昨晩、深酒をしたわけではないにも関わらず
夜通し、げろげろとヒキガエルのように鳴き通す羽目に
なってしまった。
この一年ですっかり酒に弱くなった。
身体組成が変わってきたのだろうか。
あるいは肝機能、代謝機能が弱ったのか。
もともと腎機能も強くない。それに、もう若くはない。
これからは少々酒量と配分を考えねばなるまいが、
酒飲みの性向は容易く変わるものでもない。
自制の利かぬ酒を止めると誓って、記念に一杯、という
卑しさこそが酒飲みの本領である。
人前で醜い姿を晒す酒は飲まぬ、という信条が美学的か
否かは別としても、現状の嗜み方を持続するなら
僕が最も忌み嫌う酒の飲み方を始めてしまう日も
そう遠くはなかろうから、どうしようか、はたまた、
あれこれ、と方策を思案しつつ、焼酎に手を伸ばす。
************************
漱石は「個人としての巨人」であるけれども、
鴎外はそもそも「個人であること」を引き受けぬ「巨人」である。
自ら人間たることを引き受け、教師として語った漱石と
鴎外の、その社交性の裏側に徹底された孤独とは、
虚無への性向において近しくも、実際の眼差しにおいて遠い。
『妄想』においては、ハイデッガーの「世界劇場」を
思わしめるような記述がある。
「役=かりそめの生」を演じる自分の背後にある「何者か」、
それこそが「真の生=ほんとうの自分」である旨が記される。
見えぬもの、あるいは隠されたものに対するある種の畏れ、
あるいは、「隠されている」という事実そのものへの
日本人の過剰なほどの価値の付与、権威化の構造は、
伊勢神宮のように、実体が何もないという事実の空虚を
巧妙に隠蔽することによって、巨大な何者かの実在を
虚構として創出し、それをひとびとに実体験として与える
「無の実体化装置」の存在が、2000年もの間
保持されてきたことによっても明らかである。
意識のあらしめかたについても、日本人の心性は極端に
無のなかに意識の本質を見出すことを重んじる傾向にある。
無意識の働きを「幽玄」というぼんやりとした、しかし
確実な質感で表し、「あちら」と「こちら」に橋を掛けて
舞台構造化してみせた能にせよ、
多重人格者の殺人を、生霊としての離脱体験として表現した
源氏物語における六条御息所の「うつろ」なる心性にせよ、
明暗表裏内外分かちがたい「あわさい」の幽暗のなかで
無のなかから立ち昇る確かなるもののはたらきの重みを、
日本人はおそらく納得している。
それは西洋的な意味での「直観」ではない。
そして、事の本質は、立ち昇る質感でこそもっともよく
伝えうるということを、日本人はよく知っていた。
語り尽くさぬことの重要性を世阿弥が「秘すれば花」と
初めて表明するずっと以前から、
日本人は「隠すこと」や「隠れること」が、いかに
雄弁なものであるかを、天照により教えられてきた。
雅子妃の「お隠れ」とて、天岩戸の神話を思わせる。
*************************
鴎外が耽読したショーペンハウアーは、論理的帰結や明晰性、
因果の欠落した意志の洪水によりなりたっているこの世界を
いかにして解脱するべきかを説いたとき、
その哲学を「一切皆苦」に基盤を置いた。
因果の欠落した、錯綜する意志の表象として混乱したままに
現前してしまったこの世界の一切を無とし、
そうした世界の中でともに苦しみ合うひとびとが互いの生の
苦しみに共感しあうことのなかから、倫理的な世界を再興しようと
試みるショーペンハウアーの哲学は、
日本人の心性に深く根を下ろしている仏教の教えに近しい。
しかし鴎外は深奥において、ショーペンハウアーには
共感していないのではなかろうか。
世界が進化を続ければ続けるほど、苦しみは増大すると
鴎外は考えていた。
鴎外は根本において武士道の人間であり、衆生救済の甘言に
陶酔するようなパーソナリティを持っていない。
一般にいって日本では苦悩の作家がもてはやされる。
ドストエフスキー、漱石、芥川、太宰といった作家を読み
読者はおそらく「自分の代わりに悩んでくれている」という
感覚を持つこともあるだろう。
