歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪紫式部と『源氏物語』に関連して~富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』より≫

2024-01-31 19:00:02 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪紫式部と『源氏物語』に関連して~富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』より≫
(2024年1月31日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、次の参考書の中から、紫式部と『源氏物語』に関連した部分を抜き出して、古文を解説してみたい。
〇富井健二(東進ハイスクール講師)『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]

 執筆項目をみてわかるように、『源氏物語』の文章 と文法事項をはじめ、『紫式部日記』の一節からの試験問題を解説する。また、紫式部が和泉式部、赤染衛門をどのように見ていたのか、藤原道長の姉・超子と庚申待ちの関連など、エピソード的なことも盛り込んだ。
そして本居宣長による『源氏物語』論についても触れてみた。
 少しでも、興味をもって古文を勉強してもらえたらと思う。



【富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』はこちらから】

富井の古文読解をはじめからていねいに (東進ブックス―気鋭の講師シリーズ)




富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』
【目次】
ステージⅠ 「センテンス」の森
1 省略とその対策
2 主語同一用法
3 主語転換用法
4 心中表現文を区切れ
5 会話文を区切れ
6 挿入句を区切れ
7 地の文の尊敬語
8 尊敬語と特別な尊敬語
9 「 」の中の尊敬語
10 「 」の中の謙譲語
11 「 」の中の丁寧語
12 文法と読解~主語をめぐって
13 文法と読解~感覚をみがく

ステージⅡ 「常識」の洞窟
14 男女交際の常識
15 生活の常識
16 官位の常識
17 夢と現
18 方違へと物忌み
19 病気・祈祷・出家・死

ステージⅢ 「ジャンル」の海
20 「説話」の読解
21 「物語」の読解
22 「日記」の読解
23 「随筆」の読解

ステージⅣ 「実戦」の鬼ヶ島
FINAL ビジュアル古文読解マニュアル




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・古文読解について
・男女交際② ~究極の伝達方法、それは和歌~
・『源氏物語』の文章 と文法
〇古典屈指の名作『源氏物語』の一節(「STEP6 挿入句を区切」より)
〇『源氏物語』の「夕顔」の巻の一節(「STEP10 「 」の中の謙譲語」より)
〇『源氏物語』の「桐壺」の一節(「STEP12 文法と読解~主語をめぐって」より)
〇『源氏物語』の「若紫」の一節(「STEP12 文法と読解~主語をめぐって」より)
〇『源氏物語』の「明石」の一節(「STEP17 夢と現」より)
・『紫式部日記』の一節からの試験問題
・紫式部と和泉式部
・藤原道長の姉・超子と庚申待ち
・本居宣長と『源氏物語』
・『大鏡』について
・『大鏡』の一節からの試験問題






古文読解について


古文を攻略するには、どうすればいいのか。
まっさきに浮かぶのは、古文単語と古典文法を身につけることという答えだろう。
しかし、単語と文法を一通り暗記しただけでは、スラスラと古文を読解することはできない。
なぜならば、古文単語も古典文法も「文脈」を理解して、はじめてその知識が生かされるからである。
例えば、古文単語の意味には色々あり、その文脈に合った意味をあてはめなければならない。古典文法、例えば、助動詞の意味の決め方にはテクニックが存在するが、最終的には文脈を考慮して、その意味を決定しなければならない。
だから、「読解法」を学ぶ必要がある、と富井健二先生はいう。

受験生を見ていると、単語や文法の知識を身につけるための時間は多く割いているが、実際の古文を読みながら、その知識を使って確認していく時間が少ないらしい。
単語や文法の意味をある程度チェックしたら、どんどん古文読解をしてゆくのがよいようだ。
定着と実践の同時進行、それが古文の上達するポイントであると説く。

古文は本当に楽しく、奥の深い教科である。古文読解の力がついてくるうちに、この教科の本当の魅力に気づくそうだ。真の実力とは、真の興味のもとに宿ると力説している。

(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、2頁~3頁)

プロローグ


古文の読解法には、2つの中心がある。
A その古文問題の「ジャンル」を決定する
B 主語を補足しながら文章を読んでいく
  (地の文と「 」の文に分けて、それぞれの補足方法を駆使する)

※これに「古典文法・古文常識・作品常識」などの知識をプラスして読解していく
⇒STEP 1~19で、Bの読解法を学ぶ
 STEP 20~23で、Aの読解法を学ぶ
 つまり、古文は、Aジャンルを決定し、B主語を補足しながら読んでいけばいいようだ。
(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、10頁~11頁)



男女交際② ~究極の伝達方法、それは和歌~


和歌には古くから不思議な力が宿っていると思われていた。
『古今和歌集』の「仮名序(かなじょ)」という部分に、紀貫之(きのつらゆき)が和歌のその不思議な力を次のようまとめている。
力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(きじん)をもあはれと思はせ、
男女の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心を慰むるは歌なり。
(古今和歌集)
【現代語訳】
(格別)力を入れなくても天地の神々を感動させ、目に見えないあの世の霊魂をも感激させ、
男女の間柄をも親しくさせ、勇猛な武士の心をなごやかにするのは和歌である。

【解説】
・和歌が究極の伝達手段であったことは事実である。
 和歌(歌道)のことを古語で、大和歌(やまとうた)、言の葉、敷島(しきしま)の道などとよぶ。(重要語なので覚えておこう)
・男女が和歌を詠む合う場合、一部の例外を除いて、男が先に和歌を詠む。
 そして、その詠んだ和歌を、男は自分の従者に託す。で、その男側の従者が女側の従者に和歌を渡し、女に届く。返歌はこの逆のルートをたどる。
・和歌はときに口伝えの場合もあるが、そのほとんどが書式、つまり手紙形式をとる。
 手紙のことを、文(ふみ)・消息(せうそこ)・懸想文(けさうぶみ)という
 「懸想文」とは文字どおり、ラブレターのこと。
 手紙はよく季節の草花を添えたり、その枝に結びつけて渡したりする。
 草花の代わりに、香をたきしめた衣類に手紙を添えて送る場合もある。
・女が男の和歌を読み、気に入らければ、返事をしない。
 返事がない場合はアウト。ただ、女性がじらすためにわざと返事を出さない場合もある。
・とにかく、女が男の和歌を読み、返歌(返事の和歌)をすれば、一応、脈アリと考えてよい。
 返事や返歌のことを古語で、答(いら)へ・返しという。
 その場にピッタリとマッチした和歌を即座に詠んで返す、つまり「当意即妙」の技がベストだった。
・女君が和歌を詠むと、女側の従者が男側の従者に手紙を渡す。
 その和歌を男が読んで、どう返事をするかを考える。この女性と自分を結ぶ仲介者(取次ぎ)のことを古文では、頼(たよ)り・ゆかり・よすが・由(よし)とよぶ。
 「取次ぎを頼む」ことを古語では、「案内(あない)す」という。
※このように、和歌は究極の意思伝達手段。手紙形式でとり行われる。
 
●【補足】小式部内侍(こしきぶのないし)の即詠伝説
  大江山 生野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立
 これは、『小倉百人一首』の名歌。
 この歌は、和泉式部の娘である小式部内侍が、「和歌の名人である母に代作を頼む使いを出したのか」と人にからかわれたとき、即座に詠んだ歌であった。
 あまりの早業に、からかった人は驚愕して、返歌もできず逃げ去ってしまったとという。
(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、113頁~115頁)
※山村単語、214頁にも言及~『古今和歌集』の「仮名序(かなじょ)」

