セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

映画鑑賞ノート:周防正行(監督)『終の信託』

2012-11-02 23:44:32 | 文化

しばらく書き込んでいなかったので何か書かなくてはと思ってはいた。3冊の当事者の記録本を読んだ航空母艦信濃について書こうと思ってみても、自宅の庭の改修に時間と意欲をとられてなかなか書く気になれなかった。ようやく自宅の庭の改修に一区切りつけたので書くことにした。航空母艦信濃は後日にして今日見たばかりの映画『終の信託』の旬の感想を書こう。

見た映画館はミッドランドシネマ名古屋空港だ。この映画館でも中日本興業の株主優待券がつかえる。これでここは2回目だ。ミッドランドシネマ名古屋空港でも株主優待券が使えることは知っていたが最近まで来る気がしなかった。というのは名古屋空港といえば小牧市と思い自宅からかなり距離があると思い込んでいた。『アイアン・スカイ』という映画がどうしても見たかったのでカーナビをたよりに車で出かけた。そしたら春日井市で自宅から30分でつくところにあった。これなら時間的にも交通費的にも名古屋駅前よりずっと早く安くつく。そんなわけで今日は迷わずミッドランドシネマ名古屋空港を選んだわけだ。

面白いといえば『アイアン・スカイ』が断トツに面白いが、今日書くのは見てホヤホヤの『終の信託』だ。

主人公は病院につとめる40代の内科の女医だ。喘息を患う男性の患者から信頼を寄せられ幼いころに満州にいて妹の死ぬ現場をみた話を聞かされる。銃弾を腹に受けた妹に母親は子守唄を聴かせる。それは苦しみから逃れる永遠の眠りを迎えさせるものだ。これがこのドラマの伏線だ。また男性患者はチューブづけでは生きたくないと女医に話していた。

ある日男は路上で倒れ心肺停止状態で女医の病院へ救急車で搬送された。持っていたものはこの病院院の診察券のみなのでこの病院へ搬送されたのだ。男は病院での女医の緊急処置で弱いながらも呼吸は回復したが長時間の呼吸停止で脳の損傷が疑われて植物状態に近いものと女医は判断した(と検事に主張)。人工呼吸器をつけて意識のない状態は続いたあと女医は男性を安楽死させようと男性の妻に人工呼吸器を外すことを奨める。これは男性が以前に妻は親の介護から自分の介護と介護ばかりの人生でかわいそうだが自分では何も決められない人間だから女医が主導して欲しい旨のことを言っていたせいもあるだろう。女医は妻に息子と娘さんを呼んで相談してくださいといったのだが、家族の集まったその時はすでにあたかも人工呼吸器を外すことが決まっていて息子や娘はそれつまり男性の死に立ち会うために集まったかのような雰囲気だ。女医からも妻や息子娘からもこの状況になんの異議もでない。たぶんこれが問題になるポイントの一つだが、女医の方はこの方がやりやすいと考えていたかもしれない。人工呼吸器を外したとたん男は苦しみ暴れだす。これは脳死ではなかった証拠と検事はみなすことになる。女医は男性に鎮静剤を投与するがその量は看護師が驚くほど多量だった。安楽死させるための鎮静剤投与とみなされる量だ。男は人工呼吸器を外したから死んだのではなく鎮静剤の大量投与で死んだのだ。

僕が受ける印象では、女医は男が脳死状態ではないと思ったから早く楽にしてやらねばと安楽死させたのだと思う。以前男から人は死にかけて視力が無くなっても聴力はまだ残っていると話したのを聞いた女医は男が自分や家族の声を聞きながら早く楽にしてくれと考えていると思ったのではないか。

これは医療ドラマのようでも検察ドラマのようでもあるけどどちらも違うだろう。医療ドラマにしては女医の医療からの逸脱があるし女医は他の患者からも信頼されているようだが医療技術にはみていて疑問がのこる。これでは医療ドラマにならない。法廷場面がでてこないので法廷ドラマではないが検察ドラマにしては検事が嫌なキャラクターた。演技がうまいということだが、検事ドラマにはならない。つまるところ恋愛はないが男と女の人間ドラマというしかない。

原作があるらしいが僕は読んでいないけど、周防監督がどの部分を取り上げてどこを省くかで苦労したと思う。取り上げた構成でドラマ内容が変わってくると思う。他の監督あるいはテレビの連続ドラマなら取り上げて膨らませたと推測できることがある。

