無職で日暮らしていると、といっても家にじっとしているわけではなく時には映画を見に行くしほぼ毎日車で昼食を兼ねて買い物にも出かけているが、一週間の経つのが早い。月曜日だと思ったらあっという間にもう金曜日だ。金曜日が週のメルクマークとしてでてくるのは僕が金曜日に新聞紙や段ボール・空き缶などを区内のスーパーの駐車場の資源回収に持って行っているからだ。
日が経つのが早いのは勤めていないせいか、それともよく言われる歳を取ったせいか、よくわからない。定年前に辞めた理由の一つは買うばかりで読まずに溜まった蔵書を読む時間を作るためだのだがあまり読めていない。そのくせ映画のついでに都心部の書店で本を買ったり買い物のついでにスーパー内の書店で本を買ったり、また最新刊でない本はiPhoneで写真を撮って家に帰ってからインターネットのAmazonで古本を注文している。そのため毎日のように郵便と宅配便で書物が届く。昔からの本を読む時間よりも買うために本を捜す時間が多いのは変わっていない。これは金銭的にも人生の残り時間的にもそれから仕舞うスペース的にも大問題だ。
退職すれば時間が十分にありそうでそれがずっと続くので読書時間に困らないと思うかもしれないがそうでもない。第一に残り時間がそう多くない。平均余命から20年はあると思うかもしれないが、視力と知力が歳と共に確実に落ちるはずである。そしていつくるかわからないが確実にくる死がある。これは重要な点だ。これがすべての社会事象の大前提だ。主流派経済学が誤り続けているのはこれを無視しているためと思う。
第二は僕個人の問題かもしれないが集中力が続かない。昨晩よく寝ていない場合は眠くなって進めないこともある。
第三に仕事にいかなくても家にはやることも多い。炊事掃除洗濯や母親の世話やそして毎日見てしまうテレビ番組がある。昼は『相棒』の再放送を見るし夜は刑事物やクイズ番組などいろいろ見てしまう。
そんなわけで無職になっても学(陽明学、オーストリア学派経済学)ならずしてこのまま朽ちて死んで行くのかと思った。しかしここに希望がわいてきた。その鍵はiPhoneのアプリだ。「BooksWing」というアプリを見つけた。本を登録して読むたびに読んだら時間とページ数を記録するのだ。「BooksWing」とiPhoneに始めから入っている「時計」をつかう。「時計」は「アラーム」か「タイマー」を使う。「アラーム」は見る予定の番組の5分前にセットする。「タイマー」は例えば夜中に目が覚めたとき15分間にセットして手のつけていない本をよんだりしている。この他にも隙間時間があると「20分間読もう」などと読書に入りやすい。
「BooksWing」は記録が取れるので読書の進行状況や読書スピードがよくわかる。そんなわけで日常生活に読書時間をドンドン割り込めさせることができる。これで蔵書家から読書家になれそうだ。登録する本は表紙画像が入る。バーコードスキャンの機能があるので本の裏表紙にあるバーコードをiPhoneでスキャンすれば、表紙画像・タイトル・著者名・出版社・ページ数などが入力される。最新刊の本はバーコードスキャンできないみたいなので手動入力となる。驚くことに洋書のバーコードも読み込める。多分もともとアメリカあたりのアプリに手を加えて日本版にしたのだろう。
それで今日のブログのタイトルの「人生の短さについて」は古代ローマの哲学者セネカの同名の著作からのものだ。僕はその内容を「BooksWinq」を使って読んだ本から知って、偶然とは言え思い当たることなので今日のタイトルとした。
ちなみに「BooksWinq」を使って読み切ったその本は『小説で読む行政事件訴訟法』(法学書院)だ。著者の木山泰嗣氏は弁護士で法律学の勉強に関する多くの著作がある。小説仕立ての本は『小説で読む民事訴訟法』についで二冊目だ。なぜ『小説で読む行政事件訴訟法』なんて読む気になったかと言うと、もと公務員だからということか。まあいろんなことに興味をもつので場違いな本も本棚にはいろいろある。でもAmazonで本の説明を見ると国税の税務訴訟の内容らしい。自分の知っている世界と少し違うが基本は同じと思い取り寄せてみた。不服申立て前置とか馴染みの言葉もでていた。でもこの本をどうしてAmazonで検索したのか思い出せない。書店でみて写真にとったのかな。歳だね、おぼえていない。
さて『小説で読む行政事件訴訟法』の中である老人が主人公の弁護士志望の若者に読めと奨めたセネカの『人生の短さについて』だがその言葉を著者が「あとがき」に書いて紹介していた。
「自分の時間をもっぱら自己のためだけに捧げてこそ、人生はきわめて長くなる。その人は、一分一秒たりとも無駄にせず、無為に過ごさず、他人に支配されない。時間は何よりも貴重なものと知っているから、真剣に時間を倹約する。それゆえ、その人にとって時間は十分に長いのです。ところが、他人に人生の大半を奪われている人間は、結局、人生をほとんど見ずに終わります。」
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