『源氏物語』の文章 と文法


〇古典屈指の名作『源氏物語』の一節。(「STEP6 挿入句を区切」より)
 主人公光源氏の生誕のシーン。父の桐壺帝と桐壺更衣は非常に愛し合っていた。
 
 前(さき)の世にも御契(ちぎ)りや深かりけむ、世になく清らなる玉のをのこ御子(みこ)さへ生まれたまひぬ。
※これは読点(、)ではさまれていない形なのだが、「前の世にも御契りや深かりけむ、」が挿入句である。
 この前に、「二人は」を補足するとわかりやすい。
 「二人」とは、桐壺帝と桐壺更衣の二人である。
 「二人は、(前の世にも御契りや深かりけむ、)世になく……」と、読点にはさまれる挿入句だとわかる。
(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、44頁)

『源氏物語』の文章 と文法


〇『源氏物語』の「夕顔」の巻の一節。(「STEP10 「 」の中の謙譲語」より)
(警備の者が光源氏に)「(惟光朝臣は)さぶらひつれど、仰せ言もなし、
暁に御迎へに参るべきよしなむ申してなむまかではべりぬる」(源氏物語)

【現代語訳】
「(惟光朝臣はここに)お仕えしていましたが、(光源氏様の)ご命令もないし(何もすることがないので)、夜明け前にお迎えに参上すると申して退出してしまいました」

※傍線部の「さぶらひ」「参る」「申し」「まかで」の主語は、全部その場にいない「惟光朝臣」なのである。ということは、主語は一人称ではなく、三人称。
※「 」の中にある謙譲語の主語は、一人称か三人称。
 この場合の三人称とは、「(あなたの所にいる私の召使いが)参る」のように、高貴ではない主語である場合が多い。
 謙譲語の主語が二人称になる例外というのは、高貴な人が身分の低い人に向かって、「(こちらへ)参れ」などというように、命令形で使うケース以外はあまりない。
 これも天皇の「自敬表現」に多い。



<恋する気持ちは物の怪と化す?>
・光源氏の恋人の一人である六条御息所は、源氏を恋するあまりに、その精神が物の怪(生霊)と化して体から抜け出し、源氏の他の恋人(夕顔・葵の上・紫の上など)にたたっていく。
 夕顔の死は、本文には直接触れられてないが、この人の生霊の仕業だと考えられている。
(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、78頁~79頁)


『源氏物語』の文章と文法



〇『源氏物語』の「桐壺」の一節。(「STEP12 文法と読解~主語をめぐって」より)

会話文の中に次の表現が出てきたら、必ず主語は一人称になるので、「私は」という主語を入れるようにしよう。
 願望の終助詞の「ばや」
 謙譲の補助動詞「給ふ」(下二段活用)
⇒主語は私(一人称)
※なぜかというと、「ばや」は、「~したい」と訳す、自己の願望を表す終助詞だから。

※願望の表現=終助詞の「なむ」「ばや」「がな」
 「なむ」(~してほしい)は他への願望。
 「ばや」(~したい)は自己の願望。
 「がな」(~してほしい[したい]なあ/~があればなあ)は詠嘆願望。
 文の終わりにこれらの語があったら、願望を表していると思って、しっかり区別すること。

 例えば、次の『源氏物語』の「桐壺」の一節を見てほしい。

 「かかる所に、思ふやうなる人を据ゑて住まばや」(源氏物語)
【現代語訳】
「このような(立派な)場所に、思いどおりの女性を置いて(私は)住みたい」

〇次に、謙譲の補助動詞の「給ふ」
 この語がある文も、主語は必ず一人称。
 この敬語の特徴は、「 」の中でしか使用されないというところ。
 古文では、「 」が入るべきところであっても省略されていたりする。
 ただ、仮に「 」が省略されていても、この表現を見つければ、「 」を補足することも可能。
※ちなみに、この謙譲の「給ふ」は下二段活用なのだが、原則的に「給へ・給ふる・給ふれ」の三つのカタチでしか出てこない。
 「思ひ・覚え・知り・見・聞き」の五つの動詞の下にしか付かない。
 つまり、次のようなカタチでのみ現れるわけである。
 ⇒「(私は)思ひ(覚え・知り・見・聞き)+給へ(ふる・ふれ)」

では、次の例文を参照してほしい。
〇これも『源氏物語』の「若紫(わかむらさき)」の一節。(「STEP12 文法と読解~主語をめぐって」より)

⇒下二段の「給ふ」が使用されている。

 「ここにものしたまふは、たれにか。尋ねきこえまほしき夢を見たまへしかな」(源氏物語)
【現代語訳】
「ここに住んでいらっしゃるのは、どなたか。(このお方を)訪ね申し上げたいという夢を(私は)見ましたよ」

※確かにこの「見たまへ」の主語は一人称(私)である。
 「ばや」と下二段の「給ふ」の主語は絶対に一人称。忘れないこと。

(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、93頁~95頁)

【夢で遭えたら】
〇『源氏物語』の「明石」の一節。(「STEP17 夢と現」より)
 追い詰められて須磨に退去した光源氏の夢について
(夢に出てくる人物はどんな人が多いのか、知っておくと話がよく見える)

 心にもあらずうちまどろみたまふ。<中略>故院、ただおはしましし様ながら立ちたまひて、
 <中略>「住吉の神の導きたまふままに、この浦を去りね」とのたまはす。
 (源氏物語・明石)
【現代語訳】
(光源氏は)気持ちとは裏腹にうたた寝をなさる。<中略>(するとその夢に)今は亡き桐壺院が、生前そのままのお姿でお立ちになって、<中略>「住吉の神のお導きになるのに従って、この浦を去ってしまいなさい」とおっしゃる。

・源氏の敬愛する、死んだ父上が夢に現れたのである。故人は夢に出てきやすい。
 このあと光源氏は都に戻り、政界に復帰。一気に頂点まで上りつめていく。
 夢と現実は表裏一体である。
 夢に現れる人は、「恋人・親しい人・亡くなった人・神・仏」が多い。
※光源氏の夢に現れた藤壺女御
 『源氏物語』の主人公光源氏が、生涯にわたって憧れた女性である藤壺女御。
 彼女は、死んだあと光源氏の夢の中に現れ、「なぜ、(冷泉帝は、実は源氏と藤壺の子であるという)秘密を漏らしたの」と恨みごとを言う。好きな人が夢に現れたからといって、ロマンチックな内容ばかりだとは限らない……

(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、139頁)

【参考】
〇光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとほる)
 『古本説話集』の一節
 宇多天皇が夜おやすみになっていると、そこに源融の左大臣の幽霊が変な格好で現れる。
 この場合の「ぬりごめ」とは、宇多天皇の寝室を指す。

 よなかばかりに、西のたいのぬりごめをあけて、そよめきて、ひとのまゐるやうに
おぼされければ、みさせ給へば、日のしゃうぞくうるはしくしたるひとの、
たちはき、しゃくとりて、二間ばかりのきて、かしこまりて、ゐたり。(古本説話集)
【現代語訳】
夜中頃に、西の対の寝室を開けて、衣(きぬ)ずれの音をさせて、人が(こちらへ)参るようにお思いになったので、(宇多天皇が)御覧になると、日の装束をきちんと着用した人が、太刀を身につけ、笏を手にとって、二間ほど退いて、恐縮して、座っている。

※当時の衣類を知っておくことも、古文読解においては良い武器になる。
 真夜中に日中身につける日の装束を着ているのは、奇妙なのである。
 この「日のしゃうぞくうるはしくしたるひと」のどこがおかしいのかという問題を、早稲田大学は出題したという。古文常識を知らないと解けない問題である。こういった角度でも、入試は出題される。

※源融は自縛霊の元祖!?
光源氏のモデルとされる源融が建てた河原院は、寝殿造を代表する超豪華だった。
 融はそこに霊となって留まったとされている。
 『古本説話集』の一節も、そんな融の幽霊が宇多天皇の寝室に出現したシーンを扱ったものである。
(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、124頁~125頁)

【一口メモ】『方丈記』と『源氏物語』
※『方丈記』の全文を400字詰め原稿用紙に換算すると、実はわずか23枚に満たない。 
 対して、『源氏物語』はざっと2500枚。
 しかしながら、この23枚が2500枚の作品と肩を並べ、対等のレベルの作品として現代まで論じられてきたというのは、考えてみるとスゴイことである。
(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、195頁)

