歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪勝負師の教え~羽生善治氏の場合≫

2024-07-14 18:00:52 | 囲碁の話
≪勝負師の教え~羽生善治氏の場合≫
(2024年7月14日投稿)

【はじめに】


 前回のブログでは、勝負師として、藤沢秀行氏を取り上げた。
 先日、7月12日(金)、池上彰氏がナビゲーターをつとめる「時をかけるテレビ」という番組があった。NHKの過去番組から時代を超えたメッセージを読み解くというのが趣旨らしい。2005年に放送されたものである「かあちゃんは好敵手―棋士・藤沢秀行と妻モト」では、藤沢秀行氏の晩年の日々の様子が映し出されていた。「最後の無頼派」「天才囲碁棋士」と呼ばれた藤沢秀行氏と妻モトさんとが、がんの闘病生活をどのように送っておられたのかがわかり、また、闘病中にもかかわらず継続された「秀行塾」の様子が伝わるものであった。囲碁に対する秀行氏の厳しさと“異常感覚”を垣間見れたような気がした。例えば、京大医学部卒業後、プロ棋士となった坂井秀至氏(のちに医師に転身)の棋譜を「秀行塾」で添削した際に、小さく囲おうとする「トビ」の手に対して、中央に出るためにどうして「ノビ」なかったのかと評しておられた姿は印象的であった。最後まで失われなかった、囲碁に対する情熱と、最善手を追求する姿勢には、心に刺さるものがあった。

 さて、今回のブログでは、次の著作を参考にして、勝負師の教えについて考えてみたい。
〇羽生善治『直感力』PHP新書、2012年
 プロフィールにあるように、羽生善治氏は、輝かしい業績をもつ将棋のプロ棋士である。
 2018年に棋士として初めて国民栄誉賞を授与されたことは、記憶に新しいであろう。
 その羽生善治氏は、本のタイトルにあるように、勝負師として、「直感力」を重要視されている。
 直感とは、「一秒にも満たないような短い時間であっても自分の経験則と照らし合わせて使うもの」(17頁)、「論理的思考が瞬時に行われるようなもの」「羅針盤のようなもの」(22頁)であるという。
 そして、将棋は、ひとつの場面で約80通りの可能性があるそうだが、著者の場合、その中から最初に直感によって、2つないし3つの可能性に絞り込んでいくという(32頁)。
(こうした「直感」や手を選択する際の考え方として、将棋に限らず、囲碁にも参考になる教えだと思う)

 また、「日本の将棋」(199頁~202頁)では、将棋の発祥は古代インドといわれているが、日本輸入の経緯は、貿易ないし交易に伴ったものである点を指摘されている。金将、銀将、王将(玉将)は容易に推測できるが、桂馬と香車は香辛料だそうだ。貿易、交易で取り扱っているものがそのまま駒になっているというは面白い。
 そして「底流にあるもの」(203頁~205頁)では、簡略化という日本の伝統文化の共通項について言及されている点も興味深い見方だと思う。

【羽生善治氏のプロフィール】
・1970年、埼玉県生まれ。将棋棋士。
・小学6年生で二上達也九段に師事し、プロ棋士養成機関の奨励会に入会。奨励会の六級から三段までを3年間でスピード通過。中学3年生で四段。
・1989年、19歳で初タイトルの竜王位を獲得。
 その後、破竹の勢いでタイトル戦を勝ち抜き、1994年、九段に昇段する。
・1996年、王将位を獲得し、名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王と合わせて、「七大タイトル」すべてを独占。「将棋界始まって以来の七冠達成」として日本中の話題となる。
・2008年には名人通算5期により、永世名人(十九世名人)の資格を獲得し、執筆当時、永世棋聖、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将の全7タイトル戦で6つの永世称号の資格を有した。
・2012年7月、タイトル獲得数が81期となり、大山康晴十五世名人の持っていた生涯獲得タイトル数80期を超えて、歴代一位となった。

<著書>
・『簡単に、単純に考える』(PHP文庫)
・『決断力』『大局観』(角川oneテーマ21)



【羽生善治『直感力』(PHP新書)はこちらから】
羽生善治『直感力』(PHP新書)






〇羽生善治『直感力』PHP新書、2012年
【目次】
はじめに―直感をどのように活かすか
第一章 直感は、磨くことができる
 一瞬にして回路をつなぐもの
 直感とは何か
 「見切る」ことができるか
 約80通りの可能性から、瞬時に急所を絞る
 直感を磨くには多様な価値観をもつこと

第二章 無理をしない
 無駄はない
 何も考えずに歩く 
 空白をつくる
 何も考えないこと、ひとつのことを考え続けること
 底を打つ
 完璧主義に陥らない

第三章 囚われない
 意欲と楽しさについて
 分からないことこそ、やってみる
 苦手なものを引き受けてみる
 先のことは分からないもの
 読書について

第四章 力を借りる
 「他力」を活かす
 同世代のライバルをもつ
 自発的でなくとも頑張れる環境をつくる
 若手にならう
 スランプのとき、いかに心を処するか
 不調を乗り越えるための「経験のものさし」

第五章 直感と情報
 相手を研究するより自分の型
 データを自分の手として昇華させる
 将棋の強さか、型についての知識か
 インプット以上にアウトプットを
 データ分析と勘を併用する
 忘れること、客観的に見ること
 独自性、個性は積み重ねて初めてあらわれる

第六章 あきらめること、あきらめないこと
 勝敗の分岐点を知る
 見極めの精度
 健全な粘り
 ミスの後にミスを重ねない
 反省は後でするもの

第七章 自然体の強さ
 マラソンのラップを刻むように
 道のりを振り返らない
 自己否定しない
 先達にならう―大山康晴十五世名人のこと
 キャンセル待ちをする
 想像力と創造力
 ツキを超越する強さ
 情熱をもち続ける

第八章 変えるもの、変えられないもの
 水面下を読む力
 鉱脈を見つける勘所
 大変革は必要ではない
 アイデアは付け足されていくもの
 基本的なこと
 日本の将棋
 底流にあるもの
 思い通りにならない自分を楽しむ

おわりに―直感を信じる力





さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・はじめに
〇第一章 直感は、磨くことができる
・一瞬にして回路をつなぐもの
・直感とは何か
・約80通りの可能性から、瞬時に急所を絞る
・直感を磨くには多様な価値観をもつこと

〇第三章 囚われない
・読書について

〇第五章 直感と情報
・相手を研究するより自分の型
・データ分析と勘を併用する
・独自性、個性は積み重ねて初めてあらわれる

〇第八章 変えるもの、変えられないもの
・水面下を読む力
・鉱脈を見つける勘所
・基本的なこと
・日本の将棋
・底流にあるもの







はじめに


・「直感」と「読み」と「大局観」。棋士はこの三つを使いこなしながら対局に臨んでいるという。

・一般的に経験を積むにつれ、「直感」と「大局観」の比重が高くなる。
 これらはある程度の年齢を重ねることで成熟していく傾向がある。
 「習うより慣れろ」ということだろうか。
 「読み」は計算する力といっても過言ではない。したがって、十代や二十代前半は基本的に「読み」を中心にして考え、年齢とともに「たくさん読む」ことよりは、徐々に大雑把に判断する、感覚的に捉える方法にシフトしていくのだろうという。

・何を選択し、行動するかには外的要因とは関係のないプリンシプル(原理・原則)があるのではないか。それを見つけ出さなければならない。
 そのときにひとつの指針となるのが、直感であるという。
 なぜなら直感は、無駄な迷い、思い、考えの無い状態で浮かび上がっているのだから、次に何をするのか、何を望んでいるのかが如実にあらわれる。
 本書では、直感がどのように具体化するのかについても述べている。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、3頁~5頁)

