セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

スキャナーの帰還

2013-03-06 22:12:31 | Weblog

修理に出したスキャナーが戻ってきた。しかしチョット変。変というのはスキャナーの調子ではない。今日スキャナーを返してもらうまでの経過。先週ぐらいにヤマダ電機から「メイン基盤が悪いので取り替えるのに1万5千円かかるがどうしますか」という電話があった。僕は「メイン基盤云々」に引っかかるものがあったが、新品は4万円ぐらいするので修理をお願いた。

今日は修理のためヤマダ電機に持ち込んでからちょうど2週間目ぐらいだ。修理が終わったら電話があるはずだが今日の午前中まで電話がなかった。たまたま今日の昼食はカッパ寿司にしたので帰りにちかくにあるヤマダ電機に寄って見た。そしたら女子店員がトランシーバーか携帯電話みたいなもので担当の店員か誰かに聞いてくれたがまだ届いていないとのことだった。預けたときヤマダ電機の担当者が最初に2週間ぐらいその後2・3週間と言ったのを思い出した。その時は遅れたときの保険で多めに言ったのだろうと思ったが、やはりそのくらいかかるのかと思った。でも基盤を取り替えるぐらいの修理なら、修理OKの許可がでたなら一日もかからないと思うのだがなあ、とも感じる。

ところが家に帰ってから数時間経った午後5時ごろヤマダ電機から電話があり修理ができたので取りにきてとのことだ。料金は15,750円。端数の750円は消費税だな。そこでふと思った。今日来るという勘が少し狂って家に帰った後にヤマダ電機に届いたのかな。でもこうも考えた。本当は何日も前にきていたが担当者が処理忘れか連絡忘れでどっか片隅に置き忘れられていて僕の帰った後に担当者が「そういえば」と思い出したかもしれないと。役所でもあるうっかりミス、民間企業でも当然あると思ってしまう。

早速ヤマダ電機に取りに行った。え、何か嫌味か苦情を言ったかって?昔区役所の窓口にいた時に同僚と話し合った感想では「役所の課長クラスで退職した人が一番口うるさいクレーマーになるのでは」というもの。僕は係長での退職者だからクレーマーにならない。でも「メイン基盤の取り替え」というイージーな修理方法について少し感想を述べた。こういう感想を持っていることをメーカー(この場合はエプソン)に伝わればと思ってだ。「基盤が故障したから基盤を取り替えるってことだけど、基盤の周りに原因があって結果として基盤に余計な負荷がかかって基盤が壊れるということもあると思う。だから基盤の故障ではなくてその原因を明らかにした方が良いと思うのだけど」。あ、それと「修理のついでにゴミの溜まった内部のオーバーホールをしてくれているとうれしいけど」とも言った。女子店員は笑って「さあ?」と言った。

ちなみに帰って液晶表示の窓口を見ると以前と同じく細かいホコリがみえるし、紙詰まりのとき開けられる機械内部も以前と同じく細かい紙のホコリが残っていた。オーバーホールしてくれなかったのだ。期待はずれ。

ところで機械についていた修理報告書には修理完了日は3月2日とある。あれ3月2日は土曜日だ。おやまあ休日出勤までしてくれたのか。それともエプソン販売株式会社は労働者酷使のブラック企業か。でも土曜日に修理完了だと発送は週明けの月曜日とすると水曜日着なら日程的に合うかな。


スキャナー故障で自炊中止

2013-02-19 20:30:07 | Weblog

昨日突然にスキャナーが故障した。機種はエプソンのES-D200だ。解体した雑誌をスキャナー中に突然停止した。電源が入らなくなったのだ。スイッチをパチパチしても別のコンセントに変えても電源が入らなかった。何だか電化製品の内臓ヒューズが飛んだ時と似ている。でも分解できないので分からない。雷が落ちたわけでもない。また連続して過度に使ったわけでもない。午前中は何冊かスキャナーしたがその後映画を見て食後に雑誌のスキャナーをし始めて十数枚スキャナーしている時に止まったのだ。

さっそく今日車でヤマダ電気まで持っていった。保証書の買い上げ日は23年1月31日で1年間の保証。だから今では修理費がいることになる。ヤマダ電気によると取次料に1500円いるという。これはメーカーの修理費とは別でメーカーの修理見積りの金額により修理をやめても払わなければならない。そんなわけで今日1500円を払って修理を依頼した。

ヤマダ電気の人の話では2週間かかるという。あれ?「2週間」ってよく聞くな。通販を電話で申し込むと「お届けに2週間かかります」とよく言われる。以前に書いたけど年金事務所でも証明書の交付に「2週間かかります」と言われた。でもいずれの場合もすぐ届いた。これはもっと早くできる場合でも余裕をつけて「2週間」と言っておけば早くなっても喜ぶことはあっても怒る人はいない。だけど2週間をこえた日数を言うとその段階で「もっと早くできないか」というクレームが出るという心理学の研究結果があるのかもしれない。

かくして当分自炊は中止だ。これは自炊した本を少しは読めという神の導きと思おう。

そうそう前のブログで名古屋北税務署に「確定申告は2月13日から3月15日」という垂れ幕があったと書いたが18日を13日と読み間違えたかもしれない気がしてきた。というのは先日愛知県美術館の「クリムト展」に行ったとき絵画の横の説明文がよく見えないに驚いた。車でも交差点の場所の表示がよく読めない。老眼かなとも思うが書店に商品の老眼鏡の見本がいくつかあったがどれをつけても反って見にくかったので老眼とも判断がつかない。もともと僕の視力は変則で左目が1.0のとき右目が0.1だった。本を読むには不都合がなかったどころかこれが便利という気がしていた。でも視力自体が落ちているのは確か。ブルーベリーのサプリも飲んでいるのにね。


自炊および確定申告並びに流動性選嫌

2013-02-16 23:04:19 | Weblog

ずっとこの頃自炊に淫しているという状態で際限なく本を解体してはスキャナーにかけている。テレビを見るときも本を解体しているかスキャナーにかけている。考えてみるとこれではこれ以後人生の終わりまで家では自炊ばかりしていて本を自炊したものも含めてほとんど読まずに死んでいくことになりかねない。そこであえて意識的に時間を作り他のこともすることにした。それで今日の午後はブログの作成。

昔は図書館みたいな家を作って住むのが夢だった。でも退職して家を作ったが母親もいるのでそんなわけにはいかずタマホームに頼んだこともあり普通の家だ。大きくはなく奇抜でもないがユニークで洒落た外装で退職した下級公務員の家としては上出来と満足しているが将来は内装等で本棚を作る改装も考えた。当面は据え付けの本棚の代わりに天井まで天板を伸ばして固定するシーリーング方式の本棚を20本ぐらい組み立て幾つかの部屋や廊下に置いた。

でも今はほとんどの本棚を撤去することを夢見ている。つまり幾つかの図鑑などの他はすべて電子書籍化して物体としては存在しなくなるのだ。もちろん立派な装丁で内容も深くまた希少な本もある。市場に出せば高く売れるかも知れない。でも全然惜しくない。マルクス経済学者なら社会的総関係の結果としてもその本という商品に価値が人の意識をこえて客観的に存在しているだろう。でも僕にとっては僕と本の内容との関係でしか価値は存在しない。読まれないまま形をとどめて何十万円という値がつく本は僕にとっては無価値だが、電子化して読みやすくなって読むことの出来た本は価値が計り知れない。ウーム、オーストリア経済学的だな、陽明学的でもある。

さて毎年この時期には確定申告のことを書いている。主として自分のための備忘録だがひょっとしたら他の人にも参考になるかも知れないので毎年書いている。それで今年も書こう。

木曜日つまり2月14日に税務署に確定申告書を出しに行った。毎年言っているように還付申告は確定申告期間以前でも出せるので14日にした。実をいうと13日午前中に作成してその日の午後までに持っていくつもりだったのだが、インターネットの国税庁のホームページを利用しての作成がうまくいかない。ホームページの案内によりうまくいかないときの処置をして見ても変わりない。去年は問題なく出来たのにどうしたことだと思っていたらパソコンのインターネット画面の下の方にいつもでてくる四角い囲いのなかに「ntaの何とかをストップしているが『一回だけ許可する』とか『ずっと許可する』」と出ているではないか。去年富士通のテレビ機能つきデスクトップパソコンに変えたので去年の今頃にはなかったパソコン側の機能のせいだ。ntaは国税庁の英語の略語と思われるので早速『ずっと許可する』をクリックしたら正常に動いた。この富士通のパソコンはこの他にも立ち上げるときに「F-Launcher」なるものが出てくる。いずれも有益な機能があるのだろうが僕にとっては立ち上がりを遅くしているだけにしか思えない。え?「説明書を読めばいい」って。ところがそうしたことができないのが僕の性質。とにかく行動するという志があってあとは行動の中で学んでいくのだ。陽明学的でもありオーストリア経済学的でもあるな。

