セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

読書ノート:河村たかし『減税論』(幻冬舎新書)

2011-04-06 17:59:04 | 社会経済
なかなか福島第1原子力発電所は鎮静化しませんね。東京電力と政府のビヘイビアをみて奇しくも、原発必要派(池田信夫氏)と原発懐疑派(内田樹氏)の意見が旧帝国陸軍みたいだという点で一致しました。ガダルカナル島での兵力に逐次投入が思い浮かぶようです。僕も旧軍的だと思いますが、それは不都合な真実をみたくないので実態の解明を避ける点です。そして場当たり的対処しながらまったくの幸運を期待する点です。

僕は、最初のころから東電は事故の実態を把握していないのではと感じました。ロシアなど外国の機関では何か隠しているのではと疑いを持ったところが多いようですが、本当のところは実態を把握していないのだと思います。たぶん調査すると最悪の結果が分かるのが怖くて積極的に調査しないのだと思います。正しい方策は、最初に水素爆発が起こった時点で、東電はマスコミを通じて原子力発電所内部の問題点の解明が困難なことを話して全国のロボット製作者に調査に必要な仕様のロボットの提供を求めるべきだったと思います。ガイガーカウンターという放射線測量機がありましたよね。昔からあるのだから今の物はずっと性能がいいでしょう。それをロボットにつけて建物内を調査させれば、施設配置図と照らし合わせれば放射性物質が漏れている個所がわかると思うのだが。

それから原子炉や燃料保管プールの放水が必要な時、どうして全国に協力を求めなかったのでしょうか。実態を国民に知らせずに東電と役所で処理しようしてヘリコプターでの散水というテレビを見た国民はどれだけの水が目標に注がれたのか疑いました。結局、三重県の建設会社が三重県庁を通じて高い場所へのコンクリート注入装置の提供を申し出てやっと有効な手段が手に入りました。でも三重県での映像ではたしか「中央建設」と入っていた会社名が、福島の現場では赤く塗られて判らなくなってしまいました。特定企業の宣伝になってはいけないという思惑かもしれませんが、それは良くないと思います。べつに中央建設へのお礼と言う意味ではなく、全国の力を集めているというしるしのためです。この装置の効果がわかった東電(または国)はドイツから同型機を取り寄せるらしいですが、初めから実状を国民にしらして国民の知恵と資材の協力を求めるべきなのですが、官僚組織にはそれができないのだね。

ところで復興費用の財源として国債とか復興税(消費税アップ)の話が出ていますが、復興費用以前に23年度は大幅な税収減になると思うがあまりこちらの方は話題になっていない様な気がする。被災地域に工場を持つ企業だけでなくそこから部品の供給を受けている企業やそこに部品を供給していた企業も大きな減益が予想されるし、計画停電の経済に与える影響も大きい。解雇された被雇用者も多い。年度途中で予定された税収がほとんど入ってこないという事態になるのでは?

さて本題の河村たかし市長の『減税論』に入ろう。僕の考える河村氏の問題点は、あいも変わらず国債(および市債)は問題ないという点。河村嫌いの市職員とちがって減税自体には文句はない。

だいたい河村氏もリフレ派も同じ詐欺まがいの手法を使うね。それは国民と国家という別の概念を「国」という言葉を使っている。国債はその大部分を日本国民(正しくは国内の金融機関)が買っている。国債は子孫に相続もできる財産だ。だから国債は国の持っている財産なのだから借金ではない、という論法だ。

でもさあ、国家と個人である国民は厳密に区別された概念だよ。たしかに国家の借金としての国債は将来的に返済のための増税が予想されるから国民の借金でもある。でも国民(この場合金融機関であれ個人であれ)の持っている国債は、国家が無償で取り上げることを予定されていないから国家の財産ではあり得ない。かりに国家権力が行おうとしたら私有財産の保証を認めた憲法違反になる。またそんなことを行ったのなら永遠にその国の国債を買うものがいなくなる。

河村氏は、金融機関の借り手がいなくて困っているから国や地方自治体が国債を発行して借りてやっているのだと言う。その点はいくらか同意するが、それが借金を踏み倒せる理由にはなるまい。それにもし国債がなかったら、金融機関はもっとまじめに有望な企業を探して融資するかもしれない。またクラウディングアウトといって、国債が出回ることで民間企業の資金調達が困難になることもある。どちらが原因で結果かわからないが、国が資金を使うより、民間が資金を使う方が社会発展に役立つような気がする。

なんといっても借金は借金だから返さなければならなのは厳然たる事実。だから河村氏は気がひけるのか「国債自体が問題なのではなくて国債管理の問題なのだ」(p34)と現に問題が存在することをしぶしぶ認める。それはまさに正論。しかしずっと毎年公債を発行し続けているのはもう国債が管理できていないということだ。その現時点で国債は問題ないとは絶対に言えない。

ところで河村氏は真逆のことを書いている。「・・国債は平和の道で、・・増税は戦争への道」と言っている。その根拠は「・・太平洋戦争の直前、ロンドンで日本国債が売れなくなって、」「これは国債は、国家にとって『アラート機能』の役目を果たしているということだ」とのことだ。

なんだ、これはじゃあ外国で日本国債が売れなくて日本国内でしか国債が売れないのは日本国家が危険だという警告(アラート)だと言うのかと突っ込みたくなる。ハッ!その通りだ。

冗談はさておいて正しい論理では、国債は戦争の道で、増税は平和の道となる。なぜなら戦前でも日中戦争の拡大により軍事予算が増大してきた。当然に政府は増税をするが、それにはすぐ限界に突き当たる。なぜなら国民が生活できなくなる以上に増税はできないからだ。それを行うと反戦世論が沸騰するからだ。国債ならばこれも国民は半ば強制的に買わされたがそれはあくまで生活費をのぞいた余剰の収入からになる。そして国債を買った人は戦争支持勢力になる。彼らは戦争に勝ったら相手国からの賠償金が入って国債に高い利子がついて償還されることを期待するからだ。もし敗戦または痛み分けの講和にでもなったら国債は紙くずになると予想されるからだ。事実そうなった。だから国債を発行しないことが戦争回避の道だ。