからこれ以後はどうなるのかは僕にはわからない。

県では大抵の人は定年前に課長になるらしい。名古屋市では大卒でも係長試験に受からなければ係長になれない。大卒でもあえて係長試験を受けない人も多くいる。名古屋市の係長以上と主事の退職者の比率について僕は知らない。

地方都市ではキャリア制みたいなものをとっているのか大卒では割と早く課長になるみたいだ。昔のことだが三重県の某市に勤める大学時代の友人にあった時「また係長か、遅いな」と言われことを思い出す。

え?僕も係長で退職だろうって。その通りだけと僕の場合は定年前の退職。推理作家の斎藤栄も横浜市役所を係長で退職した。だから斎藤栄と変わりない。でも斎藤栄は「あのまま市役所にいれば局長にはなれた」と言っていたが、僕は課長になれたかな。まあなれなかったけど退職した理由の一つは人間を管理なんかしたくないし評価なんかなおさらしたくないから管理職になりなくないということもある。うんリバタリアンらしいな。


またスキャナーが壊れた

2013-03-23 22:48:16 | 社会経済

またもスキャナーが故障した。昨日のことだ。前回は電源が入らなくなった故障だが、今回は電源が入るのだが、電源をつけてもスキャナー本体の表示が「準備中」のままでいつまでも変わらない。このためパソコン側ではスキャナーは電源が入っていないとしか認識しない。前回も今回も雑誌をスキャナー中に突然故障したので外部からの物理的ショックによるものではない。前回の故障の時の感想で故障した箇所のある基板を取り替えるという修理法に疑問を持ったが、やはり故障した箇所の外に真の原因があるというシステム上の問題かもしれない。

前回の修理の報告書では同じトワブルなら3カ月以内において無料で修理してくれるとのことだが、今回の故障は少し違う。電源が入らないわけではない。でも今日さっそくヤマダ電機に持っていったら無料で修理してくれるという。さらにヤマダ電機の受け付け手数料もいらないという。また修理に1万円以上かかるなら新機種を買おうとも考えていたが、それなら修理を待つことにした。

新機種を買わないので修理が済むまで自炊はお休みだ。そこで今日はブログを書いて見る。

日銀の新しい正副総裁が就任したね。ベストな人事だね。もちろん僕の言う意味は日本政府を財政破綻させることにより日本を再生させるという意味だ。何度も言うように日本政府の財政破綻の回避は理論的には可能でも現実には不可能だ。それならいっそ早く財政破綻させたほうが既得権益をチャラにできるから日本のより良い再生にはプラスになるというもの。

副総裁の岩田氏は以前週刊誌で「リフレ派でも中途半端なことされてはいけないので自分が総裁になるのがよい」とか言っていたが、黒田総裁なら岩田氏も満足だろう。岩田氏が総裁になったとしても学者出身の岩田氏は日銀という組織運営にてこずるかもしれない。でも黒田氏は財務省出身だ。岩田氏は黒田氏に入れ知恵すればよいのだからベストカップルだ。黒田出身の「2%のインフレ目標達成のためなら何でもやる」という力強い言葉に、旧陸軍指導者を思い起こして元気づけられる。中曽副総裁は岩田黒田両氏が任期途中で首を並べて討ち死にした時の敗戦処理投手というところ。

さてインフレ目標政策での根本的な二つの疑問は、一つ目はインフレになると景気がよくなるのかということ。二つ目はインフレを自由につくり出せるのかということだ。

インフレになると景気がよくなるのかな。テレビなどでよく聞くというかそれしか聞かないけど「物価が上がると思うと人々は早めに買っておこうと思うから消費が進み景気がよくなる」と言うもの。これで「ナルホド」と納得してしまう人は多いのかもしれない。でも現実の生活者や消費者を考えれば「そんなやつはおれせん」。沢山買ったところで収納場所はないし、購買した商品は陳腐化したり腐敗したりする。だからインフレ期の消費者の行動パターンは①小まめに必要分だけ少量ずつ購入して無駄に廃棄するものを出さないようにする。②将来の支出増に供えて倹約して資金の蓄えをつくる。というところだ。インフレを予想して生活物資をため込む人なんていない。それに仮にそんな人が多くいたらかえって経済に害になる。一時的に生産が増えてもその分後でガクッと生産がおちるからね。ああそうそう石油危機のときトイレットペーパーの買いだめがあったけどあれは値上がり予想ではなくて石油が入らなくなるとトイレットペーパーが生産出来なくなるというデマのため。

大規模な倉庫を持つ販売業者や原料燃料の大量消費産業は値上がり値下がりを予想して購入額をきめるからそれから類推してしまうけと、最終消費者では現実生活にシミレーションしてみれば違うことが分かるよ。でも黒板経済学では現実生活にシミレーション出来ない人間が多い。役所でもそうだけど。

インフレと好景気そしてデフレと不景気は直接的な関係はない。むしろ論理的にはデフレつまり物価の低下と経済成長はむすびつく。つまり社会全体の生産性が上がるならばより多くの商品がより安く買えるからだ。実際に19世紀後半のイギリスではデフレで経済成長していた。われわれが100年200年前の大名貴族富豪しか持てなかったものを自分の収入のホンの一部で買えるのはこの経済成長に伴うデフレの結果なのだ。

そうそうインフレ下の経済停滞はスタグフレーションとして現実に存在したことは知られている。そのメカニズムの意味は重要だがリフレ派は全く無視しているね。その意味は今そこにある危機として後でふれる。