一つは男の死後3年以上経ってから告発されて検察庁に呼ばれたことだ。誰が告発したのかははっきりでてこなかった。僕がぼんやり聞き漏らしたかもしれないけど。だた検事との最初のやりとりで検事が「東大出で病院の医科長(だったと思うけど)ではやっかみも受けるでしょう」と言うと、女医は「それがこの件になんの関係があります」とぶっきらぼうに答えた。この検事の言葉は病院関係者の内部告発を暗示している。女医の反応は誰が告発者なのかに無関心なのかそれとも病院関係者以外のたとえば家族が告発者であることを知っていて、ただ東大出を皮肉っぽく持ち出されて不愉快になったようにみえる。僕が監督ならこの告発の経過を映像にするけど。原作は読んでないけど、僕が作ると法廷ドラマになっちゃうかも。ところで47歳の東大出の女医が医科長では出世していると言えない気がするな。以前名古屋市では病院関係者の人事異動は不定期によくあったけど常勤の医師はすぐ医科長という気がしていた。これは僕の勘違いかもしれない。でも47歳の東大医学部出でなら東大教授ならずとも医科大教授も割といる気がするからやっかみを受けるほど出世していないとおもう。

二つ目は男が毎日つけていた闘病日記だ。ドラマのはじめの方で男が闘病日記をつけているというはなしがでてきた。検事が言うには安楽死が認められるケースとして最高裁が認めたものは3つある。その3つを僕は聞き漏らした。やっぱり役人やめて良かった。その任に耐えらぬほどぼけて来たかも。えっ?もっとやめた方がいい人がいっぱいいるって。えっと話しはもどって、いずれにしても安楽死は本人の生前の意思(リビングウイル)がはっきり確認できるか、家族が本人なら希望するはずだからという承認が必要だ。僕はドラマの常としてこの闘病日記が決定的な場面にでてくるはずだと思って見ていたがとうとう場面ではでてこなくて映画の最後尾のその後のはなしの文章で、闘病日記が出てきて女医を信頼して総てを任せる旨の記述によりリビングウイルが認められて、安楽死が認められて懲役4年だが執行猶予がついたとある。無罪でないのは院長も副院長も男は回復可能と証言しているからだろう。

病院長の証言から女医の医療技術は怪しくみえるが、僕は最初の方からこの女医の技倆に疑問を持った。男の病気は喘息だ。それも中程度から重いものに移行しつつあるそうだ。でも喘息は症状であって病名ではないのではないか?喘息の原因はなんだろう?それが重要ではないのか。居住環境が喘息を重くしているらしいので転居を奨めるが拒否される。確かに工場地帯に住んでいるみたいだ。しかし女医は居住環境を主原因とみていないようだ。工場の廃棄物が主原因なら転居が最大の治療法だ。いや転居しなければ治らないともいえる。主原因を確かめてそれが居住環境なら絶対に死にたくないなら転居しなさいというべきだ。でも女医は主原因をつかんでもいないしつかもうとしていないように見える。これでは薮医者だよ。原作では違った書き方をしているかもしれないけど。

ところで僕がこの映画を見に行く気になった理由の一つは、予告編やポスターにでているシーンが名古屋市役所の本庁舎の地階に見えたからだ。ちなみに地階らしい場面は最後の方だがそれ以前の検察庁の内部には名古屋市役所本庁舎らしいところが多々見えた。そして映画終了のクレジットに目をこらしてみると撮影協力に名古屋市役所と名古屋市上下水道局の文字が見えた。


映画鑑賞ノート:『あなたへ』

2012-09-04 20:10:19 | 文化

8月30日の木曜日に名古屋駅前で映画を見てきた。交通費がもったいないので2本のハシゴである。時間の関係で先にピカデリーで『あなたへ』を見てそのあと109シネマズで『ダークナイト ライジング』を見た。ピカデリーでは株主優待券で無料、109シネマズでは60才以上なので1000円の入場料だ。ミッドランドでも『ダーナイト ライジング』を上映しているからミッドランドで株主優待券で見ればいいとも言えるがどのみち株主優待券は足りなくなるので時間つなぎの関係でこうしても経済的に損したわけではない。

