歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪中野京子『はじめてのルーヴル』 【読後の感想とコメント】その7≫

2020-05-27 18:33:44 | 私のブック・レポート
≪中野京子『はじめてのルーヴル』 【読後の感想とコメント】その7≫
(2020年5月27日投稿)
 



【中野京子『はじめてのルーヴル』はこちらから】



はじめてのルーヴル (集英社文庫)

【はじめに】


 今回のブログは、中野京子氏が取り上げた『モナ・リザ』『宰相ロランの聖母』『アヴィニョンのピエタ』について、補足説明を試みたい。
 そして、次の作品について、フランス語の解説文を読んでみたい。
〇『モナ・リザ』
〇『宰相ロランの聖母』
〇『アヴィニョンのピエタ』




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・【『モナ・リザ』の展示場所の変遷】
・フランス語で読む、『モナ・リザ』
・【チュイルリー宮殿の歴史】

・【補足】ヤン・ファン・エイクの『宰相ロランの聖母』
・ヤン・ファン・エイクと宰相ニコラ・ロラン
・『宰相ロランの聖母』のフランス語の解説文を読む
・『アヴィニョンのピエタ』のフランス語の解説文を読む








【読後の感想とコメント】





【『モナ・リザ』の展示場所の変遷】


1519年にレオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなると、フランソワ1世は、『洗礼者ヨハネ』とともに、相続人の弟子メルツィから、『モナ・リザ』を買い上げ、フォンテーヌブロー宮に置いた。その値段は4000エキュ(1万2000フラン)であったといわれる。
(『聖アンナと聖母子』だけはメルツィがイタリアに持ち帰り、1629年に枢機卿リシュリューによって買い取られている。)

『モナ・リザ』は、それ以後ずっとフランスの王室の第一級の財宝として大切に保管され、最後にはルーヴル美術館入りする。
ただ、その間にも国王の居住地の移動にともなって移転している。

17世紀中頃までは、フォンテーヌブローの宮廷にあったことが何度も記録されている。1625年に当宮廷を訪れたカッシアーノ・デル・ポッツォは、この絵をはじめて「ラ・ジョコンダ La Gioconda」と認定した。
また、当時大使としてフランスに来ていたバッキンガム公がこの絵を英国王の結婚の贈り物として手に入れようと画策していたこと、しかしルイ13世の側近がそれを阻止したことを伝えている。

1683年にはルイ14世のコレクションの目録に記されている。1695年には、ヴェルサイユ宮殿のプティット・ギャラリーに置かれていたことが知られている。
1706年には、一時パリの王宮内絵画室に置かれていたが、1709年に再びヴェルサイユに戻り、18世紀の末までそこにあった。

1800年には、チュイルリー宮のナポレオンの寝室に置かれていた記録がある。
1804年には、ルーヴル宮のナポレオン美術館(ルーヴル美術館の前身)に移された。

ところで、1911年に『モナ・リザ』はルーヴル美術館で盗難事件に遭う。8月21日、イタリア人の装飾職人ペルッジアは、この作品を盗み出して、フィレンツェに持ち帰り、2年間その行方はわからなかった。
しかし、1913年11月29日に、フィレンツェの骨董屋に持ち込まれ、ウフィツィ美術館で鑑定された結果、本物と認められる。
(約400年ぶりに「里帰り」した『モナ・リザ』は、フィレンツェやローマ、ミラノで公開された後、12月29日にフランスに返還された)
翌1914年1月4日にルーヴルに再陳列された。

その後、『モナ・リザ』は、3度だけルーヴルを離れている。
最初は第二次世界大戦中の一時疎開のためで、1946年までフランス西南部の極秘の場所に移された。2度目は、1963年1~3月のアメリカ行きで、ワシントン(ナショナル・ギャラリー)とニューヨーク(メトロポリタン美術館)で公開されている。3度目は、1974年4~6月の日本行きである。

このヨーロッパ絵画史の最高傑作が今後ルーヴルを離れることは二度とないといわれている。
(ルーブル美術館学芸部「ルーブル 名品その経緯」より。高階秀爾、ピエール・クォニアム監修『NHKルーブル美術館VII ロマン派の登場』日本放送出版協会、1986年、170頁~171頁所収)

