セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

DVD鑑賞:『ソウル1945』

2014-02-13 22:33:10 | 文化

昔は正月休みにはDVDの『ドクトル・ジバコ』をよく見たものだ。ハリウッド製のだよ。ほらエジプト人のオマー・シェリフがロシア人の医師で詩人の主人公を演じた。革命時のロシアが舞台のスペクタル映画だ。今は毎日が正月休みの境遇だから正月だからといって長編ドラマを敢えて見る必要はないのだが、ひょんなことから革命家がでてくる歴史スペクタルを見ることになった。それは韓流歴史ドラマの『ソウル1945』だ。DVDで35巻の71話だから昨年末から見始めて見終わったのは2月に入ってからだ。見ごたえのある大河ドラマといえる。

このドラマを知ったのは偶然だ。昨年末にケーブルテレビのBS日テレで見ていた『夢見るサムセン』を見逃した日があった。さっそくTSUTAYAに行ったがDVDが見当たらない。そこでGEOへ行った。そこにもなかった。ちなみに『夢見るサムセン』は今年に入って1月10日からリリースされたのだからその時点ではどこにもない。GEOに行ってみるとTSUTAYAもGEOもそれぞれ韓流ドラマのコーナーがあるけど置いてあるDVD作品は必ずしも同じではない。GEOで見かけたのがこの『ソウル1945』で日本統治時代から始まって朝鮮戦争までのドラマで、韓国ドラマには珍しく共産主義者が主人公らしい。そこで借りてみた。

このドラマは朝鮮戦争開戦直前に工作のため南朝鮮(韓国)に潜入した著名な共産主義的知識人でもある朝鮮労働党幹部を北へ逃亡するのを助けた罪で米軍関係者の妻である韓国人女性が死刑判決を受けて処刑された実話がモデルとなっている。しかし関係者の背景や関係者同士の関係はまったくドラマの創作になっていてモデルになった事件とは異なる。第一に米軍関係者はモデルになった事件ではアメリカ人だがこのドラマでは韓国人で準主役をなしている。

ドラマの初めの方を見て僕はこの共産主義者のチェ・ウニョクが主人公だと思っていた。だって咸興(朝鮮北部の工業地帯)一の秀才で平壌高普に首席合格したチェ・ウニョクが工場の事故での姉の死と労働争議と傷害事件に巻き込まれて高普への進学がダメになるが、ムン子爵の弟のムン・ドンギの助けによりイ参政の学校に入りそこから京城帝国大学を卒業して高等文官試験の司法科に受かり裁判官に任官するまでが前半で描かれているもの。おお!こんな経歴なら今の韓国なら親日分子としてその子孫も財産没収されるな。ところが労働争議を指導した共産主義者のムン・ドンギの逃走を助けることになってしまい自分もソ連に行くはめとなる。この人は共産主義者の理想には共感しているがその活動家にはなる気がないのだが状況によって二度も巻き込まれて裁判官と大学教授の地位をうしなうのだね。かわいそう。

少し話が変わるけど、日本統治時代でも朝鮮半島と日本では制度が違うのだね。学校でも平壌高普なんてでてくる。日本なら旧制中学か、それとも旧制高校も含むのかな。京城帝国大学はあるけどその下の高等学校が見当たらないから高普がそれに当たるのかな。それとも大学予科なんてものがあったのかな。とにかく教育勅語を含む日本の教育制度がそのまま施行されてはいないらしい。徴兵制度も戦争末期まで施行されていない。そうそうチェ・ウニョクが受かったのは高等文官試験の司法科で任官の辞令をもらいに京城まで行った。そうなると官僚制度も別々となる。日本では高等文官試験と司法試験及び外交官試験は官吏登用の三試験として別々だ。また高等文官試験に受かったのなら東京の本省で辞令を受けるはずだ。だからチェ・ウニョクが受かったのは朝鮮総督府独自の高等文官試験ということになる。よく日本は朝鮮を植民地にしたという人がいるけど、一次産品と労働力を奪う植民地とは違う気がする。日本の方の持ち出しが多いほど資金を投入しているから。こう言うと韓国人がそれは大陸侵略の基地にするためだと言うだろう。でもそれは筋の違う話。しかし古代ギリシャの植民市とも違う。でも本土といろんな制度が違うことはやっぱり植民地なのかなとも思う。でも内鮮一体を目指していた政治家もいたことは事実。太平洋戦争がなければ昭和20年代には徴兵制度も教育制度も選挙制度も同一になっていた可能性がある。その上で自治権の拡大の上昭和40年ごろに朝鮮は独立していたかもしれない。たぶん朝鮮半島の人々にはそれが一番良い結果のような気がする。しかし逆に太平洋戦争の敗戦がなければ日本の民主主義は遅れていただろう。日本としてはこれでいいのだ。

 

話を戻すと、チェ・ウニョクは主人公ではなかった。やはり共産主義者は主人公ではない。後半ではチェ・ウニョクは現実とのギャップに苦しみ活動が精彩を欠いてくる。逆に前半は存在感が薄かったイ・ドンウが韓国軍に加わり活躍し始める。結局ウニョクの恋人でドンウの婚約者であるキム・ヘギョンが主人公だったことがわかる。モデルになった人物は処刑されるが、このドラマでは貨物船で日本に逃げて生き延びる。

 

余分なことを先走って書き過ぎたが、このドラマでは4つの家族が中心に話が進む。それ以外にもう1人悪役で出てくる。4つの家族とは、一つはチェ・ウニョクの家族。父親は鉱山労働者で母と姉と二人の妹がいた。 姉のグミは工場で働いてウニョクが進学するのを楽しみにして制服代を貯金していたが工場の事故で死ぬ。二つ目はキム・ゲヒ(ヘギョン)の家族。父親はムン(文)子爵の咸興にある別邸の管理人。母親も別邸の使用人として働いていた。ゲヒ自身もムン子爵の一人娘ムン・ソッキョンの付き人になる。妹が二人いたが妹の1人は父親と一緒にムン・ドンキを助ける時に警官に打たれて死ぬ。三つ目はムン(文or文山)子爵の家族だ。ムン子爵は鉱山労働者の出身なのにこのドラマの時点では朝鮮経済界の大物で爵位まで持っている。妻の寺内雨香は朝鮮人ながら寺内総督の養女だ。咸興や総督府の役人もムン子爵を閣下と立てまつっている。ムン子爵の一人娘はムン・ソッキョンだ。若くして日本のピアノコンクールに優勝して東洋一のピアニストと言われている。ムン子爵の弟ムン・ドンギは東京帝国大学在学中に高麗共産党事件で逮捕された経歴を持つ共産主義者だ。4つの家族の最後はイ参政の家族だ。イ参政の家は名家でムン子爵が経営する鉱山は元はといえばイ参政の家のものだった。参政というのは総督府でのある種の地位を表す称号らしい。そのイ参政の息子がイ・ドンウだ。ムン・ドンギが教師をしていた学校でチェ・ウニョクと親友となった。ただイ・ドンウは共産主義者にはならなかった。しかしムン・ドンキの逃亡には手を貸したため警察の追求を避けるためにアメリカへ留学する。なおイ参政は鉱山を取り戻すため策謀するが、息子ドンウとムン・ソッキョンを婚約させることでムン子爵と和解する。そして悪役はパク・チャンジュだ。彼はムン子爵の所有する工場の労働者だったが労働争議の首謀者を密告することでムン子爵から補助憲兵学校に推薦してもらい警察官になって太平洋戦争中には警視まで出世する。日本の敗戦後ソ連が進出した北朝鮮では人民政府から死刑判決を受けるが逃亡して南朝鮮では防諜隊の中佐にまで出世する。パク・チャンジュは労働者時代からムン・ソッキョンを恋慕しいているがその恋が叶うことはなかった。

