彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

村民からの苦情!

2011年03月04日 | Weblog
3月3日、4年間最後の定例会が終了した。「ホッ!」としたと言うのが本音だ。「4年間ご苦労さん!」とせめて自分だけは自分を褒めたい。自分の出来る範囲で自分なりに精一杯やったと思っているが、村民の評価は違うかもしれない。4年間貴重な経験をさせてもらった。ありがとうございます。

<村民からの苦情>

昨年冬、村民から電話が入った。
聞けば役場の職員の対応に不満があるという。
約束していた要望事項も聞き入れられていないらしい。

役場に確認に行った。
職員に聞けば、あまり印象がよくないイメージで「態度、もののいい方」が
面白くないようである。

自分もどうしたものかと、当事者でないからどっちの言い分にも「なるほど」と
思う始末だ。
とりあえず、村民本人には、
「言い方とか態度が悪かったりすると、職員も人間だし」と言葉も気を付けたほうが
いいようなことを言ってそれっきりになっていた。

それから一年。今年の1月5日頃。
たまたまその村民とあった。 
要望の件をまたお願いされた。「え?まだ解決してない。」

早速役場の担当部署に電話した。
「例の件だが、自分は当事者でないから詳細がわからない。
本人に詳しく納得してもらえるようにもう一度説明してもらいたい」
と伝えた。
それから一ヶ月して、村民に何か連絡が来たか聞いたら「きていない」と言う。
「また電話しようと思っている」と言うので、「いや、連絡が来るまで待って欲しい」
とお願いした。
さらに3月になっても連絡がないようだった。

役場を、自分に置き換えて考えてどうするかと思ったとき、
「たとえ相手が悪質なクレーマーだったとしても、そのままにはしておけない。」
自分なら行動する。クレーマーであればなおさらである。
自分はサービス業をやっている。
クレームの対応が粗末な場合の怖さは体験している。
役所は究極のサービス業だと常々思っている。

そう考えれば、お客様が不満を訴えているのを無視することは
仕事を放棄したと同じことだ。
たとえ、「自分はちゃんとやったのに」と思っていても、
お客に通じていなければ、それは「ちゃんと」出来ていないのと同じ事なのだ。
もう一度誠意を込めてご説明し、納得してもらったときが「ちゃんと」だ。
納得してもらえないまでも、こちらの誠意は通じるはずだ。

それが仕事だ。

住民の話を聴くこと、そして信頼を得ることが公僕である職員の任務だ。
相手が高飛車に出てきたからと、同じレベルで対応していれば、サービス業は成り立たない。

いま普代村は危機に直面している。
職員と住民の信頼関係を築いていかなければ、この難局は脱出できない。
なんとか自覚してもらいたいという思いで、
最終日の予算委員会、担当課長にどう考えるのか質問した。


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