【高階秀爾、ピエール・クォニアム監修『NHKルーブル美術館VII ロマン派の登場』はこちらから】



ロマン派登場 (NHK ルーブル美術館)



フランス語で読む、『モナ・リザ』


Léonard de Vinci, La Joconde,
vers 1503-1506, huile sur bois, 77×53cm

Les contours de la Joconde appuyée sur une balustrade sont estompés : c’est le fameux sfumato. « Les contours des choses sont ce qu’il y a de moins important dans les choses...
Donc, ô peintre, ne cerne pas tes corps d’un trait », affirme Léonard, qui ne vise pas à décrire précisément les traits de la Joconde, mais à peindre son âme, sensible dans son regard et son sourire énigmatique. Accrochée dans la chambre de Bonaparte, La Joconde est ensuite exposée au Louvre où elle suscite bien des commentaires.
(Françoise Bayle, Louvre : Guide de Visite, Art Lys, 2001, p.75.)

≪訳文≫
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」:1503~1506年頃、油彩・板、77×53㎝
欄干にもたれたモナ・リザの輪郭はぼやかされている。これは有名な『スフマート』技法で、「事物の輪郭などは全く重要ではない。(中略)だから、画家たちは体の輪郭をはっきり描くことなどしないほうがいい」とレオナルドは断言している。
彼はモナ・リザの描線を正確にしようとはせず、その視線と謎の微笑によって感受性豊かな彼女の魂を描こうとしたのである。
モナ・リザは、ナポレオンの寝室に飾られたあとルーヴルに展示され、多くの議論を生み出した。
(フランソワーズ・ベイル((株)エクシム・インターナショナル翻訳)『ルーヴル見学ガイド』Art Lys、2001年、75頁)

【語句】
contour [男性名詞]輪郭(線)(contour, outline)
la Joconde [女性名詞]モナ・リザ(Léonard de Vinciの婦人肖像画)(the Mona Lisa)
appuyée <appuyer支える(support)(contre, à, surに)もたせかける(lean on[against])の過去分詞
une balustrade [女性名詞](階級・バルコニーの柵になった)手すり、欄干(balustrade, handrail)
sont estompés  <助動詞êtreの直説法現在+過去分詞(estomper)受動態の直説法現在
 estomper <美術>擦筆でぼかす(stump, shade off)、ぼかす(blur)
c’est  <êtreである(be)の直説法現在
fameux  [形容詞]有名な(famous)
sfumato ≪イタリア語≫[男性名詞]<絵画>スフマート(物の輪郭線をなだらかにぼかして、明部から暗部まで描く画法)。レオナルド・ダ・ヴィンチが代表的。
(cf.)sfumare「煙を立てる、ぼかす」の過去分詞より(『仏和大辞典』)
sont   <êtreである(be)の直説法現在
ce qu’il  →ce que~のところのもの(こと)(what, that which) que は関係代名詞
il y a  ~がある、~がいる(there is[are])

moins  [副詞]より少なく、より~でない(less)
 (cf.)le pays où il y a le moins de miséreux 貧民が最も少ない国
important  [形容詞]重要な(important)
Donc   [接続詞]それゆえ、だから(therefore, so)
<例文> Je pense, donc je suis. 我思う、ゆえに我あり。(I think, therefore I am.)
ô    [間投詞]おお(oh!)
peintre  [男性名詞]画家(女性にも男性形を用いる。とくに区別を要するときはfemme peintreという)(painter, artist)
ne cerne pas <cerner取り巻く(surround)、輪郭をはっきりさせる(outline, determine)の直説法現在の否定形
corps   [男性名詞]体(body)
un trait  [男性名詞](一筆の)線、描線、輪郭線(stroke, line, outline)
affirme  <affirmer断言する、主張する(affirm)の直説法現在
qui ne vise pas à<viser[自動詞]( àを)ねらう、目指す(aim at)の直説法現在の否定形
décrire (線、図形を)描く(describe)
précisément  [副詞]正確に、まさしく(precisely)
mais [接続詞]しかし、(否定のあとで)~ではなくて(but)
à peindre  [他動詞]<美術>描く(paint, picture)
(cf.) peindre à l’huile 油彩で描く(paint in oils)
sensible   [形容詞]敏感な、感受性が強い(sensitive)
 (cf.)avoir le œur sensible 非常に気が優しい(have a tender heart)
son regard  [男性名詞]視線、まなざし(look, gaze)
son sourire [男性名詞]微笑、ほほえみ(smile)
énigmatique [形容詞]なぞの、不可解な(enigmatic)
Accrochée dans <accrocher 掛ける(hang up)
la chambre [女性名詞]部屋、寝室([bed] room)
est ensuite exposée<助動詞êtreの直説法現在+過去分詞(exposer)受動態の直説法現在
exposer 展示する(display, expose)
 ensuite [副詞]次に(next)、それから(then)
où elle suscite<susciter(感情を)呼び起こす(stir up, provoke)、生じさせる(bring about)の直説法現在
bien des+名詞 [bienは副詞]多くの、たくさんの(many, a great deal of)
commentaire [男性名詞]注釈、解説、コメント(commentary, comment)

