前に日々読みかけでも面白いと思ったことは書こうと言った。でもこの間いろんな本と映画などで気付いたことはいっぱい在ったけど前のものが中途だと書きにくかった。そんなわけで中川八洋氏の「女性天皇は皇室廃絶」はこの文で終わりにしよう。
さて第3章で、中川八洋氏は日本の法学者はほとんど英米法を理解していない。イギリスの名誉革命時の「権利章典」(一般的には「権利の章典」と訳している)を誤解している。つまり理解しているのは中川氏のみなのである。
中川氏が言うには、「権利章典」は国会が制定して国王におしつけたようにみえるが、本当は国会が古来の“法”の中に「発見」して国王に捧げて、国王が喜んで承諾したもの。しかも人民の権利だけでなく臣下が国王とその継承者に忠誠を約束したもので、したがって「権利章典」だけでなく臣下の「義務章典」とも呼ぶべきものという。たしかに文面からみるとそうなっているかもしれない。でも法律学の素人の僕が英米法の唯一といっていいほどの権威者の中川氏に異見を述べるのはおこがましいが、感じたことを言うね。
何処の国でも下位のものが上位の者に要求する場合、上下関係の転覆を図る場合以外は、かならず共通したレトリックを用いる。日本の村方文書という江戸時代の古文書をみると、代官なり奉行に出された百姓の代表者の文章は、最初の部分はそれらの役人への賛辞が連なり後半で「さりながら・・・」と本音が出てくるのである。つまり後半の部分が本当の主旨。また上位の者の面子をたてるため、新しいことを要求する場合でも、そのことが実は支配者の祖先のやり方に戻ることだというレトリックもよく用いられる。
この「権利章典」も書かれた文面だけをそのまま受け取るのはナイーブすぎて学者的でないような気がする。イギリス史上で人民・議会・国王の関係が「権利章典」の前後でどう変わったかで判断すべきだと思う。だからイギリス人自身が「権利章典」と呼んでいるものを、中川氏が「義務章典」というのもおかしい。
それに中川氏は「権利章典」で、臣民である国会議員が忠誠を誓っていることを大変重要視している。でも相手の国王はウイリアム3世とその妻メアリー2世なのだが、メアリー2世は追放されたジェームス2世の娘だが、ウイリアム2世はオランダ人。国王に絶対忠誠を誓った議会は実は前の国王を追放するためオランダ統領であったウイリアム3世に軍事介入を要請したのだ。ウイリアム3世とその妻メアリー2世は共同国王なのだが、「女性国王は王室廃絶」ではないのか?
ところで中川氏はあらゆるところに共産勢力がいるという。内閣法制局は共産勢力に占拠されているとのことである。そんな中川氏と対談した渡部昇一氏は「共産勢力の動きを時計の針のように正確読み取る」と中川氏にえらく感心する。でも中川氏のレッテル貼りはかなりあやしい。第6章で宗教学者の山折哲夫氏を「過激な唯物論者」と書いてあるのを見てびっくりした。でもその根拠は中川氏がマルクス・レーニン主義者としている憲法学者(ただし憲法学者の9割は共産主義者とのこと)と共産党傘下の凱風社(聞いたことのないけど)という出版社で対談したことと、自然葬の提唱していること。自然葬は共産党の反宗教戦略だという。しかし共産党は自分たちで中央委員会の墓という幹部だけの専用墓地を作っているぞ。だいたい自然葬こそ親鸞の本意なのだよ。このことは最近発売の学研の「親鸞」という本の最初の部分で浄土真宗の僧が書いている。魂と肉体を較べて肉体を軽く見るのが宗教ではないのか。キリスト教でも「塵から塵へ」という。
さて中川氏の本のノートは終わりにしよう。でも皇位継承問題について意見を述べよう。以前「側室か南朝復活」と書いたが、現実的な解決策は別。それは、皇室の民営化。ただし民営化した皇室の代表者である天皇に国会が日本国の元首を委託する。この方法の意義は2つある。一つは皇室自身の後継者選びが皇室自身の決定によることができる。非嫡子を作ることも可能。旧皇族を養子とすることも可能。愛子内親王が旧皇族の人を夫に選ぶかどうかは国の関する事ではなくなる。本人がいろんなことを考慮されかもしれないがそれは本人がせんたくされることだ。南朝の子孫に譲位するのもそれは皇室の判断だ。すべてこれらはプライバシーの問題となる。言い方をかえて臣下の干渉する問題ではないといってもいい。
2つめは近代民主国家の規定との矛盾をなくすことができる。民営化された皇室の人たちは戸籍も住民票もできて納税の義務もできる。姓のない皇室が戸籍をつくるのはとんでもないという意見が出るとおもうが、戸籍なんてものは明治以後の歴史の浅い制度、戸籍に載るのは姓と思わず便宜てきな氏と思えばよい。だって本姓が源とか平とかいう家庭も源などの姓で戸籍に乗っているわけではなく、佐竹とか武田とかで戸籍を作っているだろう。ある特定の人たちに特権なり特殊な負担を与えることを目的のためにやむなしとすることはダブルスタンダードであり容認できない。しかし文化的伝統という一種の財産として残したいということを両立させる唯一の方法だ。
