≪漢文の文章~小川環樹・西田太一郎『漢文入門』より≫
(2023年12月30日投稿)
【はじめに】
この秋(10月~12月)、TBS系火曜ドラマ枠で「マイ・セカンド・アオハル」が放送されていた。
高校卒業後、非正規の仕事を転々としていた白玉佐弥子(広瀬アリス)が30歳を過ぎて、謎の大学生・小笠原拓(道枝駿佑)の一言を契機に学び直しを決意して、工学部建築学科に入学し、恋に勉強に夢に奮闘するラブコメディであった。建築学科の学生は、設計図を作成する以外にも、模型を製作しなくてはならないのかと、改めて文系の学生との違いを思い知らされた。
ところで、当初、「マイ・セカンド・アオハル」というドラマのタイトルが気になった。
「マイ・セカンド」は英語だとわかるにしても、「アオハル」という言葉に対して、頭に疑問符が浮かんだ。ストーリーなどを追っていくうちに、「アオハル」とは、「青春(せいしゅん)」の読み方を訓読みに変えたものであることに気づいた。「青春」の辞書的な意味は、「夢や希望に満ちた活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの」という。「アオハル」にすると、「青春」の意味よりもさらに、「初々しさ」「未熟さ」「エネルギッシュ」といったイメージが強くなるらしい。
さて、この「アオハル」「セイシュン」といった「青春」という言葉を考えてみると、漢語の構造に思いが及ぶ。
例えば、菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』(桐原書店、1999年[2019年版]、10頁~11頁)では、漢文を読むためには、漢語の構造についての理解が不可欠であるとして、二字の漢語の構造を、日本文と語順が同じものと違うものに分けて、整理していた。
すなわち、
【日本文と同じ語順の構造】
①主語+述語(日暮、地震、心痛)
②修飾語+被修飾語(高山、蛇行、山積)
③並列(出入、難易、天地)
【日本文と異なる語順の構造】
④述語+補語(即位、登壇、就任)
⑤述語+目的語(読書、飲酒、行政)
⑥否定語を上にもつ(無力、不屈、非凡)
<修飾語>…主語・目的語・補語・述語の内容を詳しく説明する語。
「被修飾語」はその働きを受ける語。
<補語>…行為の行われている場所や原因を表す語。
「ニ・ト・ヨリ」などを送ることが多い。
<目的語>…行為の対象を示す語。
「ヲ」を送ることが多い。
【音と訓】
・漢語の読みには、音(おん)と訓(くん)がある。
音は中国から伝わった読みであり、訓はその漢語に相当する日本語を当てた読みである。
漢文を読むときには、一字の漢語は訓で読み、熟語の漢語は音で読むのが原則である。
音には、「呉音(南北朝時代の呉の地方の音)」~例 世間(セケン)
「漢音(隋、唐時代の長安地方の音)」~例 中間(チュウカン)
「唐宋音(宋代以降の音)」~例 椅子(イス)
・漢文を読むときは、呉音を用いることもあるが、原則として漢音を用いる。
(菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]、10頁~11頁)
今回、紹介する漢文の本でも、「語法概説(単語の結合)」(7頁~12頁)で、次の14の漢語の構造について解説している。
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
(1)日没 (2)氷解 (3)撃破 (4)晩成 (5)殺傷 (6)傷害 (7)読書 (8)父母
(9)大国 (10)流水 (11)城門 (12)蒙古 (13)矛盾 (14)決然
例からすると、「青春」は、【日本文と同じ語順の構造】②修飾語+被修飾語(高山)、ないし(9)大国と同じく、形容詞が名詞の前にある結合関係とみてよいであろう(詳しくは該当ページを参照のこと)
さて、今回のブログでは、こうした漢語の問題のみならず、漢文の文章を引き続き紹介してみたい。
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
この本に収録された漢文は、旧字で載せてあり、解説も高度な内容で、読みにくい。しかし、「契舟求劒」(呂氏春秋)、「蛇足」(戦国策)、「狐借虎威」(戦国策)、「杞憂」(列子)など、皆さんがよく知っている故事成語を取り上げたので、原文ではどのようになっているのかを味わってほしい。
【小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)はこちらから】
小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
【目次】
はしがき
第一部
一 漢文とは何か
二 句読および訓点
三 訓読の利害
四 語法概説(単語の結合)
五 語法概説(構文)
第二部 短文篇
1 楚荘王伐陳(説苑)
2 仲尼之賢(説苑)
3 子思立節(説苑)
4 忠臣不死難(説苑)
5 晏子諫君(説苑)
6 師経諫君(説苑)
7 于公決獄、未嘗有所冤(説苑)
8 有陰徳者、必有陽報(説苑)
9 徙薪曲揬之策(説苑)
10 契舟求剣(呂氏春秋)
11 蛇足(戦国策)
12 狐借虎威(戦国策)