理屈はともかくとしで日本の高度成長のころはインフレでもあったからインフレと経済成長を連想しやすい。でもそれはこういうことだ。日本は経済成長にはいると家電の三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が普及し始める。自動車も普及し始める。ファッションも豊かになる。そうするとそうした産業の生産が活発になり就労者が増える。しかし産業の拡大が急のため人手不足となる。そんな昔は「中卒者は金の卵」といわれ、地方からの中学卒業生の集団就職というものもあった。集団就職といっても集団で同じ会社に入るのではない。先生が鉄道で都会の駅まで引率してそれ以後は各自バラバラに商店や町工場に引き取られる。就職先は先生と親が決めるので何か人身売買みたいだね。こうして賃金就労者が増えるが、労働者という消費者の増大のほかに農業世帯も消費生活に組み込まれていく。かくて消費を満たすべく生産が拡大するのだが労働供給が遅れがちで自然と賃金が上昇する。賃金の上昇は生産価格にも転嫁される(コストプッシュ)し、また賃金の上昇は購買力をたかめ消費を増やし商品価格の向上を容認しやすくする(デマンドプル)。こうして高度成長期にはインフレだったのだ。インフレは高度成長の一定条件下(新商品の急速な普及、都市労働人口増)の結果であって原因ではない。

インフレになると失業率が減ると言う主張にはフイリップス曲線という統計的図表を元にしたものでもある。インフレ率と失業率が相反の関係にあるというもの。従ってリフレ派はインフレ率を上げれば失業率が下がるという。しかしインフレ率も失業率もそれ自体を直接に操作できる独立変数ではないのでこの論議は無意味である。上に書いたように人手不足で賃金があがると製品の価格に転嫁されて物価があがるそれだけのことだ。

二つ目の疑問はインフレを自由につくり出せるのかということ。リフレ派の好きな理論に貨幣数量説というものがある。流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準をきめるというもの。金銀の裏付けのない法定貨幣の単位はただの記号だからいますべての貨幣を二倍すればすべての物価も二倍すれば実質なんの不都合もない。だから貨幣の量を増やしていけば物価もあがるように思える。しかしそれは黒板上の空論。流通速度が一定ではない。逆に物価水準が一定ならば貨幣量が増えると流通速度が遅くなるのは当然の道理。現実にマネタリーベースが大幅に増えているが物価は変動してない。

仮に貨幣供給量を増やすことで物価があがるとしたらどういう経路を通るのかな。物価というのはすべての商品の相対的な価格関係で決まってくる。そこである商品の価格が上がれば他に波及して行くものは二つ考えられる。賃金とエネルギーだ。賃金はすべての生産物の生産価格に転嫁される。エネルギーも同じだ。すると賃金を上げればよいが賃上げを政府主導できるかな。生産の拡大や外国の競争企業も巻き込む賃金上昇がなければ突発的賃上げは経営状態を圧迫するから続かない。

するとインフレの手取り早い経路はエネルギーの値上げだ。しかし賃上げとエネルギー価格の上昇は全く異なった働きをする。賃上げは消費者の購買力を高めるが、エネルギー価格の上昇は購買力を奪う。つまりガソリン代を始め電気代や輸送費の上昇は人々から可処分所得を奪う。そうすると他の商品の売れゆきが悪くなり値下がりさえ生ずる。もし円安が進行すればエネルギー価格や小麦価格や家畜飼料価格が上昇する。そうすると物価上昇2%はたやすく実現するが国民は購買力不足で不況になる。多分そうなってもインフレ率は2%でもエネルギー価格を除いたコアコアインフレ率はマイナスなのだから一層の金融緩和をといって真逆のことをやろうとするだろうな、あの黒田岩田コンビは。

しかし確実に円安にする方法は不明だ。金融緩和は自国通貨の価値の毀損だから窮極的に円安だろうが、その中間が不明だ。昨年末からの円安株高もEC危機の一旦の回避による避難先からの通貨の回帰とアメリカの株高に連動という従来通りのパターンから一歩も外に出ていないのでアベノミクスのせいとは言い切れない。幸運も実力の内という評論家もいるけれど、真珠湾にしろ、ヒトラーのソ連侵攻にしろ、調子よすぎる始めには必ず罠がある。ミッドウェイもモスクワ攻略断念も6カ月後だ。参院選直後に転換点がくる。


スキャナーの帰還

2013-03-06 22:12:31 | Weblog

修理に出したスキャナーが戻ってきた。しかしチョット変。変というのはスキャナーの調子ではない。今日スキャナーを返してもらうまでの経過。先週ぐらいにヤマダ電機から「メイン基盤が悪いので取り替えるのに1万5千円かかるがどうしますか」という電話があった。僕は「メイン基盤云々」に引っかかるものがあったが、新品は4万円ぐらいするので修理をお願いた。

今日は修理のためヤマダ電機に持ち込んでからちょうど2週間目ぐらいだ。修理が終わったら電話があるはずだが今日の午前中まで電話がなかった。たまたま今日の昼食はカッパ寿司にしたので帰りにちかくにあるヤマダ電機に寄って見た。そしたら女子店員がトランシーバーか携帯電話みたいなもので担当の店員か誰かに聞いてくれたがまだ届いていないとのことだった。預けたときヤマダ電機の担当者が最初に2週間ぐらいその後2・3週間と言ったのを思い出した。その時は遅れたときの保険で多めに言ったのだろうと思ったが、やはりそのくらいかかるのかと思った。でも基盤を取り替えるぐらいの修理なら、修理OKの許可がでたなら一日もかからないと思うのだがなあ、とも感じる。

ところが家に帰ってから数時間経った午後5時ごろヤマダ電機から電話があり修理ができたので取りにきてとのことだ。料金は15,750円。端数の750円は消費税だな。そこでふと思った。今日来るという勘が少し狂って家に帰った後にヤマダ電機に届いたのかな。でもこうも考えた。本当は何日も前にきていたが担当者が処理忘れか連絡忘れでどっか片隅に置き忘れられていて僕の帰った後に担当者が「そういえば」と思い出したかもしれないと。役所でもあるうっかりミス、民間企業でも当然あると思ってしまう。

