この三連休で、二本のハンガリー・トカイ・5プットを
空けてしまった。実にもったいない話である。
さりとて、理由がないわけではない、・・・と、酒飲みは
あちらこちらに思念、とまではいかない思い付きを
こねくり回して、突如、猛然としゃべり始めるわけだ。
**************************
初日、東大へ散歩へ出て、まだ銀杏の色づきが薄いので
ほどほどのところで踵を返して、壱岐坂を降りて後楽園、
成城石井へ買い出しに出た。
白葱、ニラ、白菜、椎茸、シメジ、エリンギ、エノキ、
三元豚ロース、三陸産カキ、アサリ、白菜キムチ、など、
家に帰ると、鍋に鶏がらスープを沸かし、キノコ類を入れ
白葱を入れ白菜を入れ、料理酒と赤味噌で味を整え、
キムチを入れてひとまず灰汁を取った後、
あらかじめ白ワインに浸けておいたカキを入れ豚肉を入れ
刻んだニラで蓋をするようにして、蒸し煮にした。
さすがに、豚は甘く、カキは豊潤、スープも濃厚である。
合わせた甲州ワインは、どうも口に合わなかった。
二日目、前日の残りの鍋にうどんを入れて昼食にし、
昼過ぎから夜までかけて部屋の大掃除をし、
ようやく終わると午後7時、
前日買っておいた前沢牛のランプ肉のステーキ肉を
繊維を切り、常温になじませてから、
オリーブオイルをペペロンチーノオイルを2対1で
フライパンに十分に熱してから一気に焼く。
片面強火1分、片面弱火1分半、といったところか。
洒落で買ったペットボトル入りボジョレーは
思いのほかに飲みやすかった。
深更、秘蔵のトカイを飲む。
**************************
三日目、アサリをペペロンチーノオイルで炒めてから、
酒蒸しにしてパスタに合わせ、即席のボンゴレにする。
実家からの荷物の到着を待って、サントリーホールへ
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会へ赴いた。
ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮、
ブルックナーの交響曲第8番。
帰途、思わず成城石井に立ち寄ってトカイを購った。
チェコ・フィルの弦楽は、しばしばビロードの弦と
形容されているようだが、
僕にはむしろ古色蒼然とは言わぬまでも、時を経て
ややくすんだ、花梨色の絹織に聴こえた。
それは木管にも、金管にも共通して言えるのだが、
純朴・朴訥ささえ感じるほどに虚飾を排した音色が
実に素直にはいってくる。
ブロムシュテットの音作りは誠実そのもので、
虚飾やけれんみの類はも一切なく、
打楽器によらず、低弦のアインザッツの鋭さから
つくりだされる堅牢な枠組みと、
オーケストラ本来の滑らかで温かい響きを生かしつつ
楽器間の音量バランスやフレーズの受け渡しにおいては
峻厳な空気感と精妙な機動性に満ちた響きを要求する。
管弦楽の純真な音と指揮者の誠実な要求がかみ合って
それが客席にも適度の緊張を感じさせ、
空間には一瞬の弛緩もなく
ホールには音楽が満ち足りていながらも、あたかも常に
静謐な空気が満ちているような、不思議な感覚だった。
僕はブルックナーの交響曲を実際の演奏で聴いたのは
今回が初めてだったのだが、
ブルックナーの交響曲第8番でいえば、古いものでは
フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、
シューリヒト、クレンペラー、
また、カラヤンやジュリーニ、朝比奈隆、ヴァント、
チェリビダッケといった音源を聴いてきたから、
比較的、なじみは深い。
こうした演奏の記憶に照らして、今日の演奏は
そのどれよりも、音に対して純真だったように思う。
ブルックナーの演奏に、ある種必然的に伴う鈍重さを
あまり感じなかったのは、それゆえだろうと思う。
ブルックナーは敬虔なクリスチャンであったが、
女性には奥手で不器用、絶えずひとからの批評眼を恐れ
数十年も前の自作すらも改訂を繰り返すようなひとで、
それゆえに、朝比奈隆と大フィルのような、
上手とは言えない指揮と、悪く言えば粗野な音とが
不器用ながらもひたむきに作品に向き合った瞬間に、
奇跡的な響きを生んで、聴き手を嘆息させることが
あるのかもしれないと思う。
そうした点でいえば、ブロムシュテットは器用であり、
ブルックナーの作品のなかに人間を見ず、
むしろ、ブルックナーが敬虔なこころでもって
捧げものとして物した作品に、同じく敬虔なこころで
向かっているのかもしれない。
第1楽章展開部や、第2楽章のトリオなどよりも
第3楽章のアダージョの音運びに、最もそれを感じた。
*************************
第4楽章終了後、いったん起こった拍手は、
ゆっくりと指揮棒を下ろすブロムシュテットの動きに
同調するかのようにいったん止んで、
指揮者がこちらを向くと同時に大波のようにして
揺り返した。
オーケストラの楽員が皆ステージを降りてもなお
喝采は大きなまま、
ブロムシュテットはひとり、ステージに再度現れて
会場は総立ちとなった。
名演奏だった。
それ以上に、言葉は必要ない、という理由で、
いま、トカイ・5プットを飲んでいるのである。
ブロムシュテットは現在82歳である。
所作や足取りからはとてもそのような年齢に見えないが
せめて、長命であられるよう、願うばかり、と。一献。
空けてしまった。実にもったいない話である。
さりとて、理由がないわけではない、・・・と、酒飲みは
