ここは滋賀県長浜市国友町にある鉄砲博物館です。
こんな住宅街に中にあります。
1543年に鉄砲が伝わると、その翌年から足利将軍の命令で鉄砲の生産が始まりました。
その産地として有名になったのが国友です。
国友の火縄銃は戦国日本の歴史を変えたともいわれ、信長、家康、秀吉も合戦でこの銃を使っています。
鉄砲鍛冶の職人さんが来ていた着物*
*
江戸時代の雨合羽
実物大の火縄銃
持ってみたらかなり重たいです。
ライフルのような銃には銃床(じゅうしょう)といって、銃の照準を安定させたり発射時の反動を抑えるために肩に当てる部分がありますが、火縄銃には銃床がないです。
だから頬にあてて銃を構えますが、実際にやってみたらかなり重いし難しい!
これでズドン‼ってうったら、衝撃半端じゃないよね。
歯が折れた人もいるんじやないかな。
庭に置いてあった司馬遼太郎「街道をゆく」の碑。
ネジのヒントになったのが大根だったとは驚きです。
最近、大根を見るたびに思います。
「これがネジの原型か」って。
博物館の後は、先回紹介した黒壁スクエアに行きました。
商店街入り口に歌舞伎の連獅子がお出迎え
このような博物館があるのですね〜!
滋賀県にある理由、私は不勉強で分からないのですが、
ここの武将のどなたかと関係があるのでしょうね。
大河ドラマの「麒麟が来る」のあの方(吉田鋼太郎さんが演じました)でしょうかしら。
鉄砲鍛冶さんが着てらした着物、迫力ありますね〜☆
鍛冶職人さんは火を使いますから、このようになるのでしょうねー、しみじみ・・・
火縄銃、重たかったですか!
それをあの「八重の桜」の山本八重さんが担っていたのですねぇ☆
そんな重い銃を頬に付けたら、たくさん撃ってる人の頬には跡が付いていたのでは?
仰るように、歯が折れた人もいたかも。
こう考えると、幕末時代〜戦国時代の戦闘集団の方々は、実際はかなり凄惨な日常(着ているものとかも含めて)を送っていたのでは・・・と気の毒にもなりました(^_^;)
ネジを作るのに大根を用いたところが面白いですね♪
何が幸いするか分からないですねー☆
商店街の入口上の歌舞伎人形連獅子姿、ゴージャスですこと!!
時間が来ると動くのかしら?(≧▽≦)
たくさん、お写真を拝見出来て楽しかったです♪
勉強になりました〜サンキューですm(_ _)m
今朝は少し寒いですが吉田鋼太郎サンの名前をみてぽかぽか気分で〜す😸
この俳優さん好きなんですよ。
国友と聞いて麒麟がくるのこの方を浮かべるとはココの母さんさすが👍👍
吉田鋼太郎さんが演じたのは松永久秀という武将でラストがすごい迫力。爆死ですね。
火縄銃を作ってくれる鍛冶師を探してる話で国友村に潜んでる、なんとかいう鉄砲鍛冶(すみません、名前わすれた〜)が出てきたと思います。
銃は抑止力になるとか、なんかそんなセリフいってたように記憶してます。
抑止力って時代が変わっても考えることは同じですね。
それにしても火縄銃はおもいし、多分熱いだろうし、
扱う方も命がけですよね。
国友の火縄銃は性能が良くて関ヶ原の合戦でも使われたそうです。
ネジが大根からヒントを得たという話には感動しました。
よくぞ思いついた!拍手拍手です。
歌舞伎の人形、ひょっとしたら仕掛けがありそうですね~。
お祭りの日とか動くのかも。
それも面白いですね。
写真を楽しんでもらえてよかったです。
興味をそそられたりして楽しんでいます。
最も、飛び道具の歴史には、戦いに流された多くの
血がありますので、そんな背景にも思いを馳せながら拝見しましたよ。
大根と鉄砲のネジ。
一見、何の関係もなさそうなこのふたつのものが
意外なコラボだったのですね。物事の発明の妙味
のようなものを感じます。
戦国日本を支えた国友ですか。
つわもの共の夢の跡、歴史は遠くなりにけり。
そんな時代を経て、近代日本への道が開かれて
いったのですね。
合羽、今着てもファッショナブルな感じが(笑)
歌舞伎の連獅子、雰囲気がありますね。
火縄銃には銃床がないというのは初めて知りました。どうしてないのでしょう。撃ち手にはなくては
ならない部分だと思いますが、そんなやわな兵士は
いなかったのでしょう...か?
今回も、とても興味深く、歴史の重みも感じながら
拝見しました。 (^◡^)
長男がココをネットで見つけたようで、鉄砲とか刀とか興味あるので見に行ってきました。
飛び道具とか刀とかかっこいいと思う反面、おっしゃるように、これで多くの血が流されたのかと思うと、なにかこう、うーんとうなりたくなります。
大根とネジは驚きました。
解説によると、職人さんたちはネジをどうすればきちんとはめ込むことができるのかでだいぶ悩んだようです。
大根からネジとは
ほんとに素晴らしい発想です。
館内には当時の国友と火縄銃の解説をしてくれる動画がありました。
10分くらいの動画なので見てきましたが、それによると、国友村には鍛冶師が多いことから足利将軍が鉄砲を作るという命令をしたそうです。
でも鍛冶師たちは、鉄砲など見たこともないから作れないと断ったら、ポルトガルからわたってきた火縄銃を将軍から渡されて、鍛冶師たちはそれを見て苦心しながら2丁の火縄銃を作ったそうです。
銃床の話ですが、最初に見せてもらったポルトガルの銃には銃床がなかったから作らなかった、作れなかった、とか、
昔は甲冑を着てたので、肩で支えることが難しかったから、とか他にもいくつか説があるようです。
火縄銃を頬に当てて構えてみたんですがずっしりきますね。重くて腕がプルプルしてきます。
これで狙ってずっと構えてるなんてほんとに当時の兵士の体力、すごいですよ。
以前、関ヶ原の合戦祭りと流鏑馬に行ったときに火縄銃を実際に撃ってるのを見たことあります。
なかなかの迫力でした。
またいつか歴史絡みのまつりや展示会いってみたいです。
鉄炮館楽しんでもらえてよかったです。
今回も私の血が騒ぐような記事ですね。
時代小説が好きな私は若いころ友人と司馬遼太郎の作品を競い合うようにして読みました。
鉄砲博物館へも是非行ってみたいですね。
鉄砲伝来以後、急速に戦闘方法も違い有名武将たちも鉄砲に力w注ぐようになったのですよね。
鉄砲鍛冶として有名なのはこの国友や根来、堺と言われていますね。
実際に手にしてその重量をたしかめたり、銃身に金属の彫刻したものを張り付けた綺麗なデザインのものなども見てみたいと思います。
コメントをありがとうございます。
fumiel-shimaさんは時代小説お好きでしたよね。
それなら絶対この鉄砲館きにいるとおもいます。
ぜひぜひおすすめします。
鉄砲がたくさん展示してあって一つずつ形も模様も違うしじっと見てるとハマりますね。
この火縄銃を最初に作った職人さんの技術に頭が下がります。この素晴らしい技術が殺戮の道具に使われるようになった、と思うとなんとも複雑な思いもありますが、それは横において、鉄砲とか戦国好きにはたまりませんね。
火縄銃を撃ってるのを見たことはありますが実際に持ったのは初めてでした。
私も息子も最初に出た言葉は「うわぁー!おもたー!」
fumiel-shimaさんなら毎日体を鍛えてるから片手で大丈夫かも(◠‿◕)
機会があればまた行きたいです。