それは、人類の一切の罪を引き受けて磔刑に処された救世主に
キリスト教徒が抱く信仰のこころもちである。
実はこうした読み方を批判したのはショーペンハウアーである。
おそらく鴎外も同じような感想を抱いていたのであろう、
鴎外は『妄想』において、自分が多くの師には会ったが、
一人の主には出会わなかったこと、巧妙に組み立てられた
形而上学も、言ってみれば一片の抒情詩と同じようなものだと
結論付けている。
鴎外もドストエフスキー同様、殺人や死をモティーフに
多くの作品を書いている。
しかしドストエフスキーの殺人が、思想による殺人と
そこからの救済というテーマをもち、
人間を鋭く解剖し尽くした後にも花を供え、犠牲を祝福し、
救済を祈り、丁寧に弔って作品を結ぶのに対して、
鴎外の殺人は、犠牲者の屍を累々と積み重ねたままにして
一切の読経も行われずに、腐敗するがままに放置される。
漱石が人間の苦しみを解剖するときには、人間を切り刻む
行為そのものに対する罪深さ、その血生臭さへの生理的嫌悪が
苦悩、懊悩となって文章に表れてきて、
それゆえに、読者が漱石の人間味、滋味に触れ、共感もし、
その人生に感謝すらするのだが、
鴎外の場合は、人間を解剖する筆のメス捌きに何らの躊躇も
迷いもない。
特に大正以降の一切の修飾や美麗を排して刻まれた文章における
語法、語彙選択の完璧さ、その事実描写の精密と的確さは
現実世界の惨たらしさを余さずに述べ尽くし、吐き気すら覚える。
****************************
鴎外には人類の苦悩を進んで引き受ける思いなど毛頭ない。
『高瀬舟』における喜助の殺人のように、自殺を図って
死にきれぬ弟にとどめを差す事が殺人であるか否か、という
現代の安楽死に通じる問題を扱うときも、
鴎外はわざわざ縁起なる余聞をつけて、傍観を決め込む。
あるいは『阿部一族』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0758.html
のような、武士道における「義」と
私情の「あわさい」で、建前と本音の摩擦、齟齬が
さまざまの史実の連続のなかでゆっくりと育まれた悲劇を
何の救いもなく、何の感傷も施さず、ただ克明に描写する。
その圧倒的な筆力によって、取り扱われる題材の事実を
述べ尽くしているにもかかわらず、
読者の読後に残るものは、巨大な虚無でしかない。
天照の神話以来、「無を隠す」ことによって事を雄弁に語った
日本の文化のあり方は、鴎外によって初めてその根底を
揺るがされたのではないだろうか。
たとえ史実を克明に描写し、いわば「有」を述べ尽くしても、
そこにはいっそう巨大な「無」のみがたち現れるだけであり、
われわれはその圧倒的な無の前に震えることもできないことを
鴎外は証明して見せた。
その方法を見出すには、西洋の観念論、自然科学の探究が
確かに欠かせぬものだったことだろう。
「無」を隠さなくとも、「有」を述べ尽くして巨大な「無」を
実体として創出してみせた鴎外の仕事は、
日本人の心性が、鴎外という「個人」を離れた巨人によって
ようやく成しえた、その心性の存立基盤の反証であり、
その方法において、西欧の近代合理精神を学んだ
日本人の手によって成された、おそらくははじめての
「科学と文学の婚姻」であった。
しかし鴎外にとっての世界、あるいは生とは、
こうした巨大な虚無を前にして、
一切を了解することであったのではないだろうか。
その意味において、鴎外は近代人として振舞いつつ
武士として生きたのではないだろうか。
明治における西洋と日本の文化の「あわさい」の幽暗から
出現した鴎外の異彩は、
日本人が神話時代から育んできた「あわさい」からの創生の
文化史において、必定結ばれるべき果実であった。
***************************
「Mon velle n’est pas grand.Mais Je bois dans mon velle.」
鴎外は「個人」ではない。
夜明け、蒼闇のなかに漸う巨大な威容を現す「孤峰」である。
夜通し、げろげろとヒキガエルのように鳴き通す羽目に