109シネマズでは年齢確認のために求められ免許証を見せた。以前ミッドランドで優待券を使わない時に免許証を見せようとしたら必要ないと言われた。109シネマズのほうが気分がよいのは何故だろう。あ、いろいろ取り留めもないことも書いているけどこのブログは個人的な日記も兼ねているので我慢してね。

『あなたへ』も『ダークナイト ライジング』も良い映画でどちらも面白くテーマについても考えさせるものも持っている。洋画だけでいえば『ダークナイト ライジング』はその前に見た『プロメテウス』よりはるかに良い。『プロメテウス』は宣伝により知的興味を持って見にいったがまったくの期待はずれである。『ダークナイト ライジング』では社会学的にも哲学的にも衝撃性を持っている。でも今日のブログの対象は『あなたへ』だ。

『あなたへ』はすごい観客動員力だ。ピカデリーでは二つのスクリーンで1時間ズレの同時上映していた。異例なことだ。同一映画の同じ映画館内での別スクリーンの同時上映は洋画ではよくあるが、それは3D版と2D版あるいは字幕版と吹替版とかなんらかの違いがある場合だ。『あなたへ』の場合は1スクリーンでは観客を収容できないからだろう。

平日なのに満席に近かった。夏休み中だからではない。若い人ましてや学生らしき人はほとんどいなかった。大部分は中高年で夫婦づれも多かった。ではこうした人たちは何を期待してこの映画を見にきたのてあろうか。当然に老年にさしかかった夫婦の愛情と絆だろう。おそらくこの映画はそうしたものを伝えるつもりで作られたのだろう。でもシュチエーシに偏りがある気がする。個人主義的傾向の強いリバタリアンの僕が言うのも変だが、あまりにも個人主義すぎて主人公が最後につかんだものは何なのだと思う。希望かそれとも絶望か。ドラマは感情移入の力が強いから多くの観客は感動して帰ったろう。しかしもし自分が主人公で局留めの妻の最後の手紙を見た時つまり映画の最後にこそ多くの人は「洋子、君は私と結婚して、本当に幸せだったのだろうか」と問うかもしれない。

「洋子、君は私と結婚して、本当に幸せだったのだろうか」というのはノベライズ本の帯の文。本の編集者が適当につけたのか、本当に本と映画に出てくる言葉なのかは分からない。普通に書店でこのノベライズ本を手に取り帯文を見れば、主人公はこの問の答えを求めて旅に出たと思うだろう。しかし映画を見た僕にはこの問が最後に残ったものと思える。

ええと、まだ映画を見ていない人は何を書いているのかわからないと思うので筋を書いてみよう。高倉健が演ずる富山刑務所の作業技官の倉島英二は妻の死後しばらくして遺言状を預かるNPO法人の女性から妻からの手紙(遺言状)を受け取る。そこには遺灰を妻の故郷の長崎の海に散骨して欲しいということと、そのあと長崎の郵便局で局留めで妻の手紙を受け取って欲しいと書いてあった。手紙はNPO法人の女性が投函する。局留めには保管期限があるので早く散骨して手紙を受け取らねばならない。倉島は自分でキャンプ設備をしつらえた車で長崎を目指して出発する。

ここで人物背景を説明すると、倉島は刑務官を定年退職後に嘱託の作業技官として富山刑務所の受刑者に木材加工の職業訓練を指導している。死んだ妻の洋子はもと童謡歌手で過去に何度も富山刑務所に慰問にきていてしばらくしてぶりに見学者として富山刑務所を訪れて倉島に声をかけられたことが縁で結婚した。倉島は晩婚で十数年の夫婦生活で子どもはいない。

さてまず確認したいのは、少なくとも妻が死ぬまでは倉島は妻が結婚生活で幸せではないとは思ってもいなかっただろう。たびたびでてくる回想場面にはそんな徴候はない。だかから「洋子、君は私と結婚して、本当に幸せだったのだろうか」という問いがでてくるとしたら「散骨」の遺言を知った以降だと思う。

