白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

avoid notes

2007-10-09 | こころについて、思うこと
平安で慈愛に満ちた時間は僕にも訪れるらしい。
幸せになれないのではなくて、幸せになることを
避けているのだ、との、ことば。





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10月6日14時45分発博多行き新幹線に乗車し、
15時40分曇天の新大阪着、タクシーに乗り込み
リッツカールトンへ向かった。
新御堂筋淀川橋梁上では、トラックやタクシー、営業バンが
時速80km、車間距離10m以下で激しく車線変更を
繰り返している。
堂山へ降りる車線に入った途端、10m少しの車間のところに
銀色の個人タクシーが猛スピードで割り込んできた。
急ブレーキの衝撃とクラクション、運転手の絶叫、
しばらくあって、失礼しました、とのばつの悪そうな声、
全身を割れ硝子で切りつけられるような都会の音の出迎えに、
冷や汗の出る10分を過ごした。




リッツ・カールトンのメインエントランスに車が滑り込むと、
専属ドアマンが素早くトランクから僕のスーツケースを取り出し、
支払いを済ませると同時に、もう一人のドアマンが後部座席の
ドアを開け、おかえりなさいませ、と、
まるで僕が主人であるかのようにして僕をフロントへと誘った。
駐車場に並ぶマセラティやアストン・マーチン、シトロエン、
ベンツ、フェラーリなどを眺め見て半ば呆れつつ、彼に応じて
歩を進め、名前を告げてチェックインカウンターへ向かった。
橙色のシャンデリアの放つピアニシモの光が、重厚な織りの絨毯、
ウォルナット材の内装、チッペンデール様式の家具類、
壁に飾られた油絵を、見事な調和をもって浮かび上がらせていた。
降り注がれぬ光は、幽い森の深奥に鎮められた泉のように静謐だ。
気高い女性にのみ備わる、変わらぬ慎ましさがそこにはある。





子宮のような包まれ方を感じるソファ、
繚乱の一語に尽きる花々、
白亜の大理石の暖炉との色調の対比、
抑制された光によって鎮められた部屋、
空間が絵画化されている、その見事さを改めて感じた。
全館の空調に花のアロマが焚き込められているのだろうか、
薔薇のような仄かな甘い香りが漂っている。
案内の女性が現れ、誘われてエレベーターに乗り込んだ。




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案内の女性は6月に滞在した折とは別の女性であったが、
肩肘の張らない、しかし品位を失わない言葉を使いながら
話し掛けてくるのは変わらない。
ウェルカムドリンクにアップルジュースを頼み、窓辺に向かった。
2817号室、大阪の南方向、正面に藤田ビル。
難波方向には視界を遮るほどの高さのビルは一つもない。
誕生日休暇に仕事が入ってしまって、という話をエレベーターで
したためだろうか、
ささやかですが、と、女性は小さな誕生日ケーキを持って現れた。





37インチプラズマハイビジョンの電源を入れ、
備え付けのDVDプレイヤーでキース・ジャレット・トリオの
CDをかけ、ハイネケンを飲みながら、暮れ行く街を眺めた。





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18時、フィットネスセンターでのマッサージを受けに
6階へ降りた。
6月に訪れた際に、股関節の血流がよくないですね、と、
股関節の付近に施術を集中し、足の裏を胸に押し付けたり、
両足の内側を念入りに何度も往復し、ついには最下腹部の両脇を
1分以上押し続け、男である僕に大変な思いをさせた可愛らしい
女性のことを思い出していたのだが、
現れたのは50代の普通の按摩さんであった。
世の中、そううまくはいかない。




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20時20分、阪急宝塚線急行にて石橋へ向かう。
坂下交差点のローソンがなくなっていることに気付き、
学生時代から馴染んでいた場所であったために、寂しい思いを
禁じえなかった。
パトリシアは、ここにはいない。
試しに明道館に向かうが、待ち合わせ相手とすれ違いになっていた
ために、虚しく山を降りた。






サンクス前にて待ち合わせ相手と出会ったとき、
そこには酔いつぶれて挙動の覚束ない藤田氏と、
これを介抱して石橋駅までつれてきた学生2人がいた。
彼ら、妄想型と実行型のトランペッター2名とも飲むことにして
一旦別れ、待ち合わせ相手とともに沖縄料理「龍太郎」前へ移動し、
そこで待ち合わせることにした。
道すがら、NW時代のバストロンボーン吹きと、
昨年赤い法被を着ていたテナーサックス吹きに出会い、
その偶然を、待ち合わせ相手は「磁石」と評した。
「龍太郎」前で、なかなかやってこないトランペッター2人に
電話をかけてみると、彼らは「牛太郎」へ行ってしまっていた。





合流後、4名で「みつを」にて鳥料理を味わいつつ、
猥談、男女関係談義に興じた。
性欲のない男は在り得ない存在であるということがはっきりした所で、
そのまま別れ、実行型トランペッターと2人、場所を変えて
じっくりと話し込んだ。
卵入りの味噌汁が、あれほど幸せなものだとは思わなかった。
こころがそれを欲していたのかもしれない。





タクシーに乗り込み、行き先を告げると、運転手は途端に丁重になり
こちらの機嫌を取るような質問や態度を示し始めた。
慇懃無礼ということばもあるけれども、それが処世術とするならば、
世の中とはそういうものなのだろう。
金銭、地位、名誉。
世の中の価値基準というもの自体にそもそも実体がないのだから、
それも然り、というべきか。