第一章 直感は、磨くことができる
 一瞬にして回路をつなぐもの

一瞬にして回路をつなぐもの


・棋士は、若いときには計算する力、記憶力、反射神経のよさを前面に出して対局する。
 年齢を重ねるにつれ少しずつ直感、大局観にシフトしていくのが普通の流れである。
 直感や大局観は、一秒にも満たないような短い時間であっても、自分の経験則と照らし合わせて使うものである。ある程度の実地経験を積んでからでないと使えない。
(つまり、成功したり失敗したりした経験を消化して、栄養となったものが、大切な財産なのである)

・どのコースを行けばいいのか。
 それを見極めるためには、記憶を駆使し、データに基づいて、その局面での最善手を選んでいくことも必要である。しかし、ずっと同じ位置で、同じ視線で考え続けても、結局答えの見つからないことは多い。
 さらに、よけいな情報を増しても(たとえば相手の読みや棋風などにまで考えを巡らせると)、邪心が入ってしまう。
(策士策に溺れるがごとく、自滅してしまう)

・それよりも、その状況を理解する、「ツボを押さえる」といった感覚が自分の中に出現するのを待つことが大事だという。
 その感覚を得るためには、まずは地を這うような読みと同時に、その状況を一足飛びに天空から俯瞰して見るような大局観を備えなければならない。
 そうした多面的な視野で臨むうちに、自然と何かが湧き上がってくる瞬間がある。

 たとえば、この形はこういう方向でやればいい、こういう方針で、こういう道順で行けばいいと、瞬時のうちに腑に落ちるような感じである。考えを巡らせることなく一番いい手、最善手が見つけられる。その場から、突如ジャンプして最後の答えまで一気に行きつく道が見える。ある瞬間から突如、回路がつながるという。
➡この自然と湧き上がり、一瞬にして回路をつなげてしまうものを、著者は直感と称している。
(本当に見えているときは、答えが先に見えて、理論や確認は後からついてくるものらしい)
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、17頁~20頁)

直感とは何か


第一章 直感は、磨くことができる
・直感の正体とは何か。
 直感とは、論理的思考が瞬時に行われるようなものだという。
 勝負の場面では、時間的な猶予があまりない。
 論理的な思考を構築していたのでは時間がかかりすぎる。
 そこで思考の過程を事細かく緻密に理論づけることなく、流れの中で「これしかない」という判断をする。そのためには、堆(うずたか)く積まれた思考の束から、最善手を導き出すことが必要となる。直感は、この導き出しを日常的に行うことによって、脳の回路が鍛えられ、修練されていった結果であろうという。
 
・将棋を通して、著者は、それが羅針盤のようなものだと考えるようになったとする。
 航海中に嵐に直面した。どのルート(指し手)をとればいいのか分からない。
 そのとき、突如として、二、三のルートがひらめくことがある。これが直感だという。
 その直感にしたがって海図を調べ(検証)、最終的に最善のルートを決断するのは思考の段階だ。その前の直感は、具体的に頭の中で考えるとか表現するというものではない。自然と湧き出た感覚、「感じ」なのである、という。

・経験を積むことでも、直感を導き出す力は鍛えられる。
 直感は、本当に何もないところから湧き出てくるわけではない。
 考えて考えて、あれこそ模索した経験を前提として蓄積させておかねばならない。
 また、経験から直感を導き出す訓練を、日常生活の中でも行う必要がある。
 もがき、努力したすべての経験をいわば土壌として、そこからある瞬間、生み出されるものが直感であるという。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、21頁~24頁)

約80通りの可能性から、瞬時に急所を絞る


・たとえば将棋で、「何手ぐらい先まで読むか」といったとき、プロの棋士は、単純に「手を読む」ことだけをするわけではないそうだ。
 昭和の初期から20年代にかけて活躍した木村義雄14世名人は、「一睨み2000手だ」と言っている。これはかなり誇張もあるが、プロ棋士であれば、30分とか1時間とか、ある程度の時間を費やすことで、100手でも1000手でも「よく考える」ということだけであれば、できるようになるという。
(ただ、それをしたところで、その対局におけるあらゆる展開の可能性から見ると、全体のほんの1000分の1にも満たないようなことだけしか、分からない)

・いまの将棋は、情報収集と分析、研究が進み、それを記憶していること、それに基づいた読みを進めることが第一義のようにも、いわれる。
 たしかに読みは大切だが、それだけで結論が出せるほど、将棋は甘くないようだ。
 将棋は、ひとつの場面で約80通りの可能性があるといわれている。
 著者の場合、その中から最初に直感によって、2つないし3つの可能性に絞り込んでいく。
(残りの77とか78という可能性については、捨てる。たくさん選択肢があるにもかかわらず、9割以上、大部分の選択肢はもう考えていない。見た瞬間に捨てているということになる。)

・では、その80通りの中から直感によって、2つないし3つ選び出す作業とは、どのようなものか。
 それは、写真を撮るようなものだ、と著者は捉えている。
 カメラで写真を撮るときには、被写体に向かい、全体の絵柄(構図)を考えて、ピントを合わせる。このピントを合わせるような作業が、直感の働きではないか、という。

➡なんとなくここが中心、急所、要点ではないかといったことを、それまでの自分自身の経験則や体験、習得してきたことのひとつのあらわれとして、つかむことができたなら、そこには直感が働いている。

※直感は、目を瞑(つぶ)ってあてずっぽうにくじを引くような性格のものではない。
 またその瞬間に突如として湧いて出るようなものとも違う。
 今まで習得してきたこと、学んできたこと、知識、類似したケースなどを総合したプロセスであるようだ。
 直感は、ほんの一瞬、一秒にも満たないような短い時間の中での取捨選択だとしても、なぜそれを選んでいるのか、きちんと説明することができる。
 適当、やみくもに選んだものではなく、やはり自分自身が今まで築いてきたものの中から、生まれてくるものであるという。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、30頁~33頁)

直感を磨くには多様な価値観をもつこと


・直感は、だまっていても経験によって自然に醸成されていくものであるらしい。
 その醸成は、日々の生活の中でも、知らず知らずのうちに、行われている。
 そうした経験も大切だが、そこから何を吸収するかは、より重要である。
 それによって価値観も変わるから。

・だからこそ、時には立ち止まって、軌道修正が必要かどうかを確認しなければならない。
 直感のように感覚的なものは、とても繊細なものなので、少しのズレが大きな結果の違いを生むことも珍しくない。
 そして、目の前の現象に惑わされないことも大切。

※自分の思うところ、自分自身の考えによる判断、決断といったものを試すことを繰り返しながら、経験を重ねていく。そうすることで、自分の志向性や好みが明確になってくる。
(「好み」というと、単なる好き嫌いに聞こえるが、それはとりもなおさず自分自身の価値観をもつこと)
 つまり、直感を磨くということは、日々の生活のうちに、さまざまのことを経験しながら、多様な価値観をもち、幅広い選択を現実的に可能にすることである、と著者は考えている。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、34頁~35頁)

第三章 囚われない

読書について


・迷ったら本は買ったほうがいい。
・どんなかたちで役に立つかは分からないが、それが本のよさでもある。
 エンターテイメントであったり知的刺激であったり、さまざまなことを経験することができる。
 一人の人間が決められた時間の中で経験できることは限られている。古今東西の事象や考え方などを知るには他にはないものだと思うし、同様のものでは映像があるが、これはそのものの刺激がとても強いので、自分で考えたり吟味したりする余地は小さい。
 本を通じてたとえ他人から見たら意味のなさそうなことでも、自分なりに解釈してみることが、想像力や創造力を生み出す源泉になるという。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、76頁~78頁)

第五章 直感と情報

相手を研究するより自分の型


・十代の頃、対戦する相手の棋譜を1年分ぐらい、ずっと調べていたこともあったそうだ。
 しかし、すでに終わってしまった過去の対局の棋譜を調べたところで、必ずしも、次回同じになるわけではない。いたずらに心配の種を増やすだけだということに、途中で気がついてやめたらしい。
 つまり、相手のことを研究しても、あまり意味がないと。