『紫式部日記』


次の古文は『紫式部日記』の一節である。これを読んであとの問に答えなさい。
(なお、設問の都合により本文を少し改めたところがある)

 左衛門の内侍といふ人侍り。あやしうすずろによからずに①思ひけるも、②え知り侍らぬ心うきしりうごとの、多う聞こえ侍りaし。
 内の上の、源氏の物語、人に読ませ給ひつつ聞こしめしけるに、「この人は、日本紀をこそ
読み給ふべけれ、まことに才(ざえ)あるべし」と③宣はせけるを、ふとおしはかりに、「いみじうなむ才ある」と殿上人などに④言い散らして、日本紀の御局とぞつけたりbける。いとをかしうぞ侍る。(『紫式部日記』)

※左衛門の内侍……宮中で天皇にお仕えしている女官の一人。
※内の上……一条天皇のこと。
※この人……作者である紫式部のこと。
※日本紀……日本書紀。漢文で記述されている史書。

問一 傍線部①~④の主語として、適当なものを次の中からそれぞれ選びなさい。
 ア 左衛門の内侍 イ 内の上(一条天皇) ウ 作者(紫式部) エ 殿上人

問二 傍線部②「え知り侍らぬ」を口語訳しなさい。

問三 傍線部a・bの品詞説明をしなさい。

【解答解説】
問一 ①ア ②ウ ③イ ④ア
▶地の文では、天皇にだけ尊敬語を使用している。
 傍線部③「宣はす」は「おっしゃる」と訳す尊敬語だから、③は高貴な主語イになる。
・その他の人物には尊敬語が使われていないが、作者か左衛門の内侍かの区別は、「き」と「けり」の性質を利用すればわかる。
 ①「ける」=内侍。②文末の「し」=作者。④文末の「ける」=内侍

問二 知ることができません
▶「え…打消」は「不可能」(…できない)の意味。
  「ぬ」は打消の助動詞。
  「~侍り」は「~です・~ます」と訳すと丁寧の補助動詞。

問三 a(直接)過去の助動詞「き」の連体形
   b(間接)過去の助動詞「けり」の連体形
 (bは係り結びのため連体形)
【現代語訳】
左衛門の内侍という人がおります。(その人は私のことを)むしょうに嫌だと思っていたそうで、(私が)知ることができません辛い陰口が、多く聞こえてきました。
 宮中の一条天皇が、『源氏物語』を、人にお読ませになりながらお聞きになっていたところ、(天皇は)「この人(紫式部)は、(なんと、あの漢文で表記されている)日本書紀を読んでおられるようだ、まことに学才があるようだ」とおっしゃったが、(それを左衛門の内侍は変に)あて推量して、「たいそう(漢学の)才能があるんだって」と殿上人などに言いふらして、(私のことを)日本紀の御局と名づけたそうだ。(それは)大変(的はずれで)おかしなことでしたよ。

<ステージⅠのポイント>
●古文は主語が省略される⇒主語を補足する必要がある。
●地の文と「 」の文では、主語を補足する方法が違う⇒両者を区別できるようにする。
●地の文と「 」の文、それぞれの主語の補足方法を身につける。

<天才紫式部が認めた女性、赤染衛門>


・赤染衛門(あかぞめゑもん)は、藤原道長の娘である中宮彰子に仕えた女房で、あの紫式部が絶賛した女性である。
 『紫式部日記』に、赤染衛門は「はづかしき口つき」、つまり「こちらが気後れしてしまうほどのすばらしい歌人」であると紹介している。

また、『古今著聞集』に次のような説話がある。
 式部の権の大輔大江挙周朝臣、重病を受けて、たのみすくなく見えければ、母赤染衛門
住吉に詣でて、七日籠りて、「この度たすかりがたくは、速やかにわが命に召しかふべし」
と申して、七日に満ちける日、御幣(みてぐら)のしでに書きつけ侍りける。
  かはらんと 祈る命は惜しからで さても別れん ことぞかなしき
かくよみて奉りけるに、神感やありけん、挙周が病よくなりにけり。母下向して、喜びなが
らこの様を語るに、挙周いみじく嘆きて、「我生きたりとも、母を失ひては何のいさみかあ
らん。かつは不孝の身なるべし」と思ひて、住吉に詣でて申しけるは、「母われに代りて命
終るべきならば、速やかにもとのごとくわが命を召して、母をたすけさせ給へ」と泣く泣く
祈りければ、神あはれみて御たすけやありけん、母子共にゆゑなく侍りけり。(古今著聞集)

【現代語訳】
式部の権の大輔大江挙周(たかちか)朝臣が、重い病にかかって、助かりそうもなく見えたので、母の赤染衛門が住吉大社に詣でて、七日間こもって、「この度(息子が)助かり難いのならば、即座にこの私の命と引き換えに息子をお助けください」と申し上げて、七日目に達した日、(神に奉る)御幣に付けた紙に書き付けました(和歌)。
 子供の命と引き換えにと祈るこの命など惜しくはないが、それでも子供と死に別れることは悲しいことです。
このように詠んで(神に)差し上げたところ、神が感動なさったのであろうか、挙周の病気は良くなったのであった。母が(住吉から)下向して、喜びながらこの様子を(挙周に)語ると、挙周はたいそう嘆いて、「私が生きていたとしても、母を失ってしまったら何の生きがいがあるでしょうか。それにしても親不孝なこの身であることよ」と思って、住吉に詣でて申し上げたのは、「母が私に代わって命が終わることになっているのなら、即座にもとのように私の命をお召しになって、母をお助けください」と泣く泣く祈ったところ、神が哀れんでお助けになったのであろうか、母子共に無事であったということです。

※すばらしい和歌を詠んだために願いが叶うという説話(歌徳説話)も、数多く出題されるようだ。
 説話は基本的に短編完結型なので問題も作りやすく、入試に頻出する。
 この読解法をマスターして、「説話」というジャンルを攻略しよう。
【説話の読解法】
●「今は昔・昔・中頃・近頃」で始まり、文末には「けり」が付く。
●章末にまとめの部分がある⇒最初にチェックすること。
●説話の話の展開はたいてい決まっている⇒話のパターンを覚えておくと効果的。

(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、100頁~104頁、164頁~165頁)

紫式部と和泉式部


・和泉式部は、敦道(あつみち)親王に死なれたあと、藤原道長の娘である中宮彰子(しょうし)に仕えるが、同じ彰子に仕えていた先輩の紫式部は、自らの日記の中で、次のように和泉式部を評している。

和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。うちとけて文(ふみ)はしり書きたるに、そのかたの才(ざえ)ある人、はかなき言葉の、にほひも見えはべるめり。(紫式部日記)

【現代語訳】
和泉式部という人は、実に趣き深く手紙をやりとしたものです。けれど、和泉式部には感心しない所があります。(しかし)自由に手紙を走り書きした場合に、その(手紙のやりとりの)方面の才能がある人で、ちょっとした言葉に、魅力が見えるようです。

【解説】
・紫式部だけではなく、当時の人々の中には和泉式部を非難する人は多い。
 非難するどころか、「男性をかどわかした罪で地獄に落ちた」とか言ったりする。一応、慎み深い女性が理想とされた時代のことだから。でも、日記としての出来は本当にすばらしく、和歌もさりげない中にもズシンと心の奥に響いてくる。
(数多くの男性の心を惑わした罪で地獄に落ちた女性、として昔話によく語られるのが、和泉式部と小野小町。確かに和泉式部の私生活にはたくさんの男性の影が見え隠れするけど、小野小町にはそのような具体的な醜聞はこれといってない。多分、美人で和歌も妙に色っぽいから、そこから様々な話が勝手に作られて後世に広まったのだろう)

(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、186頁~187頁)