さて第3章で、中川八洋氏は日本の法学者はほとんど英米法を理解していない。イギリスの名誉革命時の「権利章典」(一般的には「権利の章典」と訳している)を誤解している。つまり理解しているのは中川氏のみなのである。
中川氏が言うには、「権利章典」は国会が制定して国王におしつけたようにみえるが、本当は国会が古来の“法”の中に「発見」して国王に捧げて、国王が喜んで承諾したもの。しかも人民の権利だけでなく臣下が国王とその継承者に忠誠を約束したもので、したがって「権利章典」だけでなく臣下の「義務章典」とも呼ぶべきものという。たしかに文面からみるとそうなっているかもしれない。でも法律学の素人の僕が英米法の唯一といっていいほどの権威者の中川氏に異見を述べるのはおこがましいが、感じたことを言うね。
何処の国でも下位のものが上位の者に要求する場合、上下関係の転覆を図る場合以外は、かならず共通したレトリックを用いる。日本の村方文書という江戸時代の古文書をみると、代官なり奉行に出された百姓の代表者の文章は、最初の部分はそれらの役人への賛辞が連なり後半で「さりながら・・・」と本音が出てくるのである。つまり後半の部分が本当の主旨。また上位の者の面子をたてるため、新しいことを要求する場合でも、そのことが実は支配者の祖先のやり方に戻ることだというレトリックもよく用いられる。
この「権利章典」も書かれた文面だけをそのまま受け取るのはナイーブすぎて学者的でないような気がする。イギリス史上で人民・議会・国王の関係が「権利章典」の前後でどう変わったかで判断すべきだと思う。だからイギリス人自身が「権利章典」と呼んでいるものを、中川氏が「義務章典」というのもおかしい。
それに中川氏は「権利章典」で、臣民である国会議員が忠誠を誓っていることを大変重要視している。でも相手の国王はウイリアム3世とその妻メアリー2世なのだが、メアリー2世は追放されたジェームス2世の娘だが、ウイリアム2世はオランダ人。国王に絶対忠誠を誓った議会は実は前の国王を追放するためオランダ統領であったウイリアム3世に軍事介入を要請したのだ。ウイリアム3世とその妻メアリー2世は共同国王なのだが、「女性国王は王室廃絶」ではないのか?
ところで中川氏はあらゆるところに共産勢力がいるという。内閣法制局は共産勢力に占拠されているとのことである。そんな中川氏と対談した渡部昇一氏は「共産勢力の動きを時計の針のように正確読み取る」と中川氏にえらく感心する。でも中川氏のレッテル貼りはかなりあやしい。第6章で宗教学者の山折哲夫氏を「過激な唯物論者」と書いてあるのを見てびっくりした。でもその根拠は中川氏がマルクス・レーニン主義者としている憲法学者(ただし憲法学者の9割は共産主義者とのこと)と共産党傘下の凱風社(聞いたことのないけど)という出版社で対談したことと、自然葬の提唱していること。自然葬は共産党の反宗教戦略だという。しかし共産党は自分たちで中央委員会の墓という幹部だけの専用墓地を作っているぞ。だいたい自然葬こそ親鸞の本意なのだよ。このことは最近発売の学研の「親鸞」という本の最初の部分で浄土真宗の僧が書いている。魂と肉体を較べて肉体を軽く見るのが宗教ではないのか。キリスト教でも「塵から塵へ」という。
さて中川氏の本のノートは終わりにしよう。でも皇位継承問題について意見を述べよう。以前「側室か南朝復活」と書いたが、現実的な解決策は別。それは、皇室の民営化。ただし民営化した皇室の代表者である天皇に国会が日本国の元首を委託する。この方法の意義は2つある。一つは皇室自身の後継者選びが皇室自身の決定によることができる。非嫡子を作ることも可能。旧皇族を養子とすることも可能。愛子内親王が旧皇族の人を夫に選ぶかどうかは国の関する事ではなくなる。本人がいろんなことを考慮されかもしれないがそれは本人がせんたくされることだ。南朝の子孫に譲位するのもそれは皇室の判断だ。すべてこれらはプライバシーの問題となる。言い方をかえて臣下の干渉する問題ではないといってもいい。
2つめは近代民主国家の規定との矛盾をなくすことができる。民営化された皇室の人たちは戸籍も住民票もできて納税の義務もできる。姓のない皇室が戸籍をつくるのはとんでもないという意見が出るとおもうが、戸籍なんてものは明治以後の歴史の浅い制度、戸籍に載るのは姓と思わず便宜てきな氏と思えばよい。だって本姓が源とか平とかいう家庭も源などの姓で戸籍に乗っているわけではなく、佐竹とか武田とかで戸籍を作っているだろう。ある特定の人たちに特権なり特殊な負担を与えることを目的のためにやむなしとすることはダブルスタンダードであり容認できない。しかし文化的伝統という一種の財産として残したいということを両立させる唯一の方法だ。