「財政負担の課題もあり、プライマリーバランスの範囲で予算を組まなければならないので、よほど多くの被災者が出ない限り、政府からお金を出すことは慎重に検討しなければなりません。
自治体の1軒や2軒の被災住宅には我慢してもらうか、自前で再建を図ってください。あるいは自治体で面倒見たらどうですか?その分何か住民サービスを減らせばいいのです。地方もいつまでも国に頼らないで、自立しなければならないのです。」
補足するとこんな感じですかね。
と題して、三橋貴明さんがブログに書いています。
『昨日、某大学の学生さん向けに講演をしたのですが、その後のQ&Aで、
「高齢化が進む中、数が多い高齢者の票の影響が大きくなり、若者向けの政治は不可能なのではないか」
と、明らかにメディアに影響を受けているものの、それなりに説得力がある質問がありました。
「高齢化が進む中、数が多い高齢者の票の影響が大きくなり、若者向けの政治は不可能なのではないか」
と、明らかにメディアに影響を受けているものの、それなりに説得力がある質問がありました。
堀先生ではないですが、「一票は一票」です。日本の有権者の中で、一人で多票を持つ人は一人もいません。
となると、数が多い高齢者の「票」の影響力で、高齢者向けの政策が行われ、若い世代や現役世代向けの政策は困難になるように思える。
とは、もちろん「パイが一定」という前提の話です。すなわち、プライマリーバランス、トレードオフ、あるいは「集中と選択」思考であり、間違っています。
というより、わたくし共は、
「パイが一定で、一方に予算を使うと、反対側を削らなければならない」
という、トレードオフ発想をやめなさい、と主張しているのです。
高齢者のための医療・介護の充実と、大学生向けの給付型奨学金。
どちらかをやる、ではありません。両方ともやればいいのです。
高齢者のための政策も推進し、若い世代や現役世代向けの政策も推進する。すべての国民を、誰一人見捨てず、「政治」が守る。この発想が必要なのです。
何しろ、PB目標の下で、トレードオフや選択と集中をやっていると、国民が分断されます。上記の質問には、明らかに「高齢者 対 若い世代」という世代間対立の要素が含まれてしまっているのです。気が付きました?
高齢者も現役世代も、若い世代も子供たちも赤ちゃんも、みんな同じ「日本国民」なのです。健全な国民意識、助け合いの精神、連帯意識、つまりはナショナリズムを前提に、
「誰一人見捨てない」
という発想の政治に転換しない限り、我が国の国民は分断され、最終的には国民国家が壊れるでしょう。』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/61/5b96152267d5336c2c93dc3bdf00dfa4.jpg)
階議員のようなこんな考え方が議員には大事かなと思います。
なんとかがんばって欲しいと思います。
国民を見捨てず、被災者を数によって見捨てない。
普通に当たり前のことに思えるのですが。なぜに財政のせいにしてパイを決め国民を選別しなければならないのか?
国民の生活より、政府の財政が大事ではなく、借金してでも見捨てない政策をと言うのが政治の役割ではないでしょうか。
⇒池上彰でも勘違い? テレビの影響力は絶大。
こちらにも頑張って欲しい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます