ブログ原稿≪小暮満寿雄『堪能ルーヴル』を読んで 【読後の感想とコメント】その10≫
(2020年7月29日投稿)
【小暮満寿雄『堪能ルーヴル 半日で観るヨーロッパ絵画のエッセンス』はこちらから】
小暮満寿雄『堪能ルーヴル―半日で観るヨーロッパ絵画のエッセンス』
今回のブログでは、フランス象徴主義の画家ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826~1898)を取り上げてみる。
まず最初に、観光地としてのギュスターヴ・モロー美術館について、『地球の歩き方 パリ』(ダイヤモンド社、1996年)をもとに紹介しておく。
続いて、モローの代表作品である『出現』について、見比べてみる。
〇モロー『出現』(1876年、ギュスターヴ・モロー美術館、油彩)
〇モロー『出現』(1876年、ルーヴル美術館、水彩)
その際に、星野知子さんの『パリと七つの美術館』(集英社新書、2002年)の紀行文を参照した。
モローの『出現』をはじめとするサロメ作品と、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の関係などについて、考えてみた。山川鴻三氏の『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]は大いに参考となった。
合わせて、オスカー・ワイルドの戯曲のサロメの踊りの場面をフランス語で読んでみることにする。
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
ちなみに、地球の歩き方編集室編『地球の歩き方 パリ』(ダイヤモンド社、1996年)において、ギュスターヴ・モロー美術館 Musée Gustave Moreauがどのように述べられているか、参考までに紹介しておこう。
ギュスターヴ・モロー美術館は、ピガールからそう遠くない、ラ・ロッシュフーコー街 rue de la Rochefoucaultに佇む美術館である。
ここは、もともとモロー自身が青年時代から晩年まで住んだ家で、没後、彼の遺言によって、膨大なコレクションとともに国家に寄贈された。モローは遺言状のなかで、この家にある「すべて」がそのまま保存されることを条件にしている。というわけで、美術館に入ると、モローが生きた時代の匂いに包まれるような気がする。
美術館の主要な部分をなしているのは、モローが晩年に建て増したアトリエの2階部分である。20×11mの広々とした部屋には、大画面の作品が展示されている。次の作品は見ものである。
〇『神秘の花 Fleur Mystique(1890)』
殉教者の血に染まる百合を玉座にした聖母を描いたもの
そして、大広間から螺旋階段を登って3階へ行く。
そこには、次の作品が掛かっている。
〇『ソドムの天使 Les anges de Sodome(1885)』
〇『ヘデロ王の前で踊るサロメ Salomé dansant devant Hérode(1876)』
3階には、広間と扉でつながった部屋が2つあるが、次のものは必見作品である。
〇『踊るサロメ Salomé dansant(1876)』
〇『一角獣 Les Licornes(1885)』~極めて装飾性の高い作品
モローは、神話や聖書の物語に題材を求め、独自の幻想的な空間を作りあげた。
モローは言っている。
「私は自分がさわるもの、見るものも、信じない。自分には見えないもの、自分が感じるものしか信じない」。
時代が写実主義から印象主義へと移り変わっていくなかで、モローの視点は地上にとどまらなかった。そして今も、私たちに天上の夢を見させてくれる。
<モローとその弟子>
モローは、1891年、官立美術学校の教授となり、多くの弟子を育てた。モローは優れた教師だったといわれる。
モローは、自ら画壇に背を向け、官展にも出展していなかったこともあり、学生たちに特定の規範を押しつけたりはしなかった。学生たちの個性を見極め、それを自由に伸ばしてやくことが務めだと思っていた。当時としては、革命的といってもいいほど新しい指導法である。
こうして、モローの教室からは、20世紀初頭、フォーヴィスムとして絵画の世界に一代革新をもたらした人たちが出る。マティス、マルケ、マンギャン、カモワンである。
ピカソとともに、20世紀の美術界を大きくリードしたマティスは、モローについて、こう語っている。
「モローの教えは、私たちを心の底から動かしたものです。彼と一緒にいると、自分の性質に最もよくあった作品を発見することができました」。
(地球の歩き方編集室編『地球の歩き方 パリ』ダイヤモンド社、1996年、200頁~201頁)
【『地球の歩き方 パリ』はこちらから】
地球の歩き方 Plat01 パリ (地球の歩き方Plat)
星野知子氏も、『パリと七つの美術館』(集英社新書、2002年)において、ギュスターヴ・モロー美術館について述べている。
ギュスターヴ・モロー美術館は、オペラ座の北にある。オペラ座からそう離れていない小さな館である。坂道に建つ一軒の家で、看板も立たず、入り口も全く普通の家のようで、ふっと通り過ぎてしまいそうになる。
象徴主義の画家モローが、1852年から亡くなるまでの46年間暮らした家だったそうだ。この家が美術館になったのは、1903年のことで、モローの死後5年経ってからである。モローは、生前から自分のすべての作品のための美術館をつくることを計画し、準備していた。亡くなる3年前には、美術館に向けて、この家を改装して、大作を展示する場所も指定していたという。
モローが自分の制作したものをすべて残そうと思ったのは、36歳のときだったようだ。まだ、無名でほとんど作品が世に出ていない時である。
モローは自分の描いたものはできるだけ手元にとどめておいた。素描も下絵も、それに未完成の作品もとっておいた。売り渡した作品は写真に撮って保管した。
このギュスターヴ・モロー美術館は、モローの思い入れがたっぷり入った特別の美術館である。
(星野知子『パリと七つの美術館』集英社新書、2002年、172頁~176頁)
【星野知子『パリと七つの美術館』はこちらから】
パリと七つの美術館 (集英社新書)
一度見たら絶対忘れない、という絵がある。モローの『出現』(1876年頃)もそのひとつであると星野知子さんは記す。
ギュスターヴ・モロー美術館とルーヴル美術館に1枚ずつある。前者は油彩、後者は水彩である。
〇モロー『出現』(1876年頃、ギュスターヴ・モロー美術館、油彩)
〇モロー『出現』(1876年頃、ルーヴル美術館、水彩)
モローの『出現』は、裸同然の少女が指さす先に、生首が宙に浮いている。なんともおぞましい絵である。少女の名はサロメ。生首は洗礼者聖ヨハネ。この絵の題材は新約聖書であり、次のような物語がある。
聖ヨハネは、ヘロデ王と王妃ヘロデアの結婚をとがめたため、牢獄に繋がれる。ヘロデアはヘロデ王の兄弟の妻だったからである。
ヘロデアはヨハネを殺そうとたくらむが、うまくいかない。
ヘロデ王の誕生日、宴会の席で、王はヘロデアの連れ子であるサロメに舞を見せてくれと頼む。王は「踊ってくれたら何でも望むものをあげよう」と言う。すると、踊り終えたサロメはヘロデアにそそのかされて、「ヨハネの首を。盆に乗せて」と言う。約束した王は仕方なくヨハネの首をはねることになる。
ヨハネ斬首の話は、昔から画家たちが描いてきた題材である。クラーナハ、ボッティチェリ、カラヴァッジョが描いている。
サロメも描かれているが、その多くはヨハネの生首を乗せた盆を平然と持つ美しいサロメである。グロテスクな首と美女の取り合わせは、画家の創作意欲を刺激したのかもしれない。
誰が描いても気味の悪い題材だが、モローはそれまでにない斬新な構図で、新しいサロメ像を生みだした。
モローの『出現』は、ヨハネの首が斬られたあとではなくて、サロメが踊っているときに一瞬サロメに見えた幻覚の首を描いている。まだサロメさえ知らないヨハネの首が出現し、サロメを驚かす。
同じ構図の『出現』でも、モロー美術館にある方は、油彩で未完成である。一方、ルーヴル美術館の方は、水彩の作品で、細かいところまで描かれている。こちらの水彩画は、1876年にサロンに出品された。評価は二分されたが、モローの名を高めた1枚である。
緻密に装飾されたイスラム風の宮殿で、サロメは宝石でできた衣装を身にまとっている。油彩ではほとんど見えない王と王妃は、画面の左端に座っている。画面右には処刑人がいる。そして中央奥に楽器を奏でる女性がいるが、油彩では消えている。
この2枚の印象はかなり違う。完成度の差もそうだが、サロメとヨハネの表情も違うと星野さんは指摘している。
水彩では、突然現れた生首にサロメは動揺しているが、油絵のサロメはヨハネの視線を跳ね返すように睨んでいる。
ヨハネの表情も微妙に異なっていて、油絵では見返すサロメにぎょっとしているようにも見えるという。
両方の絵を比べると、サロメとヨハネの間により緊張感が走っているのは油絵のほうだとみている。油絵は、ふたり以外の部分が描き込まれていないこともあり、両者の対決を際だたせている。
また、足に注目しても、違いがある。水彩は右足を前に出して、重心は左足で体は少し退いている。油絵は前に出した左足に重心をかけて、腰を張って対決の姿勢になっているとする。そして、右手には神聖のしるしの百合の花を掲げている。
このように見てくると、モローはふたりのサロメを描き、サロンには、ヨハネにおびえるサロメのほうを出品したことになる。この水彩の『出現』は確かによくできており、細かく彩色し、落ち着いた色調は品格が漂っている。それに、サロメは油彩の少女よりずっと女っぽくて憂いがあると評している。
ただ、ここで星野さんは推測している。モローは保守的なサロン向けに水彩を描いたのではないかと。油彩のほうは、聖人に超然と挑むサロメ、それもサロメが優位にさえ見えるので、サロンで顰蹙を買うことを配慮したと想像している。
もしそうだとすれば、手元に残してあった油彩がモローの描きたかったサロメであり、聖人ヨハネと対等に渡り合う少女こそ、モローの思い描くサロメだったのかもしれないという。面白い推測である。
モローの『出現』はサロンでも話題だったが、絵画界を飛び出し、国境を越えて影響を与えていく。
『出現』に感動した作家ユイスマンス(Huysmans, 1848~1907)が『さかしま』(À rebours, 1884年)の中で褒め称え、そこからオスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854~1900)が戯曲『サロメ』(Salomé, 1893年)を書いた。世紀末に向かって、ファム・ファタル(宿命の女)が脚光を浴びるようになる。ファム・ファタルとは美しく謎めいた魅力で男を虜にし、男の身を滅ぼしてしまう魔性の女である。19世紀末に流行した女性像で、モローがその火付け役だったともいえる。
(星野知子『パリと七つの美術館』集英社新書、2002年、186頁~192頁)
【星野知子『パリと七つの美術館』はこちらから】
パリと七つの美術館 (集英社新書)
ワイルドの『サロメ』は、1891年12月頃、パリにおいてフランス語で書かれ、1893年2月からパリとロンドンで発売された。
今日われわれの知っている英文のサロメは、ワイルドの友人アルフレッド・ダグラスが本人の許可を得て英訳し、世紀末画壇の鬼才オーブリー・ビアズリーが挿絵を描いて、1894年2月に出版されたものである。
(山川鴻三『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]、111頁)
ワイルドは、自分の創作において、一番大きな影響を受けた人として、キーツ、ペイター、フローベールの3人を挙げているそうだ。
これらの文人たちはワイルドのデカダンス的唯美主義の先達となった、3人の唯美主義者であった。
イギリスの唯美主義は、思想の生活より感覚の生活を欲した。感覚美の詩人キーツに端を発し、芸術のための芸術の説を唱えたペイターによって完成される。
一方、フランスにおいても、フローベールは、芸術においては美にそれ以外のものを混ぜてはいけない、芸術の目的は他の何よりも美である、と説いた。
ペイターの芸術のための芸術の説は、キーツ以来のイギリスの伝統に、このフランスからの影響を加えてでき上がったものとされる。
ところで、ワイルドが最も直接にこの唯美主義の洗礼を受けたのは、ワイルドのオックスフォード時代からの師ペイターの手によってであった。そして、ワイルドに『サロメ』を書く直接の動機を与えたのは、フローベールの『三つの物語』の「ヘロディアス」であったが、この本をワイルドに貸し与えたのも、実にペイターであったという。
山川氏は、ペイター、キーツ、フローベールの3人がワイルドの『サロメ』に、どのような影響を与えたのかについて述べている。
主人公サロメを中心に、とくに、クライマックスのヨナカーンの首に接吻するサロメを中心に、この問題について考えている。
美の欲求は死の意識によって強められると説くペイターの唯美主義は、死の観念と密接に結びつく。
このことは、ペイターの名著『ルネサンス』(1873年)における美術批評を例にとってみても明らかである。ペイターが『モナ・リザ』を評して、「吸血鬼のように、彼女は幾度も死んで、墓の秘密を知っていた」といった言葉は、有名である。
また、アンジェリコの『聖母戴冠』(1440~41年、フィレンツェ、サン・マルコ修道院)の聖母も、「半ば屍衣」のような白衣をまとい、浄化された姿で「死体のように」キリストの捧げる真珠の冠を受けとるため前に身をかがめている、と評される。
(聖母の姿に死体のイメージを読みとろうとするペイターの態度には、今日の言葉でいう死体愛好症の兆候が認められるようだ)
ペイターの小説には、主人公の死その他死を扱うものが多いという。
しかし、ワイルドのクライマックスのサロメに直接につながる、死顔に接吻する女のイメージは、キーツの詩『イザベラ』(1818年)にまでさかのぼると山川氏は主張している。
イザベラの悲恋は次のようなものである。
イザベラの豪商の娘イザベラは、自分の家の下僕ロレンツォと恋に陥る。しかし、やがてふたりの秘密は、彼女の兄弟に嗅ぎつけられる。兄弟はイザベラの良縁を望んで、ロレンツォを亡き者にする。すると、イザベラの枕頭にロレンツォの亡霊が現われ、自らが埋められた場所を教える。イザベラはその場所へ出かけて、恋人の死体を掘り出し、口づけするというストーリーである。
このキーツの詩の物語をワイルドの劇のそれと比較すると、ワイルドの場合は片思いのサロメが自分の意志でヨカナーンを殺させるのに対し、キーツの場合、イザベラと相思のロレンツォが他の人によってひそかに殺されるなど、異なる。しかし、ひとりの女が死んだ恋人の首に接吻するなどのパターンは、ワイルドの劇の最後のクライマックスの物語のパターンを、垣間見させてくれる。
もうひとり、フローベールはどうか。
フローベールには、『三つの物語』(1877年)の中のひとつ「ヘロディアス」という作品がある。この「ヘロディアス」は、その前年1876年のサロンに出品されたモローのふたつのサロメ、『ヘロデの前で踊るサロメ』(ハマー・コレクション)と『出現』(モロー美術館)から、直接触発されて書かれたものだとされる。
ここでは、フローベールは、モローのような幻想的なサロメではなく、もっと史実に忠実に、サロメよりヘロディアスを主人公として選んだ。すなわち、聖書にあるとおり、傲慢なヘロディアスを主人公とし、サロメを単にヘロディアスの手先として、母親の言いなりに名前もよくに憶えていないヨハネの首を要求する者として描いている。
ヘロディアスを作品の主人公とすることは、ハイネ、マラルメと続いた文学的伝統を受け継いでいる。ただ、先輩の詩人たちは、ヘロディアスをサロメと同義語として使っていたが、フローベールはもっと明白にヘロディアスとサロメを同一視し、ヘロディアス=サロメの関係を成立させていると山川氏は指摘している。
また、この短篇には、ヘロディアスとサロメ、それにヘロド・アンティパ(ヘロデ)やその他にも多数の人物が登場するが、それらの人物の中で、とくに力強く描かれているのは、洗礼者ヨハネだという。ヨハネは、ヘブライ語のヨカナーンのフランス語形ヨカナンの名で呼ばれている。
その洗礼者ヨハネは、ヘロデが兄弟の妻を娶ったことを声高く非難する。そして、ヘロディアスに向かって形相すさまじく、怒号する。例えば、「バビロンの女(をなご)よ、くだりて塵のなかにすわれ!(中略)神は汝の罪の臭穢(あしきにほひ)を憎みたまえ!」と。
ヨハネがヨカナンと呼ばれ、彼が閉じ込められた用水溜から怒号するという趣向ばかりでなく、彼が神の子の到来を告げる言葉や、ヘロディアスをバビロンの女とののしり彼女を石で打てという言葉に至るまで、ワイルドの『サロメ』のヨカナーン(このほうがヘブライ語に近いという)に受け継がれることになるそうだ。
フローベールの物語は3章から成り、3章はそれぞれ、1日の午前、午後、夜の出来事を叙述している。一方、ワイルドの『サロメ』は、フローベールの第3章にあたる夜の饗宴の場の中に、フローベールの1日にわたる物語の多くの場面や人物像を集約している。
フローベールの「ヘロディアス」は、聖書やヨセフスの『ユダヤ古代史』にのっとって書かれた、リアリスティックな物語であるが、その中で、史実から離れてひときわ鮮やかな、はなれ業を見せるのは、サロメの踊りを描写する場面であるといわれる。一方、ワイルドの『サロメ』は、フローベールの史実に即した物語をもっと空想的で猟奇的な一篇の悲劇に変貌させた作品であると山川氏は理解している。
(山川鴻三『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]、90頁~94頁、117頁~119頁)
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サロメ―永遠の妖女 (新潮選書)
それでは、Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Book, 2018により、ワイルドの『サロメ』の踊りの場面をフランス語で読んでみよう。
Salomé danse la danse des sept voiles.
HERODE Ah! c’est magnifique,
c’est magnifique! Vous voyez
qu’elle a dansé pour moi, votre
fille. Approchez, Salomé!
Approchez, afin que je puisse
vous donner votre salaire. Ah! je
paie bien les danseuses, moi. Toi,
je te paierai bien. Je te donnerai
tout ce que tu voudras. Que veux-
tu, dis?
SALOME s’agenouillant. Je veux
qu’on m’apporte présentement
dans un bassin d’argent...
HERODE riant. Dans un bassin
d’argent ? mais oui, dans un bassin
d’argent, certainement. Elle est
charmante, n’est-ce pas ? Qu’est-ce
que vous voulez qu’on vous
apporte dans un bassin d’argent,
ma chère et bell Salomé, vous
qui êtes la plus belle de toutes les
filles de Judée ? Qu’est-ce que
vous voulez qu’on vous apporte
dans un bassin d’argent ? Dites-
moi. Quoi que cela puisse être on
vous le donnera. Mes trésors vous
appartiennent. Qu’est-ce que c’est,
Salomé.