さて登場人物の背景は書いたが、ここでは全編のストーリーを書くつもりはない。僕がここでは興味を引いたのは日本統治時代を現代の韓国人がどう感じているのかということだ。つまりドラマの製作者としてもあるいは視聴者としても自分達の持つ観念とかけ離れた設定のドラマは流れないはずだと思う。だからドラマの描写で日本統治時代にたいする韓国人の観念が解る。そう言うと、きっと残酷な圧政で不当に弾圧されている場面が出てくると思うかもしれない。でも違うなあ。確かに警察の拷問なども出てくる。でもこの『ソウル1945』で共産主義者を拷問するのは朝鮮人であるパク・チェンジュ(当時は木村警部補)だ。そういえばこのパク・チャンジュ役のパク・サンミョンが主役をしていた『将軍の息子』という実録ドラマでも、警察署の日本人の警部は人格者で主人公と親友になるが、ただ1人執拗に主人公をねらう国本刑事は創氏改名をした朝鮮人という設定であった。『将軍の息子』では悪役と言えるのはこの国本刑事だけ。主人公と対立する日本人ヤクザの親分も朝鮮人の子分とその家族の面倒を見るので朝鮮人の子分も多いという設定で悪役ではなくイケメンの役者が演じている。総じて『将軍の息子』では日本人は公平という価値観を持ち、朝鮮人は民族主義という価値観を持ちそれぞれが自分の価値観の優位性を信じている。それから『将軍の息子』ででてくる戦前の京城の街は清潔で文化的に見える。これは『ソウル1945』でも同じ。鉄道もこぎれいだ。

おっと話がそれたので『ソウル1945』に戻そう。このドラマを見始めて最初に驚いたのはムン(文山)子爵という人物が出てくる。子爵だって!子爵は公候伯子男の下から二つ目だからそれほど高いとは思われないかもしれないが旧大名が受け取る爵位だ。華族制度ができた時、大大名が侯爵、中大名が伯爵、小大名は子爵になったはずだ。領地の実税収額で見るから幕府での公式石高とは違いがあるので幕府下の序列とは逆転もあった。朝鮮人でも爵位を持つ者はあった。大概は日韓併合に功績のあった李朝末期の政治家や国王の縁戚者である。しかしムン子爵は鉱山労働者の出身だ。もちろん経済人でも国家に功績があれば爵位がもらえる。血盟団事件で殺された三井合名の団琢磨が男爵をもらっていた。ムン子爵はその上の位だ。一体どんな功績があったのだろう。ドラマにはその理由がでてこない。ただ寺内総督の養女の雨香(あめかおり)と結婚した時に寺内総督から京城の屋敷を贈られたという話が出てきた。もちろんムン子爵という人物は創作だ。僕にはモデルとなった人物もいたとは思えないし、あり得ないだろうという感じ。ただ僕がここで言いたいのは、この設定が韓国人にとって「全くあり得ない。荒唐無稽だ」とは思われていないみたいなことだ。

ムン子爵は鉱山や工場のある咸興では絶大な権力をもち日本人官吏も「閣下」とよんで服従する。「朝鮮は天皇が支配するが、咸興はムン子爵が支配する」と言われたらしい。ムン子爵は時々大礼服をきて総督府の会議に出る。多分経済人の会合だろう。朝鮮人の綬爵者などは表向き奉られだけで実質は無視されるだろうと思われるが、どうしてどうしてムン子爵は総督府で重きをなしている。「植民地」ということで現地の生産手段は宗主国の人間に奪われると思いがちになる。たしかに咸興の鉱山は元の持ち主のイ参政から奪われたらしい。でもこれは軍事的に重要な施設だから総督府が取得したものと解釈できる。それは日本人でなくムン子爵に運営を託された。イ参政もかなりの資産家だからその時かなりの補償を受けたのだろう。時は流れ鉱山の運営の委託の更新時期が来た。イ参政はこの機会に鉱山を取り戻そうと策略する。また真崎男爵など日本人も運営権を得ようと画策する。しかし結局は引き続きムン子爵の手に委ねられた。その時宇垣総督は真崎男爵に「朝鮮人の誇りを持たせるため、朝鮮人に渡すことが必要なのだ」という。

ムン子爵の妻は雨香だ。これは寺内初代朝鮮総督の養女ということになっている。雨香は創作上の人物だが、寺内総督に朝鮮人の養女がいたかどうかはWikipediaを見てもわからない。朝鮮人の懐柔のため朝鮮人の侍女を養女にしたことは考えられる。そうするとポーズだから朝鮮総督をやめたとか死んだ後で他の親族とかとは疎遠になると思われる。ところが雨香は寺内総督の息子の南方軍司令官の寺内大将を電話で「お兄様」と呼び出し助けを求めたりする。終戦後ムン子爵は自決したので雨香は寺内総督の親族を頼り日本に逃れる。朝鮮戦争時に雨香は娘のムン・ソッキョンを迎えに韓国に来るが裕福そうであった。寺内総督の親戚が軍需工場を経営していて朝鮮戦争特需で儲かっているとのことだ。日本人は血のつながらない異国人の義理の親戚をも優遇するらしい。

昭和19年の末ごろと思われるが、総督府の会議でフィリッピンの日本軍がアメリカ軍を打ち破ったという誤った情報(大本営発表か)で、「もうすぐアメリカはお手上げで降伏する。そうなると弾丸を多く作って戦争に協力したムン子爵は功労者だ。戦争終了後陛下に宮中に呼ばれるだろう。陞爵(しょうしゃく、爵位が上がること)もあるだろう 」などと総督府の要人がムン子爵をおだてた。どんな状況認識だろうね。そういえば同じ昭和19年だが東條首相の辞任のあとに首相になった朝鮮総督の小磯國昭は首相になって「日本がこんなに負けているとは知らなかった」と言った記録がある。ただ総督府の日本人を含む要人がムン子爵を褒めるのは口先だけの社交辞令ではない。日本が敗戦後に共産主義者が咸興を支配したときムン子爵が逮捕されそうになったが共産主義者の弟ムン・ドンギの制止を振り切って割腹自殺をした。するとそれを知った京城の総督府の要人は「ソ連に捕まって辱めを受けるより死を選んだのだ。さすが文山(ムン)子爵」と褒め称える。つまりムン子爵は位階にふさわしく扱われ尊敬もされていた。

つまり現代の韓国人でも、日本統治下では日本人は朝鮮人を平等に扱おうとしたという暗黙の了解があるのだ。そういえばパク・チャンジュは最初の登場から何年かたった時は咸興の警察で警部補になっていて共産主義者摘発の功績で勲章も授与されていた。驚くのはそのあと太平洋戦争中に出て来た時は警視になっていた。そしてパク・チャンジュはムン子爵に会いに行って娘のムン・ソッキョンを妻に下さいと言って断られる。その時パク・ジュンチェはもっと出世して総督府の警務部長になってムン・ソッキョンを妻にすると心にちかう。これを見て驚いた。はたして補助憲兵上がりの朝鮮人が警務部長という高官になれるのか。日本統治下の朝鮮では日本軍の憲兵組織が警察機構を受け持つ武断政治であった。日本陸軍の高級将校でなければ警務部長になれないと思うのである。でもドラマの製作者も現代韓国の視聴者もあり得ることとして違和感を持っていないのだ。しかし現代日本人の感覚でもノンキャリアが官僚組織のトップに行くようなあり得ない感じがする。朝鮮総督府では日本国内ではあり得ないような能力本位で出世すると思われるのかな。それから朝鮮人が日本統治時代をどう見ているのかの問題だ。この『ソウル1945』では8月15日の後の朝鮮人民の狂喜乱舞姿を描いている。たしかに民族主義的性向の強い朝鮮人民は独立が嬉しかったであろう。だがその後得たものはなんだろう。朝鮮戦争のさなか雨香はムン・ソッキョンを迎えに韓国へ来た。その時韓国人に言った言葉が「独立して7年も経つのにこの様はなんです」だ。韓国人の返事は「戦争なので仕方がない」だ。でも共産党の強い国やソ連軍が進駐しても共産党を含めた連立政権を立てて国家の統一を維持した国はいくつもある。フィンランドやオーストリアのように中立国として国を維持できたかもしれない。イタリアやフランスのように一旦は連立政権を作ってもよかった。でも非妥協的党争は李朝時代から現代に続く朝鮮民族の宿痾の病だ。突然の権力の空白は争乱の元だ。

「時代が悪い」この言葉は、1945年以後のこのドラマにたびたび出てくる言葉だ。でもこの登場人物たちは他のどの時代を知っているのだろうか。年配者は幼い頃の記憶で李朝時代を知っているかもしれないがほとんどの記憶は日本統治時代だ。比べられるとしたら日本統治時代しかない。

そうそう韓国軍がソウルにもどってきたとき、反共青年団が共産主義者の親を捕えて死刑にする。共産主義者を育てた罪は重いとのことだ。韓国政府も米軍も合法的なことだと容認する。まるで朝鮮王朝の反逆罪みたいだ。日本統治時代には考えられない暴挙だ。「時代が悪い」とはこういうことだ。

