日曜午前、A=442HZ、出来るだけハウリングを起こさぬように
丁寧に、との注文を出して、ピアノを調律してもらった。
途中、気に入らないところを指摘し、時に打ち合わせをしつつ
みっちり3時間、空調をかけているにもかかわらず
調律師は汗だくになって、僕の要求に応えてくれた。
倍音の伸び、拡がりといった点で、概ね満足の出来であったため、
再来週、もう一台のピアノの調律を依頼した。
*****************************
午睡ののち、目覚めると午後6時、服と髪を整えて
埃の匂う街路へと歩みだして、待ち合わせの場所へ向かった。
日頃慣れない事をするのは心臓に悪い。
クールを吹かすサイクルもいつもよりも短くて浅いのが
自分でもはっきりわかる。
生温い湿気た西風が腕に巻きついてくる。
夕刻の空は灰褐色に濁り、見上げた眼に雨粒が落ち入って
僕は思わず煙草を傍らに投げ捨てた。
待ち合わせの場所に着いてみれば、往来は思ったよりも多い。
風体、年恰好もさまざまのひとの行き交う中に佇んで
それらしき人影を追ってみた。
ピグモンのような顔や、重力に負けたようなシルエットが
こちらへ近づいてくるたびに、思わず襟を正す。
昔、後輩の出会い系ベーシストが、HEPのクジラの下で
待ち合わせて、気に入らなければ通過すると言っていたのを
ふ、と思い出した。
あ、綺麗な人だな、と思ったひとは僕の前を通り過ぎて、
口元目元のだらしない男のところへ駆け寄って抱きついていた。
待ち合わせの時間を少し過ぎて、携帯電話で待ち合わせ相手に
連絡を取ることにし、発信ボタンを押して耳元に電話を押し当てた。
7、8回の呼び出し音が鳴った頃、ぼんやりとターミナルを
見やっていた僕の視線の片隅に人影が映った。
「lanonymatさんですか?」
*******************************
挨拶を交わし、予約を入れていた店に向かった。
個室に入り、一服のあと、乾杯をした。
彼女は有名なライブハウスで働いているひとだった。
オーナーはミシェル・ペトルチアーニと親しかったようで、
彼を抱きかかえた写真が店内を飾っているという。
彼女は音大を出たあと、京都・百万遍に住み、
ジャズの専門学校に通ったあと、地元に帰ってきたらしい。
本当はピアノの弾き語りがしたいそうで、将来は
どこか場末の小さなバーで歌っていたいのだそうだ。
僕はあえて音楽の「負」の部分の話をしなかった。
表現をするための基礎的な技術の重要性、
さまざまな芸術に触れて自分を耕すことの大切さを話し、
老人福祉施設で僕が弾いたピアノで重度の脳梗塞の患者や
重度の認知症の患者に変化が表れた経験談を語り、
自分が弾きたい音ではなく、自分の聴きたい音を弾くこと、
聴いてくれるひとの承認が在って初めて音楽が生まれること、
といった持論を広げた。
全てを承認するかのような優しい微笑みが返ってきた。
好きな音楽の話をすると、彼女は好きなアーティストとして
セロニアス・モンク、エリック・ドルフィー、バド・パウエルを
挙げた。
僕はバド・パウエルの音に紫色の冷徹でグロテスクな焔を感じ、
実際に見てもいるのだが、
彼女もどうやらそのような経験があるらしいことがわかった。
また、彼女は狂った調律のピアノが好きだと言い、ピッチとしては
A=438HZという、第二次大戦前の基準が好きだと言った。
このピッチは華やかには響かない。渋く、地味でありながら、
ある種の神秘性を漂わせるピッチである。
彼女はこうも言った。不協和音が大好きだ、と。
僕が今までに出合ってきた女性たちは、自分の価値基準が世間と
ずれている事に気付いていたり、よく知っていたりした。
それゆえに負の方向に悩んだり、あるいは諦めるような口ぶりで
物事を話すようなひとが多かった。
ところが、彼女は自分の感性がいい意味で狂っていることに
全く自覚が無く、ずれている感性に対して天真爛漫だった。
簡単な言葉でものの本質を言い当てていることにも自覚が無い。
僕はこういうひとには初めて会ったように思う。
結局意気投合してしまったために、気付いてみれば24時に近く、
タクシーで送ろうとしたのだが、
彼女は自分の母親を迎えに呼び、あろうことか僕を家まで送るよう
手配してしまった。
断るのもばつが悪く、結局言われるがまま車に乗せられて
家まで送り届けられてしまった。
「こんな娘ですけど、どうぞよろしく」
別れ際に彼女の母に言われた一言に、僕は苦笑するしかなかった。
**************************
楽器の演奏能力がまだ今一歩であること、
音楽理論の実践に課題を抱えているとのことで、
彼女が月に2回通っている京都でのレッスンに加えて、
僕が理論の実践と聴音、移調の訓練、アドリブ練習の面倒を
彼女の家に行って月に1回程度見ることになった。
これに加えて、CD店などに行って良い音源を提供する役目も
引き受けることになった。
今日の昼になって、「楽しい夜でした」というメールが来た。
確かに、4時間半が一瞬のうちに過ぎたことは事実である。
それにしてもよく飲むひとだった。
一線を超えると道で眠るという。
彼女は色白で小柄で、自分に似合う服を知っていて、
ちょうどFEELでトロンボーンを吹いているMのような
眼をしていて、笑うとYUKIのような口元をして、
枝豆が大好きな、涼しい声と聡明な眼をしたひとだった。
今朝、徹夜明けのM安にこのことを話すと、
「好きなひとなんてどこへやら、なんじゃないですか?」
と言われた。
早く寝ろ、と返して、職場に向かった。
とりあえずは、友人関係に着地することにする。