早速ヤマダ電機に取りに行った。え、何か嫌味か苦情を言ったかって?昔区役所の窓口にいた時に同僚と話し合った感想では「役所の課長クラスで退職した人が一番口うるさいクレーマーになるのでは」というもの。僕は係長での退職者だからクレーマーにならない。でも「メイン基盤の取り替え」というイージーな修理方法について少し感想を述べた。こういう感想を持っていることをメーカー(この場合はエプソン)に伝わればと思ってだ。「基盤が故障したから基盤を取り替えるってことだけど、基盤の周りに原因があって結果として基盤に余計な負荷がかかって基盤が壊れるということもあると思う。だから基盤の故障ではなくてその原因を明らかにした方が良いと思うのだけど」。あ、それと「修理のついでにゴミの溜まった内部のオーバーホールをしてくれているとうれしいけど」とも言った。女子店員は笑って「さあ?」と言った。

ちなみに帰って液晶表示の窓口を見ると以前と同じく細かいホコリがみえるし、紙詰まりのとき開けられる機械内部も以前と同じく細かい紙のホコリが残っていた。オーバーホールしてくれなかったのだ。期待はずれ。

ところで機械についていた修理報告書には修理完了日は3月2日とある。あれ3月2日は土曜日だ。おやまあ休日出勤までしてくれたのか。それともエプソン販売株式会社は労働者酷使のブラック企業か。でも土曜日に修理完了だと発送は週明けの月曜日とすると水曜日着なら日程的に合うかな。


伝説の助役、伝説の副市長

2013-02-28 22:50:11 | 名古屋

住田副市長が市長選にでないことになったね。実は僕はこうなることを予想していたと言えば信じるかな。つまり住田副市長は市長選に色気は持っていたが、自公民の3党こぞっての推薦が条件だが結局公明党がまとまらなくてボツになることさ。まあ書いておかなかったので証拠はないが、とにかく当然の理屈としてでも後付けの解釈にしてでも解説しよう。

住田副市長が市長選に色気を持っていたのは副市長を3月31日で辞任すると表明した時にわかる。市長選に出るのかという記者の質問に「今は副市長の職務を果たしたい」とはっきりと否定しなかったことだ。市長選に出る気がないのなら「その気はありません」ときっぱり否定したはずだ。おっと同じ否定でも「○○%ない」と言うのは信じられない。「○○%」というのは客観的予測の形だから嘘をついた罪悪感が消せる。想定外のことはよくあるからね。でも「その気はない」とか「その意志なない」というのは嘘をつくという罪を犯す覚悟がいる。だから嘘をつけない実直(意外に公務員に少ないけど)な公務員の住田副市長は否定できなかったのだ。

それから3月31日の退職も市長選出馬に可能性を残している。つまり市長任期まで副市長を勤めると、市長任期満了前30日以内に施行される市長選に出られなくなる。副市長は辞職する20日前までに市長に辞職願を出して市長の承認を受けなければならないから、市長が承認しなかったなら困ったことになる。もちろん立候補の権利はあるので市長選に出場して副市長失職ということも可能かもしれないが、そんなゴタゴタは絶対に避けたいだろう。だから市長任期まで副市長をやる姿勢なら市長選に出馬はないとみられる。

3月31日は市役所の定期人事異動に合わせたという。替わりの副市長を局長クラスの定年退職者から任命できるというもの。もっともな配慮にみえるがあまり意味のない気がする。あまり意味がないと言う理由は、一つは選挙後に市長が外郭団体の役員になっている者から副市長を指名しても良いと思うし新しい人が市長になる可能性も考えるならばそのほうが合理的だ。また住田氏自身の場合と同じように定年前の人の抜擢だって可能だ。

二つ目は、政令市の副市長は3人までおけるが今は2人いるだけ。民間人枠にした1人分が空いている。だから退職者から1人副市長を補充しながら住田氏もしばらく副市長のままでも支障がない。むしろ引継ぎを考えれば暫定的に3人体制のほうがよい。

では市長選に色気があった住田氏はなぜ出馬しなくなったのか。それは新聞報道どおり公明党が推薦しないからだ。信じるか信じないかは勝手だけどここまで僕の予測どおりだ。自民党は言い出しっぺだから当然推薦する。民主党は以前には自民党と首長選挙で相乗りしないと言う方針があったがそんなのは霧散したので推薦する。しかし公明党は市会議員個々人では市役所共同体に巻きこまれているから反河村で住田氏を支持したいが、影響力の極めて強い地元の創価学会が「河村さんでもええがや」と言ったら住田氏を支持できない。

だいたい名古屋市役所幹部は伝統的に「(共産党は別として)全ての会派の推薦があれば市長選に出るが、そうでないならダメ」の人がほとんど。これは名古屋市役所幹部にはほとんど調整型の受け身人間ばかりで政策発進型の人間はあまりいないからだ。言い換えれば口まで運んでくれれば食べるけど自ら火中の栗を拾うことはしたくないということだ。まあ何かやりたいことを出してこれを支持してくれる政党なら推薦を受けるというようなアクティブな人はそもそも役所組織で幹部になれない。あ!いや昔、大山とかいう公害対策局(今は環境局)長とか農政緑地局長をやった人がいたな。汚職で退職したけど、本人は雑誌に京大閥と名大閥の争いに巻きこまれたようなことを書いていたが、出る杭が打たれたようにもみえる。オット話が脱線した。

