人の子が来るのは、
ノアの時と同じだからである。
洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、
人々は食べたり飲んだり、
めとったり嫁いだりしていた。
「マタイによる福音書」/ 24章27-38節
新約聖書 新共同訳
愛が自分のためのものではないように、
幸福と平和も自分のためのものではありません。
相手のいない愛がないように、
相手のいない理想と幸福、平和もありません。
これらすべては、人との関係から始まるものです。
一人で愛してできることは何もなく、
一人で立派な理想を夢見て
成し遂げられるものは何もありません。
一人では、幸福になることも、
平和を語ることもできません。
必ず相手がいなければならないということは、
私よりもその相手がより大切だという意味です。
▲http://youtu.be/8Y2ZlrTgHZo
★ノアの箱舟実在した証拠、ウェブサイト上で公開
◆クリスチャントゥデイ 2011年12月12日11時42分
創世記に記述されている「ノアの箱舟」が漂着されたとされるトルコのアララト山で、箱舟が実在した証拠が次々と発見されており、「ノアの箱舟が発見された」というタイトルのウェブサイト上(http://noahsarkfound.com/)で公開されている。縦7メートル32センチ×横37メートル50センチの大きさの大きな木片が、アララト山山頂から107メートル下の氷河に覆われた部分で発見されているという。アララト山はこれまで創世記で記述されている洪水が生じた際にノアの箱舟が漂着した山であることが示唆されてきた。9日、米クリスチャンポスト(CP)が報じた。
アララト山にノアの箱舟が漂着したことに関する数多くの話がなされてきたが、科学的に箱舟の存在した証拠および存在した位置に関しての実証はこれまでされたことはなかった。同リサーチプロジェクトを率いるトリニティ・コーポレイション、シャムロックCEO兼社長のダニエル・マッギバーン氏は、ホームページ上にアララト山で発見されたノアの箱舟の残骸に関する証拠に関して発表している。同サイト上の「科学的な発見」セクションではノアの箱舟が存在した証拠を示す数々の論文と共に、写真やどのように箱舟が山頂に漂着したのか、および箱舟の構造を示すイラストが掲載されている。
マッギバーン氏は炭素年代測定法は、ノアの箱舟の残骸は湿っており、水分を多く含んでいるため、箱舟のできた年代を測定するには効果的な手法ではないと主張している。米マサチューセッツ工科大学(MIT)のウォルト・ブラウン博士は動画によるプレゼンテーションを通して、ハイドロプレート理論を解説している。同理論ではノアの箱舟の時代において、洪水の水は約16キロメートル地下にある水の層から来ており、この水が地殻の裂け目から放出されて大気圏外へ噴き上がり、降雨したと分析されている。
さらに同ウェブサイトでは元米大統領のジミー・カーター氏が米軍機でアララト山上空を飛行した際にノアの箱舟の残骸と見られる大きな木片を目撃した話も掲載されている。他にも第二次世界大戦中にアララト山上空を飛行した米軍パイロットらも同じような証言を行っていたことが明らかにされている。さらには米中央情報局(CIA)も、衛星画像からノアの箱舟がアララト山の氷河の下に埋もれている様子が写された画像を公開している。
同ウェブサイトではノアの箱舟に関する科学的な証拠を示す以外にも、聖書の教えにういて、終末のさばきがあること、人類が悔い改め、キリスト教の信仰を持つ必要があることについても訴えられており、聖書に興味のある閲覧者が霊的な探究をすることができる30以上の聖書の教えを知るための記事も公開されている。
ローマカトリック教徒であるマッギバーン氏は、同ウェブサイトに公開されたノアの箱舟に関する記述について「圧倒される情報量である」と称賛しており、アララト山ではノアの箱舟の大きな残骸が発見されていることが多くの人々に認知されることを期待している。
(クリスチャントゥデイ 2011年12月12日11時42分)
★ロゼッタストーンの謎
◆クリスチャントゥデイ2003年8月2日07時08分
1799年7月31日、ナポレオン(1769~1821)が五万の大軍に加え、二百人の学術調査団を伴ってエジプト遠征(1798-99)を行った際のこと。その日、遠征軍がナイル川河口の小さな村エル=ラシード(フランス名でロゼッタ)の周辺に位置するジュリアン要塞の改修工事を行っていた際、一人の兵士が玄武岩製の石碑の断片を発見、報告した。それこそが、エジプト考古学史上最大の価値をもった、ロゼッタストーンの発見であった。発掘された地名からロゼッタ・ストーンと命名されたその石碑は、エジプト考古学史上最大級の発見と位置付けられた。その後ロゼッタ・ストーンはナポレオンのエジプト脱出の際に、その写本と複製がフランス本国に持ち帰られたが、本体は敗戦条約によりイギリスの手に渡り、大英博物館に保有されることになった。
ロゼッタストーンの発見が歴史的だった理由は、この石がシュメール語の辞書だったからだ。これによってシュメール語が解読されたが、シュメール語で記載された出土品のうちの歴史書などには、太陽系創世に始まり人類創世を含む太陽系の歴史が記載されていたと言われている。
シュメールは現在までで人類最古の文明だが、この遺跡が発掘されたとき一緒に大量に出土した粘土板には、シュメール語で膨大な量にのぼる文章が記載されていた。しかしシュメール語が解読されていなかったので、この発見はこのままになっていた。
聖書がヘブライ語から世界中の言語に翻訳されたとき、シュメールの歴史書はまだ発見されていなかった。しかし、聖書の内容はシュメールの歴史書の一部であることが主張されている。聖書には人類創世から記されているが、シュメール歴史書にはノアの大洪水など全て詳細に旧約聖書の記述に一致するという。
しかしシュメール歴史書には人類創世に加え、太陽系創世に関する記述もあり、太陽系の惑星の配置や各惑星の大きさの理由、月と地球の地質の違い、月の誕生、地球の水半球と陸半球の存在理由など、今日も未だ解明されていない事柄が記されているとか。
シュメール人は地球のことを星のマーク7つで浮オ、7番目の惑星としていた。人類が20世紀に初めて発見した冥王星(もしくは海王星)から数えて7番目に位置するのが地球。円柱状で粘土の上を転がして絵にする円筒印象にも、惑星の配列や大きさが正確に記されている。
この知識はどこからきたのかについても、シュメールの歴史書は神から受け継いだと答えています。古代メャ|タミア文明はアッカドから受け継いだとメャ|タミア文明の遺跡から発掘された粘土板に書かれている。アッカドの遺跡で発見された記録には、アッカド文明はシュメールから引き継いだと記述されている。しかし人類の文明で最古のシュメール文明だけが神から文明を受け継いだと言っている。事実、驚くべきことにシュメールからメャ|タミアまでは文明が退化していると言われており、21世紀に入っても多くの分野において人類は未だ当時の水準に達していないのだとか。
20世紀になって発見された天王星、海王星、冥王星の存在もシュメールの粘土板には既に記録され、さらには現在NASAが調査している第10惑星の存在まで、すでにシュメールの粘土板には記載されているなど、驚くべきことを私たちに語りかけてくるシュメール文明。これらがどのようにして成し得たのか、シュメール人とはどのような存在だったのか、それは私たちには知ることはできない。ただ気にかかるのは、時代が進むにつれ失われていく真実があるのだということ。超古代に生きたシュメール人が知っており、現代に生きる人類が忘れかけている真実。それを知るために私たちに与えられた唯一にして真実の歴史を紐解くときがきた。
(クリスチャントゥデイ2003年8月2日07時08分)
▲http://youtu.be/8Y2ZlrTgHZo
【今日の御言葉】
追加 2015.1.5