藤原道長の姉・超子と庚申待ち


●超子(ちょうし)は庚申待ち(かうしんまち)で「調子」を崩して死亡!?
藤原道長の姉である超子は、庚申待ちのときに亡くなったとされている。
夜が明けたとき、眠るように死んでいたというのだ。
次の『栄華物語』の例文は、その事件のときのシーンを描いている。
 体調が悪い日に徹夜するのは体に良くない。寝ると病気になるから、とか言うけれど、寝なくても病気になるのだ。

※当時は、縁起の悪い日(庚申の日)の夜に寝ると、病気の原因になる「さんし」という虫が体内に入り病気を引き起こすなどといって、一晩中寝ない風習があった。
 その風習を「庚申待ち」とよぶ。
 徹夜は体に悪いのに大変である。

『栄華物語』の例文
 はかなく年もかへりぬ。正月に庚申出で来たれば、東三条殿の院の女御の御方にも、
梅壺の女御の御方にも、若き人々「年のはじめの庚申なり。せさせ給へ」と申せば、
「さは」とて、御方々みなせさせ給ふ。(栄華物語)

【現代語訳】
これといって何もなく年が明けた。正月に庚申待ちが出てきたので、東三条殿の院の女御(超子)の御方にも、梅壺の女御(詮子)の御方にも、若い女房達が「年の初めの庚申の日です。(庚申待ちを)なさいませ」と申し上げると、「それでは(しましょう)」と言って、どの方々も皆(庚申待ちのための徹夜を)なさる。
(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、143頁)

本居宣長と『源氏物語』


・古代文学の中に、これからの日本人の生き方を模索しようという動きが「国学」といわれる。国学の代表的な人に本居宣長がいる。
 その著、『玉勝間(たまかつま)』を読んでみよう。師匠の賀茂真淵とのエピソードである。

 宣長、三十あまりなりしほど、縣居の大人のをしへをうけたまはりそめしころより、古
事記の注釈を物せむのこころざし有りて、そのこと大人にもきこえけるに、さとし給へり
しやうは、「われももとより、神の御典をとかむと思ふ心ざしあるを、そはまづからごこ
ろを清くはなれて、古のまことの意をたづねえずはあるべからず。然るに、そのいにしへ
のこころをえむことは、古言を得たるうえならではあたはず。<以下省略>
                         (玉勝間・二の巻)
『玉勝間』とは、宣長の歌論や芸術論。彼の博学ぶりや、真剣な学問に対する姿勢を知ることができる。

【語句】
縣居(あがたゐ)、大人(うし)、御典(みふみ)、古言(いにしへごと)
【現代語訳】
私宣長が、三十余歳になった時、県居の大人(賀茂真淵先生)の教えを承り始めた頃から、『古事記』の注釈をしようという志があって、そのむねを先生にも申し上げたところ、(先生が)さとしなさったことは、「私ももともと、神様のことを述べた書物(=『古事記』)を解釈しようと思う意志があったのだが、それにはまず中国思想からきっぱりと決別して、古代の真の精神を究明しなかったら(それは)できるはずがない。けれども、その古代の精神を理解することは、古代の言葉を習得した上でないとできないのだ。」

【解説】
・宣長やその師匠の賀茂真淵がどうして国学を始めようと思ったのかが、わかりやすく表現されている。

<松阪の一夜~一度きりの師弟の出会い~>
・本居宣長は、自分の住む松阪に賀茂真淵が宿泊すると聞くと、早速そこに押しかけ、その夜、師弟の契りを結んだ。これが師弟関係の始まりだったが、宣長と賀茂真淵が会ったのは、生涯このたった一度だけだったといわれている。それからの二人の学問研究のやりとりは、手紙で続けられた。

※宣長はその著『源氏物語玉の小櫛(をぐし)』において、日本文学における物語の本質を、「もののあはれ」にあるとした。
 この概念は、「人間が何かに触れたときに自然と心の中に沸き起こってくるしみじみとした感情」のことである。
 それは人間らしい情愛にもあてはまるし、自然を見ていてジーンときたときの気持ちにも使用される。
・清少納言の『枕草子』に表現されている「をかし」という感性は、華やかな情趣や滑稽な笑いが広がるという点で、「(ものの)あはれ」とは異なる。
『枕草子』をどこか明るく、『源氏物語』をどこかさびしく感じるのはそのためであろう。



・ここで「評論(歌論)で説かれる文学理念」について目を通しておこう。
【歌論で説かれる文学理念】
ますらをぶり▶『万葉集』に見られる男性的な力強い歌風。
たをやめぶり▶『古今和歌集』に見られる優美・繊細な歌風。
もののあはれ▶本居宣長が名付けた、『源氏物語』に見られるしみじみとした奥深い情趣。
をかし▶明るい知性美を表した概念。景色を客観的・主知的に表現する用語。『枕草子』以外でも和歌の是非を判断する用語として使う。
長高し(たけたかし)▶雄雄しさ、崇高さを表す用語。「もののあはれ」「をかし」と並ぶ重要な用語。
幽玄(いうげん)▶言葉の奥に漂う余情美をいう。表面的な表現を嫌うこの考え方は、芭蕉の「さび」などの理念に影響を与えた。
有心(うしん)▶幽玄を継承した理念。幽玄と同じように余情の美を重んじるが、より技巧的で色彩美を好む。
無心(むしん)▶有心に対する概念。初めは連歌における滑稽な表現のことを言ったが、室町時代になると、世阿弥の能楽論における精神を超越した無我の境地の意味になった。

(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、199頁~201頁および別冊26頁~27頁)

『大鏡』について


・『大鏡』という作品は、「歴史物語」というジャンルである。
 190歳の大宅世継(おおやけのよつぎ)と180歳の夏山繁樹(なつやまのしげき)とその妻が、30歳ぐらいの若い侍を相手に昔語りをし、そのそばで作者が筆録したという設定になっている。
・この『大鏡』は、1100年頃に成立した歴史物語。
 そして、その中で扱っているのは、850~1025年の出来事。つまり、250年前からの話をとりあげている。
 時代の生き証人として、190歳の老人を語り手に設定することで、この歴史物語の信憑性を高めようとしたようだ。
 『大鏡』には、実際の体験者、経験者の生々しい「語り」の効果がいかんなく発揮されているといわれる。この「語り手」が登場したら、「主語のない心情語・謙譲語の主語は語り手自身(私)」であると考えよう。

〇『大鏡』の例文
 傍線部が心情を表す語(心情語)である。

 いづれの御時(おんとき)とはたしかにえ聞き侍らず。
 ただ深草の御ほどにやなどぞおもひやり侍る。(大鏡・上巻)
【現代語訳】
 どの天皇の御治世とは確かに聞いたと答えることはできません。
 ただ深草天皇の御治世の頃であっただろうかと(私は)はるかに思い返しております。

※この傍線部の主語は「語り手」である。
 この作者は、老人たちの話をただ書きとめていただけという設定だから、「思ふ」「知る」
といった感じの心情語の主語は、「作者」ではなく「語り手」の老人である可能性がすごく高い。

〇『大鏡』の例文
 村上の帝、はた①申すべきならず。「なつかしうなまめきたる方は
 延喜にはまさりまうさせたまへり」とこそ人②申すめりしか。(大鏡・下巻)
【現代語訳】
 村上天皇(の優秀さ)は、何かと(私が)申し上げるまでもありません。「親しみやすく優雅でいらっしゃる方面は醍醐天皇にもまさっていらっしゃる」と(世間の)人が申すようでした。

※傍線部①は謙譲語で、主語は省略されているから、主語は「語り手(私)」。
 傍線部②も謙譲語だけど、主語は省略されていない。「人」が「申す」とある。

※このように、「主語のない心情語」だけでなく、「主語のない謙譲語」があった場合にも、その主語は「語り手」である可能性が高い。
 (もう一つの歴史物語の『今鏡』には、こんなに露骨に語り手は登場しないが、語り手の存在は意識しておいてほしい)