・相手のことを研究するよりも、自分の作戦や型を充実させておいたほうがいい。
 自分のやり方を求めていくほうが、対応しやすいのではないか、と思い直す。
 相手がこう出てくるからこうしよう、というのではなく、自分はこうするのだということを、きっちり押さえておいたほうがいい。
 そうすれば、相手に誰がやってこようとも対応できる。
 だからそのほうがいいのではないかと、途中から考えるようになった。
 そして、そのための方法は、自分で自分に合ったやり方を研究するしかないという結論に至った。
(ただし、それは二十代に入ってからのこと)
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、105頁~108頁)

データ分析と勘を併用する


・人間の能力は、若いときには記憶力とか、計算力とか、瞬発力といったところが強いものだが、年齢を重ねるにつれ、それはだんだんと変わってくる。
 棋士も、自分の能力のどこを一番の強みにするかは、時を経るにつれて変わっていく。

・たいていは、大局観のような漠然としたもの、答えの出ない場面や混沌とした状況の中で、どうしたらいいかということを、「正しく」ではなく「だいたい」でつかむ力が長けてくる。

・それは、コンピュータが「進化」していく過程とは、違う。
 コンピュータが進化していく、学習していく過程というのは、データを増やすこと。
 処理能力を高くして記憶容量を増やすとか、計算速度を上げるとかいったことである。
(いわば、ひたすら数を増やしていく作業)

・一方で、人間の進歩の過程は、たとえば同じ将棋が強くなるにしても、いかに悪手を見極められるようになるかが大事である。
 次第にたくさんの手を考えずに済むようになっていくことが、イコール強くなる、進歩していくことになる。つまり、減らしていく、捨てていくということである、と著者はいう。
(ただ、それで万全だと考えるのも早計だという。直感が合っているケースも少なくはないが、それと同時に一歩ずつ、着実に積み重ねる作業、まさに地べたを這うような泥臭い粘りも経験しなければならないそうだ。
 それは時には、コンピュータも行うようなデータの集積であったり、一縷の可能性を信じて砂場から砂金を探すような一つひとつの検証であったりもする)

※創造性と情報処理能力、感性とロジカルの両方を兼ね備えて、バランスをとることが必要である。
 加えて精神性。特に将棋のような長丁場の勝負の世界では、不安な時間に対してどれだけ耐性をもてるかが大事らしい。

※いま現在あらゆるジャンルで拡大を続けるデータとか情報といったものは、いわば人間の知識の集積である。だから、そこから打ち出される結論や道筋は重要である。
 また一方では、人間が本来もっている動物的な勘、野性の勘みたいなもの、そういうものも欠いてはいけない。
 それら双方を、自分の置かれた場面や状況に合わせて、上手に使いこなしていくということが、必要である。
 そして、そのいずれを選ぶのかという決断は、まぎれもなく自分自身の直感による。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、118頁~121頁)

独自性、個性は積み重ねて初めてあらわれる


・型や戦法をデータとして蓄積することは、いってしまえば暗記である。
 基本的な知識を押さえておく、この形になったらこうしてはいけないといったことを、全部覚えておけばいい。そうすれば、少なくとも最悪の局面にはしないように心がけることができる。
その局面にしてはいけないという形を何百通りか記憶しておけば、その前段階から回避するために、作戦を立てていくことができる。
(覚えた形を回避しさえすればいいのなら、それは単純に暗記とか記憶の問題である)

・こうした情報がどれだけ増えても変わらない大切さは、個性だという。
 さまざまな経験や知識、その集積からなる価値観に基づいて表出される独自性である。
 時には、今まで築いてきた経験則をゼロにして考えてみることによって、生まれるものもある。遠回りしながら熟考し導いたもののほうが、長期的視点に立てば、後々まで役立つことが多いといえる。深く考えて得られた自信、確信こそが、疑念や迷いが生じたときの支えになるらしい。
 独自性、個性は、一朝一夕にはつくれない。さらに、それを常に発揮するのは、もっと難しい。
 一手ずつの指し手に個性を出すことは難しい。ひとつの局面でどの選択肢を選んだところで、たいていそんなに違わない。そのとき可能性のある三つの選択肢の中からどの一手を選ぼうが、たいして大きな差が感じられるわけでもない。ただし、それを一局としてまとめ上げたときに、個性は自ずと生じてくる、という。

・常に戦型を研究し、覚えるといった基本は押さえた上で、プラスアルファのものを付け加えるということをしたい、と著者はいう。
 基本的な知識は踏まえた上でこそのオリジナル、個性である。
 将棋の世界では、データの重み、定跡や研究の成果といったものは、やはり軽視できないようだ。
・いかに自分の個性を出していくか。
 それは、今日意図したから出せるというものではない。
 基本を踏まえ、一手ごとの選択をし、時にはリスクを冒して決断するといった経験を重ね、道のりを歩いてのちに、自然とあらわれてくるものと著者は考えている。
(自分の意識や意図とは離れたところであらわれる、その個性こそが、総合的な「力」であるそうだ)
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、125頁~128頁)

第八章 変えるもの、変えられないもの

水面下を読む力


・将棋の世界は、勝負によって結果がはっきりする自己責任の世界である。
 月並みなことをしていると、少しずつ状況が悪くなる。変化を恐れない前向きな姿勢が必要であるそうだ。

・元来、将棋の世界では師匠が弟子に何かを「教える」ことはなかった。
 それが最近は、師匠のほうから進んで弟子に手取り足取りしてしまうケースが多いという。それは弟子を思ってというよりも、師匠のほうが心配で仕方がないから、ついつい直接的に教えてしまっているようだ。
 だが実は、分からない、迷っている、悩んでいるとか空回りしているといった苦しい時間こそが、後々の財産になる、と著者は考えている。
(そこで自分の力を精一杯使ってもがいている人にいきなり、こうしろと教えてしまうのは、親切なように見えて、実際のところはその逆の作用をしてしまうとする)

・何事であれ、最終的には自力で考える覚悟がなければならない。
 何かのデータや誰かの意見に乗って、多数派だから安心だとか安全だとかいうことはない。
 自分で調べて自分で考え、自分で責任をもって判断する姿勢をもっていないと、自分の望んでいない場所へ流されていく可能性もある。
 その先を読む眼をもつためには、表面的な出来事を見るのではなく、水面下で起きているさまざまな事象を注視することが重要である、という。

・たくさんの情報が入手できるのであれば、それを活用するのもいいだろう。
 ただそこで、やみくもにその情報に従うのではなく、やはり自分なりの価値基準を決めて取捨選択することが必要になる。
 玉石混淆だと承知しながら、たとえば100なら100の情報をざっと見る。その後に、これはダメだとか、使える、使えないというような、取捨選択をするアプローチの仕方もあるだろう。
 そういうプロセスをとりながら、自分なりの決断方法を構築していく。
 ただ、取捨選択を繰り返すのではなく、そこで自分なりに判断したり、もがいたり、何か新しいアイデアを考えたりしながら、その先へと向かっていく。
 たとえば棋譜も、必要な情報が全部、そこに載っているわけではない。
 自分が本当に知りたいことは、棋譜にあらわれた内容を超えて、その水面下にあるという。表に出現しているところから一歩踏み込まないと、価値をもたないようだ。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、181頁~184頁)

鉱脈を見つける勘所


・表には出てこない水面下のもの、鉱脈を見つけるには、勘所(かんどころ)というものがある。
 棋譜の例でいうと、一手指す場面で30分考えるとする。
 すると、用紙には「30分」と書いて提示される。
 30分考えたということは、つまりそれだけ分岐が多い局面だったのである。
(いろんな可能性があるから30分も考えているのであって、基本的には、考える必要のないところに時間は使わない。つまり、この局面は盤上にあらわれた以外の有力な選択肢がいくつもあるのだということが想像できる)