僕はNPOの人が散骨という亡妻の遺言状を持ってきた時、「散骨?ああ子どもがいないからな」と軽く思った。でもいま考えると疑問点が出てくる。普通「散骨」なんてことは生前から家族とよく話し合って意向を伝え理解し了承してもらうものなのに、遺言状で一方的に伝え、しかも「散骨」のあとに局留め郵便の手紙を読めなんて必ず散骨させる保険みたいなことをなぜしたのだろう。倉島が散骨せずに先に手紙を読むことは可能だ。しかし読んだらやはり散骨することになっただろう。ちなみに手紙の内容は一言「さよなら」だ。

倉島の友人で上司の刑務所の総務部長も自分の妻との会話で「散骨なんて俺はいやだ。さみしすぎる」と言っていた。これが普通の感覚であろう。「散骨」なんてものはある種の人生観世界観があってしかもそれを家族と共有していなければできるものではない。それがみられない倉島家の場合は「あんたとは一緒のお墓に入りなく無いわ」と言うキンチヨーのコマーシャルの台詞を言われたのとおなじだ。

NPO'法人を通しての遺言状というのも異常だ。争いのない睦まじい家族でも財産分与で遺言状を残した方が良い場合がある。でもそんな時は「金庫に入れてあるから万一の時に見るように」で済むはずだ。なぜ他人の手をとおすのだろう。局留め郵便という手のコミようのことも考えても他人行儀だ。

回想場面で元童謡歌手の妻の刑務所慰問は実は入所している内縁の夫に自分の姿を見せるために行っていたがその内縁の夫は獄中で病死したという。これを見たとき昔のキリスト教の論争を思い出した。夫と死別したのち再婚した妻は自分も後夫も死亡したのち天国で三者が出会ったら妻はどちらの男を夫とするのかという問題だ。この映画を解釈する上にこのことも外せないだろう。

この映画の主旋律は倉島と亡妻との関係だが、副旋律として南原という移動販売員とその妻との関係が出てくる。これがこの映画を解く鍵かもしれない。南原は各地を回ってイカめしの駅弁を実演販売する2人組チームの一員だ。他方より年上だが数年前に加わった新米なのでチーフではない。じつは南原は以前漁師で水難事故にまみれて姿を消し別人として生きて妻や娘とも連絡をとっていない。南原は借金があったが生命保険がおりたのか妻と娘は食堂を開いて生活している。南原は保険金を返さねばならなくなるためか妻と連絡をとろうとしない。しかしそれだけではなさそうだ。妻が嫌いというわけではない。偶然だが南原の家族とも知り合いになった倉島だが、南原に家族と連絡を取れとは言わない。また南原の家族にも黙っている。南原の妻も南原が生きていて倉島が何か知っている気がするがあえて聞かない。

つまり副旋律から推測するこの映画のテーマは、どんなに睦まじい家族でも個人にはそれに還元されない何かがあるということかもしれない。でもリバタリアンで個人主義者の僕でもこの結論はさみしすぎる。

では次の可能な解釈はというと、亡妻の洋子が本当にこの世で愛したのは獄死した内縁の夫だけであの世では内縁の夫と二人で暮らしたいというもの。これもさみしいな。

番外でサスペンス仕立てのとんでも解釈を言うと、洋子は内縁の夫の獄死の原因を刑務官の倉島の虐待と思っていて復讐のために倉島に近づき結婚した。復讐の機会を探しているうちに倉島の情にほだされとうとう復讐できずに死を迎えた。復讐ができなかったので獄死した内縁の夫にたいするせめてもの罪滅ぼしに倉島と同じ墓にはいらないことにした。松本清張タッチで暗いなあ。

最後に僕のとっておきの解釈を言おう。亡妻の洋子は実はキツネの化けたものだ。出演の田中裕子がキツネ目というのではない。以前倉島は山の中でワナにはまった仔ギツネを助けたことがある。仔ギツネはその後修行して妖力を身につけた。恩返しをしようと独身の倉島の前に童謡歌手の姿に似せて現れ妻となった。キツネの寿命は短いが妖力をつけた妖狐は長い。キツネは仔ギツネからキツネの平均余命を差し引いた期間恩がえしをするつもりだったので十数年たったら死んだふりをして消え去ることにした。死んだふりをしてばれないように死体は他の者とすり替えた。しかし自分でないものを同じ墓に埋葬されるのは忍びないので散骨を希望した。そして「さよなら」の言葉を残した。