13 非知之難、処知則難(韓非子)
14 愛憎之変(韓非子)
15 不死之薬(韓非子)
16 人当師聖人之智(韓非子)
17 普天之下、莫非王土(韓非子)
18 君主之柄(韓非子)
19 兼人者有三衛(荀子)
20 有治人、無治法(荀子)
21 性悪説(荀子)
22 君子遠庖厨(孟子)
23 推恩足以保四海(孟子)
24 君子有三楽(孟子)
25 菽粟如水火、民無不仁者(孟子)
26 荘子鼔盆而歌(荘子)
27 死之説(荘子)
28 杞憂(列子)
29 多歧亡羊(列子)
第三部 各体篇
散文と韻文および駢文と古文
一 論弁類
1 原人(韓愈)
2 論語辯(柳宗元)
二 序跋類
3 五代史伶官伝序(欧陽脩)
4 釈秘演詩集序(欧陽脩)
三 奏議類
5 陳情表(李密)
四 書牘類
6 答陳商書(韓愈)
7 与李方叔(蘇軾)
8 答楊済甫(蘇軾)
五 贈序類
9 送王秀才塤序(韓愈)
10 名二子説(蘇洵)
六 詔令類
11 賜南粤王趙佗書(漢文帝)
七 伝状類
12 方山子伝(蘇軾)
13 大鉄椎伝(魏禧)
八 碑誌類
14 石君墓誌銘(韓愈)
15 太常博士尹君墓誌銘(欧陽脩)
16 寒花葬志(帰有光)
九 雑記類
17 藍田県丞廳壁記(韓愈)
18 鈷鉧潭記(柳宗元)
十 箴銘類
19 瘞硯銘(韓愈)
20 韓幹画馬贊(蘇軾)
十一 哀祭類
21 独孤申叔哀辞(韓愈)
22 祭女拏女文(韓愈)
十二 辞賦類
23 登楼賦(王粲)
24 阿房宮賦(杜牧)
十三 叙記類
25 赤壁之戦(通鑑)
26 晋公子重耳之亡(左伝)
第四部 漢字の形・音・義
一 字体と字形
二 字形の構造(六書)
三 字(漢字の多様性)
四 字音
参考文献
字音かなづかい表
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・訓読について
・語法概説(単語の結合)
・契舟求劒(呂氏春秋)
・蛇足(戦国策)
・狐借虎威(戦国策)
・杞憂(列子)
・送王秀才塤序(韓愈)
訓読について
第一部序説 二 句読と訓点
【訓読】
わが国に中国の書物がはじめて伝わったときには、当時の中国の発音に従って読んでいたに違いない。しかしこれを訳読することも非常に早くから、恐らく奈良朝以前から起った。訳読というのは、漢文の各々の字義に対応する日本語の訳語をあてて読むことで、これを訓読(くんどく)という。もっとも中国の単語のすべてに訳語をつくることができず、中国の発音をそのまま使った単語もある(それらは今日まで日本語のなかでそのまま使われているものも少なくない。いわゆる「字音語」または「漢語」)。してみると、漢文の読み方としては、訳読の単語と音読の単語とがいりまじっていることになるが、言語の構造からいえば、日本語として了解できるようになっているから、訓読が主で音読が従だということになる。それでこのように訳読された漢文を訓読漢文という。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、4頁)
三 訓読の利害
漢文はもともと外国語の文であるから、一般に外国語を学ぶときのように、まず音読し、それによって意味を考えるのが正常な方法であり、訓読の方法は変則だといってもよい。すべての言語は、それぞれ特有のリズムがあり、また音と意味とのあいだに或る関係があるからである。また訓読にはつぎのような欠点もある。すなわち、訓読の方法と訓読に用いられることばとは平安朝時代に大体さだまり、そののち幾分かは変化したものの、ほとんどそのまま伝承されたから、訓読された漢文は日本語としても一種の古典語であって現代語ではなく、原文の意味をわかり易く伝えようとすれば、もう一度現代語におきかえなければならなくなったことがこれである。それにもかかわらず、この書物で訓読のかえり読みの法を用いたのはつぎの理由による。
第一に、本書は入門の書であって、漢文の読み方をはじめて学ぶ人々、または若干の知識をすでに有しさらに深く学びたい人々のために編まれたものであるが、もし漢文を音読のみによって学ぼうとすれば、中国語の発音をまず学ばねばならない。それには特別の練習を必要とし、その便宜のない人々には困難と思われる。
第二に、われわれの祖先は主として訓読した形でのみ漢文を知っており、また漢文学が日本文学に与えた影響も、直接に原文からではなく、訓読を通したものである。のみならず、わが国で復刻された中国の古典は、そのほとんどすべてが訓点をつけて出版されている。訓読の方法を知ることによって、それらの意味を知り、それらを利用することができる。
われわれは以上の理由で訓読の法を用いる。しかし決して音読の方法を排斥するものでなく、中国語の発音を習得する機会のある人々、またすでに習得した人々は、音読によって漢文特有のリズムをとらえていただきたいし、いちいち返り読みをしないでも原文の意味をとらえる練習も望ましい。外国語を学ぶ以上、翻訳なしで原文の意味をとらえることが最後の目標であるからである。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、5頁~7頁)
語法概説(単語の結合)
・漢文はもともと漢字が並べてあるだけで、それには語尾変化もなく、主語と述語動詞との対応もなく、また格を示す助詞もない。
従って、漢文の解読には、まず漢文の構文(syntax)を知る必要がある。
漢文の構文・語法においては、文字(単語)の位置が文章や語句の意味を決定する。
文字の位置といえば、文字相互の前後関係に要約できる。
・そこでまず、わが国で常用している二字で成立している漢語を用いて、この漢語を構成する二字の結合の関係を分析して、研究してみよう。
(1) 日没
(2) 氷解
(3) 撃破
(4) 晩成
(5) 殺傷
(6) 傷害
(7) 読書
(8) 父母
(9) 大国
(10) 流水
(11) 城門
(12) 蒙古
(13) 矛盾
(14) 決然
(1) 日没
・「日が没する」で、名詞の後に動詞があり、主語・述語の関係にある。
(2) 氷解
・(1)と同じく、主語・述語の関係から、「氷が解ける」という意味になるが、また別に「氷のように解ける」ことをも意味する。
かくして「林立・鯨飲・毒殺・穴居」などにおいて、動詞の前の名詞は、状態・材料・手段・場所などを示す副詞的修飾語の役目をすることがある。
(3) 撃破
・動詞が二つ重ねられていて、「撃って破る」を意味し、「撃つ」と「破る」とには時間的継続関係がある。
なお、漢文ではこのような場合に、「撃而破之」(撃ちて之を破る)というように「而」の字を用いることもある。
(4) 晩成
・「晩(おそ)く成る」であり、前の「晩」は後の動詞の「成」に対する副詞的修飾語である。
このような場合、副詞的修飾語になるのは、もとから副詞的な語のほかに、(2)のように名詞もその働きをするし、また「立飲」(立ちながら飲む)、「生得」(生れつきとして得る、生きながらにしてとらえる)などのように、動詞もその働きをし、そのほかいろいろの場合がある。
(5) 殺傷
・(3)と同じく動詞が二つ重ねられているが、前後の二字は並列または選択の関係にあり、「殺し及び(and)傷つける」、または「殺しあるいは(or)傷つける」ことを意味する。
(6) 傷害
・(3) (5)と同じく動詞が二つ重ねられているが、前後の二字はこの場合それぞれに共通の字義を紐帯として結合されているのであって、二字で「そこなう」とか「きずつける」とかを意味する。
「計算」「集合」などもこれと同じで、このような形式で結びついている語を連文または連語という。
(7) 読書
・動詞が前にあり、名詞が後にあり、「書を読む」を意味し、後の名詞は前の動詞の補語である。
(この書物では、述語の後に在ってその述語の内容を補足する語を補語と仮りに名づける。これはフランス文法の用語を借りたもので、補語のうちに目的語も含まれるものとする。もし補語のうちから目的語だけを弁別しようと思うならば、前の語が他動詞であるかどうかで区別すればよいが、漢文では決定し難い場合もある。)
※これらの七つの語はまた名詞としても取扱いうる。
(8) 父母
・名詞が二つ重ねられており、(5)と同じく並列または選択の関係にあり、「父と(and)母」または「父あるいは(or)母」を意味する。
この(5) (8)に類するものに「大小」「軽重」などがあり、いずれも並列あるいは選択の関係にあるが、これらはまた概括的に「大きさ」「重さ」を意味し、また「緩急」のように、そのうち「急」のみに重きを置く場合もある。
また「国家」などのように、元来の意味は「国と家」であったが、のちには「国」だけを意味する場合もある。
(9) 大国
・形容詞が名詞の前にあり、「大きい国」を意味する。
(10) 流水
・(7)と同じく動詞が名詞の前にあるが、「流れる水」を意味し、前の動詞は、(9)の場合と同様に、後の名詞の形容詞的修飾語の役目をしている。
・(9) (10)に類するものに、「錦衣」「木像」の如く、名詞が形容詞的修飾語の役目をして、その属性をあらわすことがある。
(11) 城門
・(8)と同じく名詞が二つ重ねられているが、この場合は「城の門」を意味し、前後の二字に従属の関係が成立している。なお、漢文では、このひょうな場合((9) (10)の場合も)、「城之門」というように、「之」の字を用いることがあり、「之」は英語のofと同様な役目をするが、語順は異なる。
(12) 蒙古
・構成している二字のそれぞれの字義には関係がなく、二つの字の音の総合で一つの単位をなす固有名詞ができている。
・「瑠璃(るり)」「瑪瑙(めのう)」「葡萄(ぶどう)」なども同様で、これらは外来語の音を漢字で表現したのである。
(13) 矛盾
・二つの名詞が重ねられており、起源的には「ほことたて」に関係があるが、この二つのものに関係した或る寓話的故事から、単にcontradiction(くいちがい)を意味する。
・また「友于兄弟」という語句から兄弟の二字をわざと省き、「友于」の二字だけで「兄弟が仲が良い」ことを意味する場合があり、これを歇後(けつご)の語とよぶ。
漢文にはこのような故事成語が多いから、これらの語義はその起源をさかのぼってきわめねばならない。
(14) 決然
・「忽焉」(こつえん、たちまち)、「確乎」、「卒爾」(不用意に)、「突如」などと同様に、或る字に「然・焉・爾・如」などの助辞が付けられて、その字の意味に基づいて、ものごとの状態をあらわす語が成立している。
・またある状態をあらわす字を二字重ねて双字とする場合がある、「洋洋・悠悠・堂堂」などがこれである。
・これらの語の意味はいずれもそれを構成している文字の意味に関係がある。
・ところが、「従容」(しょうよう)、「磊落」(らいらく)などの語は、これを構成する「従」「容」「磊」「落」などのそれぞれの字義には関係がなく、二字の音の特殊な結合によって、或るものごとの状態を形容しているのである。
すなわち、「従容」の場合、syō yōと二字とも同じ韻が重ねられているのであり、この関係を「畳韻」(じょういん)という。
⇒「矍鑠」(かくしゃく)、「纏綿」(てんめん)、「蹉跎」(さだ)、「彷徨」(ほうこう)などはこの例である。
・これに対して、「磊落」はrai raku(ただし中国ではlai lakというような発音をした)というふうに、同じ発声(音節の初の子音)をそろえたもので、これを「双声」という。
⇒「悽愴」(せいそう)、「陸離」(りくり)、「玲瓏」(れいろう)、「淋漓」(りんり)などがこの例である。
・畳韻・双声の語は、いずれもこれを構成する二字の音の結合がものごとの状態についての感じを表現するもので、日本語の擬声語・擬態語に似ている。
従って、畳韻・双声の語は、必ずしもそれをあらわす文字が限定されない。
双声の「猶予」(ゆうよ)はまた「猶与」「猶預」とも書かれ、「匍匐」(ほふく)は「蒲伏」「蒲服」「扶匐」とも書かれ、畳韻の「逡巡」(しゅんじゅん)はまた「逡遁」「逡遯」「逡循」「蹲循」(いずれもシュンジュン)と書かれる。
なお、双声・畳韻の場合、音とともに或る字義がその状態を現すのに適しておれば、その字を用いることもあるが、重点はその重ねられた二字の音にあるのである。
これらはいずれも、文字の意味や音の特殊な結合によって、ものごとの状態をあらわす語が作られているものである。
以上で、すべての語と語との結合関係を網羅したわけではないが、主要なものはほぼすべて挙げたという。
これらを整理すると、次のようになる。
A 主語 述語~国語の口語で「aがbする」「aはbである」を意味する。
ただし、漢文では主語が省略される場合が多い。
B 述語 補語~国語の口語で「aを・へ・に・から・よりbする・bである」などを意味する。
C 修飾語 被修飾語~国語の口語で「どのようなa」「なにのa」「なにでできているa」、および「どのようにaする・aである」を意味する。
被修飾語が名詞の類のものであれば、修飾語は形容詞的となり、被修飾語が動詞・形容詞・副詞の類のものであれば、修飾語は副詞的修飾語となる。
D 並列~aとb。aし及びbする。
E 選択~aまたはb。aしまたはbする。
F 時間的継続~aしてbする。
G 従属~aのb(aに従属しているb)
H 上下同義~a=b
ここにあげた語と語との前後の相互関係は、大体からいって、名詞とか動詞・形容詞とかの実質的意味内容をもっている語、すなわち実辞(じつじ)についてのべたものであるが、漢文にはまた別に助辞(じょじ、または助字)というのがある。
助辞というのは単独では実質的内容のある意味をあらわさず、他の実辞や文に結びついて、その語や文の意味を充実させるもので、「雖」「則」「也」「乎」「者」などがこれである。
これらの語も、或いは他の語との関係において、或いは文章のなかで果す役割において、それぞれの位置がきまっている。
ただ、助辞の性格は極めて多様で、いまここにまとめて述べることはわずらわしいので、以下の叙述中に、折にふれて説明することにするという。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、7頁~12頁)
契舟求劒(呂氏春秋)
第二部
契舟求劒(呂氏春秋)
菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』(桐原書店、1999年[2019年版]、186頁)の故事成語にも、次の話は出てきた。
「舟に契みて剣を求む」『呂氏春秋』察今
楚人有渉江者。其剣自舟中墜於水。遽契
其舟曰、「是吾剣所従墜。」舟止。従其所契者、
入水求之。舟已行矣。而剣不行。求剣若此。
不亦惑乎。以此故法為其国与此同。時已徙矣。
而法不徙。以此為治、
豈不難哉。
【書き下し文】
楚人に江を渉(わた)るも者有り。其の剣舟中より水に墜(お)つ。遽(には)かに其の舟に契(きざ)みて曰く、「是れ吾が剣の従りて墜つる所なり」と。舟止(とど)まる。其の契みし所の者より、水に入りて之を求む。舟已に行く。而も剣行かず。剣を求むること此くのごとし。亦惑(まどひ)ならずや。此の故法を以て其の国を為(おさ)むるは此と同じ。時已に徙(うつ)れり。而も法は徙らず。此を以て治を為(な)すは、豈に難(かた)からずや。
【現代語訳】
楚の国の人に長江を渡る人がいた。その人の剣が舟の中から水の中に落ちた。いそいでその舟に刻んでしるしをつけて言った、「ここが私の剣が(水に)落ちたところだ」と。舟が止まった。その人が刻んでしるしをつけたところから、川の中に入って落とした剣を探し求めた。舟はもう進んでしまった。それなのに剣は進まない。剣を探し求めることはこのようである。なんと見当違いではないか。古い法律や制度によって国を治めることはこれと同じである。時勢はすでに移り変わってしまっている。それなのに法律や制度は変わらない。この古い法律や制度で政治を行うことは、なんと困難ではないか。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、169頁~184頁)
それでは、小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)では、どうなっているのだろうか。
10契舟求劒(呂氏春秋)
楚人有渉江者、其劔自舟中墜於水、遽契其舟曰、是吾劔之所從墜、舟止、從其所
契者、入水求之、舟已行矣、而劔不行、求劔若此、不亦惑乎、以此故法爲其國
與此同、時已徙矣、而法不徙、以此爲治、豈不難哉、有過於江上者、見人方引嬰
兒而欲投之江中、嬰兒啼、人問其故、曰、此其父善游、其父雖善游、其子豈遽善游哉、
(呂氏春秋、察今)
【書き下し文】舟に契みて劒を求む
楚人に江を渉(わた)るも者有り。其の劒舟中より水に墜(お)つ。遽(には)かにその舟に契(きざ)みて曰く、『是れ吾が劒の從つて墜ちし所なり』と。舟止(とど)まる。その契みし所の者從り、水に入りて之を求む。舟已に行けり、而も劒は行かず。劒を求むること此の若きは、亦惑(まどひ)ならずや。此の故法を以て其の國を爲(をさ)むるは此と同じ。時已に徙れり、而も法は徙らず。此を以て治を爲(な)すは、豈難(かた)からずや。江上を過ぐる者有り。人の方に嬰兒(えいじ)を引きて之を江中に投ぜんと欲し、嬰兒啼(な)けるを見る。人その故を問ふ。曰く、『此その父善く游(およ)ぐ』と。其の父善く游ぐと雖も、其の子豈遽(なん)ぞ善く游がんや。(呂氏春秋、察今)
(注1)「楚人有渉江者」の「有」について
「有」は元来「もつ」という意味で、例えば「有陰徳者、必有陽報」は、「陰徳をもっている者は必ず陽報をもつ」であって、文法的には「有」「無」の上の語が主語である。
このことは37頁の「我有子無」で明らかである。
従って「楚人有渉江者」は「楚人が江を渉る者をもった」となる。
「有楚人渉江者」ならば、文法上の主語がなくて、「楚人の江を渉る者をもつ」を意味する。
ところが「もつ」という表現は固有の国語として適当でなく、「がある」というのが普通であるから、訓読では「楚人有渉江者」を「楚の人に江を渉る者がいた」という表現法をとる。
漢文の「有」に関する語法は、文法上からいって、フランス語のそれと類似している。
フランス語では「彼は二冊の書物をもっている」は≪Il a deux livres.≫といい、「二冊の書物がある」は≪Il y a deux livres.≫という(このilは英語のhe, it のいずれをもあらわし、英語に逐語訳をすると≪He has two books.≫≪It there has two books.≫となる)
この場合、文法上、ilはaの主語であり、deux livresは補語である。
漢文の「人皆有兄弟」(論語 顔淵)においても、文法的にいって、「人」は「有」の主語であり「兄弟」は「有」の補語であることは明らかである。
しかし漢文では主語を省略することが多く、また特定の主語のない場合があり、そのような場合に漢文ではilに当る語がないから「有天地、然後有萬物」(易 序卦)というように文法上の主語なしに書かれる。主語がないというこのことは「有」に関係した場合だけでなく、「使我言而無見違」(49頁)も同じで、この場合も特定の主語がないのであって、希求文や命令文だから主語がないというわけではないのである(漢文では命令文は必ず主語を省くという原則はない)。
ところが、ここに一つ問題がある。漢文で述語の上にある語は、主語だけでなくて、副詞的修飾語の場合があり、名詞も単独で副詞的修飾語となる。(中略)
そこで「傍有積薪」「世有伯楽」「楚有孝婦」「楚人有渉江者」などの場合、さきに「楚人」が主語であるといったが、「傍」「世」「楚」「楚人」などは「有」という述語の場面とか範囲とかをあらわす副詞的修飾語で、これらの文では特定の文法上の主語がないという考えもあるということになる。甚だ曖昧なようであるが、主語の人称や単数複数と述語動詞の変化との対応のない漢文では、これはやむを得ない。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、66頁~74頁)
蛇足<戦国策>
蛇足については、菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』(桐原書店)では、次のように述べていた。
蛇足<戦国策>
よけいな付け足し。
※楚の国で蛇を早く描く競争をしたところ、早く描いた人が蛇に足を描き加えたために負けてしまったことから。
(菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]、182頁~186
次に、小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)では、どのように述べているのか。
11蛇足(戦国策)
昭陽爲楚伐魏、覆軍殺將、得八城、移兵而攻齊、陳軫爲齊王使、見昭陽、再拜賀
戰勝、起而問楚之法、覆軍殺將、其官爵何也、昭陽曰、官爲上柱國、爵爲上執珪、陳軫
曰、異貴於此者何也、曰、唯令尹耳、陳軫曰、令尹貴矣、王非置兩令尹也、臣竊爲公
譬、可也、楚有祠者、賜其舎人巵酒、舎人相謂曰、數人飮之不足、一人飮之有餘、請
畫地爲蛇、先成者飮酒、一人蛇先成、引酒且飮之、乃左手持巵、右手畫蛇曰、吾能
爲之足、未成、一人之蛇成、奪其巵曰、蛇固無足、子安能爲之足、遂飮其酒、爲蛇
足者、終亡其酒、今君相楚而攻魏、破軍殺將、得八城、不弱兵欲攻齊、齊畏公
甚、公以是爲名(居)足矣、官之上非可重也、戰無不勝、而不知止者、身且死、爵且
後歸、猶爲蛇足也、昭陽以爲然、解軍而去、(戰國策 齊策)
【書き下し文】
昭陽 楚の爲に魏を伐ち、軍を覆(くつがへ)し將を殺し、八城を得、兵を移して齊を攻む。陳軫(ちんしん)齊王の爲に使(つかひ)し、昭陽に見(まみ)え、再拜して戰勝を賀し、起ちて問ふ、『楚の法、軍を覆し將を殺さば、その官爵は何ぞや』と。昭陽曰く、官は上柱國と爲り、
、爵は上執珪と爲る』と。陳軫曰く、『異(こと)に此より貴き者は何ぞや』と。曰く、『ただ令尹のみ』と。陳軫曰く、令尹は貴し。王は兩令尹を置くに非ざるなり。臣竊(ひそ)かに公の爲に譬へん、可ならんか。楚に祠者(ししゃ)有り。其の舎人(しゃじん)に巵酒(ししゅ)を賜ふ。舎人相謂ひて曰く、「數人これを飮めば足らず、一人これを飮めば餘(あまり)有り。請ふ
地に畫(ゑが)きて蛇を爲(つく)り、先づ成る者酒を飮まん」と。一人蛇先づ成る。酒を引き且に之を飮まんとし、乃ち左手もて巵を持し、右手もて蛇を畫いて曰く、「吾能く之が足を爲る」と。未だ成らざるとき、一人の蛇成る。その巵を奪つて曰く、「蛇固より足無し、子安んぞ能く之が足を爲らんや」と。遂にその酒を飮む。蛇足を爲す者は、終(つひ)にその酒を亡(うしな)へり。いま君楚に相(しよう)たりて魏を攻め、軍を破り將を殺し、八城を得、兵を弱めずして齊を攻めんと欲す。齊の公を畏るること甚だし。公これを以て名を爲さば足れり。官の上は重ぬ可きに非ざるなり。戰(たたかひ)勝たざることなく、而して止(とど)まるを知らざる者は、身は且(かつ)死し、爵は且後歸(こうき)せん。なほ蛇足を爲すがごときなり』と。昭陽以て然りと爲し、軍を解いて去る。(戰國策 齊策)
【語句】
・引酒且飮之=酒をひきよせてこれを飲もうとした。
「且」は「將」に同じ
・公以是爲名(居)足矣=あなたはこれで名声をあげなさったら十分です。
「居」は「名」と字形が似ているので、誰かが誤って書きいれた余計な字であろう。
なお、あるテキストには「居」は「亦」になっているが、「亦」ならば、この場合、「それだけでも」という意味である。
・官之上非可重也=上柱国となったら、「その官の上は重ねて官を得べきものではないのである」。
というのはそれより上の令尹の官にはすでに人がおり、二人の令尹を置くことがないから。
・身且死、爵且後歸=身は死ぬであろうし、また爵は後任の将軍の手に帰すであろう。
漢書鼂錯(ちょうそ)伝の「且馳且射」などと同じく、二つのことがらが同時に行なわれることをあらわす。「歸」は「帰着」「帰属」
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、74頁~79頁)
狐借虎威(戦国策)
12 狐借虎威(戦国策)
荊宣王問羣臣曰、吾聞北方之畏昭奚恤也、果誠何如、羣臣莫對、江乙對曰、虎求百
獸而食之、得狐、狐曰、子無敢食我也、天帝使我長百獸、今子食我、是逆天帝命
也、子以我爲不信、吾爲子先行、子隨我後、觀百獸之見我而敢不走乎、虎以爲然、
故遂與之行、獸見之皆走、虎不知獸畏己而走也、以爲畏狐也、今王之地、方五千里、
帶甲百萬、而専屬之昭奚恤、故北方之畏奚恤也、其實畏王之甲兵也、猶百獸之畏虎也、
(戰國策 楚策)
【書き下し文】狐 虎の威を借る
荊の宣王羣臣に問うて曰く、『吾北方の昭奚恤(しょうけいじゅつ)を畏るるを聞けり、果して誠に何如(いかん)』と。羣臣對(こた)ふる莫し。江乙對へて曰く、『虎百獸を求めて之を食らふ。狐を得たり。狐曰く、「子敢て我を食らふ無きなり。天帝われをして百獸に長(ちょう)たらしむ。いま子われを食らはば、是れ天帝の命に逆ふなり。子われを以て信(まこと)ならずと爲さば、われ子の爲に先行せん。子わが後に隨(したが)ひ、百獸の我を見て敢て走らざらんやを觀よ」と。虎以て然りと爲し、故に遂にこれと行く。獸これを見て皆走る。虎獸(じゅう)の己を畏れて走れるを知らざるなり、以て狐を畏ると爲すなり。いま王の地、方五千里、帶甲(たいこう)百萬、而して専ら之を昭奚恤に屬(しょく)す。故に北方の奚恤を畏るるや、其の實は王の甲兵を畏るるなり。猶ほ百獸の虎を畏るるがごときなり』と。
(戰國策 楚策)
【語句】
・子以我爲不信=「信」は「まこと」「うそをいわぬ」。
「以我」の「以」は対象を示す。
逐語訳をすれば、「我をばまことでないと思うなら」、すなわち「私がうそをいっていると思うなら」(注1)
・(注1)「以爲」について
「子以我爲不信」の「以a爲b」は「aをbとする」「aをbだと思う」を意味する。
「虎以爲然」の「以」には「狐のいうことを」という観念が含まれているのである。
このように「以爲」とつづいている場合には「虎以爲(おも)へらく然りと」と読んでもよい。
「以爲」は「おもへらく」と訓読するが、「……と思う」であって、「……を考える」ではない。この点とくに注意すべきである。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、79頁~82頁)
杞憂(列子)
28杞憂(列子)
杞國有人憂天地崩墜、身兦所寄、廢寢食者、又有憂彼之所憂者、因往曉之曰、天
積氣耳、兦處兦氣、若屈伸呼吸、終日在天中行止、柰何憂崩墜乎、其人曰、天果積氣、
日月星宿、不當墜邪、曉之者曰、日月星宿、亦積氣中之有光耀者、只使墜亦不能有
所中傷、其人曰、柰地壊何、曉者曰、地積塊耳、充塞四虚、兦處兦塊、若躇歩(𧾷+此)蹈、
終日在地上行止、柰何憂其壊、其人舍然大喜、曉之者亦舍然大喜、長廬子聞而笑之曰、
虹蜺也、雲霧也、風雨也、四時也、此積氣之成乎天者也、山岳也、河海也、金石也、火水
也、此積形之成乎地者也、知積氣也、知積塊也、奚謂不壊、夫天地空中之一細物、
有中之最巨者、雖終難窮、此固然矣、難測難識、此固然矣、憂其壊者、誠爲大遠、
言其不壊者、亦爲未是、天地不得不壊、則會歸於壊、遇其壊時、奚爲不憂哉、子
列子聞而笑曰、言天地壊者亦謬、言天地不壊者亦謬、壊與不壊、吾所不能知也、
雖然彼一也、此一也、故生不知死、死不知生、來不知去、去不知來、壊與不壊、
吾何容心哉、(列子 天瑞)
【書き下し文】
杞の國に人天地崩墜せば、身寄する所兦(な)きを憂へ、寢食を廢する者有り。また彼の憂ふる所を憂ふる者有り。因つて往きてこれを曉(さと)して曰く、『天は積氣のみ。處として氣兦きは兦し。若(なんぢ)屈伸呼吸し、終日天中に在りて行止(こうし)す、柰何(いかん)ぞ崩墜を憂へんや』と。その人曰く、『天果して積氣ならば、日月星宿は、當に墜つべからざるか』と。これを曉す者曰く、『日月星宿は、また積氣中の光耀(こうよう)有る者なり。只使(たと)ひ墜つるもまた中傷する所有る能はず』と。其の人曰く、『地の壊(くづ)るるを柰何(いかん)せん』と。曉す者曰く、『地は積塊のみ、四虚に充塞し、處として塊兦きは兦し。若躇歩(𧾷+此)蹈(ちゃくほさいとう)し、終日地上に在りて行止す、柰何ぞ其の壊るるを憂へんや』と。その人舍然(しゃぜん)として大いに喜ぶ。これを曉す者もまた舍然として大いに喜ぶ。長廬子(ちょうろし)聞いてこれを笑ひて曰く、『虹蜺(こうげい)や、雲霧や、風雨や、四時や、此積氣(せきき)の天に成る者なり。山岳や、河海や、金石や、火水や、此積形(せきけい)の地に成る者なり。積氣を知り、積塊を知らば、奚(なん)ぞ壊(くづ)れずと謂はん。夫れ天地は空中の一細物、有中の最巨なる者、終(つく)し難く窮(きは)め難し。此固より然り。測り難く識(し)り難し。此固より然り。その壊るるを憂ふる者は、誠に大遠と爲す。その壊れざるを言ふ者は、亦未だ是(ぜ)ならずと爲す。天地壊れざるを得ずんば、則ち會(かなら)ず壊るるに歸す。その壊るるに遇はば、奚爲(なんす)れぞ憂へざらんや』と。子列子聞きて笑ひて曰く、『天地壊ると言ふ者も亦謬(あやま)り、天地壊れずと言ふ者も亦謬れり。壊るると壊れざるとは、吾が知る能はざる所なり。然りと雖も彼は一(いつ)なり、此は一なり。故に生きては死を知らず、死しては生を知らず、來(らい)には去を知らず、去には來を知らず。壊るると壊れざると、吾何ぞ心に容れんや』と。(列子 天瑞)
【語句】
・『列子』 『老子』『荘子』と同じく道家に属する。
列子・列禦寇の名は紀元前400年の前後70年ほどにわたって生存した人物として先秦の書物に見えるが、『史記』にはその伝記が載せられていず、その実在を疑う学者もある。
『漢書』芸文志に列圉寇(れつぎょこう)の著として『列子』8巻があるから、少くとも漢代には『列子』という書物の存在したことは確かである。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、131頁~136頁)
送王秀才塤序(韓愈)
第三部 各体篇 贈序類
送王秀才塤序(韓愈)
吾嘗以爲孔子之道大而能博、門弟子不能徧觀而盡識也、故學焉而皆得其性之所近、其後
離散分處諸侯之國、又各以所能授弟子、原遠而末益分、(一)
【書き下し文】
王秀才塤(けん)を送る序(韓愈)
吾嘗て以爲(おもへ)らく、孔子の道は大(おお)いにして能く博(ひろ)うす。門弟子、徧(あま)ねく觀て盡(こと)ごとくは識ること能はざるなり。故に學びて而うして皆其の性の近き所を得たり。其の後離散して諸侯の國に分處するや、又各おの能くする所を以て弟子に授く。原(もと)は遠くして而うして末は益ます分れたりと。
【語句】
・徧觀而盡識=觀るおよび識るの目的語は孔子の道である。
識はみさだめること。
・得其性之所近=性は生れつきのもちまえ。
「其」は門人それぞれ。
孔子の学説の中から各人の天分に応じて、近づきやすい部分をつかんだ。
・原遠而末益分=根源である孔子の道からはしだいに遠ざかり、まご弟子以後になると、その学説はいよいよ分れていった。
蓋子夏之學、其後有田子方、子方之後、流而爲荘周、故周之書、喜稱子方之爲人、荀卿