SALOME se levant. La tête
d’Iokanaan.
(Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Book, (Independently published), 2018, pp.60-61.)
≪訳文≫
サロメ、七つのヴェイルの踊りを踊る。
エロド:あゝ! 見事だつた、見事だつたな! 見ろ、踊つてくれたぞ、お前の娘は。来い、サロメ! こゝへ、褒美をつかはす、あゝ! おれは舞姫にはいくらでも礼を出すのだ、おれといふ男はな。ことにお前には、じふぶん礼がしたい。なんなりとお前の望むものをつかはさう。なにがほしいな? 言へ。
サロメ:(跪いて)私のほしいものとは、なにとぞお命じくださいますやう、今すぐこゝへ、銀の大皿にのせて......
エロド:(笑つて)銀の大皿にのせて? いゝとも、銀の皿にな、わけもないこと。かはいゝことを言ふ、さうではないか? それはなんだな、銀の皿にのせてくれとお前が言ふのは、おゝ、おれの美しいサロメ、ユダヤのどの娘よりも美しいお前がほしいと言ふのは、一体なんなのだ? 銀の皿にのせて、なにをお前はほしいといふのだ? 言へ。なんでもいゝ、きつとそれを取らせる。おれの宝はことごとくお前のものだぞ。それは一体なんなのだ、サロメ?
サロメ:(立ちあがり)ヨカナーンの首を。
(オスカー・ワイルド(福田恆存訳)『サロメ』岩波文庫、1959年[2009年版]、72頁~74頁)
【オスカー・ワイルド『サロメ』岩波文庫はこちらから】
サロメ (岩波文庫)
【語句】
Salomé danse <danser踊る(dance)の直説法現在
voile [男性名詞]ベール、紗(veil)
c’est <êtreである(be)の直説法現在
magnifique [形容詞]みごとな、すばらしい(magnificent)
Vous voyez <voir見る(see)の直説法現在
qu’elle a dansé <助動詞avoirの直説法現在+過去分詞(danser) 直説法複合過去
fille [女性名詞]娘(daughter)
Approchez <approcher近づく(approach)の命令法
afin que+接続法 ~するために(in order that)
je puisse vous donner <pouvoir+不定法 ~することができる(can)の接続法現在
donner 与える(give)
salaire [男性名詞]俸給(salary)
je paie <payer支払う(pay)の直説法現在
danseur(se) [男性名詞、女性名詞]ダンサー、踊り子(dancer)
je te paierai <payer支払う(pay)の直説法単純未来
Je te donnerai <donner与える(give)の直説法単純未来
tout ce que tu voudras <vouloir望む(want)の直説法単純未来
Que veux-tu <vouloir望む(want)の直説法現在
dis <dire言う(say)の命令法
s’agenouillant <代名動詞s’agenouillerひざまずく(kneel down)の分詞法現在
Je veux <vouloir望む(want)の直説法現在
qu’on m’apporte <apporter持ってくる(bring)の直説法現在
présentement (←présent)[副詞](古風)現在、目下のところ、今[仏=actuellement, maintenant](英at present, presently)
un bassin [男性名詞]池(pond)、大皿、鉢、たらい(basin)
argent [男性名詞]銀(silver)
riant <rire笑う(laugh)の分詞法現在
certainement. [副詞]きっと、もちろん(certainly)
Elle est <既出
charmant(e) [形容詞]魅力的な、かわいい(charming)
n’est-ce pas ? <êtreである(be)の付加疑問形
Qu’est-ce que [代名詞](疑問代名詞、 queの強調形)何を(what)
vous voulez <vouloir望む(want)の直説法現在
qu’on vous apporte <apporter持ってくる(bring)の直説法現在
cher(ère) [形容詞]いとしい(dear)
vous qui êtes la plus belle <êtreである(be)の直説法現在
Judée [女性名詞]ユダヤ(パレスチナ南部の古代ローマ領)(Judea)
Qu’est-ce que vous voulez <既出
qu’on vous apporte <既出
Dites-moi <dire言う(say)の命令法
Quoi [代名詞](関係代名詞)→quoi que+接続法 たとえ~であれ(whatever)
que cela puisse être <pouvoirできる(can)の接続法現在
on vous le donnera <donner与える(give)の直説法単純未来
trésor [男性名詞]宝物(treasure)
vous appartiennent<appartenir(àに)属する、所有物である(belong, pertain)の直説法現在
se levant <代名動詞se lever立ち上がる(rise, stand up)の分詞法現在
La tête [女性名詞]頭、首(head)
[Salomé dances the dance of the seven veils.]
HERODE Ah! wonderful!
wonderful! You see that she has
danced for me, your daughter.
Come near, Salome, come near,
that I may give thee thy fee. Ah! I
pay a royal price to those who
dance for my pleasure. I will pay
thee royally. I will give thee
whatsoever thy soul desireth.
What wouldst thou have? Speak.
SALOMÉ [Kneeling]. I would
that they presently bring me in a
silver charger…
HERODE [Laughing]. In a silver
charger? Surely yes, in a silver
charger. She is charming, is she
not? What is it thou wouldst have
in a silver charger, O sweet and
fair Salomé, thou art fairer than all
the daughters of Judaea? What
wouldst thou have them bring
thee in a silver charger? Tell me.
Whatsoever it may be, thou shalt
receive it. My treasures belong to
thee. What is it that thou wouldst
have, Salomé?
SALOME [Rising]. The head of
Jokanaan.
(Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Book, (Independently published), 2018, pp.60-61.)
【Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Bookはこちらから】
Salome: A Dual-Language Book (English - French)
ビアズリーは、世紀末の新しい芸術(アール・ヌーヴォー)の創始者のひとりである。
ビアズリーの『サロメ』の挿絵(1894年)は、ホイッスラーの「孔雀の間」の、豪華な孔雀のイメージに基礎を置いていると山川鴻三氏はみている。
ビアズリーが表紙(1894年版では未使用)のために孔雀の羽の模様の雄勁なスケッチを描いたことは、彼の挿絵のライトモチーフが孔雀のイメージであったことを物語っているという。
ビアズリーが描いたサロメは孔雀のイメージで描かれているが、その著しいものとして、「孔雀の裳裾」と「ヘロド(エロド)の眼」を山川氏は挙げている。
挿絵「孔雀の裳裾」では、孔雀の羽の模様を施した裳裾や、髪につけた孔雀の羽飾りが描かれている。この孔雀としてのサロメのイメージを補うのは、彼女の背後で尾を輪のように広げた孔雀である。
また、その形態の描く曲線は、流れる水を暗示しているといわれる。この流水や動植物の曲線を暗示する点で、この絵は、アール・ヌーヴォーを代表する名品のひとつである。
挿絵「ヘロドの眼」は恋いこがれるサロメに注がれるヘロデの眼を主題にした絵である。髪に孔雀の羽を飾ったサロメとその下に尾を広げた孔雀がいる点で、「孔雀の裳裾」と軌を一にしている。そして、さらに注目すべきは、画面左下の四つ目垣の薔薇の花と、左上の立木の前の蝶である。
この薔薇の花と蝶は、孔雀とともに、ビアズリーにとっては、美の象徴であった。この『サロメ』の挿絵においても、重要な役割を演じている。
ビアズリーの挿絵と、ワイルドのテキストを比べると、かなりの隔たりがあり、挿絵の独自性がみられると山川氏は指摘している。つまり、テキストの忠実な挿絵というより、それを口実にしてビアズリーが独自のやり方で描いたものといえるとする。
例えば、孔雀のイメージにしても、テキストには、ただヘロドがサロメに踊りの褒美として美しい白孔雀を与えようというくだりがあるだけである。
サロメを孔雀のイメージで描いたのは、ひとえにビアズリーの創意によるとみる。
こういうものの中には、浮世絵風な装いの女を描いた「黒いケープ」や「椅子のサロメ」(1894年版では未使用)、あるいはアスコット帽をかぶりモダンな服装をして、最新式の化粧棚の前で化粧をするサロメを描いた「サロメの化粧」など、テキストとは何の関係もない作例であるようだ。
その一方で、テキストと関係のある絵にしても、ビアズリーが独自に変貌させた例もあるという。例えば、ワイルドの7枚のヴェールの踊りを変貌させた「ストマック・ダンス(腹の踊り)」である。サロメが脱いだ2枚のヴェールを両腿で押さえ、左肩に最後のヴェールを掛けている点で、これは7枚のヴェールの踊りを暗示しているように見える。
しかし、山川氏によれば、これは、ラフォルグの「サロメ」に仰いだ、臍を出して踊るストマック・ダンスである。
ただ、ラフォルグと違うのは、演説するサロメでなく踊るサロメであり、竪琴を自分で弾くのではなく、リュートを楽人が弾くという点であるとする。
このビアズリーの挿絵はサロメを右上に、楽人を左下に置いた、大まかなバロック風対角線構図である。体をくの字にくねらせて踊るサロメは、はげしい動感を表わす。
一方、左下の楽人は、火災を戴くすさまじい形相をしており、日本の明王像を思わせる。この楽人は、孔雀の羽を後光のようにつけて踊るサロメの姿と、不思議な調和を示す。孔雀と明王の取り合わせも、日本にも「孔雀明王」なるものがあることを思うと、一見して思われるほど奇妙なものでもないと山川氏は付言している。
(山川鴻三『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]、124頁~127頁)
【山川鴻三『サロメ』新潮選書はこちらから】
サロメ―永遠の妖女 (新潮選書)
ラストシーンの「サロメの声」は、次のようにある。
サロメの声 あゝ! あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。お前の脣はにがい味がする。
(オスカー・ワイルド(福田恆存訳)『サロメ』岩波文庫、1959年[2009年版]、88頁)
【オスカー・ワイルド『サロメ』岩波文庫はこちらから】
サロメ (岩波文庫)
仏訳と英訳には次のようにある。
LA VOIX DE SALOME
Ah! j’ai baisé ta bouche, Iokanaan, j’ai
baisé ta bouche. Il y avait une âcre
saveur sur tes lèvres.
