歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪植物名の由来~中村浩氏の著作より≫

2022-12-25 19:40:02 | ガーデニング
≪植物名の由来~中村浩氏の著作より≫
(2022年12月25日投稿)

【はじめに】


 以前のブログにおいて、次のような書籍を参考に、植物の名称について述べたことがある。
〇田中修『植物のひみつ 身近なみどりの“すごい”能力』中公新書、2018年
〇辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]

 今回のブログでは、植物の名称について、次の書籍をもとに、さらに詳しく解説してみたい。
〇中村浩『植物名の由来』東京書籍、1980年[1996年版]

以前の参考文献は、植物の名称そのものがテーマでなかったが、中村浩氏の本は、文献的にも歴史的にも詳しく説明しているので、教えられる点が多い。
 そのすべてを取り上げることができないので、主に、タンポポ、アザミ、ヨモギ、クズ、アサガオ、ナナカマドについて述べることにする。

【中村浩氏のプロフィール】
・1910年、東京に生まれる。
・1933年、東京大学理学部植物学科卒業。
      東京大学講師、九州大学教授、共立女子大学教授、日本クロレラ研究所副所長、財団法人日本科学協会理事等を歴任。理学博士。
・1980年没。
<主な著書>
・『牧野富太郎植物記』(全8巻、あかね書房)
・『園芸植物名の由来』『動物名の由来』(東京書籍)


【〇中村浩『植物名の由来』(東京書籍)はこちらから】
中村浩『植物名の由来』(東京書籍)





〇中村浩『植物名の由来』東京書籍、1980年[1996年版]

【目次】
植物の名について
植物名のしくみ
和名と漢名
和名と洋名
人名に関連した植物名

<草の部>
1  スミレは旗印の隅入れに由来する名
2  キクの語源はクク
3  フウロソウは風露草ではない
4  マツムシソウは仏具からでた名
5  ホタルブクロは提燈のこと
6  タンポポの名の由来
7  ウリ談義
8  ホオズキは文月にもとづく名か
9  キツネアザミは眉掃にもとづく名
10 ボロギクは襤褸菊ではない
11 ヨメナは果して嫁菜か
12 ツクシ考
13 ヨモギはよく萌えでる草の意
14 クズの名は地名の国栖から
15 ゴマは油を含んだ種子の意
16 ハンゴンソウは煙草と関係がある
17 タムラソウの二つの語源
18 アサガオは朝の美人の意
19 ヒキヨモギは糸を引く意
20 カミエビは酒を醸す意
21 シオデは牛の尾に似た草という意
22 ガガイモの名の起り
23 ユキノシタは雪の下ではない
24 カラスウリは唐朱瓜か

<木の部>
1  アスナロは偽名である
2  ナナカマドは炭焼きにちなんだ名
3  ムラサキシキブの本名はムラサキシキミ
4  ヤシャブシは夜叉ブシではない
5  ゴンズイは五衰の花
6  クチナシは口無しではない
7  ニワトコは庭ツコの転じた名
8  ウグイスカグラは鶯隠れの意
9  アズサよもやまばなし
10 クマザサは熊笹ではない
11 クマシデ、クマヤナギは熊とは関係がない
12 イボタノキ談義
13 ソナレの真意は磯馴れではない
14 シデという名の意味
15 シウリザクラは枝折桜である
16 ウワミズザクラは占いの桜という意
17 マンサクの語源
18 ワビスケは侘しい花ではない
19 サクラの語源
20 ケンポナシは手棒梨

あとがき
索引




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・植物名のしくみ
・タンポポの名の由来
・キツネアザミは眉掃にもとづく名
・ヨモギはよく萌えでる草の意
・クズの名は地名の国栖から
・アサガオは朝の美人の意
・ナナカマドは炭焼きにちなんだ名





植物名のしくみ


・植物の名は、千差万別である。
 しかし、自ら一つの規準のようなものがあるという。
①まず第一に、その植物を観察したときに受ける印象を名としたものが多い。
 つまり、その植物のもついちじるしい特徴をとらえて命名されたものである。
 例えば、花の形が鷺が飛んでいる姿に似ているので、サギソウ(鷺草)と命名された。
 胡蝶がとまっている姿なので、コチョウラン(胡蝶蘭)という名が授けられた。
 美しい朱鷺(とき)色をしているので、トキソウ(朱鷺草)と名づけられたりした。
 
 また、葉の特徴をとらえて、ミツバ(三葉)とかウマノアシガタ(馬の足形)と名づけられた。実の形を見て、アケビ(開肉[あけみ]の意)とかクリ(黯[くり]の意)と名づけられ、根の形を見て、ヌスビトノアシ(盗人の足)とか、エビネ(蝦根)などと命名されている。