キム・ヘギョンはチェ・ウニョクの逃亡を助けた罪で死刑判決をうけた。ところが朝鮮人民軍がソウルを占領すると一躍英雄となった。しかし戻ってきた韓国軍によってチェ・ウニョクとともに山岳にこもった部隊で看護兵となる。その時チェ・ウニョクと話しあったのは平和になったらチェ・ウニョクは子供の学校の教師になって二人で暮らそうというもの。でもこの夢は日本統治時代の匂いがする。チェ・ウニョクのこの夢は恩師ムン・ドンギが粛清されるのを始め多くの共産主義政権の暗黒面を見過ぎたウニョクにはそれを全て忘れて共産主義政権下で学校の教師になることは難しい。ウニョクはあやまって味方に撃たれて死ぬがどのみち共産党政権では粛清されずにはおれない誠実な人間だ。だからウニョクの夢にふさわしい状況は日本統治下だと思う。キム・ヘギョンとチェ・ウニョクが婚約直前だったのは解放後だ。その時はチェ・ウニョクは京城帝国大学(大日本帝国は亡くなってもまだ帝国大学だった)法学部教授だった。その時に戻ることを望まないのはその時でも政治の渦が取り巻いていたからだろう。

そうそう『将軍の息子』では一番の人格者は警察の柔道師範の日本人警部だったが、この『ソウル1945』でもなかなか好感の持てる日本人がいる。それは半島ホテルのイケメンの支配人だ。彼は職を求めるヘギョンを洗濯係りとして採用して客室係りへと昇進させて英語も勉強させる。ヘギョンに好意を持っているがセクハラ・パワハラなどは一切しない。そして日本が敗戦して日本に帰ることとなった時「私のここでの最後の仕事はあなたをマネージャーに昇進させることです」と言って帰っていった。マネージャーは支配人の下で3人しかいないホテルの幹部だ

結論として韓国人は日本統治時代とはそれなりに良い時代だったと思っているのではないか。下層階級でも進学や出世のチャンスがあった。また日本人はおおむね公平であった。しかし民族主義の立場からそれを認めたくない。だから韓国人の中の親日分子狩りという歪んだ形となる。チェ・ウニョクは総督府のもとで判事になったから今なら親日分子だね。このドラマを見た韓国人はこのことをどう評価するのかな。


新年おめでとう

2014-01-03 18:42:33 | 社会経済

新年おめでとうございます。

さて新年最初に書くことは去年一番印象に残ったこと。ああ今年は予測をやめるよ。「いつか行く道」でも「昨日今日とは」言えないものだからね。なになに、金融緩和の効果を認めたくないからだって?あのさあ、リフレ派が自慢げに言う円安株高だって黒田日銀の金融緩和のせいと言うより海外情勢で全て説明がつく。かえってアベノミクスで説明しようとすると時系列的因果関係が合わないので期待などというどうとでも使えるあやふやなものを持ち出さざるをえない。5月26日の株の暴落もリフレ派の言う早すぎた株高の調整ではなくて、直前のアメリカの暴落を受けたもの。今の株高もアメリカの株高の影響だ。それより心配なのは103〜105円の円安が続きそうなことだ。輸出企業は実質で売り上げが増えてなくても為替のせいで海外からの収入がすぐに増える。でも円安の被害は遅効性でこれからキツく日本経済に響いてくる。

JKリフレつまりJAPAN BANK KURODA reflationは罪を問われるだろう。

おっと話がそれてしまった。それでは昨年一番印象に残ったことを書こう。それは猪瀬東京都知事の辞任騒動だ。それは別に東京都政や徳洲会に興味があるからではない。興味があるのは得意の絶頂から奈落の底に沈むという特異そうだが実によくある人間現象だ。つまり政治としてではなくて人間学として強く興味を惹かれる。数ある報道や評論でこの点に触れたものはあるのかな?

なにしろ数年前までは著名だけど一介のフリーランスのルポライターが、あれよあれよという間に日本でも有数のマンモス組織の長となったのだ。すぐに替わる省庁の大臣よりずっと重い権限を持っている。昨年の選挙では史上最多の得票で当選して、オリンピックの招致にも成功して得意満面だったのにその数か月後には無様すぎる形で辞任とは。お釈迦様でも予見できまいと言いたいけど、必然だったような気もするのはなぜだろう。ひょっとしたら安国寺恵瓊ならオリンピック招致成功の時に「猪瀬武蔵守、高ころびにあおのけに転ばれ候ずると見え申候」と言ったかも。

ことわざだとどう言うのかな。「一寸先は闇」「三日見ぬまの桜」ちょっと違うな。「山あれば谷あり」これも違う。「好事魔多し」これもしっくりこない。うまいことわざが見つからないが絶頂が滅びの前日というのはよくある話だ。人間は「今考えて見ると、あの頃が一番良かったのかな」という人生が一番いいのかな。でも同じような人に同意を求めても「全然」と言うかも。でも僕はこれからが最高のつもり。吉原の花魁が27歳で年季明けして自由になった気分。饅頭屋でもやろうかしら。定年後も嘱託や外郭団体で働く公務員なんて吉原で年季が明けたのに岡場所に行って客を取るみたい。

ところで昨年末の週刊誌の記事でヤクザのアンケート結果が載っていた。ヤクザの政治意識の傾向は保守よりだそうだ。それなら安部首相の支持が高いかと言うとそうではなくて8割のヤクザが安部首相を嫌いという。理由は信頼できない顔つきをしている。さもあらん。ヤクザの世界は完全実力本位。家系も学歴も関係ない。その上言葉が調子いいものは絶対に信頼できない。つまり役所とは反対の世界。政治家は富士山と一緒で遠くから見ると綺麗だが近くだと汚いところが目に付く人が多いとのことだが、安部首相は遠くからでも見る人が見ればその本性がよく分かる。かえって近くにいると相手に合わせて喜ぶ言葉を言うので騙される人が多い。でも潮目は一斉に変わる。第二の猪瀬か。いやいやこちらこそ本番。


敵性国家と自己保身大事の官僚・政治家を利するだけの特定機密保護法

2013-12-09 19:54:54 | 社会経済

特定機密保護法で利益を得るのは敵性国家と自己保身大事の官僚と政治家だけだ。被害者は一般国民と日本国だ。なぜ敵性国家が利益を得るのか。敵性国家にとっては相手国(この場合日本)の単に機密を知るだけではほとんど価値がなく、重要なのは相手の機密を知ったことを悟られないことだ。例えば太平洋戦争直前にアメリカは日本の外交暗号をすでに知っていたが日本にはそのことを悟らせなかった。だからアメリカは日本の開戦意志を知っていた。真珠湾攻撃まで知っていたかどうかは論争のあるところだけど。日本陸軍のパープルと呼ばれる暗号もアメリカは解読していた。陸軍はパープルに絶対の自信を持っていて一部の将校が暗号を読まれているのではと疑問をていしても強く否定した。アメリカは周到に日本の暗号を解読してることを隠蔽していた。連合艦隊の参謀が飛行機の事故でフィリピンで親米ゲリラに捕まったとき、アメリカはカバンから機密書類を入手したが内容を読んだのちカバンに戻し日本軍の捜索する海に流した。

こうした適性国家のスパイ活動には特定秘密保護法は役に立たないどころかスパイ活動を保護する要素がある。というのは情報の流失は関係省庁の役人か政治家からなのだが単に罰則を強化しても流出させる者は流出させる。今まででも国家公務員法や自衛隊法で守秘義務もあり罰則もあるがハニートラップにかかる防衛省職員も後を絶たない。バレれば生活の途を失うことは百も承知なのに。それは自分はバレないという意識があるからだ。だから役人や政治家からの国家機密の流失は必ず起こる。そして特定秘密保護法は流出されたことを隠蔽しようあるいは考えないようにしようという心理的圧力を官僚と政治家に与える。かの連合艦隊参謀も親米ゲリラにつかまったのに情報流失の査問もされずに左遷もされなかった。これは軍機法があるためへたに追求すると仲間の高級将校を罰せなければならなくなるからだ。これは軍人だけでなく役人の習性、このことを無視してはどんな方策も国民のためにならない。これと同じことが特定秘密保護法では起こりうる。