話は飛んだがともかくも予定の13日より1日遅れで確定申告を名古屋北税務署に持っていったが、アレ?と思うことがあった。税務署の垂れ幕には「確定申告は2月13日から3月15日」と書いてある。一ケ月が確定申告の期間だと思っていたので3月15日が期限なら始まりは2月16日となる。今年の2月16日は土曜日つまり休庁日なので次の開庁日の月曜日の18日か直前の開庁日の15日の金曜日になるはずなのに。なんで13日かと思っていた。ところが家に帰ってニュースを見ると確定申告18日からという。国税庁のホームページをみても18日からだ。名古屋国税局のホームページをみてもわからない。ひょっとしたら13日から確定申告の相談はするが書類を受け付けるのは18日以降で、相談で受け取ったものは18日まであづかりにして18日に受け取ったことにするのかな?

ともかく13日から始まっていたとしても確定申告の受け付け会場は名古屋北税務署ではなく別の会場だったので税務署は駐車場もすいていた。そして提出だけとして税務署の3階で受け付けてもらった。

さて昨年までと違う今年の僕の確定申告の特長は配当所得の申告方法を考えなくても結果として住民税は必ずかかってくるということである。去年までなら確定申告の配当所得の仕方で所得税の還付は多くなっても住民税が課税になり国民保険料も多くなって結局は損ということがあった。ところが今年の場合は24年中通して共済年金の支給があったため配当所得の有無にかかわらす住民税は課税になるのだ。共済年金は一昨年からだが一昨年は年の途中からなので所得としてはゼロだった。

それでも配当所得の源泉所得税や配当控除や住民税のそれらを細かく計算すれば最も有利な申告方法が出てくるかも知れないが、今年からはそんな面倒な計算はしないで所得を総申告することにした。それが僕の僕なりのリバタリアニズムなのだ。リバタリアンと思われる橘玲(たちばな・あきら)さんは「橘玲の世界は損得勘定」なんて言っている。また僕は源泉徴収制度に賛成だが多くのリバタリアンは反対みたいだ。とすると僕はリバタリアンでないのか?でも僕にすれば損得勘定に囚われすぎると自由じゃあなくなる気がする。金銭にも囚われない僕は仏教的リバタリアンと名乗った方がいいのか?それとも「野に咲く花」の教えの信奉者だからキリスト教的リバタリアンなのか?まあハッキリいえるのは陽明学徒にしてオーストリア経済学徒でありたいということだ。

それで総申告すると決めた僕は、共済年金と株式配当と投資信託配当の他に生命保険会社からの拠出型企業年金(雑所得)と生命保険の据え置き金の利息(雑所得)と生命保険の無事故給付金(一時所得)までのせた。

拠出型企業年金は昨年から月5万円ぐらいを3ケ月ごとにまとめてくれる。ただ支払った保険料が必要経費になるので所得になるのはそう多くない。

生命保険の据え置き金の利子というのは満期になった生命の据え置き金が60万円ぐらいあったがお金に困ったとき生命保険会社のカードを使ってコンビニにある自動支払機で引き出していた。もう無くなったが何とかなったのはいつもの通り。例えば5万円引き出すと後で生命保険から通知がきて5万円引き出したそのうち50円は据え置き金にたいする利息なので雑所得になると書いてあった。それが何回もあるが利息の合計は989円で千円に満たないがそれでも申告した。

生命保険の無事故給付金は2万5千円あったがこれも申告するにはしたが一時金なので控除額50万円以下なので所得としては0円。税務署の人は「正直な人」と思うか、それとも「無駄に仕事を増やしやがって」と思うかな。

ところで今年の特長はまた別の点でもある。24年の投資信託の配当所得が23年よりもかなり少ないことだ。毎月分配型だから口座に振り込まれる分配金は変わらない。いや源泉徴収税が引かれないことが多いから口座に入るお金はすこし多い。つまり24年は元金の取り崩しの特別分配金が多いから配当所得に当たらないものが多かったわけだ。これは総所得だけで無く他の面でも影響した。

