その作品をすべて読んでいる時代小説家(本業は歯科医師)の上田秀人のブログを見たら、なんと立花宗茂が主人公の小説を書いているではないか。立花宗茂は僕が最も好きな戦国武将で、これまた立花宗茂の主人公の小説は手に入るものはほとんど読んでいる。さっそくアマゾンを使って注文して取り寄せた。
「孤闘 立花宗茂」の帯には、「武勇の誉れ高く義を貫いた最後の戦国武将・・・」と書いてある。歴史上の立花宗茂についての評価はたしかにその通りだが、この本のなかの立花宗茂はちょっと違う。おそらく本の帯の文面は編集者が思い込みからつけたのだろう。この本の中の宗茂は「義を貫いた」とは描かれていない。もちろん破廉恥な者ではないが、ようするにわりと普通に近いのだ。
立花宗茂の人柄を伝えるエピソードは数多くある。立花宗茂を描いた小説はいくつかあるが、それぞれ取り上げるエピソードはばらつきがあり、主要なエピソードをすべて網羅した小説はまだ読んだことがない。この「孤闘 立花宗茂」も同じだが、この本の特徴は、同じエピソードを違う角度で描いていることだ。それも「義将」というわけではないという角度だ。
世に知られたエピソードに、太閤秀吉が宗茂に従四位の官位を与えて昇殿、つまり宮中へ参内できる地位にしようとした時、宗茂は旧主の大友義統が従五位下なので旧主より高い官位にはつけないと辞退して、従五位下になったというもの。しかしこの「孤闘 立花宗茂」では、宗茂の方から昇殿できる従四位の官位を求めたが、秀吉が旧主の大友義統を考慮して従五位下にしたことになっている。これは上田秀人の「孤闘 立花宗茂」が間違っていると思う。新参で13万石程度の大名がいきなり大身大名を飛び越えて自分から従四位の官位を要求するとは思えない。予想外の褒美を与えて心をつかもうとして秀吉が言い出したと考えるのが妥当だ。なおこの小説では、旧主の大友義統よりも高い官位を要求したことでこのあと妻の千代から不忠ものとなじられる。
関ヶ原の戦いで東西どちらにつくかを決めるとき、通説では小野和泉守を除く重臣と妻の千代が有利な東軍に味方するように勧めたが、宗茂は豊臣家に恩があるとして西軍に味方したという。「孤闘 立花宗茂」では、日頃の付き合いから徳川家康に味方しようといったん思ったが、千代から「また主家(大友、豊臣)を裏切るのか」となじられる気がして西軍につくと言ってしまった。つまり通説では不利な西軍に味方したのは豊臣家の恩に報いるための義の行動だとなっているのだが、上田秀人は西軍が不利と思うのは結果を知っている後知恵からで当時はそうでなかった、という。この小説では、むしろ大義の人は千代で、宗茂は常に批判されており、たまに千代の意見を予想して先取りした結果が、領地を失う結果になったのだ。
この小説は「義を貫いた武将」という通説に対する異論の小説だ。「孤闘 立花宗茂」の宗茂は僕の宗茂ではない。では僕の宗茂は「大義の人」か、と言うと少し違う。「大義の人」というのは加藤清正や関羽のような人を言う。自分でも大義に生きていると思っているが、じつは自己の都合が入り込んでそれをうまく合理化しているのだ。つまり朱子学的な君子なのだ。僕の立花宗茂は陽明学的人間だ。それは自己の良知にもとづく好悪で行動してしまうのだ。正しくないことはやれないしやる気も起こらない。正しいことは行わずにはいられない。「どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために 『好きなモノは好き』と言える気持ち 抱きしめてたい」そう「どんなときも」は陽明学の歌なのだ。ちなみに浄土真宗の歌は「スーダラ節」。
「孤闘 立花宗茂」の帯には、「武勇の誉れ高く義を貫いた最後の戦国武将・・・」と書いてある。歴史上の立花宗茂についての評価はたしかにその通りだが、この本のなかの立花宗茂はちょっと違う。おそらく本の帯の文面は編集者が思い込みからつけたのだろう。この本の中の宗茂は「義を貫いた」とは描かれていない。もちろん破廉恥な者ではないが、ようするにわりと普通に近いのだ。
立花宗茂の人柄を伝えるエピソードは数多くある。立花宗茂を描いた小説はいくつかあるが、それぞれ取り上げるエピソードはばらつきがあり、主要なエピソードをすべて網羅した小説はまだ読んだことがない。この「孤闘 立花宗茂」も同じだが、この本の特徴は、同じエピソードを違う角度で描いていることだ。それも「義将」というわけではないという角度だ。
世に知られたエピソードに、太閤秀吉が宗茂に従四位の官位を与えて昇殿、つまり宮中へ参内できる地位にしようとした時、宗茂は旧主の大友義統が従五位下なので旧主より高い官位にはつけないと辞退して、従五位下になったというもの。しかしこの「孤闘 立花宗茂」では、宗茂の方から昇殿できる従四位の官位を求めたが、秀吉が旧主の大友義統を考慮して従五位下にしたことになっている。これは上田秀人の「孤闘 立花宗茂」が間違っていると思う。新参で13万石程度の大名がいきなり大身大名を飛び越えて自分から従四位の官位を要求するとは思えない。予想外の褒美を与えて心をつかもうとして秀吉が言い出したと考えるのが妥当だ。なおこの小説では、旧主の大友義統よりも高い官位を要求したことでこのあと妻の千代から不忠ものとなじられる。
関ヶ原の戦いで東西どちらにつくかを決めるとき、通説では小野和泉守を除く重臣と妻の千代が有利な東軍に味方するように勧めたが、宗茂は豊臣家に恩があるとして西軍に味方したという。「孤闘 立花宗茂」では、日頃の付き合いから徳川家康に味方しようといったん思ったが、千代から「また主家(大友、豊臣)を裏切るのか」となじられる気がして西軍につくと言ってしまった。つまり通説では不利な西軍に味方したのは豊臣家の恩に報いるための義の行動だとなっているのだが、上田秀人は西軍が不利と思うのは結果を知っている後知恵からで当時はそうでなかった、という。この小説では、むしろ大義の人は千代で、宗茂は常に批判されており、たまに千代の意見を予想して先取りした結果が、領地を失う結果になったのだ。
この小説は「義を貫いた武将」という通説に対する異論の小説だ。「孤闘 立花宗茂」の宗茂は僕の宗茂ではない。では僕の宗茂は「大義の人」か、と言うと少し違う。「大義の人」というのは加藤清正や関羽のような人を言う。自分でも大義に生きていると思っているが、じつは自己の都合が入り込んでそれをうまく合理化しているのだ。つまり朱子学的な君子なのだ。僕の立花宗茂は陽明学的人間だ。それは自己の良知にもとづく好悪で行動してしまうのだ。正しくないことはやれないしやる気も起こらない。正しいことは行わずにはいられない。「どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために 『好きなモノは好き』と言える気持ち 抱きしめてたい」そう「どんなときも」は陽明学の歌なのだ。ちなみに浄土真宗の歌は「スーダラ節」。