では国家機密はどうして守るのか。僕の提案は機密指定は範囲は国会で決めて、その基準をつかって省庁内部で指定してもよい。ただし機密指定されたものは一定期間後に必ず開示される。そして機密指定されたものは永久保存され廃棄は許されない。罰則も重くしても良い。しかしジャーナリズムや民間人は金銭や便宜の供与及び脅迫や窃盗及び強奪の手段では罰せられるがそれ以外の手段なら取材しても罰せられない。つまり民間人は罰則の対象外なの。官僚や政治家から機密事項が流失が判明した場合は当然に起訴されるが、同時に流出された情報は機密解除されるとともに関係省庁は流出した情報を無効とする処置をおこなう。流失が明らかなのに機密のままなのはおかしいし誤った処置でもある。政府には情報収集分析機関を置き、特定機密が国内や海外に流れていないかを常に監視する。流失がわかった場合、政府は流失経路を解明して防止策を構築する。

いいかいもう一度言うけど、機密情報の流失の一番の問題は流失したことをこちらが知らないことだ。特定機密保護法はこの面でマイナスに作用する可能性がある。


昨日の沢尻エリカと先週の『相棒』の就活女子学生

2013-11-19 22:14:55 | 文化

昨日TBS系列で放送された沢尻エリカ出演の『時計屋の娘』を見た。つくづく思うのは沢尻エリカの演技のうまいことだ。こんな風に演技のうまい人は役になり切っているのかなと思う。そうすると沢尻エリカもあの時「別に」なんて言わないで、まわりにあわせてそれらしく振舞うことぐらい簡単なのに、と思ったところで急に『相棒』の先週放送分を思い出して合点が行った。先週放送の『相棒』では就活中の女子大学生が殺された。その女子大学生は一流商社に入社することを目標に大学4年間いやそれ以前からすべての努力を集中してきた。予行演習と滑り止めを兼ねた他業種の面接も「取りたい優秀な学生」をアッピールして軒並み合格するが本命ではないので断りをいれて残念がられたり顰蹙を買ったりする。友人が目標にしていて不合格となった証券会社も合格したが断った。不合格の友人は「ふざけている」と非難するが、女子大学生は「あなたが不合格になったのは私のせいじゃない。あなたはその会社にはいるために4年間どんな努力をしてきたの」と言い返す。まあ正論だが職業のために努力するのは分かるが特定の会社のためにずっと努力するのはわからない。むかし公務員試験対策の専門学校出の人が役所に現れはじめたころ「そんな勉強までして入るところか?」というのが係長(僕・大卒)と係員(女性・高卒)の共通した感想だった。いまでは普通みたいだけど。

さて女子大学生が殺されたのは、その一流商社の採用担当者が彼女に入社してもらっては困ると思ったからだ。その会社の会長か社長はボランティアに強い関心をもっている。そのため就活者のあいだではその会社に入るのにボランティア活動の経歴が有利とのうわさがある。事実その採用担当者自身がカンボジアの井戸掘りボランティアの経験を強くアピールして入社して、さらに会長(or社長)の娘との縁談も進んでいる。しかしその井戸掘りボランティアはウソだった。実はその女子大学生こそがカンボジアで井戸掘りボランティアをしていたグループにいた。採用担当者は旅行者でそのボランティアグループから井戸掘りのことをいろいろ聞いて帰っていただけだ。採用担当者はその女子大学生を見たときボランティアをしていた学生だったことを思いだした。彼女が入社したら自分がウソをついていたことがばれてしまうと思ったのだ。

ところでその女子大学生は履歴書にボランティアのことは何も書いていない。その一流商社に入るのには断然有利なはずなのに書いてはいなかった。実際にしたことだから真の自分の姿を知ってもらうことができるはずなのに、というのが亨の意見。右京の解釈は、彼女は就活のためにあらゆる方策をとってきた。しかし彼女にとってカンボジアの井戸掘りバランティアは純粋にやりたかったことだ。それを就活に利用するとなんかボランティア活動の経験が汚される気がしたのだろう、というもの。

さて沢尻エリカに戻ろう。沢尻エリカにとってどんな場面・状況でのなり切った演技はお手の物だ。しかしここでエリカ自身が疑問にぶつかる。映画の舞台挨拶で感想を述べようと思うと、それがその場にふさわしく聴衆も望んでいる内容だと気が付くと、それが本当に自分のモノなのかそれとも演技なのかわからなくなる。ドラマ以外のところで演技することは大きな欺瞞ではないかと思い悩む。かくしてぶっきらぼうな発言となったのだ。


ブログに戯言かな?それと新しいiPad

2013-11-07 20:19:45 | Weblog

10月末に株が大暴落すると僕は予言したけど外れてしまって、今はちょうど韓流歴史ドラマ『ホジュン宮廷医官への道』(BS日テレ16:00)の昨日放送分のホジュンの気分。昨日のホジュンは王様の寵姫の弟の口の曲がった病気を王様の前で5日で治すと言って、王様から「宮廷に戯言なし」と言われた。ようするに冗談だったでは済まされず必ず必ず責任を取らされるということ。かくて5日目の刻限がきてホジュンは手首を切り落とされようとする。まあ僕もそんな気分。

口の曲がる病気は普通の医者でも3・4日で治せること。でもホジュンはこの弟の場合はその裏に真の原因の胃癌があると診断した。それを王様に伝えて胃癌を含めて5日で治すと言ったのだ。他の医官たちは驚愕した。胃癌は死病と考えられて治療法はないと思われていたからだ。無論当時では外科手術はない。あれ?三国志演義に華佗が曹操に頭骸骨に穴を開けて手術すると言って殺されたことが書いてあったけ?三国時代は3世紀ごろだけど三国志演義はフィクションが多いから当てにできないといえるが、三国志演義が成立したのは明代だと思うから外科手術の概念はホジュンの時代の東アジアにも存在していたのかな?でもとにかく胃癌の手術は当時ではない。治療法は薬剤(もちろん漢方)か針か灸。ちなみに僕はアトピーのため漢方医院に通っているがそこでは針や灸はない。鍼灸がないと漢方治療としては不完全な気がするが、医師免許を持つ者は鍼灸ができず、鍼灸をできるものは医師免許がないから薬剤を処方できないということか。

話は戻って、約束の5日の期限は間近なのに口は治らない上に吐血までして症状は重くなる。助手の医女たちはとりあえず口だけ治してそのあと胃癌治療をしてはと言うが、ホジュンは胃癌の治療を後回しにはできないと拒否する。ホジュンの意見では吐血は胃の中の腫瘍が剥がれ落ちている徴候なのだ。でも期限が来てしまいホジュンは押し切りみたいな物に手をのせられる。僕はここで手首が無くなってはホジュンという歴史的人物もこのドラマも存在しないから安心して見ていた。案の定ホジュンに同情的な唯一の上級医官が助命嘆願に現れたが無論聞きいれられる筈はない。でも時間かせぎにはなった。さて気をとりなおしてふたたび手首を落とそうとしたとき、遠くから王様の世話をする内官が待ったとかけてくる。

えっと株の暴落のことだけど、僕は社会的現象は時期を正確には予測できないと言っていたのに、10月末大暴落なんて言ったのは、この時期にアメリカの株の暴落があるとそれに連動してということ。でもアメリカの株暴落だって社会的現象だから時期を予言できないと言うかもしれない。確かに。でもこう考えられる。いつ転んでも不思議でないフラフラの老人が歩いている。でもその先の路上に小さいが段差がある。この老人はその段差に気づいていない。するとこの老人はその段差で転ぶ確率は高いというわけだ。おっとこれはあくまで例え。現実にそんな老人がいたらもちろん介助に行く。でも本当は自分自身の足腰に不安があるからこんなことが思いつく。

もう時期を切った予想はよそう。でも歴史的にみれば躁状態の安部首相は没落寸前の様相だ。そういえば、予測は外れるのではなく必ずマイナス的に的中するという実績の武者氏がアベノミクスを持ち上げているのは心強いことだ。安部首相がニューヨーク証券取引所で「buy by abenomics」と言ったのはなんの符合だ。僕には「bye-bye abenomics」に聞こえる。聞こえるというより確かにそう言った。発音は同じだ。

え?自炊のこと。そりゃあ毎日やっていますよ。でもAPPを含めてiPad miniの容量がいっぱいで新しい本をiPadに入れるには今入れている本を削らなくてはならない。僕のiPad miniは容量が64GB。買ったとき店の在庫に残っていたのは当時の一番容量の大きな64GBのみだからこれを買った。自炊を始めてこれでよかったと思っていたが、今やそれも一杯で削っているほど。倍の128GBあったら蔵書すべてが入るのになあと思っていたら、なんと128GBの機種がでた。「光あれ、といったら光がでた」「求めよ、さらば与えられん」といった感じだ。つらつら思うに我一人のために128GBが発売された気がする。こりゃ買わないと。でも8万円、苦しいな。でも神様の信用保証があるからなんとかなる。今までもそうだった。必要な時に必要な金が出てくる。だからいつもお金を欲しがらない。