これが高倉健版「キツネの恩返し」である。僕も独身だけど化け物でもいい何か美人に化けて嫁さんになってくれないかな。人間の女性は若い時は美人でも年を経ると化け物にかわるからこわいけど、逆ならばいい。あ!フェミニストの人ごめんなさい。本気じゃないですよ。嫁の来てのない男の虚勢と思ってください。糾弾だけはやめてね。さてそうそうキツネはやめとこうキツネ目になるから。田中裕子のことではないよ。美人になるのなら元も綺麗でないといけない。すると白鳥か?いやいや日本なら昔から「鶴の恩返し」という話がある。僕は宇野重吉ではないが鶴にするか。日本の鶴なら丹頂鶴、あ!駄目だ。綺麗でも頭が赤くてはつき合いきれない。お後がよろしいようで。


映画鑑賞:『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』

2012-03-28 20:31:20 | 文化

昨日(27日火曜)名古屋駅前の映画館(ミッドランドスクエア)に行って映画『マーガレット・サッチャー  鉄の女の涙』を見た。正確には『マーガレット・サッチャー 』と『戦火の馬』を見たのだが。もちろん二本立てではない。交通費が惜しいから同じ映画館で続けて見たのだ。ちなみに株主優待券なので入場料はいらない。

そこで『マーガレット・サッチャー 』について書くのだが、これは僕がこの映画に感動したからとかサッチャー元首相を尊敬しているというからではない。あ、やはり感動したからかな。

この映画で感動したとしたらそれは、映画の中でサッチャーが話す父親か祖父の言葉だ。「考えることが行動に現れ、行動が習慣を作り、習慣が性格をつくる。そして性格が運命をつくる。」僕の聞き覚えだから正確ではないが、おおよそこの内容。元の英語ではどうなのか知りたいものだ。

この「考えること」を「志しを立てる」と考えると、最後は性格とか運命とかにつながる。なんか偉そうなことを言っているようだが、僕が腑に落ちたのはもっと卑近なことによる。半年ほど前自分のメタボを自覚した僕は、炭水化物の制限などの食事の工夫の他にiPhoneのアプリを利用した筋肉トレーニングを始めたのだ。一日10分程度のものだが、やはり億劫になりがちであったが、ここまでくると習慣になって毎日やらざるをえなくなった。以前より体重は7キロぐらい減っていて、風呂場での鏡を見ると心持ち腕が太く腹筋が現れ始めたように見える。一応、志しを立てる行動して習慣になった感じだ。

これは僕の人生では異様なことだ。なぜなら注意欠陥多動性障害(自己診断による)の僕は、自然体であることを何よりも生活の基本としてきたからだ。要する受験勉強とかエキササイズ・トレーニングなど直接の目的でないことは出来なかったからの負け惜しみだけど。

ではなぜ今になって筋トレなんかするのかと言うと、無職の年金生活者として明日かも40年後かもしれない終点の見えない生活になると、無意味につづく日々ではなくて毎日毎日が昨日より前進している実感が欲しくなるわけだ。

話は戻ると「考えることが行動に現れ」と言うところが陽明学の知行合一を思わせるのがいいのだが、サッチャーとその父親か祖父の意図するところは別かもしれない。あの言葉の出てくる前に、サッチャーは「今の人は感じたということばかり言う。でも肝心なのは考えることだ」といった続きであの父親か祖父の言葉を言ったのだ。

でも僕が思うに「考える」ことより「感じる」ことの方が正しいと思う。ブルース・リーも『燃えよドラゴン』のなかで「考えるな、感じるのだ」と言うし、雀鬼こと桜井章一氏もそんな事を言っている。多くの人が「考える」と言っていることは、外から与えられた空虚な規範や価値観を現実となんとか折り合わせようとするだけなのではないのか。これに反して「感じる」とは、それが語り得ぬものでも人間各自がもつスーパーコンピュータが無限のデータから導き出した答えだ。そのコンピュータはより高次元な物とリンクしているかもしれない。


映画鑑賞『マジック・ツリーハウス』

2012-01-27 20:11:44 | 文化

今日は映画を見てきた。『マジック・ツリーハウス』という子ども向けアニメだ。隠し子(そんなのいないけど)と行った訳ではないよ。一人でだよ。だいの大人が一人でアニメ映画に行ったのは以下の次第だ。

 