・そのようにして、たとえば時間や盤上の形から、過去にその対局者が得てきたものを読みとって、そこに自分との共通項を見つけたり、常識といった前提条件みたいなものとも照らし合わせてみる。
 そして、そこから一歩先へと考えを巡らせていく。

※それは、ある種の勘といえば勘であるが、ひとつには「慣れ」の要素も大きいという。
 たとえば、どんな局面でもプロなら対応できるかというと、必ずしもそんなことはないらしい。
 やはり慣れている局面、よく知っている局面で羅針盤が利きやすくなるそうだ。
 したがって、まずはある程度の量を経験することも必要だろう。
 さらに、そうして押さえた量の蓄積を、いったんゼロにしたほうが何かが生まれやすい。

※量の蓄積、経験則が増えることによって、自分の中には「できる自信」のようなものが生じてくる。それは、自分自身を信じる力にも当然なり得るが、それを一回捨ててしまったほうが、新たに違うものが生まれやすくなるそうだ。
 だから、データでも資料でも、一度まったく見ないようにするとか、それらは別にして新たな研究を始めてみるといい。
 すると、既存のものに頼ることはできず、自分で考えるしかなくなる。
 それは心許なく、何も生み出せないリスクを伴うものであり、同じ地点まで辿り着くのに時間がかかることもあって、効率が悪いように思われるかもしれないが、長い目で見たときには、実はそうでもない。結局のところ、必死にもがいて身につけたものこそが、自分自身の力になる、と著者は主張している。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、185頁~187頁)


第八章 変えるもの、変えられないもの

基本的なこと


・将棋の世界では、基本的に師匠が弟子にああしろ、こうしろとは言わない。
 直すべきところがあっても、基本的には弟子が自分で気づくまでそっとしておく。
 これは自分で苦労して、自分なりの方法を見つけなさいという無言の教えである。
 その人の個性、本当のオリジナリティをつくるためにはそういった道筋が必要だからだ。
 ただ、よい部分を伸ばしてあげようという風潮はあるそうだ。
 環境としてそれを見守る姿勢でいながら、教えてもらう前に自分で考える習慣をつけさせるという。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、197頁~198頁)


日本の将棋


・将棋の発祥は、古代インドといわれている。
 言い伝えによれば、戦争好きの王がいて、明けても暮れても戦争ばかり。当然、家臣たちは困っていた。
 そこでアイデアをめぐらせ、盤上で戦争を疑似体験するゲームをつくった。王に実際の戦争をやめさせようというところから始まったといわれている。
 これが「チャトランガ」と呼ばれる、将棋の原型だという。

・最初は二人で遊ぶ双六(すごろく)のようなものから始まったようだが、西方へ渡ってチェスになり、アジアではそれぞれの国で発達し、その国ごとの将棋が発達した。
 インドにはインドの将棋があり、タイにはマックルックという、やはり将棋のようなものがある。中国の将棋はシャンチー、朝鮮半島ではチャンギという。
 日本に入ってきたのが、およそ千年前から千五百年前だそうだ。
 ただし、奈良の興福寺から出土した駒が、およそ千年前のものだとして、現在最古の駒といわれている。
 
・日本輸入の経緯はほぼ間違いなく、貿易ないし交易に伴ったものだという。
 これは、駒を見れば簡単に分かる。
 たとえば、金将、銀将は、見ての通り金銀財宝。王将も、王様ではなく、宝のことだ。
 『王将』という歌もあるが、本当のところをいえば、最初は王将という駒は実はなかった。「玉(ぎょく)」将しかなかった。玉、すなわち宝石を表す駒だ。主に翡翠(ひすい)を指すという。

・そして、桂馬と香車。
 これは、香辛料。
 アメリカ大陸発見の例を出すまでもなく、昔は香辛料がたいへん貴重なものだった。
 そうした金銀財宝と香辛料が駒になっているのだから、どう考えても、貿易、交易で取り扱っているものがそのまま駒になっていると考えるのが自然だろう、とする。

・そうした駒の取り合いを基調にした遊び、ゲームには、それぞれの国や地域の歴史や文化、伝統、思想といったものが色濃く反映されていく。
(これまでの歴史の中では何百という種類のルールが存在していたのではないかと思われる。その大部分は廃れてなくなってしまった。これが「歴史の淘汰」だろう。)

〇日本の将棋についていえば、二つの特徴がある。
①ひとつは、取った相手の駒を自分の手駒として使う、持ち駒再利用のルール。
 これは、世界中の将棋に類似したゲームの中でも唯一日本だけのもの。 
 駒の色を見れば分かるが、相対する双方が同じ色の駒で戦うのは、日本の将棋だけ。
 たとえば、中国将棋は赤と黒か緑、朝鮮の将棋であれば赤と青または緑というように、自分と相手とでは駒の色が違うのが、世界の将棋の中では一般的。

②さらに、日本ならではの文化が将棋にも反映されたといえる特徴もある。
 通常は、ルール改変の場合、盤を広くするか、駒の力を強くするかによって、面白さを維持するケースが多い。たとえば、囲碁なら、19×19という361のマス目。これだけ広いマス目があれば、動きや戦型の可能性も大きくなるので、それで面白さを維持するわけである。
 チェスの場合は、クイーンという非常に強力な駒をつくり、多様な動きを実現させることで、その可能性を増やしていった。
 このとき、日本の将棋はどうしていったか。
 それらとはまったく正反対の道をたどった。
 以前のルールと比べて、駒の数を少なくし、盤のマス目を小さくし、どんどん小さくしていって、最終的に81のマス目に40枚の駒で戦う形になったのが、約400年前ということになる。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、199~202頁)


底流にあるもの


・何事につけ、小さいコンパクトに、簡略化していくのは、将棋だけの話ではなく、日本の伝統文化の共通項ではないか、と著者はいう。
 江戸時代、将棋界には家元制度が布かれていた。
 茶道や華道と同様、世襲で代々継いでいく。
 そのため、伝統やしきたりに重きを置くという一面はあるが、それ以上に、この小さく、コンパクトにというのは、日本もしくは日本人のDNAに根付くものではないかという。

・たとえば、俳句や和歌。
 これは17文字ないし31文字という、極めて限られた字数の中に世界観を築き、感情を表現する。
 『万葉集』にしても、ただその言葉だけ字面だけ追っても、何をいいたいのかは分からないが、文字や言葉のあいだに垣間見られるより奥深いものを推察し、そこから展開される世界を追体験するからこそ、面白い。
 能もしかり。能面をつけることで、演じ手本人の顔の表情は見えなくなる。しかしその表情をまったく見えなくすることによって、その役柄のより深い情感のようなものを表す。
 さらに茶道では、千利休は本当に狭く小さな四畳半の空間の中に、森羅万象を表そうとした。

※その伝統的な世界の考え方、底流には、極めて簡潔に、簡素にするというところがあるという。

・そして、これは歴史や伝統の中だけの話ではなく、現代にも通じることではないか。
 と同時に職人芸ということでいえば、たとえばアニメーションは、1秒間に24コマとか30コマという絵コンテを描き、それを動かして成り立たせている。つまり、非常にきめ細かい職人技を必要とする。

・とにかく、簡素化していく。簡略化し、短くして小さくコンパクトにする。
 最近の流行でいえば、ツイッターなどもそうだろう。144文字。ほんの少ししか書けない媒体だが、それをたくさんの人が嬉々としてやっている。

・こうして見ると、表現され、想像される世界というものは、昔から基本的に変わらない。
 その現れ方こそジャンルや形式、時代によって異なるかもしれないが、根本的なものとして、底流にある考え方、発想というのは、いまの時代も、千年前の時代も、さして大きな違いはないのではないか、と著者は述べている。
(羽生善治『直感力』PHP新書、2012年、203頁~205頁)