【コメント】
このように、ベイル氏は『モナ・リザ』のスフマート技法について言及している。
中野京子氏は、紹介した本の中で、レオナルドのスフマート技法や『モナ・リザ』の絵画としての魅力について言及していた。
例えば、スフマートとは「煙」からきた言葉で、輪郭線を靄のようにぼかす効果のことであると説明し、ダ・ヴィンチの『絵画論』を引用し、スフマート技法で描かれたリザ夫人はまるで生きてそこにいるかのように生々しいと評している。

また、『モナ・リザ』の魅力については、「何といってもこの絵の吸収力は、彼女の不可思議な笑みにある」とする。そして、心理実験をもちだして、個人より複数の女性の顔をコンピューターで合成した顔のほうが、美人と認知される確率が高まると説明したあとに、「たとえモデルはリザ夫人でも、彼がその先に求めたのは、それこそコンピューター合成のような、どこにも実在しない究極の美だった」と中野氏は解説していた。
(中野、2016年[2017年版]、238頁~239頁)

一方、ベイル氏はどうか。
レオナルドのスフマート技法に注目することは、中野氏と同様であるが、『モナ・リザ』の魅力については、「その視線と謎の微笑によって感受性豊かな彼女の魂を描こうとした」と理解している。
つまり、レオナルドの追求した究極の美について、「彼女の魂を描こうとした(mais à peindre son âme)と、ベイル氏は表現していることに注目しておきたい。

その後、ベイル氏の解説は、『モナ・リザ』がナポレオンの寝室に飾られたあと、ルーヴルに展示されたと、その筆を進めている。

ナポレオン1世がフランス皇帝だったときには、チュイルリー宮殿の寝室に飾られていた。ここで、チュイルリー宮殿の歴史について略述しておこう。

【Valérie Mettais, Votre visite du Louvre, Art Lysはこちらから】


Visiter le Louvre




【チュイルリー宮殿の歴史】


<カトリーヌ・ド・メディシスがチュイルリー宮殿を建設する>
アンリ2世の死後も王太后として長く権勢を誇ったカトリーヌ・ド・メディシスは、ルーヴル宮殿に大きな不満を感じていた。なかなか改築工事が終わらないうえに、要塞だった昔の部分もかなり残っていたからである。
そこでルーヴル宮殿の500メートル西側に、新しい宮殿を建てようと考えた。そこは以前に瓦(チュイル)の製造所があった場所だったので、新しい宮殿はチュイルリー宮殿と呼ばれることになった。
王太后は建築家フィリベール・ドロルムに設計を任せ、後継者のジャン・ビュランが1564年から72年にかけて巨大な宮殿の一部を完成させた。
(しかし、カトリーヌ・ド・メディシスはチュイルリー宮殿の工事は中止される)