母親は僕と同じ投資信託を持っている。だから昨年の10月ごろ共済組合から翌年の共済年金の扶養申告を求められた時扶養無しで申告した。所得が38万円以上あると被扶養者にできないからだ。もちろん投資信託は確定申告しなくてもよいし確定申告しなければ源泉徴収税で課税関係が終了するので所得が無いのと同じで被扶養者にできる。でもそうなると僕は扶養控除がつくが母親は還付されたかも知れない税金がもらえなくなる。とすると他の人の権利を侵害して自己の利益を図るというリバタリアンにとっては許し難い行為となる。

そんなわけで母親を被扶養者にできないものと思っていた。ところが投資信託は昨年24年では元本崩しの特別分配金(所得でないから非課税)が大多数で利益からの分配金はほんのわずかだった。これだと母親の投資信託に自動販売機手数料と国民年金(所得としては0円)を足しても38万円には満たない。かくして僕は母親の還付確定申告書と母親を同居老親という高い金額の被扶養者にした自分の還付確定申告書をつくり同時に税務署へ提出した。

ちなみに僕の持っている投資信託はブラジル・ボンド・オープンとニッセイアジア好配当株式ファンドだが昨年はひどい成績だった。とくにブラジル・ボンド・オープンは投資雑誌に名目の利回りと実質の利回りの差が大きいものの第一にあげられていた。毎月の分配金は10000口で120円だから1年で1440円。10000口を10000円で買った人は14.4%の利回りになる。それが表面の利回り。でも元本が減っているので本当の利回りはマイナスとのことだ。ブラジル・ボンド・オープンは基準価格が去年は8000円を下回ったこともある。でも12月ごろから上向いて今は9500円ぐらいになっている。では今現在僕は儲かっているのだろうか?それが分かりやすいようで分かりにくい、いや分かりにくいようで分かりやすいのかもしれない。証券会社は3ケ月毎に報告書をくれる。それには「取得コスト」と「ご参考価格」という多分現在の価格が書いてある。その差額に口数をかけたものが「ご参考損益」だが、「取得コスト」が毎回違っている。思うにこれは購入時の価格(と手数料)から受け取ってきた分配金を差し引いた金額になっているのではないか?以前の報告書では「取得コスト」が10000円を越していた。そうすることによってネットの評価損益が分かるのだろう。ちなみに1月に届いた報告書では12月28日現在で「取得コスト」は8842円で「ご参考価格」は8659円で10000口あたり183円の差がある。それに10,800,000口/10,000口をかけると-197,640円で報告書の「ご参考損益」と合致する。今日(1/15)の基準価格は9501円だからかなりの利益が出ている可能性がある。

もうひとつのアジア好配当株式ファンドは元々元本か少ないから毎月の分配金も9000円程度なのであてにしていなかったが今年1月の分配金がいつもの25倍だったのはこの前書いたね。

エ?アベノミクスのおかげだって?オイオイこれらの投資信託は海外の経済に左右されるものだぜ。昨年ギリシアやスペインの財政危機に端を発する欧州の経済危機はギリシア国債などをEU共同債に統合することでギリシアのデフォルトを回避したので落ち着いた。その結果EUに輸出していたアジア諸国の経済やアメリカ経済も安定したわけさ。そのため危機を避けて円に避難していたドルやユーロが元に回帰しだしたのさ。だから安部首相の出現だけが円安の原因ではない。これが吉か凶かはわからない。でもユーロ共同債だなんてねえ。リーマンショックのときリスクの高いサブプライムローンを優良なプライムローンと混ぜこぜにして証券化してリスクを判らなくしたのがいけなかったと言ってなかったっけ。教訓と言うのは必要な時にはいつも忘れられるものだね。

ところで今出ているVoiceの3月号のインタビュー記事で投資家のジム・ロジャーズが「日本は金融緩和をただちに止めよ」と言っているね。僕は「金融緩和行け行け」の方だけど認識は同じだ。でもそうした一般論とは別に投資家として日本株を買うそうだ。金融緩和するといつも株価は上がるからだそうだ。それでいつ売るかに興味があるな。

でも日本株を買うのもロジャーズと奇しくも一緒だ。実は2週間ぐらい前に東京海上日動フィナンシャル生命保険から変額個人年金保険が目標の積立金額に達したと連絡がきた。200万円の預けた金額が運用で10%アップの220万円になったのだ。一括で受け取るか2014年1月から5年間の年金で受け取るか聞いてきた。悪性インフレを予想している僕は1年先からの年金なんてトンデモないとすぐ受け取ることにした。