 むかしの人がその植物を観察して受けた印象も現代の人が受ける印象も、そうたいしたちがいはないから、このような直接印象的な直感的な名というものは、たとえそれが時代と共に多少変形していても、その語源を探索することは、そう困難ではない。
 直感的な名としては、野菜になぞらえた名、例えばコナスビ(小茄子)とかウリクサ(瓜草)というような名や、果物になぞらえたコミカンソウ(小蜜柑草)や日常の食品になぞらえたものなどもある。

②次に多いのが、薬用に用いると有効な植物の名である。
 ゲンノショウコとかズダヤクシュなどは、その例である。
 毒という字を冠したものも少なくない。これはその植物に触ったり食べたりすると危険であるという警告でもあったであろう。
 ドクウツギとかドクゼリなどがこの例である。

③植物の名としては、動物名を冠したものが少なくない。
 (これは人間には食えないという意味あいのものであることが多い)
 スズメノエンドウとかイヌビワ、あるいはヘビイチゴなどがこの例である。
 
④また日常生活に密着した道具とか武器とか染料とか香料を名としたものも多い。
 こうした日常生活に密着した名は、特に古い時代につけられた古名に多いようだ。
 例えば、むかしの道具になぞらえた名としては、ゴキズル、スハマソウ、ツヅラフジ、コリヤナギなどがある。 
 武器に関連のある名としては、マユミ、ウツボグサ、ヤバネカズラなどがある。
 また染料にちなんだ名としては、アカネ、ムラサキ、ベニバナなどの名をあげることができる。
 香料にちなんだ名としては、ジンチョウゲ、ニオイスミレ、オタカラコウなどがある。

※また、文学的な情緒にもとづく名としては、ワスレナグサ(勿忘草)、オモイグサ(想い草)、ワスレグサ(忘憂草)、ミヤコワスレ(都忘れ)、モジズリ(捩摺)などいろいろある。
 この種の名の中には、古い時代の風習や風俗を知らないと理解し難いものがある。
・植物の名には、本名の頭に冠頭語を付したり、語尾に補足語を付したりしたものが多い。
 例えば、ホトトギスの仲間で、山地にはえるものをヤマホトトギスとよんだり、登山道などで見かけるものにヤマジノホトトギスという名を付したり、特に矮性のものをチャボホトトギスといったりするのは、冠頭語を付してその種名を説明したものである。

<植物名の語源探索>
・植物名の語源探索には、古文献を漁ることが必要であるが、単に植物のことだけではなく、古い時代の生活や風習にまで探索の輪をひろげていく必要があるという。
 古い時代に詠まれた和歌なども、植物名の語源を探る一つの手がかりになる。
 こうした和歌の中には、むかしの人々の生活がうたいこまれているからである。
 例えば、「万葉集」の中に、次のような秀歌がある。
  あかねさす紫野行き標野(しめの)行き
    野守は見ずや君が袖振る
 額田王(ぬかたのおおきみ)の詠まれた歌である。
 この歌をみると、当時、紫草を栽培していた天皇の御料地があったことがわかる。
 そこは一般人の立入りが禁止されていた標野という場所があることがわかり、またそこには見張りの番人がいたこともわかる。
 そして当時、ムラサキという染料植物がいかに重要な作物であったかがわかってくる。
 
 もう一つ例がある。同じく「万葉集」の詠人知らずの歌に、
  春日野に煙立つ見ゆをとめ等(ら)し
    春野のうはぎ採(つ)みて煮らしも
というのがある。
 この歌は、“春日野に煙の立つのが見える。娘たちが春の野にヨメナを摘んで煮ているらしいよ”ということであろう。
 当時若菜の一つとしてヨメナ(古名ウハギ)が摘まれて食用にされていたことがわかる。
 さらにヨメナについて調べてみると、当時この草には若さを保つ霊力があるとされていたことがわかるらしい。
 ヨメナ摘みは単なる遊びではなく、今日いういわゆる健康食としての山菜の採集でもあったのであろう。

<和名と漢名>
・植物の名には、学名のほかに、和名と漢名と外国名とがある。
 (理屈からいうと、漢名も外国名にはちがいないが、中国は日本にとって交流の深かった隣国であるから、中国名すなわち漢名は特別に取り扱ったほうがよい)

・漢名をそのまま音読みにして植物名とした例としては、ミカン(蜜柑)、キキョウ(桔梗)、リンドウ(竜胆)、シャジン(沙参)、センキュウ(芎藭)、ボウフウ(防風)、チャ(茶)などをあげることができる。
(これらの名は、漢名からでたもので、日本の言葉ではない)
・漢名の中には、その漢字はいただいたが、その音読みは日本固有のものにしたものもある。
 例えば、カキ(柿[シ])、モモ(桃[トウ])、ウメ(梅[バイ])、サクラ(桜[オウ])などがその例である。