・主語のない心情語・謙譲語の主語は語り手であるというのは、大切な読解法であるが、次のような文章の主語には注意してほしい。
〇『大鏡』の例文
 大臣(おとど)の位にて十九年、関白にて九年、この生きはめさせたまへる人ぞかし。
 三条よりは北、西洞院より東に住みたまひしかば、三条殿と申す。(大鏡・上巻)
【現代語訳】
・(太政大臣の頼忠は)大臣の位で十九年、関白で九年、この世の栄華を極めて一生を過ごしなさったお方ですよ。
 (京都の)三条よりは北、西洞院より東に(お邸があり)住んでおられたので、(人々は)三条殿と申し上げる。

※このような場合の謙譲語(申す)の主語は、あえて訳すなら「(まわりの)人々」である。
 文脈を考えても、「語り手」ではない。
 こういった場合は要注意。
 主語を補足する際には、できる限り文脈も考慮しよう。

【補足】『栄華(花)物語』と『大鏡』(別冊22頁より)
〇『栄華(花)物語』(正編→赤染衛門/続編→出羽弁(いでわのべん))
宇多天皇から堀河天皇までの約200年間の歴史。
 藤原道長の栄華を賛美。
 敬語に注意して人間関係を掌握、一気に読解すること。
 <藤原氏の系図>
 ・藤原兼家
  その子道隆、道兼、道長、詮子(せんし)
 ・道隆の子として、伊周(これちか)、隆家、定子、原子
 ・道長の子として、彰子(しょうし)
 ・詮子の子として、一条天皇
 ・一条天皇は、定子、彰子と結婚。

〇『大鏡』(未詳)
・文徳天皇から後一条天皇までの歴史とその他30人の列伝。
 『栄華物語』と違い、藤原道長の栄華を批判的に語る。
 語り手(大宅世継と夏山繁樹)が若侍に語った言葉を作者が書き残したという設定がなされている。
 (尊敬語の文以外の)主語のない文の主語は、語り手であることが多い。

(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、169頁~172頁および別冊22頁)

『大鏡』の一節


清涼殿の建築様式をふまえて、『大鏡』の一節を読解してみよう。
「延喜(えんぎ)」・「帝」とあるのは、醍醐天皇のことである。
「この殿」は藤原時平のこと、「内(うち)」は内裏(の清涼殿)のこと、「殿上」は清涼殿にある殿上の間のこと。


延喜の、世間の作法したためさせ給ひしかど、過差をばえしづめさせ給はざりしに、
この殿、制をやぶりたる御装束の、ことのほかにめでたきをして、内に参り給ひて、
殿上にさぶらはせ給ふを、帝、小蔀より御覧じて、御けしきいとあしくならせ給ひて、
職事を召して、「<中略>便なきことなり。はやくまかり出づべきよし仰せよ」
と仰せられければ、
(大鏡)
出題
立教大学の社会学部

【読み方】
・過差(くゎさ) ・殿上(てんじゃう) ・小蔀(こじとみ) ・職事(しきじ)
※小蔀とは秘密ののぞき窓みたいなもの。

【現代語訳】
醍醐天皇が、世間の風俗をとり締まりなさったが、贅沢をやめさせることがおできにならなかったところ、この藤原時平殿が、決まりを破ったご装束で、格別にすばらしいのを着て、内裏(の清涼殿)に参りなさって、殿上の間にお仕えなさるのを、天皇が、小蔀よりご覧になって、ご機嫌が非常に悪くおなりになって、(秘書官の蔵人である)職事をお呼びになって、「<中略>不都合なことだ。すぐに退出するように命じよ」とおっしゃったところ、

【場面】
天皇の居場所は、「昼(ひ)の御座(おまし)」。藤原時平は天皇が見ているとも知らず、派手な格好をして殿上の間に登場した場面。

この文の続きにあるように、この事件は時平と醍醐天皇が世間のゼイタクを鎮めるためにわざとやったらしい。
(また、あの当時の最高権力者であった藤原道長とその子供の頼通が、力を合わせてゼイタクをとり締まったという話も出てくる)

【参考】藤原時平VS菅原道真
醍醐天皇の頃、藤原時平は左大臣であった。右大臣はあの有名な菅原道真。
道真をやっかんだ時平は、陰謀により道真を失脚させ、大宰府に流してしまう。
その後、時平に関係する藤原氏に道真が祟ったとする伝説が数多く生まれ、以後、道真は学問の神様としてあがめられるようになった。

(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、121頁~122頁)


≪古文の勉強(法)について≫

2024-01-27 19:00:09 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文の勉強(法)について≫
(2024年1月27日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、古文の勉強について、考えてみたい。
 単語と文法については、以下の本を以前のブログで紹介してみた。
〇黒川行信『体系古典文法』数研出版、2019年[1990年初版]
〇武田博幸/鞆森祥悟(河合塾講師)『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』
桐原書店、2014年[2004年初版]
〇山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]

 今回のブログでは、古文の読解の方法または古文学習の目的について、以下の本を紹介しながら、考えてみたい。

〇富井健二(東進ハイスクール講師)『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]
〇山村由美子(河合塾)『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]
〇元井太郎(代々木ゼミナール)『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]
〇塩沢一平・三宅崇広(駿台予備校)『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]
〇藤井貞和(日本文学者、東京学芸大学教授、のち東京大学名誉教授)『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]




【富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』はこちらから】

富井の古文読解をはじめからていねいに (東進ブックス―気鋭の講師シリーズ)



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・はじめに
・古文の勉強法~富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』より
・古文の勉強法~山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』より
・古文の勉強法~元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』より
・古文の勉強法~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より
・古文学習の目的~藤井貞和『古文の読みかた』より







古文の勉強法~富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』より


古文を攻略するには、どうすればいいのか。
まっさきに浮かぶのは、古文単語と古典文法を身につけることという答えだろう。
しかし、単語と文法を一通り暗記しただけでは、スラスラと古文を読解することはできない。
なぜならば、古文単語も古典文法も「文脈」を理解して、はじめてその知識が生かされるからである。
例えば、古文単語の意味には色々あり、その文脈に合った意味をあてはめなければならない。古典文法、例えば、助動詞の意味の決め方にはテクニックが存在するが、最終的には文脈を考慮して、その意味を決定しなければならない。
だから、「読解法」を学ぶ必要がある、と富井健二先生はいう。

受験生を見ていると、単語や文法の知識を身につけるための時間は多く割いているが、実際の古文を読みながら、その知識を使って確認していく時間が少ないらしい。
単語や文法の意味をある程度チェックしたら、どんどん古文読解をしてゆくのがよいようだ。
定着と実践の同時進行、それが古文の上達するポイントであると説く。

古文は本当に楽しく、奥の深い教科である。古文読解の力がついてくるうちに、この教科の本当の魅力に気づくそうだ。真の実力とは、真の興味のもとに宿ると力説している。

(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、2頁~3頁)

プロローグ


古文の読解法には、2つの中心がある。
A その古文問題の「ジャンル」を決定する
B 主語を補足しながら文章を読んでいく
  (地の文と「 」の文に分けて、それぞれの補足方法を駆使する)

※これに「古典文法・古文常識・作品常識」などの知識をプラスして読解していく
⇒STEP 1~19で、Bの読解法を学ぶ
 STEP 20~23で、Aの読解法を学ぶ
 つまり、古文は、Aジャンルを決定し、B主語を補足しながら読んでいけばいいようだ。
(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、10頁~11頁)