ひとりにはいささか広すぎる部屋に帰着して眺め観た大阪の夜景は
腹立たしいほどに美しかった。





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10月7日午前11時起床。
180cmの僕が大の字になってもまだ余る巨大なベッド、
沈み込みもないマット、やわらかな枕、肌触りの暖かで滑らかな
シーツのおかげで、久々にゆっくりと眠れた。
窓をあけ、シャワーを浴びた後にお湯を張り、入浴剤を入れ、
足を十分に伸ばせる大理石の浴槽でうとうととした。
スティーリー・ダンを流しながら、シャツやスーツにアイロンをかけ、
身支度を整え、ホテルを出、ハービス地下で鴨せいろ蕎麦を食した後、
ヴィニョス・バーベイトのエイジドヴァラエタル・マデイラと
トカイ5プットという、甘口馬鹿のようなセレクトのワインを購い、
ホテルに戻り、「余命一ヶ月の花嫁」というドキュメンタリーを、
マデイラを飲みながらじっくりと眺め見た。





このドキュメンタリーについては、軽軽しく論じたくないため
稿を改めることとする。
途中で涙をこらえきれなくなってしまい、番組を見終わった後も
さまざまを思い巡らせていた。
気がついてみると、午後7時になっていた。
マデイラは、空いてしまっていた。





来訪予定であった藤田氏は都合によりキャンセルとなり、
ひとり、やってくることになったはっしーをBIGMANまで
迎えにいった。
大阪時代から贔屓にしている3番街の定食屋でカツオのたたきと
茶碗蒸の定食を食べた後、
そのまま歩いてリッツに戻り、トカイで乾杯し、一服しながら
さまざまを話した。
10月8日になるのを彼女は待ってくれた。
誕生日おめでとうございます、というあいさつもそこそこに、
終電で帰っていく彼女を見送った。





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10月8日、突如発生した人身事故の影響もなくやってきた妹を
ブルガリの前で出迎え、そのまま部屋へ招きいれた。
予想通り、部屋に入るなり、妹はわーい、と、ブーツも脱がず、
カバンも置かずにキングサイズのベッドに飛び込んだ。
その後、何事もなかったかのようにソファに座って新聞を広げる
その姿に、思わず6月のよりりりりの姿が重なった。
紅茶、煎茶、ペリエ、音楽、キャンディでおもてなしの後、
正午過ぎ、ホテルを出て3番街に向かい、イタリア料理店で
ランチコースを食した。
気の抜けたワインと泣き叫ぶ乳児に苛立ちつつ、夜の食事をどこに
するかをしばらく考えた。





14時10分発の宝塚線急行に乗り、石橋駅で下車し、
妹とアゼリアホールでのジャズイヴェントを観覧した。
沖縄の離島の伝説の名を冠した完全即興バンドを観にいくのが
目的であった。
残りのバンドの程度は知れているので、彼らの即興を見届けて
程なくごん兵衛へと移動し、日の高いうちから酒宴とした。
何人か、会場で後輩たちに出くわしたが、
彼らは、僕の横にいる女性を気にしてか、やや定まらぬ眼と
遠慮がちな口ぶりをしていたように感じた。
後輩たちに念のため伝えておくと、あれは僕の妹であって、
彼女ではない。
ただ、妹がいたずら心を起こして、「彼女らしく」していた
だけなのである。
とはいえ、午後4時ごろ、発作の予兆を感じた僕の異変を
いち早く察して、落ち着ける場所へと連れて行った妹の
その気の配り方には、感謝というよりも、頭が下がった。






だが、ごん兵衛でヒラメの活け造りを食べながら、
妹に彼らの即興の感想を聞いてみると、
むずかしくてよくわからない、という返事だった。
5月、キース・ジャレットのライブにパトリシアを
連れて行ったとき、同じようなことばを述べられた記憶が蘇り、
思わず苦笑した。





妹を石橋駅へ送り、いったんアゼリアへ引き返し、
即興を終えた大平や森安に感想を述べた後、
再び石橋へ戻った。
電話ではあったが、久々にミツキ嬢と話が出来たのが嬉しかった。
デーブを初めとして、通りがかりの後輩も巻き込んで
保呂酔へとたけさんを訪ねた。
たけさんの過去や出自のことなどを聞きながら、夜は更けた。






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10月9日、午前7時半起床、二度寝ののち
身支度を整え、8時30分にチェックアウトし、
某一部上場企業の代表取締役会長のところに挨拶に伺った。
その後、役員級のひとびとと、来週に迫った大きな仕事の
下打ち合わせを行った。
そのまま昼食をとり、午後からも軽く打合せを行った。
大きな案件を抱えているときには食欲も増すのだろうか、
2時に仕事を終え、そのまま大阪駅前の「はがくれ」にて
生醤油うどんを食し、アバンザへと折り返して文学書を漁り、
3時前にアバンザ地下でインデアンカレーを食した。
これでは、太る。





リッツカールトンに荷物を預けたままだったため、
これを取りに戻り、正面玄関から7~8名のスタッフに見送られて
新大阪へとタクシーで向かい、N700系の新幹線に乗車して
帰着した。





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この旅で、幸せになれないのではなくて、幸せになることを
避けているのだ、との、ことばをもらった。
妹にそれを言うと、妹は、見抜かれてるね、と、
いたずらっぽく笑って、そういうひとに愛されたらいいのにね、
と、付け加えた。





触れてはいけない音は、理論上には存在する。
けれど、理論などなければ、触れてしまいたくなる。
人間、そういうものだろう。

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