THE VOICE OF SALOMÉ
Ah! I have kissed thy mouth,
Jokanaan, I have kissed thy
mouth. There was a bitter taste on
my lips.
(Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Book, (Independently published), 2018, p.75.)
「お前の口に口づけしたよ」と、ビアズリーの挿絵「クライマックス」にも記してある。
J’AI BAISÉ TA BOUCHE, IOKANAAN
J’AI BAISÉ TA BOUCHE.
ビアズリーの『サロメ』の挿絵で、退廃的な悪魔主義をもっとも典型的に示すのは、サロメがヨカナーンの口に口づけする場面を描いた「クライマックス(最高潮)」であると山川鴻三氏はいう。
その挿絵で、サロメは跪いてヨカナーンの首を見つめている。サロメの髪の毛は、下の澱んだ黒い水の中から尾を現わす蛇の曲線を模するように曲がりくねる。その眼で見つめられたヨカナーンの首は石に化しているようにも見える。サロメは蛇の髪をしたメデューサのようだ。
ビアズリーの三種の神器のように、孔雀・薔薇・蝶を描き込んだが、孔雀の羽模様はここにもある。湧き返る雷雲のごとく、不気味にこのモチーフが使われている。
また、黒い澱んだ水からは、薔薇の花のかわりに百合の花が咲き出ている。
殉教者の血から生え出る、純潔の花としての百合の花のイメージは、モローの『神秘の花』(1890年頃、モロー美術館蔵)にも見られるようだ。
ただ、モローの絵では、その百合の花は聖母の玉座として役立つ。それに比べて、澱んだ黒い沼が生え出た、このビアズリーの挿絵の百合の花は、退廃の華、デカダンスの華であると山川鴻三氏は捉えている。
(山川鴻三『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]、129頁~130頁)
【山川鴻三『サロメ』新潮選書はこちらから】
サロメ―永遠の妖女 (新潮選書)
19世紀中ごろから、いわゆる世紀末の時代にかけて、切られた首を主要モチーフとした作品が意外と多いと高階秀爾氏はいう。
モローの『出現(L’Apparition)』(1876年 水彩 105×72㎝ ルーヴル美術館)は、その典型的な例である。
もちろん、サロメの物語は、中世以来、さまざまな形で表現されてきたし、その際、聖ヨハネの首が一緒に描かれることは珍しくない。しかし、血を滴らせた首が空中高く舞い上がるという発想は、おそらくモローの創意であるようだ。
モローはほかに、オルフェウスの首の絵も描いている。
詩人オルフェウスが殺されて、ばらばらにされて河に投げこまれたという古代の伝説に基づくものだが、この主題もモロー以前には見られないそうだ。だが世紀末には、ほかにも多くの画家が描いている。
それだけではない。マラルメの友人であったルニョーは、アルハンブラの宮殿で斬首刑に処せられた罪人の生々しい首を描いている。ルドンには、沼から生えている草に人間の首がぶら下がっている不気味な版画があるという。
文学の世界でも、そうである。山川鴻三氏も述べていたように、キーツの長編詩『イザベラ』は、死んだ恋人の首を切り取って、鉢のなかに隠す若い娘の話であった。
そして、スタンダールの『赤と黒』は、マチルドが恋人ジュリアンの首を盗み出して、自分の手で埋葬する場面で終わる。
(スタンダール(桑原武夫・生島遼一訳)『赤と黒(下)』岩波文庫、1958年[1997年版]、459頁参照のこと)
これらの点について、高階秀爾氏は次のように推察している。
19世紀に「切られた首」の主題がこれほどまでに頻繁に登場してくるのは、大革命以降、フランスをはじめヨーロッパ中にギロチンが広まったことと無関係ではないとする。幻想的な芸術も、現実の社会と意外と深く結びついているという。
さて、フランス象徴主義の画家モローは、作風と同じように、その生涯もまた神秘的な一つの謎として語られる。
写実主義や印象派の画家たちが、歴史画や物語絵を捨て、明るい野外に出て自然の光を画面にとらえようとしていた時代だった。ところがモローは、ひとり隠者のようにパリの私邸の画室に閉じこもり、ひたすら古代や中世の古典と伝説の世界から、まるで悪夢のような異様な画題を汲み上げていた。とりわけ、このサロメの連作の頃から、めったに人前に姿を見せなくなったようだ。作品の公開や複製も断るようになる。
生涯でモローが愛した唯一の女性は母親だった。モローが58歳の時に母親が亡くなるまで、身辺の一切を母親にまかせ、一生結婚しなかった。
(朝日新聞日曜版「世界名画の旅」取材班『世界名画の旅1 フランス編1』朝日新聞社、1989年、192頁~203頁)
【『世界名画の旅1 フランス編1』朝日新聞社はこちらから】
世界名画の旅〈1〉フランス編 1 (朝日文庫)
鈴木杜幾子『ナポレオン伝説の形成――フランス19世紀美術のもう一つの顔――』筑摩書房、1994年
鈴木杜幾子『画家ダヴィッド――革命の表現者から皇帝の首席画家へ――』晶文社、1991年
鈴木杜幾子『ナポレオン伝説の形成――フランス19世紀美術のもう一つの顔』筑摩書房、1994年
鈴木杜幾子『フランス絵画の「近代」―シャルダンからマネまで』講談社選書メチエ、1995年
安達正勝『ナポレオンを創った女たち』集英社、2001年
J・ジャンセン(瀧川好庸訳)『ナポレオンとジョゼフィーヌ』中公文庫、1987年
飯塚信雄『ロココの時代――官能の十八世紀』新潮選書、1986年
ジュヌヴィエーヴ・ブレスク(遠藤ゆかり訳)『ルーヴル美術館の歴史』創元社、2004年
フランソワーズ・ベイル((株)エクシム・インターナショナル翻訳)『ルーヴル見学ガイド』Art Lys、2001年
Françoise Bayle, Louvre : Guide de Visite, Art Lys, 2001.
高階秀爾監修『NHKルーブル美術館IV ルネサンスの波動』日本放送出版協会、1985年
高階秀爾監修『NHKルーブル美術館VI フランス芸術の華』日本放送出版協会、1986年
高階秀爾、ピエール・クォニアム監修『NHKルーブル美術館VII ロマン派の登場』日本放送出版協会、1986年
赤瀬川原平、熊瀬川紀『ルーヴル美術館の楽しみ方』新潮社、1991年[2000年版]
木村泰司『美女たちの西洋美術史』光文社新書、2010年
木村泰司『名画の言い分』筑摩書房、2011年
田中英道『美術にみえるヨーロッパ精神』弓立社、1993年
川又一英『名画に会う旅② オルセー美術館』世界文化社、1995年
アネッテ・ロビンソン(小池寿子・伊藤已令訳)『絵画の見方 ルーヴル美術館』福武書店、1991年
Nicole Savy, Musée d’Orsay : Guide de Poche, Réunion des musée nationaux, 1998.
Serge Lemoine, Voir Le musée d’Orsay, L’ŒIL, 2004.
木村尚三郎『パリ――世界の都市の物語』文春文庫、1998年
地球の歩き方編集室編『地球の歩き方 パリ』ダイヤモンド社、1996年
高階秀爾監修『NHKオルセー美術館3 都市「パリ」の自画像』日本放送出版協会、1990年
高階秀爾『近代絵画史(上)』中公新書、1975年[1998年版]
朝日新聞日曜版「世界名画の旅」取材班『世界名画の旅1 フランス編1』朝日新聞社、1989年
小島英煕氏『活字でみるオルセー美術館――近代美の回廊をゆく』丸善ライブラリー、2001年
星野知子『パリと七つの美術館』集英社新書、2002年
中川右介『教養のツボが線でつながる クラシック音楽と西洋美術』青春出版社、2008年
西岡文彦『二時間の印象派』河出書房新社、1996年
西岡文彦『二時間のゴッホ』河出書房新社、1995年
小林秀雄『ゴッホの手紙』新潮社、1952年[1970年版]
小林秀雄『近代絵画』新潮社、1958年
饗庭孝男『小林秀雄とその時代』小沢書店、1997年
伊集院静『美の旅人 フランス編Ⅰ』小学館文庫、2010年
アンヌ・ディステル(柴田都志子、田辺希久子訳)『ルノワール――生命の讃歌』創元社、1996年
饗庭孝男編『フランス文学史』白水社、1979年[1986年版]
オスカー・ワイルド(福田恆存訳)『サロメ』岩波文庫、1959年[2009年版]
山川鴻三『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]
Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Book, (Independently published), 2018.