この変額個人年金保険はグッドニュースⅡと言うのだけど、時々報告をくれるが一時は200万円を割り込んだが年末からアレヨアレヨとあがり220万円に達した。これは4年前ぐらいに第三銀行での国債が満期になった時に行員のひとが我が家にきて勧めていったものだ。僕が好んで国債を買っていたのではない。むかし給料の中から母親に渡していた金を母親が地域周りの第三銀行行員に僕の名前で積立預金していたのが満期ごとに形を変えて国債になっていたのだ。母親も自分名義の国債を持っていて再び国債を希望したが高齢で名前が書けないからダメで(本人がいるのにね)定期預金にした。僕は他に持っていっては第三銀行に悪いと思い勧められるままに変額個人年金保険にしたのだ。今は銀行が他社の金融商品も扱のだね。

それで振り込まれた金で買った株がキヤノン500株と花王100株。キヤノンはすでに1500株持っているのでこれで2000株になる。花王は去年の2ケ月ごとの共済年金と3ケ月ごとの企業年金が重なったときに100株買っていた。そのあとお金が足らなくなりそうで苦労したけどね。今回のものと合わせると200株だ。キヤノンは配当がいいが分散投資した方が賢明と思い花王を買い始めた。今回も花王をもっと増やそうと思ったが計算するとこの組み合わせが手持ち金に合致した。

キヤノンも花王もなぜかバブル時から憧れの株であった。むかし小沢一郎氏が自民党の幹事長だったとき「キヤノンなんて政治献金もしないで偉そうなことを言う」と非難したことがあった。僕は「政治と軍事に関わる企業は凶だ。そうするとキヤノンはよい会社だ」と早速買ったのだ。その後、御手洗氏が経団連会長のとき経団連の政治献金を解禁にしてキヤノンは外国人株主が過半数なので政治献金はできないので子会社に政治献金させたときに素早く売って、御手洗氏が経団連会長を辞めたとき買い戻せばもっと大株主になっていたかなと思う。

ちなみに前回の書き込みで「お金は余分にないとやや不安」と嘆いていたのに、金が入るとすぐ株を買ったのは、僕には流動性選好ではなくて流動性選嫌があるみたいだ。流動性選好というのは手元にすぐ使える現金を置きたがる傾向。でも僕は手元にお金があるとナンヤカンヤですぐなくなってしまうので持っていたくない。それより将来末長く配当をくれる株を持った方が良い気がするのだ。


自炊をしています

2013-01-24 17:17:22 | Weblog

なかなか時間がとれなくて書き込めなかった。どうしても書きたいこともないが前回との時間が空きすぎるので書き込むことにしよう。

無職だから時間が取れないはずはない、と言われるだろう。忙しいわけは自炊をしていたからだ。自炊といっても料理をしていたのではない。書物をセッセとPDF化していたのだ。

始めは当面読む予定がないが無料でブックオフに渡すのが惜しい本をスキャナーで読み取っていた。無料というのはある年数(多分5年)以上経っていてブックオフでは値段がつかないということ。でも今ではすぐにでも読まなければならない本こそPDF化するべきと思うようになった。だから買った本をすぐにバラしてスキャナーにかけている。

TwitterでTrinityNYCさんとtotomotsu33さんが「アメリカ人の中高年はkindleで本を読んでいた」「ニューヨークの通勤電車内でもそう」とツイートしていた。確かに電子化すると中高年にはすごく読みやすい。僕の場合は今のところ自炊したものをiPadminiで読んでいるが机に置いても見やすくめくりやすい。特にめくりやすいのが重要。年取ったせいか軽い脳梗塞でもあるのか指がうまく扱えなくなっているからね。手に持っても片手で軽く持って読める。字も自在に大きく出来る。

そもそも始めはすぐには不要な本をスキャナーにかけて自炊していたが処理を待つあいだ始めはパソコンでゲームをしていたが、すでにiPadminiに入れてあるPDFにした本を読むと、隙間時間でもすごく読みやすい。「あっ、これなら今読むべき本を自炊しなくちゃ」と思い直し方針転換したのだ。自炊した後のバラした本は雑誌類と一緒に古紙再生に出している。しかしもう200冊以上自炊したがいっこうに部屋や廊下にあふれている本が減らない。