≪勝負師の教え~藤沢秀行氏の場合≫

2024-07-07 18:00:01 | 囲碁の話
≪勝負師の教え~藤沢秀行氏の場合≫
(2024年7月7日投稿)

【はじめに】


 先日6月30日(日)、第72回NHK杯テレビ囲碁トーナメント1回戦では、藤沢里菜女流本因坊と小山空也六段との対局が行なわれた。解説の平田智也八段と司会の安田明夏さんが話されていたように、二人の対局者は三代続くプロ棋士だという。言うまでもなく、藤沢里菜さんの祖父は、藤沢秀行・名誉棋聖(1925~2009)である。

 今回のブログでは、その祖父の藤沢秀行・名誉棋聖が著された次の著作を参考にして、勝負師の教えについて紹介してみたい。
〇藤沢秀行『勝負と芸―わが囲碁の道』岩波新書、1990年

 著者の棋風は豪放磊落で、厚みの働きをよく知る棋士といわれる。ポカで好局を落とすことも多かったらしいが、「華麗・秀行」とも呼ばれた。酒、ギャンブルなど破天荒な生活で、「最後の無頼派」とでも称すべき人柄であったようだ。
 書の大家でもあり、安芸の宮島・厳島神社の鎮座1400年に際し、「磊磊」の文字を奉納したことでも知られる。

 さて、「あとがき」(198頁)にもあるように、「ガン闘病記を出しませんか」と岩波書店の担当者から言われたのが、この書物のはじまりだったそうだ。自身の生き様や考え方を、碁を知らない人たちにも読んでもらいたいと著者は思ったという。
 「ガンに打ち克つ」(93頁~97頁)、「秀行軍団」(102頁~109頁)を読むと、著者の人柄や闘病中の活動(勉強会・研究会、訪中)の様子が伝わってくる。

 ここでは、定石や厚みと実利など、囲碁に対する考え方などについて、要約してみたい。
なかでも興味深かったのは、「昔の名人と勝負すれば」(151頁~158頁)と題して、ご自分の好きな棋士について述べているくだりであった。
 秀策はなぜかなじめず、秀策のライバルの太田雄蔵に親しみをおぼえ、堅実な秀策よりも雄蔵の華やかな打ち回しに引かれたそうだ。明治初期の秀甫や水谷縫次の打碁約800局を、繰り返し並べたという。好みの棋士はやはり棋風によって変わるものらしい。
 また、藤沢秀行先生自身は、ご自分について、勝った負けたと騒ぐ前に相手を思いやってしまい、勝負師としては甘いかもしれない(180頁)、と述べておられる点が興味深い。
 
 ガン闘病中にもかかわらず、研究会を続けられたが、井山裕太氏も、その著書『勝ちきる頭脳』(幻冬舎文庫、2018年)においても、藤沢秀行先生について、次のように評しておられる。
「棋聖六連覇をはじめ名人、王座、天元などのタイトルを獲得した、昭和期を代表する名棋士」(148頁)

【藤沢秀行氏のプロフィール】
・1925年横浜市に生まれる。
・1934年日本棋院院生になる。1940年入段。
・1948年、青年選手権大会で優勝。その後、首相杯、日本棋院第一位、最高位、名人、プロ十傑戦、囲碁選手権戦、王座、天元などのタイトルを獲得。
・1977年から囲碁界最高のタイトル「棋聖」を六連覇、名誉棋聖の称号を受ける。
・執筆当時、日本棋院棋士・九段、名誉棋聖

<著書>
・「芸の詩」(日本棋院)
・「碁を始めたい人の本」(ごま書房)
・「秀行飛天の譜」(上・下、日本棋院)
・「囲碁発陽論」(解説、平凡社)
・「聶衛平 私の囲碁の道」(監修、岩波書店)



【藤沢秀行『勝負と芸』(岩波新書)はこちらから】
藤沢秀行『勝負と芸』(岩波新書)





〇藤沢秀行『勝負と芸―わが囲碁の道』岩波新書、1990年
【目次】
一 碁打ちをこころざす
 父・重五郎
 兄弟は十九人
 五歳で碁をおぼえる
 院生となり、福田先生に入門
 昭和初期の碁界
 皇軍慰問団
 入段のころ

二 青年秀行
 満州に一年
 木谷道場のこと
 棋士と戦争
 囲碁新社事件
 囲碁新聞を発行
 三好達治先生のこと
 昭和二十年代と呉清源

三 名人から棋聖へ
 “我々の時代がきた”
 名人戦創設に奔走
 第一期名人に
 ライバルについて
 酒と借金
 初ものに強い
 怪物にされる
 ガンに打ち克つ
 忘れ得ぬ人たち

四 次代を育てる
 秀行軍団
 中国はなぜ強くなったのか
 曺薫鉉と韓国碁界
 国際化の時代
 二十一世紀に向けて

五 秀行の盤上談義
 定石について
 秀行流の感覚とは
 私とポカ
 何手まで読めるか
 コンピュータは人間に勝てるか
 昔の名人と勝負すれば
 名局とは
 指導碁について

六 勝負か芸か
 なぜ芸にこだわるのか
 碁に強くなるには
 個性を伸ばす
 日常がすべて
 持ち時間について
 厚みと実利
 マナーが第一
 碁と年齢
 碁は難しい?
 九路盤で入門を
 プロの世界
 これからの碁界
あとがき





さて、今回の執筆項目は次のようになる。


一 碁打ちをこころざす
 昭和初期の碁界

五 秀行の盤上談義
 定石について
 昔の名人と勝負すれば
 名局とは

六 勝負か芸か
 なぜ芸にこだわるのか
 碁に強くなるには
 日常がすべて
 厚みと実利







昭和初期の碁界


昭和初期の碁界
・木谷実と呉清源が新布石を打ちだしたのは、昭和8年の秋である。
 その夏、木谷は奥さんの実家である信州地獄谷温泉に滞在し、呉清源とともに構想を練ったという。
・本場所ともいうべき大手合で、二人そろって新布石を打ち、しかも好成績をあげたので、碁界はもとより世間もびっくりした。
 新布石は、わが国500年の囲碁史の中で、確かに一大革命といっていい。
 それまでの布石が小目を中心とする三線の組み立てであったのに対して、新布石は星を中心とする勢力とスピードをめざした新戦法である。

・星打ち自体は明治の秀栄名人が数多く試みているけれど、二連星、三連星となると、新布石のオリジナルだろう。
 新布石はさらに三々や天元、五の五なども加えて、盤上に幾何学模様を描き出した。

・新布石の熱病は昭和8年の秀哉名人と呉清源九段の記念碁で頂点に達する。
 <参考譜>に見るように、伝統的な小目の布石の名人に対し、呉五段は三々、星、天元と奇抜な陣を布いてファンの度胆を抜いた。
 この碁は終盤で名人に妙手が出て、呉五段の二目負けに終わったが、新布石の明快さは一般の共感を呼んだようである。

<参考譜>
名人勝負碁
 昭和8年10月14日~9年1月29日
        本因坊秀哉名人
 二先二・先番 呉清源五段

(注)
・黒1が三々(さんさん)~盤端から三線目の交点にある。
・白2と4を小目(こもく)という。
・黒3は星。
・黒5は特別に天元という。
・ほかに左下で説明すると、隅を先に占める場合、
 AとDが高目(たかもく)
 BとEが大高目
 Cが五の五である。


 長き夜や 三々の陣 星の陣

 こんな川柳がもてはやされたという。

・昭和9年には、平凡社から木谷、呉、安永一(はじめ)の共著である『囲碁革命・新布石法』という本が出た。
 安永は当時の日本棋院編集長だった。
 この本は碁の出版物としては空前の10万部を売りつくし、左前だった平凡社が立ち直ったと聞いている。
・一方、坊門の村島誼紀(よしのり)五段と高橋重行四段による『打倒新布石法』も出て、新布石の熱病はいよいよ高まった。