※日本の植物に対し、漢名をどう当てはめるは難しい作業であるが、江戸時代の本草学者たちは勇敢にこの問題と取り組んだ。そして、多くの日本植物に漢名が当てはめられたが、誤りも多かったようだ。
 この誤りを訂正していったのが、牧野富太郎博士や白井光太郎博士らであったそうだ。
 中国の書物に記載されている植物と日本の植物とを丹念に比較して、その漢名が正しいか否かを追跡していった。そして江戸時代に付せられた日本植物の漢名にはいろいろ誤りの多いことがわかってきた。
 例えば、ケヤキというニレ科の木に、“欅”という漢名を宛てるのは誤りであるという。
 この漢名をもつ木は中国にあるクルミ科の樹木であることが示されている。
 また、ハンノキの漢名は“赤楊”とされていたが、これも誤りで別の木であることがわかった。
・インド伝来といわれるシャラノキに“沙羅樹”を宛てるのも誤りで、この漢名をもつ木はインド産の別の木である。また、ボダイジュを“菩提樹”と書くのも誤りで、インド産の本当の菩提樹は別の木である。
・萩という字は日本でつくった字で、秋に花が咲くので“萩”としたものである。
 サカキを“榊”とし、シキミを“梻”とするのも、漢名ではなく日本でつくった字である。
 ツバキの“椿”も日本でつくった字であって、春に花が咲くので椿としたものである。
 ツバキの漢名は山茶である。
(しかし、中国にも椿という漢名をもつ別の植物があるが、これは“チン”と発音する)

※植物名を漢字で書くと、つい誤りをおかすことになるので、植物名は仮名で書くようになった。近頃では、教科書などではカタカナで書くのがふつうとなった。

<和名と洋名>
・植物の名の中には、西洋名がとりいれられて日本名となったものもいくつかある。
 一例をあげると、カミツレあるいはカミルレという植物がある。
 この奇妙な名は、オランダ語のKamilleにもとづく名である。
 カミツレは江戸時代にオランダから渡来し、薬草として栽培されていたものであるが、逸脱して野生化しているところもある。
この草の頭花を摘みとって乾燥したものは、漢方薬店に“カミツレ花”として売られている。発汗、洗眼などに用いられる。カミツレ油という成分を含んでいる。

・洋名が、そのまま日本名として通用しているものは、園芸植物に多い。
 例えば、コスモスは学名の属名 Cosmosをそのまま和名としたものである。
 ダリアも学名の属名 Dahliaをそのまま和名としている(正しくはダーリアというべきらしい)。
 これにもテンジクボタン(天竺牡丹)という和名がつけられているが、一般的に用いられていない。ダリアの原産地はメキシコであるから天竺というのはおかしいが、江戸時代の本草学者が、この植物が天竺から来たものと思いちがいをしたようだ。
 アネモネも学名の属名 Anemoneをそのまま和名としたもので、ギリシャ語のアネモ(anemo)からでた名である。アネモとは風のことである。アネモネとは“風の娘”の意味である。
 ジギタリスもまた、英語名と学名の Digitalisをそのまま和名にしている。
 英語では別名フォックス・グローブ(foxglove)というが、これを直訳したキツネノテブクロ(狐の手袋)という和名もある。
 Digitalisとはdigitからでた言葉で、指のことをさしている。花冠の姿が指に似ているので、キツネノテブクロという名がつけられたようだ。
(しかし、一般には、この名はあまり通用していない)

<人名に関連した植物名>
・植物の名には、人名に関連したものがいろいろある。
 特に学名には、著名な植物学者や名高い園芸家などの名を冠したものが多数ある。
・テイカカズラというキョウチクトウ科の蔓植物は、初夏のころ、芳香を放ち旋回する白花を開くが、このテイカカズラという名は、確証はないが定家葛で、鎌倉時代の歌人藤原定家を記念して、つけられた名であるといわれている。
・著名な植物学者を名としたものでは、有名なシーボルトを記念した名であるシーボルトノキという名の木がある。
 この木は長崎鳴滝のシーボルトの邸宅の跡に植えられていたのでこの名がつけられたというが、あまり多くはない珍しいものであるそうだ。
 また、アジサイの学名をヒドランゲア・マクロフィラ・オタクサ(Hydrangea macrophylla var. Otaksa)というが、このオタクサは、シーボルトの愛した日本女性“お滝さん”こと、本名楠本滝さんを記念してつけられた名であるといわれている。
 余談になるが、シーボルトはその邸宅に一羽の鸚鵡を飼っていて、これに“お滝さん”という名を憶えさせていたという。この“オタキさん”が、いつしか“オタケサン”に変化して、鸚鵡に人語を憶えさせるとき“オタケサン”といわせるようになったという。
 お滝さんは、もと長崎丸山の遊女で、源氏名を其扇(そのおぎ)といった由だが、シーボルトに愛されたばかりにアジサイに名を残したり、鸚鵡にまでその名をよばれるとは、たいした果報者である、と著者はいう。
 牧野富太郎先生は、シーボルトがアジサイの学名にお滝さんの名を付したことについて、
“神聖な学名に自分の情婦の名をつけるとはけしからんことだ”と憤慨しておられたそうだ。
 その牧野先生自身も、笹の新種に自分の愛妻の名を付して、スエコザサ(寿衛子笹)と命名し、学名もササ・スエコアナ(Sasa Suekoana)とされているという。
※愛妻や恋人や情婦の名を後世に残しておきたいというのは人情であろうが、後世の人にとっては、無縁の人の名を憶えさせられることは、全く迷惑なことといわなければならない。公共性ということを考えるならば、学問に私情をさしはさむことは考えものである、と著者はコメントしている。
(中村浩『植物名の由来』東京書籍、1980年[1996年版]、20頁~36頁)