1666年にルイ14世の母がルーヴル宮殿で死んだあと、ルイ14世はすっかり元気を失い、チュイルリー宮殿に移り住んだ。チュイルリー宮殿はル・ヴォーが正面(ファサード)を統一し、中央のドームを手直しして、立派な住居に改築されていた。またこの宮殿には造園家アンドレ・ル・ノートルが設計した美しい庭園があった。しかし、1678年に、ルイ14世はチュイルリー宮殿を離れ、パリをあとにし、ヴェルサイユ宮殿に身を落ち着けた。
(ジュヌヴィエーヴ・ブレスク(遠藤ゆかり訳)『ルーヴル美術館の歴史』創元社、2004年、37頁、61頁~62頁)

【ブレスク『ルーヴル美術館の歴史』(創元社)はこちらから】


ルーヴル美術館の歴史 (「知の再発見」双書)

【補足】ヤン・ファン・エイクの『宰相ロランの聖母』


中山公男氏は、「北方ルネサンスの美術」と題して、フランドル派ヤン・ファン・エイクについて解説しているので、紹介しておこう。
(高階秀爾監修『NHKルーブル美術館IV ルネサンスの波動』日本放送出版協会、1985年、156頁~167頁)

ルネサンスは、本来は、イタリア的な文化現象であって、とりわけ、古代の人間中心主義なり形態の理念の再生(ルネサンス)と考えるなら、北方諸国は少なくとも15世紀まで、ほとんどイタリア・ルネサンスと無関係であった。

たとえば、名著『イタリア・ルネサンスの文化』のヤーコプ・ブルクハルトは、ルネサンスを純粋にイタリアのものとしている。そして『中世の秋』のホイジンガは、15世紀の北方美術を、しだいに死滅に向かう、しかし豊熟した中世の秋の芸術とみなしている。

しかし、それにもかかわらず、フランドル(現在のベルギーにあたる地域)は、その後期ゴシックのなかにヤン・ファン・エイク、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンたちを生み、視覚を再現する自然主義的技法の点でも、情緒的な新鮮さの点でも、新しい時代のひとつの先駆となった。風景と肖像画でイタリアに先駆け、また微細な質感や明暗を表現する油彩の技法の開発という点でも先駆的であった。
事実、イタリアの15世紀の芸術擁護者は大金を払って、フランドル絵画を購入した。イタリアの芸術家は、油彩の技法など多くをフランドルに負っている。
そして、レオナルド、ラファエロたちの肖像画の確立も、フランドルに多くを負っていると中山公男氏は主張している。
(15世紀には、イタリアのルネサンス的胎動にほとんど無関心であった北方諸国も、16世紀になると、方向を変え、イタリアで達成されたものを学び、受け入れようとするのだが。)

【フランドルとヤン・ファン・エイク】
フランスが百年戦争のために、首都パリから宮廷を地方に転々とさせざるをえなかった時、フランドルが北方の美術の中心となった。
この15世紀フランドル文化の開花は、この土地の支配者となった4代にわたるブルゴーニュ公たちの趣味と政策による部分が大きい。1380年、フィリップ豪胆公は、首都ディジョンの近くシャンモールに、カルトジオ会修道院を創建したが、これがブルゴーニュ公家による芸術保護の中心となる。

やや時期は下るが、1419年、ブルゴーニュ公国のフィリップ善良公がその宮廷を本拠地ディジョンのほかにフランドルのブルージュにも置いてから、この地がフランドル繁栄の中心地となった。13世紀から14世紀にかけて、ブリュージュは毛織物工業を中心として商工業が発達し、ヨーロッパ有数の商業都市となった。15世紀初めにブルゴーニュ公国の宮廷所在地となってからは、最盛期を迎える。フィリップ善良公は本来の領地であるフランスのブルゴーニュよりもフランドルを愛したといわれる。

そのフランドルの新しい絵画の偉大な創始者がヤン・ファン・エイク(1390年頃~1441年)である。宮廷で劇的ともいえるほどの様式的、技法的な転換をなしとげた画家、そしてルネサンスの基礎を据えた芸術家がヤン・ファン・エイクである。
兄ヒューベルトとともに制作したゲントのシント・バーフォ大聖堂の大祭壇画「神秘の小羊の礼拝」(1432年、板、油彩、137.7×242.3cm)がある。
兄が制作途上で逝った後、弟ヤンが引き継いで1432年に完成させた、との銘文をもつ「ゲントの祭壇画」は、ゲント大聖堂内の一礼拝堂にある。前景に生命の泉のある天国の緑野で、キリストの犠牲を象徴する神秘の小羊が、天使と諸聖人の礼拝を受けている。
泉水の石材と水、草花、後景の建築部分などの細部は驚異的迫真性をもって描かれ、写実的技法の限りを尽くしている。