・私たちカスリ組は、そんな中で碁を学んだわけだが、著者自身はまったく新布石の影響を受けなかったそうだ。院生時代の棋譜が百局近く手元に残っているが、三連星は一局もないという。
 著者が三連星を時折試みるようになったのは、つい最近である。
 知らず知らずのうちに影響を受けていたのかもしれないという。

・木谷実や呉清源の活躍についても、すごい人がいるものだな、というくらいにしか感じていなかった。

・著者の勉強法はちょっと変わっていた。
 定石の勉強は、野沢竹朝(ちくちょう)の『大斜百変(たいしゃひゃっぺん)』を読んだだけで、ほとんどしない。
 何をしたかというと、故人の打碁並べである。
 愛読したのは本因坊秀甫(しゅうほ)先生の講評が添えられてある『囲碁新報』である。
 明治初期の秀甫や水谷縫次(ぬいじ)の打碁約800局を、繰り返し並べた。
 無意味に並べるのではなく、一手一手の意味を追求し、自分ならこう打つと考えるのだ。
 入段前の1年間は、1日10時間以上は並べたと思う。
 昭和37年、第一期の名人に就いたとき、瀬越先生から「きみの碁は秀甫に似ている」といわれたのも、このときの猛勉強が身についていたからだろう。

・秀甫に次いで並べたのが秀栄。
 秀策はなぜかなじめず、秀策のライバルの太田雄蔵に親しみをおぼえた。
 堅実な秀策よりも雄蔵の華やかな打ち回しに引かれたのかもしれない。

(藤沢秀行『勝負と芸』岩波新書、1990年、16頁~20頁)

<ポイント>
明治初期の秀甫や水谷縫次の打碁約800局を、繰り返し並べた
秀策はなぜかなじめず、秀策のライバルの太田雄蔵に親しみをおぼえた。
 堅実な秀策よりも雄蔵の華やかな打ち回しに引かれた



定石について


「5秀行の盤上談義」の「定石について」で、次のように述べている。
・碁のことばが一般的に使われるようになった例はずいぶん多い。
 「布石」とか「局面」などは常に使われている。
 「ダメ(駄目)を押す」などというのもある。
 「序盤」、「中盤」、「終盤」なども碁から出たことばと思う。
 それらの中でチャンピオン格は「定石」ということばだろう。
 
・定石とは何か。
 実のところ、著者にもよく分からないという。
 だから「定石はいくつありますか」とか、「どのくらい定石をおぼえればいいか」などというアマチュアの質問には、頭をかかえてしまう。
 部分において最善とされる一定の打ち方、それが定石の解釈だが、本当に最善かどうか、われわれにも分からないことがあまりにも多い。

・多くのアマチュアは定石について誤った考えを持っていると思う。
 定石は絶対だと信じ、定石をたくさんおぼえればそれだけ強くなるという錯覚である。
 だいぶ前のこと、一念発起して、『囲碁大辞典』を丸暗記したアマチュアの話を聞いたことがある。
 『囲碁大辞典』とは、古今の数万にわたる定石を記した鈴木為次郎先生の労作で、現在も多くの棋士が監修して改訂版が出されている。
 そのすべてを暗記しようとする努力には頭が下がるけれど、まったく上達しなかったそうである。当然だろう。
 定石はだいたい隅に限られている。
 四つの隅はかなり離れているから、アマチュアの方は部分部分で独立したものと考えがちである。
 しかしこれが大変な間違いで、各隅は程度の差はあれ、みな微妙に影響し合っている。
 したがって一つの隅だけで定石をきちんと打っても、あまり意味がない。
 部分といえども、盤全体との関連で一手一手が違ってくる。
 おぼえたての定石を使ったところで、どうしようもないのである。

・「定石の本を読むのは非常に参考になる。ただくわしくおぼえる必要はない」と、著者はいってきた。
 著者自身も定石の本を何冊も書いたが、決しておぼえよとはいってない。
 40年以上も前に書いた定石書の序文の一部を紹介しよう。

  元来定石といわれるのは、一局の最も初めに打たれたるものであって、隅から打ち出された定石はその定石から発展して布石を形成し、布石は中盤を、中盤は終局へと発展する。又、隅の定石は他との関連によって、ある場合にはある定石を打つことがより適切であるなど、隅の定石といわれているものは隅のみにおいて解決できると考えられているのは誤りである。(中略)読者はおぼえた定石を対局の際、応用することによって自然に良い知識を得て行く。実際に応用して初めて良き形と優れた技を自然におぼえるのである。つまり読者は良い定石の本を見るのは名画を鑑賞する気持ちで見てほしいと思うものである。」
(『置碁の一間締りの定石』)

・しゃちほこ張った文章だが、いわんとしていることは、お分かりいただけると思う。
 誰だって定石をおぼえるのは苦痛である。
 そうしておぼえた定石を後生大事に守ると、新しい発想が生まれず、上達にとってもさまたげになる。
 定石や形にとらわれては、進歩も何もない。
 ごく基本的な定石や常識的な形は、しっかり理解しておかねばならないとしても、あとは絵を鑑賞する気持ちで見れば十分と思う。見ているうちに分かるようになるものである。

・定石はずれ、大いに結構。
 私たちが悪いといっても、あなたがいいと思えば、どんどん打ってよろしい。
 好きなように打つところに碁の面白味があるのだ。
 そしてだんだん悪いことに気がついてくる。
 私たちの意見はあくまでも参考程度にとどめておくのがいいかと思う。

(藤沢秀行『勝負と芸』岩波新書、1990年、132頁~134頁)


<ポイント>名言
・読者は良い定石の本を見るのは名画を鑑賞する気持ちで見てほしい
・ごく基本的な定石や常識的な形は、しっかり理解しておかねばならないとしても、あとは絵を鑑賞する気持ちで見れば十分と思う

<ナダレ定石について>
・定石はプロの専売特許ではない。
 アマチュアが作った定石だってある。
 例えばナダレ定石。
 相手の石にぶつかっていくのだから決して筋はよくない。
 昭和の初め、『棋道』誌上で読者の質問があり、長谷川章先生が「そんなバカな手はありません」と答えたのだが、改めて調べたところ、変化があまりにも多く、立派に成立することが分かったという。
 こうしてできたのがナダレ定石である。
 ナダレは現代定石の花形といっていい。
 決定版とされるものが完成したと思っても、それをくつがえす新手が次々に現われる。
 私たちだって分からない部分が多いのに、それをおぼえろといっても、ほとんど意味がない、という。
(藤沢秀行『勝負と芸』岩波新書、1990年、134頁~135頁)

昔の名人と勝負すれば


・昔の名人と現代の一流プロとどちらが強いか。
 プロ棋士の間でも話題になることがあるようだ。
(雷電と双葉山、大鵬、千代の富士がいっぺんに戦えば誰が一番強いか、と考えるようなものであるという)

・昔の名人上手は数多い。
 名をあげるとすれば、江戸元禄期の本因坊道策、文化文政から天保にかけての本因坊丈和、丈和の弟子の本因坊秀和、その弟子の本因坊秀策、明治に入っての本因坊秀甫、明治中期から後期にかけての本因坊秀栄あたりが、万人の納得できる歴代の第一人者だろう。
 このほかにも、初代の本因坊算砂をはじめとして、名人碁所(実力的にも政治的にも碁界のナンバーワン。江戸時代の各家元は名人碁所に就くために実力を磨き、裏で熾烈な争いを繰り広げた)に就いた安井算知、井上道節、本因坊道知、さらに共に名人の力を持ちながら譲り合ったという本因坊元丈と安井仙知(知得)、丈和に激しいライバル意識を燃やした井上因碩(幻庵)ら、忘れてはならない古人ばかりである。