あちらこちらに思念、とまではいかない思い付きを
こねくり回して、突如、猛然としゃべり始めるわけだ。
**************************
初日、東大へ散歩へ出て、まだ銀杏の色づきが薄いので
ほどほどのところで踵を返して、壱岐坂を降りて後楽園、
成城石井へ買い出しに出た。
白葱、ニラ、白菜、椎茸、シメジ、エリンギ、エノキ、
三元豚ロース、三陸産カキ、アサリ、白菜キムチ、など、
家に帰ると、鍋に鶏がらスープを沸かし、キノコ類を入れ
白葱を入れ白菜を入れ、料理酒と赤味噌で味を整え、
キムチを入れてひとまず灰汁を取った後、
あらかじめ白ワインに浸けておいたカキを入れ豚肉を入れ
刻んだニラで蓋をするようにして、蒸し煮にした。
さすがに、豚は甘く、カキは豊潤、スープも濃厚である。
合わせた甲州ワインは、どうも口に合わなかった。
二日目、前日の残りの鍋にうどんを入れて昼食にし、
昼過ぎから夜までかけて部屋の大掃除をし、
ようやく終わると午後7時、
前日買っておいた前沢牛のランプ肉のステーキ肉を
繊維を切り、常温になじませてから、
オリーブオイルをペペロンチーノオイルを2対1で
フライパンに十分に熱してから一気に焼く。
片面強火1分、片面弱火1分半、といったところか。
洒落で買ったペットボトル入りボジョレーは
思いのほかに飲みやすかった。
深更、秘蔵のトカイを飲む。
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三日目、アサリをペペロンチーノオイルで炒めてから、
酒蒸しにしてパスタに合わせ、即席のボンゴレにする。
実家からの荷物の到着を待って、サントリーホールへ
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会へ赴いた。
ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮、
ブルックナーの交響曲第8番。
帰途、思わず成城石井に立ち寄ってトカイを購った。
チェコ・フィルの弦楽は、しばしばビロードの弦と
形容されているようだが、
僕にはむしろ古色蒼然とは言わぬまでも、時を経て
ややくすんだ、花梨色の絹織に聴こえた。
それは木管にも、金管にも共通して言えるのだが、
純朴・朴訥ささえ感じるほどに虚飾を排した音色が
実に素直にはいってくる。
ブロムシュテットの音作りは誠実そのもので、
虚飾やけれんみの類はも一切なく、
打楽器によらず、低弦のアインザッツの鋭さから
つくりだされる堅牢な枠組みと、
オーケストラ本来の滑らかで温かい響きを生かしつつ
楽器間の音量バランスやフレーズの受け渡しにおいては
峻厳な空気感と精妙な機動性に満ちた響きを要求する。
管弦楽の純真な音と指揮者の誠実な要求がかみ合って
それが客席にも適度の緊張を感じさせ、
空間には一瞬の弛緩もなく
ホールには音楽が満ち足りていながらも、あたかも常に
静謐な空気が満ちているような、不思議な感覚だった。
僕はブルックナーの交響曲を実際の演奏で聴いたのは
今回が初めてだったのだが、
ブルックナーの交響曲第8番でいえば、古いものでは
フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、
シューリヒト、クレンペラー、
また、カラヤンやジュリーニ、朝比奈隆、ヴァント、
チェリビダッケといった音源を聴いてきたから、
比較的、なじみは深い。
こうした演奏の記憶に照らして、今日の演奏は
そのどれよりも、音に対して純真だったように思う。
ブルックナーの演奏に、ある種必然的に伴う鈍重さを
あまり感じなかったのは、それゆえだろうと思う。
ブルックナーは敬虔なクリスチャンであったが、
女性には奥手で不器用、絶えずひとからの批評眼を恐れ
数十年も前の自作すらも改訂を繰り返すようなひとで、
それゆえに、朝比奈隆と大フィルのような、
上手とは言えない指揮と、悪く言えば粗野な音とが
不器用ながらもひたむきに作品に向き合った瞬間に、
奇跡的な響きを生んで、聴き手を嘆息させることが
あるのかもしれないと思う。
そうした点でいえば、ブロムシュテットは器用であり、
ブルックナーの作品のなかに人間を見ず、
むしろ、ブルックナーが敬虔なこころでもって
捧げものとして物した作品に、同じく敬虔なこころで
向かっているのかもしれない。
第1楽章展開部や、第2楽章のトリオなどよりも
第3楽章のアダージョの音運びに、最もそれを感じた。
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第4楽章終了後、いったん起こった拍手は、
ゆっくりと指揮棒を下ろすブロムシュテットの動きに
同調するかのようにいったん止んで、
指揮者がこちらを向くと同時に大波のようにして
揺り返した。
オーケストラの楽員が皆ステージを降りてもなお
喝采は大きなまま、
ブロムシュテットはひとり、ステージに再度現れて
会場は総立ちとなった。
名演奏だった。
それ以上に、言葉は必要ない、という理由で、
いま、トカイ・5プットを飲んでいるのである。
ブロムシュテットは現在82歳である。
所作や足取りからはとてもそのような年齢に見えないが
せめて、長命であられるよう、願うばかり、と。一献。
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