何日か前、丸善の古書洋書バーゲン会場で『Night of the Ninjas』というタイトルの児童図書を見つけた値段は210円でなにより薄くてさし絵入りだ。あ、もとい残念ながら薄いけどその分値段が210円であった。とにかく表紙も含めてさし絵の忍者の姿が違和感がないので読んでみる気になった。厳密にいうとさし絵の忍者はいわゆる忍者刀といわれる直刀でなく反りの有る普通の日本刀なのだが、すべての忍者が忍者刀を背にかけていた訳でもないだろうし、また直刀だと逆に違和感を感じる日本趣味の人もいるだろうからこれは気にしない。

 

そんなところへインターネットの映画館案内を見ていたら『マジック・ツリーハウス』とある。オヤオヤと紹介文を読んだら、日本製アニメだが原作はメアリー・ポープ・オズボーンというアメリカ人の世界的ベストセラーらしい。まさにあの本だ。

 

そんな訳でどんな出来になっているか見に行ったのだ。場面と登場人物はアメリカ(ただし起点のみで活躍する場所は過去の世界中)だが、アニメのタッチは日本アニメのもの。だから主人公の少年と少女の顔は本のさし絵と違っている。映画の終りのスタッフ名を見ると少女アニーの声優は芦田愛菜ちゃんだった。始めに知っていれば気をつけて聴いたのに。う?残念でした。少年ジャックの声優は北川景子さんで鈴木福くんではありません。

 

Night of the Ninjas』は「MAGIC TREE HOUSE」シリーズの5冊目で、アニメ映画の内容は4冊目まで。ただし本の後ろの案内をみると3冊(話)目は、本では古代エジプトだけど、アニメでは古代ローマのポンペイになっていた。ちなみにポンペイの話はシリーズの8冊中にはない。アニメ映画オリジナルと思われる。古代エジプトの話はミイラとか幽霊が出てくるのでアニメ作成にあたって別の話に変えたかな。でもポンペイのベスビオ火山の噴火の場面は怖かったよ。富士山の噴火を連想した。ベスビオ火山って富士山型だもの。

 

アメリカ、ベンシルベニア州のFrog Creekの森に突然現れたツリーハウス(大木の枝の上に立てられた小屋)は魔法の小屋で中は図書室になっている。その中で本に書かれている時と場所をしめして「ここに行きたい」と言えばツリーハウスごとそこに移動するのだ。ジャックとアニーの二人は女魔術師モーガンを助けるために4つのメダルを求めて過去の世界を冒険する。

 

 本の『Night of the Ninjas』では忍者のmaster(頭領かな)が、ジャックとアニーに忍者のやり方を実践しなさいという。それは、3つのことを忘れないことだ。それは「Use nature.Be nature.Follow nature」だ。自然を使う。自然になる。自然に従う。うん、陽明学にもオーストリア学派経済学にもそして麻雀にも通ずる教えだ。こんなに感動する言葉は、週刊誌で読んだある暴力団のスローガンの「男になりたい。男でいたい。男で死にたい」以来だ。


沖縄旅行

2011-12-11 15:53:03 | 文化
7日(水)から昨日10日(土)まで3泊4日で沖縄旅行へ行ってきた。本当は自分自身の生活雑記みたいなことは、他人が読んでも興味がわかないだろうから書かないのだが、僕が撮った写真を送ろうかと同行の二人に言ったところブログに載せればいいということなので、写真のために沖縄旅行のブログを書くこととした。でもこれって「どうせ下手くそな写真だろうからわざわざ送らなくてよい」に聞こえるなあ。風景の写真のみ選んで載せよう。同行者の写っているのはものは、ブライバシーだからメールか郵送で本人宛に送ろう。

沖縄旅行は大学時代のサークルの友人2人と行った。そのうち1人が「みんなもそろそろ定年だから時間に余裕があるだろうから自分が仕事で20回以上行っているので沖縄を案内しよう」といって企画したもの。でも僕の学年の者は本来は来年3月(公務員ならだけど)が定年。1年下の者は当然現役。まあ僕と同じ大学卒業年次の者でも1歳ぐらい歳上はかなりいるし、発案者自身が定年になっていたからこの企画なったわけだ。しかし定年になっている者も多くは嘱託等でまだ働いているので、集ったのは定年になったが嘱託で時間 が取り易い発案者と、数月前に65歳で会社を定年退職した先輩と、そして定年前に公務員をやめて純粋無職でいる僕の3人だ。ちなみに元公務員は僕だけ。