・この中で誰が最強だったのか。目移りするが、候補をあげている。
〇まず本因坊道策
・道策の碁については、断定的なことはいえないが、近代的な考え方は、道策から発しているといっていいとする。
 レベルが低く、部分部分の戦いに偏していた当時の碁界にあって、道策一人だけが、「石の軽重」とか「手割り」などの理屈が分かっていたようだ。
・だから、全盛期に先で勝負できる相手はなく、二子でも道策に苦戦している。
 実力十三段といわれ、棋聖と称される。
 梶原武雄氏はじめ古今の第一に道策を推す棋士は多いという。

〇本因坊丈和
・著者の好きな名人の一人であるという。
 力は古今無双を謳われる。
 確かに力戦の雄である。
 石が接触したときの強腕ぶりは「丈和は碁の鬼神か」と、同時代人が嘆じたという。
 しかし接近戦が強いばかりではない。全局的な構想力はすごいし、ヨセも巧みだった。

※丈和の打碁集を出すとき、集中的に調べたそうだが、四宮米蔵との二子局が強く印象に残っているという。
 米蔵は賭け碁打ちともいわれ、在野の棋士。二子置かせた丈和は、家元の権威を守るためにも負けられない立場にあったのだが、アマチュア特有の力碁を見事封じている。
 この丈和―米蔵戦には、名局が何局もあり、若い人に並べることを勧めている。

※丈和から本因坊秀和、秀策と続いて、幕末の黄金時代を迎える。
 秀和は歴史的にも重要で、秀策と秀甫を育て、秀栄は実子。
 明治の碁界は秀和から生まれたといっていいようだ。
 ただ、好みからいえば、とにかく強いと思うが、秀和の碁はあまり好きでないという。
(聡明で、優勢を確かめると、さっと逃げて細かく勝ってしまうところがあると評している。)

〇本因坊秀策
・33歳で夭逝し、上手(じょうず、七段)止まりながら、道策と並んで棋聖を称されている。御城碁(おしろご:江戸城黒書院で年一回打たれる将軍上覧碁)19連勝が高く評価されたのだろう。
(御城碁は江戸時代唯一の公式戦。これに負けなかったのだから、なるほど大記録である)

※ただし、好き嫌いでいうと、秀策の堅実さよりも、好敵手だった太田雄蔵の華麗さの方が、著者の棋風に合っているという。
 太田雄蔵には、剃髪するのを嫌って、御城碁出場を辞退したとか、面白い話が残っている。人間的にも魅力のあった碁打ちだったようだ。

〇本因坊秀甫
・幕府の保護がなくなり、衰退した明治初の碁界を立て直した。
・まず人間が立派だったという。
 日本棋院のはるか前身ともいえる「方円社」を起こして、囲碁雑誌を発行したり、外人に碁を教えたりで、とかく閉鎖的な碁界では珍しくスケールの大きな人物だったと評している。
・碁も超一流である。
※著者は、少年時代に一日10時間も秀甫を並べては、積極的でスケールの大きな取り口に感動したそうだ。

〇本因坊秀栄
・著者は、秀栄も影響を受けた一人であるという。
・碁の明るさは当時群を抜いていた。
 相手がやってくれば乱戦も辞さないが、ふだんは明るさだけでサラサラと勝ってしまう。
 戦う場と戦わない場をしっていたのが秀栄だという。
・秀栄は晩年の白を持っての打ち回しが特にすばらしいそうだ。
 次の棋譜はその一例。

【本因坊秀栄と田村保寿との棋譜】(1~120)
明治31年10月16日
 本因坊秀栄と田村保寿(先)、黒は田村保寿(のちの本因坊秀哉名人)
1~120手、以下略(ジゴ)



・黒39の鋭い攻めを白40からあっさりと捨ててかわし、62さらに78と中央から上辺をまとめて優位に立っている。
※名人芸とはどんなものか、この碁が教えてくれるような気がするという。


〇さて、以上の名人の中で誰が一番強いか。
・かつて囲碁雑誌でアンケートをとったところ、
 道策、秀策、秀栄の3人がほとんど差がなく、ベスト3にランクされたそうだ。
 美人コンテストみたいであまり意味はないが、プロの好みは、道策派、秀策派、秀栄派に分かれるようだ。
 道策派:梶原武雄、小林光一
 秀策派:加藤正夫、石田芳夫
 秀栄派:高川秀格、藤沢秀行
(著者である藤沢秀行は秀栄に一票を投じておいたという)
(藤沢秀行『勝負と芸』岩波新書、1990年、151頁~158頁)



名局とは


・名局はこれまで数多く打たれている。
 ただし、昔と今とでは名局の考え方が変化しているそうだ。
・先番必勝をテーマにした時代は、黒は堅実に、白は趣向をめぐらすのが当たり前とされ、悪手のない碁が名局とされた。
 現代は悪手のないことよりも、気迫や内容の面白さが重視される。
 悪手や見損じ、打ちすぎがあっても、それ以上に内容が面白く、見る者を感動させればいいのではないかという。
 悪手がまったくなく、一手一手が気迫にあふれ、なおかつ感動を呼べば、文句はない。

・著者の考える名局の第一条件は、その場面場面でいい手を盤上に表現したものである。
 いい手とは最善手である。
 何が最善手か、これが難しい。
 一局の中で、一つでも自分自身が納得でき、多くの人の魂を揺り動かせるような会心の一手を心がけたいが、そんな例はあまりにも少ない。
【藤沢秀行VS馬暁春の棋譜】
・応氏杯世界プロ選手権一回戦
 昭和63年8月21日
 先 藤沢秀行VS馬暁春
 
 棋譜の黒3の肩つきは数少ない例であるという。




・また、いい手が連続して一つの流れとなり、名画を鑑賞するように、見る者を感動させることも名局の条件であるという。
 現代の棋士で絵になる碁を時々打っているのは、武宮正樹ではないかという。
 位(くらい)が高くて味があり、気がつかない、いい手を見せてくれる。
 碁を絵とすれば、過去500年の歴史で、武宮正樹のような絵を見せてくれた者はいないといっても、ほめ過ぎではあるまい、とする。
(しかし出来不出来の激しいのが欠点で、名画を見せてくれたかと思うと、とんでもない駄作をものにするとも付言している)

・いい手――好手、妙手、名手は、碁の強弱とは関係ないともいう。
 「三歳の童子たりとも導師である」と、著者は若い棋士によくいうそうだ。
 その気になれば、アマチュアからも学べる。
 だから指導碁といえども軽く見てはいけない。
 木谷実先生はどんな指導碁でも手を抜かず、ふだんの手合と同じように時間をかけて打たれたそうだ。アマチュアに教えるというより、アマチュアからも学ぶという姿勢があったようだ。
(藤沢秀行『勝負と芸』岩波新書、1990年、120頁、158頁~160頁)


6勝負か芸か

なぜ芸にこだわるのか


・碁を芸の表現と見るか、勝負第一と見るか。
 棋士の考え方はさまざまである。
 圧倒的多数は勝負重視派だろう。
 例えば、坂田栄男さんは「勝つことがすべて。私は勝つことによって強くなった」と語っておられる。趙治勲さんも同じようなことをいう。

・しかし、著者には勝ち負けよりも、大切にしたいものがあるという。
 それを芸といってもいい。
 同世代の梶原武雄さんや山部俊郎さんは、著者の考え方に似ている。
 梶原さんはひたすら最善手を追い求め、勝つことなんかまったく念頭にないようである。
 勝つための妥協は考えず、最強手で相手を倒そうとするから、しばしば逆転負けを喫する。
 梶原さんにいわせると、勝負にこだわるのは不純であり、冠(かんむり、タイトル)を取ったといって喜ぶ連中はアホということになる。
(梶原さんほど徹底はできないけれど、著者は共感できる点が少なくないという)