之書、語聖人必曰孔子子弓、子弓之事業不傳、惟太史公書弟子傳、有姓名字、曰(馬+干)臂
子弓、子弓受易於商瞿、孟軻師子思、子思之學、蓋出曾子、自孔子没、群弟子莫不有
書、獨孟軻氏之傳得其宗、故吾少而樂觀焉、(二)
【書き下し文】
蓋し子夏の學、其の後、田子方有り、子方の後、流れて荘周と爲る。故に周の書には、喜(この)んで子方の人と爲り稱し、荀卿(じゅんけい)の書には、聖人を語れば必らず孔子・子弓と曰ふ。子弓の事業は傳はらず、惟(ただ)太史公の書の弟子傳に姓名字有るのみ。(馬+干)臂(かんぴ)子弓と曰ふ。子弓は易を商瞿(しょうく)より受く。孟軻(もうか)は子思を師とす。子思の學は、蓋し曾子(そうし)に出づ。孔子の没して自り、群弟子 書有らざるは莫し。獨り孟軻氏の傳のみ其の宗を得たり。故に吾 少(わか)うして觀るを樂めり。
【語句】
・蓋子夏之學=この一段の前半は、孔子の学説が、いかに分れて行ったかの一例を示す。
そのつぎの孟子の系統をひき出すためである。
・其後=子夏は孔子の直弟子でるが、田子方は直接子夏について学んだ人ではないことを暗示する。
・子方之後=荘周もまた子方の直弟子ではない。
・荘周=荘子(そうじ)とよばれる人。荘が姓、周が名。「荘子」は書名であって荘周の学派を集録する。
・荀卿=姓は荀、名は況(きょう)。卿は尊称。
戦国時代の末から秦にかけての儒家の学者、漢代の儒学はほとんど荀況から出ている。そのあらわした書物を「荀子」という。
・太史公書=前漢の司馬遷があらわした歴史「史記」をさす。
・弟子傳=「史記」の第六十七巻「仲尼弟子列伝」をさす。仲尼は孔子のあざな。
・曰(馬+干)臂子弓=(馬+干)[かん]が姓、臂(ひ)が名で、子弓はその字(あざな)だと言う。韓愈は(馬+干)臂が姓だと考えたのかもしれない。
・受易於商瞿=易は周易、すなわち五経の一つの易経のこと。
商瞿は魯の国の人で、あざなは子木(しぼく)と言い、孔子より29歳年少だったと、史記に見える。
・孟軻=すなわち孟子、姓が孟、名が軻である。
・子思=孔子のまご孔伋(こうきゅう)のあざな。
・子思之學、蓋出曾子=子思は直接孔子から学問をうけることができなかったので、かれが学んだのはたぶん曾子すなわち曾參(そうしん)であったろう。
・得其宗=その本すじを失わなかった。宗の原義は直系の子孫。
太原王塤、示予所爲文、好擧孟子之所道者、與之言、信悦孟子而屢贊其文辭、夫沿
河而下、苟不止、雖有遲疾、必至於海、如不得其道也、雖疾不止、終莫幸而至
焉、故學者必愼其所道、道於楊墨老荘佛之學、而欲之聖人之道、猶航斷港絶潢以
望至於海也、故求觀聖人之道、必自孟子始、今塤之所由、既幾於知道、如又得其
船與檝、知沿而不止、嗚呼、其可量也哉、(三)
太原の王塤、予に爲(つく)る所の文を示し、好んで孟子の道ふ所の者を擧ぐ。之と言へば、信(まこと)に孟子を悦んで而うして屢(しば)しば其の文辭を贊す。夫れ河に沿ひて下り、苟(まこと)に止(とどま)らずんば、遲疾有りと雖も、必らず海に至らん。如し其の道を得ずんば、疾(と)くして止らずと雖ども、終に幸(さいはひ)にして至ること莫らん。故に學者は必らず其の道する所を愼(つつし)む。楊・墨・老・荘・佛の學に道して、而うして聖人の道に之(ゆ)かんと欲するは、猶ほ斷港絶潢(だんこうぜつこう)に航(こう)して以つて海に至らんことを望むがごときなり。故に聖人の道を觀んことを求むれば、必らず孟子より始む。
今塤の由る所は、既に道を知るに幾(ちか)し。如し又其の船と檝(かい)とを得て、沿ひて止らざることを知らば、嗚呼、其れ量る可けんや。
【語句】
・太原王塤=ここで始めてこの文の本題に入る。太原は王塤の本籍。
・孟子之所道者=この「道」はやや特別の用法で、「いう」こと。
「詩経」にすでにこのような用法が見える。孟子がいったことば。
・與之言=わたくし韓愈が王塤と話してみると。
・苟不止=とちゅうで止まることさえしなかったならば。
「苟」は仮定の助字であるが、仮定した条件を強く限定する機能をもち、つぎの「如」が一般的な仮定であるのと異なる。
・莫幸而至焉=「幸而」の二字は、しあわせなことにはの義であるが、ここは否定の字「莫」が上にあるから、そんな――到達するような――しあわせなことは有りえないの意。
・道於楊墨老荘佛之學=楊墨以下の学問を道すじ、順路として。
楊は楊朱。自我を愛するべきことを説いた。
墨=墨翟(ぼくてき)。孔子より少しのちの学者。楊朱と反対に兼愛すなわち他人をひろく愛すべきことを説いた。
老=老子。
荘=まえにあった荘周。現象にとらわれない絶対的な生を説いた。
佛=仏教。
以上、五種の学説は韓愈の奉ずる儒家の立場からは異端とされる。
【付記】
・この文では、王塤という人が作者韓愈の学問上の同志であるのみを述べ、送別の場所はもちろん、王塤がどこからどこへ行こうとしているのかも、全然記述されていない。
しかし、そのような事は枝葉として除き去ったことによって、作者の信念が強く表現されたのみならず、たぶんかれの弟子である王塤への期待と信頼の情がつよくかがやいている。簡潔さの力を示す一例であるという。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、198頁~203頁)