沖縄の感想をささっと書こう。沖縄の県都である那覇市では近代的な建築物が目に付いた。どの県でも県庁所在地だけは立派だよという見方もできるかもしれないが、ほとんど他都市は行っていないが、少なくとも岐阜市より現代的に感じるな。県庁舎も立派だった。たぶん基地に関わる国からの交付金が注がれているのだろう。沖縄は県民所得が一番低く失業率も高いそうだから交付金なるものが県民生活をストレートに押し上げていることはなさそうだ。箱物を作れば建築業界が活発化して雇用も増えるとの考え方もあるが、行政からの発注というものは、その資金の多くは特定のマフィア(利権共同体)に流れ建設現場の労働者をはじめとする庶民には流れないものだ。社会主義国の役人の横流しと日本国の公共事業の丸投げは本質的に同じものだ。

でも所得が低くて失業率が高くても、沖縄には暮らしていける民衆の共同体があるような気がする。数日いただけで学問的実証的に調査したのではないので、いつもの直感なのだから、あくまでも「個人の感想」だよ。でもイドラ(正しい認識を妨げる先入観)がない分、オーストリア学派や陽明学者の認識はよく当たるよ。陽明学ではこれを良知という。ほとんど外れていないのは名古屋の乱についての僕の過去の書込みをみてもらえばわかる。「今年2011年と来年2012年は後世の歴史に激動の期間として記録されると思います」今年2011年の元旦の予測は半分当たっているな。そうそうオーストリア学派自体、つねにその時代の有力な考えに論争を挑み一度も負けていない。すべて勝ったと言いたいが、相手は言い逃れが商売の経済学者だもの決して負けを認めない。社会主義計算論争でもソ連の崩壊でオーストリア学派の勝利が確定したはずなのに、計量経済学の故森嶋通夫氏は「オスカー・ランゲか市場によらない資源分配の可能性を証明した」という。それならなぜ中国はこないだまで世界一だったスーパーコンピューターをつかって社会主義経済建設に乗り出さないのだ。それはみんな言い逃れのための為にする空論だと知っているからだ。

話が変に脱線してしまったが、沖縄には暮らしていける民衆の共同体があると思ったのは以下の次第である。7日(水)に夕方に那覇のホテルに着いた僕たちは部屋に荷物を置いて一休みしたのち夕食と観光を兼ねて国際通へむかった。言っておくけどお色けは無しなのだからね。街には(ホテルもだけど)修学旅行の高校性がいっぱいいたな。通りを歩くと食事処のメニューみたいな物を持って客引きする若い人がたくさんいた。名古屋でもいないわけではないけど、たいていは新規開店の店でティシュを配る低度。まあ通りを歩いているのは大概は県外からの旅行者だから新規という点から見れば本質は同じだなと思った。さて友人の案内である店に入った。沖縄には沖縄民謡のライブ施設がついたものが多い。行った店が友人の趣味かもしれないが、他の店も外から内部が見える店(食堂・居酒屋・バー)にはすべて三線(さんしん・蛇皮線)とステージらしきものがあった。カラオケは見たことなかった。話が戻ると、その入った店のウエイトレスの女の子は数日前に神奈川県から沖縄へ戻ってきたそうだ。その理由は神奈川県が不況で仕事がないから。僕は神奈川より失業率が高い沖縄の方が仕事が見つかるとはどういうことなのかと考えた。その結論は沖縄県民はみんなでワークシェアリングしているのではないかということ。沖縄では駐車場でもやたら整理の人が多い。沖縄では人を最小限にして人件費を抑えるより、とりあえず働きたい人を雇うのではないか。そのため一人当たりの賃金や労働時間が少なくなる。また労働時間が短かすぎると就労者にはカウントされずに統計上は失業者になり、一人当たりの所得も少なくなり失業率も高くなる。また飲食店で三線を弾き民謡を歌う人も、プロもいるけど歌自慢の一般の人もいるだろう。そうした人も店からいくらかの手当をもらっているだろうが、他には仕事がなければ失業者になるだろう。

ア悪い。画像の貼り付けができない。有料にしなきゃいけないのかな。だから画像は後日。