〇「アルノルフィニ夫妻」(ロンドンのナショナル・ギャラリー)
ヤン・ファン・エイクの作品は、風景表現、大気や光の表現、あるいは事物の質感の的確なとらえ方だけでなく、世俗人の風姿をとらえるヴィジョンにおいても、新しい時代の眼と精神を見せてくれる。

〇ルーヴルは、ヤン・ファン・エイクの傑作の一点「宰相のロランの聖母」を所蔵している。
豪華な室内で聖母子とニコラ・ロランが向かいあっている。ニコラ・ロランはブルゴーニュ公国で宰相の地位にいた人物で、画面左側で厳粛な顔をして祈っている。
聖母子と注文者を同一空間に描く本図の構想は、宗教的観点からみて、大胆なものであるように思われる。しかし仔細にみると、聖母子とロランが次元を異にする存在であることがわかる。ロランの相貌が写実的に描かれているのに対し、マリアとイエスは類型化されている。聖母子と天使は、祈るロランの想念の中の像と考えられている。
聖俗の区別は背景の風景にも認められる。聖母子の背後、川の右岸には教会の塔が林立するのに対し、ロランの背後の左岸は民家が大勢を占めている。
バルコニーから景色を眺めている2人の人物が ファン・エイク兄弟だという説がある。この説に根拠はないようだが、この後ろ姿が観者を画中の空間に引き込む上で、大きな役割を果たしている。例えば、この絵を見る人は、基盤の目のような床の遠近法効果に導かれて、アーチのむこうに広がる風景へと視線を移すことになる。すると、その途中のバルコニーに二人の人物がいる。小さく描かれているけれども、この絵の中心に置かれていることが興味深い。

また、ヤン・ファン・エイクは、油彩技法の発見者であったというのは、伝説にすぎないにしても、この新しい技法の可能性を確実なものとし普遍的なものにした。そしてこの技法のイタリアへの伝播なしには、イタリア・ルネサンスもかなり変わったものになったであろう。
(中山公男「北方ルネサンスの美術」高階秀爾監修『NHKルーブル美術館IV ルネサンスの波動』日本放送出版協会、1985年、8頁~12頁、156頁~158頁)

【高階秀爾監修『NHKルーブル美術館IV ルネサンスの波動』日本放送出版協会はこちらから】



ヤン・ファン・エイクと宰相ニコラ・ロラン


中野氏は、「ルーヴルにはもっと不遜な寄進者がいる」と記して、ブルゴーニュ公国フィリップ善良公の宰相ニコラ・ロランを紹介していた。そのロランが寄進した祭壇画がヤン・ファン・エイク(1390年頃~1441年)の『宰相ロランの聖母』(ルーヴル美術館リシュリュー翼3階展示室41)であった(中野、2016年[2017年版]、170頁~174頁)

木村泰司氏もその著『名画の言い分』(筑摩書房、2011年)において、ヤン・ファン・エイクとニコラ・ロランについて触れている。

【木村泰司『名画の言い分』(筑摩書房)はこちらから】


名画の言い分 (ちくま文庫)

ヤン・ファン・エイクは、15世紀のネーデルラント絵画を代表する人物で、油絵具の技法を完成させた人物といわれる。これによりネーデルラント絵画の特徴である独特の透明感をもつ緻密な描写が可能となった。
多才で多芸なヤン・ファン・エイクの代表作は、ゲントのシント・バーフ大聖堂にある『ゲントの祭壇画』(1432年完成、343×349㎝)である。
(はじめは兄のヒューベルトが制作していたが、兄が亡くなったために弟のヤンが引き継いだ)