スキャナーも使っているうちに使い方が洗練されてきた。始めにマニュアルを読んで使い方が全て分る人もいるかもしれないが、僕の場合はとにかく使い始めて途中でより良いやり方に気づくことが多い。「文字くっきり」と「画像はっきり」の違いもそう。ベージの中に白黒写真がある場合「文字くっきり」でスキャンすると写真が塗りつぶれる。それに気がつくとそれまでのスキャンした部分を破棄してもう一度最初から始めていた。一冊が30分で済むものもあればカラー印刷のものは半日かかるものもある。スキャン枚数にも気を付けなければならない。50枚100ベージ分をスキャナーにいれたのにスキャンページ数が98ページなら2枚くっついたままスキャンされたことになる。そうなると足りないこの100ページ分だけでなくその前の部分も全部破棄して最初からやり直しだ。

スキャンするのはプリンターのスキャン機能を使うこともできるが本をスキャンする時はスキャナー専門機を使っている。その時は本をバラバラにする。押し切りを使うときれいにバラせるが僕の場合は回転刃の裁断機を使っている。

さて「財政破綻」についてはもう書かないのかと言う声もあるかもしれない。円安になり株価も上がっているので黙ってしまうのかと思う人もいるかな。でも元旦に書いたとおりの想定ずみのコースだもの「明日待たるるその宝船」ということで黙っていてもよいけれど少しコメントしよう。

少し旧聞になるけどテレビで経済界の今年の新年の集りはどこも活気があって何年来なかったことだとの話をしていた。僕はこれを聞いて「昭和17月の正月もこのようだっただろうな」と思った。だってその前月の12月8日以前は日本国民がいつまでも終わらない日中戦争にうんざりしていたはずなのにまた新たな戦争がそれに加わるのに真珠湾攻撃より始まった日米開戦に喝采をあげスッキリした気分で17年の新年を迎えたのだよ。ワイルドでなくてワンダーだろ。

前々からこのブログでも書いたように僕は日米開戦を国民全体の潜在的な破滅願望によるものと見ている。でも当時の顕在意識の国民の理屈では「日中戦争が終わらないのは米英が蒋介石政府を支援しているから。その上日本を経済封鎖して日本を屈服させようとしている。米国を降伏させれば経済封鎖がなくなるだけでなく支援を失った蒋介石も降伏せざるをえなくなる。アメリカ国民は個人主義的で軟弱なので日本軍が戦闘で圧倒的に勝利すればすぐ厭戦気分から反戦運動が起こり米国政府も講和を求めてくるはずだ」というもの。しかし海軍軍令部が棋上演習というシミュレーションをやってもどうしても米国の勝ちとなるので沈んだはずの日本艦船を浮かび上がらせて無理やり日本の勝ちに持って行った。もともと戦争のツケを戦争で返そうとするのは無理。同じようにバブルのツケを別のバブルで返そうとしたらさらに大きなツケがくる。公共事業では経済成長はできないだけでなく政府債務が増えるのはついこないだまでは苦い経験で得た常識のはずだったのに、それが今では。正気じゃないね。でもこれが必然。

僕が日付を区切って財政破綻を予言するのはもちろん経済学の範囲を越えている。それは元旦にも書いたけど役者が揃っているからだ。この符合こそが科学的合理主義をこえた世界の理解の鍵だと思う。テレビのミステリードラマで主役やレギュラー出演でないのに有名俳優が関係者役で出てきたら大概その人が犯人なのとよく似ている。演出家やプロデューサーがいるのかも。

「事実は小説より奇なり」というが、合理を越えた偶然は多い。歴史上の事件や発明で、ある決定的なときにそれを解決できる能力を持っている人物がその場所にいること。これをその人物に焦点をあてれば「その場にいる能力」といえよう。また逆に「その場にいない能力」というのもある。

山本五十六とともに海軍反三国同盟三人男の一人の井上成美中将は珊瑚海海戦で勝利したが敗走する敵を追撃しなかったため「戦争ベタ」との批判をうけ海軍兵学校長に異動させられた。ああ日本の官僚制では凡庸なことをして大失敗すると運が悪かったと同情され出世さえするが他と違ったことをやっているものが成功すると妬まれつぶされるのだね。井上はその結果それ以後の日本海軍の無謀にして絶望的な作戦に関わらなくてすんだ。これもまた才能だね。そんな「その場にいない能力」を考えると日銀の白川総裁は3月で任期がきれるので悪質インフレと財政破綻に直接立ち会わなくてすむので「その場にいない能力」となるだろう。