スタンダール(桑原武夫・生島遼一訳)『赤と黒(下)』岩波文庫、1958年[1997年版]
ジャン=ピエール・ジュネ監督、オドレイ・トトゥ主演『アメリ』
(2001年に公開されたフランス映画、DVDは2001年発売)
Jean-Pierre Jeunet et Guillaume Laurant, Le fabuleux destin d’Amélie Poulain, Le Scénario,
Ernst Klett Sprachen, Stuttgart, 2003.
イポリト・ベルナール『アメリ AMÉLIE』株式会社リトル・モア、2001年[2002年版]
(2020年7月29日投稿)
【小暮満寿雄『堪能ルーヴル 半日で観るヨーロッパ絵画のエッセンス』はこちらから】
小暮満寿雄『堪能ルーヴル―半日で観るヨーロッパ絵画のエッセンス』
【はじめに】
今回のブログでは、フランス象徴主義の画家ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826~1898)を取り上げてみる。
まず最初に、観光地としてのギュスターヴ・モロー美術館について、『地球の歩き方 パリ』(ダイヤモンド社、1996年)をもとに紹介しておく。
続いて、モローの代表作品である『出現』について、見比べてみる。
〇モロー『出現』(1876年、ギュスターヴ・モロー美術館、油彩)
〇モロー『出現』(1876年、ルーヴル美術館、水彩)
その際に、星野知子さんの『パリと七つの美術館』(集英社新書、2002年)の紀行文を参照した。
モローの『出現』をはじめとするサロメ作品と、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の関係などについて、考えてみた。山川鴻三氏の『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]は大いに参考となった。
合わせて、オスカー・ワイルドの戯曲のサロメの踊りの場面をフランス語で読んでみることにする。
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・観光地としてのギュスターヴ・モロー美術館
・モローとギュスターヴ・モロー美術館
・2枚のモローの『出現』
・ワイルドの『サロメ』
・ワイルドの『サロメ』に影響を与えた文人たち
・サロメの踊りをフランス語で読む
・ビアズリーの挿絵――孔雀・薔薇・蝶
・『サロメ』のラストシーンとビアズリーの挿絵
・【補足】モローの『出現』と切られた首
【読後の感想とコメント】
観光地としてのギュスターヴ・モロー美術館
ちなみに、地球の歩き方編集室編『地球の歩き方 パリ』(ダイヤモンド社、1996年)において、ギュスターヴ・モロー美術館 Musée Gustave Moreauがどのように述べられているか、参考までに紹介しておこう。
ギュスターヴ・モロー美術館は、ピガールからそう遠くない、ラ・ロッシュフーコー街 rue de la Rochefoucaultに佇む美術館である。
ここは、もともとモロー自身が青年時代から晩年まで住んだ家で、没後、彼の遺言によって、膨大なコレクションとともに国家に寄贈された。モローは遺言状のなかで、この家にある「すべて」がそのまま保存されることを条件にしている。というわけで、美術館に入ると、モローが生きた時代の匂いに包まれるような気がする。
美術館の主要な部分をなしているのは、モローが晩年に建て増したアトリエの2階部分である。20×11mの広々とした部屋には、大画面の作品が展示されている。次の作品は見ものである。
〇『神秘の花 Fleur Mystique(1890)』
殉教者の血に染まる百合を玉座にした聖母を描いたもの
そして、大広間から螺旋階段を登って3階へ行く。
そこには、次の作品が掛かっている。
〇『ソドムの天使 Les anges de Sodome(1885)』
〇『ヘデロ王の前で踊るサロメ Salomé dansant devant Hérode(1876)』
3階には、広間と扉でつながった部屋が2つあるが、次のものは必見作品である。
〇『踊るサロメ Salomé dansant(1876)』
〇『一角獣 Les Licornes(1885)』~極めて装飾性の高い作品
モローは、神話や聖書の物語に題材を求め、独自の幻想的な空間を作りあげた。
モローは言っている。
「私は自分がさわるもの、見るものも、信じない。自分には見えないもの、自分が感じるものしか信じない」。
時代が写実主義から印象主義へと移り変わっていくなかで、モローの視点は地上にとどまらなかった。そして今も、私たちに天上の夢を見させてくれる。
<モローとその弟子>
モローは、1891年、官立美術学校の教授となり、多くの弟子を育てた。モローは優れた教師だったといわれる。
モローは、自ら画壇に背を向け、官展にも出展していなかったこともあり、学生たちに特定の規範を押しつけたりはしなかった。学生たちの個性を見極め、それを自由に伸ばしてやくことが務めだと思っていた。当時としては、革命的といってもいいほど新しい指導法である。
こうして、モローの教室からは、20世紀初頭、フォーヴィスムとして絵画の世界に一代革新をもたらした人たちが出る。マティス、マルケ、マンギャン、カモワンである。
ピカソとともに、20世紀の美術界を大きくリードしたマティスは、モローについて、こう語っている。
「モローの教えは、私たちを心の底から動かしたものです。彼と一緒にいると、自分の性質に最もよくあった作品を発見することができました」。
(地球の歩き方編集室編『地球の歩き方 パリ』ダイヤモンド社、1996年、200頁~201頁)
【『地球の歩き方 パリ』はこちらから】
地球の歩き方 Plat01 パリ (地球の歩き方Plat)
モローとギュスターヴ・モロー美術館
星野知子氏も、『パリと七つの美術館』(集英社新書、2002年)において、ギュスターヴ・モロー美術館について述べている。
ギュスターヴ・モロー美術館は、オペラ座の北にある。オペラ座からそう離れていない小さな館である。坂道に建つ一軒の家で、看板も立たず、入り口も全く普通の家のようで、ふっと通り過ぎてしまいそうになる。
象徴主義の画家モローが、1852年から亡くなるまでの46年間暮らした家だったそうだ。この家が美術館になったのは、1903年のことで、モローの死後5年経ってからである。モローは、生前から自分のすべての作品のための美術館をつくることを計画し、準備していた。亡くなる3年前には、美術館に向けて、この家を改装して、大作を展示する場所も指定していたという。
モローが自分の制作したものをすべて残そうと思ったのは、36歳のときだったようだ。まだ、無名でほとんど作品が世に出ていない時である。
モローは自分の描いたものはできるだけ手元にとどめておいた。素描も下絵も、それに未完成の作品もとっておいた。売り渡した作品は写真に撮って保管した。
このギュスターヴ・モロー美術館は、モローの思い入れがたっぷり入った特別の美術館である。
(星野知子『パリと七つの美術館』集英社新書、2002年、172頁~176頁)
【星野知子『パリと七つの美術館』はこちらから】
パリと七つの美術館 (集英社新書)
2枚のモローの『出現』
一度見たら絶対忘れない、という絵がある。モローの『出現』(1876年頃)もそのひとつであると星野知子さんは記す。
ギュスターヴ・モロー美術館とルーヴル美術館に1枚ずつある。前者は油彩、後者は水彩である。
〇モロー『出現』(1876年頃、ギュスターヴ・モロー美術館、油彩)
〇モロー『出現』(1876年頃、ルーヴル美術館、水彩)
モローの『出現』は、裸同然の少女が指さす先に、生首が宙に浮いている。なんともおぞましい絵である。少女の名はサロメ。生首は洗礼者聖ヨハネ。この絵の題材は新約聖書であり、次のような物語がある。
聖ヨハネは、ヘロデ王と王妃ヘロデアの結婚をとがめたため、牢獄に繋がれる。ヘロデアはヘロデ王の兄弟の妻だったからである。
ヘロデアはヨハネを殺そうとたくらむが、うまくいかない。
ヘロデ王の誕生日、宴会の席で、王はヘロデアの連れ子であるサロメに舞を見せてくれと頼む。王は「踊ってくれたら何でも望むものをあげよう」と言う。すると、踊り終えたサロメはヘロデアにそそのかされて、「ヨハネの首を。盆に乗せて」と言う。約束した王は仕方なくヨハネの首をはねることになる。
ヨハネ斬首の話は、昔から画家たちが描いてきた題材である。クラーナハ、ボッティチェリ、カラヴァッジョが描いている。
サロメも描かれているが、その多くはヨハネの生首を乗せた盆を平然と持つ美しいサロメである。グロテスクな首と美女の取り合わせは、画家の創作意欲を刺激したのかもしれない。
誰が描いても気味の悪い題材だが、モローはそれまでにない斬新な構図で、新しいサロメ像を生みだした。
モローの『出現』は、ヨハネの首が斬られたあとではなくて、サロメが踊っているときに一瞬サロメに見えた幻覚の首を描いている。まだサロメさえ知らないヨハネの首が出現し、サロメを驚かす。
同じ構図の『出現』でも、モロー美術館にある方は、油彩で未完成である。一方、ルーヴル美術館の方は、水彩の作品で、細かいところまで描かれている。こちらの水彩画は、1876年にサロンに出品された。評価は二分されたが、モローの名を高めた1枚である。
緻密に装飾されたイスラム風の宮殿で、サロメは宝石でできた衣装を身にまとっている。油彩ではほとんど見えない王と王妃は、画面の左端に座っている。画面右には処刑人がいる。そして中央奥に楽器を奏でる女性がいるが、油彩では消えている。
この2枚の印象はかなり違う。完成度の差もそうだが、サロメとヨハネの表情も違うと星野さんは指摘している。