でも逆にこれがやりたいから出馬するので推薦してくれと各党に要求する市幹部がいたら各党は引いてしまうだろうね。とくに民主党は「何かやりたい人」は河村市長でだいぶ懲りているはずだ。歴史的に市幹部出身の名古屋市長が多いのは市役所共同体での(利害の)調整型が求められているせいだろう。住田氏は能吏でありながら、いや能吏だからこそイコール調整型で政治家型でない。だから調整困難な党派対決はもう嫌だろう。それで市長になりたいせいでなくても副市長を辞めるのだろうと思う。自公民三党まとまれば市長選に勝てる可能性があり勝てば市長を失った減税名古屋は失速するから問題でなくなる。だから公明党の支持は絶対不可欠だった。

ところで以前に「住田副市長は特例の人」と書いたけど40年近く前にも「特例の人」の助役がいた。僕が名古屋市に就職したのは1974年でその前年の1973年に革新の本山市長が誕生した。お!ご明察。革新市長の誕生で組合の人員要求から多く職員を採用したのだ。でも言っておくけど僕はギリギリの成績で入ったのではないよ。もちろんトップクラスではないけど。でその時の助役が浅井助役と今城助役だった。新規職員の研修の講演は今城助役だった。今城助役は革新市長に強い敵意を持っていて講演でそれをぶちまけておりビックリした。でも今城助役は関係ない。すぐやめたし。「特例の人」というのは浅井助役だ。住田副市長は定年前に下級の理事から副市長に抜擢されたという点で異例だが、浅井助役はたしか給仕の身分で名古屋市役所に入り在職中に高等文官試験に合格したという人だ。高等文官試験は後の国家公務員上級試験や一種試験で東京帝大法学部なら大概受かるがそれ以外はほとんど受からないというもの。

浅井助役は人望もあり本山市長の2期目の市長選挙のとき自民党から市長選挙出馬の要請があったが「助役として仕えた本山市長とは争えない」として固辞した。かわりに自民党から推薦をうけて出たのが教育長の日比野氏だ。本山氏と日比野氏。何れも 地下鉄の駅名とおなじ苗字だ。かくして当時は東山線と名港線(?ひょっとしたら当時は名城線かな)の対決と言われた。勝ったのはもちろん本山氏だ。

浅井助役も本当は勝ち目を考えての結論かもしれないが当時は美談と思われた。浅井氏は助役退任後に名古屋市博物館長を務めた。住田副市長は僕と同じ年齢だが途中採用だから助役時代の浅井氏は知らないかもしれないが市博物館長の浅井氏については元助役の大物館長として名前を聞いたかもしれない

浅井氏は「伝説の助役」。そうすると住田氏は「伝説の副市長」になるのか。住田副市長はこのあと市博物館長になったら面白いのに。


レジューム・チェンジ

2013-02-25 17:11:00 | 社会経済

くにさん、私の2012年2月16日のブログについて先日コメントで中国製品の日本についての他国におけるよりより強い影響力についての実証的有益な資料を教えてくれてありがとう。いわゆるデフレと中国国製品との関係は無職で週に何日もスーパーやホームセンター100円ショップに出かけている自分には実感できるものです。

さて今発売中のVoice3月号にはジム・ロジャーズの「日本は金融緩和をただちに止めよ」というインタビュー記事のタイトルの他にもうひとつ「そのとおりだなあ!」と感心したタイトルがついたコラムがある。それは飯田泰之氏の「『レジューム転換』としてのアベノミクス」だ。確かにアベノミクスにより財政破綻がくれば政官癒着と既得権益の戦後政治経済体制の体制変換(レジューム転換)が起きる。それこそ僕の待ち望むものだ。

もちろん飯田氏の言っている意味が違うことは百も承知している。飯田氏の言うレジュームとは経済政策体系のことだ。安部首相の発言にもこの「レジューム転換」という言葉がよく出てくる。多分もとは中野剛志氏(京大准教授から経産省に復帰)からだろう。中野氏の本には、今までデフレになる政策ばかりやっていた(デフレ・レジューム)からデフレから抜け出せなかった。だからレジューム・チェンジ(レジューム転換)してインフレ・レジュームにしなければならないというもの。

でもなあ、その後いろいろお説が出てくるのだけど、ここから入るのはマインドコントロールの手法で騙そうとしていると警戒してしまう。イヤイヤ中野氏には騙そうという意識はないだろうがそれはカルト教の信者の布教者も同じだ。

マインドコントロールとはこういうことだ。占い師なり教祖なりが病気か事故で不幸にみまわれて相談にきた人に「あなたは不幸になることばかりやってきたから不幸になったのです」と言ったらどうだろう。自己に原因があるのではと思うような罪悪感の強い人がたいていは納得してしまうのではないか。いや俺なら席をけって帰るとあなたは言うかもしれないが、そんな人はもともと相談にいかない。まあ占い師ではない僕なら「たまたま不幸な出来事が起こったがそれを現在未来に持ち運ぶのはあなたの心だ」とマインド・チェンジを勧めるね。

話は戻って飯田氏のコラムの主旨は、安部内閣になってまだ具体的な経済政策は行われていないのに円安になり株価もあがった。飯田氏は口には出さないが、健全な判断力の人なら「何もやらないのに円安になったのだから経済金融政策は関係ないのでは」とか「今まで(前政権)の政策の効果が遅れて出てきたので政策変更は不要では」と考えるかもしれないことを念頭においてそれらを否定しようとする意図がある。ここで飯田氏は「期待」とか「予想」の重要性を強調する。「政策に関する基本姿勢(レジューム)が変わったと受け止められたならば、政策の実施を待たずして、実体経済は大きく変化する」と書いている。