なってしまった。
この一年ですっかり酒に弱くなった。
身体組成が変わってきたのだろうか。
あるいは肝機能、代謝機能が弱ったのか。
もともと腎機能も強くない。それに、もう若くはない。
これからは少々酒量と配分を考えねばなるまいが、
酒飲みの性向は容易く変わるものでもない。
自制の利かぬ酒を止めると誓って、記念に一杯、という
卑しさこそが酒飲みの本領である。
人前で醜い姿を晒す酒は飲まぬ、という信条が美学的か
否かは別としても、現状の嗜み方を持続するなら
僕が最も忌み嫌う酒の飲み方を始めてしまう日も
そう遠くはなかろうから、どうしようか、はたまた、
あれこれ、と方策を思案しつつ、焼酎に手を伸ばす。
************************
漱石は「個人としての巨人」であるけれども、
鴎外はそもそも「個人であること」を引き受けぬ「巨人」である。
自ら人間たることを引き受け、教師として語った漱石と
鴎外の、その社交性の裏側に徹底された孤独とは、
虚無への性向において近しくも、実際の眼差しにおいて遠い。
『妄想』においては、ハイデッガーの「世界劇場」を
思わしめるような記述がある。
「役=かりそめの生」を演じる自分の背後にある「何者か」、
それこそが「真の生=ほんとうの自分」である旨が記される。
見えぬもの、あるいは隠されたものに対するある種の畏れ、
あるいは、「隠されている」という事実そのものへの
日本人の過剰なほどの価値の付与、権威化の構造は、
伊勢神宮のように、実体が何もないという事実の空虚を
巧妙に隠蔽することによって、巨大な何者かの実在を
虚構として創出し、それをひとびとに実体験として与える
「無の実体化装置」の存在が、2000年もの間
保持されてきたことによっても明らかである。
意識のあらしめかたについても、日本人の心性は極端に
無のなかに意識の本質を見出すことを重んじる傾向にある。
無意識の働きを「幽玄」というぼんやりとした、しかし
確実な質感で表し、「あちら」と「こちら」に橋を掛けて
舞台構造化してみせた能にせよ、
多重人格者の殺人を、生霊としての離脱体験として表現した
源氏物語における六条御息所の「うつろ」なる心性にせよ、
明暗表裏内外分かちがたい「あわさい」の幽暗のなかで
無のなかから立ち昇る確かなるもののはたらきの重みを、
日本人はおそらく納得している。
それは西洋的な意味での「直観」ではない。
そして、事の本質は、立ち昇る質感でこそもっともよく
伝えうるということを、日本人はよく知っていた。
語り尽くさぬことの重要性を世阿弥が「秘すれば花」と
初めて表明するずっと以前から、
日本人は「隠すこと」や「隠れること」が、いかに
雄弁なものであるかを、天照により教えられてきた。
雅子妃の「お隠れ」とて、天岩戸の神話を思わせる。
*************************
鴎外が耽読したショーペンハウアーは、論理的帰結や明晰性、
因果の欠落した意志の洪水によりなりたっているこの世界を
いかにして解脱するべきかを説いたとき、
その哲学を「一切皆苦」に基盤を置いた。
因果の欠落した、錯綜する意志の表象として混乱したままに
現前してしまったこの世界の一切を無とし、
そうした世界の中でともに苦しみ合うひとびとが互いの生の
苦しみに共感しあうことのなかから、倫理的な世界を再興しようと
試みるショーペンハウアーの哲学は、
日本人の心性に深く根を下ろしている仏教の教えに近しい。
しかし鴎外は深奥において、ショーペンハウアーには
共感していないのではなかろうか。
世界が進化を続ければ続けるほど、苦しみは増大すると
鴎外は考えていた。
鴎外は根本において武士道の人間であり、衆生救済の甘言に
陶酔するようなパーソナリティを持っていない。
一般にいって日本では苦悩の作家がもてはやされる。
ドストエフスキー、漱石、芥川、太宰といった作家を読み
読者はおそらく「自分の代わりに悩んでくれている」という
感覚を持つこともあるだろう。
それは、人類の一切の罪を引き受けて磔刑に処された救世主に
キリスト教徒が抱く信仰のこころもちである。