水彩では、突然現れた生首にサロメは動揺しているが、油絵のサロメはヨハネの視線を跳ね返すように睨んでいる。
ヨハネの表情も微妙に異なっていて、油絵では見返すサロメにぎょっとしているようにも見えるという。
両方の絵を比べると、サロメとヨハネの間により緊張感が走っているのは油絵のほうだとみている。油絵は、ふたり以外の部分が描き込まれていないこともあり、両者の対決を際だたせている。
また、足に注目しても、違いがある。水彩は右足を前に出して、重心は左足で体は少し退いている。油絵は前に出した左足に重心をかけて、腰を張って対決の姿勢になっているとする。そして、右手には神聖のしるしの百合の花を掲げている。
このように見てくると、モローはふたりのサロメを描き、サロンには、ヨハネにおびえるサロメのほうを出品したことになる。この水彩の『出現』は確かによくできており、細かく彩色し、落ち着いた色調は品格が漂っている。それに、サロメは油彩の少女よりずっと女っぽくて憂いがあると評している。
ただ、ここで星野さんは推測している。モローは保守的なサロン向けに水彩を描いたのではないかと。油彩のほうは、聖人に超然と挑むサロメ、それもサロメが優位にさえ見えるので、サロンで顰蹙を買うことを配慮したと想像している。
もしそうだとすれば、手元に残してあった油彩がモローの描きたかったサロメであり、聖人ヨハネと対等に渡り合う少女こそ、モローの思い描くサロメだったのかもしれないという。面白い推測である。
モローの『出現』はサロンでも話題だったが、絵画界を飛び出し、国境を越えて影響を与えていく。
『出現』に感動した作家ユイスマンス(Huysmans, 1848~1907)が『さかしま』(À rebours, 1884年)の中で褒め称え、そこからオスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854~1900)が戯曲『サロメ』(Salomé, 1893年)を書いた。世紀末に向かって、ファム・ファタル(宿命の女)が脚光を浴びるようになる。ファム・ファタルとは美しく謎めいた魅力で男を虜にし、男の身を滅ぼしてしまう魔性の女である。19世紀末に流行した女性像で、モローがその火付け役だったともいえる。
(星野知子『パリと七つの美術館』集英社新書、2002年、186頁~192頁)
【星野知子『パリと七つの美術館』はこちらから】
パリと七つの美術館 (集英社新書)
ワイルドの『サロメ』
ワイルドの『サロメ』は、1891年12月頃、パリにおいてフランス語で書かれ、1893年2月からパリとロンドンで発売された。
今日われわれの知っている英文のサロメは、ワイルドの友人アルフレッド・ダグラスが本人の許可を得て英訳し、世紀末画壇の鬼才オーブリー・ビアズリーが挿絵を描いて、1894年2月に出版されたものである。
(山川鴻三『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]、111頁)
ワイルドの『サロメ』に影響を与えた文人たち
ワイルドは、自分の創作において、一番大きな影響を受けた人として、キーツ、ペイター、フローベールの3人を挙げているそうだ。
これらの文人たちはワイルドのデカダンス的唯美主義の先達となった、3人の唯美主義者であった。
イギリスの唯美主義は、思想の生活より感覚の生活を欲した。感覚美の詩人キーツに端を発し、芸術のための芸術の説を唱えたペイターによって完成される。
一方、フランスにおいても、フローベールは、芸術においては美にそれ以外のものを混ぜてはいけない、芸術の目的は他の何よりも美である、と説いた。
ペイターの芸術のための芸術の説は、キーツ以来のイギリスの伝統に、このフランスからの影響を加えてでき上がったものとされる。
ところで、ワイルドが最も直接にこの唯美主義の洗礼を受けたのは、ワイルドのオックスフォード時代からの師ペイターの手によってであった。そして、ワイルドに『サロメ』を書く直接の動機を与えたのは、フローベールの『三つの物語』の「ヘロディアス」であったが、この本をワイルドに貸し与えたのも、実にペイターであったという。
山川氏は、ペイター、キーツ、フローベールの3人がワイルドの『サロメ』に、どのような影響を与えたのかについて述べている。
主人公サロメを中心に、とくに、クライマックスのヨナカーンの首に接吻するサロメを中心に、この問題について考えている。
美の欲求は死の意識によって強められると説くペイターの唯美主義は、死の観念と密接に結びつく。
このことは、ペイターの名著『ルネサンス』(1873年)における美術批評を例にとってみても明らかである。ペイターが『モナ・リザ』を評して、「吸血鬼のように、彼女は幾度も死んで、墓の秘密を知っていた」といった言葉は、有名である。
また、アンジェリコの『聖母戴冠』(1440~41年、フィレンツェ、サン・マルコ修道院)の聖母も、「半ば屍衣」のような白衣をまとい、浄化された姿で「死体のように」キリストの捧げる真珠の冠を受けとるため前に身をかがめている、と評される。
(聖母の姿に死体のイメージを読みとろうとするペイターの態度には、今日の言葉でいう死体愛好症の兆候が認められるようだ)
ペイターの小説には、主人公の死その他死を扱うものが多いという。
しかし、ワイルドのクライマックスのサロメに直接につながる、死顔に接吻する女のイメージは、キーツの詩『イザベラ』(1818年)にまでさかのぼると山川氏は主張している。
イザベラの悲恋は次のようなものである。
イザベラの豪商の娘イザベラは、自分の家の下僕ロレンツォと恋に陥る。しかし、やがてふたりの秘密は、彼女の兄弟に嗅ぎつけられる。兄弟はイザベラの良縁を望んで、ロレンツォを亡き者にする。すると、イザベラの枕頭にロレンツォの亡霊が現われ、自らが埋められた場所を教える。イザベラはその場所へ出かけて、恋人の死体を掘り出し、口づけするというストーリーである。
このキーツの詩の物語をワイルドの劇のそれと比較すると、ワイルドの場合は片思いのサロメが自分の意志でヨカナーンを殺させるのに対し、キーツの場合、イザベラと相思のロレンツォが他の人によってひそかに殺されるなど、異なる。しかし、ひとりの女が死んだ恋人の首に接吻するなどのパターンは、ワイルドの劇の最後のクライマックスの物語のパターンを、垣間見させてくれる。
もうひとり、フローベールはどうか。
フローベールには、『三つの物語』(1877年)の中のひとつ「ヘロディアス」という作品がある。この「ヘロディアス」は、その前年1876年のサロンに出品されたモローのふたつのサロメ、『ヘロデの前で踊るサロメ』(ハマー・コレクション)と『出現』(モロー美術館)から、直接触発されて書かれたものだとされる。
ここでは、フローベールは、モローのような幻想的なサロメではなく、もっと史実に忠実に、サロメよりヘロディアスを主人公として選んだ。すなわち、聖書にあるとおり、傲慢なヘロディアスを主人公とし、サロメを単にヘロディアスの手先として、母親の言いなりに名前もよくに憶えていないヨハネの首を要求する者として描いている。
ヘロディアスを作品の主人公とすることは、ハイネ、マラルメと続いた文学的伝統を受け継いでいる。ただ、先輩の詩人たちは、ヘロディアスをサロメと同義語として使っていたが、フローベールはもっと明白にヘロディアスとサロメを同一視し、ヘロディアス=サロメの関係を成立させていると山川氏は指摘している。
また、この短篇には、ヘロディアスとサロメ、それにヘロド・アンティパ(ヘロデ)やその他にも多数の人物が登場するが、それらの人物の中で、とくに力強く描かれているのは、洗礼者ヨハネだという。ヨハネは、ヘブライ語のヨカナーンのフランス語形ヨカナンの名で呼ばれている。
その洗礼者ヨハネは、ヘロデが兄弟の妻を娶ったことを声高く非難する。そして、ヘロディアスに向かって形相すさまじく、怒号する。例えば、「バビロンの女(をなご)よ、くだりて塵のなかにすわれ!(中略)神は汝の罪の臭穢(あしきにほひ)を憎みたまえ!」と。
ヨハネがヨカナンと呼ばれ、彼が閉じ込められた用水溜から怒号するという趣向ばかりでなく、彼が神の子の到来を告げる言葉や、ヘロディアスをバビロンの女とののしり彼女を石で打てという言葉に至るまで、ワイルドの『サロメ』のヨカナーン(このほうがヘブライ語に近いという)に受け継がれることになるそうだ。
フローベールの物語は3章から成り、3章はそれぞれ、1日の午前、午後、夜の出来事を叙述している。一方、ワイルドの『サロメ』は、フローベールの第3章にあたる夜の饗宴の場の中に、フローベールの1日にわたる物語の多くの場面や人物像を集約している。
フローベールの「ヘロディアス」は、聖書やヨセフスの『ユダヤ古代史』にのっとって書かれた、リアリスティックな物語であるが、その中で、史実から離れてひときわ鮮やかな、はなれ業を見せるのは、サロメの踊りを描写する場面であるといわれる。一方、ワイルドの『サロメ』は、フローベールの史実に即した物語をもっと空想的で猟奇的な一篇の悲劇に変貌させた作品であると山川氏は理解している。
(山川鴻三『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]、90頁~94頁、117頁~119頁)
【山川鴻三『サロメ』新潮選書はこちらから】
サロメ―永遠の妖女 (新潮選書)
サロメの踊りをフランス語で読む
それでは、Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Book, 2018により、ワイルドの『サロメ』の踊りの場面をフランス語で読んでみよう。
Salomé danse la danse des sept voiles.