タンポポの名の由来


・タンポポという名は、妙なひびきをもつ日本名である。
 大和言葉としては異質のものである。
 このため、この名の由来については、外来語説が有力であったが、最近になって、やはりこの名は日本名であることに落ち着いたようだ。
・タンポポの花は、見た眼に美しく人目をひくはずであるが、「万葉集」や「古今集」などでは、でてこない。また「枕草子」や「源氏物語」にも見当たらない。
 タンポポの名があらわれてくるのは、江戸時代になってからである。
(したがって、タンポポは古い時代には稀であったか、あったとしても、ある地方に限られていたものらしい。)

・日本で万葉仮名を用いた最古の辞書である「和名類聚抄」(930年代)には、蒲公草(ホコウソウ)の名が掲げられ、古名で多奈(タナ)または布知奈(フジナ)とよばれていたことが記されているが、これがタンポポのことではないかという意見もあった。
(しかし、この蒲公草はタンポポではなく、ホウコグサ(漢名、蓬蒿[ほうこう])かタビラコ(田平子)ではなかったか、と著者は考えている)

※ホウコグサというのは、今日いうハハコグサ(母子草)のことである。
 古くはオギョウまたはゴギョウ(御形)とよんだキク科の植物で、春の七草の一つに数えられている。
 タビラコというのは、同じく春の七草の一つであるホトケノザのことである。
 今日いうホトケノザとは全く別物である。
 春の七草をうたった歌として知られる、
  セリ、ナズナ、オギョウ、ハコベラ、ホトケノザ
    スズナ、スズシロこれぞ七草
という歌にでてくるオギョウまたはホトケノザ(タビラコ)が蒲公草であるらしい。

・タンポポの名の由来であるが、これについては、今日までいろいろな説がある。
 
①大槻文彦博士の「大言海」には、“タンポポの古名タナなり、タンはその転にて、ホホは花後のわたのほほけたるより云ふかと云ふ”とある。
 そして、“タナは田菜の意ならんか”とものべられている。
 タナ(多奈)という名は、930年代に刊行された「和名類聚抄」にでてくる名であるが、これを田菜とするならば、水田などによくはえる春の七草の一つであるタビラコのことではないか、と著者は考えている。著者は、田菜はタンポポではないとする。
 だから、大槻文彦博士の田菜説は疑わしいという。

②次に、タンポポという名は漢名に由来するとする説がある。
 与謝野寛氏の「満蒙遊記」には、“タンポポのことを中国では婆婆丁(ホホチン)と呼んでいるが、古代には香気を意味する<丁>が上におかれて丁婆婆(チンホホ)と呼ばれていた。このチンホホが日本に伝わってタンポポになったものであろう”と記されている。
 この説は面白いが、古代中国でタンポポのことをチンホホとよんでいた時代は漢時代と考えられるので、万葉時代よりははるかに古い時代である。
 タンポポという呼び名は日本でひろまったのは江戸時代になってからであるから、与謝野氏のチンホホ説は、時代があまりに離れすぎている、と著者はコメントしている。
 したがって、この説は納得し難いとする。
(「花の文化史」(中央公論社)の著者春山行夫氏もこの説を疑問としている)

③牧野富太郎博士は、フランス語に由来するタンポポ説を主張している。
 「牧野新日本植物図鑑」によると、“タンポポの語源はおそらく<タンポ穂>の意で、球形の果実穂からタンポポを想像したものであろう”とのべている。
 タンポとは、布で綿をくるんで丸めたもので、拓本などに用いる道具である。
 牧野博士は、晩年、この説を固執していたそうだ。

※しかし、著者はこの説はこじつけのように思われるという。
 このタンポという異国調の名はフランス語のtampon(砲口の塞[せん])から起こったものといわれ、革あるいは布に綿などを包んでまるくしたものをいう。
 稽古用に使用する槍の先にタンポをつけたものをタンポ槍とよぶのも、この砲口の塞にするタンポに似ているためといわれる。
 しかし、タンポポの果実穂はこのタンポ槍よりも、むしろ毛槍に似ている。
 “紀州の殿様、お国入り、毛槍をふりふりヤッコラサのヤッコラサ”というわらべ歌にでてくる、あの毛槍である。
 (とすれば、“タンポ穂”といわずに、“ケヤリッ穂”とでもいいそうなものである。)
 著者は、この牧野博士のタンポ説は納得できないとする。