閉じた状態のパネルには、ゲント市参事会員を務めた寄進者の夫妻や受胎告知などが描かれ、開いた状態の下の段の中央パネルが有名な『神秘の小羊』である。祭壇上の生贄の小羊で表されているのはイエス・キリストである。
この祭壇画のテーマは「ヨハネの黙示録」に示されている贖罪、つまりイエス・キリストの受難である。それは命の泉の石縁に「ヨハネの黙示録」の一節が刻まれていることからもわかる。カトリックの美術はこのようにイエス・キリストの受難が最大のテーマとなっている。
(15世紀のこの時点では、まだカトリックしかない。のちに登場するプロテスタントは聖像崇拝を禁止し、マリアの地位もカトリック教会ほど高くない)

さて、ヤン・ファン・エイクの『宰相ニコラ・ロランの聖母』(1435年頃、66×62㎝、ルーヴル美術館)について、木村氏も取り上げている。その記述の中で、注目したい点として、イエス・キリストの右手と橋が見事に重なっている点を指摘している。そして橋の上を見ると、たくさんの人物が橋を渡っていることに気づく。つまりイエス・キリストによってのみ天国に導かれるという考えを絵にしていると説明している。
また、聖母マリアの純潔と慈愛のシンボルである白百合と薔薇が描かれている。
この絵の特徴は、すべてのもののディテールが緻密に描かれていることである。すべては神の創造物であるという考え方の表れであり、油絵具の登場によって、それを写実的に描くことができるようになった。当時は自国語の聖書があったわけではなく、聖書はラテン語のみであった。しかも市民のほとんどは文字が読めなかったので、彼らは祭壇画や宗教画に描かれた世界、教会を信じるしかなかった。

ところで、このニコラ・ロランが注文した絵画として、木村氏はもう一作を紹介している。
それはロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399/1400~1464年)の『最後の審判の祭壇画』(1443~1450年頃、560×135㎝、[中央パネル]、フランス、ボーヌ施療院)である。
ウェイデンはヤン・ファン・エイクと並ぶ巨匠である。
この祭壇画には、当時の考え方がよく表れているという。天国に行くのは圧倒的に女性が少なく、地獄に行くグループの方に女性が多く描かれていて、当時は女性の方が罪深いと考えられていた。。
(地獄に行く人々が少々精神を病んでいるように描かれているが、15世紀のネーデルラントでは、精神を病むのは悪魔に魅入られたからだと考えられていた)

この絵はニコラ・ロランが注文し、病人の魂の救済のために施療院の大ホールに置かれていたものである。つまり、これを見ることによって、自分もいつかは最後の審判を受けるのを当たり前のこととして受け入れるように、というわけである。
(木村泰司『名画の言い分』筑摩書房、2011年、110頁~115頁)



『宰相ロランの聖母』のフランス語の解説文を読む


フランソワーズ・ベイル氏は、『宰相ロランの聖母』について、次のように解説している。

PEINTURE DU NORD Les « Primitifs flamands »
Jan Van Eyck, La Vierge au chancelier Rolin,
vers 1434, peinture sur bois, 66×62cm

La Vierge à l’Enfant qu’un ange s’apprête à couronner
apparaît comme dans une vision à Nicolas Rolin, chance-
lier du duc de Bourgogne Philippe le Bon. Le réalisme
méticuleux de la peinture de Van Eyck, peintre officiel du
duc, rend tout présent et vivant :...
Mais ce réalisme ne doit pas tromper. Car ces réalités matérielles
peintes avec tant de soin illustrent la signification spiri-
tuelle du tableau. Par exemple, les fleurs représentées dans
le petit jardin clos sont autant d’allusions à la Vierge ou
au Christ : le lis symbolise la chasteté et la virginité de
la Vierge, les pâquerettes son humilité... Tout ici prend
sens. Chaque détail compte.
(Françoise Bayle, Louvre : Guide de Visite, Art Lys, 2001, pp.54-55.)