新しいスキャナーと『ダンダリン』

2013-10-10 15:29:37 | Weblog

スキャナーを替えてどうだったかの報告をしたければならないなあ。キヤノンのDRC125はすごくいい。でも購入したAmazonに評価を書き込むことはできない。そのわけは、今まで使っていたエプソンの旧型スキャナーとは比較できるが最新型のいろんな機種の性能はわからないことと、マニュアルを研究したわけでないからこのDR-C125自体の最大限の性能はまだ知らないからだ。とにかくまず使い始めて徐々にいろんな機能に気づいていくのが僕の流儀だ。だからOCR機能もまだ使っていない。

DR-C125を使って一番いいことは、スキャンの途中でも編集ができることだ。スキャンの途中でページの欠損や折れ曲がりを気づいたときもその場で該当ページ再度スキャンして差し入れたり入れ替えたりできる。スキャン中のページの様子はほぼ同時にパソコン画面に表示されるからすぐ気がつける。これが以前のスキャナーだと編集画面は全ページを読み取った後しか出てこないので追加や差し替えなどの修正はPDF化した後にPDF編集ソフトを使うしかなく手間がかかる。

今DR-C125はカラーで使っている。理由は当初設定がカラーになっていたことと、通常画面にはカラーしか選択肢がないこと。よく調べれば白黒にすることもできるだろうが、以前やっていた雑誌のカラーページと白黒ページのスキャン方法の切り替えとか、同じ白黒でも写真のあるページと薄汚れた紙の印字の区別とかが面倒だったのでカラー一本のままで行くことにした。カラーだとデータ量が大きくなるがiPadに全て取り込むことはすでにあきらめているからそれで不都合はない。

DR-C125は重送防止機能がある。完璧ではないがほぼ信頼している。以前では機械にかけた枚数とスキャンできたページ数を比較して重送がないか調べていたか、このDR-C125でも時々スキャンできた数が足りないことがある。でもそれは重送ではない。スキャナーが白紙のページを読み取ってスキャンから外しているのだ。つまりただ単に画面を写真のように写しているのではなく中身も見ているのだ。僕は前のスキャナーのときも白紙のページは編集の時にも削っていたのでこれでよい。驚くべきことに横文字も認識している。翻訳本などでは参考文献のページでは英語の書名が立て列に並んでいるが、スキャンした画面は英語表記が読めるようにそのページのみ180度横になっている。僕としては一冊の本の一部なので編集で元にもどすけど。OCRは使っていないが通常のスキャンする時からOCR機能は使われているようだ。

排紙方法もすぐ慣れてこの方がよい。小型で価格も安いのでショボイかもしれないと思ったが、どうしてどうしてもう手放せない。もっと早くこの機械にすれば良かった。

ところで昨日のテレビドラマ『ダンダリン・労働基準監督官』は破格の公務員ドラマで面白い。時間帯が『リーガルハイ』と重なるので、僕は今日になってからビデオ録画でみた。主人公のダンダリン(竹内結子)が時々唸るのは署長役の俳優が浅野史郎なのに関係あるかな。『ダンダリン』に比べると『リーガルハイ』が薄っぺらに思える。来週はビデオと同時視聴を逆にしよう。でもノンキャリ公務員なんて破格でなければドラマにならないかもしれないなあ。生活保護のセースワーカーなら破格でなくても人生ドラマでいけるかも。でもスカッとしたドラマにはならない。逆にキャリア官僚は破格でなくてもドラマになるかもしれないが嘘偽り、つまり虚仮のドラマになる。官僚が主導して日本経済が発展したのではなく官僚の規制や妨害・お節介にもかかわらず発展したのが真実。ホンダを見よ。

話は戻って、僕として『リーガルハイ』より『ダンダリン』の方が興味深い。しかし公務員には『ダンダリン』に反感を覚える人と憧れる人の二種類に分けられるかもしれない。


スキャナーの買い替え

2013-10-01 20:07:16 | Weblog

スキャナーが故障した。

ところで、仲間由紀恵主演の金曜日のテレビドラマ『人生がときめく片づけの魔法』で「本を片づけるときは中を見てはいけない。中を見ると必要かどうかで判断してしまい、ときめくかをどうかで判断しなくなる」なんてことを言っていたね。まるっきり陽明学的だなあ。でも僕は本の片付けはスキャナーによるPDF化を選んだ。物体としての本が無くなるので一面では究極の片づけ。だけど本当に必要になる文献も膨大なデータのなかに埋れてわからなくなってしまうかもしれない。しかしながらPDF化する数を絞れないのはどの本も「いつか必要になる時が来るかもしれない」という気があるからだろう。片づけのプロからは「そのいつかは永遠にきません」と言われそうだ。

でも多量に本をPDF化してもその海のなかから必要なデータを容易に探し出す方法がないわけではない。AmasonのKindleストアから電子書籍で買った『「自炊」のすすめ』には、スキャンすると同時にOCMデータを作ると必要な言葉を簡単に検索できると書いてある。でもスキャンだけでも手一杯なのにOCMなんてとてもとても。正しく読みとれているかの確認が必要かもとを考えると何倍もの手間がかかる気がしていた。

それはさておき、いま喫緊の問題スキャナーが故障したことだ。だからしばらく自炊作業は中止。故障は今までのように動かなくなるというものではない。スキャンした後のPDFに縦線が入るようになった。線が入るのは両面スキャンしたとき裏面にあたるページ。実は今まで縦線が入るようになることはしばしばあったがそれは故障ではなく読み取り窓のカラス面に汚れがついたためで拭き取れば元に戻った。しかし今回はガラス面を拭いても治らないし、ガラス面をよく見ても汚れているようには見えない。だから直すには修理に出すしかない。以前線が入っても汚れと気づかなかった時は線の入ったPDFをそのままiPadのライブラリーにしたこともあったが、その時は線がそんなに太くなく読むのに支障がなかった。しかし今回は割と太い。以前はシャープペンシルの線くらいたが、今回は黒い色鉛筆ぐらい。読めないことはないがかなり気にかかる。しかし修理に出すと一万円前後かかると思う。メーカー(エプソン)は読み取り装置部分を取り替えることで修理すると思う。そこで思うのは修理に出すより新品を購入した方が良いのではないかということ。当面の出費で見ると修理の方安いはずだ。また今の機械は使い慣れているという点もある。

でも、1.スキャナー自体が老朽化してこれからも故障する頻度が多くなる可能性。2.新製品の性能が向上していて修理費と購入費の差額以上の価値があるかもしれない。3.修理に時間がかかりその間自炊ができない。これらの3点は当然に考慮しなければならない。結局、新製品を買うことにした。いままでと同じスキャナー(ES-D200)はエプソンの販売ラインから消えているが、Amazonからなら買うこともできるが、金額の安さと使い慣れている以外はメリットがなく、第一同じ機械を2台も買うのは馬鹿らしい気がする。そこで残るのは同じエプソンの後継機を買うのか他のメーカーの物を買うのかということ。エプソンの後継機は操作があまり違わないと思うから使い慣れていることが利点である。しかし先日エイデンの移転新築した名古屋駅前店に行って見たがエプソンの後継機はなかった。これは近日中にさらに新型機が出る前触れかな?エイデンのセールのチラシには富士通のスキャナーが目玉商品で載っていた。あの大きな売り場にはシート型のスキャナーはその富士通のものだけでエプソンもキヤノンもなかった。Amazonを見るとエプソンと富士通のほかにブラザーとパナソニックもシート型のスキャナーをだしていた。ブラザーは安くて地元だというわけではないが冒険するものを応援したくなるが性能がよくわからない。性能がよくわからないのはパナソニックも同じ。それなのにキヤノンのDR-C125はAmazonに詳しく説明がしてある。この差はなんだ?