④著者の見解
 そこで、いよいよ結論であるが、タンポポという名は、古名のツヅミグサから出た名である、と著者は考えている。
 上田万年博士の「大日本国語辞典」には、“ツヅミグサはタンポポ(蒲公英)の異名”とでている。
 このツヅミグサという名の由来についてであるが、ある学者は、咲きかけた花あるいは閉じかけた花の形が鼓の形に似ているから、この名があるとしているが、著者はそうではないと考えている。
 著者は、タンポポの語源については、柳田国男先生の著作の中にあるのではないかと考え、文献をしらべている最中、名古屋市の今井彰という民俗学の研究者から、宮崎修二朗著「柳田国男とその原郷」(朝日選書)にタンポポのことがでていると、教えを受けたそうだ。
 この本には、“タンポポといえば、鼓を打つときのタン・ポンポンという音からの連想に由来し、あの茎の両端を細かく裂いて水につけると、反りかえり放射状にひろがった両端がちょうど鼓の形になったからだ”と書かれてある。
 著者は、タンポポの花茎を用いて、さっそくこの実験をこころみたが、まさしく柳田先生のいわれるように、鼓形となったので、この説を正しいと思うようになったらしい。

※タンポポの名の由来は、その古名ツヅミグサからでたもので、鼓の音タン・ポンポンに由来するものと考えている。
 タンポポの花を用いた子供の遊びで、鼓の形をつくって興じ、タンポンポンとよんでいたものが、いつしかタンポポになったものであろうとする。
(著者は栁田先生からは親しく教えを受けた一人であるそうだ。その労作からいろいろと教えを受けることができることをまことに有難く思っているという)
(中村浩『植物名の由来』東京書籍、1980年[1996年版]、62頁~66頁)

キツネアザミは眉掃にもとづく名


・キツネアザミというキク科の植物があるが、その名の由来について述べている。
 まずはじめに“アザミ”(薊)という名についてであるが、牧野富太郎博士の著書には、その語源についての説明は見当たらないそうだ。
 大槻文彦博士の「大言海」には、“アザミ草というが成語にて、刺多きをあざむ(惘)意にてもあるか”と記されている。
 しかし、アザミ草についての詳しい説明はない。
・著者は、“アザミ”という名詞は、“アザム”という動詞と関係があるという。
 “アザム”という言葉は、“アサマ”から転訛したもので、“傷む”とか“傷ましい”の意である。
 アザミは刺が多く、これに触れると痛いので、アザム草とよばれ、これが転訛して“アザミ”となったものであろう、という。
 “アザム”という言葉には、“驚きあきれる”とか、“興醒める”とかいう意味もある。
・「浜松中納言物語」には、“驚きあざむ気色も見せず”という表現がある。
 また、「徒然草」にも、“これを見る人嘲りあざみて、世の痴者(しれもの)かな云々”という記述もある。
 これらはいずれも“驚きあきれる”とか、“興醒める”とかいう意味であろう。
 他人を嘲笑することを“あざわらう”というが、この言葉も“あざみわらう”の変化した言葉であるそうだ。

・「神代記」に、“猿田彦神”に向ひて、<天鈿女乃露其胸乳、抑裳帯於臍下而笑噱向立>という記述があるが、“笑噱”は、“あざみわらう”であろう。
 また、“あざける”という言葉も、“あざわらう”の変化した言葉であるようだ。
 同じく「神代記」に、“天孫見其子等嘲之曰、云々、吾田鹿葦津(あたかあしづ)姫愠(いかりて)之曰、何為嘲妾乎”という文章にある“嘲る”も、“あざみわらう”ことであろう。
・さて、アザミの花は、美しいので、これを手折ろうとすると刺にさされて痛いので驚きあきれ、興が醒めるということかもしれない、と著者は考える。
 つまり“アザミ”とは、“驚きあきれる草”とか、“興醒める草”とかいう意味と考えている。
(中村浩『植物名の由来』東京書籍、1980年[1996年版]、75頁~77頁)

ヨモギはよく萌えでる草の意


・ヨモギは、日本では古くから知られ、古代の人たちの生活に食用の山菜として、また医療用の薬草として密接な関係にあった植物である。
 しかし、その語源については、今日まで明らかにされていないそうだ。
・「牧野新日本植物図鑑」には、“ヨモギの語源は不明”とされている。
・大槻文彦博士の「大言海」には、“ヨモギは善燃草(よもぎ)の義”とでている。

・なるほどヨモギは、モグサの原料として灸治に用いるので、“燃える”ということに関連があるように思えるが、ヨモギが医療に用いられたのは、かなり後のことで、それ以前の古い時代にすでにヨモギの名があったのではないか、と著者は考えている。
・著者によれば、ヨモギは、“よく萌えでる草”、つまり“善萌草(よもぎ)”ではないか、という。
 ヨモギは地中に地下茎を伸ばして蔓枝を生じ、旺盛に繁殖する。
 畑地にいったん侵入すると、その駆除に苦労するほど繁殖力が強い。
 早春、枯草の間に勢いよく緑の若芽を伸ばすヨモギは、まさに“よく萌えでる草”の名にふさわしいとする。

・ヨモギの別名には、エモギ、サシモグサ、サセモグサ、サセモ、シカミヨモギ、タハレグサ、フクロイグサ、モグサ、ヤキクサ、ヤイグサ、ヤイバグサなどいろいろあるが、文学的によく知られている名は、“サシモグサ”であるようだ。

・大槻文彦博士は、“サシモグサは注燃草(さしもぐさ)の意、注(さ)すとは点火(ひつくる)のこと、モは燃やすの語根”と説明している。
 著者は、“サス”とは、“発(さ)す”で生い出ずの意、“モ”は萌ゆの意と解釈する。
 したがって、サシモグサは、“発萌草(さしもぐさ)”であると考えている。

・「百人一首」にえらばれている藤原実方朝臣の有名な歌に、
  かくとだにえやは伊吹のさしもぐさ
    さしもしらじな燃ゆる思ひを
 というのがあるが、このばあいはサシモグサはすでに灸治がはじまっている時代で“燃える”という言葉に関連させて詠みこんでいる。
 サシモグサを詠んだ歌はこのほか、
  下野や標地(しめぢ)が原のさしもぐさ
    己が思ひに身をや焼くらん
 また、
  あぢきなや伊吹の山のさしもぐさ
    己が思ひに身を焦がしつつ
というのもある。
 ※これらの歌にみられる伊吹山は、近江国の伊吹山(胆吹山)ではなく、下野国の伊吹山をさすものといわれている。
 この下野国の伊吹山にはヨモギが群生していて、灸治の原料としてその採取がさかんに行われていたらしい。

・「百人一首」の中にもう一つ藤原基俊の歌として、
  契りおきしさせもが露を命にて
    あはれことしの秋もいぬめり
 というのがある。この“させもが露”というのは、“サセモグサにおいた露”という意であり、サセモグサというのはサシモグサの別名である。
(中村浩『植物名の由来』東京書籍、1980年[1996年版]、97頁~99頁)

クズの名は地名の国栖から


・クズ(葛)の正しい呼び名は、“クズカズラ”であるといわれている。
 カズラとは蔓草のことで、その語源は「神代記」に、“伊弉諾(いざなぎ)神の黒き御鬘(かつら)の化して蒲萄(えびかづら)となりしに”と記されていることによるとされている。
・さて、“クズ”という名であるが、大槻文彦博士は、“クズは国栖という地名に関連がある”と示唆している。
・牧野富太郎博士はこの説をとり、“一説にはクズは大和(奈良県)の国栖(クズ)であり、昔国栖の人が葛粉を作って売りに来たので、自然にクズというようになったといわれる”と説明している。
・著者も、クズは国栖という地名から出た名であると考えている。

・国栖とは、国主(くにぬし)という言葉が、クンヌシ、クニシ、クニス、クズと転訛したようだ。

・むかし、大和国吉野郡吉野川の川上に住んでいた土民を国栖人とよんだ記録がある。
 この地方の土民は、応神天皇の御代に大陸から日本に渡って帰化した異民族の一族で、朝廷の儀式のときに招かれて歌笛を奏するのを常としたという。
 そして、この国栖人による演奏を“国栖の奏”といった。

・さて、この大和国吉野郡の国栖地方では、古くから国栖人たちによってクズカズラから葛粉をとって食用とする風習があった。
 クズカズラの根をたたいて水に浸し、汁をもみだして何度もこすと葛粉がとれる。
 葛粉は純白で、食用として珍重された。葛粉は大和国吉野の産が上等品とされ、“吉野葛”とよばれていた。
・クズはまた、茎が強いので繊維をとって、“葛布(くずふ)”をつくるのにも用いられた。
 この葛布は、クズの蔓を煮て水に浸し、繊維をとりだして糸とし、織って布としたものである。この葛布は、耐水性が強いので、雨衣として用いられ、また、袴として、あるいは襖(ふすま)などにも用いられた。

※大和国吉野郡の国栖では、古くから国栖人たちによってクズカズラの根から葛粉をとったり、その茎の繊維で葛布を織ったりしているわけであるから、その原料となるクズカズラがいつしか“クズ”とよばれるようになったのであろう。