古文の勉強法~山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』より


・この本は、「古文の読解力を身につけたい」「正しく読解できるようになる方法を知りたい」という人のために書いたものだという。
 みなさんは、古文を「何となくこんな感じの意味かなあ」などと、「雰囲気」で読んでいないだろうか。言い方を変えると「文脈」だけを頼りに読んでいないだろうか。
 しかし、これだと文脈把握が間違っていたら、読解も間違うことになる。
 そこで、本書では、「はじめて見る本文でも読めるようになる確かな『読解力』を身につける」ために、「読解のワザ」を紹介しているという。
 入試のほとんどが、受験生にとっては「はじめて見る本文」であるから、これはまさに入試に直結する読解力養成のための本といえるとする。
 「古文のプロ」が時間と労力をかけて導き出した、正しく読解するためのいわば“一般公式”が「読解のワザ」であるそうだ。すべての「ワザ」」は、プロの感覚と知恵と経験に基づいたものである。
 また、本書は、読解の最も根底的な部分を中心に話している。
 言い方を変えると、どんな文章にでも適用するような読解力を身につけてもらおうと思って話している。どんな文章にでも使えるように説明しているので、学んだワザを、他の文章にも使って、自分のモノにしていってほしいという。
(山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]、ii頁~iii
頁)

例えば、「読解のワザ」には、次のようなものがある。
ワザ29 舞台特定のワザ
 働く女性が作者のノンフィクション作品(日記・随筆)なら、職場が舞台!
ワザ31 位置関係から状況をつかむワザ
 登場人物の位置関係をチェックして、“見える”範囲を特定せよ!
ワザ75 本文周囲にあるヒント発見・活用のワザ
 「注」には、本文読解のヒントだけでなく、問題を解くヒントもある!
ワザ76 本文周囲にあるヒント発見・活用のワザ
 「設問文」にさりげなく含まれる、主語のヒントを見逃さないで!
(山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]、99頁、103頁、248頁~249頁)

前後で主語が変わりやすいパターン


ワザ6 接続助詞に注目するワザ②【パターン的中率70%】
☆前後で主語が変わりやすいパターン
 Aさんは……を、(に、ば、)(Bさんは)……

・接続助詞「を・に・ば」が出てくると、多くの場合、そのタイミングで主語が変わる。
 それまで「Aさん」が主語だったとしたら、「を・に・ば」の後は、普通「Aさん以外の誰か」が主語になる。
※古文では、一つの場面にはたいてい2~3人ぐらいしか登場していない。
※<ちょっと注意>
 助詞の「を」・「に」には接続助詞の他に格助詞も存在する。
●助詞「を・に」の識別
①……名詞(または連体形)+を、(に、)……→格助詞
 このまま「を」(または「に」)と訳しても、ヘンではない場合
②……連体形+を、(に、)……→接続助詞
 「を」(または「に」)のままだとヘン。
 「のに」「ので」「~すると」だと自然な場合
※つまり、「を」と「に」の訳を変えるときは主語も変わりやすい!
(山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]、18頁~20頁)

古文の勉強法~元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』より


おすすめの勉強法!


〇「はじめに」(4頁~5頁)において、
・本書の内容をとりあえずたどって読むことをすすめている。
 通読することで、大学側が要求している古文読解のイメージと、本番で点をとるイメージをつかんでほしいという。
 (古文の苦手な方や、高一・高二の方などは、例題の全文訳をはじめに見てもかまわない)
 1か月で2~3回ほど通読してみるぐらいのペースがよい。(暗記のコツは、くり返し!)
・本番レベルの得点分析から、効率よい勉強法のイメージを自分なりにつかんでもらうのが、本書の意図することだとする。

・受験生に贈る言葉
「苦悩のあとの歓喜を」(L.V.ベートーヴェン・第九、というかシラー)
「明けない夜はない」(W.シェークスピア)
「汝は汝の汝を生きよ。汝は汝の汝を愛せ」(M.スティルナー)

〇「第三講 “読解”を点数に結びつけろ! 実戦③ おすすめの勉強法!」(309頁~318頁)において、次のように述べている。

<視点>
・本番で高得点するために、いかに古文を短時間の勉強量でこなし、他教科に時間をまわせるか!
 本番で、いかに速く正解できるか?が問われている。

<勉強法>
①各教科の基礎をザット覚える。
(反復復習が有効。ある程度わかったら、本番レベルの設問分析と並行して、基礎を引き続き定着させる。基礎だけ独立して学習しようとしない)
②第一志望レベルの問題で、得点に至る過程を分析する。
③出題のパターン性を、問題量をこなす中でつかむ。
④復習を中心に制限時間を意識し、本番で得点できるイメージを作り上げていく。

※基礎をふまえた具体的な問題から、自分なりに得点できるアプローチを作ることが大事。
 「自分なりに」つかんだ方法でないと、本番で使えない。
 他人のマネをしても、本番では得点できない。“自力本願”あるのみ。
(抽象的な方法論に走ってはいけない。具体的な問題をこなしていく中で、自然と自分なりのアプローチがつかめてくるはずである)
 
〇おすすめの学習要素
1 まずは、本番第一志望レベルの問題(過去問・受けない他学部の過去問・同レベル他大の過去問など)を、解くか解かないかの中間ぐらいで分析
・全訳があったら活用する。
 全訳を活用して、全文の主語、目的語を拾いだす。
 つまり、直訳のために全訳を使うのではなく、文脈のために全訳を活用する。
 わかった文脈で、古文の全文をザットたどる。
・設問の正解・解答を活用する。
 正解の本文根拠を、正解そのものが本文のどこにどうあるか? という視点で本文をチェックする。
・選択肢の研究
 正解の選択肢の本文根拠だけでなく、不正解の選択肢の本文根拠もさぐる。
 選択肢の現代語の言いまわしと古文の単語・文法を照合しておく。
 選択肢の横の構成ポイントを切ってみて、量をこなす。

<問題分析のガイドライン>
①全訳で文脈(主語・目的語)を通し、本文の全体的な話をつかむ。
②全訳で通した文脈を、古文の本文でたどる。
 訳的にわからないところは、すぐ全訳を見て照合する。
③設問の正解をチェック(問題を解かない)
④選択肢の分析(できたら、「出題意図は何?」とさぐる)
⑤正解・不正解の根拠を、本文でチェック
⑥本文根拠と、設問の傍線の関係を分析
(この段階で出題意図がわかることが多い)

2 復習をメインにする。(本番での“解けるイメージ”を固めること)
・まっ白い本文でなく、根拠をチェックした本文をたどり直す。
(本文の文脈を古文的に読み直しながら、対応するところでは、“目のとばし” (斜め読み)
を練習し、古文の読み慣れ、速読を心がける)
・設問にからんでいない単語・文法を、読み込みながら覚えようとする。
・一回の復習(チェックしたあとの“読み込み”)は、30分以内をメドとする。
(とにかく一回で復習し切ろうとしない。何度も反復する中で具体的につかもうとすることを心がける)
・“読み込み”のための問題の量をためる。
(慣れるまでは、数題の同じ問題をくり返す。慣れてきたらどんどん問題量を増やし、反復して“読み込む”)
・選択肢と本文根拠を、“読み込み”の中で、何度も照合する。
・メインの教科の合い間に、古文の“読み込み復習”をさし込む。
(最低一日一回は、古文の速読をやる。チェックしてある本文だから、時間もかからない)

※これらの要素に留意して、生活にとりいれること。
 初めは手ごたえがないので悩むかもしれないが、一か月は続けてみて、効果を測ってみること。
 実験心理学で「フィード・バック」という。
 「人間の記憶容量を保つには、くり返しが最も効果ある」ことは、実証されている。
 これにもとづいた復習法がよい。
(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、4頁~5頁、309頁~318頁)

古文の勉強法~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より


〇塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]

「古文の力」とは?