それはさておき、結局AmazonでこのDR-125を注文した。その理由はここで先のOCMにもどるのだがDR-125は同時にOCMも取れるらしい。また重送迎を防止する機能があるらしい。重送を探知する機能はどこの機種にもあるが防止機能はあまり聞かない。重送の原因は裁断したページの隅に製本時の接着が残っていると場合と紙自体の質による相性でピッタリくっついてくる場合がある。接着の場合注意して剥がせばよいが、紙の質の場合は一枚一枚離れているのに重ねて機械にかけるとくっついて出てくる。これがかなりの手間。一枚一枚手で差し込むか、一度全部スキャナーにかけてあとから欠けているページを見つけてその部分だけをスキャナーしたものをPDF編集ソフトで差し込むかしかない。重送がなければ15分で済むものが1時間以上かかることがある。

じつは DR-C125はさっき届いた。オンラインで頼むと手間いらずの上早いし現金が手元に無くてよいからすごく便利だが、困る点は修理だな。修理ではないが電動アシスト自転車の時は防犯登録ができなかった。大元の警察に行けば良いだろうと地元の警察署へ行ったら販売店でしかできないといわれた。なんか変。修理といえば保証期間が過ぎた全自動麻雀卓は製作所の本社と出張所が他府県なので修理に来てもらえば出張費用が高くつくとびびってまだ修理してない。

ともかく車でよく行く区内のヤマダ電機においてない可能性が高いのでAmazonで注文した。今日から自炊を再開。縦型で排紙を回収する場所を取らないのも利点だ。でも差し込めるのが30枚なのでちょっと少ないというか半端。前の機械は普通の本なら50枚、文庫本なら100枚入ったのでそれぞれ100ページ、200ページ重送なしでOKとして先にすすめた。


オリンピックと消費税増税

2013-09-11 20:31:21 | 社会経済

研究して書きたいテーマはいくつもあるが常に興味が拡散する事もありなかなか筆が取れない。これではいつまでたってもブログが書き込めないのでとにかくつれづれなるがままに旬のテーマについて思うことを書こう。

最近の話題は2020年の東京オリンピックだね。新聞なんかでは経済効果を期待する論調がある。アスリート以外の人にはそちらの方の関心が深いかもしれない。でもさあ今この時期にオリンピックの経済効果を期待するのは正しいことかな。アベノミクス支持者の人はデフレ脱却のこの時期こそオリンピックによる需要喚起が必要と言う。でも今は東日本大震災の復旧と過去の公共事業の老朽化による補修の喫緊の必要性に加え防災目的の国土強靭化も叫ばれていて建設土建業については人手不足でさえある。つまり2020年までは建設業は過度に忙しいが2020年をすぎる頃にはバタリと需要かなくなり建設恐慌になりかねない。極端な建設労働者不足はオリンピックに間に合わすためにやむなく多量の外国人労働者を導入することになるかもしれない。そうなると2020年に多量の外国人失業者が市中に放たれ新たな社会問題になりかねない。

インターネットの「アゴラ」で反リフレ派の小幡績氏がオリンピックに反対の記事を書いているが僕はまだ読んでいない。だから上記の考えは僕の自然発生的なもの。後で小幡氏と比較してみよう。

ところでオリンピック以外の今の話題は消費税増税だね。アベノミクス支持者にも意見の分裂があるみたいだ。つまり今消費税増税すると国民の購買力を奪うからデフレ脱却の腰が折れるから避けるべきだと言う意見と、今消費税増税しないと日本は財政再建をする気がないというメッセージを世界に放つことになり国債が買われなくなり国債価格が暴落して金利があがり日本政府の債務が雪だまり式に増え日本は財政破綻すると言うもの。

確か何日か前の日経新聞「経済教室」で伊藤元重氏が「どちらも危険があるならリカバリーできない方に対処しなければならないので消費税は増税して国債暴落に備えなければならない。消費税増税で景気が悪くなるというなら、持論の金融緩和で対処すればよい」との趣旨のことを書いていた。伊藤氏は皮肉のつもりではないだろうが、僕にはきつい皮肉に聞こえる。あ、「経済教室」の内容は僕の記憶で書いたので用語や言い回しは本人と違うかもしれないが内容はだいたいあっていると思う。もっとも消化しすぎて別物になっていたらご免。

消費税増税への景気への弊害は2種類あるらしい。一つは直接に購買力を奪うと言うもの。もう一つは消費税増税前に駆け込み需要がでるがその反動で増税後に需要が極端に減ると言うもの。新聞に多分日経新聞の記事だが、地デジとエコポイントでテレビ産業が大打撃を受けたと書いてあったが何を今さらと笑ってしまう。火を見るより明らかなことなのに当時新聞はエコポイントに反対したのかな。僕がこのブログで度々言っていたことだ。ただエコポイント当時に書いたかどうかは記憶がない。ただこうした政策の弊害はオーストリア経済学のイロハなのだから当然思ったはずである。この件に関してリフレ派(自分はリフレ派ではないと言ってるけど)の首魁の浜田氏と反リフレの小幡氏がもし消費税増税するなら1%ずつ上げるのが良いと同じようなことを言っているのが面白い。浜田氏はあげない方がいいけどもし上げるならだが。小幡氏は以前からの持論だ。

リフレ派にとっては進むも地獄退くも地獄と言ったところだと思うのだが、神懸りリフレ派は消費税を上げなければ万事うまく行くつもりらしい。「日本政府の財政は絶対に破綻しない。国債の買い手がいなくなったら日銀がいくらでも買えばよい。デフレの日本はハイパーインフレにならない。」とのことだ。すごい確信だね。「アメリカ人は個人主義だから厭戦気分で講和を求めてくる」「アメリカ人は潜水艦に乗るものがいないので通商破壊はない」とかの戦前戦中を思い出す。そういえばリフレ派評論家の上念氏は「国体」とか戦前の右翼論客みたいなことを言い出している。

リフレ派でもイデオローグの評論家は消費税増税反対、実務家の黒田日銀総裁は消費税増税やむなし。最近の政治情勢から見ると消費税は増税の方向だね。え、経済情勢もだって?それは保留。というのは経済報道が操作されている可能性がある。多くのデータが意図的に消費税増税を許容できる経済という解釈で報道されている。例えばなかなか設備投資が上向かなかったのが本当の景気回復ではないとの証拠だったのだが、ここにきて設備投資が上向いたとの報道が新聞の一面を飾った。でもよく読むと製造業の設備投資は減って非製造業の設備投資が増えてトータルで設備投資が増えていることになる。報道の仕方で記事の印象はだいぶ違う。日本人は日本が民主主義国家で報道の自由があると思っているが、日本の民主主義度は先進国の中では低くランクされている。その原因は女性の社会進出の低さの他は報道の自由度だ。役所が記者クラブを通じて発表した事柄は役所の発表の趣旨で記事にしなければならない。多数の人が読むわけではない評論では異論も許されるが報道記事では皮肉ることさえ許されない。

リフレ派の中にはこの段になっても安部首相が自分のリーダーシップを見せるために敢えて消費税増税を延期するだろう言うものもいる。でもあの人は周りの意見に逆らわない人だから消費税は来年4月から行われる。でも僕は消費税増税反対のリフレ派が本当は消費税増税を実行してもらいたいのではと思っている。そうすればどのみち破綻するリフレ政策の失敗の言い訳ができるから。こんなことを僕が思うのは、歴史にこんなことがあった。戦前の日本は陸軍にしろ海軍にでも敢闘精神が尊ばれた。だから戦に勝った指揮官が敢闘精神が足りないとけなされ、戦に負けた指揮官が敢闘精神があると敗戦をとがめられるどころか出世さえした。こんなわけで大日本帝国軍人は常に勇ましいことしか言わない。日米開戦にあたって東條首相を含む陸軍指導者も海軍指導者も戦争の見通しに自信がなくて、誰かが開戦に反対するだろうからそしたら自分は開戦したいがシブシブ従うということにしようと思っていた。ところが誰も開戦をのぞんでいないがそれを口にする者がいなかって日米開戦となった。もし重臣のなかに一人でも見えや外聞にとらわれないで国を思い開戦に反対して腹を切るものがいたら天皇も戦争回避を強く求めることができて太平洋戦争は起こらなかっただろう。

ところでリフレ派が消費税増税の反対の理由に「よいインフレと悪いインフレがあると」という。よいインフレとはそれで景気がよくなるインフレと言う意味だがそんなものないよ。高度経済成長の時に物価が持続的にあがったのは経済成長の結果であって原因ではない。そんなのは誰にでもわかることだ。それも結果に付随したことであっても避ければ避けたいことだ。だから都知事が物価を抑えられるとは思えないけど「物価の美濃部」と言う人が都知事に当選した。リフレ派の人は諸外国ではインフレターゲットを定めているというが、アメリカ以外ではそれはインフレ達成の目標ではなくてインフレの許容範囲の限界として。これを超えそうになったら金融緩和を中止しなければならないもの。過去の日本だけでなく世界の成長国ではもちろんインフレは歓迎されない。リフレ派みたいに成長の素とは思わないで、むしろ成長の阻害要因と見ている。