・また、クズの花は、赤紫色でたいそう美しいので、秋の七草の一つにも数えられている。
 「万葉集」の秋野の七種花(ななくさばな)の歌に、
  萩の花、尾花、葛花(くずはな)、なでしこの花   
    女郎花(をみなへし)、また藤袴(ふぢばかま)、朝がほの花
というのがある。また、
  真くず延(は)ふ夏野の繁くかく恋ひば
    まことわが命常ならめやも
また、大伴家持の歌に、
  はふ葛の絶えず偲(しの)はむ大君の
    見(め)しし野べには標結(しめゆ)ふべしも
というのもある。これらの万葉歌をみると、クズのたくましく伸びる性質を詠んでいるものが多い。
 クズはまた緑肥として田畑にすきこむと肥厚度が高いが、戦後アメリカ人が日本の野生のクズに目をつけ、これを緑肥としてトウモロコシ栽培に応用したところ、多大の効果があったという(当時の「リーダーズダイジェスト」誌上に載っている)。
(中村浩『植物名の由来』東京書籍、1980年[1996年版]、102頁~106頁)

アサガオは朝の美人の意


・アサガオ(朝顔)というと、今日ではヒルガオ科のアサガオのことをいうが、古く万葉の時代に詩歌に詠まれたアサガオは、今日のキキョウ(桔梗)であったといわれている。 
 キキョウは古名をオカトトキといったが、桔梗の漢字をあてるようになって、はじめキチコウと音読みにされていたが、これがキキョウと転訛したものであるそうだ。
・なお、古名のオカトトキという呼び名であるが、オカは岡であろうが、トトキとは今日のツリガネニンジンのことである。
 トトキとは漢字で“蔘”と書く。

・「万葉集」の、旋頭歌に示されている”朝がほ”の花は、今日のアサガオではなくキキョウとされている。というのは、この万葉の時代には、まだヒルガオ科のアサガオは日本にはなく、後年中国から渡来したものであるからである。
 ところが、このキキョウをアサガオとよぶ風習はやがて滅び、アサガオというと、もっぱらアオイ科のムクゲ(木槿)に移っていった。
 この花は、モクゲともハチスともよばれるが、朝咲いて、夕べには落ちるので“朝顔”とよばれた。
 中国の格言に“槿花一日の栄”とか“槿花一朝の夢”というのがある。これは、白楽天の、
  松樹千年、終(つひ)にこれ朽(く)ち、槿花一日自ら栄を為す
という詩からでたものである。人の世の栄華が短いことを、朝に開き夕べにしぼむムクゲ(槿)の花にたとえたものである。 
 このムクゲも、中国から渡来したもので、日本に野生種はない。
 この植物もまた万葉時代には知られていなかったものである。
 平安朝の初期に、漢方薬の一つとしてヒルガオ科のアサガオが中国から渡来し、薬用植物として栽培されるようになると、この花がたいそう美しいため、次第に各地方にひろまっていった。
 アサガオのことを漢名で“牽牛子(けんごし)”というが、この呼び名は、はじめ薬用になるアサガオの種子のことをいったものであるが、次第にアサガオそのものをさすようになった。

・アサガオの花は、ロウト形をしていて大きくて美しいので、江戸時代には大流行し、観賞用としてひろく栽培されるようになった。
 加賀の千代女の有名な句に、
  あさがほに釣瓶(つるべ)取られてもらひ水
というのがあるが、この歌は安永年間に詠まれているから、そのころは、アサガオはかなりふつうのものとなっていたようである。
 江戸時代中期になると、さかんに品種改良が行なわれ、色とりどりの多彩な色の花もつくりだされ、また大輪咲き、重弁咲き、狂い咲きなどの珍品が数多くあらわれた。
 文化13年(1816年)に刊行された高田興清の「擁書漫筆」という書物には、“朝顔合せ”という言葉がみられるが、当時の園芸家たちは、珍種を持ちよって、花くらべを行い、互いに優劣を競ったものらしい。

・さて、アサガオという名の意味であるが、これは“朝咲いて美しいので朝の顔という意味である”と思いがちであるが、そうではなく、“顔”とは別に関係はないようだ。
 アサガオは、もともと“朝の容花(かおばな)”の意であり、“容花”とは、“美しい姿の花”という意味である。“容”とは容姿(すがた)のことで、美麗な姿のことである。
 美人のことを、“容人(かたちびと)”というのがそれである。

 「万葉集」に、
  高円(たかまと)の野辺の容花(かほばな)おもかげに
    見えつつ妹は忘れかねつも
 というのがあるが、この“容花”とはヒルガオ科のアサガオではなく、キキョウのことであるが、“美しい姿の花”という意味である。
 したがって、アサガオとは、“朝の美人”とか“朝の美女”という意味であるようだ。
 なお、「倭訓栞」には、“アサガオヒメ”(朝顔姫)という美人の名がでてくるが、これは七夕祭の伝説にでてくる織女星のことで、天の川をはさんで牽牛(ヒコボシ)に関連して名づけられたものであろう。七夕の夕には、アサガオの葉に恋歌を書いてこれを天の川に流して、恋人のもとへ送ったという伝説もある。
(中村浩『植物名の由来』東京書籍、1980年[1996年版]、120頁~124頁)

