最近数日前のはなしです。
議員の数削減について、村民の方からご意見をいただきました。
村政懇談会にも出された意見として、議会に届いたという顛末は以前お知らせしました。(いまだ議会の動きにはなっていません。)
同じような意見で、「人口が減少している状況でもあり、それに見合った人数でいいのではないか、
5,6人でもいいのではという意見は村民に多いと思う。」というご意見です。
ちなみに、議会に届いた意見とは別の人であることは確認しています。
多いのかどうか実際のところは分かりません。
議員の数に対しては、自分が議員になった15年前から言われています。
自分自身そのころから言えば、少なくても10人ぐらいの方からそんな意見は聞いています。
大学の先生や、専門家と言われる方々がよく言われるのが、
住民要望の多様化を指摘しています。
『デジタル社会が進展し住民ニーズの多様化に対して、これからの行政は、少ない財源で個別公正なシステムを作る仕組みが必要になっている。このため、現在の大量生産型行政の仕組みでは対応できない状況である。』
対応が多岐にわたり、行政も議員も一律の対応が難しくなっていると言われます。
人口が減っても住民サービスが減るわけではなく、
逆に年々多岐にわたるニーズが増えているうえに、
行財政改革と称して、正職員を減らしてきた流れがあります。
そこに呼応するように議員の数も減らされてきた経緯があります。
「財政改革」のための「行政改革」で、聞こえはいいですが、住民にとっては本来マイナスです。
正職員を減らし、臨時で賄い、住民にはサービスの低下を「節約」と思わせ、自治体に責任を
負わせる。
それを容認して、片棒を担いで「無駄使い」を糾弾してきた国会・地方議員。
政府は無駄と思われる支出を削り、その犠牲者は多くの国民、住民です。
年金で暮らせない事態まで来ています。どうするんでしょう?
議員定数減や職員定数減もすべて、根源は同じです。
その延長が、国民への支出減と増税です。
10月から介護保険料と利用料もまた上がるようです。
また話は変わりますが、これも最近の話で、議員が村民の意見を聞く場がないとの指摘もありました。
村民との意見交換会は9年ぐらい前に実施したことがあります。2、3回ぐらい。
何度か提案して、ようやく実現したとことを記憶しています。
しかし、始めてからも議会内では不評というか、消極的な空気もあり準備もそこそこにスタート。
進め方も2班でそれぞれ別対応で、打ち合わせなく行き当たりばったり。
スムーズに進行できなかったと感じています。
途中選挙もあり、新しい議員も入ったり担当も変わりました。
「やっても意味がない」というような意見も出たりで、やろうという空気は薄れていきます。
非常に歯がゆい気持ちでしたが、1年以上して当時の総務委員長の発案で何とか一回実施しました。
学校に通う子供のお母さん方との懇談で、大変参考になったことを覚えています。
その内コロナ感染もあり、立ち消えになったまま今日に至っています。
住民との距離が生まれるほど、その存在意義が疑問視されてしまうのは当然です。
住民意識の究極は、「議員、いらね~んじゃね?」となります。
だから常に「議員減らせ」の声は絶えません。
たしかに、今の半分でも住民への影響はないのかも知れません。
コロナということもあり、議員活動らしい集まりも減りました。
そんな中でこうしてみると、議員の価値はどこにあるのだろうと議員ですら思います。
コロナの影響で困っている人は今多いのではないでしょうか。
こんな時こそ議会がきめ細かく動くべきでしょうが、動きが制限されるのもコロナです。
工夫次第では、住民とのリモート懇談会というのもできます。
しかし、議会の実態はデジタル難民状態で機動的にはいきません。
人数制限して端末を用意。誰かが一人操作する人が住民に付いて議員数人とのリモートをする。
こんなことも、コロナに関係なく考えてもいいような気がします。
住民が参加しやすく、意見を出しやすいのではないか? 分かりませんが。
個別議員では接点があるのかも知れませんが、議会と住民の接点は、意見交換会でもなければ皆無です。
意見交換会を提案した時から、議会と住民の接点を持つべきと言う気持ちは変わりません。
その裏には、個別で対応する住民との関わりが少ないという自分の人間関係簿弱という
弱点のためで、ちょっとずるい考えでもあります。
しかし、個別議員が動くのと、議会で動くという事の意味は天地の差があります。
他の理由もあるかも知れませんが、
住民と接点が少なければ、「議員減らせ。」も無理からぬと思います。
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