飯田氏はどうか知らないがリフレ派の人は「インフレは貨幣現象」とか「為替は金融政策の違いの結果」とドグマを掲げるが実体と齟齬かでても「期待」とかを持ち出すので反証できないなあ。おっとこれって反論できないからまいったといっているのでないよ。リフレ理論は擬似科学で科学ではないから理屈での駆逐不能だと言っている。これは僕にとって不利ではない。そういう誤った考えの人たちがいるからこの世で相対的に自分が有利になれるもの。

ところで飯田氏は「1970年以降、経済学研究では、『期待』『予想』が重視されるようになった。現在の経済学では、足元の貨幣量や政策よりも、『将来どのような政策が採られるか』『金融緩和政策はどのくらいの期間継続されるのか』が資産価格や企業行動に決定的な影響を及ぼすと考えられている」と書いている。でもアメリカのアカデミズムの世界では1970年以降かもしれないが、世界の経済史ではそれ以前から「期待」や「予想」か非常に重視されることがあった。それはバブルの中でだ。チューリップの球根に馬車1台と同じ価値があると思うかい。もちろん大金持ちの園芸家が特定の球根に大金を払ってでも欲しいと云うケースはありうるがそれは市場価格ではない。ただバイヤーがより高い値で売れるという「期待と予測」で売買したのだ。しかしバイヤー間の「期待と予想」のキャッチボールは根拠のないものだ。やがてバブルは破裂する。日本の土地バブルもそうだ。土地は値下がりしないという「期待と予想」で土地は値上げした。でもその値段で買って建てたアパートの家賃で元が取れるのか。その土地の地代に見合う営業収益が出るかが本当の購買者の決め手となる。だからバブルの破裂は必然だ。だけどバブルの中にいるとこんな高いのはおかしいと思ってもバイヤーの「期待」と「予想」が有る限りまだいけると思のだ。

1970年以降アメリカのアカデミズムの経済学研究で「期待」と「予想」が重視されるようになったのは、アメリカがドルと金の交換を停止してドルを垂れ流すようになったため経済が金融経済化するとともにギャンブル化したため。

思えば株式投資もギャンブルだね。「期待」と「予想」に満ちている。ある企業が画期的な製品を計画しているという情報が流れる。そうすると株価は大きく上がるね。株を買う人がいるから上がるのだけど、その企業の将来の業績が上がるから今買おうというまともな人はホンの少数。多くは「業績を予測して買う人」が出てくることを予測して買う人と「『業績を予測して買う人』が出てくることを予測して買う人」が出てくることを予測して買う人ばかりだ。でも親亀こけたら皆こけるぞ。

バブルの中にいると「期待」と「予測」が重要と思えてくる。だから飯田氏は「あれ?いま俺は何を言っているのだ。千古不変のバブルの時の合言葉ではないか」と考えてみることだ。

なお円安が進んだのは前に書いたけどユーロ共同債で欧米経済が小康状態になりドルが避難先の円から回帰し始めたのと、もちろん安倍内閣への期待もある。もちろんその期待は日本が財政破綻に一歩踏み出すというもの。


僕が余分にお金をもてないわけ

2013-02-20 21:32:24 | チャングム

あ、そうそう14日の確定申告の内容報告が中途半端だな。結論からいうと源泉徴収税額の全額の59496円が戻ってくるはずだ。源泉徴収税額の内訳は、投資信託配当から27808円、株の配当から13657円、共済年金から18004円だ。

でも総所得金額より控除額が大きかったわけではない。課税所得金額が228000円ありそれに対する税額は11400円だが配当控除が39373円あり差し引き所得税額か0円になったためだ。今年は母親の配当所得が少ないため同居老親の扶養控除ができたことと母親と自分の医療費を合わせて医療費控除額を受けられたのもよかった。また母親の確定申告も同時に提出したがそれは16624円の還付になる。

ちなみに医療費の領収書の金額は僕のほうが大きい。毎月処方されるアトピーの漢方薬が高いからだ。オムツ代を含めると母親のほうが大きいかもしれないが医師の証明書がいるからその分は申告しなかった。でも還付税額には変化はない。

2月中か3月始めには還付税が振り込まれると思うが4月から7月は大変お金に苦労するかもしれない。4月には固定資産税が20万円以上払わなければいけないし、6月の市県民税の納税通知もかなりだろう。所得税は還付になっても市県民税は控除額が低いのに税率が所得税より高い。それに配当からの源泉されている税額が小さい上に配当控除が小さい。そして勿論今年から共済年金が所得に上乗せされるが市県民税の源泉はされていない。去年までは還付でも今年はまとまった額の請求がくるだろう。でも問題は7月の国民健康保険料の本算定だ。非課税世帯でなくなるし市県民税税額の2倍以上が保険料に加わる。市県民税を計算すれはだいたいの額がわかるが市県民税の計算する気はない。確定申告すると決めたのだからジタバタしてもしょうがない。まあ生命保険料控除額とか配当控除とか10%減税とかめんどくさいからだけどね。

だから所得税の還付金はウッカリ使えない。実はグッドニュースⅡのお金は220万円ちょっとだけど株の購入は200万円以内で済んだ。だから20万円残っているのだ。そこで今月は2か月に一度の共済年金の支給月だから合わせて花王株を100株ぐらい買い増そうかと考えていたがそうはいかない。次々とお金の出先が現れた。突然損保会社から連絡で1月28日に引き落とし予定だった年額の自動車保険料が落ちてないから2月に引き落とすといってきた。すっかり忘れていた。アジア好配当株式ファンドの奇跡の配当から毎月月末に引き落とされる金額を計算して銀行口座に入れておいたのだが一年に一度の自動車保険は忘れていた。それにテレビで見た金属でも切れるデュアルソーという電動ノコギリをカード払いで買ってしまった。その上年払いの雑誌購読料がこの一二ケ月に3つぐらいある。

及時雨(kyujiu)というのは必要な時に雨が降るという経験と下級地方役人出の反逆者(水滸伝の宋江)からのペンネームだけど英語でいうならjust in time。つまり余分な在庫を持たないという意味もある。だから手持ち金がいつも乏しいわけだ。

そうそう年金のほかに投資信託が同じくらいあるのにお金が残らないのは、通販好きと流動性選嫌からの投資性向のほかに、サプリに毎月5万円ぐらい使っているからかだろう。


スキャナー故障で自炊中止

2013-02-19 20:30:07 | Weblog

昨日突然にスキャナーが故障した。機種はエプソンのES-D200だ。解体した雑誌をスキャナー中に突然停止した。電源が入らなくなったのだ。スイッチをパチパチしても別のコンセントに変えても電源が入らなかった。何だか電化製品の内臓ヒューズが飛んだ時と似ている。でも分解できないので分からない。雷が落ちたわけでもない。また連続して過度に使ったわけでもない。午前中は何冊かスキャナーしたがその後映画を見て食後に雑誌のスキャナーをし始めて十数枚スキャナーしている時に止まったのだ。

さっそく今日車でヤマダ電気まで持っていった。保証書の買い上げ日は23年1月31日で1年間の保証。だから今では修理費がいることになる。ヤマダ電気によると取次料に1500円いるという。これはメーカーの修理費とは別でメーカーの修理見積りの金額により修理をやめても払わなければならない。そんなわけで今日1500円を払って修理を依頼した。

ヤマダ電気の人の話では2週間かかるという。あれ?「2週間」ってよく聞くな。通販を電話で申し込むと「お届けに2週間かかります」とよく言われる。以前に書いたけど年金事務所でも証明書の交付に「2週間かかります」と言われた。でもいずれの場合もすぐ届いた。これはもっと早くできる場合でも余裕をつけて「2週間」と言っておけば早くなっても喜ぶことはあっても怒る人はいない。だけど2週間をこえた日数を言うとその段階で「もっと早くできないか」というクレームが出るという心理学の研究結果があるのかもしれない。

かくして当分自炊は中止だ。これは自炊した本を少しは読めという神の導きと思おう。

そうそう前のブログで名古屋北税務署に「確定申告は2月13日から3月15日」という垂れ幕があったと書いたが18日を13日と読み間違えたかもしれない気がしてきた。というのは先日愛知県美術館の「クリムト展」に行ったとき絵画の横の説明文がよく見えないに驚いた。車でも交差点の場所の表示がよく読めない。老眼かなとも思うが書店に商品の老眼鏡の見本がいくつかあったがどれをつけても反って見にくかったので老眼とも判断がつかない。もともと僕の視力は変則で左目が1.0のとき右目が0.1だった。本を読むには不都合がなかったどころかこれが便利という気がしていた。でも視力自体が落ちているのは確か。ブルーベリーのサプリも飲んでいるのにね。


自炊および確定申告並びに流動性選嫌

2013-02-16 23:04:19 | Weblog

ずっとこの頃自炊に淫しているという状態で際限なく本を解体してはスキャナーにかけている。テレビを見るときも本を解体しているかスキャナーにかけている。考えてみるとこれではこれ以後人生の終わりまで家では自炊ばかりしていて本を自炊したものも含めてほとんど読まずに死んでいくことになりかねない。そこであえて意識的に時間を作り他のこともすることにした。それで今日の午後はブログの作成。

昔は図書館みたいな家を作って住むのが夢だった。でも退職して家を作ったが母親もいるのでそんなわけにはいかずタマホームに頼んだこともあり普通の家だ。大きくはなく奇抜でもないがユニークで洒落た外装で退職した下級公務員の家としては上出来と満足しているが将来は内装等で本棚を作る改装も考えた。当面は据え付けの本棚の代わりに天井まで天板を伸ばして固定するシーリーング方式の本棚を20本ぐらい組み立て幾つかの部屋や廊下に置いた。

でも今はほとんどの本棚を撤去することを夢見ている。つまり幾つかの図鑑などの他はすべて電子書籍化して物体としては存在しなくなるのだ。もちろん立派な装丁で内容も深くまた希少な本もある。市場に出せば高く売れるかも知れない。でも全然惜しくない。マルクス経済学者なら社会的総関係の結果としてもその本という商品に価値が人の意識をこえて客観的に存在しているだろう。でも僕にとっては僕と本の内容との関係でしか価値は存在しない。読まれないまま形をとどめて何十万円という値がつく本は僕にとっては無価値だが、電子化して読みやすくなって読むことの出来た本は価値が計り知れない。ウーム、オーストリア経済学的だな、陽明学的でもある。

さて毎年この時期には確定申告のことを書いている。主として自分のための備忘録だがひょっとしたら他の人にも参考になるかも知れないので毎年書いている。それで今年も書こう。

木曜日つまり2月14日に税務署に確定申告書を出しに行った。毎年言っているように還付申告は確定申告期間以前でも出せるので14日にした。実をいうと13日午前中に作成してその日の午後までに持っていくつもりだったのだが、インターネットの国税庁のホームページを利用しての作成がうまくいかない。ホームページの案内によりうまくいかないときの処置をして見ても変わりない。去年は問題なく出来たのにどうしたことだと思っていたらパソコンのインターネット画面の下の方にいつもでてくる四角い囲いのなかに「ntaの何とかをストップしているが『一回だけ許可する』とか『ずっと許可する』」と出ているではないか。去年富士通のテレビ機能つきデスクトップパソコンに変えたので去年の今頃にはなかったパソコン側の機能のせいだ。ntaは国税庁の英語の略語と思われるので早速『ずっと許可する』をクリックしたら正常に動いた。この富士通のパソコンはこの他にも立ち上げるときに「F-Launcher」なるものが出てくる。いずれも有益な機能があるのだろうが僕にとっては立ち上がりを遅くしているだけにしか思えない。え?「説明書を読めばいい」って。ところがそうしたことができないのが僕の性質。とにかく行動するという志があってあとは行動の中で学んでいくのだ。陽明学的でもありオーストリア経済学的でもあるな。