 駿台予備校の塩沢一平先生は、「センターは、こんな試験~古文編」において次のようなことを述べている。(共通テストにも、あてはまる点が多々あるので、紹介しておく)
【文章の長さ】
・文章の長さは、例年1500字程度。速読・即答する問題処理テクニックが求められる。
 例えば、出典別に読み方を変えるテクニックを身につける必要があるし、設問タイプ別のテクニックも必要になる。

(ちなみに、ネットによれば、2023年の共通テストの字数は1319字、2024年のそれは、1147字だったそうだ)

【出典】
・センター試験の出題ジャンルは、上代の文章が出題される可能性は低いようだ。
 中古~近世(江戸)の作品で出題されるのは、教科書に掲載されていない作品か、掲載されていてもまったくマイナーな部分だという。
 学校の授業で勉強した部分がセンターで出題されることはまずない。つまり、はじめて読む作品・部分が出ても、対応できる実力と対処法を身につけることが必要だと強調している。
 歌物語が出題されていないのは、設問を作りやすい『伊勢物語』『大和物語』が、様々な大学で既に出題されていることや、章段自体が短いものが多く、1500字の長さにならないものが多いためらしい。
・時代的には、中世・近世の文章が多い。
 その中で、特に擬古物語(平安時代のつくり物語に似せて作られた物語)の出題が多い。
 登場人物の心情をつかむため、形容詞・形容動詞をきっちり覚えておこう。
・また心情は、和歌に凝縮された形で示される。

〇出題された文章のジャンル
 中古=歴史物語・つくり物語・日記・説話
 中世=歴史物語・説話・日記・随筆・軍記物語・歌論・擬古物語
 近世=随筆・紀行・日記・擬古物語

(周知のように、2024年の共通テストの古文は、「車中雪」という江戸時代の擬古物語(平安時代の物語を模した文章)であった)

【設問タイプ】
①語句の意味
 文章構造をとらえて解く、クールで渋い論理的な思考が必要である。
②文法・敬語問題
 品詞分解・語の識別と、敬語が3対1の割合。
 敬語では、尊敬・謙譲・丁寧のどれにあたるか、本動詞か補助動詞かが問われる。
③内容説明・心情説明・理由説明問題
 どれか1問が出題される。
④内容合致(不合致)・趣旨選択問題
 これもよく出る。訳せても“言いたいこと”がわかって、しかも選択できなければ点数にならない。
⑤和歌関連問題
 和歌を含む文章が出たときは必ず設問になっている。
 攻略法10~12で和歌問題をマスターして、大きく差をつけよう。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、10頁~15頁)

<合格のための+α解説>


内容合致・不合致問題、主旨選択問題の選択肢は、内容理解の大きなヒント

……「次の文章を読んで後の問いに答えよ」という設問を真に受けてはいけない。
なぜなら、「文章を読んで」から設問に取りかかったとしても、(問題を解くためには)また最初に戻って読まなければならないから。
 当たり前だが、まず設問を読んで、何が問われていて、何に注意して本文を読むか、見当をつけること。
 たとえば、不合致問題なら、選択肢の一つ(ないしは二つ)を除いて、内容は本文と合致しているのだから、これを読めば内容のアウトラインの七・八割は分かるはず。

 また、内容合致問題にしても、不正解の選択肢の内容のすべてが合致していないのではなく、一部分が合ってないという選択肢がほとんど。やはりヒントになるはずだ。
※内容合致・不合致問題は、設問としては難しいけれど、逆に内容理解のヒントにもなるのだ!
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、133頁)

古文学習の目的~藤井貞和『古文の読みかた』より


古文学習と現代語訳


・昔の古文を現代人が読むということは、古文から現代への、一方的な交通、一方的な伝達にすぎないのだろうか?と著者は問いかけている。
 コミュニケーションという言葉と、その意味を、知っているはずである。
 伝達とは、このコミュニケーションのことなのである。
 communicationのcom-は、“お互いに”“共通の”ということを意味しているが、そのとおり、昔の古文がわれわれ現代人に伝達されるということは、けっして一方的におこなわれるのではなく、現代人からも積極的に古文にたいして、はたらきかけることによってはじめて成りたつ、コミュニケーションとしてある。
 古文と、現代人とが、対等に向きあい、対話する関係である、といったらいい。
 では、どのように現代人から古文へはたらきかけるのか?
 本書で重視してきた現代語訳(口語訳)は、その試みの一つであるという。
 古文が正確に理解できるということを、現代人が実際に紙と鉛筆とを使って証明する、それが現代語訳のしごとであるとする。




さて、『源氏物語』桐壺の巻の引用を、本書ではこのように訳文をあたえておいた。

【訳文】
中国にも、こうした発端からこそ、世も乱れてひどいことになったのだったと、だんだん、世間一般にも、おもしろからぬ厄介種(やっかいだね)になって、楊貴妃の例をも引き合いに出しかねないほどになってゆく事態に、まことにいたたまれない思いのすることが多くあるけれど、おそれ多い帝の御愛情のまたとないことを頼みにして、宮仕えなさる。

※ぎこちない訳文だが、正確さを優先させたと著者はいう。

・『源氏物語』は、与謝野晶子や谷崎潤一郎といった、近代の歌人や作家が、現代語訳を試みている。最近のものでは作家の円地文子(えんちふみこ)も現代語訳を完成させた。
(いずれも文庫本になっており、手にはいりやすくなっている)

・与謝野晶子の現代語訳を見ると、つぎのようになっている。
 唐の国でもこの種類の寵姫(ちょうき)、楊家の女(じょ)の出現によって乱が醸(かも)されたなどと蔭ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩(わざわ)いだとされるに至った。馬嵬(ばかい)の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。
(『全訳 源氏物語』上、角川文庫、昭和46年版)

※なかなか流麗な、味わいの現代文になっているという。

・谷崎潤一郎のほうはどうか?
 唐土(もろこし)でもこういうことから世が乱れ、不吉な事件が起ったものですなどと取り沙汰をし、楊貴妃の例なども引合いに出しかねないようになって行きますので、更衣はひとしお辛いことが多いのですけれども、有難いおん情(なさけ)の世に類(たぐい)もなく深いのを頼みに存じ上げながら、御殿勤(ごてんづと)めをしておられます。
(『潤一郎訳源氏物語』一、中公文庫、昭和48年版)

※こちらは“です”“ます”調の文体になっているが、晶子訳にくらべて、『源氏物語』の本文にかなり忠実な訳文であることが、ざっと読んでみるだけで明らかだろう。
 晶子訳は大胆な意訳で、潤一郎訳はかなり忠実な意訳である。
 意訳であることには変わりはない。

※高等学校の教科書では、二年生ぐらいになると、『源氏物語』の一部を勉強する。
 桐壺の巻か、若紫の巻か、あるいは夕顔の巻かをおそわることになる。

☆もっとたくさん読みたいと思ったらどうするのか?
 『源氏物語』全体は五十四巻あるといわれている。その全部を読みたいと思ったらどうするか?
 与謝野晶子の訳した『源氏物語』を読んだらいい。あるいは、谷崎潤一郎の訳した『源氏物語』を読んでみるとよい。また円地文子の訳した『源氏物語』(新潮文庫に入っている)を読むのもいい。他にも現代語訳はある。
 晶子訳がいいか、潤一郎訳がいいか、文子訳がいいか、それはまったく好みの問題。
 いずれも、訳者が、精魂こめて『源氏物語』に取りくんだものであって、どの一つを取りあげても、『源氏物語』であることにちがいはない。
 くれぐれも、原文を読まなければ『源氏物語』を読んだことにはならない、などと思わないように、と著者はいう。現代語訳を読んでも、りっぱに『源氏物語』を読んだことになる。
 つまり、『源氏物語』の全体を読みたいと思って、すぐれた近代の歌人や作家の作った現代語訳を読んだことによって、現代人から古文の世界へ積極的にはたらきかけたのである。
 コミュニケーションを成しとげたことになるという。

・ただし、条件があるという。
 コミュニケーションは伝達であるから、媒介になるものがかならずある。
 その媒介物が、『源氏物語』の原文にほかならない。原文の実態をまったく知らないではすまされない。原文の一部を学ぶことによって、その実態をおおよそ理解できるようにしておきたい。必要があれば、現代語訳のもとになった原文に立ちかえって、たしかめることができるようにしておきたい、とする。
⇒これがわれわれの、古文を直接学習しようとする目的なのであると著者は強調している。

