白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

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2007-10-21 | 日常、思うこと
この数週間を、最重要顧客との協定調印式典の準備に
奔走していた。
休暇中のリッツ・カールトンから、わざわざ先方にまで
出向いて、数時間も綿密な下打ち合わせをしたのも
この為である。





結局、無事に式典は終了し、ほっとしたのも束の間、
僕が担当しているプロジェクトをマスコミにリークされ、
結局、その対応に追われて先週は気が休まる暇がなかった。
巨大な案件を秘密裏に取り扱うというのは、細心の心配りと
大胆な交渉術を必要とするけれども、
基本的には女性を口説くようにすればいい、と思えてきた。
孔雀が優雅に踊るようにすればいいのである。
しかし、事はそううまくはいかないものだ。
僕は女性を口説くのが下手だからである。





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疲労も蓄積していたことから、名古屋近郊に住みながら
名古屋東急ホテルに宿を取り、静養することとした。





土曜の栄は人で溢れていた。
名古屋という街は、特に繁華街においてはそうなのだが、
人が地上を歩くように設計されてはいないのではないかと
思う事が多い。
それが証拠に、栄付近の道路の歩道は、放置自転車の
影響もあってか、往来する人々が肩をぶつけずにすれ違う
ことすらも難しい。
それゆえか、名古屋の人々は地下に潜ることを好む。
待ち合わせのメッカであるクリスタル広場自体が
地下に設けられた広場であることも、
考えてみれば、やや首を傾げたくなる話である。
広場の思想というものはそもそも地上において成立する
ものだからだ。





しかしながら、名古屋の地下街自体にも問題がある。
地下通路の狭隘さ、天井の低さ、回遊性のゆとりのなさ。
これらは全て、昭和30~40年代に都市計画決定された
ものだろうから、時代に合わない部分が大きくなってきて
いるのではないかと思う。
バリアフリーの概念もないから、階段は急で滑りやすい。
また、地下鉄駅の構内構造はせせこましく複雑になっていて、
地下街自体のレイアウトの圧迫感もあって息苦しい。
そこを地上よりも遥かに多い人々が行き来しているから、
早く通り過ぎて外の空気を吸いたくなる。
名古屋の人々はあの都市構造に息苦しさを覚えないのだろうか。
トヨタ方式よろしく、機能性と効率性・回転性の向上を追求する
名古屋という土地の風土がそうさせるのだろうか。





栄では、この日、階段を昇っていたところに
後ろを振り向きながら知人と話していた初老の女性が足を踏み外し
僕のほうに倒れ込んできただけでなく、
往来の人通りが多く、徐行していたところに
対向してきた視覚障害者が持つ杖でもって僕の向う脛を2度3度と
叩きつけてきた。
往来で肩をぶつけたことも2度3度ではない。
不快の原因が都市構造であるから、相手を責めることもできない。
土地区画整理でもって、都市構造を一旦大きく変えてしまった以上、
それが老朽化してきても、都市の根幹にもう一度手をつけることは
そう易々と出来ることではない。
一見してみれば効率的に構築されている名古屋の街の、都市構造の
老朽化は、思った以上に深刻に見えるのだが、どうだろうか。





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東急ホテルに入り、4時間ほど、マデイラを飲みながら
読書をして、うつらうつらとした後に、
栄から上前津に出て、名古屋郊外の平針へと向かった。
大阪大学の先輩が経営するライブスポットに、
大阪大学時代の馴染みのメンバーが数多く所属するバンドが
客演するとのことで、聴きに出かけたのである。
平針は遠い。栄から実に13駅である。
平針からさらにバスに乗り、平針住宅口で降りると、
そこは外灯もまばらな閑静な住宅地であった。
起伏の激しい道を歩き、国道302号を渡って
南下し、しばらくして右に折れると、目的地である
サニーサイドに到着した。
エントランスでベースの後輩に再会し、挨拶も程ほどに
中へ入った。
キャパシティ、天井高共に十分で、ピアノはヤマハC7、
設備の面ではおそらく相当上位の箱ではなかろうか。





カウンターで飲み始め、2、3杯を過ぎた頃に、
馴染みの顔ぶれが多く眼に入り始めた。
現在岐阜音楽療法研究所で音楽療法を学んでいるという
トロンボーンのixy氏をはじめとして、
中部地方に在住する軽音OBも数多く揃っていた。
1stが終わり、携帯端末からクライマックスシリーズの
結果を知ると同時に、illyが僕のところへ寄ってきた。
ハイタッチして、乾杯した。





ライブが終わり、後輩たちとの挨拶やF田氏との挨拶も
そこそこに、タクシーでホテルに戻った。
平針から栄まで5000円である。
石橋~高槻、あるいは石橋~梅田に等しい。
運転手とは、ひょんなことから全学連の話となった。
3年前にこの仕事に入ったという運転手は相当なインテリで、
党、というものの根源的な誤謬を端的に述べていた。
革命が達成されれば解消されるはずの指導部という体制が、
革命は今だ達成されていない、との未完宣言によって、
結果として、永続的な権力をむしろ積極的に保持する性質を
免れない、というものである。
それまで、このようなタクシーの運転手に出くわしたことが
なかったものだから、30分近く、文学論を楽しんだ。





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翌日、11時、久屋大通での右翼の演説の音で目を覚まし、
慌しくチェックアウトをして、鞄と靴を買いに、ウィンドウ
ショッピングへと出かけた。
しばらく前に買ったREGALがどうにも足に馴染まなかった
こともあって、少し奮発しようと思ったのである。





松坂屋では、歩き回って色々探したのだが気に入るものがなく、
仕方なく名駅へ移動して、高島屋に赴いた。
フェラガモからREGALまで、さまざまの靴を取り扱うブースで
商品をいろいろと眺め観てみた。
かかとの後ろに、針留めのないような靴ばかりが並んでいる。
フェラガモなど買っても仕方がない、と悩んでいるところへ、
初老の社員が近づいてきた。
彼はソムリエのように僕の靴を見て、僕の足の形状から靴選びの
悩み事までを全て言い当ててしまった。
年齢相応の、品を失わず、うるさくないデザインで、
足に馴染みやすいやわらかめの、やや幅広のもの、と要望を
出すと、彼は一足のイタリアのalejandroという工房のものを
奥から出してきて、試すように促した。
履いた瞬間に、足に馴染んだ。
突っ張りも、不自然な歪みも生まれない。
そうして、デザインはシンプルで、何の厭味もない。
即決であった。





鞄は、気に入るものを高島屋で見つけることが出来ず、
名鉄へと移動して探すことにした。
水木一郎の歌う「燃えよドラゴンズ」がけたたましく響く店内で
探し出したのは、stefano mano というイタリアの工房のもの、
ステッチワークの仕上げのよい、ベージュの生地と革を素材とした
カジュアルにもフォーマルにも使えるものである。
Manoとは、イタリア語で「手仕事」を意味するそうだ。





値は張ったが、いい買い物をした。
帰宅して弾いたピアノは、この一年で一番調子のよい時期を
迎えたようだ。
脱力奏法の練習と、トリスターノ・ラインによる即興を試みて、
その出来に微笑むことが出来た。





新しい鞄に、古い鞄の中身を詰め替えた。
明日からはまた、山積するややこしい仕事にとりかかる。
詰め替えるものは、まだ他にもあるような気もするけれど、
今日はこのぐらいにしておこう。

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