話は飛んだがともかくも予定の13日より1日遅れで確定申告を名古屋北税務署に持っていったが、アレ?と思うことがあった。税務署の垂れ幕には「確定申告は2月13日から3月15日」と書いてある。一ケ月が確定申告の期間だと思っていたので3月15日が期限なら始まりは2月16日となる。今年の2月16日は土曜日つまり休庁日なので次の開庁日の月曜日の18日か直前の開庁日の15日の金曜日になるはずなのに。なんで13日かと思っていた。ところが家に帰ってニュースを見ると確定申告18日からという。国税庁のホームページをみても18日からだ。名古屋国税局のホームページをみてもわからない。ひょっとしたら13日から確定申告の相談はするが書類を受け付けるのは18日以降で、相談で受け取ったものは18日まであづかりにして18日に受け取ったことにするのかな?

ともかく13日から始まっていたとしても確定申告の受け付け会場は名古屋北税務署ではなく別の会場だったので税務署は駐車場もすいていた。そして提出だけとして税務署の3階で受け付けてもらった。

さて昨年までと違う今年の僕の確定申告の特長は配当所得の申告方法を考えなくても結果として住民税は必ずかかってくるということである。去年までなら確定申告の配当所得の仕方で所得税の還付は多くなっても住民税が課税になり国民保険料も多くなって結局は損ということがあった。ところが今年の場合は24年中通して共済年金の支給があったため配当所得の有無にかかわらす住民税は課税になるのだ。共済年金は一昨年からだが一昨年は年の途中からなので所得としてはゼロだった。

それでも配当所得の源泉所得税や配当控除や住民税のそれらを細かく計算すれば最も有利な申告方法が出てくるかも知れないが、今年からはそんな面倒な計算はしないで所得を総申告することにした。それが僕の僕なりのリバタリアニズムなのだ。リバタリアンと思われる橘玲(たちばな・あきら)さんは「橘玲の世界は損得勘定」なんて言っている。また僕は源泉徴収制度に賛成だが多くのリバタリアンは反対みたいだ。とすると僕はリバタリアンでないのか?でも僕にすれば損得勘定に囚われすぎると自由じゃあなくなる気がする。金銭にも囚われない僕は仏教的リバタリアンと名乗った方がいいのか?それとも「野に咲く花」の教えの信奉者だからキリスト教的リバタリアンなのか?まあハッキリいえるのは陽明学徒にしてオーストリア経済学徒でありたいということだ。

それで総申告すると決めた僕は、共済年金と株式配当と投資信託配当の他に生命保険会社からの拠出型企業年金(雑所得)と生命保険の据え置き金の利息(雑所得)と生命保険の無事故給付金(一時所得)までのせた。

拠出型企業年金は昨年から月5万円ぐらいを3ケ月ごとにまとめてくれる。ただ支払った保険料が必要経費になるので所得になるのはそう多くない。

生命保険の据え置き金の利子というのは満期になった生命の据え置き金が60万円ぐらいあったがお金に困ったとき生命保険会社のカードを使ってコンビニにある自動支払機で引き出していた。もう無くなったが何とかなったのはいつもの通り。例えば5万円引き出すと後で生命保険から通知がきて5万円引き出したそのうち50円は据え置き金にたいする利息なので雑所得になると書いてあった。それが何回もあるが利息の合計は989円で千円に満たないがそれでも申告した。

生命保険の無事故給付金は2万5千円あったがこれも申告するにはしたが一時金なので控除額50万円以下なので所得としては0円。税務署の人は「正直な人」と思うか、それとも「無駄に仕事を増やしやがって」と思うかな。

ところで今年の特長はまた別の点でもある。24年の投資信託の配当所得が23年よりもかなり少ないことだ。毎月分配型だから口座に振り込まれる分配金は変わらない。いや源泉徴収税が引かれないことが多いから口座に入るお金はすこし多い。つまり24年は元金の取り崩しの特別分配金が多いから配当所得に当たらないものが多かったわけだ。これは総所得だけで無く他の面でも影響した。

母親は僕と同じ投資信託を持っている。だから昨年の10月ごろ共済組合から翌年の共済年金の扶養申告を求められた時扶養無しで申告した。所得が38万円以上あると被扶養者にできないからだ。もちろん投資信託は確定申告しなくてもよいし確定申告しなければ源泉徴収税で課税関係が終了するので所得が無いのと同じで被扶養者にできる。でもそうなると僕は扶養控除がつくが母親は還付されたかも知れない税金がもらえなくなる。とすると他の人の権利を侵害して自己の利益を図るというリバタリアンにとっては許し難い行為となる。

そんなわけで母親を被扶養者にできないものと思っていた。ところが投資信託は昨年24年では元本崩しの特別分配金(所得でないから非課税)が大多数で利益からの分配金はほんのわずかだった。これだと母親の投資信託に自動販売機手数料と国民年金(所得としては0円)を足しても38万円には満たない。かくして僕は母親の還付確定申告書と母親を同居老親という高い金額の被扶養者にした自分の還付確定申告書をつくり同時に税務署へ提出した。