≪訳文≫
<北方絵画 フランドルのルネサンス前派>
ヤン・ファン・エイク「宰相ロランの聖母」
(1434年頃、油絵・板、66×62cm)

今まさに天使によって冠を載せられようとしている聖母マリアが、神の子イエスを抱いた姿で、ブルゴーニュ公フィリップ(善良王)の宰相であるニコラ・ロランの前に幻のように現れている。
公爵の宮廷画家だったファン・エイクは絵画にリアリズムを持ちこみ、すべてをあるがままに生き生きと描いた。(中略)
しかし、このリアリズムに惑わされてはいけない。なぜなら注意深く描かれた現実性豊かなこの絵画にも、精神的な意義が示されているからである。例えば、窓外の小さな庭に描かれている花々は聖母マリアやキリストを暗示している。ユリの花は聖母マリアの貞節と処女性を象徴し、ヒナギクは謙譲を表すなど、ここではすべてのものに意味があり、細かい部分のそれぞれが計算しつくされている。
(フランソワーズ・ベイル((株)エクシム・インターナショナル翻訳)『ルーヴル見学ガイド』Art Lys、2001年、54頁~55頁)

【語句】
La Vierge à l’Enfant [絵画]聖母子像
à   →à +定冠詞+名詞 ~のある、~を持った(with)
 <例文>jeune fille aux yeux bleus 青い目の娘(girl with blue eyes)
un ange [男性名詞]天使(angel)
s’apprête à <代名動詞s’apprêter à+不定法 ~する準備をする(prepare to do)の
直説法現在
couronner  王冠を戴かせる(crown)
apparaît <apparaître現れる、姿を現す(appear)の直説法現在
une vision [女性名詞]視覚、心像、幻想(vision)
chancelier [男性名詞]総裁、首相(chancellor)
duc     [男性名詞]公爵(duke)
le Bon →bon [形容詞]善良な(good)
Le réalisme [男性名詞]写実主義、リアリズム(realism)
méticuleux [形容詞]細心な、念入りな(meticulous)
peintre [男性名詞]画家(painter)
officiel [形容詞]公認の、公式の(official)
rend <rendre返す、与える(render)
rendre+属詞~にする(make)の直説法現在
présent [形容詞]存在している、今なおあり続ける(present)
vivant [形容詞]生きている、生き生きした(alive, vivid)
Mais   [接続詞]しかし(but)
ne doit pas  <devoir+不定法 ~しなければならない、~すべきだ(must)の否定形
tromper だます(deceive)
Car   [接続詞]というのは、なぜなら(for, because)
réalité [女性名詞]現実(性)(reality)
matériel(le) [形容詞]物質的な、実際的な(material)
peintes <peindre描く(paint)の過去分詞
tant de 非常にたくさんの、それほど多くの(so much, so many)
soin   [男性名詞]細心さ、注意(care)
illustrent <illustrer(実例で)明快に説明する(illustrate, make clear)の直説法現在
la signification  [女性名詞]意味、意義(signification, meaning)
spirituel(le)  [形容詞]精神的な、霊的な(spiritual)
tableau   [男性名詞]絵画(painting, pecture)
Par exemple  例えば(for example)
représentées <représenter表す、描写する(represent)の過去分詞
jardin    [男性名詞]庭(garden)
clos (←cloreの過去分詞)[形容詞]閉じた(closed)、囲まれた(enclosed)
 (cf.)jardin clos de haies垣根で囲った庭
sont  <êtreである(be)の直説法現在
autant de+名詞 同じくらいの、同じ数の(as many[much])
allusion [女性名詞]暗示、ほのめかし(allusion)
le lis [男性名詞]ユリ(lily)
symbolise <symboliser象徴する(symbolize)の直説法現在
la chasteté [女性名詞]貞節(chastity)
la virginité  [女性名詞]処女性(virginity)
pâquerette  [女性名詞]ヒナギク、デージー(daisy)
humilité   [女性名詞]謙遜(humility)
prend <prendre取る(take)の直説法現在
sens  [男性名詞]感覚(sense)、意味(meaning)
 (cf.)mot pris dans un sens extensif 広い意味で用いられる語
   prendre un mot au sens large 言葉を広義にとる
compte <compter数える、計算する(count)の直説法現在
 
【Valérie Mettais, Votre visite du Louvre, Art Lysはこちらから】


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『アヴィニョンのピエタ』のフランス語の解説文を読む


フランソワーズ・ベイル氏は、『アヴィニョンのピエタ』について、次のように解説している。
PEINTURE FRANÇAISE
Enguerrand Quarton, Pietà de Villeneuve-lès-Anvignon,
vers 1455, détrempe sur bois, 163×218㎝

La Pietà, où la Vierge Marie tient son Fils mort sur ses genoux, devient un thème
de prédilection pour les artistes de la fin du Moyen Âge. Une inscription court
sur le bord du tableau : « Ô vous tous qui passez par ce chemin, regardez et voyez
s’il est douleur pareille à la mienne », phrase tirée des Lamentations de Jérémie
(1, 12) et mise probablement ici dans la bouche de la Vierge.