リフレ派が「悪いインフレ」というのがおかしいのは、よいインフレなどないからだけでなく、「悪いインフレ」の中でも「より悪いインフレ」を推奨しながら「比較的悪くないインフレ」の懸念をいうからだ。物価上昇が国民の購買力を奪うのは、あんたらが今さらいうまでもない。しかし経済学的にみれば消費税増税は国民の購買力を奪う反面、政府支出が増えるから国民経済的にはブラスマイナスゼロ。これは比較的悪くない物価上昇といえる。ところが円安によるエネルギーや食料の価格上昇は購買力が国外に流出するから悪い物価上昇だ。不況下の物価高というスタグフレーションが1970年代で起こったのは産油国が原油価格を上げたためだ。おっと僕は消費税増税がいいと言っているわけではない。経済学の解釈にもかかわらず現実の消費税増税分は政府支出としては十全に経済を潤さない。たぶんそのうちの一定の部分は行政癒着企業や役人の懐にただ移るだけ。つまり貧乏な庶民から裕福なものへの所得移動が起こるだけ。これならそのまま庶民の手元に残った方が健全な経済活動に資するよ。以上はリバタリアン的見解でした。

リフレ派はその場その場で非論理的な取り繕いするな。一年前のリフレ派からは「悪いインフレ」に気をつけようなんて言葉は絶対に出てこなかった。

オリンピックの影響で株価が再びあがり始めたね。僕の予想では10月末に株価の大暴落がありそれからしばらくさらに下がり続けるはずだが、大暴落には落差がたりない気がしていたが予定どおりになりそう。


参議院選挙後の感想

2013-07-27 18:00:22 | 社会経済

しばらく書いていないので書いてみる。

まず自炊は続いている。しかし自炊ばかりしていては何もできないのでなるべく夜テレビを見ている時にスキャナーをまわして朝昼は他のことをしようとつとめている。最近のふと気づいたのだが本をPDF化したファイルを誤って消去したら何百万円分の書籍が消えてしまうことになる。そこで外付けハードディスクを買ってきてファイルのコピーを作ることにした。今のところコピーには約1時間かかる。

誤って消去してしまう危険はPDFファイルは保存しやすいようにデスクトップに置いていることによる。実は書籍をPDF化するに当たってフチ切りの不完全による接着のためか紙質自体の相性のために二枚重なってスキャナーをすり抜けるものがある。その補正のためPDF組換えソフトを使って本一冊のPDFをバラバラにして間に欠損ページ分を組み入れたりすることがある。そうした作業のあと使ったPDFの断片をゴミ箱に消去してデスクトップ画面をきれいにしている。その時ウッカリすべてのPDF化した書籍の入ったファイルを消去しかけてビックリしたわけである。

スキャナーで読み込んだあとの本は紙資源にだしている。したがって究極には我が家には一冊の本もなくて、ただコンピュータの中にPDFファイルのみが残る。そのときもし誤ってそのファイルを消去したら究極の断捨離で悟りが得られるかなあ。

さて参議院選挙の感想をこの機会に書いておこう。自民党の過半数超えは予測のとおり。僕のシナリオをどおりに進んでいる。僕のシナリオは財政破綻による日本改革なので安倍首相はいい仕事をしていることになる。僕の想定では財政破綻後の日本再建にはリフレに手を染めなかった与野党の政治家が中心となる。リフレに手を染めた政治家は資質的に正しい政治が行えないことが明らかに証明され、A級戦犯で公職追放だ。

僕の想定では自民党では河野太郎と小泉進次郎が残るのではないかと思っている。参議院選挙の特集番組をみて、やはり小泉進次郎は間違いないと思った。小泉進次郎は自民党の青年局長なので自民党の党執行部の一員なのだが、参議院選挙時には選挙の行方にあまり関係ないと思える被災地や離島ばかりを遊説していた。その意味はアベノミクスなどの安倍首相の政策に触れたくないからだ。つまり内心では批判的だからだ。都市部の激戦地にいくと野党との競合で大勢の人々の前で与党の経済政策の成果を強調せざるを得ない。その点離島で数十人から数百人からの人の前でその土地の言葉でその土地の産物についての話の他は「みなさんは今の自民党に満足していますか」の話だけだ。聴衆の中にはアベノミクスに幻惑させられていて「満足している」という人もいて進次郎氏が戸惑うこともあるが、ともかく小泉進次郎氏はこれでアベノミクス敗戦のA級戦犯にならずにすむ。

しかしすでに否定されたはずのものが安倍内閣のもとで次々大手を振って復活している。公共事業による景気回復は効果がないことが明らかになっていたはずなのに復活している。国家公務員の天下りも良くないとのコンセンサスがあったはずなのにテレビをみると当選した自民党議員が「役所人事の若返りには必要」と述べている。これが安倍内閣の本質だから小泉元首相の息子としては安倍首相とは距離をおかざるをえない。

数日前の本の新聞広告で日本の中国研究者の人が中国の歴代王朝の盛衰は同じパターンの繰り返しだから共産党政権もそうなる趣旨の本を出しているらしい。共産党政権の前の国民党政権が違うような気がするので共産党も別の形で崩壊する気がするのでその本どおりではないかもしれない。むしろパターンをいうなら中国の統一と分裂の繰り返しの方が多いにありうる。統一あれば分裂ありが中国の歴史。踏み込んで予言じみたことを言うと、原発事故により中国内部に空白地帯ができそれを契機とした中国の分裂だ。中国の解決が難しい難問は水(水不足と水汚染)と空気(大気汚染)にそれに予測される土(原発事故による土壌汚染)が加わる。原発事故は空白地帯を作り物理的に中国を南北に分けるだろう。

オット話がそれた。実は日本の歴史にもパターンがある。体制の末期に人々から英明と期待される貴公子がでてくるが、結局その貴公子が体制崩壊の元となるもの。徳川18代将軍徳川慶喜であり近衛文麿首相だ。この二人の共通なのはそれまでに実績がないのに英明との評判をとったことだ。徳川慶喜は御三卿の出身で領国を経営したことはない。御三卿というのは領地がなく幕府からの米や金子の支給を受け家臣も幕臣の出向だ。近衛文麿も役所勤めとか代議士経験があるわけではない。ではなぜ「英明」との評判がたつのか。それは幼い頃から周りの人びとが期待し喜ぶことを察知しそれを言う能力に長けているからだ。

安倍首相も全くこのパターン。前の首相のとき「失われた年金はすべて解明します」と言った。もちろん出来なかったし、もともの「すべて」は不可能だ。「できる限り努力します」ならよい。でも彼は言い切ってしまうのだなあ。それは聞く相手が喜ぶから。あきらかに味方にならない人は非難するが、味方になりそうな人にはその場その場で相手が喜びそうなことを言う。当然矛盾する事もでてくるがいつも本気ではないので気にしない。話がちがうと文句もでそうだが、再び面と向かって快い言葉を言われると過去のことは忘れてしまう。カルト宗教信者と同じだ。だから安倍首相こそこの時に出てきた「奇跡の人びと」だ。

ところで最近の出たリフレ派の本を立ち読みしたら「インフレーションは金持ちほど不利だ。金融資産を持っているが価値がへるから」と書いてあった。これは論理的な誤謬でもあるが悪質な歪曲でもある。論理的な誤謬というのは、貧しい人びとはその収入のすべてを生活物資の購入に使わざるを得ない。だからインフレによる生活圧迫はほほ100%に及ぶ。だから富裕層が貧乏人より不利だということは論理的にありえない。エジプトでもブラジルでもインフレにより庶民のデモが起こっているが、かの国のDJポリスが「富裕層の人はもっと苦しんでいるが経済成長のためにガマンしているのです」と言った話は聞いたことがない。

