広重的構図による倉敷風景を掲げてから、始めよう。 . . . 本文を読む
『理論があって絵があるのではありません。
あるとすればそれは追随です。
絵があって理論があるのではありません。
あるとすればそれは批評の分野です。
製作を通じての思索と苦しい試行錯誤のなかから
あふれ出たものが、そのひとそれぞれの
「絵のことば」になるのでしょう。
直観的に強い絵ではなく、
漸達的にして追々に光輝を発する絵。
絵を慈母のごとく仰いでその懐中に抱かれんとする者、
美的礼拝者 . . . 本文を読む
感覚と思想が矛盾無く調和していることにこしたことはなく、
両者の弁証的、対立的な関係のどこかに一致点を持ち、
それが歴史の発展の力になっていることが望ましい。
しかし、われわれの時代の宿命的な不幸は、それら両者に
調和も統一もない、感覚と思想の分裂のみが存在することだ、と
唐木順三は述べた。
唐木の言葉を引こう。
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非現実の存在を肯定的に捉えることにより、
空間や時間の因果律から逃れた「影画の世界」において
シュール・レアリスムが試みた奔放な空想、狂気、妄想の
表出による、科学的世界観への平手打ちと現実からの脱走も、
芸術が、芸術と信じられた時代であったからこそ有効であった。
作品に対する鑑賞者の能動的な観照のエネルギーが摩滅し、
ただ、作品が受容されるがままに過ぎ去られる現在では、
芸術作品から我々が受ける . . . 本文を読む