リフレ派の人は白川総裁のことをボロクソに言うけど欧米での評価はすこぶる高く人によってはバーナンキ以上だ。僕は金融政策自体を認めていないからどうでもいいけど、リフレ派の言説は「為にする」ものが多く不愉快だなあ。

もともとゼロ金利政策を取ったのは日本銀行が世界で最初。それを米国等があとで真似たものだが次第に日本は不十分だったと批判しはじめた。この時の米国連銀の批判を受けて日本のリフレ派は鬼の首をとったように日銀を批判した。しかしその後当の米国連銀自体がうまくいかなくて「日本に謝りたい」と言っているのに相変わらず黴びた米国の権威でものを言っている。

リフレ派によればアベノミクスで欧米先進国並みになったはずだが世界の反応は違うぞ。クルーグマンのニューヨーク・タイムズのコラムが紹介されている。クルーグマン自身はアベノミクスに賛成だけとそのコラムの趣旨は「先進国では財政破綻を避けるためみんな緊縮財政になっているが、たった1国日本が一番政府債務が大きいのに積極財政と大幅金融緩和をするんだって、あの日本だぜ。安部首相は間違った理由だが正しいことを行うだろう。(失敗しても日本だ、この実験は見ものだ)」というようなものだ。僕も安部首相は間違った理由で正しいことつまり財政破綻をやろうとしているので楽しみだ。

ところでエバがエデンの園で知恵の実を食べてから、人間は目先の計算で行動するように堕落した。財政金融政策で経済をそして人間じたいを操れると思っているのもそのせいか。新約聖書には「明日何を食べるか思いな悩むな。義のみをおこなえば神が野に咲く花のように生かしてくれる」と書いてある。これを陽明学流に言い換えると「損得計算をしないで良知に従っておればすべてOK」というところか。

最近のニュースで埼玉県と愛知県の教師で本来ならば3月末で定年退職の教師が1月末で辞めるという。3月だと退職金規程の改正で退職金が減るからだそうだ。せせこましいな生徒が迷惑するだろ。僕の場合も定年前に退職したが、逆に9カ月後に辞めたなら900万円余分に退職金がもらえた。そんなことは当然知っていたが全然迷いはなかった。良知がひらめいたならそれに従うのみだもの。結果として母親のこともありタイミング的にグーだった。金銭的な損得計算は不利だとしても金銭に替えられないものもあるから良知が一番。

金銭といえば「いま必要でないお金を欲しがらなければ、必要な時に必要なお金がはいってくる」というのが僕の口癖。実際にこのブログでも前に書いたけど、預金がなくなりかけたころちょうど共済年金が支給され始めた。でも今月始めはやはり困窮した。本来なら12月に投資信託・共済年金・生命保険会社の年金の三つが入るので正月資金は大丈夫のはずだが、正月明けにはほとんどなくなり困窮した。iPhone5とiPadminiを11月12月に立て続けにカードで買ったのがひびいた。「ああ、必要な時に必要なだけ入るはずなのに現実はキビシイか」と思って、ふとインターネットで「ニッセイアジア好配当株式ファンド」を見ると最近25円の分配金がなんと1月10日決算では625円になっている。「え!25倍。すると今月は20万円ぐらいになる。おお神は存在する」と驚いた。証券会社からの連絡は以前2日ぐらい前だが最近は当日の昼ごろ届く。いつも16日なので16日の朝いそいで郵貯へ行ったがまだ入っていなかった。翌日連絡ハガキを見て行くと確かに入っていた。

でも必要なだけというのもさみしいな。今月末の引き落とし分を取っておいて土日の泊りがけ麻雀の費用をのけたらほとんど残っていないもの。余分な脂肪はそぎ落としたいけどお金は余分にないとやや不安。信仰が足りないか。もともとないけど。


人生の短さについて

2012-09-17 22:01:39 | Weblog

無職で日暮らしていると、といっても家にじっとしているわけではなく時には映画を見に行くしほぼ毎日車で昼食を兼ねて買い物にも出かけているが、一週間の経つのが早い。月曜日だと思ったらあっという間にもう金曜日だ。金曜日が週のメルクマークとしてでてくるのは僕が金曜日に新聞紙や段ボール・空き缶などを区内のスーパーの駐車場の資源回収に持って行っているからだ。