実はこうした読み方を批判したのはショーペンハウアーである。
おそらく鴎外も同じような感想を抱いていたのであろう、
鴎外は『妄想』において、自分が多くの師には会ったが、
一人の主には出会わなかったこと、巧妙に組み立てられた
形而上学も、言ってみれば一片の抒情詩と同じようなものだと
結論付けている。
鴎外もドストエフスキー同様、殺人や死をモティーフに
多くの作品を書いている。
しかしドストエフスキーの殺人が、思想による殺人と
そこからの救済というテーマをもち、
人間を鋭く解剖し尽くした後にも花を供え、犠牲を祝福し、
救済を祈り、丁寧に弔って作品を結ぶのに対して、
鴎外の殺人は、犠牲者の屍を累々と積み重ねたままにして
一切の読経も行われずに、腐敗するがままに放置される。
漱石が人間の苦しみを解剖するときには、人間を切り刻む
行為そのものに対する罪深さ、その血生臭さへの生理的嫌悪が
苦悩、懊悩となって文章に表れてきて、
それゆえに、読者が漱石の人間味、滋味に触れ、共感もし、
その人生に感謝すらするのだが、
鴎外の場合は、人間を解剖する筆のメス捌きに何らの躊躇も
迷いもない。
特に大正以降の一切の修飾や美麗を排して刻まれた文章における
語法、語彙選択の完璧さ、その事実描写の精密と的確さは
現実世界の惨たらしさを余さずに述べ尽くし、吐き気すら覚える。
****************************
鴎外には人類の苦悩を進んで引き受ける思いなど毛頭ない。
『高瀬舟』における喜助の殺人のように、自殺を図って
死にきれぬ弟にとどめを差す事が殺人であるか否か、という
現代の安楽死に通じる問題を扱うときも、
鴎外はわざわざ縁起なる余聞をつけて、傍観を決め込む。
あるいは『阿部一族』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0758.html
のような、武士道における「義」と
私情の「あわさい」で、建前と本音の摩擦、齟齬が
さまざまの史実の連続のなかでゆっくりと育まれた悲劇を
何の救いもなく、何の感傷も施さず、ただ克明に描写する。
その圧倒的な筆力によって、取り扱われる題材の事実を
述べ尽くしているにもかかわらず、
読者の読後に残るものは、巨大な虚無でしかない。
天照の神話以来、「無を隠す」ことによって事を雄弁に語った
日本の文化のあり方は、鴎外によって初めてその根底を
揺るがされたのではないだろうか。
たとえ史実を克明に描写し、いわば「有」を述べ尽くしても、
そこにはいっそう巨大な「無」のみがたち現れるだけであり、
われわれはその圧倒的な無の前に震えることもできないことを
鴎外は証明して見せた。
その方法を見出すには、西洋の観念論、自然科学の探究が
確かに欠かせぬものだったことだろう。
「無」を隠さなくとも、「有」を述べ尽くして巨大な「無」を
実体として創出してみせた鴎外の仕事は、
日本人の心性が、鴎外という「個人」を離れた巨人によって
ようやく成しえた、その心性の存立基盤の反証であり、
その方法において、西欧の近代合理精神を学んだ
日本人の手によって成された、おそらくははじめての
「科学と文学の婚姻」であった。
しかし鴎外にとっての世界、あるいは生とは、
こうした巨大な虚無を前にして、
一切を了解することであったのではないだろうか。
その意味において、鴎外は近代人として振舞いつつ
武士として生きたのではないだろうか。
明治における西洋と日本の文化の「あわさい」の幽暗から
出現した鴎外の異彩は、
日本人が神話時代から育んできた「あわさい」からの創生の
文化史において、必定結ばれるべき果実であった。
***************************
「Mon velle n’est pas grand.Mais Je bois dans mon velle.」
鴎外は「個人」ではない。
夜明け、蒼闇のなかに漸う巨大な威容を現す「孤峰」である。
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