・「勝つにこしたことはない。しかし碁は無限だから、強くなれば、勝ちは自然に転がり込んでくる。勝った負けたと騒ぐ前に、芸を高め、腕を磨くことを考えろ」と、著者は口を酸っぱくして、若い人にいっていたそうだ。
(ニワトリとタマゴの話ではないが、勝つから強くなるのではなく、強くなるから勝つのである。腕を磨いておけば、いつかどんどん勝てるようになるという)

※現在の碁界は、勝負があまりにも重視されて、大切なものが忘れられているような気がするらしい。
 どんな碁を打っても、最終的に勝てばいいんだという風潮が強い。
 果たしてそれでいいのだろうか。
 もちろん第一手から始まって最後の一手まで、すべてが芸である、と著者は強調している。
 (藤沢秀行『勝負と芸』岩波新書、1990年、164頁~165頁)

6勝負か芸か

碁に強くなるには


・腕を磨き、芸を高めるにはどうしたらいいか。
 アマチュアのみなさんは、打ちたいように打ち、楽しむことが第一だと思う。
 強くなるにしたがって、プロのまねをしたがる方がふえるが、これはあまり意味がないらしい。 
 プロの碁を並べるのはいい勉強になるけれど、ものまねに終わっては上達もたかが知れている。
 楽しんで打ち、壁にぶつかったら、別の打ち方を自分なりに試すのがアマチュアの最上の上達法であるとしている。

・碁にお金をかけなさい(「賭けろ」ではない)という。
 もう一つ、詰め碁を見るのもお勧めしたい勉強法であるという。
 “解く”のではなく、文字通り“見る”のだ。
  やさしい問題を見て、多少は頭をひねって考える。
 分からなければ、すぐ解答を見たってかまわない。
 難しい問題なら、解答を見ながら考える。
 だまされたと思って試してみるとよいらしい。
 いい勉強になることは、著者が保証している。

・頭の中で詰め碁を解くのはプロの勉強である。
 著者が若い時に、井上道節が著した難解な詰め碁集の『囲碁発陽論』を研究して解説書を出版された。
 その改訂版を出したところ、アマチュアよりもプロやプロ志望の子供たちが愛読したそうだ。
(依田紀基氏などは、どこに出掛けるにも『囲碁発陽論』を離さなかったという。)

・プロとは、かつぎきれない荷物を背負って曠野をとことこ行く人種であるという。
 努力を持続させる才能が要求されるし、倒れるまで勉強しなくてはならない。
 苦しいものであるらしい。
 超一流はみな、その苦しみを味わっている。これは碁の道に限ったことではないが。

・プロの勉強法だが、ふだんの対局が大切なことはいうまでもない。
 しかしそれ以上に日常が勝負という。
 自分の打った碁を反省するのもいい。
 一流棋士の対局や古碁を並べるのもいい。
 一局の碁には勝負どころがいくつかある。
 それを的確にとらえるよう訓練し、自分ならどう局面を動かすか、必死になって工夫する。
 (著者は、この方法で強くなったという)
・1日10時間も並べると、右手の人さし指のつめがぺらぺらに薄くなったり、変形したりする。
 武宮正樹氏から同じ話を聞かれたそうだし、最近では依田紀基氏がそうらしい。
 かつて小林光一氏は脛(すね)に毛がまったくなかったという。坐り続けて勉強したからだそうだ。
 これがプロの勉強だという。
 ぶっ倒れるまで勉強しろといったら、そのまま実行し、碁盤に頭をぶつけたのも気がつかずに眠り込んでしまった子もいたそうだ。
(藤沢秀行『勝負と芸』岩波新書、1990年、166頁~168頁)

六 勝負か芸か

日常がすべて


・腕を磨いて強くなる。
 この努力はプロなら当然だし、誰でもやっている。
 そこからさらに進み、人間を磨いてこそ、一流の碁打ちに成長するのだという。
・碁は人間と人間の勝負。
 最終的には人間の質が碁の優劣を決定するのかもしれない。
 そこまで突き詰めて考えなくともいい。人間の幅を広げ、人生観、世界観を豊かにすれば、盤上の見方も広がるのではないかという。
 人間が悪い方が勝負に適しているという狭い見方には反対であると強調している。

・昔の剣客は、禅を組み、書や絵を書いて、己れを鍛えた。
 著者は子供のころから盤上の勉強だけでは不安だから、いろいろなことに手を出したそうだ。
 老師の話を聞いたり、禅をやったり、漢詩を読んだり、自分で詩を作ったり。
 哲学書や歴史書まで読みあさったのも、人間の幅を広げようと思ったからであるらしい。
(藤沢秀行『勝負と芸』岩波新書、1990年、170頁~172頁)

六 勝負か芸か

厚みと実利


・勝つことによって強くなるのか、強くなることによって勝てるようになるのか―この問題とよく似ているのが、厚みと実利である。

・厚みと実利というのは碁の基本的な考え方である。
 「厚み」というのは、弱点のない、しっかりした石の形(姿)のことである。
 これを形容して「厚い」とか「手厚い」といっている。
(この反対語が「薄い」、「手薄い」である)
 また、実利というのは、対局者いずれかの領分(地)として確定した領域のことである。
 一般的にいえば、厚みを重んずれば実利を失うし、実利を重視すれば厚みを失うことになる。

・実利や地は現金に、厚みは信用にたとえられる。
 現金はそれ自体ではせいぜい利子がつくくらいだが、信用は一文にもならないおそれがある代わりに、将来2倍3倍になって返ってくる。

※ただ、実利と厚みはまったく相反するものではない。
 例えば木谷実先生は、実利を重視した打ち方をされたが、同時に厚いといわれた。
 あとくされのない実利を確保し、そこから力強く一歩一歩前進する。
 スピード感には欠けるものの、重戦車で各個撃破するような迫力がった。
 対照的なのが、呉清源先生である。
 超スピードで大場に先行し、部分の戦いにはこだわらない。
 木谷-呉戦が人気を集めたのは、棋風が相反していたからだろう。

・著者と坂田栄男さんも対照的といっていい。
 著者が手厚く構えるのに、坂田さんは足早に地を稼ぐ。だから中盤戦は著者の攻め、坂田さんのしのぎになることが多かったという。

 著者の場合は、知らず知らずのうちに、地の手より厚みの手に行ってしまう場合が多いようだ。例えば、次のような棋譜をあげている。
<譜13>
 第三期棋聖戦第一局
 昭和54年1月12・13日
 先番 石田芳夫九段
    藤沢秀行棋聖



・白1のカケは誰でも打てる。
・黒2の一手に白3、5と止め、黒6まではこうなるところだろう。
・次の白7に注目してほしい。
※評判は散々で、これに賛成する棋士は一人もいなかったらしい。
 「いくら秀行さんでも厚がりすぎだよ」という。
 なるほど白7では、Aとでも地につけば普通か。
 しかし、著者には白7と厚く備えて打てるという信念のようなものがあったという。
 地の手はまったく考えなかったそうだ。同じ局面がまた現れても、白7と打つかもしれない。これは棋風としかいいようがないそうだ。

※このような場合は善悪よりも好き嫌いになってしまうが、厚みか地かと考えるよりも、どこに打つのが最善かと考える方が正しい姿勢だろうとする。
 その場面場面で最善手は必ずある。常に最善手を追求するのが、棋士の務めである。
 
※現代碁では、いささか実利に偏しているように見えるとする。
 時代の風潮かもしれないが、必要以上に地を重視する。
 布石の段階から地の計算ばかりするようなことになる。もちろん地を第一に考える人があってもいいが、そればかりでは面白くない。
 戦い抜く碁、厚みで寄り切る碁など、いろいろな個性がもっと出てきてほしいという。
(藤沢秀行『勝負と芸』岩波新書、1990年、174頁~177頁)