・晶子訳は大胆に意訳しており、原文にある敬語などを省略して、ダイナミックな『源氏物語』にした。潤一郎訳は、原文に忠実のようでも、ときに原文にない説明を加えるかと思うと、敬語はやはり省略したりして、現代人に読みやすい『源氏物語』にしている。
・原文の実態は敬語もあり、さまざまな助動詞や助詞の使いわけもあるので、われわれはひととおり学習して、古文の特徴をだいたい知る必要があるという。
 だから、皆さんの試みる現代語訳は、学習のためだから、ぎこちなくていいので、正確であることを心掛けてほしいと著者はいう。敬語を省略してはいけない。助動詞や助詞を訳し分けてほしい。
 
※本書は、「はじめに」でも述べたように、
Ⅰ 古文を解く鍵
Ⅱ 古文の基礎知識
Ⅲ 古文を読む
の三段階に分けて、その古文の特徴を、平易な叙述のなかにも、深く掘りさげて解説している。
敬語の理解につまずいたり、助動詞や助詞の訳し分けがわからなくなったら、該当するページに何度でも立ちもどって、研究してほしいという。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、204頁~208頁)



≪2024年 ブログ記事の予定~抱負として≫

2024-01-02 19:00:01 | 日記
≪2024年 ブログ記事の予定~抱負として≫
(2024年1月2日投稿)

【はじめに】



謹賀新年
よき新年をお迎えのことと拝察しております
いつもブログを閲覧して頂き、有難うございます

昨年はどのようなお年でしたのでしょうか。
昨年、投稿した記事で、読者の皆さんからコメントを頂いたものは、次の記事でした。
〇石川九楊『中国書史』(京都大学出版会、1996年)に関する記事
昨年のブログ記事の予定を読み直すと、投稿できなかった記事が目立ちます。
ある高校生(いとこの息子)を想定して、カテゴリー「ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス」に属する世界史、漢文についてまとめたブログ記事が中心でした。
今年の大河ドラマは「光る君へ」と題して、長編小説『源氏物語』を生み出した女流作家・紫式部の波乱の一代記だそうです。高校生向けに、漢文に続き古文について、もう少し書いてみたいと思います。

〇源氏物語など


<源氏物語>
〇桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]
〇田中阿里子『源氏物語の舞台』徳間文庫、1988年
※葵上にしても紫上にしても、あるいは夕顔、花散里、朧月夜君にしても、それぞれに特徴のある美しさと可憐さを備え、源氏との出逢い方も色々に工夫があって面白いといわれます。
 しかし、六条御息所ほどに強い個性を作者からあたえられたものはなく、生霊となってまでも、主人公とその女達の上につきまとう怨念の強さは、作者紫式部が無意識に仮託した、自己の情念そのものである、と田中阿里子氏はみています。
(田中阿里子『源氏物語の舞台』徳間文庫、1988年、53頁~54頁)

ただ、今春、大学受験でおそらく合格することと思われますので、記事内容も一変する予定です。とりわけ、次のような記事が投稿できず、残念でした。3月頃までには、投稿したいと考えています。
 例えば、映画と英語(語学の学び方)に関連して、次の小説についても、投稿したいと思います。
〇ヘミングウェイ(大久保康雄訳)『誰がために鐘は鳴る(上)(下)』新潮社、1973年[1978年版]
 原書とヘミングウェイについての本は購入して手元にあり、読み進め、半分ぐらい原稿化しています。
〇Ernest Hemingway, For Whom the Bell Tolls, Scribner Paperback Fiction Edition, 1940[1995]
〇今村楯夫『ヘミングウェイと猫と女たち』新潮新書、1990年

 また、高校生が大学生になることもあり、語学としては、フランス語の記事も充実させたいと思います。(大学でどの外国語を選択するかわかりませんが)
 最近、次の本を読み進めています。
〇鷲見洋一『翻訳仏文法(上)(下)』ちくま学芸文庫、2003年

その他、以前、私のブログ「歴史だより」で、囲碁に関しては、定石、サバキ、依田紀基氏の囲碁の理論などを予定していましたが、まだ投稿しておりません。
最近では、囲碁の手筋や形勢判断に関する本を集めておりますので、形にしたいと考えております。

〇囲碁関連


囲碁の基本に立ち返って、定石、布石、サバキに関する記事を投稿してみたいと書いていましたが、本格的に紹介できませんでした。今年こそは、投稿したいと思います。
 
<定石と布石>
〇工藤紀夫『やさしい定石 詳解45型』毎日コミュニケーション、2007年[2009年版]
〇久保秀夫『定石を覚えよう』日本棋院、2015年
〇石倉昇『NHK囲碁講座 定石の生かし方(上)(下)』朝日出版社、1990年[2004年版]
〇田村竜騎兵『やさしい定石教えます』有紀書房、1999年
〇武宮正樹『基本定石24』筑摩書房、1992年[1997年版]
〇三村智保『三村流布石の虎の巻』マイナビ、2012年
〇趙治勲『ひと目の定石』マイナビ出版、2009年[2019年版]

<サバキ>
〇石倉昇『攻めとサバキの法則』日本放送出版協会、2005年[2007年版]
〇王立誠『サバキの急所』毎日コミュニケーションズ、2011年
〇依田紀基『サバキの最強手筋 初段・二段・三段』成美堂出版、2004年

<依田紀基氏の囲碁の理論書>
〇依田紀基『筋場理論』講談社、2014年
〇依田紀基『依田ノート』講談社、2003年[2017年版]
〇依田紀基『定石の原点』筑摩書房、2001年
〇依田紀基『石を取る筋捨てる筋』棋苑図書、1995年[1997年版]

<手筋>
〇大竹英雄『復刻版 囲碁 基礎手筋の独習法―意外な急所がどんどんわかる』誠文堂新光社、2014年
※この本を読んで、手筋についての考え方は、目からウロコだった。
 「ウッテガエシ」や「オイオトシ」といった石を取る筋のみを手筋と考えがちだが、そうではないことに、気づかせてくれたのが、大竹先生のこの本であった。
つまり、手筋は、相手の形の欠陥をとがめる手でもあるという。だから、欠陥のない形に対して手筋はうまれてこない。強い人の石には、そうした欠陥が少ないために、手筋を打てるチャンスはなかなかないものらしい。相手から手筋を打たれないように、形をしっかり打つことが大切だと、大竹英雄先生は強調している。
また、定石は相手の手筋を防ぐ形が中心であるという。形が悪ければ相手から手筋でひどい目に会わされる。手筋を学んだ効果は、相手の石の中に手筋を発見して戦いを有利に導くということもあるが、それ以上に自軍の石をしっかり打つようになることにあるというのである。
(大竹英雄『復刻版 囲碁 基礎手筋の独習法』誠文堂新光社、2014年、115頁、148頁)

〇藤沢秀行『基本手筋事典 上(中盤の部)』日本棋院、1978年[1980年版]
〇藤沢秀行『基本手筋事典 下(序盤・終盤の部)』日本棋院、1978年
〇山下敬吾『新版 基本手筋事典』日本棋院、2011年

<形勢判断>
〇片岡聡『一番やさしい形勢判断法』毎日コミュニケーションズ、2009年
〇石田芳夫『新・木谷道場入門 第10巻 形勢判断とヨセ』河出書房新社、1974年[1996年版]

<昭和の碁>
〇江崎誠致『昭和の碁』立風書房、1978年[1982年版]
〇江崎誠致『呉清源』新潮社、1996年
〇桐山桂一『呉清源とその兄弟―呉家の百年―』岩波現代文庫、2009年

 その他、稲作、ガーデニングについての記事も投稿してゆきたいと考えています。

本年も皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます

2024年お正月