HERODE Ah! c’est magnifique,
c’est magnifique! Vous voyez
qu’elle a dansé pour moi, votre
fille. Approchez, Salomé!
Approchez, afin que je puisse
vous donner votre salaire. Ah! je
paie bien les danseuses, moi. Toi,
je te paierai bien. Je te donnerai
tout ce que tu voudras. Que veux-
tu, dis?
SALOME s’agenouillant. Je veux
qu’on m’apporte présentement
dans un bassin d’argent...
HERODE riant. Dans un bassin
d’argent ? mais oui, dans un bassin
d’argent, certainement. Elle est
charmante, n’est-ce pas ? Qu’est-ce
que vous voulez qu’on vous
apporte dans un bassin d’argent,
ma chère et bell Salomé, vous
qui êtes la plus belle de toutes les
filles de Judée ? Qu’est-ce que
vous voulez qu’on vous apporte
dans un bassin d’argent ? Dites-
moi. Quoi que cela puisse être on
vous le donnera. Mes trésors vous
appartiennent. Qu’est-ce que c’est,
Salomé.
SALOME se levant. La tête
d’Iokanaan.
(Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Book, (Independently published), 2018, pp.60-61.)
≪訳文≫
サロメ、七つのヴェイルの踊りを踊る。
エロド:あゝ! 見事だつた、見事だつたな! 見ろ、踊つてくれたぞ、お前の娘は。来い、サロメ! こゝへ、褒美をつかはす、あゝ! おれは舞姫にはいくらでも礼を出すのだ、おれといふ男はな。ことにお前には、じふぶん礼がしたい。なんなりとお前の望むものをつかはさう。なにがほしいな? 言へ。
サロメ:(跪いて)私のほしいものとは、なにとぞお命じくださいますやう、今すぐこゝへ、銀の大皿にのせて......
エロド:(笑つて)銀の大皿にのせて? いゝとも、銀の皿にな、わけもないこと。かはいゝことを言ふ、さうではないか? それはなんだな、銀の皿にのせてくれとお前が言ふのは、おゝ、おれの美しいサロメ、ユダヤのどの娘よりも美しいお前がほしいと言ふのは、一体なんなのだ? 銀の皿にのせて、なにをお前はほしいといふのだ? 言へ。なんでもいゝ、きつとそれを取らせる。おれの宝はことごとくお前のものだぞ。それは一体なんなのだ、サロメ?
サロメ:(立ちあがり)ヨカナーンの首を。
(オスカー・ワイルド(福田恆存訳)『サロメ』岩波文庫、1959年[2009年版]、72頁~74頁)
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サロメ (岩波文庫)
【語句】
Salomé danse <danser踊る(dance)の直説法現在
voile [男性名詞]ベール、紗(veil)
c’est <êtreである(be)の直説法現在
magnifique [形容詞]みごとな、すばらしい(magnificent)
Vous voyez <voir見る(see)の直説法現在
qu’elle a dansé <助動詞avoirの直説法現在+過去分詞(danser) 直説法複合過去
fille [女性名詞]娘(daughter)
Approchez <approcher近づく(approach)の命令法
afin que+接続法 ~するために(in order that)
je puisse vous donner <pouvoir+不定法 ~することができる(can)の接続法現在
donner 与える(give)
salaire [男性名詞]俸給(salary)
je paie <payer支払う(pay)の直説法現在
danseur(se) [男性名詞、女性名詞]ダンサー、踊り子(dancer)
je te paierai <payer支払う(pay)の直説法単純未来
Je te donnerai <donner与える(give)の直説法単純未来
tout ce que tu voudras <vouloir望む(want)の直説法単純未来
Que veux-tu <vouloir望む(want)の直説法現在
dis <dire言う(say)の命令法
s’agenouillant <代名動詞s’agenouillerひざまずく(kneel down)の分詞法現在
Je veux <vouloir望む(want)の直説法現在
qu’on m’apporte <apporter持ってくる(bring)の直説法現在
présentement (←présent)[副詞](古風)現在、目下のところ、今[仏=actuellement, maintenant](英at present, presently)
un bassin [男性名詞]池(pond)、大皿、鉢、たらい(basin)
argent [男性名詞]銀(silver)
riant <rire笑う(laugh)の分詞法現在
certainement. [副詞]きっと、もちろん(certainly)
Elle est <既出
charmant(e) [形容詞]魅力的な、かわいい(charming)
n’est-ce pas ? <êtreである(be)の付加疑問形
Qu’est-ce que [代名詞](疑問代名詞、 queの強調形)何を(what)
vous voulez <vouloir望む(want)の直説法現在
qu’on vous apporte <apporter持ってくる(bring)の直説法現在
cher(ère) [形容詞]いとしい(dear)
vous qui êtes la plus belle <êtreである(be)の直説法現在
Judée [女性名詞]ユダヤ(パレスチナ南部の古代ローマ領)(Judea)
Qu’est-ce que vous voulez <既出
qu’on vous apporte <既出
Dites-moi <dire言う(say)の命令法
Quoi [代名詞](関係代名詞)→quoi que+接続法 たとえ~であれ(whatever)
que cela puisse être <pouvoirできる(can)の接続法現在
on vous le donnera <donner与える(give)の直説法単純未来
trésor [男性名詞]宝物(treasure)
vous appartiennent<appartenir(àに)属する、所有物である(belong, pertain)の直説法現在
se levant <代名動詞se lever立ち上がる(rise, stand up)の分詞法現在
La tête [女性名詞]頭、首(head)
【参考】 該当部分の英語
[Salomé dances the dance of the seven veils.]
HERODE Ah! wonderful!
wonderful! You see that she has
danced for me, your daughter.
Come near, Salome, come near,
that I may give thee thy fee. Ah! I
pay a royal price to those who
dance for my pleasure. I will pay
thee royally. I will give thee
whatsoever thy soul desireth.
What wouldst thou have? Speak.
SALOMÉ [Kneeling]. I would
that they presently bring me in a
silver charger…
HERODE [Laughing]. In a silver
charger? Surely yes, in a silver
charger. She is charming, is she
not? What is it thou wouldst have
in a silver charger, O sweet and
fair Salomé, thou art fairer than all
the daughters of Judaea? What
wouldst thou have them bring
thee in a silver charger? Tell me.
Whatsoever it may be, thou shalt
receive it. My treasures belong to
thee. What is it that thou wouldst
have, Salomé?
SALOME [Rising]. The head of
Jokanaan.
(Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Book, (Independently published), 2018, pp.60-61.)