悪質な歪曲というのは、金持ちの金融資産は現金や預金で持っているのはホンの一部だ。金融資産といえば株式や投資信託だ。これらはインフレになれば値も上がる、いやインフレにするという目的のために金融緩和で値を吊り上げようとしている。また富裕層はインフレになるとすでに持っている金融資産や不動産を担保に金を借りその金で新たな資産を買い求める。かくしてアメリカでは金融緩和により1%の人間に国中の富の4割が集中した。金持ちが豊かになれば回り回って底辺層も豊かになるからひがむべきではないという意見がある。この間、藤沢数希氏がブログで「アメリカで富裕層が豊かになったが、庶民も2%だが所得が増えているからトリクルダウン効果はある」と書いたところ、多くから「2%名目所得が増えても3%のインフレだから実質は1%の所得減だ」との声が寄せられた。藤沢数希氏は反リフレ派だけど金持ち相手の金融マンだからトリクルダウン効果を信じたかったのか、それともわざと突っ込まれるようにしたのかは不明だ。でも藤沢氏のブログに載せたグラフからの必然の結論では99%の非富裕層が所得を減らしているのは明らかだ。お金持ちになる確実な方法は作家にとか歌手あるいは宗教家にせよ幅広い庶民から少しづつお金を集めること。インフレは大衆収奪のその際たるものだ。


クール・ジャパンとクールなソロス

2013-06-24 22:56:18 | 社会経済

今日は映画を見てきた。イ・ビョンホンも出演するアメリカのアクション映画『G.I.ジョーバック2リベンジ』だ。と言っても『G.I.ジョーバック2リベンジ』を書きたいわけではない。スクリーンを見て感じたアメリカ映画における日本文化の影響だ。

まず『パシフィック・リム』という近日中に上映する映画の予告編を見た。海中から巨大怪獣が現れてサンフランシスコをメチャクチにするが通常兵器では対処できない。そこで人類の最後の希望として人型巨大ロボットが投入される。それは2人の人間が意識をシンクロさせて操縦するとだ。あれ?これって『ゴジラ』と『新世紀エヴァンゲリオン』のパクリじゃないの。次に本編の『G.I.ジョー』を見ると、背中に刀を背負った忍者スタイルの人間がチャンバラをやるのはアメリカ映画だけでなく中国映画や韓国映画にもよく見られるが、『G.I.ジョー』にはその他に日本の戦隊物のヘルメットとコスチュームにそっくりの戦闘員が敵味方にも何人も出てくる。じつはアメリカでは日本のテレビ映画の『ゴレンジャー』がドラマ部分はアメリカの俳優が演じた部分と差し替えて放送されていたのだ。このため変身して戦闘場面になると全員短足になるとか。

アメリカが元なら権利問題で訴訟になりかねない。でも日本は鷹揚だからそんなことにはならないかも。むかし『ライオン・キング』と『ジャングル大帝』の類似性が指摘されたけど手塚プロダクションはディズニーに模倣されたのなら光栄ですと訴訟する気はさらさら見せなかった。

でも訴訟しようにも戦隊物のコスチュームは日本ではご当地キャラクターはじめいっぱいあるからそれらから訴訟しないとつじつまが合わない。ここはクール・ジャパンがハリウッド映画に影響を与えているということで満足しなければならない。

さて年末まで書かないと思ったアベノミクスの評価だがほぼ予想どおり進んでいるね。予想がチョつと外れたのは6カ月後に流れが変わるという歴史法則(?)を述べたにもかかわらず参議院選挙後の7月に大きく落ちこむと予想したことだ。でも株価については安部政権からきっかり6カ月後の5月23日に暴落したね。これで流れが変わったと多くの人が気づいたはずだ。最近の世論調査ではアベノミクス効果は「続かない」と思っている人が43%で「続く」と思っている人の36%を上まわっている。

僕は参議院選挙までは政府が選挙対策で財政出動するから株価と景気は持つという俗論に引きずられ6カ月で反転という歴史の峻厳な法則を軽んじてしまった。恥じ入るしだいだ。でもこれまでの経過を見ると、株価も為替も海外の状況にもっぱら影響されて動くということがはっきりしているね。円高も不況も日銀が通過供給量を増やせば自由に操作できるといっていたおまじない経済学とも言うべきリフレ理論は何の役にも立たないわけだ。

でも7月の予言物語のシナリオはまだ有効だよ。5月23日が単なる小さな前触れに見えることが起こるかも。

リフレ派は株価の下落は早過ぎ株価上昇の「調整」だという。でも「三歩すすんで二歩下がる」なら差し引き一歩進んでいるから「調整」でもいいけど、黒田日銀新総裁が異次元の金融緩和政策をはじめた時点に戻っている。つまり「三歩すすんで三歩さがる」ことでもとに戻るのを「調整」と言うのかな。

今年の3月号の雑誌で投資家のジム・ロジャーズが日本の金融緩和には反対だけど金融緩和すれば株価が上がるから日本株を買うと言っていた。僕はその時「いつ売るかに興味があるな」(2013ー02ー16)と書いた。実際ロジャーズは5月6日に日本株をすべて売った。それから少しして5月23日に暴落は起こった。またやはり2月ごろテレビ番組でアベノミクス支持者の評論家がソロスの側近からソロスが日本株を多量に買っていると聞いたと喜んでいた。僕はそれが喜ぶことかとあきれてしまった。もちろんソロスも暴落前に日本株をすべて売り大儲けしている。

ロジャーズとソロスは以前にコンビを組んでいた。だから同じ思考方法だと思う。その考えは「市場は必ず間違う。間違った考えに支配されるからだ。しかもその間違った考えは運動量を持ちとことん突き進む。だが必ず現実に引き戻される時がくる。そこに儲けの元がある」と言うもの。ロジャーズは人がいいから商売では日本株を買うけど金融緩和は日本にはよくないと正直に言う。ソロスは間違うのはその人の個人責任だし正しいことを忠告してもどうせ聞かないのだからと間違うことを助長するようなことを言いより大きい儲けを図る。そのため英国銀行を騙して記録的な大儲けをしたと非難された。

ところでリフレ政策は現実と無関係のおまじないだけど、伝統的な考えからしても逆に動いていることがある。黒田日銀が長期国債を多量に購入したから普通なら長期金利が下がるはずなのだが逆に長期金利が上がったのだ。つまり意図と結果が無関係どころか全く反対になったのだ。

長期金利は長期国債の金利で決まる。長期国債の金利は市場での長期国債の値段なのだが長期金利が低いほうが値段の高いことになる。例えば10年後に1万円が国から返される国債があるとする。確か国債は毎年支払われる利子のクーポンみたいな物が付いていたような気がするが簡単にするため省略する。10年後の1万円のために今の1万円を払うのでは意味がない。だから例えば9000円で取引されているとする。1万円から9000円を引いた1000円が利子で1000円割る9000円が10年間の利子率だ。1000÷9000だと0.11つまり11%が10年間の利子率。1年にするといくらになるか面倒臭くて計算しない。国債の人気が高いと高く取引される。たとえば9500円になる。500円が利子になり500÷9500の5.2%が10年間利子率となる。つまり国債を大量に購入すれば国債の値段が上がり長期金利は低くなるはずだ。

ところが黒田日銀が多量に国債を購入したのに長期金利は上がったのだ。普通はあり得ないことだ。上がった国債の長期金利を下げるには一層の国債購入と行きたいが国債購入したための金利上昇の可能性があるのでそれは躊躇せざるを得ない。まあ兵力の逐次投入はしないと言って最大限購入したはずだから、さらに購入額を増やすと結局逐次投入しているように見えるものね。

国債の購入と言っても政府が発行したものを直接日銀が買うのではない。市中の金融機関が持っているものを購入するのだ。こうすれば長期金利を下げるとともに金融機関に購入代金の貨幣が多量に流入するからね。これで質的(利子率)にも量的(お金ジャブジャブ)にも金融緩和なる。そんな面倒なことをしなくても政府から日銀が直接購入すればと言う意見もあるが、日銀が政府から購入すると日本国債は危ないから金融機関が買わなくなったから日銀が買うしかないとの憶測を生むから禁じ手だ。

では日銀が多量に購入したのになぜ国債価格がさがり長期金利が上がったのか。実は日本のメガバンクは国家破産(X-day)による国債大暴落に備えて目立たぬように売り抜けにくい長期国債をへらして短期国債に切り替えていたのだ。財務報告書のうえでは国債所有額は変化がないのでお上に楯突いてはいないように見える。ところが黒田日銀新総裁が長期国債を多量に購入すると宣言したため堂々と日銀に長期国債を売却して手放すことができる。かくして日銀が購入する以上に国債が市中に出回り国債価格が下がり長期金利は上がるわけだ。

リフレ派の人は国債が日本国内で所有されているから投機的な投げ売りはないから安全と言っていたが、政府に従順な国内金融機関に国債を手放させているから、内部から防御壁を崩しているようなものだ。X-dayはいつか分かった時がX-dayって誰かが言ってたね。