(Françoise Bayle, Louvre : Guide de Visite, Art Lys, 2001, pp.30-31.)

≪訳文≫
フランス絵画
アンゲラン・カルトン「アビニョンのピエタ」:1455年頃、テンペラ・板、163×218㎝

聖母マリアが膝の上に死せる神の子をのせたピエタの図は中世末期の芸術家たちが好んだテーマである。
作品の端に見える「この道を通る汝らすべてよ。われをさいなむ苦しみと同じ苦しみがあることをその眼で見て、悟るがよい」という言葉は、旧約聖書の一節「エレミアの哀歌」(1, 12)」からとられたものであるが、ここでは、聖母マリアの口から出た言葉として描かれていると思われる。
(フランソワーズ・ベイル((株)エクシム・インターナショナル翻訳)『ルーヴル見学ガイド』Art Lys、2001年、30頁~31頁)

【コメント】
アンゲラン・カルトンの『アヴィニョンのピエタ』の解説で中野氏も画面を縁どる文言は、『預言者エレミヤの哀歌』1章12節からのものであることを指摘していた。
つまり、金地バックの上縁部には、『預言者エレミヤの哀歌』1章12節が記されている。
「これまでの憂苦が世にあろうか」という言葉で、まさに聖母が感じたそのままを指すと、中野氏は解説していた。
(中野、2016年[2017年版]、165頁~166頁)

【語句】
détrempe [女性名詞]<美術>テンペラ画(tempera)
La Pietà [女性名詞]ピエタ(Pietà=Vierge de pitié) pitié[女性名詞]哀れみ(pity)
tient <tenir持つ、抱く(hold)の直説法現在
son Fils  [男性名詞]息子(son)<カトリック>Fils神の子、御子(Son)
mort  <mourir死ぬ(die)の過去分詞
genou(複数~x) [男性名詞]ひざ(knee)
devient <devenir~になる(become)の直説法現在
un thème [男性名詞]主題、テーマ(theme)
prédilection [女性名詞]偏愛、ひいき de prédilectionとくに好きな(favo[u]rite) 
Moyen Âge [男性名詞]ヨーロッパ中世(Middle Ages)
Une inscription [女性名詞]記入、銘(inscription)
court <courir走る、流れる、流れるように動く(run)の直説法現在
 (cf.) répondre en courant à une lettre 急いで手紙の返事を書く
faire courir sa plume sur le papier 筆の赴くままに書く
le bord [男性名詞]ふち、端(edge)
tableau [男性名詞]絵画(painting)
Ô [間投詞](呼びかけ)おお(O!)
qui passez <passer通る(pass)の直説法現在
ce chemin [男性名詞]道(path, way)
regardez <regarder見る(look, watch)の命令法
voyez <voir見る、考えてみる、分かる(see)の命令法
 (cf.) Je vois.よく分かります。分かった(I see.)
s’il est <êtreである(be)の直説法現在
douleur [女性名詞]痛み(pain)、苦しみ(grief, distress)
pareil(le) à [形容詞]同じような(like)、~によく似た(similar to)
la mienne [代名詞](所有代名詞)私のそれ(mine)
tirée  <tirer引く、引き出す、抜き出す(pull, draw)の過去分詞
Lamentation [女性名詞]悲嘆(lament[ation]) [複数]哀歌(lamentations)
Jérémie [男性名詞]<聖書>エレミヤ(ヘブライの悲観的預言者)(Jeremiah)
mise  <mettre置く(put)の過去分詞
probablement  [副詞]たぶん(probably)
la bouche [女性名詞]口(mouth)

【Valérie Mettais, Votre visite du Louvre, Art Lysはこちらから】

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