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Salome: A Dual-Language Book (English - French)
ビアズリーの挿絵――孔雀・薔薇・蝶
ビアズリーは、世紀末の新しい芸術(アール・ヌーヴォー)の創始者のひとりである。
ビアズリーの『サロメ』の挿絵(1894年)は、ホイッスラーの「孔雀の間」の、豪華な孔雀のイメージに基礎を置いていると山川鴻三氏はみている。
ビアズリーが表紙(1894年版では未使用)のために孔雀の羽の模様の雄勁なスケッチを描いたことは、彼の挿絵のライトモチーフが孔雀のイメージであったことを物語っているという。
ビアズリーが描いたサロメは孔雀のイメージで描かれているが、その著しいものとして、「孔雀の裳裾」と「ヘロド(エロド)の眼」を山川氏は挙げている。
挿絵「孔雀の裳裾」では、孔雀の羽の模様を施した裳裾や、髪につけた孔雀の羽飾りが描かれている。この孔雀としてのサロメのイメージを補うのは、彼女の背後で尾を輪のように広げた孔雀である。
また、その形態の描く曲線は、流れる水を暗示しているといわれる。この流水や動植物の曲線を暗示する点で、この絵は、アール・ヌーヴォーを代表する名品のひとつである。
挿絵「ヘロドの眼」は恋いこがれるサロメに注がれるヘロデの眼を主題にした絵である。髪に孔雀の羽を飾ったサロメとその下に尾を広げた孔雀がいる点で、「孔雀の裳裾」と軌を一にしている。そして、さらに注目すべきは、画面左下の四つ目垣の薔薇の花と、左上の立木の前の蝶である。
この薔薇の花と蝶は、孔雀とともに、ビアズリーにとっては、美の象徴であった。この『サロメ』の挿絵においても、重要な役割を演じている。
ビアズリーの挿絵と、ワイルドのテキストを比べると、かなりの隔たりがあり、挿絵の独自性がみられると山川氏は指摘している。つまり、テキストの忠実な挿絵というより、それを口実にしてビアズリーが独自のやり方で描いたものといえるとする。
例えば、孔雀のイメージにしても、テキストには、ただヘロドがサロメに踊りの褒美として美しい白孔雀を与えようというくだりがあるだけである。
サロメを孔雀のイメージで描いたのは、ひとえにビアズリーの創意によるとみる。
こういうものの中には、浮世絵風な装いの女を描いた「黒いケープ」や「椅子のサロメ」(1894年版では未使用)、あるいはアスコット帽をかぶりモダンな服装をして、最新式の化粧棚の前で化粧をするサロメを描いた「サロメの化粧」など、テキストとは何の関係もない作例であるようだ。
その一方で、テキストと関係のある絵にしても、ビアズリーが独自に変貌させた例もあるという。例えば、ワイルドの7枚のヴェールの踊りを変貌させた「ストマック・ダンス(腹の踊り)」である。サロメが脱いだ2枚のヴェールを両腿で押さえ、左肩に最後のヴェールを掛けている点で、これは7枚のヴェールの踊りを暗示しているように見える。
しかし、山川氏によれば、これは、ラフォルグの「サロメ」に仰いだ、臍を出して踊るストマック・ダンスである。
ただ、ラフォルグと違うのは、演説するサロメでなく踊るサロメであり、竪琴を自分で弾くのではなく、リュートを楽人が弾くという点であるとする。
このビアズリーの挿絵はサロメを右上に、楽人を左下に置いた、大まかなバロック風対角線構図である。体をくの字にくねらせて踊るサロメは、はげしい動感を表わす。
一方、左下の楽人は、火災を戴くすさまじい形相をしており、日本の明王像を思わせる。この楽人は、孔雀の羽を後光のようにつけて踊るサロメの姿と、不思議な調和を示す。孔雀と明王の取り合わせも、日本にも「孔雀明王」なるものがあることを思うと、一見して思われるほど奇妙なものでもないと山川氏は付言している。
(山川鴻三『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]、124頁~127頁)
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サロメ―永遠の妖女 (新潮選書)
『サロメ』のラストシーンとビアズリーの挿絵
ラストシーンの「サロメの声」は、次のようにある。
サロメの声 あゝ! あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。お前の脣はにがい味がする。
(オスカー・ワイルド(福田恆存訳)『サロメ』岩波文庫、1959年[2009年版]、88頁)
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サロメ (岩波文庫)
仏訳と英訳には次のようにある。
LA VOIX DE SALOME
Ah! j’ai baisé ta bouche, Iokanaan, j’ai
baisé ta bouche. Il y avait une âcre
saveur sur tes lèvres.
THE VOICE OF SALOMÉ
Ah! I have kissed thy mouth,
Jokanaan, I have kissed thy
mouth. There was a bitter taste on
my lips.
(Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Book, (Independently published), 2018, p.75.)
「お前の口に口づけしたよ」と、ビアズリーの挿絵「クライマックス」にも記してある。
J’AI BAISÉ TA BOUCHE, IOKANAAN
J’AI BAISÉ TA BOUCHE.
ビアズリーの『サロメ』の挿絵で、退廃的な悪魔主義をもっとも典型的に示すのは、サロメがヨカナーンの口に口づけする場面を描いた「クライマックス(最高潮)」であると山川鴻三氏はいう。
その挿絵で、サロメは跪いてヨカナーンの首を見つめている。サロメの髪の毛は、下の澱んだ黒い水の中から尾を現わす蛇の曲線を模するように曲がりくねる。その眼で見つめられたヨカナーンの首は石に化しているようにも見える。サロメは蛇の髪をしたメデューサのようだ。
ビアズリーの三種の神器のように、孔雀・薔薇・蝶を描き込んだが、孔雀の羽模様はここにもある。湧き返る雷雲のごとく、不気味にこのモチーフが使われている。
また、黒い澱んだ水からは、薔薇の花のかわりに百合の花が咲き出ている。
殉教者の血から生え出る、純潔の花としての百合の花のイメージは、モローの『神秘の花』(1890年頃、モロー美術館蔵)にも見られるようだ。
ただ、モローの絵では、その百合の花は聖母の玉座として役立つ。それに比べて、澱んだ黒い沼が生え出た、このビアズリーの挿絵の百合の花は、退廃の華、デカダンスの華であると山川鴻三氏は捉えている。
(山川鴻三『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]、129頁~130頁)
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サロメ―永遠の妖女 (新潮選書)
【補足】モローの『出現』と切られた首
19世紀中ごろから、いわゆる世紀末の時代にかけて、切られた首を主要モチーフとした作品が意外と多いと高階秀爾氏はいう。
モローの『出現(L’Apparition)』(1876年 水彩 105×72㎝ ルーヴル美術館)は、その典型的な例である。
もちろん、サロメの物語は、中世以来、さまざまな形で表現されてきたし、その際、聖ヨハネの首が一緒に描かれることは珍しくない。しかし、血を滴らせた首が空中高く舞い上がるという発想は、おそらくモローの創意であるようだ。
モローはほかに、オルフェウスの首の絵も描いている。
詩人オルフェウスが殺されて、ばらばらにされて河に投げこまれたという古代の伝説に基づくものだが、この主題もモロー以前には見られないそうだ。だが世紀末には、ほかにも多くの画家が描いている。
それだけではない。マラルメの友人であったルニョーは、アルハンブラの宮殿で斬首刑に処せられた罪人の生々しい首を描いている。ルドンには、沼から生えている草に人間の首がぶら下がっている不気味な版画があるという。
文学の世界でも、そうである。山川鴻三氏も述べていたように、キーツの長編詩『イザベラ』は、死んだ恋人の首を切り取って、鉢のなかに隠す若い娘の話であった。
そして、スタンダールの『赤と黒』は、マチルドが恋人ジュリアンの首を盗み出して、自分の手で埋葬する場面で終わる。
(スタンダール(桑原武夫・生島遼一訳)『赤と黒(下)』岩波文庫、1958年[1997年版]、459頁参照のこと)
これらの点について、高階秀爾氏は次のように推察している。
19世紀に「切られた首」の主題がこれほどまでに頻繁に登場してくるのは、大革命以降、フランスをはじめヨーロッパ中にギロチンが広まったことと無関係ではないとする。幻想的な芸術も、現実の社会と意外と深く結びついているという。
さて、フランス象徴主義の画家モローは、作風と同じように、その生涯もまた神秘的な一つの謎として語られる。
写実主義や印象派の画家たちが、歴史画や物語絵を捨て、明るい野外に出て自然の光を画面にとらえようとしていた時代だった。ところがモローは、ひとり隠者のようにパリの私邸の画室に閉じこもり、ひたすら古代や中世の古典と伝説の世界から、まるで悪夢のような異様な画題を汲み上げていた。とりわけ、このサロメの連作の頃から、めったに人前に姿を見せなくなったようだ。作品の公開や複製も断るようになる。
生涯でモローが愛した唯一の女性は母親だった。モローが58歳の時に母親が亡くなるまで、身辺の一切を母親にまかせ、一生結婚しなかった。
(朝日新聞日曜版「世界名画の旅」取材班『世界名画の旅1 フランス編1』朝日新聞社、1989年、192頁~203頁)
【『世界名画の旅1 フランス編1』朝日新聞社はこちらから】
世界名画の旅〈1〉フランス編 1 (朝日文庫)
≪参考文献≫
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鈴木杜幾子『画家ダヴィッド――革命の表現者から皇帝の首席画家へ――』晶文社、1991年
鈴木杜幾子『ナポレオン伝説の形成――フランス19世紀美術のもう一つの顔』筑摩書房、1994年
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飯塚信雄『ロココの時代――官能の十八世紀』新潮選書、1986年
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木村泰司『美女たちの西洋美術史』光文社新書、2010年
木村泰司『名画の言い分』筑摩書房、2011年
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小林秀雄『近代絵画』新潮社、1958年
饗庭孝男『小林秀雄とその時代』小沢書店、1997年
伊集院静『美の旅人 フランス編Ⅰ』小学館文庫、2010年
アンヌ・ディステル(柴田都志子、田辺希久子訳)『ルノワール――生命の讃歌』創元社、1996年
饗庭孝男編『フランス文学史』白水社、1979年[1986年版]
オスカー・ワイルド(福田恆存訳)『サロメ』岩波文庫、1959年[2009年版]
山川鴻三『サロメ――永遠の妖女』新潮選書、1989年[1993年版]
Oscar Wilde, Salome : A Dual-Language Book, (Independently published), 2018.
スタンダール(桑原武夫・生島遼一訳)『赤と黒(下)』岩波文庫、1958年[1997年版]
ジャン=ピエール・ジュネ監督、オドレイ・トトゥ主演『アメリ』
(2001年に公開されたフランス映画、DVDは2001年発売)
Jean-Pierre Jeunet et Guillaume Laurant, Le fabuleux destin d’Amélie Poulain, Le Scénario,
Ernst Klett Sprachen, Stuttgart, 2003.
イポリト・ベルナール『アメリ AMÉLIE』株式会社リトル・モア、2001年[2002年版]