ナナカマドは炭焼きにちなんだ名


・ナナカマドは山地に自生する落葉高木で、バラ科に属している。
 バラ科というと美しいバラやサクラの花を連想するが、ナナカマドの花はそんなに派手な花ではなく、小さくてさっぱり見栄えはしないが、花弁はちゃんと5枚あって、虫めがねでのぞくと、梅の花のように見える。
 この木は羽状複葉をもち、秋の紅葉がたいそう美しい。
 このため生け花などの材料として、よく用いられる。

・さて、このナナカマドの名の由来であるが、牧野富太郎博士の「牧野新日本植物図鑑」には、この名の由来として“ナナカマドは材が燃えにくく、かまどに七度入れてもまだ焼け残るというのでこの名がついた”と記されている。
 しかし、著者は、この説明に疑問を持っている。
 というのは、この木はそれほど燃えにくい木ではないからであるという。
 (著者は、越後の赤倉の山荘で冬を過ごした際に、よくナナカマドの薪をたいて暖をとったそうだ。この木の材はよく燃えて決して燃え残ることはない。)

・ナナカマドは、高さが9~10メートルにもなるかなり大きな木である。
 幹の直径は大きなものでは30センチにもなるので、薪の材料として適している。
 山村では、このナナカマドの薪を燃料用に用いているが、よく燃えて、決して“七度かまどに入れて燃やしてなお燃え残る”ということはない。
 
※鶴田知也「草木図誌」には、“牧野植物図鑑の説明は事実と合わない。たき火に加えるとナナカマドはよく燃える。だから名は体をあらわさず、ナナカマドは何か別の意味があるのではなかろうか”と書かれているそうだ。著者は、「わが意を得たり」と思った。

・ナナカマドという名は、ナナカという言葉とカマドという字がくっついたものである、と著者は考えている。
 ナナカとは古い言葉で“七日”という意味である。この言葉は今日ではナノカと変化している。カマドとは竈(かまど)のことであることは間違いない。
 したがって、ナナカマドとは、ナナカカマド(七日竈)の意であろうとする。 
 (ナナカカマドでは、“カ”が重複するので、一字省略してナナカマドになったとする)

 さて、カマド(竈)であるが、これは、台所の煮炊き用のかまどではなく、炭焼きかまどであると考えている。
 炭焼きかまどは石または土でかまどをつくり、中に木材を積み、火を点して燻(ふす)べ焼く木炭製造所である。壁の上方には四つ目という煙出しの小孔があり、かまどの入口に積んで口を塞ぐ石を“せいろう石”という。
 木炭は木材を空気の供給を制限して加熱し、熱分解を起こさせて炭化させるもので、すでに石器時代にこの技術があったという。
 木炭には、質の硬い堅炭(かたずみ)と軟い軟質炭があるが、堅炭のほうが火力が強く、火持ちがよい。
 木炭の硬さは樹種によってきまるが、堅炭の原木としてはふつう、ウバメガシ、ウラジロガシ、アカガシ、アラカシ、クヌギ、ヤマナシ、ミズナラ、カシワ、エンジュ、ヨグソミネバリ、ヤマボウシなどが用いられる。
 この堅炭の上質物としては、紫珠および花楸樹があげられているが、紫珠とはムラサキシキブのことで、花楸樹とはナナカマドのことである。
 木炭には、いろいろな種類があるが、上物としては、備長(びんちょう)、天城炭、鍛冶炭などがある。
(備長は、元禄年間に紀伊国の備後屋長右衛門という者が工夫して焼きだした堅炭で、木炭のうちで極上品とされている。この備長は俗に“バメ”とよばれているが、これは材料であるウバメガシからでた呼び名であるらしい。
 この備長のことを記した古書には、“備長は木炭の中の上物なり。紫珠及び花楸樹を極上品とす”という記述がある。)

・この備長の極上品として知られたナナカマドは、材質が硬く、これを炭に焼くには七日間ほどかまどでじっくりと蒸し焼きにして炭化させる。
 ふつう摂氏500度ぐらいで炭化が終わるが、800度まであげて精錬し、密閉消火したのち放冷してから、かまどから取りだす。
 ナナカマドの炭は火力が強く、最高2000度までの熱をだすが、ふつうは700~800度ぐらいの火力であるそうだ。
 ナナカマドを原木とした備長は、質がきわめて緻密で堅く、かつ火力もいちじるしく強く、火持ちがよいので、江戸の料理屋、特に鰻の蒲焼用に珍重されたという。

・さて、ナナカマドの名の由来であるが、著者は、この名は炭焼きと関連した名であると考えている。
 ナナカマドを原木として極上品の堅炭を得るには、その工程に七日間を要し、七日間かまどで蒸し焼きにするというので、七日竈すなわナナカマドとよばれるようになったとする。
(だから、牧野博士のいわれるように、“七度、かまどで燃やしても、なお燃え残る”という意味ではないという)
(中村浩『植物名の由来』東京書籍、1980年[1996年版]、157頁~161頁)