丁寧に、との注文を出して、ピアノを調律してもらった。
途中、気に入らないところを指摘し、時に打ち合わせをしつつ
みっちり3時間、空調をかけているにもかかわらず
調律師は汗だくになって、僕の要求に応えてくれた。
倍音の伸び、拡がりといった点で、概ね満足の出来であったため、
再来週、もう一台のピアノの調律を依頼した。
*****************************
午睡ののち、目覚めると午後6時、服と髪を整えて
埃の匂う街路へと歩みだして、待ち合わせの場所へ向かった。
日頃慣れない事をするのは心臓に悪い。
クールを吹かすサイクルもいつもよりも短くて浅いのが
自分でもはっきりわかる。
生温い湿気た西風が腕に巻きついてくる。
夕刻の空は灰褐色に濁り、見上げた眼に雨粒が落ち入って
僕は思わず煙草を傍らに投げ捨てた。
待ち合わせの場所に着いてみれば、往来は思ったよりも多い。
風体、年恰好もさまざまのひとの行き交う中に佇んで
それらしき人影を追ってみた。
ピグモンのような顔や、重力に負けたようなシルエットが
こちらへ近づいてくるたびに、思わず襟を正す。
昔、後輩の出会い系ベーシストが、HEPのクジラの下で
待ち合わせて、気に入らなければ通過すると言っていたのを
ふ、と思い出した。
あ、綺麗な人だな、と思ったひとは僕の前を通り過ぎて、
口元目元のだらしない男のところへ駆け寄って抱きついていた。
待ち合わせの時間を少し過ぎて、携帯電話で待ち合わせ相手に
連絡を取ることにし、発信ボタンを押して耳元に電話を押し当てた。
7、8回の呼び出し音が鳴った頃、ぼんやりとターミナルを
見やっていた僕の視線の片隅に人影が映った。
「lanonymatさんですか?」
*******************************
挨拶を交わし、予約を入れていた店に向かった。
個室に入り、一服のあと、乾杯をした。
彼女は有名なライブハウスで働いているひとだった。
オーナーはミシェル・ペトルチアーニと親しかったようで、
彼を抱きかかえた写真が店内を飾っているという。
彼女は音大を出たあと、京都・百万遍に住み、
ジャズの専門学校に通ったあと、地元に帰ってきたらしい。
本当はピアノの弾き語りがしたいそうで、将来は
どこか場末の小さなバーで歌っていたいのだそうだ。
僕はあえて音楽の「負」の部分の話をしなかった。
表現をするための基礎的な技術の重要性、
さまざまな芸術に触れて自分を耕すことの大切さを話し、
老人福祉施設で僕が弾いたピアノで重度の脳梗塞の患者や
重度の認知症の患者に変化が表れた経験談を語り、
自分が弾きたい音ではなく、自分の聴きたい音を弾くこと、
聴いてくれるひとの承認が在って初めて音楽が生まれること、
といった持論を広げた。
全てを承認するかのような優しい微笑みが返ってきた。
好きな音楽の話をすると、彼女は好きなアーティストとして
セロニアス・モンク、エリック・ドルフィー、バド・パウエルを
挙げた。
僕はバド・パウエルの音に紫色の冷徹でグロテスクな焔を感じ、
実際に見てもいるのだが、
彼女もどうやらそのような経験があるらしいことがわかった。
また、彼女は狂った調律のピアノが好きだと言い、ピッチとしては
A=438HZという、第二次大戦前の基準が好きだと言った。
このピッチは華やかには響かない。渋く、地味でありながら、
ある種の神秘性を漂わせるピッチである。
彼女はこうも言った。不協和音が大好きだ、と。
僕が今までに出合ってきた女性たちは、自分の価値基準が世間と
ずれている事に気付いていたり、よく知っていたりした。
それゆえに負の方向に悩んだり、あるいは諦めるような口ぶりで
物事を話すようなひとが多かった。
ところが、彼女は自分の感性がいい意味で狂っていることに
全く自覚が無く、ずれている感性に対して天真爛漫だった。
簡単な言葉でものの本質を言い当てていることにも自覚が無い。
僕はこういうひとには初めて会ったように思う。
結局意気投合してしまったために、気付いてみれば24時に近く、
タクシーで送ろうとしたのだが、
彼女は自分の母親を迎えに呼び、あろうことか僕を家まで送るよう
手配してしまった。
断るのもばつが悪く、結局言われるがまま車に乗せられて
家まで送り届けられてしまった。
「こんな娘ですけど、どうぞよろしく」
別れ際に彼女の母に言われた一言に、僕は苦笑するしかなかった。
**************************
楽器の演奏能力がまだ今一歩であること、
音楽理論の実践に課題を抱えているとのことで、
彼女が月に2回通っている京都でのレッスンに加えて、
僕が理論の実践と聴音、移調の訓練、アドリブ練習の面倒を
彼女の家に行って月に1回程度見ることになった。
これに加えて、CD店などに行って良い音源を提供する役目も
引き受けることになった。
今日の昼になって、「楽しい夜でした」というメールが来た。
確かに、4時間半が一瞬のうちに過ぎたことは事実である。
それにしてもよく飲むひとだった。
一線を超えると道で眠るという。
彼女は色白で小柄で、自分に似合う服を知っていて、
ちょうどFEELでトロンボーンを吹いているMのような
眼をしていて、笑うとYUKIのような口元をして、
枝豆が大好きな、涼しい声と聡明な眼をしたひとだった。
今朝、徹夜明けのM安にこのことを話すと、
「好きなひとなんてどこへやら、なんじゃないですか?」
と言われた。
早く寝ろ、と返して、職場に向かった。
とりあえずは、友人関係に着地することにする。
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