ちなみに僕の持っている投資信託はブラジル・ボンド・オープンとニッセイアジア好配当株式ファンドだが昨年はひどい成績だった。とくにブラジル・ボンド・オープンは投資雑誌に名目の利回りと実質の利回りの差が大きいものの第一にあげられていた。毎月の分配金は10000口で120円だから1年で1440円。10000口を10000円で買った人は14.4%の利回りになる。それが表面の利回り。でも元本が減っているので本当の利回りはマイナスとのことだ。ブラジル・ボンド・オープンは基準価格が去年は8000円を下回ったこともある。でも12月ごろから上向いて今は9500円ぐらいになっている。では今現在僕は儲かっているのだろうか?それが分かりやすいようで分かりにくい、いや分かりにくいようで分かりやすいのかもしれない。証券会社は3ケ月毎に報告書をくれる。それには「取得コスト」と「ご参考価格」という多分現在の価格が書いてある。その差額に口数をかけたものが「ご参考損益」だが、「取得コスト」が毎回違っている。思うにこれは購入時の価格(と手数料)から受け取ってきた分配金を差し引いた金額になっているのではないか?以前の報告書では「取得コスト」が10000円を越していた。そうすることによってネットの評価損益が分かるのだろう。ちなみに1月に届いた報告書では12月28日現在で「取得コスト」は8842円で「ご参考価格」は8659円で10000口あたり183円の差がある。それに10,800,000口/10,000口をかけると-197,640円で報告書の「ご参考損益」と合致する。今日(1/15)の基準価格は9501円だからかなりの利益が出ている可能性がある。

もうひとつのアジア好配当株式ファンドは元々元本か少ないから毎月の分配金も9000円程度なのであてにしていなかったが今年1月の分配金がいつもの25倍だったのはこの前書いたね。

エ?アベノミクスのおかげだって?オイオイこれらの投資信託は海外の経済に左右されるものだぜ。昨年ギリシアやスペインの財政危機に端を発する欧州の経済危機はギリシア国債などをEU共同債に統合することでギリシアのデフォルトを回避したので落ち着いた。その結果EUに輸出していたアジア諸国の経済やアメリカ経済も安定したわけさ。そのため危機を避けて円に避難していたドルやユーロが元に回帰しだしたのさ。だから安部首相の出現だけが円安の原因ではない。これが吉か凶かはわからない。でもユーロ共同債だなんてねえ。リーマンショックのときリスクの高いサブプライムローンを優良なプライムローンと混ぜこぜにして証券化してリスクを判らなくしたのがいけなかったと言ってなかったっけ。教訓と言うのは必要な時にはいつも忘れられるものだね。

ところで今出ているVoiceの3月号のインタビュー記事で投資家のジム・ロジャーズが「日本は金融緩和をただちに止めよ」と言っているね。僕は「金融緩和行け行け」の方だけど認識は同じだ。でもそうした一般論とは別に投資家として日本株を買うそうだ。金融緩和するといつも株価は上がるからだそうだ。それでいつ売るかに興味があるな。

でも日本株を買うのもロジャーズと奇しくも一緒だ。実は2週間ぐらい前に東京海上日動フィナンシャル生命保険から変額個人年金保険が目標の積立金額に達したと連絡がきた。200万円の預けた金額が運用で10%アップの220万円になったのだ。一括で受け取るか2014年1月から5年間の年金で受け取るか聞いてきた。悪性インフレを予想している僕は1年先からの年金なんてトンデモないとすぐ受け取ることにした。

この変額個人年金保険はグッドニュースⅡと言うのだけど、時々報告をくれるが一時は200万円を割り込んだが年末からアレヨアレヨとあがり220万円に達した。これは4年前ぐらいに第三銀行での国債が満期になった時に行員のひとが我が家にきて勧めていったものだ。僕が好んで国債を買っていたのではない。むかし給料の中から母親に渡していた金を母親が地域周りの第三銀行行員に僕の名前で積立預金していたのが満期ごとに形を変えて国債になっていたのだ。母親も自分名義の国債を持っていて再び国債を希望したが高齢で名前が書けないからダメで(本人がいるのにね)定期預金にした。僕は他に持っていっては第三銀行に悪いと思い勧められるままに変額個人年金保険にしたのだ。今は銀行が他社の金融商品も扱のだね。

それで振り込まれた金で買った株がキヤノン500株と花王100株。キヤノンはすでに1500株持っているのでこれで2000株になる。花王は去年の2ケ月ごとの共済年金と3ケ月ごとの企業年金が重なったときに100株買っていた。そのあとお金が足らなくなりそうで苦労したけどね。今回のものと合わせると200株だ。キヤノンは配当がいいが分散投資した方が賢明と思い花王を買い始めた。今回も花王をもっと増やそうと思ったが計算するとこの組み合わせが手持ち金に合致した。

キヤノンも花王もなぜかバブル時から憧れの株であった。むかし小沢一郎氏が自民党の幹事長だったとき「キヤノンなんて政治献金もしないで偉そうなことを言う」と非難したことがあった。僕は「政治と軍事に関わる企業は凶だ。そうするとキヤノンはよい会社だ」と早速買ったのだ。その後、御手洗氏が経団連会長のとき経団連の政治献金を解禁にしてキヤノンは外国人株主が過半数なので政治献金はできないので子会社に政治献金させたときに素早く売って、御手洗氏が経団連会長を辞めたとき買い戻せばもっと大株主になっていたかなと思う。

ちなみに前回の書き込みで「お金は余分にないとやや不安」と嘆いていたのに、金が入るとすぐ株を買ったのは、僕には流動性選好ではなくて流動性選嫌があるみたいだ。流動性選好というのは手元にすぐ使える現金を置きたがる傾向。でも僕は手元にお金があるとナンヤカンヤですぐなくなってしまうので持っていたくない。それより将来末長く配当をくれる株を持った方が良い気がするのだ。