日が経つのが早いのは勤めていないせいか、それともよく言われる歳を取ったせいか、よくわからない。定年前に辞めた理由の一つは買うばかりで読まずに溜まった蔵書を読む時間を作るためだのだがあまり読めていない。そのくせ映画のついでに都心部の書店で本を買ったり買い物のついでにスーパー内の書店で本を買ったり、また最新刊でない本はiPhoneで写真を撮って家に帰ってからインターネットのAmazonで古本を注文している。そのため毎日のように郵便と宅配便で書物が届く。昔からの本を読む時間よりも買うために本を捜す時間が多いのは変わっていない。これは金銭的にも人生の残り時間的にもそれから仕舞うスペース的にも大問題だ。

退職すれば時間が十分にありそうでそれがずっと続くので読書時間に困らないと思うかもしれないがそうでもない。第一に残り時間がそう多くない。平均余命から20年はあると思うかもしれないが、視力と知力が歳と共に確実に落ちるはずである。そしていつくるかわからないが確実にくる死がある。これは重要な点だ。これがすべての社会事象の大前提だ。主流派経済学が誤り続けているのはこれを無視しているためと思う。

第二は僕個人の問題かもしれないが集中力が続かない。昨晩よく寝ていない場合は眠くなって進めないこともある。

第三に仕事にいかなくても家にはやることも多い。炊事掃除洗濯や母親の世話やそして毎日見てしまうテレビ番組がある。昼は『相棒』の再放送を見るし夜は刑事物やクイズ番組などいろいろ見てしまう。

そんなわけで無職になっても学(陽明学、オーストリア学派経済学)ならずしてこのまま朽ちて死んで行くのかと思った。しかしここに希望がわいてきた。その鍵はiPhoneのアプリだ。「BooksWing」というアプリを見つけた。本を登録して読むたびに読んだら時間とページ数を記録するのだ。「BooksWing」とiPhoneに始めから入っている「時計」をつかう。「時計」は「アラーム」か「タイマー」を使う。「アラーム」は見る予定の番組の5分前にセットする。「タイマー」は例えば夜中に目が覚めたとき15分間にセットして手のつけていない本をよんだりしている。この他にも隙間時間があると「20分間読もう」などと読書に入りやすい。

「BooksWing」は記録が取れるので読書の進行状況や読書スピードがよくわかる。そんなわけで日常生活に読書時間をドンドン割り込めさせることができる。これで蔵書家から読書家になれそうだ。登録する本は表紙画像が入る。バーコードスキャンの機能があるので本の裏表紙にあるバーコードをiPhoneでスキャンすれば、表紙画像・タイトル・著者名・出版社・ページ数などが入力される。最新刊の本はバーコードスキャンできないみたいなので手動入力となる。驚くことに洋書のバーコードも読み込める。多分もともとアメリカあたりのアプリに手を加えて日本版にしたのだろう。

それで今日のブログのタイトルの「人生の短さについて」は古代ローマの哲学者セネカの同名の著作からのものだ。僕はその内容を「BooksWinq」を使って読んだ本から知って、偶然とは言え思い当たることなので今日のタイトルとした。

ちなみに「BooksWinq」を使って読み切ったその本は『小説で読む行政事件訴訟法』(法学書院)だ。著者の木山泰嗣氏は弁護士で法律学の勉強に関する多くの著作がある。小説仕立ての本は『小説で読む民事訴訟法』についで二冊目だ。なぜ『小説で読む行政事件訴訟法』なんて読む気になったかと言うと、もと公務員だからということか。まあいろんなことに興味をもつので場違いな本も本棚にはいろいろある。でもAmazonで本の説明を見ると国税の税務訴訟の内容らしい。自分の知っている世界と少し違うが基本は同じと思い取り寄せてみた。不服申立て前置とか馴染みの言葉もでていた。でもこの本をどうしてAmazonで検索したのか思い出せない。書店でみて写真にとったのかな。歳だね、おぼえていない。

さて『小説で読む行政事件訴訟法』の中である老人が主人公の弁護士志望の若者に読めと奨めたセネカの『人生の短さについて』だがその言葉を著者が「あとがき」に書いて紹介していた。

「自分の時間をもっぱら自己のためだけに捧げてこそ、人生はきわめて長くなる。その人は、一分一秒たりとも無駄にせず、無為に過ごさず、他人に支配されない。時間は何よりも貴重なものと知っているから、真剣に時間を倹約する。それゆえ、その人にとって時間は十分に長いのです。ところが、他人に人生の大半を奪われている人間は、結局、人生をほとんど見ずに終わります。」