昔、人様からの情けが身にしみることが多かったので、
自分も人に親切にしようと思うようになりました。
自分に親切にしてくれた方々は、ただ、そのとき、親切にしてくれ、そして、
そのことについて、後で触れることをしませんでした。
そのことはなかったことのように、接してくれました。
親切、といっても、自分の生活リズムを崩したりとか、そういう無理をすると
逆に、相手のためにもならないです。
突き放したほうが、相手のためということも、多々あります。
「メッセンジャー」という本(キリアコス著。まだ売ってます)に書いてあったことですが
慈善的なことをしようとするとき、名乗らない。ということを書いてありました。
寄付するときも、ただ、「愛をこめて」とだけ書いて置いて来ればいい、と。
昔の、その方々に対して、もう直接ご恩を返すことは出来ませんが、
毎月、無理のない範囲でお金をとりわけて、自分で熟慮して選んだ、
事情があって子供を育てられない人の、お子さんのお世話をしている病院に寄付しています。
熊本の「慈恵病院」というところです。
(こうのとりのゆりかご基金)
マスコミにも色々取り上げられていて、賛否両論あるみたいですが、
私はテレビで、一人で赤ちゃんを産まなければならなくなった女の人を助けようと
奔走している慈恵病院のボランティアの人を取り上げたニュースを見て、
そこに寄付することにしました。
そして、そのことは家族にも最近まで話しませんでした。
(慈恵病院のことを書いたのは、この病院の活動を知って欲しいから書きました)
夫が、寄付をつのるCMを見ては、
「ほんとうに全額、ちゃんと届いてるのかね?」(全額というのは無理でしょう。スタッフの人件費とかも
かかるわけだから)とか、かなり懐疑的なことを言うので、
「ほんとうに一生懸命やってるところだってあるんだ」
ということが言いたくて、そのときにはじめて話しました。
ただ、送金するときに、
自分の名前が相手に通知されちゃうんですよね。(ゆうちょですが)
うーん
丁寧な礼状が届きます。
先日は活動報告の御本が贈られてきました。
いらないと言えばいいかな。
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